[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-18":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-18",false,"2026-08-11T01:18:21.689Z","2026-07-04T14:35:13.000Z","山風蠱。蠱は、大いに亨り、大川を渡るに利あり。甲に先だつこと三日、甲の後三日。","高島易断 第18卦 山風蠱――卦辞原文と解卦――東方玄学庫","高島易断第18卦・山風蠱の解卦：卦辞「蠱は元いに亨る。大川を渉るに利あり。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日」、付記の断辞と実占例の詳解。","&#19921;",18,"18　山風蠱 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦は巽が下、艮が上である。艮は山、巽は風で、山の下に風がある象を示す。風は空中の気であり、気候を通わせ、寒暑を往来させ、万物を育てるものである。今、風が山の下に入り、息が閉ざされて振るうことができない。風が通じなければ物は腐敗し、虫が生じる。また巽は臭い・気を表し、艮は止まること・覆った器を表す。艮が上、巽が下なら、臭い物を器の中に隠して夏に覆う形となり、ゆえに腐敗して虫が生じる。一匹の虫が三匹となり、ますます増える。虫は皿の中で食べる物がなく、ついには同類を食らう。これが乱の意味である。「蠱」79 の字は、一つの器の中に三匹の虫がいる形なので、春秋伝に「皿に虫があれば蠱となる」とある。朱子は「器の中に毒虫が集まり、互いに食わせるという意味で、すべて敗壊の意である。ゆえにこの卦を蠱と名づけた」と説く。説文には「腹中の蠱は深い悔いから生じる」とあり、ここから淫溺・惑乱の意味も生じ、さらに転じて事、または修め整えることの意味にも用いられる。序卦伝は「蠱とは事なり」、雑卦伝は「蠱とは飭なり」という。およそ蠱敗に遭えば、必ず慎んで整え、修め治める仕事がある。乱を治めるという意味に解するのと同じである。したがって卦名は敗壊の意味を取り、爻辞では事の意味に用いている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 蠱。大いに亨り、大川を渡るに利あり。甲に先だつこと三日、甲の後三日。［80］ \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　「蠱」の甲骨文字 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 蠱とは、壊敗の極みである。壊敗が極まれば、必ず再び治めなければならない。治めるには必ず蠱を治す才能が世に応じて現れる。その才能を得れば、大いなる亨通をもたらすに足りる。才能を用いて治を図るのは、舟や櫂を用いて川を渡るようなものである。書経に「大川を渡るように、汝を舟や櫂とする」とあるのはこのことである。ゆえに「大川を渡るに利あり」という。「甲に先だつこと三日」「甲の後三日」については、諸儒の説が非常に多い。馬氏は卦位によって説き、子夏氏は癸と丁によって説き、盧氏は賁と无妄の変卦によって説き、鄭氏は辛を用い丁を用いる意味を取り、蘇氏は巳が尽き亥が尽きるという説に基づく。いずれも一つの見解に固執している。『全書』だけは、先三日・後三日を、六爻が終わって七日目に再び始まることとし、復卦の「七日にして来復す」の意を取る。簡端はいう。「甲は事の始め、庚は事の変化である。蠱が極まって再び治まるので甲といい、巽が陰に変じて陽に帰るので庚という。」この説が最も精確である。程氏は「甲に先だつこと三日」を、その原因を究めて事に対処すること、「甲の後三日」を、これからどうなるかを究めて防備することとする。この説もまた筋が通っている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 彖伝に曰く、蠱は剛が上に、柔が下にあり、順にして止まる。これが蠱である。蠱が大いに亨るとは、天下が治まることである。「大川を渡るに利あり」とは、進んで事を行うことである。「甲に先だつこと三日、甲の後三日」とは、終われば始まりがあるということで、天の運行である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦では、艮は上に一陽、下に二陰があり、巽は上に二陽、下に一陰がある。内外の陰陽は交わらず、内なる志は決せず、外への行動も力強くない。因循して座視すれば、物事は誤り、破綻へ至る。これが、弊害が次第に積み重なって蠱となる理由である。蠱の状態で、どうして大いなる通達が得られようか。いわゆる「元亨」とは、蠱によって壊れたものを再び完全にし、塞がれたものを再び通じさせることである。そうしてこそ、元亨となり天下が治まる。序卦伝に「蠱とは事なり」とある。蠱を正すには必ず事が起こり、進めば危険を免れない。危険なものでは大川を渡ることに及ぶものはないが、蠱を正すために進んで渡るなら、何事も不利ではない。「甲に先だつこと三日、甲の後に遅れること三日」とは、先後が始終を意味する。蠱の始まりをたどり、その終わりを見極め、初めには決して怠らず、後にも決して気を緩めず、ただ「まだ十分ではない」として、終わればまた始める。これは天行の健でなければできない。これが蠱を正す功のすべてである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめれば、こちらは巽いて従い、相手は艮いて止まるので、意気が互いに通じない。意気が通じなければ、互いに結んで事を成すことができず、因循姑息となって、事が必ず壊れるのも当然である。