[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-03":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-03",false,"2026-08-11T01:18:18.866Z","2026-07-04T14:35:11.000Z","水雷屯、屯：元いに亨る。貞に利あり。往くところあるに用うるなかれ。侯を建つるに利あり。","高島易断 第3卦 水雷屯――卦辞原文と解卦――東方玄学庫","高島易断第3卦水雷屯の解卦。卦辞「屯。元いに亨る。貞しきに利あり。往くところあるに用うるなかれ。侯を建つるに利あり」ならびに断辞と実占例を詳しく解説。","&#19906;",3,"屯：元いに亨る。貞に利あり。往くところあるに用うるなかれ。侯を建つるに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 03　水雷屯 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 屯［20］。上の象は地、中の象は山、下の象は草の根が曲がりくねる形を表す。草木が地中を突き破って初めて出ようとし、伸びようとしてもまだ伸びきれない姿である。内卦は震、すなわち雷で、万物を鼓舞して発育させる。外卦は坎、すなわち水で、万物を潤して育て上げる。按ずるに、この卦は水中に雷がある形で、冬至の時候に当たる。雷は地中から発しようとするが、地上の水は凍り固まり、押さえつけられて、すぐには地上へ出られない。その象は、物の芽がまだ伸び広がれないような、困難で鬱結した状態である。ゆえに屯と名づける。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 屯：元いに亨る。貞に利あり。用うるなかれ。往くところあり。侯を建つるに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　屯の甲骨文字 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　屯の篆書体 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「元亨」の二字は、この卦全体の始めから終わりまでを概括したものであって、屯の時にただちに通達するという意味ではない。天下の事は、事業を始める時には必ず困難がある。ただその辛苦に耐え、たゆまず努力すれば、自然に屯難を脱して、ついには大いに通達する時に至る。だから「元亨」というのである。人が屯難の時に遭遇したなら、心を抑え、忍耐し、貞正を固く守り、「用うることなかれ」に安んじ、時機に先んじて妄りに動いて、さらに険に陥ってはならない。後日、進むべき所があれば吉で、通達を得ることを知っていても、軽々しく進んではならない。だから「往くところあるに用うるなかれ」というのである。この卦では陽爻は二つだけで、九五は坎の険の主爻、初九は震の動の主爻である。九五の君主が困難な時に、初九の有為の人物を征伐しようとすれば、かえって災いを招く。彼を厚く遇して侯伯とし、ともに時の困難を切り抜けるのがよい。だから「侯を建つるに利あり」というのである。侯は震の象であるため、『豫』の彖辞にも「侯を建つ」とある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 彖伝にいう。屯とは、剛と柔が初めて交わって困難が生じ、険の中で動くことである。貞正を守れば大いに通達する。雷雨の動きは満ちあふれ、天が草創の混沌を造る時である。侯を建てるのがよく、安逸にしていてはならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『乾』は純陽、『坤』は純陰である。この卦では、内の初九と外の九五という二つの剛爻があり、二爻の剛と四爻の柔が初めて相交わる。内卦の震の雷は地中から出ようとするが、外卦の坎の水がこれを阻むため、屯難・艱険の勢いとなる。だから「剛柔始めて交わりて難生ず」という。『説卦伝』に「震は一たび索めて男を得」とあるのは、初めて交わる象である。また「震は動、坎は陥」といい、震の陽動の性質は坎の陰の下にあって、動いてもまだ外へ出られない。だから「険中に動く」というのである。しかし険難の中にあっても、正しさを守り、行き過ぎなければ、後日自然に大いに通達する。これを「大いに通ずるには貞なり」という。震の雷は陽気が奮い立つこと、坎の雨は陰の潤いが広く施されることである。だから「雷雨の動き満盈す」という。初九は震の主爻、九五は坎の主爻であるから、互いに敵対し害することなく、雷雨の働きを手本として親しみ助け合うよう教えている。陰陽が初めて交わるので「天、草昧を造る」という。『説卦伝』では震を蘆葦とし、草の字はそこから出る。坎は月で、まだ天が明けていない状態だから、昧の意がそこから出る。この時、六四の宰相は初九の臣を礼遇し、互いに助けて時の困難を共に乗り越えるべきである。だから「侯を建てるのがよい」という。時はまさに創業の世であって、太平を守成する日ではない。どうして安逸に遊び楽しめようか。だから「安んじない」というのである。天地が初めて創られ、陰陽が初めて交わり、精と気が結合して生物を生み形を成す。震は蘆葦であり、互体の坤の大地に生長して、地盤の組織を固める。その後、胎生・卵生のものが孵化し、貝類が繁殖する。初九と九五はともに剛爻であるが、その内には坤体の柔らかさを含むので、貝や蛤の象となる。万物は生まれるとそれぞれ心霊を備え、自然に飛び、潜り、動き、跳ねる。これが自然の道理である。わが国の古い習俗では、泥土をつかさどる神を泥土煮尊、砂土をつかさどる神を砂土煮尊、動物をつかさどる神を面足尊、植物をつかさどる神を惶根尊と呼ぶ。人の生命を生む神という点では、南斗が生をつかさどり、北斗が死をつかさどるという伝承も同じである。したがって、どの物にもどの命にも、それをつかさどる神がある。およそ生まれ始めの時は、草木が春に出会うようなものである。その繁殖が、一雨ごとにますます盛んになるのが、「雷雨の動き満盈す」ということである。人類の繁殖にも、これを統御する大徳の君主が必要である。君主も一人で治めることはできず、必ず賢者を補佐に任じなければならない。これが「侯を建てるのがよい」という意味である。天地が閉ざされた状態からまだ間もない時なので、ことさらに教化を欠き、欲望におぼれて安寧や逸楽にふけってはならない。だから「安んじない」と戒めるのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめると、剛健な君子が陰柔な小人と初めて交わることである。気質が互いに異なるため、すぐに争論が生じる。これを「剛柔始めて交わりて難生ず」という。なぜか。内卦は自分であり、雷のように激しく、奮発して志を立てようとする。外卦は相手であり、水のようにぬらす性質をもち、下流へ流れる邪計を用いて自分の行動を妨げる。自分が振興しようとすることは、ことごとく相手が妨害し、成し遂げられない。進みたいのに進めず、行きたいのに行けない。これが屯である。だから「往くところあるに用うるなかれ」という。すべての事が困難で、ちょうど水中に落ちて自由を失ったようなものであり、これを「険中に動く」という。しかし運勢は移り変わり、困窮が極まれば必ず通達する。冬が去り春が来て、氷が自然に解け、雷の気が生じるようなものである。