[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-21":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-21",false,"2026-08-11T01:18:22.247Z","2026-07-04T14:35:13.000Z","火雷噬嗑、噬嗑は、亨る。獄を用うるに利あり。","高島易断 第21卦 火雷噬嗑――卦辞原文と解卦――東方玄学庫","高島易断第21卦・火雷噬嗑の解卦：「噬嗑。亨。獄を用うるに利あり」。付記された断辞と実占例を詳しく解説。","&#19924;",21,"21　火雷噬嗑 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「噛む［89］」とはかじることであり、「合わせる［90］」とは一つにすることである。かじってから合わせるのである。この卦全体は口の形を表し、初爻と上爻の二つの陽爻を上下の唇、二爻・三爻・四爻・五爻の四つの陰爻を歯と見る。上下の歯ぐきと口蓋を備え、物を噛む象がある。四爻の一陽爻が中央に立ちはだかり、口の中に物が挟まったようである。初爻と上爻の二陽爻は、四爻を障害物として、上下の唇を合わせられない。下唇が動き、上唇が止まって、必ず四爻の障害物を噛み砕く。障害物が消えれば、両唇はようやく合わさる。これを「噛み合わせ」の卦という。この卦は「観卦」を受けて生じる。「序卦伝」には、「観るべきものがあってこそ、後に結合がある。だからこれを受けるのに噛み合わせをもってする。噛み合わせとは合うことである」とある。観るべきものがあれば、必ずその後に結合が来る。これが「噛み合わせ」が「観卦」の次に置かれる理由である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 噬嗑は、亨る。獄を用うるに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　「噬」の篆書 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　「嗑」の篆書 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 雑卦伝にいう。「噬嗑は食なり」。食物は飲み下せば口が合わさる。物がつかえていれば口は合わさらず、合わさらなければ通じず、合わされば亨通する。ゆえに「噬嗑は亨る」という。ここから推し広げれば、家庭では讒邪がつかえ、朝廷では奸佞がつかえ、道路では強暴がつかえる。口の中の物と同じで、つかえがあれば通じない。通じさせようとするなら、まずそのつかえを治めなければならず、つかえを治めるのが「獄を用うるに利あり」である。獄を治めるには剛であるべきで、初爻と上爻の二つの剛を象として取る。それを用いる者は五爻である。「獄」とは囚禁のこと。外卦の離は外が実、中が虚で、獄の象がある。内卦の震は威、外卦の離は明を表す。威があり、しかも明らかであることは、獄を治める才である。ゆえに「利あり」という。こうして噬嗑は成就する。彖伝にいう。「頤の中に物があるのを噬嗑という。噬嗑して亨る。剛柔が分かれ、動いて明らかであり、雷と電が合して光を現す。柔が中を得て上行する。位は正しくないが、獄を用いるのに利がある」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 口は本来合わさるものだが、中に物がつかえると上下が合わさらない。卦体では、初爻と上爻の二つの剛が外にあり、二・三・五爻の三つの柔が上下に分かれて並び、四爻の一つの剛が中央にある。これは口の中に物がある象である。初爻と上爻の二剛が交わり、かんでその障害を取り除けば、口は合わさる。障害が除かれれば通じるので、「噬嗑して亨る」という。この卦は内卦が一剛二柔、外卦が二剛一柔で、剛柔が分かれている。雷は動、電は明であり、「動いて明らか」である。雷が震え、電が閃き、同時に発して威と光輝が交わって現れる。「柔、中を得る」とは六五を指す。柔が剛位にいるので、剛柔が中を得るのである。「上行」とは、五が尊位にいることをいう。柔で陽位にあり、位は正しくないが、獄を用いるには利がある。獄を用いるのに剛に過ぎれば苛烈となり、柔に過ぎれば寛大に過ぎる。剛柔が中を得れば裁きは公平になる。総じて言えば、口中に害となる物があれば、人は噬嗑によって治める。造化に害となる物があれば、天地は雷電によって治める。政治に害となる物があれば、先王は刑罰と獄によって治める。「噬嗑して亨る」とは、その道がここにあるということだ。ゆえに噬嗑一卦は天下を治める大きな働きを持つ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 按ずるに、賁卦にも頤の中に物がある象がある。しかし上卦の艮は止まり、下卦の離は麗く、上は止まり下は麗いて動かない。ゆえに物をかむことができず、頤中に物を含む象はあっても、物をかむ意味はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめると、卦象の「頤の中に物あるを噬嗑という」とは、物がつかえて口が合わさらないことをいう。