[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-23":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-23",false,"2026-08-11T01:18:22.831Z","2026-07-04T14:35:14.000Z","山地剥。往くところあるに利あらず。","高島易断 第23卦 山地剥｜卦辞原文と解卦｜東方玄学庫","高島易断第23卦・山地剥の解卦：卦辞「剥。往くところあれば利あらず」、付断辞および実占例の詳解。","&#19926;",23,"23　山地剥 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「剥」106の字は刀偏に「録」を音符とする。「録」は『説文解字』では「木を刻むこと」とされ、『帰蔵』では刀を二つ重ねた字形になっている。卦の上は艮、下は坤で、艮は山、坤は大地を表すから、「山が地に付着する」という意味になる。卦体は陰五陽一で、ただ一つの陽が上にあり、五つの陰が下にある。ここでいう山も、実は飾りにすぎず、陰が盛んで陽が弱まり、山が崩れて地となる姿を示している。『彖伝』が「地の上に山がある」と言わず、「山が地に付着する」と言うのは、「付着」とは寄りかかり、身を託すことだからで、もはや安定して動かずにいることも難しいのである。日に日に削られ、日に日に剥がれ落ちるのは避けられない。そこでこの卦を剥と名づける。剥は賁の後に続く。賁の飾りが極まれば、反転して剥となる。離が坤に変わり、火が土となり、広い土の上で山は弱まる。初めは小さな土盛りであったものが、たやすく剥がれ落ちるのである。剥とは、小人が多く君子が孤立することでもある。反対卦は夬で、夬は陽五つが盛んに伸び、一陰を決して取り除くため、「行くところがあれば利がある」と言う。剥は陰五つが盛んに伸び、一陽を剥ぎ落とすため、「行くところがあれば利がない」と言う。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 剥――行くところがあれば利がない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　篆書の「剥」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　篆書の「剥」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『彖伝』は言う。「剥とは、剥ぎ取ることであり、柔が剛を変えることである。行くところがあれば利がないのは、小人が伸長しているからである。順って止まることが、現れる象である。君子が消長・盈虚を重んじるのは、天の運行にかなうからである。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『彖伝』は「剥とは剥ぎ取ること」と言い、『序卦伝』は「剥とは尽きること」と言い、『雑卦伝』は「剥とは腐れ崩れること」と言う。また、脱ぐ、落ちる、剥ぎ取る、裂く、打つという意味にも用いられ、いずれも消耗・消滅の意から出ている。剥は陰陽の消長を示す十二卦の一つである。乾の時、初めて一陰が下に生じるのが姤であり、次に遁となる。陰柔はますます伸び、陽剛は次第に衰え、剛は柔へと変わり、ここでは上に一陽だけが残る。今やその一陽も尽きようとしているため、剥と名づける。陽は君子、陰は小人を表す。五陰が一陽を滅ぼすのは、「小人の道が伸び、君子の道が衰える」ということであり、だから「行くところがあれば利がない。小人が伸びている」と言うのである。卦体では坤が順、艮が止を表す。君子はこの象を見て、坤の順と艮の止を身につけるべきである。順って分を守り、小人と功を争わず、止まって時を待ち、小人と進みを競わない。「消長・盈虚」は天の運行にかなう。そうして初めて、ひそかに時運を支え、一陽の復帰を待てるのである。この剥落と乱れの時、君子は無位の地に退き、分を守り、身を慎み、大いなる果実が転機をもたらす機会を残す。そのような君子の存在こそが必要なのである。ゆえに夬の一陰が尽きると姤の一陰がすぐ下に生じ、剥の一陽が尽きると復の一陽がすぐ下に生じる。これが消長・盈虚、すなわち天行の循環である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめると、運命の通塞、家運の盛衰、富貴・貧賤、長寿・夭折、病気など、すべてがここに含まれる。実際、その根本は陰陽の消長から外れない。人において陰陽は邪正を分け、心においては理と欲を分け、事においては公と私を分ける。邪な人が多ければ正しい人は孤立し、欲心が燃え盛れば理性の心は滅び、私事が盛んになれば公事は失敗する。そこから家運は衰え、運命は塞がり、危険は甚だしくなる。この時、人はただ順って止まり、天の運行を自然に任せるしかない。無理に進もうとすれば、必ず多くの不利を招く。剥の害は下から起こり、少しずつ剥がれて近づく。初めは床の脚、次に床の枠、最後には人の皮膚を剥ぐ。陽はますます消え、陰はますます伸びる。三爻の応援と五爻の調整・保護があっても、大きな果実は枝についたまま役に立たない。大厦が傾こうとして一本の木だけで支えられ、大船が覆ろうとして一本の綱だけでつながれている。