たとえば木が朽ちれば虫が生じ、穀物を長く置けば虫害が起こる。これが蠱の象である。蠱は後天の卦であり、艮と巽が乾と坤と位置を入れ替えている。これは父母が老いて子が事を執る象であるため、六爻のうち五爻が家事を説いている。初爻は父の蠱を正してその意を受け、二爻は母の蠱を正して中道を得、三爻は正して悔いはあるが咎なく、五爻は正して「誉れを用い」、徳を受け継ぐ。ただ四爻だけは「裕にして」蠱を放置し、「吝を見る」とする。これは順うことを失ったためである。人事は孝を第一とする。家事から推し広げれば、何事もこの道理によるべきである。上爻は蠱の終わりに位置し、ただ独りその志を善くする。蠱を正すとは言わないのは、その志を守って身心の蠱を治め、志を広げて万世の蠱を救おうとするからである。これは人事の中でも大きな事である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめれば、上卦は政府、下卦は人民である。上に艮、下に巽があり、一方は高く一方は低い。尊卑の隔たりは甚だしく、上下は断絶する。臣下はためらい恐れ縮み、奮い立つ才を欠き、君主は因循姑息で、事を成そうとする志に乏しい。禍乱の芽は、すでに治平の中に潜んでいる。ここから百般の弊害が生じ、万事が崩れる。これが蠱の名の由来である。しかし蠱の時には、必ず蠱を正す才が必要であり、それがあってこそ治めることができる。象伝に「蠱。君子以て民を振るい徳を育う」とある。民を奮い立たせ、その徳を養うことが、蠱を正す要道である。この卦の六爻はすべて斉家を説き、治国には及んでいない。しかし究極には、斉家こそ治国の方法であり、道は二つではない。初爻の「終に吉」の干蠱は、管仲が斉の桓公を補佐したこと、諸葛孔明が後主を輔けたことに当たる。二爻の中道を得た干蠱は、周勃が呂后に仕えたこと、狄仁傑が武后に仕えたことに当たる。三爻の「咎なし」の干蠱は、伊尹が太甲を輔佐し、ついに位を回復させたことに当たる。四爻の裕やかな蠱で「吝を見る」のは、李勣が諫めず、ついに禍を醸したことに当たる。五爻の「誉れを用いる」干蠱は、周公が成王を輔佐し、ついに周の興隆を成し遂げたことに当たる。上爻の「高尚」は、許由・巣父が天下を受けず、伯夷・叔斉が周の粟を食べなかったことに当たる。後世の君臣は、困難を思い治道を図るなら、「甲に先だつ」「甲の後」の戒めを畏れ、成就を始めから終わりまで守る道を保ち、震の動きを用い、乾の健を手本とすべきである。そうすれば「元亨にして天下治まる」。そうでなければ、柔順に安んじ、退いて止まり前進しなければ、蠱の害は日ごと深まる。善人がいても、その後を保つことは難しい。恐れなくてよいだろうか。慎まなくてよいだろうか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦全体を見れば、艮は剛をもって上で止まり、上は高ぶって下に降りて助けようとしない。巽は柔をもって下に入り、下は卑しくして上に承けようとしない。剛柔は接せず、両者の心情は隔たる。下の者はますます卑下して従い、ためらって進まず、上の者はますます高く尊大となり、顧みず安逸に流れる。その内側では日ごとに弊害が積もり、次第に傷み腐り、内は腐敗し外は朽ち、ついには救いようのない破綻となる。ゆえに「剛上りて柔下り、巽いて止まる、蠱」という。内に卑下して従い、外に安易に止まるから蠱となるのである。古書に「流水は動くから腐らず、戸枢は回るから朽ちない」とある。器は常に用いるべきで、長く使わなければ虫が生じる。身体も常に動かすべきで、長く動かなければ病が生じる。蠱は止まることから生じ、その原因は一朝一夕に生じたものではないと知るべきである。象伝に「山の下に風あるは蠱」とある。風は進もうとするが山に阻まれて止まり、山の周りを巡るばかりで目的地に達しない。風の字には虫の意符があるので、風によって変化して蠱となるという。君子が蠱を治めようとするなら、「振るう」ことに勝るものはない。振るうとは動いて止まらないことである。「民を振るい徳を育てる」とは、明徳を明らかにし、民を新たにする道である。だから諸爻は皆「干す」と言う。「干す」とは根を立て、枝葉を付着させることで、木の身を支え起こす。その意味は「振るう」と同じで、いずれも止まることに反して働かせるのである。止まることを反転させれば、蠱は治まる。四爻の「裕」は蠱をさらに増すので、「吝」となる。五爻までは皆蠱を正すことを述べ、そこには子の道がある。上爻は五爻の上、卦の極にあり、父の象を持つので、蠱について語らない。蠱を正す仕事は五爻の王と諸爻の侯に属し、上爻はもはやその事に携わらないからである。したがって「王侯に事えず、その事を高尚にす」とは、その事業が王侯よりさらに高いところにあるという意味である。一言を天下の法とし、一行を天下の則とする。その人は蠱を治めるとは言わないが、それこそが蠱を治める方法である。その道は万世の模範となるので、象伝は「志は則とすべし」と言う。「王侯に事えず」を隠者が高尚を装う行為と解すれば、卑しく従って安易に止まる習慣を繰り返すだけで、蠱を正すどころか蠱を助長することになる。爻の意味に合わない。要するに、この卦の五爻までは父・母・子と称し、すべて家事を述べる。上爻では王・侯と称し、国家の事を述べる。邱氏が「これを子とすれば父を諫める子であり、これを臣とすれば君を諫める臣である」と言ったのは、まさにその通りである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大象伝にいう。山の下に風があるのが蠱である。君子はこれに則り、民を奮い立たせ、徳を養う。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 小畜では「風、天上に行く」、観では「風、地上に行く」、渙では「風、水上に行く」とある。