[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-14":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-14",false,"2026-08-11T01:18:20.937Z","2026-07-04T14:35:12.000Z","火天大有、大有：元いに亨る。","高島易断 第14卦 火天大有――卦辞原文と卦の解釈――東方玄学庫","高島易断第14卦・火天大有の解釈：卦辞「大有は元いに亨る」、付加された断辞と実占例の詳解。","&#19917;",14,"14　火天大有 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 按ずるに、「大」の字は「一」と「人」から成る。「一」は天を表し、人が天を貫いて天人が一致するので「大」という。「有」の字は「又」と「月」から成る。「又」は手であり、持つことを表す。月は次第に光を増し、満ちれば光が大きくなるので、大いに有する象がある。この卦は上が離、下が乾である。離は火、乾は三から成り、合わせてこの字となる。卦の位では、六五の一陰が尊位に居り、五つの剛爻の大いなるものをすべて尊位の者が所有する。ゆえに「大有」といい、これを卦名とする。陰は小さく陽は大きく、陽が陰の所有となるので、「小有」とすべきようにも思える。しかし、爻は陰でも位は陽であり、五つの剛爻は九五という陽位の主が所有する。だから「小有」といわず、「大有」というのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大有［72］：元いに亨る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『正義』にいう。柔が尊位に居り、群陽が皆これに応じるので、大いに所有することができ、ゆえに「大有」と称する。「元」は善の長である。大有は乾の元を得て、流行して変化を成すので、「元亨」をこれに帰する。程子はいう。諸卦の「元亨利貞」について、彖伝がみな「大いに亨る」と解しているのは、乾・坤と同じに扱っているからであろう。「元亨」を持つ卦は、大有・蠱・升・鼎の四つである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「彖伝」にいう。「大有」は、柔が尊位を得、大いに中を得て、上下がこれに応じる。これを「大有」という。その徳は剛健で文明があり、天に応じて時に従って行う。だから元いに亨る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦は下が乾、上が離である。乾は天、離は太陽であり、太陽が天の上にあって万物を遍く照らし、あらゆるものを繁栄させる。君主の心が下に交わり、賢才が次々に現れ、物において大いなるものも、人において大いなるものも、皆わが所有に帰する象である。その所有するものが大きいので、この卦を「大有」と名づける。「大有」とは、宇宙の大きさを包み、これを所有することである。卦中には一陰五陽がある。五陽は皆、六五の柔中の徳化に服するので、「大有は、柔が尊位を得、大いに中を得て、上下がこれに応じる」という。「大中」とは、まさに正中ということである。ゆったりと中道に従い、天子が中和の極みを打ち立て、天下に大いなる順化を開くことを示す。柔は天に応じることができるので、上下が皆これに応じるのである。六五の君は、己を空しくして人を受け入れ、中正によって人を心服させ、明察によって人を知る。だからこそ、ひとり「大有」という尊称を持つ。他の爻が正位を得ているか失っているかにかかわらず、凶咎がないのは、すべて六五に応じるからである。また、内卦の乾は剛健、外卦の離は文明である。六五の君は乾の九二に応じる。乾に応じるとは、天に応じることである。天に応じ、時に従って行う。その徳はこのようである。したがって「元いに亨る」は上下の五陽にあるのではなく、六五の一陰にある。健やかでも明らかでなければ見分けられず、明らかでも健やかでなければ決断できない。剛健と明察を兼ねてこそ、大有を保つに足りる。「剛健で文明がある」とは徳の本体であり、身に徳を保つこと。「天に応じて時に従って行う」とは徳の働きであり、政治に徳を施すことである。天に応じるから時に従って行えるのであり、時に従う行いは必ず天に応じることを根本とする。徳の本は一貫している。君主にこのような徳があれば、天下がどれほど広くても、掌中のもののように動かせる。「元いに亨る」とは、「元」が乾元から来ており、「亨」が通じることをいう。乾は剛健で高明、尊位に居て天に応じるので、元亨の道を得るのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめる。人が世に処するには、貴賤尊卑それぞれに分限があり、所有すべきものがあるので、各々その所有を守るのがよい。しかし、所有を求める道は公から出て私に溺れてはならず、遠きから取り、近きに拘泥してはならない。私に偏れば情に執着して、所有するものが必ず正しくなくなる。近きに拘れば見識が狭くなり、所有するものが必ず広くならない。たとえば学問を求めるなら、上下古今にわたって知識を広げれば、知識は大きくなる。財を求めるなら、山川海陸に利を探せば、利益は大きくなる。ただし、必ず健やかに実行し、自ら怠ってはならない。明らかに観察し、何ものにも惑わされてはならない。徳は天に応じ、行いは時に合う。このようにして所有を求めれば、わが所有は天下の所有を包み込むことができる。天下の所有するものが皆、統べてわが所有に帰する。そうなれば、所有するものは皆、公であって私ではなく、近きから遠きへ及ぼすこともできる。これを「大有元亨」という。人が易の象を味わえば、何事を行うにも天に従って違わず、公から出て私に溺れず、遠きから取り近きに拘らない。