わずかに残っているだけである。これを人事と言っても、天命ではないだろうか。家運が衰えて再び盛んになり、塞がった運命が再び通じるのは、いずれもこの一陽が転機を生むためである。この孤立した一陽を守ることを、どうして慎重にしないでよいだろうか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめれば、古今の国家における治乱の由来を示す。大乱は、初めから大乱として現れるのではない。乱が極まってしまえば、災いはもはや力で挽回できない。乱の極みにあっては、小人が朝廷に満ち、忠臣は殺され、志ある士は命を落とす。柔が剛を変え、剛陽がほとんど剥ぎ尽くされるのである。夏の龍逢、殷の比干・箕子のように、忠誠の志をまっすぐ貫いた者が、ことごとく不測の災難に遭ったのは、古来みな同じであり、これが「行くところがあれば利がない」という意味である。ただ、微子が殷を去り、太公が紂を避け、わが国の菅右相が左遷に遭ったような者は、順って止まることができた。小さく言えば知恵によって身を守ること、大きく言えば時を待って運を助けることである。剥の上九がいう「大きな果実を食べない」とは、まさにこの運を助ける君子を指す。小人が同じ悪事に力を貸し合う中にも、名分を少しはわきまえ、忠良を惜しむ者がいないわけではない。剥の六三は上九に応じ、六五は群陰を抑えることができる。柔が陽位に居るため、陰を抑えて陽を助けられるのであり、これは卦の中に一陽が復帰する機会、すなわち国家が危機から再び安泰に戻る兆しである。天の運行は循環し、その働きはこのようである。国家が不幸にも剥乱の時代に当たったなら、むしろ順って止まり、「行くところ」を求めてはならない。それが正しい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を総合して見ると、陰が盛んになって陽を剥ぎ取る、九月の卦であり、秋の粛殺の気、万物が剥げ落ちる象である。陰陽の消長は天の運行であり、治乱盛衰は世の運勢である。造化の理では、文飾が実質に勝れば必ず弊害が生じ、朝に咲く花も夕べには散る。これが剥が賁の次に置かれる理由である。災いは微細なところから起こり、悔いは最後に生じる。力ずくで争えば、最後には必ず災いを招く。安んじて自らを守れば、初めを保つことができる。『易』が進むことを戒め、順って止まるよう勧めるのは、この道理による。初爻は災いの始まりで、剥が進み始める時である。二爻はさらに凶兆が強い。三爻は正に従うべきことを知り、そのため孤立する。四爻は剥が皮膚にまで及び、災いが目前に迫る。五爻は尊位にあり、ただ一人、群衆の心を調え、恩を施して人々を懐ける。女性や小人もそれぞれ分を守り、そろって陽に従うため、進んで上爻を剥ぐまでには至らない。上爻の大きな果実が残るのは、これによる。変化に巧みな者は災いを福に転じ、変化に疎い者は吉を凶に変える。したがって剥は初めは凶兆だが、終わりには凶とならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『大象』は言う。「山が地に付着するのが剥である。君主はこれを見て、下を厚くし、住まいを安泰にする。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大地の厚みは山を載せるに足り、山の重みは地を鎮めるに足りる。地は下にあるので広さと厚さを取り、山は上にあるので安定と鎮めを取る。「山が地に付着する」とは、物が仮に寄りかかっているようなもので、山は今にも揺れ動きそうで、安定して静止することができない。「上」とは君主をいう。山が地に付着するのは、君主が民に付着しているようなもので、君主もまた危うい。君主はこの時、下を厚くして住まいの安泰を保つべきである。上卦は艮、下卦は坤で、剥の進行は下から始まる。だから「下を厚くする」と言う。下が厚ければ上が安定する。厚い地が山を安定させるのと同じである。爻には「床」「輿」「廬」など、住まいの中の物が多く取り上げられている。『象』が「住まいを安んじる」と言うのも、その類に従ったものである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○　時運を問う――運勢はあまり良くない。安定して自分を守れば、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　商業を問う――資本を厚くし、商品を蓄え、運送に託して海外へ出せば、必ず利益を得る。商売は人の財を剥ぎ取って利益とするものなので、吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　家宅を問う――借家・寄寓の家なら、資金を出して買い取り、自分のものにするとよい。自宅はかえって不利である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　戦争を問う――敵の襲撃に備え、兵力を厚くするのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　病気を問う――魂が身体から離れているようで、恐らく不吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　旅人を問う――連れに付いて行けば、家に帰れる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠を問う――女児が生まれる。