何にも妨げられないので、いずれも「行く」という。蠱では山の下に風があり、風が山に出会って止まるので「有る」という。「行く」は外にあり、「有る」は内にある。内にあるものは必ず鬱して発することができず、鬱積が長くなれば壊れる。「蠱は内より生ず」というのはこのことである。君子はこの時に当たり、民を奮い立たせ、その徳を養う。艮の止めるものを動かし、巽の入るものを外へ出す。自らの徳を推し広げて民を教化し、民もまたその徳に感じて奮い立ち、事を成す。こうして古い染みついた汚れを改め、「日に日にその徳を新たにする」。これが君子の蠱を治める働きである。このようにして蠱は救われる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：今まさに好運が訪れ始めている。力を尽くして奮い立てば、旧状を改められる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う：商品を積み置いて腐らせないようにし、急いで運送・販売するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 軍事を問う：陣営は広い平地に置くべきで、山近くはよくない。風声鶴唳のような驚きに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：門庭を整え、淫行や惑わしを戒める訓戒を厳しく守るべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：巫蠱や呪詛に注意。または腹部に蠱毒の症状があるかもしれない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う：人の惑わしに耳を傾けたことが原因らしい。急いで訴えを取り下げるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：男女の隠れた情事がある恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う：その品はすでに壊れている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅行を問う：風による妨げに注意。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 六甲を問う：異胎に注意。","初六：父の蠱を正す。子あり、考は咎なし。危うけれど、終には吉。","初六：父の蠱を正す。子あり、考は81咎なし。危うけれど、終には吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。父の蠱を正すとは、父の志を受け継ぐことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「干す」とは本来、正しい幹を立て、枝葉がそこに付いて立てるようにし、木の身を維持することである。そこから、事に耐え重任を担える人を「事を干す」と言う。蠱とは事である。「子あり」とは褒め言葉で、「子ありて家を克くす」といった意味である。「考」は父を指し、亡くなった後の父を考という。蠱とは物が腐って虫が生じることであり、その原因は一朝一夕に生じたものではない。だから蠱の諸爻は皆、父子に結びつけて説いている。孝子の家庭で、思いがけず父に蠱があり、それを正さなければならないとすれば、子の心は痛む。しかし幸いにして正すことができれば、「考に咎なし」となり、子もまた危難を免れる。ゆえに吉なのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：好運が訪れ始める。勤勉と倹約に努め、先業を輝かせることができる。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う：旧業が再興し、必ず大きな利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：祖先伝来の古い家らしい。改築して建て直せば大いに吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 軍事を問う：越王勾践の呉復興、伍子胥の楚討伐のように、必ず大いに再興する。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う：以前は正当な裁きを得られなかった。改めて上級機関へ訴えれば、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：危険ではあるが、妨げはない。もし子がなければ、この占いは不利。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：良い息子、良い嫁を得る。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 六甲を問う：男児が生まれ、必ず家を興す。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】和歌山県のある材木商は、初めて材木を伐採し、東京・大阪などへ運んで売り、後に資金提供者を得て、商売も大いに盛んになった。折しも東京が火災に遭った時、その商人はちょうど東京へ材木を到着させており、大きな利益を得た。これによって財を増し、販売を巧みにして、ますます広く商いを伸ばしていった。ところが思いがけず風邪を患い、重症となって二十余日で亡くなった。家には妻一人と息子一人が残され、息子はまだ十五歳だった。山中にある材木、他所へ運送中の材木、運搬船、金銭の出入りなど、全遺産は当時その商人一人が取り仕切っており、妻子は詳しく知らなかった。