これが大有の道である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめる。六五の一陰が天位にあり、五陽を撫で治める。乾は富と正大、離は福と公明を表す。この公明正大の徳を備えれば、まだ天下を富有していなくても、その度量はすでに天下を包むに足りる。『繫辞伝』にいう「富有を大業という」とはこのことである。周易六十四卦の中で、一陰五陽の卦は六つあるが、一陰が君位を占めるのはこの一卦だけである。だからこそ「大有」の名を得た。「大有」の世には、六五の君が己を空しくして万民を養い、臣民の賢者を集めて、大中の政治に従わせる。九四は近侍の臣で、明哲によって有為である。九二は正しく応じる臣で、剛健にして多才である。六五が疑わず信任すれば、臣民の有為有才なる者は皆その力を収めて用いることができ、まるで自分が所有しているかのようになる。制度を最善に整えるのが「元」、治化が四方に通達するのが「亨」である。ゆえにその政治は公明正大で、徳は四海に及び、天下の事はそれぞれ理を得、天下の民はそれぞれ所を得る。国は富み民は豊かになり、上は栄え下は安らぎ、世は日々文明に進み、治は健全で楽しいものとなる。この善良で多い人民を養い、富強な国勢を大いに起こし、四海の広さを利用厚生の中に取り入れ、天下を大いなる帰着へ導き、一つの道と同じ風俗を図る。下々の民の身の回りや衣食は皆その恩沢を受け、自分の所有を私してはならないと知り、皆が自分の所有するものを上に差し出そうとする。これを「大有」といい、「上下がこれに応じる」というのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「同人」の卦では、文明の教化が下に行われ、庶民は皆、君子の風格を備え、背く邪な風俗がない。「大有」の卦では、文明の徳が上に備わり、天下が皆聖人の恩沢を受け、欠けたところの遺ることがない。「比」の卦は一陽が尊位に居て、下の五陰に応じる。その応じる者は皆、民庶である。「大有」は陰が尊位に居て、下の五陽に応じる。その応じる者は皆、賢人である。天下の賢人を得てこれに応じさせるなら、その有する徳は、どうして大きくないことがあろうか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を全体として見ると、五つの陽が一つの陰を包み、その陰は離の明徳を備えて五爻の天位に昇り、諸陽がこれを尊ぶ。これは天子が四海を富有する象である。比卦は一陽が五陰を統べ、師卦の後に、乱を継いで剛を用いるのがよい。この卦は一陰が五陽を統べ、同人卦の後に、治を継いで柔を用いるのがよい。離の火は陽の精であり、天と同体である。天は高く、火は上へ燃え上がるので、その高明さには限りがない。上九の「天これを佑け、吉にして利あらざるなし」は、君が天と一体になる象である。六爻はいずれも上に貢ぐことを意味し、初爻は民、二爻は臣、三爻は諸侯、四爻は政を補佐する大臣、五爻は天子、上爻は天人を表す。天子は天下を富有し、天下万物の利益も九州の貢賦も、すべて天が生じさせたものである。五爻は天の子である。天の物をもって天の子を養うのは、造化の定理であり、誰がこれを妨げられよう。士君子が世にあって飲食することさえ天命による。まして大事においてはなおさらである。これが大有の占である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。火が天の上にあるのが大有である。君子はこれにならい、悪を抑え善を顕扬し、天の美しい命に従う。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 離は太陽、乾は天を表す。太陽が天の上にあれば、万物の多さを照らして見せるので、大有という。そもそも「太陽が天の上にある」とは、明るさが極まった姿である。明が極まれば、公明正大となり、善悪のいずれも逃れられない。君子は天を体し、善を挙げ、悪を抑える。慶賞と威罰をそれぞれ適切に行うのは、善に福を与え、淫に禍をもたらす道である。だから「悪を抑え善を顕扬し、天の美しい命に従う」という。悪を抑えるとは罰を受けさせること、善を顕扬するとは勧め励ますことである。民が悪を罰し善を勧めることができれば、天下に治まらないところがあろうか。天から授かった本性には善があって悪はない。「悪を抑え善を顕扬する」とは、天命の本来に従うにすぎない。有罪者を討つのは天の美しい命を奉じて悪を抑えること、徳ある者を任命するのは天の美しい命を奉じて善を顕扬することである。五刑を適切に用いるのも私憤ではなく、五服を定めてその章を示すのも私情ではない。こうして悪はすべて改まり、善はすべて勧められ、大有の治は永く保たれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。目下は通じている。天の上の太陽のように、光明があまねく照らす象である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う。大胆に大きく行ってよく、富み、日に日に新しくなる象である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。祖先以来の富裕な家で、善を積んだ家であろう。子弟を戒め励まし、善根を養えば、家業を永く保てる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。主将の星は明るく輝き、賞罰が公正で、全軍が命に従う象である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を問う。必ず満載して帰り、大いに利がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。