初めは危ういが、後には安泰となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　失物を問う――見つかりはするが、壊れたり欠けたりしている恐れがある。","初六――床の脚から剥ぎ取る。正しいものを滅ぼすので凶。","初六――床の脚から剥ぎ取る。正しいものを滅ぼすので凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』は言う。「床の脚から剥ぎ取るとは、下を滅ぼすことである。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 床は人が座ったり横になったりするものである。この卦は上が実、下が虚であり、床も上が実、下が虚なので、その象を床に取る。陰が陽を剥ぐのは下から上へ進む。初爻は最下にあり、床の脚を象徴するため、まず脚から剥ぐ。床は脚によって立つので、脚を剥がれれば倒れる。だから凶である。「蔑」は滅ぼすこと、「貞」は正しいこと。陰が陽を剥ぐのは、邪が正を滅ぼすことであり、小人が君子を害することなので、「正を滅ぼせば凶」と言う。『象伝』の「下を滅ぼす」とは、床で言えば脚が下にあり、爻で言えば初爻も下にあるからで、剥の始まりを示す。別説では、「貞」は床の桢、すなわち支えの枠であり、『程伝』のいう「辨」は床の幹だとする。この解釈も一説として備えておける。俞氏は「床の脚から剥ぎ、蔑す」を一続きに読み、固く守って乱さなければよく、変えれば凶だとする。これもまた一つの解釈である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○　時運を問う――目下は運勢が剥落する時で、足の病に注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　商業を問う――商品を積み重ねているなら、底部の腐朽に注意。海外へ運ぶなら、船底が浸水して損なわれる恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　家宅を問う――柱の礎や敷居に損傷がないか注意せよ。壊れて倒れかける恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　戦争を問う――敵が地下道から攻めてくるのに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　旅人を問う――足を患っており、帰ることができない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　病気を問う――足の少陰経の病で、正気が邪気に勝てず、凶である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　明治十七年の冬、知り合いのある洋銀商が来て、気運を占うよう求めた。筮して剥が頤に変わった。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて言う――剥は下から上を剥ぐ。「床の脚から剥ぐ」とは、下が上を滅ぼす象であり、奴僕が主人を滅ぼす形である。今、初爻を得たので、あなたは目下の人の用い方を誤っていると知れる。下の者が分をわきまえず、力を誇って主人を軽蔑することに注意すべきである。爻象がこのようである以上、十分に心せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その人は礼を述べて帰った。後に聞くと、その家では数十人もの人を雇っていたが、役に立たない者が多かったため、主人は給金を減らそうとしていた。下の者たちはそれぞれ不平を抱き、徒党を組んで主人の家財を奪い、主人一家を窮地に陥れたという。すべて爻象と符合していた。","六二――床の枠から剥ぎ取る。正しいものを滅ぼすので凶。","六二――床の枠から剥ぎ取る。正しいものを滅ぼすので凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』は言う。「床の枠から剥ぐとは、まだ応じ助ける者がいないことである。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「辨」は程氏の注では「床の幹」、すなわち床の脚の上、床面の下にある区切りの部分とする。初爻では脚を剥ぎ、二爻では枠を剥ぐ。陰が次第に進んでいるのである。剥が枠にまで及べば、床はいっそう危うい。邪が盛んになって正を滅ぼすので、凶は初爻と同じである。「まだ応じる者がいない」とは上九を指す。二爻と初爻が悪事を同じくして上九を剥ごうと謀る一方、上に孤立する陽には応じ助ける者がいない。『象』は上九に危険を告げているのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○　時運を問う――昨年以来、次第に運が下がり、人に剥ぎ取られ、弁明もできない。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　商業を問う――商品を仕入れても、値が次第に下がり、利益を得られない。