[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-28":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-28",false,"2026-08-11T01:18:23.790Z","2026-07-04T14:35:14.000Z","沢風大過。大過は棟がたわむ［133］。行くところがあればよく、通る。","高島易断 第28卦 沢風大過―卦辞原文と解卦―東方玄学庫","高島易断第28卦 沢風大過の解卦：卦辞「大過。棟撓む［133］。往くところあるに利あり。亨」。付記の断辞と実占例の詳解。","&#19931;",28,"28　沢風大過 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大過は頤から来る。頤は上下に二つの陽があり、その中に四陰を包む。大過はこれを反対にして、二陰が四陽を包む形である。四陽が過度に盛んなので大過という。道は中にあるべきで、陽は盛んであることを望むが、過ぎることは望まない。あまりに剛なら折れ、あまりに充実すれば裂ける。今は四陽が中央に満ち、二陰は辺境の無位の地に退いている。陽は盛んでも下に基礎がなく、上に結びつきもないため、かえって二陰に力を借りる。二陰は微弱で助けにならず、これは中を失った状態である。中を失えば過となる。卦体は上が兌、下が巽である。兌は正秋であり、秋は金気、金は水の母なので兌を沢とする。巽の辰は巳で、その上は軫宿に当たり、軫は風をつかさどるので巽を風とする。これを合わせて沢風大過という。しかし大過は小過とどう違うのか。小過は艮が震に遇う形で、止まってから動く。その動きはまだ危険ではない。陰が盛んでも下に基礎があり、止まれば吉である。大過は巽が兌に遇う形で、入り込んで悦ぶ。悦びが極まって外へ出られず、陽は盛んでも下に根がないため、入り込めば転倒する。雑卦伝は「大過は転倒である」という。大過の卦そのものには転倒を言わず、頤の卦に転倒を言うのは、頤と大過が互いに反転して働くからである。序卦伝がこれを上経の末に置くのは、天地が再び交わり、それによって坎と離を成すためである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大過。棟がたわむ［133］。行くところがあればよく、通る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大過は陽が大きく陰が小さい。剛が中央に積み重なり、重いものを担うに足りるので、棟木のようである。上は兌、下は巽。巽は木、兌は破壊・折損を表す。木が破損すれば、棟はたわむ。この大厦が傾こうとする時、一木では支えられない。ただ門を出て助けを求め、患難を救ってこそ、通達を得られる。だから「行くところがあればよく、通る」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 彖伝にいう。大過とは、大いなるものが過ぎることである。棟がたわむのは、本と末が弱いからである。剛が過ぎても中央にあり、巽順と悦びによって行えば、行くところがあればよく、そこで通る。大過の時は、なんと大いなるものか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦は下が巽、上が兌で、四つの陽が中央に積み重なり、剛陽が過度に盛んなので大過という。陽が大きく陰が小さいから「大いなるものが過ぎる」という。棟とは家の棟木である。巽の木が兌の金に傷つけられるので「たわむ」。巽の木はもともと柔らかく、上に根がなく、下にも付着するものがないので、本も末もともに弱い。「剛が過ぎても中央にある」とは二爻・五爻の中をいうのではなく、四つの剛爻が連なって中央に位置することをいう。剛は過ぎているが、位置は中央なのである。しかし剛に頼るだけではならず、「巽順と悦び」によって行わなければならない。巽は初めの言葉を主とし、悦びは終わりの言葉を主とする。四剛は互卦の乾となって行動を表し、柔をもって剛を助け、努めて前進してこそ通る。だから「行くところがあればよく、そこで通る」という。すぐれた才能は困難の中から生まれ、確固たる力は辛苦から現れる。敗を転じて成にするのはこの時である。だから「大過の時は、なんと大いなるものか」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめる。卦体からいえば、四つの剛爻が中央にあり、内の主となる。上下の二柔爻は外にあって客となる。主が剛に過ぎるので、主は剛、客は柔である。卦象からいえば、四つの剛爻が中央に並び、二つの柔爻が上下に分かれて居るさまは、まるで棟木のようである。大人は必ず剛強の徳を備えてこそ、棟梁の任に選ばれる。しかし剛が過ぎて制御されなければ、強すぎるものは必ず折れ、その棟木はたわむ。必ず「巽順にして脱する」ことによって行い、剛でありながら成果を得なければならない。剛は過ぎることを恐れる必要はなく、たわみも最後までたわみ続けるとは限らない。大過の材を備えた者だけが、大過の事を成し遂げられる。「行くところがあればよく、そこで通る」は、いずれも乾元の用九から来ている。