害となる物を推し広げれば、口だけではない。物が耳に入れば耳は必ずさとくなく、目に生じれば目は必ず明らかでなく、胸に入れば胸は病み、心に入れば心は必ず蒙る。これは身に対する物の害である。さらに父子の間に物が入り込めば父子は背き、兄弟の間に入り込めば兄弟は離れ、夫婦の間に入り込めば夫婦は怨み、朋友の間に入り込めば友は疎遠になる。これは人倫に対する害である。その害を除くには、人を治める場合は刑獄を用い、自分を治める場合は内訟を用いる。方法は一つである。動は雷、明は電であり、動いて決断し、明らかにして兆しを察する。動と明が合わさって、賞罰が明らかになる。位で言えば五爻は君、徳で言えば五爻は心であり、心を天君と称するゆえんである。この卦の五爻は柔をもって陽位に居り、「柔、中を得る」という。心が柔らかくありながら剛を用いることができれば、剛柔が中を得る。そうすれば厳しさを失わず、寛大さも失わず、内を治める功用が全うされる。卦名は噬嗑、彖辞は「頤」といい、いずれも歯と頬の間から象を取っている。だから六爻には「趾を滅す」「鼻を滅す」、肉をかむ、「胏をかむ」、「耳を滅す」などがあり、すべて人体から象を取る。これはまことに肌を剥ぐような災いである。内にあっては障害を取り除けば心身が通じ、外にあっては讒邪を除けば万事が通じる。治めることを善くする鍵は、すべて天君である心にある。『易』の道理は、家にも国にも身にも及ぶほど広い。占う者は、事柄に応じてその意味を取ればよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめると、朝廷で政を最も害するものは、官僚が位にある中へ一人の讒佞が入り込み、朝政を転倒させ、君心を惑わすことである。賢能の者がいても、その者に離間され、協力して事に当たることができない。これが国家が日に日に衰える理由である。この卦の四爻は、一つの剛が中央にあって上下を隔てている。それがその人物である。初爻と上爻の二陽は一つが上、一つが下にあって出会えず、二・三爻の柔は従順だが無力であり、五爻は柔を陽位に置き、四爻に近いため、偏って聞くことを免れない。雷は伏して動かず、電は隠れて明らかにしない。政治の道が通じないのは、このためである。彖辞の「頤中に物あり」という句も、同じ象である。口中に物があれば歯で治め、朝中に讒言があれば「獄を用うるに利あり」とする。獄を主るのは五爻の君であり、これを助けて治めるのが初爻と上爻の二剛である。しかし剛だけで剛を制すれば、剛に遇って折れる。二・三爻の柔を用いてその間を調整してこそ、四爻の剛も服する。五爻の君は柔を陽位に置く。位は正しくないが、雷の動を発し、電の明を示すことができる。雷電がともに働けば、政治の道が明らかになる。「動いて明らか」とは刑に不公正がないこと、「明らかにして動く」とは罪を軽く見逃さないことである。ゆえに剛柔が中を得て、獄は公平になる。六爻は順を追って獄を治める方法を述べる。初爻は軽い刑で過ちが少なく、二爻は剛に乗じて従わせやすく、三爻は「毒に遇う」が害なく、四爻は貞を守って吉を得、五爻は中道を用いて刑を憐れむ。いずれも剛柔の適切さを得るので、すべて「咎なし」という。「艱貞に利あり」では吉とし、その極みまで剛を用いれば「凶」という。平らかなものは勧め、過ぎたものは戒め、慎重を極めている。ゆえに象伝は「雷電は噬嗑。先王はもって罰を明らかにし、法を敕す」と言う。先王が威と明をともに用いたという意味であり、刑を行って究極には刑をなくすという趣旨である。『易』が獄の用を説く中で、噬嗑と豊の二卦が最も詳しい。豊は「獄を折し刑を致す」といい、噬嗑は「罰を明らかにし法を敕す」という。その審理と裁決の精密さは、後世の訴訟文書の濫用を戒めるに足る。これが全卦の意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を通観すると、全体を口の象に取り、さらに上下の雷電二象を獄を治める働きとして取っている。雷は伏しているものをあばき、電は奸を照らす。動けば決断でき、明らかなら機微を察する。これを合わせて施せば刑法が明らかになる。六五は位に当たらないが、柔を陽位に置き、獄を治める主である。初爻と上爻の二剛を合わせて治めに用いる。剛柔が合し、隔たりが除かれ、獄が平らかになる。これが卦の趣旨である。ただし六爻ではそれぞれ別の意味を取る。ある説では、初爻と上爻は無位なので刑を受ける者、中四爻は刑を用いる者とする。卦体から見れば、四爻の一剛が刑を受ける者、他の五爻が刑を用いる者とも言える。しかし爻辞はすべて「獄を用うるに利あり」を主眼とし、刑を用いる者と受ける者を区別してはいない。二剛は単独ではかめず、必ず諸柔と合して共にかむ。ゆえに各爻にはそれぞれかむ対象があり、その中でも硬軟の違いがある。二爻の「膚をかむ」は、膚が柔らかくかみやすいので罪が軽い。三爻の「腊肉をかむ」は膚よりやや硬いので「毒」がある。四爻の「乾いた胏をかむ」は、胏肉に骨がつき、腊肉よりさらに硬いので「艱貞に利あり」という。五爻の「乾肉をかむ」は、獄がすでに成ったことをいう。五は獄の主であり、治める対象は刑官がすでに決した案件である。五はこれを重ねて審査するので「貞、厲」とする。