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　家宅を問う――「辨」は「変」とも通じる。家は早く転居してこそ、凶を避けられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　旅人を問う――旅支度を整えれば帰ってくる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　戦争を問う――応援に来る軍がまだない。動いてはならず、動けば凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　病気を問う――病人はすでに床についており、まだ良医もいない。治らない恐れがある。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠を問う――女児が生まれるが、育てるのが難しい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　失物を問う――まだ取り戻せない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　ある紳士が来て、気運を占うよう求めた。筮して剥が蒙に変わった。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて言う――この卦は五陰が一陽を剥ぐので剥と名づける。二爻は陰位に陰が居り、本来は五爻に応じて上爻を剥ぐ仲間になろうとする。しかし五爻は柔が陽位に居て、しかも上爻と比しているため、もはや上爻を剥がず、二爻は五爻と一緒になって五爻を剥ごうとする。「辨」は床の枠、すなわち床の両側である。だから二爻には両側をともに剥ごうとする心が現れ、義理を顧みず、人を剥いで自分の利益にすることしか知らない者である。しかしこのような剥ぎ方では凶を免れない。そこで『象伝』は「まだ応じる者がいない」と言う。このような人々とは、必ず良い付き合いができないという意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 紳士はこれを聞き、思い当たるところがある様子で帰った。後に聞くと、その人は親族に巨額の金を貸していたのに、感謝を期待するどころか、かえって親族を滅ぼし尽くそうとしていた。まことに不義の極みである。易の道理はひそかにその奸心を見抜き、霊妙な顕れは恐るべきものである。","六三――剥ぐ。咎はない。","六三――剥ぐ。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』は言う。「剥いでも咎がないのは、上下を失うからである。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 陰でありながら陽位に居て上爻と応じ、その属するところは陰でも、心は陽を助けることにある。群陰が陽を剥ぐ時、三爻だけが剛に応じる。小人でありながら君子を保全する者なので、「咎はない」と許し、その善を没しないのである。『象伝』の「上下を失う」とは、上下の諸陰の間に居ながら、ただ一人、党派を捨てて正に従うことをいう。自分の党を失うので、「上下を失う」と言うのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○　時運を問う――運勢は正しくないが、行いを改めれば咎を免れる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　商業を問う――同業者は皆、高値を望んでいるが、あなただけがひそかに売り逃げすれば、同業者の意向には背くものの、独り利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　家宅を問う――垂木や瓦を取り除き、地盤をならして剥がし改築すれば、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　戦争を問う――軍中で最も策に長けた者である。諸軍と打ち合わせず、単独で攻めても勝利を得られる。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　病気を問う――消導・攻伐の薬を用いるのがよく、服用すれば治る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　明治十七年の冬、横浜の洋銀商某が来て、気運を占うよう求めた。筮して剥が艮に変わった。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて言う――剥は山が崩れて地となる卦なので、剥と名づける。五陰が次第に伸び、一陽を剥ぎ滅ぼそうとしている。剥とは奪うこと、削ることである。今、三爻を得た。三爻は陰でありながら陽位に居て、上の一陽と応じる。群陰と同じ仲間ではあっても、その志は群陰と同じではない。だから「咎はない」と言うのである。同じ売買をしていても、独自の工夫を凝らし、人が捨てるものを自分が取り、人が手放すものを自分が取れば、必ず大きな利益を得るだろう。剥の卦そのものから言えば、山が地に変わるので、今は山のように高い相場が、たちまち地のように低落する象がある。