[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-35":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-35",false,"2026-08-11T01:18:25.272Z","2026-07-04T14:35:15.000Z","火地晋。晋は、康侯が多くの馬を賜り、一日に三度まみえる。","高島易断 第35卦 火地晋_卦辞原文と卦の解釈_東方玄学庫","高島易断第35卦・火地晋の解釈：卦辞「晋。康侯用いて馬を錫うこと蕃庶、昼日に三たび接す」、付記された断辞と実占例の詳解。","&#19938;",35,"35　火地晋 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 卦体は上が離、下が坤である。坤は地、離は火を表す。坤の『彖伝』に「地を行くこと疆りなし」とあり、行くとは進むことである。離の性は火が上へ燃え上がることで、炎が上るのもまた進む象である。さらに、よく進むものは牛馬に勝るものがない。坤は馬、離は牛を表し、いずれも遠く行けるので、進み往く象となる。火は明、地は順である。明なら遠くを照らせ、順なら物を推し進めることができ、進長の意味もある。『晋』は進むことである。晋の古文字は「臸」と「日」から成り、「臸」は正字通で「刃切」、音は「進」、前へ行くこと、上昇することを意味する。『序卦伝』に「物は終わりまで壮であることはできない、ゆえにこれを受けるに晋をもってする」とある。これが晋が大壮を継ぐ理由である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 晋［11］。康侯は多くの馬を賜り、一日に三度まみえる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　金文の「晋」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 卦象は上が明らかで下が順である。離の明は太陽なので君主を象徴し、坤の順は臣下なので臣を象徴する。合わせて、君主が明察で臣が賢良である象となる。坤は国・邦を表すので「侯」という。坤は康、すなわち安泰を表す。坤は馬なので「馬」、衆を表すので「蕃庶」といい、離は太陽なので「昼」という。爻辞の「康侯」は明哲な臣をいう。賢明な臣が昇進すれば天子はこれを称え、多くの車馬を賜る。これは車馬が多いことをいう。「昼日三接」は賜与が多いだけでなく、面会も頻繁で、一日のうちに三度接見するという意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『彖伝』にいう。「晋とは進むことである。明るさが地上に現れ、順にして大いなる明に付き従う。柔が進んで上へ行くので、康侯が多くの馬を賜り、一日に三度接見されるに足りる」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦は離が太陽、坤が大地で、「日が地上に昇る」象を取る。太陽が地から現れて上へ進み、光が天に昇って地を照らすのである。順で柔らかなものは坤、付き従い明るいものは離である。「大明」は明君、「上行」は臣が上へ昇進することをいう。その時、天子の大いなる明徳が上にあり、諸侯が下で恭順し、明君と賢臣が助け合い、君臣が一つの徳を共有する。天子は功績を褒め、車馬を豊かに賜り、一日に三度会見する。賜り物は非常に厚く、接見も大いに優しく、労をねぎらう問いかけを幾度も行う。『大行人』という官職の記録には、「三公には三度の饗宴、三度の問い、三度の労い。諸侯には三度の饗宴、二度の問い、二度の労い。子爵・男爵には三度の饗宴、一度の問い、一度の労い」とある。これが天子が諸侯を三度接見する礼である。「馬を賜る」とは、礼の場で先頭に一頭の馬を立て、その後に九頭の馬を従わせることをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめると、国では君臣、家では父子に当たる。離を下、巽を上にすると家人となり、家人は「家には厳君がある」という。坤は母を表し、また民を表すので、母子の象でもある。父は上にあって明察し、正しい教えを示すが、溺愛はしない。子は下にあって従順で、孝敬があり、反抗しない。これによって家を整えれば、上は明らかで下は順い、一家は和睦する。食器には甘く豊かな供え物が盛られ、家門には喜びと幸いが訪れる。親の意を先んじて察し、その志を受け継ぐのは順の極みであり、和やかな気配と柔らかな態度は柔の正しい姿である。「大明に麗く」とは、先人の志を継いで大いなる孝を成すこと。「進んで上行する」とは、親に仕えて喜びを奉ずることである。国でいう「康侯」は、家でいう孝子賢孫に当たる。「馬を蕃庶に賜る」とは、国から恩賞を賜ることで、家に慶事と褒賞があるのと同じである。「昼日三接」は、三度の饗宴、三度の問い、三度の労いという接見の礼をいい、世子についていう「朝には安否を問い、昼には食事を見、夜には寝所を見守る」ということに当たる。『大学』が修身・斉家を説く際、まず「明徳を明らかにする」と称する。離の明徳があってこそ、進んで身を修め、進んで家を整え、進んで国を治め天下を平らかにすることができる。この道によるのである。