初爻の「校を履く」は、初は下にあり剛もまだ微弱なので刑が足にある。これは軽い罰である。上爻の「苛校」は、終わりに居て剛が極まっているので刑が頭にあり、過酷である。この二爻だけがかむことを言わないのは、刑を受ける者を表すからであろうか。総じて六爻は、刑獄を順序立てて用い、それぞれ適切なので皆「咎なし」という。「艱貞に利あり」なら吉とし、極端に剛を用いれば「凶」とする。公平なら勧め、過ぎれば戒める。慎重なことこの上ない。ゆえに象伝は「雷電は噬嗑。先王はもって罰を明らかにし、法を敕す」と言う。先王が威と明を兼ね用いたこと、すなわち刑を用いて究極には刑をなくすという意味である。『易』が獄の用を論じる中で、噬嗑と豊の二卦が最も詳しい。豊は「獄を折し刑を致す」、噬嗑は「罰を明らかにし法を敕す」という。その審決の精密さは、後世の爰書の濫用を戒めるに足りる。これが全卦の意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大象にいう。「雷電は噬嗑。先王はもって罰を明らかにし、法を敕す」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『埤雅』にいう。電と雷は同じ気である。雷は「回」に従い、電は「申」に従う。陰陽が回り迫り合って雷となり、伸び広がって漏れ出すと電となる。いずれも天地の怒気が震え発して天下に威を示すもので、刑を用いる象がある。あるいは、雷は天の気から出、電は地の気から出るともいう。天地の気が合して雷電が起こるのである。噬嗑は初爻と上爻の二剛を雷電に取る。先王はその象を取って獄を治めた。明は電光に象り、敕は雷の震えに象る。罰を明らかにして民に避けることを知らせ、法を厳しくして民に畏れを知らせる。そうすれば刑罰に曲がりがなく、法に私がない。朝廷の刑罰は、天の雷電と同じである。天は生を好むことを徳とし、王は刑を受ける者を憐れむことを心とする。その道は一つであり、治まりは盛んになる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○　時運を問う。目下まさに好運が動き始め、威儀があり、光輝があり、名声が遠く広がって上に達する象である。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を占う。買い手と売り手が一時に集まり、商品が盛んに売れる象である。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。天盤も地盤も動いているので、火災に注意せよ。十分に用心すれば災いを免れられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を占う。鬱熱の症である。熱が内にこもって一気に発散するか、熱が極まって狂乱する恐れがある。慎重にせよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を占う。判決は明快で公平である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 天候を占う。雷雨が突然降る象があるが、雨後には晴れる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う。陰陽の気が一つに調和しており、必ず末永く睦まじく結ばれる。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 行人を問う：すぐ帰る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失せ物を占う。人に取り込まれてしまった恐れがある。","初九。足かせをはめて足先を覆う。咎はない。","初九。足かせをはめて足先を覆う。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。足かせで足先を覆うとは、進ませないということである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 震は足を表す。初爻は下にあって陽位にいる剛爻なので足を象徴し、また震の下爻であることから履物も表す。「校」は刑具、木製の足かせである。履物に校を加えるとは、足に足かせをはめること。「滅」は沈める意で、校が小さいため足先だけを覆う。罪は小さく、罰も軽いのである。初爻の陽はまだ弱く、刑も寛大であり、小さく懲らしめて二度と悪事をしないようにするだけである。ゆえに刑を施す側にも受ける側にも、二つながら「咎なし」とする。象伝の「行かざるなり」とは、古人が軽罪には足先に校をはめて歩行を禁じ、前非を再び犯させなかったことをいう。だから「行かざるなり」と述べるのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う。目下、小さな災いに注意すべきだが、大患はない。慎むのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を占う。