「行くところがあればよい」は乾の「健やかに行う」であり、「そこで通る」は乾の「元いに亨る」である。聖人は易において、主として陽を扶け陰を抑えるが、時には陰を借りて陽を助ける。巽によって外へ出し、悦びによって行うことで、大過を取り除き、時にかなった中へ帰るのである。そうすれば変化しても常を失わず、窮しても正を失わない。だから「大過の時は、なんと大いなるものか」という。ここでいう「時」とは、「終日乾乾として、時とともに極まる」という道でもある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめる。下卦は人民を表し、巽は風で、四方の風が動く象がある。上卦は政府を表し、兌は沢で、「わが恩沢は春のようだ」という象がある。卦体の剛は中央にあり、初と上に二柔が居る。これは四つの剛が権力を握り、威も恩恵もあり、中央に居て政を執る象である。国家が大功を立て、大事業を興すときは、いつも一人がその重責を担う。大きな家に棟木があって多くの材を支えるようなものだ。しかし荷が重すぎれば任に堪えず、すぐにたわむ。これが「本と末が弱い」ということである。「本末」とは上下の二陰を指す。二陰は才力が柔弱で重責に堪えないので、たわむのである。これは陰が衰え、陽が補佐を失い、臣が弱く、君主が守りを失うことであり、陽剛が中を越えた結果である。この時、古い道を踏み、旧来の轍を守る者は、多くがあえて行動しない。ただ時勢を知り、変化に通じた士だけが奮然として進もうとする。陽剛の徳を持ち、巽順と和悦によって行い、寛大さで厳しさに勝ち、柔らかさで剛を助け、時にかなった中正を得て、過剰な陽の弊害を避けなければならない。そうしてこそ大難を平らげ、大業を興せる。乾卦にいう乾元の「美しい利益をもって天下を利し、何を利するかを言わない」というのも、すべてこの道である。だから「行くところがあればよく、そこで通る」という。時代の過剰を正すために進むには、時の変化を通じ、その勢いを平衡へ戻し、天下を一新して世の道を永遠に維持しなければならない。そうしてはじめて通達を得られる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を全体から見ると、陽剛があまりに充実していて、動くことができない象である。たとえば人の肢体が肥え重くなり、身を転じて運ぶことができないようなものである。また、四つの陽爻が中央に居り、二つの陰爻は退いて命に従っている。下には根も土台もなく、生気はすでに絶えている。上には付着するものがなく、枝葉もすでに枯れている。そこで爻辞に「枯れた楊」とあるのであり、なお往来・回復の可能性がある剥や姤にも及ばない。しかし大過は頤から来る。「頤とは養うことである」とは、その二つの陰爻を養い、互いに助け合わせるべきことをいう。上に兌の沢、下に巽の木がある。象伝に「沢が木を滅ぼす」とあるのは、本来下にある沢がかえって上に、本来上にある木がかえって下にあるからである。これが大過を転倒とし、常の分を越える大きな過ちとするゆえんである。君子はこれにならい、「ひとり立って恐れず、世を逃れても悶えない」とする。退き隠れることによって陽を養い、その過ちを防ぐのであり、君子でなければできない。大過の六爻は二陰四陽で、陽爻が陰位にあるもの、陰爻が陽位にあるもの、陽爻が陽位にあるもの、陰爻が陰位にあるものがある。爻の位置が異なるので、その意味もそれぞれ分かれる。初爻は陽が陰位にあるため、過ちはまだ小さい。巽は茅を表す。茅は柔らかなものだが、それを敷けば剛を助けるに足りるので、「咎なし」という。二爻も陽が陰位にあり、過ぎているが過ぎすぎてはいない。巽は木で、楊を表す。沢に木を滅ぼされて枯れるが、九二の生気ある陽を受け、枯れても再び芽を出すので、やはり「咎なし」である。三爻は陽が陽位にあり、過ぎてさらに過ぎている。中央の四つの剛爻は、家に棟木があるようなものだが、剛を恃んで独断すれば、ついに「棟がたわむ」ので凶である。四爻も陽が陰位にあり、過ぎているが過ぎすぎてはいない。四爻は初爻と応じ、依りかかる所を得る。三爻は「たわむ」といい、四爻は「隆くなる」というので、吉である。五爻は陽が陽位にあり、過ぎて、それ以上は過ぎようがない。「枯れた楊」の象は二爻と同じだが、陽は五位で極まっている。花もすでに衰えているので、「どうして長く続こうか」という。上爻は陰が陰位にあり、四つの剛爻がすでに傾いた後なので、過ちの極みに当たる。「往くところがあればよい」というのは、まさにこの時である。「過ぎて渡る」とは、時を救おうとする忠心からである。だから「頂まで水に没する」のは凶であっても、「咎なし」なのである。六爻を対にして言えば、初と上は対立する。彖伝のいう「本と末とが弱い」とは初爻と上爻を指す。一方は茅を敷いて咎なく、他方は「過ぎて渡る」ことで凶を忘れる。いずれもその過ちを救うに足りる。二と五は対立する。「枯れた楊」の象は同じで、「芽を出す」と「花をつける」とによって、長く続くか短いかが分かれる。三と四も対立する。「棟」の象は同じだが、「たわむ」と「隆くなる」とによって吉凶が分かれる。要するに、卦は陰陽が相偶して中を得ることをよしとし、一方に偏れば過となる。陽四、陰二であるから大過であり、ゆえに「大なるものが過ぎる」という。君子はこれに対して、「ひとり立って恐れず、世を逃れても悶えない」という態度を取る。