屯が解に変われば、屯難は解け散り、運勢も一新する。だから功を急いで求めてはならず、ただ固く守って命を待つべきである。運勢が転じ、陽が昇り陰が下れば、君子が権力を握り、小人が退くのが自然に現れる。これが屯を出て亨に入ることである。屯の時には、この意味を忘れてはならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめると、下卦は人民であり、激しい雷が上から轟く象である。異なる謀を蓄え、異論を唱え、上卦の政府を揺り動かそうとする。上卦は政府であり、流水のように命令を下して下民の妄動を抑え、ついには刑法によってこれを制する。「刑」の古字は刀と井から成り、法を犯した者が井戸に落ちたようになることをいう。これが下卦の屯である。政府に政令と刑罰があっても、下民の動きを抑えきれず、かえって下民に苦しめられて国運の進歩を妨げることがある。これが上卦の屯であり、「剛柔始めて交わりて難生ず」という。初九は下卦の雷の主爻であり、坎水の下で一陽がかすかに動く象である。天下が無事な時には、英雄も凡人と異ならない。しかし今、屯難の時にあって、初爻の一陽は、君子の剛健な才能をもって奮発し、有為の働きをしようとしている。どうして安然としていられようか。上位にある者は、その地位を尊び、俸禄を厚くし、礼をもって遇し、世の屯難を救わせるべきである。そうでなく、威力で押さえつけようとすれば、思いがけない禍乱を生じ、功を争う者が一斉に起こり、人心はいよいよ乱れる。これを「天、草昧を造り、侯を建てるのがよく、安んじない」という。「天が造る」とは天運のことである。「草」は人心が草のように乱れて秩序を失うこと、「昧」は頑迷で明らかでないことをいう。これがまさに屯の象である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『易』には四つの難卦がある。屯・坎・蹇・困がそれである。屯は「剛柔始めて交わる」ものの、相手の意図がどこにあるか分からず、猜疑の念が生じる、困難が初めて醸される時である。坎は二人が水におぼれる象で、互いに困難の中に陥っている。ただその日の困苦に耐えて守れば、後日の通達を得る。蹇は、相手が危険を構えていると知り、そこで止まって進まないこと、足の不自由な者が一歩も進めないようなものである。困は沢の中に水がない象で、鉢植えの草木の潤いがすでに尽きたようなものである。屯は難の始め、坎は難が連なり及ぶもの、蹇は難の中ほど、困は難の終わりである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦全体を見ると、初九は侯を建てる才力を備えているが、屯難の時に当たって磐桓し進まず、貞正の位に居て、険に遇っても自ら正を守る。六二は九五の応位にいるが、初九に誘われ、九五とともに事を行えない。これは貞操ある婦人が強暴な者の誘いを拒み、十年を経て初めて正しい応じ手である夫のもとへ帰るようなものである。六三は利益を求める小人で、この不明な時に乗じて、自分一人で功を得ようとする。六四は初九に応じ、また九五にも近いが、恐れ憚るところがあって共に事を行えない。「馬に乗りて班如たる」屯難に遭っても、最後には正しく応じる初九に帰る吉となる。九五は中正で、位と徳をともに備えるが、二つの陰の間にいるため、雷雨の恵みを広く施すことができない。上六は屯難の終わりにいて、世のために何もする力がない。三と上は応のない屯、二と四は応のある屯である。六爻がすべて動く時、険に陥っているので、特に慎み重々しくしなければならない。屯難の運勢を通り過ぎれば、自然に志を遂げる日が来る。「大いに通ずるには貞なり」という。大いに通ずるとは、屯難が解けたばかりの時である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大象伝にいう。雲と雷が屯である。君子はこれにならい、物事を整え治める。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 雨ではなく雲というのは、屯の時には上に雲が開き、下で雷が動いても、まだ雨を成すことができないからである。雨にならないので屯となる。君子はこの二つの気の働きの妙を手本として、政治と教化の組織を整える。「経綸」とは、助けて世を治めるという意味である。経は機織りの縦糸で、取り替えることができない。国家の大綱のように、政治と教化と人心が相合して乱れてはならないことをいう。綸は機織りの横糸で、天下各国の長所を取り入れ、時宜を見て政治体制を組織することにたとえる。「経綸」とは、もろもろの政務を総合して処理することである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○功名を問う。内卦の震と外卦の坎が屯をなす。震は雷、坎は雲なので「雲雷」という。震は出ること、坎は入ること。出ようとしてまた入るので屯である。また震は人、上をなし、坎は経、法をなすので、「君子もって経綸す」という。君子が経綸の才を施そうとしているが、運は屯に当たる。時を待って動くのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○戦征を問う。兵を労して守るのが屯である。「雲雷」は勢いを蓄えること、「経綸」は才を胸中に蓄えること。しかし屯の時は、守るべきであって進むべきではない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商売を問う。彖伝に「剛柔始めて交わりて難生ず」とあるので、初めて商売を営むことに当たる。何事も創業の初めは、多くその困難に苦しむ。「経綸」は糸を整える仕事だから、業種は絹・綿などの類であろう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○家宅を問う。震は東、坎は北。震は動、坎は陥である。おそらく家の東北方に動きがあるので、管理して修繕するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○婚姻を問う。雷は陽気、雲は陰気である。「剛柔始めて交わりて難生ず」とあるので、初婚の時は必ず和合しない。正しい人物に勧め諭してもらい、仲裁するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○懐妊を問う。男児が生まれる。ただし初産には険難が避けられない恐れがある。","初九。磐桓す。貞に居るに利あり。侯を建つるに利あり。","初九。磐桓す。貞に居るに利あり。侯を建つるに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。磐桓していても、その志は正しく行われる。貴い身を低い者の下に置くので、大いに民を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 各卦には主爻があり、その爻は本卦の徳をすべて備える。たとえば乾の九五は乾の徳を備え、坤の六二は坤の徳を備える。屯では初九が内卦の主爻なので、爻辞は全体に彖辞に類する。他卦の主爻もこの例による。「磐」は大石、「桓」は柱である。この爻は剛を正しい位に置き、険にあって動くことができ、屯難を救う才を持つ。しかし今は多くの陰爻の下にあり、上には坎水の険に応じている。深く危険に陥ることを恐れ、自らを支えるにはまだ足りない。ひたすら身を守り、貞固にして困難に耐え、時機の到来を待つべきである。