木材取引はとりわけ不利で、ほかの商いも慎重にすべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。工事や改築を始める意向がある。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を占う。足に腫れ物ができるか、水虫を患う恐れがある。しかし発症したばかりなので、治療は容易である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。伏兵に注意せよ。慎むのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻について問う。不利である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を占う。まだ帰っていない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 懐妊を占う。男児が生まれる。ただし幼児に足の病がある恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十三年の春、友人の某が来て言った。「今、共同で一事業を興したいと思うが、成否を占ってほしい。」筮すると、噬嗑が晋に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は、下卦の震が木で動性をもち、上卦の離が火である。その象は、まさに薪を背負って火に向かうようなもので、進めば必ず難に陥る。進まないのがよい。今、初爻を占い、「足かせをはめて足先を覆う。咎はない」とある。しかし「咎はない」とはいっても、小さな懲罰は免れない。象伝の「行かざるなり」は、事を行ってはならないと明らかに告げている。中止し、二度と行わないのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 友人はこれを聞いて言った。「この占いを得て、ますます実行できないと分かった。私がしようとしていたことは、もともと万全の策ではない。同業者には断りを入れよう。」その後、友人がまた来て言った。「実は三人で金貸し業を企てていた。株券や公債証書を担保に金を借りたい者があれば金を貸し、返済の際には金主の都合に従って証書を渡し、借主から借金を受け取ったことを認める証書を取る。その担保となった公債証書や株券などは、すぐに売り払う。さらに同じ方法でその金を貸し、次々と繰り返すので、資本なしに大きな利益を得られる。返済を求める者があれば、値下がりした株券などを渡し、万一うまくいかなければ財産を隠して破産に持ち込む策だった。」その後、悪巧みが露見し、二人は投獄された。易の道理の妙は、実に驚嘆すべきものである。","六二。柔らかな肉を噛み、鼻まで覆う。咎はない。","六二。柔らかな肉を噛み、鼻まで覆う。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。柔らかな肉を噛んで鼻まで覆うとは、剛に乗ることである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「膚」とは柔らかく骨のない肉で、噛むのがたいへん容易である。裁判が治めやすいことにたとえる。「鼻を滅す」とは、事情を深く究明することにたとえる。二爻は五爻に応じ、中位にあって正を得ているので、刑を用いるのに中正を得ている。刑が中正なら罪人は服しやすい。柔らかな肉を噛んで鼻まで覆うほどでも「咎はない」。互卦の艮は鼻を表す。この爻は艮の初めにあり、その上に互卦の坎がある。艮が坎の下に陥るので、鼻を覆う象となる。象伝の「剛に乗る」とは、初爻の剛に乗って自らの柔を助けることをいう。だから噛み、鼻まで深く沈めるのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う。目下は平凡である。才力が浅いので、力のある人に頼って事を行うのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を占う。現在の商品は集まり合う象がある。深く蔵して値上がりを待ち、時機を見て売ればよい。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。「膚」は大いなること、「鼻」は始まりを表す。今を始まりとして、大きな功績を上げられる。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。「鼻」は祖先を表し、「鼻を滅す」とは祖先を滅ぼす意である。古い家には不利である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を占う。今は邪気が肌にあるが、深く入り込んで害となる恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を占う。連れとともに帰ってくる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う。