時を憂え俗を憎む心を抱き、乱れを正し正道に戻す才能を備え、利害を顧みず、成敗を語らない。上六の「過ぎて渡り、頂まで水に没する」とは、必ずこのような人である。どうして咎があろうか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大象伝にいう。〈沢が木を滅ぼすのが大過である。君子はこれにならい、ひとり立って恐れず、世を逃れても悶えない。〉 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦は、沢の水がその上にある巽の木を浸し、木を枯らすので、「沢が木を滅ぼす」という。こうした時、世俗の士はみな流れに従い波を追い、すり減らされずにいる者は少ない。ただ君子だけが大過の人にふさわしい才幹を備えている。時勢が困窮していても、その操守はいよいよ堅くなる。信じるものは道理、楽しむものは天であり、これを「ひとり立って恐れず、世を逃れても悶えない」という。この人は必ず剛にしてよく柔らかく、過ぎても前へ進むことができる。まさに大過の時をよく処する者である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。「滅」とは滅絶すること。大きくは国を滅ぼし、小さくは身を滅ぼすので、その象は凶である。出軍について占ってこれを得れば、激しい洪水に呑まれる災いが恐れられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う。象伝の「沢が木を滅ぼす」は、安値だったものが突然高騰する勢いを示す。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 名誉や出世を占う。「ひとり立って恐れず、世を逃れても悶えない」とは、身を退いて隠れ住むべきで、まだ名を求める時ではないということ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。上に兌の沢、下に巽の木があり、象が逆転して位置も正しくない。滅びの凶災に注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を占う。肝火が内に鬱結し、腎気が上衝する症状で、治療は容易でない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う。「沢が木を滅ぼす」ので、夫婦の間に年齢のつり合わないことが懸念される。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を占う。必ず水溝のような所に落ちている。","初六：白い茅を敷物として用いる。咎なし。","初六：白い茅を敷物として用いる。咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「白い茅を敷物として用いる」とは、柔らかなものが下にあることである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「藉」とは地面に敷くこと。「白茅」はその清らかさを取ったものである。古代には祭祀の際、これを敷いて酒を注ぎ、神を降ろした。茅の白さは巽の象から取る。巽は下卦にあり、下に茅を敷くのは、上にある剛を受け支えるためである。初爻は陰柔で下に居り、剛を犯さず、剛を受けることができる。大過の時にあって、上に仕えるのに慎み敬うなら、過分とはいえない。過度に敬う失敗と比べれば、傲慢に人を侮る者よりはるかにまさっている。高慢な者には当然咎があり、へりくだる者には必ず咎がない。茅は柔らかな物だが、これを敷けば互いに助けることができるので、取るに足らないものとして軽んじてはならない。象伝の「柔らかなものが下にある」とは、爻についていえば初爻が下にあり、茅についていえば敷物が下にあるということ。初六は陰位に居り、陰は柔を表す。また茅の性質も柔弱なので、「柔らかなものが下にある」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。初めて出兵する時は、剛暴が過度になることを最も戒めるべきで、下の者には寛大で柔らかく接するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う。運搬して売る品は、薬品か、あるいは茶葉や木綿であろう。色は必ず白く、性質は柔らかい。いずれも利益を得られる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 名誉や出世を占う。茅を抜けば根がつながっているので、同類の者が連なってともに登用される象である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。その家は必ず湿気の多い低地に近く、屋外の蔓草は荒れ果て、建物もまた傷んでいる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を占う。病体は弱く、下焦に湿がある。温めて乾かす薬を用いて治療しなければならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を占う。