だから磐や柱のように下に居る象となる。これは、柱石の臣となって難局を支える象である。敵対する相手について占えば、強敵が堅固に構え、揺り動かせない勢いを示す。この時、こちらはただ堅く守り、重々しく構え、妄りに動いてはならない。妄進すれば志を遂げられないばかりか、敗北を招く。だから「貞に居るに利あり」という。彖辞の「往くところあるに用うるなかれ」も、進むことの難しさをいう。功業は容易に成るものではなく、ためらって進退せず、時のめぐりを待つという意味である。これは「下位にいて上に認められず、民を治めることもできない」という意味である。まず善を明らかにし、誠心を保ち、友を信じる。そのうえで時に乗じて位を得れば、功業を成し遂げることができ、大いに通達する利益を得る。「磐」も「居る」も、ともに震の足の象である。「侯を建つるに利あり」の三字は彖辞と同じだが、意味は異なる。彖辞は九五の君主についていい、爻辞は初九の人物についていう。だから前者は侯を建てること、後者は建てられる侯を示す。侯は王に対して臣である。その臣の職分を安らかに守り、下位の者として道に背かないことが「貞に居る」である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝の意では、「貴」は陽をいい、「賤」は陰をいう。この爻は一陽が三陰の下に居るので、「貴きをもって賤に下る」象である。時は蹇で位は卑しく、その力を用いることができない。江海が低い所にあって、百川がそこへ帰するようなものである。君主が人の下に身を置くことができれば、万民が帰服する。屯難の世は、国や君主が交替しやすい時である。この爻は剛健の徳をもって下位に居り、大いに人望を得て、後日に身を立てる基礎となる。だから「貴きをもって賤に下れば、大いに民を得る」という。ただ磐桓の象から見ると、陽の徳を失うようにも見える。大切なのは、内心を固く確かにして正を失わないことである。だから「磐桓していても、その志は正しく行われる」という。この爻が変わると比になる。比の初六に「孚ありてこれに比すれば咎なし。孚ありて缶に盈つれば、終に来たり、他［21］の吉あり」とある。成功を急いで求めない意味は、ここから推し知ることができる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○戦征を問う。磐桓は進まない姿である。「貞に居るに利あり、侯を建つるに利あり」という。屯難の時を十分に経験し、内には正を守って居り、外には賢者を求めて補佐とする。そうすれば民心が帰服し、皆の志が一つになって堅固な城となり、ついには不利なことはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商売を問う。初九は十二支の子に当たり、方角は北。上には虚宿［22］があり、元枵［23］という。枵は耗の意、虚もまた耗の意なので、商売に出歩くのは不利である。貞を守り、人に任せることができれば、なお利がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○功名を問う。初爻なので、必ず初めて名を求めることに当たる。「磐桓」とは、進もうとして進めないこと。志と行いを正直にし、謙退して自ら下に居れば、最後には得るところがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。「磐」の字は石から成り、「磐石のごとく安し」といわれるので、宅地の基礎が堅固であることがわかる。「貞に居るに利あり」とあるので住居が安泰であり、「侯を建つるに利あり」とあるので、必ず貴人の邸宅であることがわかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う。「貴きをもって賤しきに下る」とあるので、富貴の人が身分の低い相手に嫁ぐ象であり、吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠を占う。初爻は男児を生む。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十六年十二月、ある貴顕が運勢を占い、「屯」から「比」へ変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。チュンは、水中で雷が動く卦であり、冬と春の境の時候を表す。雷はまさに地下から発しようとしているが、地上の水は凍ってまだ解けず、まっすぐ上へ昇ることができない。必ず氷が融けるのを待って、はじめて声を発するのである。時機がまだ到来していないため、これをチュンと名づける。チュンとは難しさの意である。しかし時機が来れば、水気は蒸発して雨となり、雷は時を得て昇り、雷雨が調和して万物を育て、造化の功を成す。これを「大いに通る」という。時機がまだ至らない間は、困難の中で正しさを守るのがよい。もしみだりに動き、軽々しく進めば、必ず危険の中に陥る。そこで「正を守るのがよい。行くところを設けてはならない」と戒めるのである。この卦は、まだ世の秩序が整わない初めをたとえている。上位にいる者は、下にいる志ある人物を用いて困難を救い、民を安んじるべきである。下にいる者は、上位の者を侵し凌ぐべきではなく、首長を奉じて国家の安寧を願うべきである。これを「諸侯を建てるのがよい」というのである。ある高位の人物がこの卦、この爻を得たことがある。維新の初めに高位に上り、財政を整理して欠乏のないようにし、富強の基礎を開いたことは、漢の高祖における蕭何のようであった。その大きな功績は、当時にひときわ輝いた。ことわざに「功を成した者は落ち、名が盛んな者は辱めを受ける」という。その人物は、同僚と議論が合わなかったため、ある朝突然罷免された。しかし国に報いる真心を、一日たりとも忘れたことはなかった。この占によって見るならば、「正を守るのがよい。行くところを設けてはならない」といえる。「正を守るのがよい」とは、正しさを守って堅固であるのがよく、焦って進むのはよくないという意味である。「行くところを設けてはならない」とは、今は身を退いて隠れる時であるという意味である。また「行くところがある」とは、後日ふたたび用いられることを示している。政党を組織して、何事かを成し遂げようとすることについては、党員の中で正しい者と邪悪な者が混じり合い、かえって災いを醸すおそれがある。チュンの二爻と三爻は、いずれも陰の性質に従い、利益を主とする徒であり、戒めとすることができる。チュンの初九は、陽が陽の位にあるので、才能と志が強剛であることがよくわかる。しかし上にはカンの水の危険があり、陽は危険の中に陥っている。そのため「盤桓」といい、ためらいと逡巡を表す。「盤桓」とは、大きな磐石を柱とするように、まだ動揺させることができず、進むのが難しいことをいう。気運が変わり、春の氷が解けて雷雨が起こる時に至れば、「あらゆる果実、草、木が殻を割って芽を出す」。チュンの困難は去り、疑いも自然に解ける。五爻の君主が礼を尽くして招けば、ただちに君命に応じ、国家の政事を治め、その才能と徳を大いに発揮することができる。だから「諸侯を建てるのがよい」というのである。この高位の人物の気運はこのようなものである。本人がこの占を信じなかったので、私はこれ以上語らない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】秋田県士族の根本通明は経学に深く通じ、人を教えて倦むことなく、また私の益友でもあった。