必ず繁栄した家柄で、縁談はまとまる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十五年十月二十五日、杉浦重剛、菊地熊太郎、三宅雄次郎、志賀重昂、陸実の諸学士が星岡茶寮に集まった。前夜、政府は日本新聞の発行停止を命じており、当時、陸氏は同紙の主筆であった。そこで私に、停止がいつ解かれるかを尋ねた。筮すると、噬嗑が睽に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は口の中に物が挟まっている象であり、それを噛み砕けば自然に通じるので、「噬嗑は亨る」という。今、日本新聞の掲載事項が政府の妨げとなり、政府が発行を停止したのは、事の中間に障害が挟まったからである。噬嗑は「狱を用うるに利あり」といい、今、六二は下にあるので罪は重くない。「柔らかな肉を噛み、鼻まで覆う」とは、美味な肉を噛んで熱い汁が鼻を傷つけるようなもので、編集者が急いで筆を執り、政府の忌諱に触れて鼻を折られた象である。鼻は金に属するので、鼻を滅すとは休刊によって財貨を損なう意である。下卦の震は数が八、この爻が変わると兌となり、その数は九である。今後八日、あるいは九日までには、必ず停止が解かれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 八日後、果たして停止は解かれた。陸氏は書物を贈り、杉浦氏にそのことを知らせ、見事に的中したことに感嘆した。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】親しい友人の某が来て言った。「有望な商売がある。その成否と吉凶を占ってほしい。」筮すると、噬嗑が睽に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は口中に物が挟まっている象であり、商売に当てはめれば、商品を蓄えている象である。二爻を得たのは、商売を軽く見て、かえって思いがけない損失を招くことをいう。「柔らかな肉を噛む」とは、肉が柔らかく噛みやすいこと。「鼻まで覆う」とは、剛強なものに出会って商人が鼻を折られることをいう。だから細かく注意し、慎密に事を行えば、過ちはない。ゆえに「柔らかな肉を噛み、鼻まで覆う。咎はない」という。後の結果もこの占いのとおりであった。","六三。干し肉を噛み、毒に遭う。小しく吝。咎はない。","六三。干し肉を噛み、毒に遭う。小しく吝。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「毒に遭う」とは、位が当を得ていないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「腊肉」とは、肉の中に骨が隠れていて噛みにくい物である。骨が肉の中に隠れて人に見えないのは、この爻が陰で陽位に居て、外は柔らかく内は剛いことに通じ、干し肉の象となるからである。干肉は長く置けば肉が傷んで毒を生じ、噛めば毒に当たる。互卦は三・四・五爻で坎となり、坎は毒の象である。肉の毒とは、強暴な罪人のようなもの。これを治めようとすれば反噬に遭い、惜しむべきことがある。しかし刑の用い方が不当なのではないので、吝はあっても小さく、結局は咎がない。象伝の「位が当たらない」とは、柔が陽位に居て正しい位置を得ていないため、罪人が服せず、かえって反噬することをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う。目下、運気が正しくない。得意な事にも失意が多く、人に尽くしてかえって恨まれることがある。幸い大害はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を占う。明らかに利益が出るはずの商いでも、かえって小損をすることがある。多くは処置が適切でないためである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。陣営を不適切な場所に置き、小敗を招く恐れがある。慎重に守りを固めよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。家の神が安らかでなく、小さな災いの恐れがある。祈るのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を占う。薬が病に合っていない。ただし小病なので幸い差し支えはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を占う。用事のため、まだ帰っていない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人の某が来て、刑事裁判の判決を占ってほしいと言った。筮すると、噬嗑が離に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は口中に物があり、噛まなければ通じない象である。まるで当事者同士の間に人が立ちはだかり、力を尽くしてそれを除かなければ和解できないようなものだ。今、六三を得て、「干し肉を噛み、毒に遭う」とある。干し肉は肉に骨を含み、硬くて噛みにくく、長く置けば毒を生じる。頑強で扱いにくい犯人が、長引けば反撃するようなもので、「小しく吝」は免れない。