草地の上を探せばよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治元年、東久世中将と鍋島肥前守が先鋒を命じられて横浜を収めようとした時、私は肥前守の陣中にいて、諸般の事務も兼ねて取り扱っていた。藩士の下村某が兵士百人を率い、命を受けてまず浦賀を収めることになり、進路の指針として私に一卦を筮させた。得卦は大過が夬に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。古代の軍占では、内卦を我、外卦を敵とする。初爻は内卦の最下にあり、陽位に陰で居る。陰は柔に属するので、我は柔を用いるべきことが明らかである。兌は沢だから、攻め取る場所は必ず水沢の地である。白茅は柔らかな物で、それを地に敷けば、その上を踏んでも足を取られる心配がない。これは、尾にぴったり続いて静かに進めと教えるものである。今聞くところでは、浦賀港には開陽・回天以下六隻の艦が停泊し、脱走兵や募兵を数千人乗せている。浦賀の兵士もまた彼らと心を合わせて連絡している。敵勢はあまりに盛んで、力攻めは適当でない。爻辞に「白茅を敷物として用いる」とあり、象伝に「柔らかなものが下にある」とある。これは柔を用いる道を明らかに示し、柔をもって剛に勝ち、海門の喉元を押さえることを上策とするものである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 下村某は十数人を率いて進み、戦わずして平定した。","九二：枯れた楊が芽を出し、老夫が若い妻を得る。よろしからざることはない。","九二：枯れた楊が芽を出し、老夫が若い妻を得る。よろしからざることはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「老夫と若い妻」とは、過ぎたもの同士が相交わることである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 二爻は陽が陰位にある。陰が尽きれば死し、陽が来れば生ずる。これが万物の常理である。巽は木、兌は沢で木を剋する。水に近い木を楊というので、沢が木を滅ぼせば楊は必ず枯れる。そこに九二の生気ある陽の助けを得て、枯れてから再び生える。「稊」とは楊の新芽である。二爻の体は乾で、乾は老と男を表すから「老夫」という。下には初爻の巽を得ており、巽は乙女を表すから「女妻」という。二爻は初爻と比してこれを得るので、「老夫が女妻を得る」という。夫婦の配偶は年齢が近いのが正しい。老夫と女妻はこれもまた転倒である。しかし老少が正しい組み合わせでなくても、陰陽は自然に互いに助け合う。「老夫」と「女妻」は、枯れた楊が芽を出し、ついには妊娠し子を産むようなものなので、「よろしからざることはない」という。象伝の「過ぎたもの同士が相交わる」とは、卦の意が剛の過剰にあるためである。夫は過度に老い、妻は過度に若いので、「過ぎたもの同士が相交わる」という。雑卦伝に「大過は転倒」とあるが、これをいうのであろうか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。敗北を転じて勝利とする象がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う。兌は陰を表し、また金を表す。巽は風を表し、また木を表す。必ず金物か木材の商いである。「枯れた楊が芽を出す」ので、植林や木材の運搬・売買は、いずれも「よろしからざることはない」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 名誉や出世を占う。爻象から見ると、必ず晩年を待って初めて名を成す。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。この家は以前、陽宅を陰地に置いたため、きっと長く不利が多かった。近ごろ九の陽が動き始めたので、必ず枯木に花が咲く。それがこの兆しである。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う。老いた寡夫が再婚し、子をもうけることを主とする。大吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を占う。危険ではあるが、無事に安定する。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を占う。必ず見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十二年、友人が来て、ある家の運勢を占ってほしいと頼んだ。筮して大過が咸に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この卦は上が兌、下が巽である。兌の少女が巽の長女の上に居るので、少女は家を治めるのが不得手であり、長女が取って代わることになる。したがって一家には転覆の危険がある。今回この家の運勢を占ってこの爻を得たが、家業の衰えは人の手によって整えられ、自然に再び盛んになる。枯れた木が陽気の発動を得て、自然に芽を出すようなものである。人もすでに老いていても、若い妻を得れば子をもうけることができる。