ある日、その商人が私を訪ねて事情を告げたので、その子のために一筮した。蠱が大畜に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この卦は山の下に風がある。風は万物を鼓動させるものだが、山の下では止まって動かない。そのため蒸し暑さがこもって虫を生じ、群虫が互いに食い合う象となる。今この爻を得た以上、そなたの父が亡くなった後、伐採した材木などは、ほとんどすべて損耗してしまうことが明らかである。そなたは幼く弱い身ではあるが、父業を継ぐことを考え、自ら艱難に当たり、人並み外れて勤勉に努めよ。あの資金提供者もそなたの志に感じ入り、力を出して援助するだろう。残っている材木も、遺された金銭も、すべて受け納めることができる。これが「父の蠱を正す。子あり、考は咎なし。危うけれど、終には吉」ということである。後にこの子は果たして旧業を励んで受け継ぎ、さらに盛んにした。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十五年、熊田某の養子某が家政の得失を占い、蠱が大畜に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この卦は長女が末男に嫁ぐ象であり、一家の跡継ぎが続く象である。養父が負った借金は一朝一夕に生じたものではなく、積もった弊害の由来は長い。初六は蠱の初めなので、弊害はまだ深くなく、処理するのも難しくない。この子は父の負債を受け継ぎ、力を尽くして返済しなければならない。だから「蠱を正す。子あり、父に咎なし」と言う。「干す」とは、その事を自分の負担として引き受け、処理することである。「危うけれど咎なし」とは、危険ではあるが、終わりには咎がないという意味である。後の結果も、果たしてこの占いの通りとなった。","九二：母の蠱を正す。貞に固執してはならない。","九二：母の蠱を正す。貞に固執してはならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。母の蠱を正すとは、中道を得ることである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 蠱を正す意味は初爻の下に述べた。この爻は巽の体であり、剛中の才をもって上の六五に応じる。巽順でありながら中道を得ている。初爻は「考」と言い、二爻は「母」と言うので、父は亡くなり母は存命ということになる。蠱の六爻では「父の蠱」と称するものが四つ、「母の蠱」と称するものが一つある。これは婦人が専ら政治を行うことを戒めたもので、書経にいう「雌鶏が暁を告げれば、家は衰える」のような教えである。九二は剛中の立場から母を諫めるので「母の蠱」と言う。七人の子が南風の恵みを歌ったように、穏やかに諫めてこそよい。これを君臣に当てれば、二爻は大臣、五爻は幼主、あるいは母后に当たる。幼主なら、周公が成王を輔佐し、豳風を勧め、婉曲に導いて善へ帰そうとしたことがこれである。女主なら、陳平・周勃が呂后を輔け、狄仁傑・婁師徳が武后を輔けたように、ゆったりと柔順に国政を支え、蠱の時代が大破綻に至らないようにすることである。蠱を治めるには、柔らかすぎても剛すぎてもいけない。剛すぎれば恩愛を傷つけ、柔らかすぎれば怠慢に流れる。この爻は剛が中を得ているので、何を減らし何を益すべきかを量ることができる。剛を用いる実質はあるが、剛を用いる形跡はなく、柔をもって剛を補い、巧みに隙間を繕うので、蠱が再び盛んになることはない。だから象伝は「中道を得る」と言う。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：今は貴人が来て調整してくれるだろう。軽率にしてはならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う：旧債や積弊に注意し、寛大に時間をかけて調整するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：母方の一派が権限をほしいままにして争いを招く恐れがある。忍耐して善処せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 軍事を問う：陰険な危険に注意し、正面から進んではならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：壮年者は瘧疾や腹部の塊などに注意。子供なら胎気不足かもしれないので、穏やかな薬を用いるとよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 行人を問う：途中にあり、数日後には帰れる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：良い妻を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人が来て言った。「私の親族のある者が亡くなった後、その家に関わる事柄について、親族が集まり、適切な処理を相談することになった。しかし処分が難しく、意見もまだ決まっていないので、一筮をお願いしたい。」筮して、蠱が艮に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。「蠱」とは山の下に風がある卦で、剛と柔が通じ合わず、そこから虫が生じる象である。巽は風で長女、艮は山で少男を表すので、これは寡婦と幼い子が家政をつかさどる形である。「蠱」とは腹中の虫で、淫らで暗いところから生じ、また淫事や惑乱の意味もある。今、親族がその隠された事情を明るみに出そうとすれば、必ず破裂に至り、蠱の禍はいっそう甚だしくなる。四爻に「母の蠱を治める」とあるのは、やがてその子自身が処置できるということである。