しかし公正に審理すれば、最後には罪状が明らかになるので「咎はない」。この裁判は慎重に審理すべきである。後の結果も占いのとおりであった。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治三十年の秋作が豊作か凶作かを占った。筮すると、噬嗑が離に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は頤の中に物がある象であり、年の豊凶を占ってこの卦を得るのは、ことさらによく符合する。三爻の辞は「干し肉を噛み、毒に遭う」。干し肉とは、小獣の肉を塩漬けして乾かしたもので、体がそのまま残っている。長く保存すると毒を生じやすく、不潔な食物となる。この卦には雷と電気が交互に起こる象がある。七、八月ごろの大雨で田畑の穀物が損なわれ、秋の収穫が不足し、穀物が乏しくなる恐れがある。そのため人民が雑穀を混ぜて食べ、あるいは毒に当たって病気になる。これが「干し肉を噛み、毒に遭う」の意である。しかし今は外国の米穀を容易に輸入でき、飢えを救うことができるので、「小しく吝、咎はない」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その年の八月、果たして天候は不順となり、洪水が各地で起こって米穀が不足した。しかし幸い外国米を輸入して、凶荒を救うことができた。","九四。骨付きの干し肉を噛み、金の矢を得る。困難を忍んで正を守るのがよい。吉。","九四。骨付きの干し肉を噛み、金の矢を得る。困難を忍んで正を守るのがよい。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「困難を忍んで正を守るのがよい。吉」とは、まだ光が十分に明らかでないことをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「乾胏」とは、骨のある干し肉で、非常に硬いものである。その硬さは九四の剛を象徴し、肉が柔らかく骨が硬いことは、九四が陽でありながら陰位に居ることを表す。四爻は中ほどに剛をもち、獄を治めるには、初と上の二つの剛を合わせて治める必要がある。初の剛一画は乾に属し、乾は金なので初に金の象がある。上の剛一画は離に属し、離は矢なので上に矢の象がある。四爻は五爻に近く応じ、獄を治める大吏であり、初と上はいずれもこれに従う。ゆえに「金矢を得る」という。金は剛く、矢は直い。剛と直は獄を治める要道であり、九四がこれを得れば、どのような獄も治められないことがあろうか。だから乾胏が硬くても噛みにくくはなく、罪人が強悍でも服させられない心配はない。四は柔をもって剛位に居るので、剛に過ぎれば厳しすぎるから艱を用いるのがよく、柔に過ぎれば寛大すぎるから貞を用いるのがよい。艱にして貞であれば吉である。六爻のうち、吉と称するのはただ四爻だけである。象伝の「まだ光明でない」とは、獄を治めるには吉だが、四爻は離の初めにあって、明らかさがまだ弱いことをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う。古きを改めて新しきに従い、まさに盛運の中にある。万事吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を占う。肉を食べて金を得るように、元金を上回る利益がある象で、大吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。家業はもともと豊かである。安きにあって危うきを忘れず、常に変化を忘れないことが家を保つ要道である。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。敵の兵糧を奪い、敵の弓矢を手に入れ、堅固なものもことごとく打ち破り、向かうところすべて有利である。ただし勝利した時こそ、いっそう慎重にするのが吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う。勤勉で質素な家との縁組で、吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 出産を占う。この症は治しやすくないので、慎重に養生すれば吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を占う。外地で利益を得て、まだ帰っていない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】知人の某が商業上の大きな紛争を起こし、その結末を占ってほしいと頼んだ。筮すると、噬嗑が頤に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦は中間に隔たりや妨げがあり、これを利用して大利を奪おうとする者がいるなら、まず力を尽くしてその害を除くべき象である。今、四爻を得て「骨付きの干し肉を噛む」とある。乾胏は硬くて噛みにくいので、その人物は剛暴で治めにくいことが分かる。「金の矢を得る」とは、金矢が貴重な品であることから、争いの対象がまさにこの貴重な金矢であることをいう。