これが晋卦が「明が地上に出る」ことを象とする理由である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめると、上卦は政府であり、火の性を得て、国運の文明を開くことができる。下卦は人民であり、地の性を得て、柔順にして上進することができる。上はその明徳によって下を照らし、下はその順によって上に従う。象伝に「明、地上に出ず」とあるのは、太陽が初めて昇り、次第に進み、次第に高くなることをいう。これは明君が賢臣を抜擢して高位に進めることのたとえである。順は必ず明に麗いてこそ功をなし、柔は必ず明に進んでこそ正を得る。そうでなければ、順はへつらいとなって、かえってその明を覆い、柔は暗を生じて、行うことができなくなる。ゆえに彖伝は「順にして大明に麗き、柔、進みて上行す」という。これが晋を進むと説く理由である。「馬を賜い、衆多を藩す」とは、これを賞賜に用いるということである。『采菽』の詩に「君子来朝す、何をかこれに賜う。予うるものなくとも、路車・乗馬」とあるのがそれである。「昼日に三たび接す」とは、観礼を行うのが一、三たび饗し三たび命を致し、西階を下りて拝するのが二、右肩を肌脱ぎにして廟門に入り、屏の南に出て、のち門の左から入り、王がこれを労い、再拝するのが三である。これは、君主が明らかで、股肱の臣が良いという姿である。遠方の臣が来朝すれば、天子は燕享し、物は美しく礼は盛んで、賜与は厚く、接見は頻繁で、その典礼はまことに重い。六爻を通覧すると、初爻は進み始めなので「摧如」の象がある。二爻の「愁如」もまた、初爻の「摧如」を恐れて生じる。三爻では、もはや挫かれも憂えもせず、「衆允」、すなわち衆人の信服を得る。これは内卦で、坤の柔順を得て進むのである。四爻は位に当たらないため、「鼫鼠」の戒めがある。五爻は卦主なので、「往けば慶びあり」となる。上爻は離の極にあり、離は戈兵を表すので「邑を伐つ」という。これは外卦で、離の麗しさと明るさを得ている。象伝の「君子以て自ら明徳を昭らかにす」とは、離卦にいう「明両たび作る、離」の「大人」を指す。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 卦全体を通覧すると、卦体は大壮から来ている。上卦は震の下画を変えて坤となり、下卦は乾の中画を変えて離となる。晋とは進むことであり、壮んなればこれを行う。ゆえに「進みて上行す」という。象伝の「明、地上に出ず」は、「明」が離、「地」が坤、「出ず」がいわゆる「上行」を意味する。太陽の光は天にあり、その照らす働きは地に及ぶ。太陽は明るさによって上行する。明がなければ、行くことが見えないだけでなく、それを太陽と知ることもできない。六爻はいずれも晋を語るが、それぞれ先後に応じて象を立てている。初爻は進歩の始まりで、人はまだ自分を信じないかもしれないから、寛裕に処すべきである。二爻は初爻から進む。心に愁いを抱いていても、すでに吉が現れ、福を受ける。三爻はさらに進み、信じなかった者が忽ち信じ、衆心が納得して従う。何の悔いがあろうか。内側の三爻は坤の順を得るので、皆吉である。四爻は外卦の始めで、震を出て離に入る。進むか退くか定まらず、鼠のように一進一退する象があるので、正を守っても危うい。五爻は卦主であり、柔が進んで上行するので、「往けば吉、利あらざるなし」となる。上爻は晋の極みにあり、「角」は大壮の牡羊の角である。進んで順でなければ、必ず恥に至る。外側の三爻は離の位にあり、高くて進みにくいので、危うさが多い。離と組み合わさる十六卦のうち、象が最も美しいものは晋と大有である。大有は「明、天上にあり」、その明は最も盛んである。晋は「明、地上に出ず」、その明はまさに新しく生じたところである。明が新たに生じた時は、その進み方に柔が貴い。六爻のうち四爻と上爻が「厲」と言う。四爻は道を誤って進み、上爻は窮してなお進むので、晋の角の危うさがある。いずれも柔らかく進む道を失っている。聖人は微妙なものを顕し、幽かなものを明らかにして、憂患から易を作った。ゆえに晋の明るい世にあっても、なお「正しければ危うい」「正しければ恥あり」と戒める。初・二・三・五爻の吉は、まさにその進みを励ますためである。自らその徳を明らかにし、それによって天下の徳を明らかにする――その趣旨はここにあるのではないか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大象伝にいう。明、地上に出ず。晋なり。君子はこれによって、自らの明徳を明らかにする。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 太陽が西に沈むのを夕といい、東から出るのを旦という。太陽が初めて出る時は、次第に進み、次第に高くなり、高くなるほどますます明るくなって、光はあまねく照らし、幽かな隠れた所まで照らし尽くす。これが晋の象である。君子はこの象にのっとり、自分の徳を明らかにする。徳とは心の徳であり、生まれながらに備わり、もともと霊妙な明知を具え、少しの私欲もない。しかしそれが覆い隠されると、地から出たばかりの太陽のように、青々と涼しく、明るい光を照らし出しながら、本来は雲一つないのである。「自ら明徳を昭らかにす」とは、昭らかにすることが明であるという意味であり、明徳であってもなお明らかにすることを待つのである。このことは他人から借りたり任せたりできず、ただ自らこれを知り、自ら明らかにすることにある。君子はこれを自分に厳しく求め、格物致知によって自ら明らかにする端緒を開き、誠意正心によって自ら明らかにする実を完成する。