四年後までゆっくり待つのがよい。少年が成長すれば、蠱は自然に絶える。今はまだその時ではない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 友人はこれを聞いて感慨深げに言った。親族の某氏は、いくらかの資金で横浜に店を開き、勤勉に働いて二十万円の資産を得た。その妻が亡くなった後、芸妓を妾に迎え、一子をもうけたが、その子は今ようやく十歳である。某氏の死後、子がまだ幼いため、母親が家事を取り仕切った。母親は某人と共同で商売を営み、そのうち密通するようになった。家政をすべてその某人に委ねたので、親族は皆これを快く思わなかった。そこで某人は資産の半分を切り取って自分のものにしようとし、親族は集まって和解を協議したが、処置に苦しんでいた。今回この占いを得て、初めて処置の方法が分かった。四年後、子が成人するまで待ち、その子を支えながら協議すれば、旧業を自ら整理できるだろう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その後、実際に爻辞の定めに従った。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治三十年の教育運を占い、蠱が艮に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この卦は山の下に風がある。風は巽であり、山に入って止まるのが艮である。つまり風が山中に入り、出てこない形だ。「風」という字は虫に関係しているので、長く鬱積すれば蠱を生じる。虫は餌がなければ同類を食うため、これを蠱と名づける。国家について見るなら、風教が行き渡らず、人心が腐敗する象である。人には身体と心があるから、教育も身体を治めることと心を治めることの二つにほかならない。身体を治めるには、まず衣食住を重んじ、心を治めるには、まず仁義道徳を重んじる。誰もが衣食住に欠けなければ、生業は十分に安定し、自然に邪道へ流れない。誰もが仁義道徳を知れば、心の節操は完成し、共に聖賢を学ぶことができる。小さくは一家団欒の楽しみを得、大きくは国家の富裕安泰を開くのである。我が国はアジアの中央にそびえ、国土は広く、肥沃さも寒暖もすべて適している。他国の物資に頼らず、国用は充足し、礼教は整って明らかである。二千余年以来、君王は聖人から聖人へと受け継がれ、人民は喜び楽しんで生業に励んできた。また全国の民の多くは天皇家の分派である。中世、天子は臣下に源・平・藤原・橘の四姓を賜ったが、実際には皆皇族から出た。ゆえに民が王室を見ることは、分家が本家の宗家を仰ぐようなもので、その愛し敬う情は骨肉の間と異ならなかった。武門が権力を専らにした後も、皇威は振るわず、紀綱は乱れたが、それでも兄弟が塀の内で争うようなもので、王室をうかがい奪おうとしたことはなかった。他国で簒奪が相次ぎ、天位を旅宿のように扱ったのとは大いに異なる。これが長く衰えずに続いたのは、ひとえにこの身体と心を治める教育の恩沢による。ところが維新以来、風俗と教育は一変した。新しいものを競って求め、奇異なものを尊び、異なるものを見れば心変わりする。行くには鉄道があり、住まいには電灯があり、海には汽船、陸には電線がある。鉱山を掘り金を採り、通商を広げ港を開き、万国を一家のように、四海を隣人のように見て、西洋をまね、日に日に盛んになっている。いわゆる富国強兵の事業は、今が昔に勝らないものはない。しかし教育の方法だけは、あえて言えば今は昔に及ばない。なぜか。今は欧米の学術を慕って学び、若く聡明な子弟を海外へ送り、その学問を修めて帰国すると、すぐに師長として奉じ、国内の子弟を教えさせる。そうした人々が教師然としているのは三、五年にすぎず、ヨーロッパの奇異で浮薄な文物を学んだだけで、わが国が従来重んじてきた身体と心の実学をすべて捨て去っている。彼らの薫陶を受けた子弟は、知識の順序にも従わず、長幼の秩序にも関わらない。自由を唱え、利己を説き、ただ適者生存・弱肉強食を天則とし、仁義道徳が天から授かったものだということをもはや知らない。こうして身の行いは慎みを欠き、心術は日に日に悪くなった。子は孝を語らず、臣は忠を語らず、弟は悌を語らず、友は信を語らない。残忍凶悪となって天性の良心を失い、ついには父母を道行く他人のように見なし、兄弟を秦と越の人のように隔て、乱を起こし上に背き、何事もためらわず行う。その弊害は言い尽くせない。今日の『日日新聞』を見ると、殺人、財物の強奪、淫行、詐欺などが載っており、風俗の乱れはまるで蠱毒が心に入り込んだようで、もはや救い難い。この教育は西洋から来た。西は陰の方位なので、これを「母の蠱」という。蠱に深く染まっているため、まだ剛力で克服することはできない。だから「母の蠱に当たっては、正しく固くすることはできない」と言う。","九三。父の蠱を治める。少し悔いはあるが、大きな咎はない。","九三。父の蠱を治める。少し悔いはあるが、大きな咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』にいう。父の蠱を治めれば、ついには咎がない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 蠱を治める解釈は、下の初六に見える。九三に至ると蠱はすでに深く、陽剛の才徳がなければ、この弊害を改めるのは難しい。この爻は父の破壊の後を受けている。もし旧習に従って傍観し、救済を考えなければ、父の悪を長引かせることになり、子の道ではない。しかし、剛に過ぎて感情のままに行い、父の過ちを正そうとして父の心を傷つければ、悔いを免れない。陽剛の才がなければ蠱を治めるとは容易に言えないが、幸いにも治めることができれば、「少し悔い」はあっても「大きな咎はない」。これを「父の蠱を治める。少し悔いはあるが、大きな咎はない」という。