金は剛、矢は直を象徴するので、必ず剛直な人物を得て判決を下さなければならない。しかし処置はたいへん難しく、一時には決着しないので「困難を忍んで正を守るのがよい」という。初めから終わりまで耐え忍べば、いくら紛争が多くても自然に収まり、心を煩わせる必要はない。後の結果もこの占いのとおりであった。","六五。干し肉を噛み、黄金を得る。正を守るにも危うさがある。咎はない。","六五。干し肉を噛み、黄金を得る。正を守るにも危うさがある。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「正を守るにも危うさがある。咎はない」とは、処置が適切であることをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「干し肉を噛む」とは、骨のない肉で噛みやすいことにたとえる。「黄金を得る」とは、黄が正と中央を表し、金が剛い物であることから、堅剛を取る。この爻は剛明の徳を備え、尊い五位に居るので、獄を裁く君主に当たる。干し肉はすでに乾いた肉であり、獄が君主の親裁に至るのも、すでに成熟した案件であることをいう。罪は定まっていても、君主にはなお疑わしい罪は軽くする意があるので、「正を守るにも危うさがある」という。このように刑を用いれば、どうして咎があろうか。象伝の「当を得る」とは、柔をもって剛を用い、正を守りながら危険を考えることが、獄を治める道として適切であることをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う。運は正しく時にかなっており、求めることも計画することも、意のままにならないものはない。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業を占う。運搬して売る商品はすべて上等で、清潔かつ完全であり、大きな利益を得る。一時だけでなく、この商売は長く続けられる。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。方位が適切で、大いに利益がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。敵城は弱く、攻めやすい。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を占う。肉食は厳に慎むべきで、長引けば危うくなる。食事と養生を慎重に調えよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を占う。利益を得て、まさに帰ってくる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　失物を問う。すぐに見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十二年の米作を占った。筮すると、噬嗑が无妄に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。『雑卦伝』は「噛み砕くとは食べることである」といい、『象伝』は「口の中に物があるのを噬嗑といい、噛み砕けば通じる」と説く。この卦辞はいずれも食物に関わっている。この卦は下に雷、上に電があり、互卦の四爻は七、八月に当たるので、洪水に注意すべきである。今、五爻を得たのは、豊作の兆しである。爻辞に「乾肉を噬む」とある。干し肉は保存でき、新穀が実れば倉に納める。これも蓄える意である。「黄金を得る」とは、稲が黄金色に熟す時、野一面を黄金といい、米粒を金粒、玉粒と称することから、豊作をいうのである。年豊かに穀物が熟せば、運搬販売も盛んになり、米価は必ずしも下がらない。農民は十分な収穫を得るだけでなく、高値で売ることもできる。これもまた黄金を得るというのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 果たして七、八月の間は雨が多く、二、三県には水害の惨状があったものの、全国ではおおむね大豊作となり、米価もかなり高かった。易の道理の精妙さは、まことに測り知れない。先日、ある高官に会ってこの占いのことを話すと、その高官は驚嘆して言葉を失った。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十七年十二月、わが陸海軍は清国山東省威海衛にあり、清国軍艦は要地に拠って防衛していた。わが軍艦は港外にあって、砲撃も思うようにできなかった。その月二十日、私はたまたま自動車の中で土方宮内大臣に会った。大臣から威海衛の戦況を尋ねられたので、筮して噬嗑から無妄へ変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この卦は「口の中に物がある」象である。今、清兵は先日の敗戦によって僻地に退き、わが陸海軍は清国海軍を包囲している。まさに口中に物があるようなものである。五爻を得たので、戦機は熟しており、敵の堅固な陣を攻めれば、思いがけない戦果を得られる。「乾肉を噬み、黄金を得る」とはこのことである。行動は危険であるが、害は免れ得る。「貞にして厲、咎なし」の意である。