不利である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。公正な裁断が下る。そうでなければ、必ず和解して収まる。","初九。害に交わらない。咎はない。困難を思えば咎はない。","初九。害に交わらない。咎はない。困難を思えば咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。大有の初九は、災害に関わることがない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「害に交わらない」とは、害に関わらないことである。卦の初めにある九は、富有の卦に属していても、初陽として下にあり、まだ物事と交わっていないので、害に関わらない。どうして咎があろう。富有の時にいると、自らを満ち足りたものと思いやすい。満ちれば驕りが生じ、驕りが生じれば害がついてくる。害があれば咎もある。ただ常にその困難を思えば、慎み、敬い、恐れることができる。有るものを有ると思わず、世に出ても物と交わらない。刻苦して自らを励ます心を失わず、少しも驕りや盈満の念を抱かない。だから「困難を思えば咎はない」という。富有そのものに咎があるのではない。初めはまだ害に交わっていないので「咎はない」といい、ひとたび交わって咎を得れば、それは自ら招いた咎である。困難を思えば、その有を保ち、咎を免れることができる。象伝の「大有の初九」とは、大有の初爻にあって災害に関わらないという意味である。別説では「害に交わらない」を、国が外部と交わって害を受けないことと解する。初九の応は九四で、二つの剛爻が出会うが、その志は相いれないからである。この意味も一つの解釈として備えてよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。まだ盛運には入っていない。刻苦して自ら励み、幸運の到来を待てば、自然に利を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う。おそらく事業を始めたばかりで、商品もまだ流通していない。初めを慎んで守れば、害なく利を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。初めて軍を動かし、まだ交戦していないのであろう。始めを慎めば、後患はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。新たに富を得た家で、苦難の中から創業したのであろう。やがて後福を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。まだ訴え出ていない。なお和解して収めるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を問う。まだ帰る気持ちはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 六甲を問う。男児が生まれる。出産まではまだ遠い。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。すぐには見つからないが、時を待てば得られる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　佐賀県士族の深江某は、私の親友であった。明治四年、紙・石灰などの商売に従事したが、横浜へ来て悪徳商人に敗れた。この人は才学があったものの、商売には不慣れであった。私に今後の運勢を占うよう頼み、得卦は大有から鼎へ変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は大有であり、後運の盛んなことが十分に見える。今、九は初爻にあるので、運が来る直前の時であり、小人に害されるのも避けられない。近ごろ思いがけない損失があったとしても、もともとあなたは商売に不慣れであり、小さな害なら咎とするほどではない。今は仕官の道を考えているので、将来は必ず昇進する。しかし盛運に当たって、その困難を思わなければ、咎は免れにくい。満ちた状態を保ち、泰平を守るには、持っていても困難を忘れず、常に刻苦して自ら励み、今日の苦しみから明日の通達を望むこと。明日の通達を得た後もなお今日の苦しみを思い、その困難を忘れなければ、咎はない。このようにすれば、長くその有を保てる。どうか励まれたい。後の結果は、まさにこの占いのとおりであった。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　知人である某県人の永井某が来て、運勢を占ってほしいと頼み、大有から鼎へ変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。卦は大有で、すでに財産豊かな象が現れており、喜ぶべきことである。今は初爻を得たので、一時の初運であり、まだ大利は得ていない。経営の難しさを思わず、少しでも驕り満ちる心があれば、みずから災害を招く。十分に戒め慎むべきである。ご実家についていえば、ご尊父は篤実な性質で、生涯つつましく努力してきたが、家計を拡充するには至らなかった。あなたはなお満足せず、一攫千金を願っている。幸い、この盛運が始まったばかりにこの利益を得たので、まさに大有の初爻である。その辞に「初九、害に交わらない。咎はない。困難を思えば咎はない」とある。この「困難」の字を最も慎重に考えるべきである。爻が初九にあってまだ物と交わらないから「咎はない」といい、ひとたび交際すれば害が潜む。刻苦して困難に当たることを思わなければ、咎は必ず免れにくい。慎み、励まれたい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この人はしばらく私の言葉に表面上は従ったが、年少で血気盛んだったため、自らを抑えられなかった。