いずれも、いったん敗れて再び成る象であり、いわゆる「枯れた楊が芽を出し、老夫が女妻を得る。よろしからざることはない」とはこのことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十七年十二月、わが軍が海城に入った時、敵将宋慶は雪中の通路を利用して、たびたび逆襲し挑戦してきたため、海城はほとんど危うくなった。筮して大過が咸に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この卦は上下二卦を合わせると、坎の険の象があり、両軍がともに困難を踏んでいる。今、爻辞に「枯れた楊が芽を出す」とある。楊は冬に枯れ、春に生えるので、春暖を待って初めてわが軍は突撃できる。「老夫が女妻を得る。よろしからざることはない」とは、わが軍がすでに老い疲れているところへ、新たに来る兵を得て、壮んな気を奮い起こし、勝利を制することができるという意味である。後に果たして第二軍の精鋭が新たに来て蓋平を占領し、海城を援護した。二月十四日に太平山を攻略し、三月四日に牛荘を占領、六日に営口、九日に田荘台を陥落させた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治三十一年、わが国と清国との交際について占い、得卦は大過が咸に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この卦は上が兌、下が巽。兌は金であり沢で、正西に属する。巽は風であり木で、東南に属する。金が来て木を剋するので、西から東南へ侵略し奪取することが明らかであり、象伝の「沢が木を滅ぼす」はその兆しである。今、二爻を得た。二爻は陽が陰位にあり、爻辞に「枯れた楊が芽を出す」とある。楊は巽の木で、沢に滅ぼされるから「枯れた」という。「枯れた」とは衰敗の象で、東南の弱体を十分に示す。「芽を出す」とは、春の陽気の発動を得ることである。「老夫」もまた衰えの象であり、「女妻を得る」とは若い陰の助けを得ることである。わが日本と清国についていえば、両国はいずれも東南に位置し、朝鮮一国がその間にある。わが国は以前から清国と協力して朝鮮を保護したいと望んでいたが、清国は朝鮮を属邦とし、われわれが論じることを許さなかった。そのため両国は戦争を始め、清国は敗れた。領土を割譲して講和した後、露・独・仏三国が連合し、表向きは清国を保護すると称して、わが国に遼東を返還させた。三国が悪意を抱いていた以上、これを口実に清国へ賠償を迫り、要地を分割することに利用しないとも限らない。これもまた勢いの必然である。清国は近ごろ、欧州列強は頼りにならないと知り、同盟を望んでいる。わが国もこれからは清国とともに東南を保護し、欧西の勢力に強く抵抗したい。それは「枯れた楊」が「芽を出す」ようなものである。象伝の「過ぎたもの同士が相交わる」とは、わが二国がかつて戦い、今日和睦することであり、これが「過ぎたもの同士が相交わる」ということである。","九三：棟がたわむ。凶。","九三：棟がたわむ。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「棟がたわむ凶」とは、補佐を得ることができないことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 卦全体からいえば、四つの剛爻が中央に連なって、家に棟木があるようである。上下の二陰はともに弱いので、「たわむ」という。三爻についていえば、九三は互卦の乾をなし、その辰は亥に当たり、上には危宿がある。危の三星は虚の東北にあり、屋根を覆う形で、棟の象をなす。三爻は剛位に剛で居り、過ぎてさらに過ぎている。剛が過ぎれば必ず折れるので、「たわむ」という。九三は頑固で独断し、皆の知恵や力を合わせることを、自分に及ばないものと見る。そのため孤立して助けがなくなり、高くなればなるほど危うくなり、ついには「棟がたわむ」凶に至る。象伝の「補佐を得ることができない」とは、三爻が自分の知恵を誇り、人と共同して事に当たり、広く意見を集めて成果を上げることができないということ。これも三爻が自ら招いた結果である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争を占う。「棟」は一軒の家の主であり、軍においては主将である。「たわむ」とは砕け折れること。棟がたわむのは、主将が傷を負う象である。主将があまりに剛猛で、人の意見を聞かないことが原因なので凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う。商売は必ず人を得て補佐とし、それで初めて事が成る。自分だけで運営し処理しようとすれば、経営が大きくならないばかりか、思いがけない損失を招く恐れがある。「棟がたわむ」とは、人も財もともに失う懸念があるので凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 名誉や出世を占う。大任を担える人を棟梁の材という。「たわむ」と出れば、その棟は本当の棟ではない。たとえ一時は成っても最後には敗れ、凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う。この家は不吉である。