ある日その家を訪ねると、一軸を示して言った。「この軸は明代の某翁が描いたものと伝えられているが、款識がないため真偽を見分けられない。あなたに鑑定をお願いしたい。」私はもともと鑑識には暗かったので、その真偽を占い、「屯」から「比」へ変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。内卦は震で龍、外卦は坎で雲水である。この絵は雲龍の図ではないか。爻辞に「磐桓」とある。磐とは大地の磐石で、堅固で容易に動かせないことをいう。容易に動かせないのだから、偽物でないことがわかる。また「貞に居るに利あり」とある。貞とは真という意味なので、これは真品である。「貴きをもって賤しきに下る」とは、貴重な物でありながら、誰にも価値を知られず、賤しまれているということである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 絵を取り出して広げて見ると、果たして雲龍の図であり、筆力も雄勁で、凡庸な筆ではないことが明らかだった。そこで私はこの卦の言葉によって真贋を鑑定した。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】普仏戦争の勝敗を占う。友人の益田氏はかつて欧州に留学し、西洋諸国の事情に通じていた。明治三年、普仏両国が交戦したとき、益田氏が来て言った。「普仏開戦の電報が昨夜欧州から届いた。私は以前フランスに長く滞在し、その国の強さをよく知っているので、英国人と両国の勝敗を賭けた。私はフランスの勝利に賭け、今朝、双方でいくらかの洋銀を銀行に預けた。どうか勝敗を占ってほしい。」私は言った。「あなたはすでにフランスの勝ちと見込んでいるのに、なぜ占うのか。」氏は「どうか試してみてくれ」と言い、何度も頼んだ。そこで筮竹を取り、「屯」の上爻が「比」に変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。ああ、フランスは必ず敗れ、あなたは幾らかのドルを失うだろう。あなたはフランスを主として考えているので、フランスを内卦に定める。フランスは内卦の初爻を卦主とし、「屯」の初に居る。雷の性質を備え、動こうとするが、上卦の坎に阻まれて進めない。これが「屯」の意味である。「磐桓」は進みにくい有様で、敵軍が岩石のように強固で、容易に対抗できないことをいう。「貞に居るに利あり」とは、大事を軽々しく起こしてはならないということだ。しかし今、フランス軍はみだりに進み、普国を攻めようとしている。この占を詳しく考えれば、勝てないことは明らかである。『象伝』に「貴きをもって賤しきに下るは、大いに民を得るなり」とある。初爻が変じて陰となるのが「貴きをもって賤しきに下る」である。フランス皇帝は敵軍に降るのだろうか。君主が降れば、震の一陽は変じて坤となる。坤は臣、衆、民を表し、君主のいない国の象である。後には民が大統領を選び、共和国を開いて統治することになるのだろうか。内卦の震は動、外卦の坎は険である。これが「険中に動いて難を生ずる」である。今、内卦が先に動いて外卦の険に遭う。フランスが先に戦端を開き、普軍に阻まれるのである。また陽は将帥、陰は兵卒を表す。外卦の普軍の将は九五の中正の位にあり、兵士が将を守る象であるから、普国の君民が親和していることがわかる。内卦のフランス軍の将は初九にあり、その位は中正でないので、フランスの君民が親和していないこともわかる。大将は互卦の坤の後にあり、身は軍事に関わっているが、その心がまず国家人民を賭け物にしていることも明らかである。戦略について見ると、内卦の初爻は外卦の四爻に応じ、外卦の五爻は内卦の二爻に応じる。互いに内応する象である。しかし普国に応じる内卦二爻はフランスの中正の位なので有効であり、フランスに応じる外卦四爻は普国の中正でない位なので無効である。初爻の陽が変じて陰となるのは将を失う象であり、フランスの敗北はすでに決している。そもそも両国の交渉をフランス側から見れば、自国を震の長男、普国を坎の中男とみなし、そこから戦端を開いたのである。普国側から見れば、自国は坎の中男であるが、フランスを艮の小男とみなし、それに応じている。「屯」卦が反転すると「蒙」となる。爻辞に「蒙を撃つ。寇となるは利あらず、寇を防ぐは利あり」とある。戦を醸したのはフランスであり、それを防いだのは普国である。フランスが蒙、普国が蒙を撃って懲らしめる者である。普国はフランスの寇を防いだのであって、寇となったのではない。普国が必ず勝つこともわかる。さらに内卦の坎は険で、容易に犯すことができず、外卦の艮は止で、進むことができない。これによっても、フランスが普国に勝てないことはいっそう明らかである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 私がまだ話し終えないうちに、益田氏は冷笑して言った。「卦など、空中から勝手に作り出した議論にすぎない。寝言のようなもので、聞く価値はない。」私は言った。「私は卦の象と数に基づいて推算し、勝敗の機を判断している。あなたは長くフランスに滞在し、その富強を目の当たりにしたため、必ず勝つと信じている。しかし、それは外形を見ただけで、骨髄を見ていないのだ。易は、天が定めた数にはあらかじめ定められたものがあることを示す。今この占いを推究した以上、さらに時事について詳しく論じよう。第三代ナポレオンが帝位に昇った時、まず千八百四十八年の騒乱に際し、民政党とともに大功を立て、その結果、選ばれて大統領となった。その威勢と権力を利用して憲法を破り、権力をほしいままにし、帝位に登ったのである。今や富国強兵を進め、ほとんどヨーロッパ諸国の盟主のようであり、しかもイギリスと連合してロシアを攻め、西方のセヴァストポリの堅城を陥れた。まさに第一代ナポレオンの豪傑ぶりを継ぐに足りるので、私が必勝を予期するのも、そもそもこの点にある。私はナポレオンの英豪ぶりを見るに、時に乗じて帝位を踏み、ヨーロッパ諸国を見下ろし、向かうところ敵なしであった。威勢に頼って、子孫に帝位を継がせようとした。しかし、その志を遂げられない兆しが現れた。プロイセンと戦端を開き、国を賭けて、一挙に存亡を決しようとしたのである。この比類なき豪傑も、私利に欺かれ、ついに蒙昧な挙に出て、チュンの困難という険に陥った。卦の象と時事は一つ一つ符合している。それなのに、なぜ疑う必要があるのか。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その後、普王は六十万の兵を率いてライン河畔でフランス軍を攻め、連戦連敗させ、ついにセダン城へ退かせた。普軍の包囲はいよいよ厳しく、ほとんど支えきれないほどになり、八月、第三代ナポレオンは全軍を挙げて普国に降伏した。そこで、易の象が外れないことの証として記録しておく。","六二。進もうとしてためらい、行きつ戻りつして、馬を連ねて進む。盗賊［24］ではなく、婚姻を求める者である。女子は貞を守って嫁がず［25］、十年たって初めて嫁ぐ。","六二。進もうとしてためらい、行きつ戻りつして、馬を連ねて進む。盗賊［24］ではなく、婚姻を求める者である。女子は貞を守って嫁がず［25］、十年たって初めて嫁ぐ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』にいう。六二の難は、剛に乗るためである。