次第に驕奢に耽り、ついに事業を失敗させ、その後不正を働いて獄に入った。爻象の戒めは、このように少しも違わず現れた。まことに恐るべきことではないか。","九二。大車もって載す。往くところあり。咎なし。","九二。大車もって載す。往くところあり。咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。大車が載せるのは、中央に積んでも崩れないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この爻は陽が二位にあり、陰陽・剛柔がちょうどよく調和している。大有の時に臣下の位にあり、上は六五の君に応じる。大いに成し遂げる才を備え、大いに成し遂げる時に遇い、一身で国家の重責を担う者である。二は陰柔なのでよく容れ、九は陽剛なのでよく行う。ここから車の象が生じる。初と三の二つの剛爻が左右に並んで補佐するので「大車」といい、「大車もって載す」とは、その才が重責を担い遠くへ進むに足ることをいう。剛中の徳によって、二は包容の器を広くし、天下の人材を集め、才能を量って任用し、それぞれが職分を尽くせるようにするので、雑然とした不手際がない。ゆえに「往くところあり、咎なし」という。占う人がこのようであれば、位は志に報いるに足り、徳は任に堪えるに足りる。上は君主の委託に背かず、下は民の望みを失望させない。どうして咎があろう。象伝の「中央に積んでも崩れない」とは、大車が初と三の左右の剛爻に近く補佐され、車体が完全で厚く、中央に重い荷を積んでも遠くまで進んで壊れないことをいう。九二の才力が剛強で天下の重きを担い、敗事の憂いが全くないことも同じである。この爻が変わると離となる。離の六二に「黄色い光、元より吉」とあるので、参考にすべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。今まさに好運に入り、一路順風、行くところすべて利がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う。商品の運搬や有無の交易、さらには海外貿易まで、すべて利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。陸戦に利があり、軍を率いて直進すれば、攻めても取っても勝つ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。平安で咎はない。さらに高い所へ移る計画なら、いっそう吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。外へ出て治療を受けるのがよく、吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を問う。外で事を計り、多くの利益があるため、しばらく帰らない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。勝訴する。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 六甲を問う。男児が生まれる。一か月を越せば女児。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　明治二年、友人が来て、ある高官の運勢を占ってほしいと頼んだ。得卦は大有から離へ変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は六五の一陰が君位にあって五陽を統御する。内卦は乾で、乾の綱を一手に握る正大の象。外卦は離で、離の明があまねく照らす光明の象である。光明正大に天下を有することを大有という。二爻は剛中の徳を備え、六五の君と陰陽相応じ、天下の大任を積載し、天下の大業を補佐できる。大車が自在に運行するようなもので、「大車もって載す。往くところあり。咎なし」という。これによれば、かの高官は後に必ず大任を担い、大功を奏する。後の結果は、まさに占いのとおりであった。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　明治三十二年、ドイツの運勢を占い、大有から離へ変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は五爻の陰が中を得て、五つの剛爻を統御する。ちょうどドイツ皇帝が全ドイツを統治し、民衆が悦服し、国内の兵糧も整い、戦にも守りにも適する、まさに国軍が盛んな象である。今は二爻を得、その辞に「大車もって載す。往くところあり。咎なし」とある。このことからも明らかである。","九三。公、天子に享す。小人は能わず。","九三。公、天子に享す。小人は能わず。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。公が天子に享する。小人には害となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「享」は「享」と同じで、供して楽しませること、宴を設けることである。「公、天子に享す」とは、天子が宴を設け、公侯をもてなすことをいう。この爻は下卦の上にあり、公侯の象である。九五の君は己を空しくして賢者にへりくだるので、四方の公侯が感化されて賓客として来朝する。詩にいう、喜ばしい賓客が安らかに楽しみ、濃い露を受けるという趣旨である。ゆえに「公、天子に享す」という。諸侯は王家の藩屏となり、天子はその功を喜び、宴を開いて労をねぎらう。この爻は陽位に陽があり、純正な才徳を備えるので、このような寵遇と栄誉を受けられる。もし小人がこの位にあれば、富を私有し、威福をほしいままにし、上を軽んじ下を凌ぎ、必ず禍を招く。どうして享礼の厚遇を受けられようか。