その後、伊東海軍中将は水雷艇で鉄鎖を破り、港内に侵入して定遠など数隻の軍艦を撃沈した。敵将丁汝昌以下は自殺し、鎮遠などの軍艦もすべてわが方のものとなった。","上九。首かせが首にかかり、耳を失う。凶。","上九：校を何［96］いて耳を滅す。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝はいう。「首かせが首にかかり、耳を失う」とは、聡く聞き分けることができないのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 上九は極位に居り、五爻の上にある。離の上画で、剛と明が過ぎる。「校」とは木製の首かせで、刑具である。初九の陽が下にあるので、校は足にかかる。上九の陽が上にあるので、校は首にかかる。「首かせが首にかかり、耳を失う」とは、首かせが厚く、刑罰の苛酷さを知るのである。裁判を行う道は、人を誤って罪にするより、罪を見逃すほうがよい。慎みといたわりを心とすべきである。上九は剛強で独断的に振る舞い、重刑によって威を示そうとする。どうして凶を免れられようか。ゆえに「凶」という。象伝の「聡く聞き分けられない」とは、訴訟の審理はすべて聴く力にかかっているのに、剛で中を失えばその聡明さを失い、明察を失うということである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○時運を問う。目下、大運はすでに終わりに近い。柔和に世を処すれば憂いなく過ごせるが、強硬さに任せれば凶を免れにくい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商業を問う。利益を得たらそこで止め、欲張りすぎなければ、大きな損失はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○家宅を問う。思いがけない災難や凶事に注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○戦争を問う。決して前進してはならない。前進すれば必ず凶となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○病気を問う。耳鳴りや難聴、または首筋に腫れ物が生じることがあり、凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○妊娠を問う。男児が生まれるが、耳の聞こえに障りがないか注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】東京曲街の旅館主人某は、以前から家業に心を尽くしていたが、先ごろ突然、仕事を顧みなくなった。ある日の午前に家を出たまま、日暮れになっても帰らない。家人が捜したが、行方は知れなかった。当時、平川町の盲人鈴木孝伯は、かつて私について易を学んでいた。そこで家人は孝伯に占いを頼み、孝伯は噬嗑が震に変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 孝伯は断じた。この卦は内卦が震雷、外卦が離火であり、離は南方を表す。したがって街の南へ向かったのであろう。雷火が動くものは蒸気車である。上爻を得、その辞に「首かせが首にかかり、耳を失う。凶」とある。これによって推すと、主人は蒸気車に触れて、耳を失うような状態で死んだ象と思われる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n これを聞いた者は皆驚き、中にはなお信じない者もいた。ところが夜十時になると、愛宕下警察署から家人が急に呼び出され、主人が鉄道上で横死したことを告げられた。検分すると、果たして頭と耳がともに裂けていた。ここに至って皆、『易』の道理の妙に敬服した。私はこれを聞き、孝伯の判断が私の考えと酷似していたことを喜び、ここに付記する。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治三十二年四月、ある貴紳の妻が初めて懐妊し、出産予定月になっても予定日を過ぎてなお産まれなかった。分娩について易で占ったところ、噬嗑が震に変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。噬嗑の卦は、上下に二陽があり、その間の三陰の中に一陽がある。これは妊娠の象である。今、分娩を占って「耳を失う」という辞が出たのは、胎児が大きく、難産となり、圧迫されて耳を傷めるおそれがあることを示す。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 果たしてこの婦人は陣痛が始まっても長時間産めず、医師は産婦が耐えられないと見て切開術を施そうとしたところ、次第に分娩に至った。子どもが大きく産道に阻まれたため耳を傷め、硝酸銀で焼いて治療した。子どもの耳が実際に「失われた」わけではないが、傷を負ったことは確かである。",null,"周易、易経、高島易断、第21卦、火雷噬嗑、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936285]