これを「君子は自ら明徳を昭らかにす」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。ちょうど新しい幸運が訪れたところで、朝日の初めて昇るように、次第に高くなり、明るい光があまねく照らす。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦征を問う。大軍が出発したばかりで、正しい道に従って進む。昼に戦うのがよく、夜襲はよくない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。石炭や地中の火など、明を取る生業に最もよい。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。功名が日に日に高まり、昇進する象がある。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。退いて自らを訴え、自分を反省するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。この家は東南向きで、高く広々として明るく、太陽の吉祥の光に照らされる。大吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。明堂の中を探せば、見つかる。","初六。進むも摧かれるようであり、進むも妨げられるようである。正しきを守れば吉。信を得られなくても、ゆとりをもてば咎なし。","初六。進むも摧かれるようであり、進むも妨げられるようである。正しきを守れば吉。信を得られなくても、ゆとりをもてば咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「進むも摧かれるようである」とは、ひとり正しい道を行うことである。「ゆとりをもてば咎なし」とは、まだ命を受けていないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 初爻は下卦の始めに居る。柔が進んで上行するので、初めに「晋如」といい、進もうとしてまだ果たせないようである。次に「摧如」といい、押し戻されて妨げられるようである。初爻は四爻と応じるが、四爻は位に当たらない。応じないだけでなく、初爻の進みを妨げるのは実に四爻である。しかし妨げられても、正を得ているので吉である。「罔孚」とは、妨げの由来を推し量ると、四爻がそうするとはいえ、上下の交わりがまだ信を得ていないことにもよる。「裕」は坤の徳であるから「裕」という。まだ信が得られない時、焦って出世を求めても、憤りを抱いても、いずれも咎を招く。ゆったりと寛大に構え、道を楽しんで自らを安んじれば、咎などあろうか。ゆえに「裕なれば咎なし」という。象伝の「独り正を行う」とは、妨げる者は正しくなく、晋む者だけが独りその正を行うことをいう。「咎なし、いまだ命を受けざるなり」とは、まだ賜命を受けていないので、ただ寛裕にして待つべきだという意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。目下、幸運が初めて訪れたところで、災いも咎もないが、まだ盛んではない。ゆっくり待つのがよい。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦征を問う。初めて軍を進める時で、衆心がまだ定まらない。寛大にして待つのがよい。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。商品が着いたばかりで、商況はまだ整っていない。時日をゆったり構えるべきで、早ければ四日、遅ければ四か月。四爻の「衆允」に至れば、商品は盛んに売れ、大いに利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。功名はもともと自分に備わっており、分からないのは早いか遅いかだけである。心を広くして待つがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。この家はもともと吉だが、今はまだ入居できない。双方の気持ちが一致していないためで、遅れれば必ず成る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。探り聞きがまだ確かでないため、遅らせれば成る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。後日見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う。ゆったりと養生すれば、治る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある県の人が来て、志願が成るかどうかを占ってほしいと請い、晋が噬嗑に変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。晋とは進むことである。晋が初爻に当たるのは、進歩の初めである。「摧如」とは、進もうとして挫かれるものがあることをいう。進む者が正しくても、人が自分を信じないのである。今あなたが志願の成否を占って初爻を得たことから、あなたの品行は正しく、才能も用いる価値があると知れる。ただ一時、世間の心がまだあなたを信じていないため、進もうとしても妨げられる。