上に比応するものがなく、君上から信任されない。だから「小人は能わず」といい、象伝も「小人には害となる」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 別説では、「天子に享す」とは、己の有するものを君上に貢奉できることをいう。土地の富も人民の多さも、すべて天子の有である。諸侯は臣下の節を慎んで守り、忠順に上に奉仕し、民を養い育て、藩屏の役を果たし、財貨を豊かに殖やして貢献の資とし、天子に享する。自分の有が天子の有だからである。もし小人がこの位にいれば、富を私有し、公に奉ずる道を知らなくなる。ゆえに「小人は能わず」という。この意味も通じる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 按ずるに、周易の辞で「先王」といえば統を垂れることを述べ、「帝」といえば主宰することを述べ、「天子」といえば正位にあることを述べる。また「后」は天子と諸侯に通じる称号であり、「大君」は天子の尊称である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。今は顕栄の時に当たり、公のためには利があるが、私を営むには不利。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 仕途を問う。寵愛と任用、栄誉と賞を得る象である。賄賂を取れば必ず敗れる。慎むべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う。利益を得るだけでなく、名声も得られる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。三軍をねぎらい賞する象で、戦いには勝つが、兵士には損失がある恐れ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。祝い事や宴会があり、家の食事も豊かである。ただし、女中や使用人の扱いには注意が必要。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。飲食をめぐって争いが起きたなら、正しい裁きを得にくい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 六甲を問う。男児が生まれ、身分も高い。ただし幼少期は病気や災いが多くならぬよう注意。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　大阪の友人某が来て、ある豪商の時運を占ってほしいと頼み、大有から睽へ変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は大有であるから、富豪の家であることがわかる。「公、天子に享す」とは、大臣が君恩を受けることをいう。商人の場合、官の事に関わって役所から厚遇される象も同じである。商人がこのような寵遇を得たなら、常道を慎んで守り、決して勢いに頼り、寵に甘えてはならない。そうでなければ、富をかさに着て権威を借り、寵愛に驕り、必ず財産を損なう。吉凶悔吝は、ただその人が自ら招くところにある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その後、この豪富はある省の用途金を管理し、貴顕と交際して富を誇り、かなり人々の怨みを招いた。たまたま病にかかって死に、官金を返済できなかったため、ついに財産を破った。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　明治五年、土佐の渡辺小一郎が来て、運勢を占ってほしいと頼み、大有から睽へ変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。大有の世では、天子は己を空しくして賢者を用い、金帛の出納を臣下に委ねる。大臣なら慎重に任を果たすが、小人なら必ず上に奉仕する道を失う。ゆえに辞に「公、天子に享す。小人は能わず」とある。今、あなたは鉄道局神戸出張所の事務を任され、金銭の出納を扱っている。最も注意しなければならない。昔の封建の世には士民がともに義気を持ち、監守の者が公金を盗めば、腹を切って罪を謝ることさえあった。維新以来、刑法は寛大になり、人々の廉恥心も薄れた。深く留意しなければならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その後神戸で、ある属員が私的に米を買い入れるため、官金を幾らか無断で流用した。渡辺氏もまたその責を免れず、さらに属員を救うため、ある商人から幾らかの金を借り入れて官金の返済に充てた。後に事が発覚し、属員とともにその罪を受けたという。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】江戸虎ノ門の金刀比羅神社の宮司、鴻雪爪は私の知己である。二十九年某月、訪ねて来て言った。「近ごろ浅野侯爵が重い病にかかり、危篤の様子で心配に堪えません。どうか一卦を筮して吉凶を占ってください」。筮して大有が睽に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて言う。大有とは、生命がなお存在していることを示す。上爻は有の終わりで、ちょうど帰魂に当たる。今回三艾を得たので、病には灸が効き、薬餌に利がある。昨日、名医が功を奏したに違いないと分かる。貧賤の者は名医を求めるのが難しく、良薬を得ることも極めて困難である。「克」とは癒えることだから、小人なら「克たず」を恐れるところだが、侯爵の家なら名医を招くのも容易で、貴重な薬も手に入れやすい。ゆえに「王、天子に享す」というのである。天子から良薬を賜ったようなもので、病は必ずや差し支えない。