少しの悔いは戒めであり、大きな咎がないのは励ましである。少しの悔いは、親に仕える上で完全な善ではない。だが悔いて行わなければ、咎はいっそう大きくなる。だから三爻は、行って悔いがあっても、四爻の寛大に流れて恥を招くより、結局は勝るのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○時運を問う。今はまさに以前の過ちを痛切に改める時である。多少の挫折はあっても、最後には必ず救済を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商業を問う。旧業を再興し、規程を改めて立てるのがよい。多少の損失はあっても、必ず大きな利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○家宅を問う。家の骨組みは長年たち、虫食いと腐朽がひどい恐れがある。小さな出費を惜しまず、急いで改築するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○戦争を問う。剛勇にまっすぐ進めば多少の敗北は免れないが、大害は必ずない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○失物を問う。必ず見つかるが、少々の口論や言葉の災いに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○六甲を問う。男児だが、生まれた子は多少の病を免れない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○病気を問う。差し支えない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】某会社の社長某氏が来て、会社の盛衰を占い、蠱が蒙に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。蠱は山の下に風があり、空気が通じず、そこから虫が生じる象である。会社について見れば、社業は振るわず、商品も資本も融通できず、そのため社員の間に議論や紛争が生じている。今この爻を得たので、この会社の失策は旧来からのものだと分かる。これを挽回するのは非常に難しい。本年は多くの失策があっても、年度決算では大きな差異はないだろう。明年が重要な時期となる。今後、社員は倹約し努力して旧弊を除き、社運を維持しなければならない。明後年には実際の成果を上げ、社運の大いなる発展を必ず予測できる。これを「父の蠱を治める。少し悔いはあるが、大きな咎はない」という。「父の蠱」とは、この弊害が以前から受け継がれてきたことをいう。「明年」は四爻を指し、「明後年」は五爻を指すので、四・五両爻の辞を併せて見るとよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 社長はこれを聞いて言った。占いは実に適切である。本年は社員が因循したため、社業が振るわず損失を生じた。社員の中には任に適さない者もいて、何かするたびに惑乱を起こし、危機にまで至る。そこでまずその者を退け、私自身が責任を負うことにした。貴占のとおり、来年の社運の困難は今日すでに生じ始めているのだから、明後年の隆盛も確かに予測できる。","六四。父の蠱を寛大に放置する。進めば恥を見る。","六四：父の蠱を裕［82］かにす、往けば吝を見る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』にいう。父の蠱を寛大に放置すれば、進んでも成し遂げられない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「裕」とはついに放置することで、「干」と反対である。「父の蠱を裕にする」とは、旧弊にずるずる従い、改めることを嫌って、蠱を寛大に放置し、ますます深くすることである。この爻は柔をもって柔位に居るので、何事も成す力がない。四爻に至れば蠱はすでに半ばを過ぎている。火事を消し、溺れた者を救うように、速やかに取りかかってこそ成果を得られる。父が柔弱で蠱を積み重ね、子もまた柔弱で救えない。このまま進めば必ず恥を見る。だから「父の蠱を寛大に放置する。進めば恥を見る」という。この爻が変じれば鼎となる。鼎の九四には「鼎の足が折れ、公の食物を覆し、その姿は濡れる。凶」とある。これによっても、いっそうの恥が分かる。初六と六四はともに陰柔で、いずれも蠱を治める象に当たるが、爻辞は異なる。初六は蠱の初めに居て、敗れはまだ大きくない。ゆえに陰柔でも功を成しやすく、吉となる。六四は蠱の敗れが半ばを過ぎ、破綻がより甚だしいのに、なお気力がくじけ力が尽き、固く事に当たれない。そのため恥を見るのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○時運を問う。運勢は平常だが、一途に因循すれば、ついには自ら過ちを招く。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商業を問う。常を守ることだけを知り、弊害を改めることを知らなければ、このままでは利益を得にくい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○戦争を問う。威は粛然とせず、命令も厳しくない。進むべきではない。進めば必ず敗れる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○家宅を問う。父業は豊かでも、衰敗はすでに深い。今後を保つのは難しい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○病気を問う。外見はまだ余裕があるが、内患はすでに深い。