初爻は四爻と応じるが、四爻は初爻に応じず、かえって初爻を妨げに来る。あなたが事を託して計画を頼んだ人は、あなたを助けられず、反対に中傷して害を及ぼすであろう。ゆえに今すぐ願いが遂げられるとは望みにくい。四爻の「衆允」と言う時まで待てば、志願は遂げられる。一爻を一月とすれば、およそ四月以後に大吉となる。この人は以前、建議書を携えてある高官に面会を願ったが、本人に直接届けることができず、かえって警察部から辱めを受けた。この占を得て、大いに悟るところがあった。","六二。進むも愁えるようである。正しきを守れば吉。この大いなる福を、王母から受ける。","六二。進むも愁えるようである。正しきを守れば吉。この大いなる福を、王母から受ける。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「この大いなる福を受ける」とは、中正を守るからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「愁如」は不快の意で、「摧如」とは異なる。愁いは自分の内にあり、摧かれるのは人に妨げられるからである。しかし二爻が愁えるのは、実に初爻が妨げられたことから来ている。中に居て正を踏むので、「貞吉」である。「介福」は大きな福をいう。「王母」は、二爻と五爻が応じ、五爻が王位に当たり、坤は陰で妣を表すので「王母」という。王母とは太后のことである。二爻は坤に属し、坤は乾に通じ、乾は「介福」である。井の三爻に「王明らかにして福を受く」、既済の五爻に「実にその福を受く」とある。井の三爻と既済の五爻はいずれも乾の体を得ているので、その福は皆乾から受けるのである。二爻はまた互卦に艮をもち、艮は手を表す。手が福を持って二爻に与え、二爻がこれを受けるので、「この大いなる福を受く」という。九家易は「介福とは馬および衆多の物をいう」と述べる。象伝の「中正をもってす」とは、この中正を守り、応じる相手がいないからといって志を変えないので、ついにこの大福を受けるという意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。今の運は悪くないが、求めることの多くが妨げられ、心中に憂いが結ばれる。正を守って変わらなければ、最後には必ず通達し、大いに利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦征を問う。前回の攻撃はすでに挫かれ、今また進むので、深い愁いと恐れを抱く。しかし事に臨んで恐れ慎めば、後には必ず吉を得る。六二と六五は応じる。六五の辰は卯にあり、その上には氐・房・心・尾が並ぶ。氐の前の二大星は后妃を司るので、王母の象を取る。これに祈れば福がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。前回仕入れた商品はすでに損耗し、今回は愁いを抱かざるを得ないので、「晋むも愁うるようである」という。ただ中正を守り続ければ、五爻に至って「失得を恤うるなかれ、往けば吉、利あらざるなし」となる。愁うる必要はなく、自然に福を得るよう勧めているのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。今は愁いがあるが、五爻に「往けば慶びあり」とある。およそ二年後には吉を得られる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。吉。ただし今すぐにはまとまらず、三年目を待てば成る。祖母が仲立ちして決めることになるだろう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。転居して祖母と同居し、共に食することになる。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。長くたてば見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治五年、私は陸軍大佐福原実氏に従って讃州へ赴き、兵営築造の計画に当たった。その時、汽船の中で福原氏が言った。「今のわが国の形勢は、前途まだ予測できない。試みに一占していただきたい」。筮して晋が未済に変じた卦を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。晋とは進むことである。進みたいと思いながら妨げられることを憂えるのは、進もうとしてまだ進めないことである。ゆえに爻辞は「進むも愁えるようである」という。六二は陰をもって陰位に居るが、中正を得ている。初爻と比し、初爻が妨げられたため、憂いもいっそう切実である。まさに事に臨んで恐れを知るというべきで、そのため「貞吉」を得る。今、わが国の時勢を占ってこの爻を得たことから考えると、わが国は維新以来、力を尽くして進取を図り、文明を開こうとしてきた。初めは国内では旧藩士の意見の不一致に阻まれ、国外では西洋諸国の風俗・教えの違いに悩まされ、下からは改革の不便にかき乱された。そこで進もうとしても、たちまちには進めなかった。今は二爻に当たる。二爻は五爻と応じ、五爻は尊位に属する。国政を担う大臣たちが、わが皇上の深い信任を受けていることが分かる。上下が心を一つにし、困難を恐れて退こうとは決してしない。ただ進歩は困難で、日ごとに憂慮が切実になる。これこそ爻辞のいう「晋むも愁うるようである」である。