果たしてすぐに快癒し、今なお無事である。","九四。自分の盛大さとしない。咎なし。","九四。自分の盛大さとしない。咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に言う。「自分の盛大さとしない。咎なし」とは、明らかに弁別し、分析することである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「彭」とは、盛んで多いさまをいう。詩経に「行人彰彭」「出車彭彭」「駟彭彭」「四牡彭彭」とあるのは、いずれも人馬の強盛なさまを形容したものである。この爻は剛が柔位に居る。大有の時にあって執政の位を占め、剛明な才徳を備え、諸賢の上に立ち、六五の君主とは陰陽相親しみ、君上の寵愛は極めて厚く、待遇もひときわ盛んである。いわゆる人臣の極位に達し、威権・富貴が一身に集まる、盛大すぎる立場である。盛大すぎれば危うい。ただ離の明を体し、柔位にいてよく謙譲し、機を見て退けば、盛んな中にあっても、それを自分の盛大さとはしない。ゆえに「自分の盛大さとしない。咎なし」という。象伝は「咎なし」を「明らかに弁別し分析する」と解する。「析」は明の本体であり、「明弁」は外卦の離の日の象を得たものである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 一説には「匪」を「篚」、すなわち竹籠の意とする。この爻は威権が盛んで、天下の人々がその門に押し寄せ、贈賄の疑いがないとはいえない。しかし大臣の地位にあり、大有の時運に当たって、ささいな贈賄などどうして心を動かせようか。これを「自分の盛大さとしない。咎なし」というのである。易の取る象は広大であり、一つの意味に偏執してはならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。六爻のうちすでに四爻までその位に達しており、今はまさに盛運の極みに至っている。満ちた状態を保ち、泰平を守り、止まるべきを知って辱めを受けないようにせよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う。すでに利益を得ている。貪りすぎて求めなければ、害はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。衛の公子荊の住居のように、ただ整い、ただ美しくあればよい。そうでなければ、満ちすぎて損なうことを免れない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。膨張の患いに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。明断の才を得て、正しく裁定される。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。竹籠の中を探せば見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】親友某氏が商業旅行に出るにあたり、その用事を私に代わって取り計らうよう頼んだ。ある夜更け、その同行者が突然、嘆き訴えて来て言った。「疑わしい事が一つあり、どうしてよいか分かりません。どうか一占して解決してください」。私は困窮している。今朝、ある商人が来て三百元を受け取り、それを竹籠にしまったが、鍵を掛けるのを忘れた。夕方になって取り出そうとしたところ、金が見当たらない。どこか別の場所に置き忘れたのかと思って探したが見つからない。そこで朝から出入りした者と家にいた者を調べたが、皆以前から信頼している者で、怪しい者はいない。紛失の原因はまったく分からない。筮して大有が家人に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて言う。卦名が大有なので、金は外へ出たのではなく家の中にあると分かる。さらに卦を一家全体になぞらえると、上卦は二階に当たる。爻辞に「自分の盛大さとしない。咎なし」とある。「匪」とは玉帛を盛る竹器である。急いで戻り、二階の竹器を調べれば、必ず見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 某氏は礼を述べて立ち去った。しばらくして戻り、果たして二階の竹器の中から発見したと報告した。","六五。真心が交わり、威厳がある。吉。","六五。誠意が人々と通じ、威厳が［73］のようである。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に言う。「真心が交わる」とは、信によって志を発することである。「威厳があることの吉」とは、寛易で備えを要しないことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「孚」とは、上下の情を通じさせるもの、「威」とは上下の分を厳正にするものである。情が通じなければ隔たりが生じ、分を厳しくしなければ馴れ馴れしさが生じる。「交如」は交わり接する意、「威如」は威厳の意である。孔子は「衣冠を正し、まなざしを尊くし、厳然として人が見て畏れるようにする」と言ったが、これをいう。この爻は柔中にして尊位に居る。虚心に賢者を礼遇し、下は九二に応じ、上下の五陽も皆その徳に帰服するので「その孚」という。君主と賢臣が一つの徳を同じくし、朝廷も民間も心を寄せ、良友がよく交わるようであるから「交如」という。しかし君主の心は和を尊び、君主の身は尊きを貴ぶ。手本となる儀容があり、畏れさせる威厳があってこそよいので、「威如」という。大有の世では、下にある者には助けようとする志があり、上にある者もまた誠信をもって下を受け入れ、それによって十分に感発させることができる。ゆえに象伝は「信によって志を発する」と言う。また「寛易で備えを要しない」とも言う。