「十年たって初めて嫁ぐ」とは、常道に戻る［26］ことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 易の三百八十四爻のうち、卦名の字を爻辞の冒頭に掲げるものは、多くその卦の時を語っている。「屯如」は進みにくい有様、「邅如」は進んでも前に進まず、行きつ戻りつしてためらう有様、「班如」は半ば進もうとし、半ば退こうとして、進退を決められない有様である。「匪寇婚媾」とは、六二が初爻の陽に乗り、六四の陰がこれに応じることをいう。馬に乗って進まない者は、盗賊や災難に関わる者ではなく、私の婚姻の相手なのである。しかしこの爻の時には、それが正しい応爻だと明らかに知っていても、まっすぐ行って会うことができないので、「女子貞にして字せず」という。易で「匪寇婚媾」と述べるものは三つあり、この爻と、賁の六四、睽の上九である。「女子貞にして字せず」とは、この爻が中正で、九五の陽に応じ、その道理には従えるということだ。しかし陰柔なので、進んで屯の苦しみを解き、九五を坎の険から救うことができない。そこで初九がその隙に乗じて迫ってくる。この爻は中に居て正を踏み、義を守り節を保つので、許すことができない。変ずれば兌となり、少女を坎の中男に配するので、女子に託して辞を述べる。「字」とは嫁入りを許すことであり、女子には正しい相手の夫があるということをいう。屯の時には内外が隔てられ、それに従うことができない。進むにも退くにもためらうので、「屯如邅如」という。「乗馬班如」とは、震と坎のいずれにも馬の象があるため、剛に乗ることを「馬に乗る」と表したのである。この時、初九の男子を私に比す。彼が私を娶ろうとしても、私はその求めに応じることができず、まるで敵のように恐れ、避ける。しかし初九は実際には私の敵ではなく、私とともに事を行おうとする、まさに婚姻の相手である。ただ私は正を守って道を失わない。これが貞を守って嫁がない象である。互卦には坤がある。坤の数は十で、数の極みである。また震は卯、坎は子に当たり、卯から子までは十数である。十干が一周し、地数も極まれば、数が尽きて事が変わり、星が移り物が改まる。十年後、無理な求めをした者も、屯難が解けたことを知り、そこで初めて九五という正しい応じ手に嫁ぐことを許される。これを「十年して初めて字す」という。この爻は、渭水のほとりにいた太公望、莘野にいた伊尹、南陽にいた諸葛孔明のようなものである。屯難の時には群雄が相次いで立つ。君主だけが臣を選ぶのではなく、臣もまた君を選ぶ。六二の「屯如邅如」も理由のないことではない。『象伝』に「六二の難は剛に乗るためである」とある。六二がこのように苦しむのは、初九の剛に乗っているからだ。「屯如邅如」の意味を説明したものである。一般に爻では、剛が柔に乗るのは順であり、柔が剛に乗るのは逆である。逆であれば情が食い違い、互いに相得ない。下に強剛な臣がいて、私が制御し治めるのに困難を感じるようなものである。『象』に「十年して初めて字すとは、常に反るなり」とある。十年という長い間、なお貞操を守って九五に従い、女子の常道に戻る。なぜか。女子は生まれながらに、夫を得て家を持つことを願う。それが人倫の常だからである。女子は二十歳で嫁ぎ、十年たって初めて嫁ぐので、「常に反る」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う。爻に「匪寇婚媾」とあるので、明らかに良縁であり、怨み合う縁ではない。ただ「女子貞にして字せず、十年して乃ち字す」とあるので、嫁入りにはなお時を待つことがわかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。六二は柔をもって柔位に居るので、滞り遅れる象があり、「屯如」という。『春秋左氏伝』に「班馬の声ありて、斉師すなわち遁る」とある。古くは軍を退くことを班師といったので、「班如」という。軍を急に進めてはならず、必ず精鋭を養い力を蓄え、十年たって初めて勝利を得ることがわかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う。「媾」と「購」は音が同じで、意味も通じる。貨物を求めて買おうとするのに、ためらって決められない意があるので、「屯如邅如」という。また「十年して乃ち字す」とある。十は成数によっていうのであり、商品を長く積んでおくことはできない。あるいは十日、十月ということだろうか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 栄達を占う。士が名を求めるのは、女子が嫁入りを求めるようなものである。「屯如」「邅如」「班如」は、いずれも当面は成就しないことをいう。「十年して乃ち字す」とは、その時が来ることを示す。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠を占う。男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十五年、ある貴紳の運勢を占い、「屯」から「節」へ変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は陰陽が初めて交わり、万物が生まれにくい時を示す。そこで「屯」と名づけられた。「屯」とは難である。およそ物事の始まりには、困難でないものはない。草木も、芽生えから繁茂に至るまで、まず霜や雪の打撃に耐えてこそ、完全に育つことができる。まして君子が天下を治め整えることは、たやすいはずがない。この卦は震の動きが坎の険に出会う形であり、進めば必ず険に陥る。物事がまだ成らず、思いがまだ遂げられない時は、すべて「屯」である。しかし、物事は屯難から始まらずに成就することはない。世を正し、難を救うことは、その中でも最大のものである。彖伝のいう「元いに亨り、貞しきに利あり」とは、まさにこのことである。人が貞正を守る戒めに従えば、やがて大いなる通達の時を得られる。だから「往くところあるに用うるな」という。今回この卦を得た某氏は、見識がすぐれ、才は高く、知恵は深い。維新の初めには、すでに国家に大きな功績を立てた。のちに辞職して官を退いたが、その志は、少しの間も君主を忘れたことがない。今また大任を託され、まさに世に出て事を成そうとしている。しかし爻辞は「馬に乗ってもためらい、進んでは戻る」と説く。「屯」は屯難の意味であり、「ためらい戻る」とは、遅れて進まない姿である。「馬に乗ってもためらい、進んでは戻る」とは、馬に乗って進もうとして、また退く意味である。この爻は補佐の位にあり、上は九五の君主に応じている。しかし陰が陰位にいるため、屯難の苦境を解く力がなく、出ようとしても、なお速やかにそこから抜け出せない恐れがある。ちょうど嫁入りを望む女性が、正しい夫を得ていても、内外の隔たりのために従って行けないようなもので、この象が現れる。陰は陽が求めるもの、柔は剛に圧迫されるものだからである。時が屯難に当たると、六二の柔弱さだけでは自ら難を切り抜けられない。さらに初九の剛に近接しているため、疑いを免れない恐れもある。十分に戒め慎まなければならないではないか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その後、某氏はある政党の首領と会ったため、政府の疑念を招き、ついに再び辞職した。易の爻辞が物事を明らかに示すことは、まさにこのようである。今はその志を遂げられなくても、十年後には、屯が極まって必ず通じる。女性の陰柔でさえ、その節操を守れば、久しくして必ず通達を得る。