占う者は心に留めるべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 後日、ある人が礼を述べに来て言った。「今回の朝鮮事件で洋銀が高騰しましたので、易占の示したところを信じ、高値で売りましたところ、たちまち数十万円を得ました。易占の妙は、これほど測り知れないものなのですね。感服、感服です！」","六四：寝台を肌まで剥ぎ取る。凶。","六四：寝台を肌まで剥ぎ取る。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝はいう。「寝台を肌まで剥ぎ取る」とは、災いがすぐ近くまで迫っているということである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 剥の災いは初爻に芽生え、四爻に至って次第に迫り、ますます近づいてくる。四爻は陰位に陰で居り、初爻・二爻と同じ悪に与して互いに助け合う。初爻・二爻は内卦にあり、内外卦に分かれ、寝台が上下を隔てるため上爻から遠く、剥がれるのは「足」と「桟」にとどまる。四爻は上爻と同じ卦に属し、近づくほど剥落はいよいよ激しくなるので、ついに「肌」にまで及ぶのである。爻の順序から見れば、初爻は寝台の脚、二爻は寝台の桟、三爻は寝台そのもの、四爻はその上にある人の身体に当たる。艮には指やくちばしの意があり、人身の象を備える。そこで「寝台を肌まで剥ぎ取る。凶」という。象伝の「災いがすぐ近くまで迫る」とは、剥落が肌に及び、災いがその身に及んだということである。まことに一陽が危うい。剥とは小人が君子を剥ぎ取ることであり、本来は君子にとって凶である。しかし初・二・四の三爻は「君子に凶」とは言わず、ただ一概に「凶」と述べる。剥の害が国を破り家を亡ぼすなら、君子が凶であるだけでなく、小人もまた凶を免れないことが分かる。ゆえに象全体をまとめて「凶」とするのであり、その意味は微妙で深い。別説では「肌」を寝簀、すなわち寝台の板と読む。これも一解である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：運勢は大いに不調で、身体を傷つける恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：損耗があまりに大きくなり、また思いがけない災難にも注意を要する。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：この家は必ず荒廃して住みにくくなり、住人も少なくなり、倒壊にも警戒すべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：主将に災いが及ぶ恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠を問う：女児が生まれる。産婦も危険になる恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある富商が来て運勢を占ってほしいと頼み、剥から晋へ変わる卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。剥の災いは遠くから近くへ及ぶ。遠いうちは災いも小さく、まだ避けられるが、すぐ近くまで来れば、避けようとしても免れがたい。今、四爻を得た。四爻は上爻と同じ卦にあるので、災いはすでに間近である。「寝台を肌まで剥ぎ取る」とは、剥落が肉身にまで及ぶということだ。災いの来るところを推し量るに、必ずやあなたと同居し、しかも近しい者として接している人に関係するだろう。祖先を祭り神に祈って災いを免れようとしても、おそらく保証は難しい。速やかに転居して避ける計画を立てるべきである。また占象が凶である以上、容貌も併せて見る必要がある。眉間に黒赤色の気が現れたり、額の天庭に細い赤い輪が出たりすれば、禍を免れるのは難しい。しかし幸い、あなたは血色がよく、災いの兆しが顔に現れていない。場所を避けて移れば、免れられるかもしれない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 某氏はこれを聞いて大いに驚き、相州湯本に避居した。ところが思いもよらず、ある商友が米の売買のため北国へ赴き、大阪で米相場に賭けて大損耗を被った。この商友は平素から正直で、某氏が親しくしていたため、数万金を託しても一度も疑ったことがなかった。ところが今回この大損をすると、商友はにわかに悪計を生じ、主人に隠れて財産を隠匿し、死を覚悟して親族や友人を訪ね歩き、罪を詫びた。やむを得ない事情から起きたことなので、それ以上追及はしなかった。易占の示したところは明らかである。慎まなければならないではないか。","六五：魚をひと続きにして、宮人として寵愛を受ける。何事にも不利はない。","六五：魚をひと続きにして、宮人として寵愛を受ける。何事にも不利はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝はいう。「宮人として寵愛を受ける」とは、最後まで咎がないということである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 五爻は尊位である。陰が陽位に居り、上爻と近く相並ぶので、群陰が上へ迫り、一陽がすでに危ういことを知る。