棟が折れ、垂木が崩れており、住むことはできない。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。九三は陽位に陽爻があり、孤陽で助けがないため、婚姻は成らず、成っても吉ではない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠を問う。男児が生まれるが、育てられない恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治23年のある月、友人が来て言った。「市町村制により市長を選挙することになりました。市民が期待を寄せているのは甲乙の二人です。私は甲が適任だと思うので投票するつもりですが、その成否を占ってください」。筮して大過から困を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦は中央の四陽が棟木となり、初爻と上爻の二陰は柔弱で重荷に耐えられないので、「撓む」という。今、市長選挙について占ってこの爻を得た。甲は才能も力量も強く、任に堪えるが、自らを頼み人を見下し、剛愎が過ぎる。剛なるものは必ず折れる。それが撓みの由来である。三爻は陽位に陽爻があり、過ぎてさらに過ぎる。上六と応じるとはいえ、上爻は陰位に陰爻があり、柔弱で力がない。たとえ力を尽くして推薦しても、どうすることもできない。四爻は乙を表し、「棟が隆んでいる」という。選ばれるのは必ず四爻であり、甲には望みがない。果たして占断どおりになった。","九四。棟が隆んでいる。吉。ほかに心を寄せるものがあれば、恥となる。","九四。棟が隆んでいる。吉。ほかに心を寄せるものがあれば、恥となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に曰く。棟が隆んでいることの吉は、下が撓まないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 三爻は「棟が撓む」といい、四爻は「棟が隆んでいる」といい、その義は相反する。四爻は下卦の上にあり、陽位に陰爻があるので、過ぎているが過ぎきってはいない。下は初爻と応じる。初爻は弱いとはいえ、寄りかかる所を得れば撓まない。暦の上では九四は午に当たり、その上は張宿である。南宮の候に「張は天府である」とあるため、棟の象がある。「隆」は『説文解字』では「豊かで大きい」、『玉篇』では「中央が高い」の意である。棟は重荷を負うので、屋内中央の大きな棟木がよく、また高いのがよい。高いものには必ず下の基礎が必要で、寄りかかる所があれば高くても危うくない。三爻が撓むのは下に頼る所がないからで、四爻が隆んでいるのは頼る所を得たからである。あらゆる事柄で、頼る所を得れば大難を救い、大功を成し、上は君主の委託に背かず、下は民の望みを裏切らない。この吉は明らかなので「棟が隆んでいる。吉」という。「ほかに心を寄せるものがあれば、恥となる」とは、四爻が別の志を抱き、初爻の本来の弱さを嫌ってその支えを用いなければ、三爻の撓みが四爻の撓みとなり、必ず恥を免れないということである。象伝の「下が撓まない」とは、棟が隆起すれば下は必ず撓まないことをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。行軍して陣営を置くには、高い丘や要地を選ぶべきである。下に支えがあれば陣の基礎は固まり、進退ともに可能で、敵に撓められない。ゆえに吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。おそらく材木商で、材木が大きく立派で大邸宅の用に足りる。他の商売なら、必ずしもよくないだろう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。爻に「棟が隆んでいる」とあるので、必ず大才で大任に堪える者であり、これが「棟隆」の兆しにかなう。小さな試みは得意ではなく、あえてしないこともある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。この家は棟や垂木が輝かしく、門も広大である。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。胸の中央に硬いしこりが盛り上がっているようだが、害はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】甲乙二社が同業で競争していた。ある日、甲社の社長が来て言った。「市内の販売路をめぐって、両社は共存しにくい情勢です。そこで一占をお願いします」。筮して大過から井を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。卦名の大過は剛の過ぎることであり、この地に二社を立てるのもまた分を越えている。四爻を得て、爻辞に「棟が隆んでいる。吉」とある。この卦の三・四爻はいずれも棟を象とし、二社が並び立つことにたとえられる。甲乙の争いは、まさにこの三・四爻にある。乙社は九三で陽位に陽爻があり、材力も資本も十分で、その応は上爻だが、上爻には頼る所がない。甲社は九四で陽位に陰爻があり、材力と資本はやや劣るが、その応は初爻で、初爻には頼る所がある。