まして賢人君子がその道を守り、中正によって家国を正そうとする場合は、なおさらである。","六三。案内人もなく鹿を追って、ただ林の中へ入り込む。君子は危険の兆しを感じたなら［27］、やめておくほうがよい。進めば悔いを招く。","六三。案内人もなく鹿を追って、ただ林の中へ入り込む。君子は危険の兆しを感じたなら［27］、やめておくほうがよい。進めば悔いを招く。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。案内役なしに鹿を追うのは、ただ獲物を追い求めるからである。君子はこれを捨てる。進めば恥辱と窮乏に至る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「鹿を追う」とは、鹿を追い求めることである。鹿は禄と音が通じ、禄利の意味にも通じる。ここでいう鹿は九五を指す。「虞」は山沢をつかさどる役人で、土地の案内人のような者であり、初爻を指す。初爻は人の位なので君子という。乾の九三と同じ例である。「機を見て捨てるに越したことはない」とは、捨てる、すなわち止めることである。事が成らないと知ったなら、兆しを見て止めるべきだという意味である。「進めば恥辱を受ける」の「吝」は、卑しい恥や貪欲の意であり、志を遂げようとして進めば、必ず名を辱め節を失うということである。互卦は艮で、艮は止まることである。この爻は陽位に陰が居て、陰柔でありながらせわしなく動く性質を持つ。しかも比する爻も応ずる爻も陰で、賢い師や良き友の教え導きがない。これは、虞人の案内なしに猟師が一人で林へ入るようなものである。危険を冒して進んでも鹿を得られず、日は西山に傾き、馬は疲れ、身も疲れ果て、どうすることもできない。林中の危険は、入ってみなければ分からないものではない。虞人の案内がなければ、鹿を追い始めた時点ですでに兆しが現れている。それなのに獲物を追う欲に駆られ、進んで捨てようとしない。捨てても林に入っても鹿は得られないが、捨てれば君子となり、入れば小人となる。君子と小人の分かれ目は、ほかでもなく利と義の間にある。象伝の「獲物を追い求めるから」とは、貪欲に使われることをいう。また爻辞の「機を見て捨てるに越したことはない」と、象伝の「これを捨てる」は、きっぱり手放す言葉である。この爻が変じると既済となる。既済の九三には「高宗、鬼方を伐つ。三年にしてこれに克つ」とある。国家を建設する意味も、ここから併せて見ることができる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争について。爻辞の「案内役なしに鹿を追い、ただ林の中へ入っていく」とは、案内人なしに軍を進め、危険な地へ無謀に入り込むようなものである。機を見て退くべきで、そうしなければ必ず凶となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売について。爻辞から見れば、商業に通じず、土地の事情にも詳しくない。商品を求めて出向いても、品がないばかりか、かえって損失を招く。捨てて去れば、まだ大きな害はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 縁談について。隙間をくぐって縁談を求めるようなもので、その道はすでに行き詰まっている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名について。栄達の梯子をよじ登り、寵愛を乞うようでは、士の道は行き詰まっている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 六甲について。六三は陽位に陰が居るので、男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治十八年の夏、某有力官吏が某氏の招きに応じて来た。有力官吏は言った。「私は今、国家のために進んで策を立てようとしている。その成否がどうなるか、占っていただきたい。」筮して屯から既済を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。「屯」は万物が初めて生じる時であり、芽がまだ伸びきらず、開いていない象である。陰陽の気は交わり始めたばかりで、まだ十分に通じていない。これを屯という。世間に難があり、まだ通じないことも屯という。また険に出会っても、にわかに進まないことも屯という。人事に当てはめれば、内卦の雷には動く性質があり、奮い立って事を成そうとする。一方、外卦の坎水は下に陥る性質で危険を示す。動こうとして険に陥る象である。人が何かを成そうとしても、前途に危険があれば、思いどおりにはできない。これは才が不足しているのではなく、実に運が屯の象に当たっているのである。「虞なく鹿を追う」とは、山中に入って鹿を狩ろうとするのに案内人がなく、道に迷って、必ず何も得られないことをいう。この卦には、応じ助ける陽爻がないので、林の中へ入るとは、地位を貪って進み、結局は恥辱を免れないことにたとえられる。象伝の「君子はこれを捨てる」とは、君子が機を見られるからである。小人はその反対で、「進めば恥辱と窮乏に至る」。二爻には「十年して、ようやく嫁ぐ」とあるが、これは常道に戻ることをいう。今は三爻を得ているので、九年の後には運気が変わり、必ず志を遂げられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その時、有力官吏はこの占いを用いず、要路に働きかけに行ったが、ついに辞職し、志を遂げられなかった。それから二十五年後、果たして再び用いられ、また要職に昇った。数えてみれば、ちょうど九年後のことであったという。","九五。馬に乗ってもためらい、進んでは戻る。婚姻を求めよ。進めば吉で、よくないことはない。","九五。馬に乗ってもためらい、進んでは戻る。婚姻を求めよ。進めば吉で、よくないことはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。求めて進むのは、明知である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「馬に乗ってもためらい、進んでは戻る」については、六二の下で説明した。六四の位は九五の君主と、剛柔が接している。しかし陰が陰位にいるため、その才では天下の屯を救えず、進もうとしてまた止まる。「馬に乗ってもためらい、進んでは戻る」のである。大臣は才がないことを患うのではなく、才を用いられないことを患う。もし賢者を求めて自分の補佐とすることができれば、賢明といえる。その象は六二と同じである。初九は剛明で事を成す才を表す。その人を求めて共に進み、剛中の君主を助ければ、「吉で、よくないことはない」となろう。賢者を知る明があり、賢者を妬む私心がないということである。だから象伝は「求めて進むのは明知である」という。初九も同じで、招きを待たずに出向くなら、進退の道理を知らないことになる。それをどうして明知と呼べようか。この爻が変じると随となる。随の九四には「誠が道にあり、明らかである。何の咎があろうか」とある。婚姻の正しい道はここから分かる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争について。「馬に乗ってもためらい、進んでは戻る」とは、攻撃の道筋が明らかでないからである。明らかにして進めば、向かうところ敵なし。