もはやこれ以上剥ぐことはできないため、陰は陽を守る策を考える。陽をもって陰を制しようとしても、陰は多く陽は孤立しているので、必ず制せられない。そこで陰を率いて陽に従う方がよい。「魚」も「宮人」も陰の象である。「魚をひと続きにする」とは、多くの陰を率いて一連にすること。「宮人として寵愛を受ける」とは、宮人として一陽の寵を受けることである。一陽が剥落を免れれば、群陰もまた凶を免れる。ゆえに「魚をひと続きにして、宮人として寵愛を受ける。何事にも不利はない」という。象伝の「最後まで咎がない」とは、六五が群陰の首でありながら群小を率いて君子に畏服させることをいう。大果が保存されたのは五爻の力であるから、「最後まで咎がない」というのである。剥とは、群陰が皆陽を剥ごうとすることだが、ただ五の陰だけは陽位に居るため、一陽を婉曲に保護することができる。初爻は陽でありながら陰位に居て、ただ剥のみを知る。剥の災いは実に初爻から起こる。初爻は卑小で下賤であり、仁徳ある九ではないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：目下の運勢は盛んで、万事が円満に進み、何事にも不利がない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：満貫満万の利益を得られ、北海の海産物の事業は特によい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：女性が家を取り仕切る象がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：敵軍に離間の計を施せば、勝利を得られる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：陰虚の症である。十分に身をいたわれば、なお心配はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を問う：外で寵愛を受ける相手があり、必ず伴侶を連れて帰る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】横浜境町の森錠太郎氏は英国商館の書記であった。明治十四年春、腹中の痛みを覚え、内外科の医師に診察を受けて薬を服したが効なく、痛みはいよいよ激しくなった。母上が私に占いを頼み、剥から観へ変わる卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。剥とは剥げ落ちることであり、上爻に至れば一陽が尽きようとして、精気が消滅する象となる。五爻を得たので、速やかに治療を施せば、なお百死の中から一生を得る望みがある。爻辞に「魚をひと続きにして、宮人として寵愛を受ける」とある。「貫」は刺し通す意で、針で物を刺すことをいう。これはその経穴に針を施すのがよいという意味である。私は医道に通じず、針治療が適切かどうかも知らない。ただ易の象によって述べるだけである。試みに針治療を施してみよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 母上が言った。「東京に若宮氏という針治療の家があり、お宅の近くです。呼んで治療してもらってはいかがでしょう」。私は言った。「爻辞に『宮人として寵愛を受ける』とある。その人の姓がちょうど若宮氏とは、これほど妙なことはない。早く呼ぶべきです」。母上は帰るとすぐ若宮氏を招いて診察させた。若宮氏は来ると、まず患者の手足に触れ、病状を聞いた。そして何か感じるところがあったようで、しばらくして言った。「これは私が経験したことのある症状です。これ以上遅れれば、治療が間に合わない恐れがあります！」直ちに針治療を施すと、二、三時間後、腹中が雷のように鳴った。これは平癒の兆しである。もし針を施した後も腹が鳴らなければ、術を施しようがなかったが、実際には針の後に腹鳴が起きた。苦しみはたちまち消え、数日で平癒した。易の妙理は、微細なことに至るまで余すところなく現すものだと言えよう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 私はこの占例を中村敬宇氏にしばしば話した。氏は大いに賞賛し、言った。「『魚をひと続きにする』という爻辞を針治療に当てたのは、他人には及ばないところだ。あなたの活断には敬服する、敬服する！しかも医師の姓がちょうど若宮氏とは、まことに奇妙なことだ。易の精妙さはこのようなものなのだね！」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治三十二年三月二十八日、晴雨を占った。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 維新後、私はかつて旧来の聖像が博覧会に陳列されているのを見た。これは大いに不敬なことである。そこで大綱山に聖廟を建て、毎年冬至の日にその堂で国家のことを占った。三条相国が来観し、「神易堂」の額を賜った。その後は毎年四月八日に祭典を行った。その年は雨期に当たる恐れがあったので、晴雨を占うため一卦を立て、剥から観へ変わる卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 爻辞はいう。「六五。