当時、三条公以下の諸大臣は正を守って国を謀り、皇上に知られただけでなく、太后からも信頼された。これが爻辞のいう「この大いなる福を王母から受ける」である。前後の爻辞から詳しく推し量れば、初爻は過去の事、二爻は今日の事に当たる。二爻と五爻が応じるのは、彖が称する「康侯」である。三爻は初爻の「罔孚」であったものが、今や衆人の信となり、悔いなく上行できる。四爻は、讒言する邪な者が位にいる恐れを示す。鼠のように昼は伏し夜に動き、進退が狡猾で、政権を盗み弄ぼうとするので、戒めなければならない。五爻は君位に当たり、上に明君がいて、諸臣に熱心に進めと勧める。「失得を恤うるなかれ、往けば吉、利あらざるなし」は二爻の「愁如」を指し、得失を憂うる必要はなく、進めば「利あらざるなし」と言うのである。「慶あり」とは福を受けることである。上爻は離の極みに居る。離の上爻に「王、用いて出征す」とあるので、五爻も「邑を伐つ」といい、再び我が進みを妨げるものがあれば、王師をもって討ち、二度と妨げさせないという意味である。爻は一つが一年に当たることもあれば十年に当たることもあり、定数によって求めることができる。総じて晋は進むことであり、大壮に続いて来る。柔順に上行するのがよく、剛健に焦って進むのはよくない。下には坤の順を取り、上には離の明を取らねばならない。君子が自ら明徳を昭らかにするとは、すべてこの道である。武功にはまず文徳がなければならず、上爻の「邑を伐つ」も、やむを得ず用いるものに違いない。わが国では、明君と良臣が交わり、文武をともに修め、国は富み兵は強く、日に日に進み盛んになっている。まさに万年にわたる有道の繁栄であり、なんとめでたいことではないか。福原氏はこれを聞いて大いに心服した。","六三。衆、允す。悔い亡ぶ。","六三。衆、允す。悔い亡ぶ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』は言う。「衆人が信任するのは、その志が上へ進むからである。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 第三爻は内卦の上にあり、第四爻と比している。前方には剛強な障害が立ちはだかるので、本来なら悔いがあるはずである。「允」は信頼されるという意味である。六三の辰は亥に当たり、乾を得る。乾は信を表す。三爻は初爻・二爻に近く、また初・二と心を同じくして力を合わせる。三つを合わせれば三となり、三人は衆である。そこで「衆允」という。外卦は離で、明の意を取る。いわゆる「明らかにして、よく信ぜられる」ということである。衆人が信頼すれば、四爻はこれをくじくことができないので、「悔い亡ぶ」という。古今、国事を謀る者は、結局のところ、衆心の向背を成敗の決め手としてきた。衆心が従わなければ、たとえその事が正しくても、ついには成功しない。孟子のいう「助ける者が多くなれば、天下がこれに従う」とは、「衆允」の意味である。初爻の「孚なし」は、まだ信頼されていないこと、三爻の「衆允」は、信頼されたことを示す。孔子が「信じられてから諫める」「信じられてから民を働かせる」と言ったように、上に仕え下を使う道はここにある。『象伝』が「衆人が信任するのは、その志が上へ進むからである」と言うのは、三爻が上爻に応じ、志が上へ進むので、衆人とともに信を得られるからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。目下、災いと悔いはすでに去り、大衆は喜んで従っているので吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。初めは衆人に妨げられて利益を得られなかったが、今は人心が和睦して咎なく、売買ともに利がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。衆人の志が城壁となるので、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず落とし、上へ進んでも悔いはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。大勢の人に推挙されて、初めて成就する。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。家族・親族が和睦する主で、吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。両家が調和し、吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。第三者が出て調停し、双方が承服するので悔いはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】九州の商人某が来て、ある大会社の品物を買い入れることが成るかどうか、その成り行きを占ってほしいと請い、筮して晋から旅を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。卦体は下が順、上が明であり、明白で欺きなく、柔順によって衆人を得ることが肝要だと明らかに示している。今、品物の売買を占って晋の三爻を得た。初爻では、すでに売買しようとしたところ人に妨げられて成らず、二爻では再び売ろうとしたが、心配が多くて決められなかったことが分かる。いま三爻に当たり、衆心がすでに和らぎ一致している。