だから「進めば吉で、よくないことはない」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名について。士は器を蔵して時を待つべきで、焦って進んではならない。召しが届くのを待ち、世に出て民に尽くせば、「よくないことはない」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 縁談について。詩経の「たおやかで淑やかな娘は、君子のよき伴侶」という句の「伴侶」は求める意である。君子が求めに来るのを待ってから嫁ぐので、吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】大倉喜八郎氏のために、某氏が使者として来て運気を占ってほしいと求めた。筮して屯から随を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。屯という卦は、こちらが奮い立って事を成そうとしても、相手が頑迷でそれを妨げるため、功を奏しないという意味である。これが屯の義である。今、四爻から見ると、四は五に近く、補佐の位にいる。しかし五が自分の策を用いないので、志を変え、初爻の陽爻に応じるべきである。爻辞の「馬に乗ってもためらい、進んでは戻る」とは、進もうとしてなお決心がつかないことをいう。「婚姻を求めよ、進めば吉」とは、初爻の陽剛を求めて互いに助け合うべきことをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 後日聞いたところでは、大倉氏の斡旋人は支配人とともに広島へ赴き、鎮台の商務に当たった。その後、支配人と意見が合わず、意気が平らかでないとして大倉氏に直ちに辞意を表し、自ら大阪へ行き、同じ鎮台のそばに店を開いた。以前の同業者である某支配人を雇ったが、これは卦にいう初爻を求めて助けを得る兆しに当たったのである。","九五。その潤沢な恵みが滞る。小さなことに正しくあれば吉だが、大きなことに正しくあれば凶。","九五。その潤沢な恵みが滞る。小さなことに正しくあれば吉だが、大きなことに正しくあれば凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』に曰く、「その恩沢を塞ぎ、施しはいまだ広く行き渡らない」と。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「恩沢」とは、潤いを与える恵みのことである。坎は雨や雲の象徴である。「その恩沢を塞ぐ」とは、時が屯難に当たり、民に恩沢を施すことができず、そのため財政が滞り、功績があっても賞することができず、労苦があっても報いることができないという意味である。五爻は中正で尊位にあり、剛明な賢臣を得て補佐を受ければ、屯難を救うことができる。しかし、その臣を欠いているので、「その恩沢を塞ぐ」というのである。初九は公の使者として選ばれるにふさわしく、下位にあって時勢に従い、身を隠して力を養っている。六四はこれに応じ、民の望みもそこに帰する。九五は尊位にあるが、坎の険難の中に陥り、時と勢いを失っている。その応爻である六二の臣は、才が弱く、屯難を救うには足りない。小事について正道を守れば吉を得られる。これが、いわゆる「その政教を寛大にし、その号令を簡明にする」ということであり、そうすれば徐々に統治に取りかからせることができる。ただし大事に至っては、そうはいかない。もし急いで改革を行えば、天下の人々は驚き恐れて離散するおそれがあり、これは凶を招く道である。古来、君主が時に当たって衰退期に入ると、権柄が下に移ることを憤り、強く立ちはだかる者を急いで除こうとし、かえって権奸に反撃されて身を滅ぼす者が少なくなかった。これを「小事における正しさは吉、大事における正しさは凶」というのである。天子が自ら万機を裁決するにあたり、最も急務とすべきは、万民を養い教化し、すべての者が泰平の徳沢に浴し、一人たりともその居場所を得られない者がないようにすることである。今、九五の君は坎の険難の中に陥り、屯難の世にある。左右の股肱の臣も皆、陰柔で、険難を免れる力がなく、下に恩沢を施すことができない。そこで『象伝』は、「その恩沢を塞ぎ、施しはいまだ広く行き渡らない」と言うのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 功名について。士が世に出て顕れるかどうかは、ひたすら上位者が恩沢を施すかどうかにかかっている。もし上が「その膏を滞らせる」なら、士に何の望みがあろうか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争について。上が厚く賞すれば、下の者は喜んで死力を尽くす。恩沢が下らなければ、必ず心も忠誠も離れ、大事は失敗する。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売について。「膏」は商業の資金をいう。「その膏が滞る」とは、蓄えが集まるだけで流通しないことをいう。小商いなら何とか守れるが、大きな経営は困窮を免れない。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気について。「膏」は人体では脂肪や血をいう。それが滞って通じないのは、鬱閉の病である。初期なら治療しやすいが、長患いになれば危険である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 六甲について。九五は尊位にあるので、男児が生まれ、しかも貴い子となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治十九年の初夏、某裁判官が訪ねて来て言った。「私はいつも某任地におりますが、そこに一行の銀行があり、かなり盛んだと評判です。ある時、友人からその銀行の株主だと聞き、株券を幾らか買って、今も持っています。ところが最近、その銀行の業績が悪く、倒産しそうだと聞き、大変心配しています。その銀行の損益がどうなるか、占ってください。」筮して屯から復を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。屯とは、屯難の極みである。五爻は天の位にいるが、雨沢を施すことができない。これを「その膏が滞る」という。詩経に「青々と茂る黍の苗、陰雨これを潤す」とある。政府のことにたとえれば、公債の利子を下々に支払えない象である。これによれば、その銀行は必ず会計が窮屈になり、株主に利益をもたらせないだろう。しかし屯の彖辞には「元いに亨り、貞しきに利あり」とあり、伝には「君子もって経綸す」とある。だから今は困難に陥っていても、元亨の時を待てば、必ず経営を整え、救済の功を立てられる。試みに数を推してみよう。二爻に「十年して、ようやく嫁ぐ」とあり、常道に戻る意味である。二爻から数えて、下卦の蒙の五爻に至るまでが十年となる。今、その銀行はすでに四年を過ぎているので、さらに六年後には、今日の損失を償い、必ず大きく好転するはずである。さらに蒙の五爻には「童蒙、吉」とある。これは株主が、幼子のように無心無欲で、父母の慈愛と教師の教えを受け、心を苦労させずに利益を得る象である。今日の停滞を心配せず、株券をそのまま保有して、将来の繁栄を待つがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 某氏は手を打ち、私の言葉の不思議な的中に感嘆して言った。「易占は本当に神妙なものですな。