急いで治療を図らなければ、後には救えない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人某氏が来て、某富豪の家政を占い、蠱が鼎に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この卦は山の下に風がある。風は万物を鼓舞して生育を助けるもの、山は止まって動かないものだ。今「山の下に風がある」とは、風が山中に入り虫を生じることで、これを蠱という。人事に当てはめれば、風は通り過ぎて留まらないので、見識が定まらない人である。また山は止まって動かないので、精神が萎えている人である。このような人は大事を振り起こして成すことができず、目前の小利をむさぼるだけで、ついには親友と傷つけ合う。これが人の中の蠱である。四爻は陰をもって陰位に居り、才知は鈍く気力は弱く、義も勇もない。蠱に壊れた家にあっても、力を奮って弊を支え衰えを救うことができず、なお優柔不断に安逸を盗み、蠱の敗れるのを座視する。豪家であっても資産を保つのは難しい。これを「父の蠱を寛大に放置する。進めば恥を見る」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 某氏は言った。某富豪の父は、苦労して家を興したものの子がなかったため、親族の子を養子にして後継ぎとした。この子の知識や見識は平凡で、父には遠く及ばなかった。家を継いだ当初は多少の負債があったが、それを償う資産はもともとあった。ところが若い身で突然富豪となり、愚かで独断的になって人の言を聞かず、ついには財産を破滅させた。占辞はまことに的中しており、深く感服した。","六五。父の蠱を治め、誉れを得る。","六五。父の蠱を治め、誉れを得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』にいう。父の蠱を治めて誉れを得るのは、徳によって受け継ぐからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この爻は柔をもって剛位に居るが、中を得て尊位にある。剛中の賢臣である九二と陰陽相応し、その臣に心を尽くして委任し、輔弼とすることで、壊乱した国家の旧弊を正し救う。ゆえに「父の蠱を治める」という。五爻は君位であるのに、爻辞は「父」と言う。ここから、帝王にも必ず父があることが分かる。卦中の初爻と三爻はともに「父の蠱を治める」と言うが、三爻は「悔いがある」ので、ただ咎を免れるだけである。初爻は「亡父に咎なし」と言うので、ついには吉となる。これらが蠱を治める善い方法でないとは言えない。五爻に至ると、父に過ちがないだけでなく、その結果として誉れを得る。父の過ちを補って、さらにその名を高めるのである。悪を自分に帰し、善を親に帰し、その曲がりやほころびを完全に繕うことは、善く受け継ぎ善く述べる者でなければ到達できない。『象伝』の「蠱を治めて誉れを得るのは、徳によって受け継ぐからである」とは、蠱を治めるには才で助けることもできるが、「誉れを得る」には必ず徳によって受け継がなければならない、という意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○時運を問う。家運は衰え薄いが、自ら奮起すれば身を立て名を上げられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商業を問う。旧業はあまりよくないが、今回新しく改めて行えば、必ず名も利も得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○家宅を問う。祖先から伝わる財産は厚くないが、幸い前業を拡充でき、必ず家名を大いに輝かせる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○戦争を問う。城池を奪回し、軍声を遠くまで響かせられる。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○病気を問う。有名な名医を招いて治療させるべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○嫁娶を問う。必ず名門の貴族である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人某氏が来て、某豪家の改革を占い、蠱が巽に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。蠱とは、食物を器の中に蓄え、これを覆って風が通らず、腐敗して虫が生じる象である。国家に当てはめれば、幼い主君が位を継ぎ、宮中深くにこもって外臣と通じず、母后が御簾の後ろから政務を握る状態である。そこで小人が朝廷に満ち、君子は野に退き、悪党が君主を惑わす時となる。今、六五の君主は成長し、九二の剛健な大臣と陰陽相応する。策を立て謀を定め、国家に積年した旧弊を洗い除くのである。改革の際には、格別の戒めと厳重さが必要だ。前後七日、競い励み、慎重周密に行う。これが「甲の前に三日、甲の後に三日」という意味である。豪家の家政改革も同じ道理である。その豪商の内政の弊害は一朝一夕のものではない。今、善良な協力者を得たので、長年の宿弊を洗い除き、必ず改革の成果を上げられる。ただしこの事は剛であるべきで柔であってはならず、速やかであるべきで遅れてはならない。七日以内に決断して専ら行うべきである。これを「父の蠱を治め、誉れを得る」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 友人は大いに感服し、主人夫婦以下の者が皆すでに承諾し、わずか数日で決断して実行に移したと語った。