四爻は貪欲な者で、途中から利益を取ろうとしているが、大勢がすでに承知しているので、もはや妨げることはできない。買い入れてよく、悔いはない。","九四。晋すること鼫鼠のごとし。貞なれども厲し。","九四。晋すること鼫鼠のごとし。貞なれども厲し。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』は言う。「鼫鼠のように貞であっても厲しい」とは、その位が当を得ていないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 第四爻は陽爻でありながら陰位に居て、中正を得ず、上下四本の陰爻の中にある。上互卦は坎、下互卦は艮で、坎は隠伏、艮は鼠を表す。坎は隠れて明を損ない、艮は止まって順を損なう。徳がないのにその位に居て、上には陰柔の君主を補佐しながら、ひそかに威権を弄し、下では衆陰を抑え、忠言を上に届かせず、上下を隔絶する者である。その貪欲で暴虐な性質は鼫鼠のようなので、「鼫鼠のように晋す」という。古来、奸臣が位を得ると、貪り残忍で、昼は伏し夜に動き、あらゆる手段で姿を隠し、威を盗んで権力を弄ぶ。その狡猾さは鼫鼠に似ている。ひとたび明徳が表に現れ、奸邪を見抜けば、まるで大きな鼠が猫に出会ったように、捕らえられ滅ぼされないものはない。だから「貞なれども厲し」という。『象伝』の「位が当を得ていない」とは、この者がこの位に居るべきでなく、位を盗んでいるという意味である。按ずるに、解では陰が陽位に居るのを狐に象り、晋では陽が陰位に居るのを鼠に象る。この卦の互体は艮で、上に一陽があるので鼫鼠と称する。狐は疑い深いので解ではその疑いを除くべきであり、鼠は貪欲なので晋ではその貪りを除くべきである。取る象はそれぞれの事情にかなっている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。運勢には妙なところがある。明朗正大に処すべきで、狐疑して二つの道に迷い、狡猾を好めば必ず凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。『晋』の『彖伝』に「昼日に三たび接す」とある。「接」は「捷」、すなわち一日のうちに三度勝つことだという説もある。疑い深く貪欲で、鼠のように昼は伏し夜に動くなら危険である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。爻辞に「鼫鼠」とある。鼫鼠とは五つの技がすべて劣る者であり、志を遂げることは到底できない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。鼠は貪欲で、貪れば敗れないことはない。同業者の金銭欲によって失敗しないよう注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。鼠は穴に住む害虫で盗みがうまい。家に鼠が多ければ、必ず消耗と紛失を主る。不利。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。『詩経』に「鼠を思えば血を泣く」とあり、吐血の症状かもしれない。また「鼠は痒みに悩む」ともいうので、疥癬の病があるのかもしれず、これも危うい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。首鼠両端とは、一方では退き一方では進み、しばらく決着しないことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 行人を問う。昼は伏し夜に行くので、必ず事故があり、しばらく帰らない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 紛失物を問う。すでに鼠の穴に入っており、見つからない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。「鼠」は鼠盗を意味し、婚姻は正しくない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある商人が来て、家政を占ってほしいと請い、筮して晋から剝を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。卦体は順にして麗しく大いに明らかであり、柔が進んで上へ行く。家を主宰する者が上にあって公明であり、一家は柔順で和やかに楽しく、家業が日に日に進む象が十分に見える。今、四爻を得た。陽が陰位に居て、位が正しくない。鼠は穴に住む虫で、昼は伏し夜に動き、貪欲で人を恐れる陰物である。四爻はこれに似ているので、爻辞に「鼫鼠のように晋す」とある。察するに、あなたの家には鼠盗の徒がいて家務を取り仕切っているに違いない。『詩経』が「大きな鼠よ、大きな鼠よ」と詠うように、まず苗を食い、次に穀物を食う。家産を盗み、その害は浅くない。だから「貞なれども厲し」といい、家道が正しくても危ういというのである。よく調べ、慎まれたい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】子爵五条為栄君が、東京へ転居しようとして、その吉凶を占ってほしいと来訪し、筮して晋から剝を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦は内が坤、外が離で、晋である。『象』は「明、地上に出ず」と言う。