私が申し上げたのは福島銀行のことです。同銀行の頭取は以前東京にいて、ひそかに株式市場へ手を出し、大きな失敗をしました。その余波が銀行の会計に及び、ついに利益を配当できなくなったのです。今、この明快な判断を得て、心が安らぎました。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】二十七年九月、わが国が清国への出兵を行った際、渋沢栄一氏以下、東京および横浜の富豪たちは、全国の富豪に軍費を献納させようと唱え、その案を私に知らせてきた。そこで私は、その事が成るかどうかを占った。筮して屯から復を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦の内卦は、まず唱え出る者を表し、雷の性質を備えている。声を発して百里を震わせようとするのである。外卦はその他の富豪を表し、水の性質を備えている。下へ流れて上に応じることができず、雷が水中で動いても、響けば直ちに応じるようにはならない。これを「屯」という。「屯」とは、事が滞ることである。今、国家は資金を切実に必要としているのに、募金はまだ集まっていない。密雲があって雨を降らせないような象であるから、「その膏を屯す」という。富豪は少額なら工面できても巨額を拠出することはできない。ゆえに「小貞は吉、大貞は凶」という。この企ては、望みどおりには進みにくいであろう。国家の大事に際して、志ある者から微細な資金を求めるのは、大きな傷を軟膏で治そうとするようなもので、規模が釣り合わないことは明らかである。他人がこの策を立てたなら、私の見識の浅薄さを笑うに違いない。国事は、公議によって計るべきだと私は考える。その後、広島に議員を集め、一億五千万円の公債募集案をただちに決定したと聞いた。","上六。馬に乗って行きつ戻りつし、血の涙を流して絶え間なく泣く。","上六。馬に乗って行きつ戻りつし、血の涙を流して絶え間なく泣く。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。血の涙を流して絶え間なく泣くとは、どうして長く続けられようか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「馬に乗って行きつ戻りつする」ことについては、六二の下で説明した。「血の涙を流す」とは、悲しみ泣くことがあまりに切実で、涙が尽きた後には血まで流すという意味である。坎は血の卦なので、「血の涙を流す」という。 「絶え間なく」とは、涙が流れ落ちるさまである。この爻が変じると巽となる。坎の水が巽の風に従うので、涙が連綿と流れる象がある。上六は陰爻で陰位に居り、全卦の終わりにあって、坎の険難が極まったところにいる。運は尽き、道も極まり、事態を救うことができない。三つの陰爻はこれに応じず、下って五に比しても、五は「その膏を屯す」状態で、正を守れば凶となるため、頼るには足りない。そこで困窮し狼狽し、不安と恐れに耐えられない。その救いを求める切迫さは、まさに馬に乗って駆け出そうとする者のようである。悲泣の激しさに涙は絶えず、憂いに耐えられない有様である。しかし、物事が窮まれば変じ、時勢が窮まれば移る。憂いを契機に奮起して思案すれば、災いを福に転じ、屯難を救うことも難しくない。この爻は三爻・四爻とともに屯難を救おうとする志はあるが、その才能がない。その占を凶と言わないのは、時勢のせいであって、その人の罪ではないからである。象伝の「血の涙を流して絶え間なく泣く。どうして長く続けられようか」とは、そう長くないうちに時運が変わることをいう。この爻が変じると益となる。益の上九には、「これを益する者なく、あるいはこれを撃つ。心を立てるに恒なければ凶」とある。これによっても、その窮乏の甚だしさがわかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「屯」における国家の経綸では、初爻は公を優先して私を忘れ、国を優先して家を忘れる。これは比の時代であり、諸侯を建てて政治を助ければ、安泰を得られる。四爻は進んで賢者を求め、初爻の建侯と同じく、随の時代に当たり、やはり安泰を得る。上爻は高位にあって奮発し、事を成そうとする。これは益の時代であり、国運は進展し得る。しかし初爻・四爻・二爻が互いに疑い、互いに譲らず、上爻も進もうとしてはまた退くなら、屯難が解ける日は永遠に来ない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争について問う。上爻は屯の極みにあり、進退きわまって困窮と苦悩が極まり、ついに血の涙を流す。軍が敗れ、国が滅びる時である。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売について問う。「馬に乗って行きつ戻りつする」という句は、上で三度も繰り返されている。商売の疑惑と決断不能が、すでに幾度も続いているのである。極まれば血の涙となるから、損失がすでに大きいことがわかる。ゆえに「どうして長く続けられようか」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名について問う。上爻は坎の終わりにあり、もはや前進できない。身を守れるだけでも幸いである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気について問う。必ず吐血の症状である。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれるが、成長できない恐れもある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十四年、内閣の運勢を占い、屯が益に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。「屯」とは、雷が地中から奮い出ようとするのに、地上の水に抑えられ、出ることができずためらう象である。ゆえに「屯」と名づける。国家に当てはめれば、下卦は人民であり、雷の性質を持っている。奮進し、刺激を受けて勢力を伸ばそうとする。上卦は政府であり、水の性質を持って坎の険に陥り、下卦の雷を抑えて発動させない。現在の政府には、第一に条約改正の現実、第二に第二議会の準備という問題がある。世論は騒がしく、事務は渋滞し、国運はまさに屯難の時に当たっている。また、上卦の陰が下卦初爻の陽に応じているので、朝廷の人が下民の有力者と密かに引き合い、騒動を生じさせる恐れもある。今、内閣について占ってこの爻を得た。上爻は君主の側近に近いが、時は屯難であり、補佐の任を尽くそうとしても、応じる爻の援助がない。首相はしきりに辞職を考え、侯爵として補佐する者もまた位を退こうとしている。まさに「馬に乗って行きつ戻りつし」、進退が決まらない状態である。かつての木戸・大久保両氏は天下の重責を担い、その困難を救うことができたが、今はそのような才がない。彼らを思い返せば、嘆息と憂悶に耐えず、「血の涙を流して絶え間なく泣く」象である。しかし後日、天運が循環し、下卦の第二爻が蒙の第二爻となる時、政府はなお教師のように、人民はなお弟子のようになる。互いに愛し敬うことができ、豪傑が興れば、自ら険難を脱し、屯難を救い、天下を経綸できるであろう。",null,"周易、易経、高島易断、第3卦、水雷屯、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936141]