その後、果たして旧資産を回復することができた。","上九。王侯に仕えず、その事を高尚にする。","上九。王侯に仕えず、その事を高尚にする。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』にいう。王侯に仕えないのは、その志が手本となるからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この爻は、卦を成り立たせる主爻である。剛明の才を備え、艮の止まりの極みに居り、九五とは比せず、九三にも応じない。世の外に悠々とし、卦の極みに高く居て、世間の毀誉褒貶や栄辱に関わらない。その清らかな風格と高い節操は、衰えた風俗を振興し、人心を奮い立たせるに足りる。その世に益するところは、決して少なくない。九五は王、九三は侯であるが、それらと比せず応じないので、「王侯に事えず、その事を高尚にす」と言う。上九の高尚さは、もとより世外に心を放つ者に託せるものではない。これは一時の蠱を治めるだけでなく、実に万世の蠱を治めるに足るのである。その志が模範となるべきもので、どうして過ぎたところがあろう。ゆえに象伝は「志、則るべし」と言う。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 一説には、初爻から五爻までは、皆「蠱」について述べているが、君臣ではなく父子をもって説いている。臣が君に仕えることは、子が父に仕えることと同じである。この爻は最上位に居り、ひとり「王侯に事えず」と言うのは、君でも臣でもなく、また子でもなく、父の位に居る者だからである。ゆえにその志を高尚にし、もはや天下の事に仕えない。しかし、その志が存するところは、まことに天下の法則となるに足りる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 易を読む者は、まず卦爻の象と、その卦爻の時をよく見極めなければならない。そうして初めて辞の意味を読めるのである。そうでなければ、文字に拘泥するばかりで、一生易を読んでも要を得ることはできない。この爻の象伝は、文言自体は難しくないが、その趣旨を得ることが難しい。なぜか。「王侯に事えず、その事を高尚にす」という人は、才徳があっても人に知られず、世に用いられないことがあり、古今そのような人は少なくない。もし必ずそのような人を指して「その志は則るべし」と言うなら、世に用いられる聖賢君子の志は、かえって則るべきでないと言うことになるのではないか。これは名教を大いに妨げ、綱常を害することにならないか。そもそも上九は陽剛の徳を十分に備え、全卦の極に居る。蠱の乱れが日に日に甚だしくなるとき、天下を座視するに忍びず、初六から六三に至るまで、その才力を奮い起こして時の困難を救い、先人の功業を輝かせる。蠱の乱れが除かれ、人々が太平富貴の恵みに浴するようになると、上爻だけはさっと身を引き、「王侯に事えず、その事を高尚にす」。これは機を見て行動する君子である。その志がどうして則るべきでないことがあろう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：退くことをもって進むのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を問う：目下、商品の相場は必ず次第に上がるので、急いで売る必要はない。利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：高い丘陵地のそばがよい。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：帰魂の卦なので、天寿に障りがある恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：必ず貞淑な女性と善良な男性で、天の縁が巧みに結ばれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：すでに戦勝して凱旋する時に当たっているようだ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅行を問う：商売の旅がよく、名を求めるのはよくない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人某氏が来て、ある高貴な著名人の運勢を占ってほしいと求めた。筮して蠱が升に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて曰く、蠱とは風が山中に入り、鬱積して生じるものである。国家になぞらえれば、政府は山で、高慢な象を示し、人民は風で、卑しく従う象を示す。一方は高く一方は低く、両者の心情は通じない。まるで器の中に物を入れ、風が通らず、湿熱がこもって蒸し、腐敗して蠱となり、同類が互いに食らうようなものである。これは、かつて外交が開かれず、攘夷・鎖国を行っていた時代の政略によく似ている。しかし維新の際、二、三の雄藩が改革を先に唱え、奮発して事を成そうとした一方、幕府の諸士は、祖先の遺業が失われるのを悲しみ、憤りに歯を食いしばり、死をもって守ろうとしたため、戦争はやまなかった。その時、ある高貴な著名人は内外の大勢を明察し、両者の間を調整し、酒宴の席で武力衝突を止め、内憂外患が一時に並び起こるのを防いだ。まことに蠱を治める能臣であり、凡庸な者には及ばない。功績は何と偉大ではないか。今この卦を得て上爻の位に当たるのは、その高貴な著名人が功を成して身を退く象である。これを「王侯に事えず、その事を高尚にす」と言う。",null,"周易、易経、高島易断、第18卦、山風蠱、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936265]