頼る所がある者は「隆ん」で、ない者は「撓む」。甲社が勝ち、「棟が隆んでいる。吉」というのである。果たして甲は栄え、乙は倒れた。","九五。枯れたヤナギが花を咲かせ、老婦が若い夫を得る。咎もなく、誉れもない。","九五。枯れたヤナギが花を咲かせ、老婦が若い夫を得る。咎もなく、誉れもない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に曰く。枯れたヤナギが花を咲かせても、どうして長く続こうか。老婦と若い夫とは、これもまた恥ずべきことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「枯れたヤナギ」の解釈は九二の下に見える。この爻は上六の陰に近く、陰の助けを得て花を咲かせるので、「枯れたヤナギが花を咲かせる」という。ヤナギの花には実がなく、風に漂ってやがて尽きるため、栄えるのも長くはない。九二は初六の助けを得て「芽を生じる」が、九五は下に助けがなく、ただ上六と近接するだけである。根を断たれたヤナギが雨露の潤いを得て一時花を咲かせても、長くはなく散り落ちる。「老婦」は上六を指し、陰が極まって衰えることにたとえる。「士夫」は九五を指し、内からの助けがないことにたとえる。「士」はまだ妻をめとっていない者、すなわち少年の称である。陰で上にあるので「老婦」と呼び、陽で下にあるので「士夫」と称する。これもまた大過の意である。九五は剛爻が剛位にあり、三つの陽爻はいずれも用いることができず、ただ上六と陰陽相近するので、夫婦とする。夫婦の順序からすれば「士夫が老婦を得る」というべきなのに、ここで「老婦が士夫を得る」というのは、その配偶の起こりをたどれば志は老婦から出て、老婦が先に唱えて士夫を求めたからである。恥ずべき体は特に老婦にある。これは聖人が人情を尽くし、世故を考察する妙でもある。象伝の「老婦と士夫もまた恥ずべきである」とは、恥が汚辱の意であり、深くこれを嫌う言葉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。行軍についてこれを得れば、軍中の主将と副将の配置が逆転し、任用も不適切になる。ひと時は勝っても、長くは保てない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。商人が外での情事に執着し、醜聞を広めることに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。奥向きに不正があり、塀のそばに茨があることに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。必ず晩年になって合格し、名を上げる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。必ず年齢が釣り合わず、配偶も正しくない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠を問う。女児が生まれるが、育たない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治17年、朝鮮で騒動が激しくなったため、日清関係を占った。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。今回、朝鮮が砲撃して争端を開いたことは、朝鮮だけでなく清国にも関わり、三国に関係する一大事である。朝鮮はすでに極めて弱く、枯れたヤナギのようなもので、一時花を咲かせてもすぐに散る。清国は朝鮮を属邦とみなし、朝鮮の政令はことごとく清国の命に従い、まるで少年が老婦に制せられているようである。わが国は朝鮮から辱めを受けたので、必ず兵端を大きく開く。清国もそれを知っているので、和議を望む。爻象を詳しく究めれば、日清がついに決裂することはないと分かる。その間の機密は爻象に現れているが、明らかに語ることはできない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治18年の夏、私は箱根に避暑し、某々の顕官たちと同じ旅館に泊まっていた。ある日、連れ立って山野を気ままに歩いていると、ある顕官が言った。「ここは閑静で人里離れている。よい場所を探して別荘を建てれば、喧噪を避け、老後を楽しむのに十分だ。実に楽しいではないか。あなたもその考えはないか」。それを聞いて私も喜んだが、考えると決心できず、一卦を占ったところ、大過から恒を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。五爻は陽位に陽爻があり、顕官は陽に属するので、まだ閑退することはできない。土地についていえば、箱根は東海道に属し、巽の木の位に当たる。爻に「枯れたヤナギが花を咲かせる」とあるので、箱根の繁盛も長くは続かないと分かる。また旅行者の往来は避暑の時期に多く、それを過ぎれば訪れる者は少ない。「老婦が士夫を得る」とは、箱根の地が昔から名勝として名を知られ、老婦がもともと艶名を持つのにたとえたもの。「士夫」は少年である。少年は名を聞いてもまだ景勝を訪れていないので、多く遊覧に来る。しかし結局は一度通り過ぎて去るだけで、「咎もなく」また「誉れもない」。