魚をひと続きにして、宮人として寵愛を受ける。何事にも不利はない」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝はいう。「宮人として寵愛を受ける。最後まで咎がない」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦全体には水の象がないので、雨は降らないと分かる。五爻が変わると巽となるが、ただ風があるだけである。また観は祭祀の卦であり、祭典にもよく合う。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 当日になると、果たして天気は快晴となり、午後三時に微風が吹いた。天候を占う家には、これを検証するすべもないのではないかと恐れたほどである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 晴雨の占では、《小畜》の上爻が変わると、必ず風が止んで雨になる。その彖伝は「密雲雨ふらず」といい、ここに至って「すでに雨ふる」という。爻の理から推すと、卦の表面に水があれば雨を占い、水が変われば雨が止むとする。内卦を午前、外卦を午後とし、風についても同じである。諸葛孔明の赤壁における火攻めも、またこの道理による。","上九：大きな果実は食べられない。君子は車を得、小人は庵を剥ぐ。","上九：大きな果実は食べられない。君子は車を得、小人は庵を剥ぐ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝はいう。「君子は車を得る」とは、民が載せるということである。「小人は庵を剥ぐ」とは、ついに用いられないということである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 艮は果実を表し、果実は木の上にあるので、上爻には大きな果実の象がある。艮は止まる意でもあるから、「大きな果実は食べられない」という。「車」は大地であり、大地は万物を載せる。「車を得る」とは、民の支えに載せられることである。「庵」は人を庇護する家であり、「庵を剥ぐ」とは、身を庇う場所を失うことである。この爻は上に一陽があり、まるで大きな果実がただ一つ残り、卦の外へ高く抜き出て、群陰には食い尽くせないようである。ゆえに「大きな果実は食べられない」という。食べられない理由を天道から見れば、すべての陽が消え、群陰だけが残る道理はない。人事から見ても、君子が皆滅び、小人だけが残る理はない。天地の間に、どうして一日たりとも善人がいないことがあろうか。剥は十月に当たり、まさに万木が葉を落とす時である。その中で大果がなお梢に残り、果実の中には再び芽生える仁がある。これは剥がまだ尽きないうちに陽が再生する象である。また剥が極まれば乱れ、乱れが極まれば治を思う。ゆえに人々の心は君子を慕い戴き、「君子は車を得る」という。小人が君子を剥ぎ取れば、結局は自ら庇護の場所を失うので、「小人は庵を剥ぐ」という。象伝はいう。「君子は車を得る。民が載せるのである。小人は庵を剥ぐ。ついに用いられないのである」。君子の徳と恩沢は長く遠く流れるため、民は必ずこれを載せる。小人の悪行は明らかになるため、「ついに用いられない」のである。この爻が変わると坤となり、最後まで用いることができない象となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：目下は運勢が衰えているが、一年後には好運に当たる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：売る者はなお小利を得られるが、買う者は必ず大きく損耗する。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：忠厚な家にはなお余徳があるが、薄情・苛酷によって身代を築いた者は、塀や家屋が倒れる恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：守る側は咎めがないが、攻める側は必ず敗れる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：飲食が進まない憂いがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠を問う：男児が生まれる。一人息子となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十三年、国家のために元老院を占い、剥から坤へ変わる卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。剥が上九に至れば、剥落はほとんど尽き、残るものはわずかである。元老院は廃止されるのではないか。当時は国会興隆の時期に当たり、元老院の議官はおおむね貴族院議員、あるいは枢密顧問官となったが、国事に尽くす点では同じである。したがって元老院は自然に廃止できた。元老院の廃止はもともと推知できたことだが、易の象がそれを前もって明らかに示したので、ここに付記する。",null,"周易、易経、高島易断、第23卦、山地剥、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936301]