六五は群剛の中にあり、独り柔の道を用いるため、人から軽んじられやすく、畏怖の心を抱かせにくいのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。平生、人から信服され、しかも威望があり、晩年の運も盛んで順調な時である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う。一時、商人たちが皆信服し、商品もよく流通する。長く富を保てる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。全軍が勇み立ち、威令が遠くまで響く。ただし敵軍に備えるため、特に警戒を厳にすべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。一家は和睦するが、盗難の恐れがあるので備えをしておくべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。盗んだ者は、信頼していた人である。威をもって迫れば必ず返す。ただし、取り戻しても再び失う恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。被告は威を恐れて和解する。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 行人を問う。予定どおり帰る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある日、親友某氏が来て運勢を占ってほしいと頼んだ。筮して大有が乾に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて言う。この卦を国家に当てはめれば、六五の柔中の君主は、公明・正大・威信・温和の徳を備え、九二とは陰陽相応じ、九四とは陰陽相親しみ、諸陽を統御して大有の治を保つ。これを一個人に当てはめても同じである。あなたには信実で忠実な同行者があり、自分を空しくして人を受け入れ、多数の喜びを自分の喜びとし、多数の憂いを自分の憂いとする。主従は和睦し、家政はうまく行われる。ただし威がなくてはならない。威がなければ命令は行われない。国政もそうであり、家政もまた同じである。今、大有の時に当たり、あらかじめこの道理を体得し、恩と威を併せ行うことに心を配るべきである。某氏はこれを守り、家業はいよいよ繁昌した。","上九。天が自らこれを助ける。吉、よろしからざるものなし。","上九。天が自らこれを助ける。吉、よろしからざるものなし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に言う。大有の上爻が吉なのは、天が自ら助けるからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この爻は大有の極に居るが、その有に安住するものではない。剛をもって六五の君主の後ろに控え、人事を尽くして天命を待つ者といえよう。これが賢師である。天道に則り、国政を計画し、大有の君主をして天の時に応じ、万機を統べ、徳行を積み、全盛の福を享受させる。この「天が自ら助ける」でなくて、どうしてその有を享受できようか。求めずして自然に到来するものなのである。この時に当たり天の助けを得れば、あらゆる事業が吉となり、不利なものは一つもない。ゆえに「天が自らこれを助ける。吉、よろしからざるものなし」という。聖人が易を作った要点は、天が人を助け、人が帰服することにある。「天の助ける者は順い、人の助ける者は信なり」と言うとおりである。この爻辞は、三百八十四爻を一言で覆うものともいえよう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。目下は一路幸運で、万事吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う。あらゆる商品で利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。一家に福と慶びが満ちる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。この一戦で大いに勝ち、軍を引き揚げてよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 行人を問う：すぐ帰る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。ひそかに神の加護を得て吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。高い所を探せば見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治十五年、ある貴顕の運勢を占った。筮して大有が大壮に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて言う。この卦は太陽の輝きが天を照らし、五陽の賢者たちが補佐して、大有の治を見る象である。今回この爻を得たのは、善行と徳を積み、天の助けを得て、天下の事業がことごとく吉となり、不利なものがないということで、「天が自らこれを助ける。吉、よろしからざるものなし」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n しかしその年、某貴顕は亡くなった。卦の大有の終わりが帰魂であるため、これを天に帰る、すなわち帰天と解したのである。",null,"周易、易経、高島易断、第14卦、火天大有、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936236]