しかも少年は風雅を解さず、かえって景勝を荒らすので、象伝に「これもまた恥ずべきこと」とある。そこで顕官の勧めを辞退した。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治31年、国民協会の気運を占い、筮して大過から恒を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。五爻は陽位に陽爻があり、過ぎてまた過ぎている。それなのに爻辞が「枯れたヤナギ」というのはなぜか。巽はもともと柔らかな木であり、ひとたび兌の沢に滅ぼされれば、ほとんど枯木となるからである。一時再び花を咲かせても、長くはなく揺れ落ちる。また陽は五に至って極まり、陽が極まれば衰え、陰に変わろうとするので「老婦」と称する。「士夫」は若い男子である。近年の社会では若者を多く用いることも、時勢のなせるところであり、「老婦が士夫を得る」という。結局、老大の者には力がなく、かえって若者の議論を得策とする。ああ、「これもまた恥ずべきこと」である。爻辞に「咎もなく誉れもない」とあるので、今年の協会の気運も栄誉も恥辱もないだけだと分かる。","上六。度を越して川を渡り、頭まで水に没する。凶。咎はない。","上六。度を越して川を渡り、頭まで水に没する。凶。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に曰く。度を越して渡ることの凶は、咎めることができない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「過ぎて渡り、頂を滅ぼす」とは、危険を冒して川を渡るが岸に達することができず、水が頭まで没することをいう。互卦の乾は首を表し、爻の例では上を頂とする。上六は兌の爻で、兌は水沢、位は酉にあり、その上は胃宿、附星は積水である。石氏は「積水星が明るく輝けば大水が出る」と言うので、「渡って頂まで没する」象がある。六爻は陰位に陰爻があり、才能も力量も弱い。しかしその志は時を救うことにある。患難を踏み危険を冒し、「過ぎて渡る」ことの凶が多いと知りながら、身を忘れて国を救い、振り返る暇もない。たとえ功を成せなくても、その志は深く尊ぶに足る。どうして咎があろうか。これは、勇士は死んでも溝壑を忘れず、志士は首を失うことを忘れないという意味であり、万世の綱常はまさにこのような人々によって保たれるのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。主将戦死の惨事がある恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。頭を梁に掛け錐で身を刺すような苦志があり、声名は遠くまで届き、志をついに成し遂げるだろう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。貨物を海外へ運ぶなら、何より慎重であるべきだ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。水気が上に突き上げ、頭や顔がむくむ恐れがあり、凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。大水が増水し、塀が倒れ家屋が崩れる災いに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】某県の人が友人某の書状を携えて来て言った。「今、新しい事業を創始しようとしていますが、深く心配しています。その成否を占ってください」。筮して大過から姤を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。六爻は兌卦の終わりにあり、時を救おうとする志はあるが、あまりに決然と決裂することを免れないので凶である。今、あなたが事業について占ってこの爻を得た。あなたの企てる事業は公益に関わるものだと分かるが、その内情には覆ることが多く、思いのまま直行すれば、思いがけない災いがある。なお時を待って動き、危険を踏んではならない。いたずらに自ら苦しむだけである。くれぐれも戒める。後にこの人はこの占いを用いず、ついに失敗した。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治28年、わが国とフランスとの外交を占い、筮して大過から姤を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。上爻は外卦の極にある。これは外交が平定した後、また別の波が起こるということではないか。爻辞に「度を越して渡り、頂まで没する。凶」とある。わが国は海を越えて遠征し、清国が敗れ、わが軍は凱旋した。爻象から観れば、あるいは他国がわが国を剛強に過ぎると見て、出てその事に干渉する者があろうとも考えられるが、その時にはまだ知る由もない。果たしてロシア・フランス・ドイツ三国の同盟が清国との和約に干渉し、遼東を直ちに返還するようわが国に迫った。わが政府はこの卦の意に適う処置を取り、事は無事に収まった。",null,"周易、易経、高島易断、第28卦、沢風大過、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936348]