東から出るものは明であり、日は西に入れば晦い。卦徳は明にあるので、東がよく西はよくない。今、君は西京へ移り住み、爵位を辞して隠退しようとしている。占って晋の四爻を得た。晋は進むことであり、退くことには適さない。日は東から出るので、西へ向かうのはよくない。象はいずれも符合しない。四爻の辞に「晋すること鼯鼠のごとし、貞なれども厲し」とある。これは二つの端の間で迷い、進んだり退いたりすることで、君が進退を疑い、移りたいと思いながら決めかねている姿にまさに似ている。「貞なれども厲し」とは、隠退の志が正しくないわけではないが、その後に危険がある恐れをいう。君は移転しない方がよい。","六五。悔い亡ぶ。失得を恤うことなく、往けば吉、利あらざるなし。","六五。悔い亡ぶ。失得を恤うことなく、往けば吉、利あらざるなし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』は言う。「失得を恤うことなく」とは、進めば慶びがあるということである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 五爻は晋の主であり、高く尊位に居て、柔で中を得ている。ただ四爻と近く親しみすぎたため、四爻がついに威権を盗み弄し、二・三爻を隔てて近づけなかったので、悔いがある。しかし五爻自身は明徳を備え、知恵もあって奸を見抜ける。六四を退けて六二を任用し、明らかで融和した政治を行い、上下が互いに信じ合うので、「悔い亡ぶ」という。「失得を恤うことなく」とは、五爻が自分の明知を頼みとせず、六二に任用を委ね、疑わず信任し、是非を計って得失を計らないことをいう。小さな損得があっても、喜ぶほどのことではない。「往く」とは「上へ進む」ことで、康侯が天子に朝見することを指す。「吉、利あらざるなし」は、王母から大きな福を受けることを指す。だから『象伝』は「往けば慶びがある」と言う。慶びとは、すなわち「この大きな福を受ける」ことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。目下まさに盛運に当たり、災いが去って福が来て、得るばかりで失うものがない。大吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。この一戦で敗を勝に転じる。勇を奮って進めば、すぐ成功が見える。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。これまでは小損があったが、今は大きく得られる。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。名を汲々と求める必要はなく、思いがけず得られる。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。日は東から出て、離は南方の位であるから、この家は必ず東南向きである。以前は少し災いや悔いがあったが、今は家運が転じ、吉で不利はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。九五を男家、六二を女家とすれば、両爻とも吉で、大いに利がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。「悔い亡ぶ」とは、災いがすでに去ったこと。訴えをやめれば吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 紛失物を問う。探しに行けば必ず見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】華族某が来て、気運を占ってほしいと請い、筮して晋から否を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。晋の五爻は一卦の主で、高明が上にある。また坤は邦・国を表し、一国を屏のように守る象がある。閣下が気運を占ってこの爻を得た。爻辞に「悔い亡ぶ、失得を恤うことなし」とある。思うに、藩が廃止されて以来、以前は多少の災いや悔いがあったとしても、今は柔順に上進し、観光して志を正しく保ち、失得を憂えないのである。だから「悔い亡ぶ」という。「往く」とは朝廷へ参内すること。上下が互いに信じ合うので、どこへ行っても利がないことはない。聞けば閣下は、毎年の財産の余利を用いて旧藩士の子弟を教育し、国家のために人材を育てようとしている。財産の得失をもはや気にかけないとは、『彖伝』のいう康侯がまさに閣下である。他日、恩賞が下され、車馬や藩の民が旅に備えて待つことになるだろう。『象伝』のいう「往けば慶びがある」とはこのことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治三十一年、内閣の気運を占い、筮して晋から否を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦は明が地上に出て、順にして大明に麗う。国家の治体が次第に上進する気運である。今、五爻を得た。五は君位に居て、明らかで融和し、上下が互いに信じ合う。君主は明らかで臣は良く、まさにこの時である。ただ、その間の昇降には多少の騒ぎがないわけではない。内閣の諸公は皆、正色して朝廷に立ち、忠を守って事に当たり、労苦や辱めを問題にしない。これを「悔い亡ぶ、失得を恤うことなく、往けば吉、利あらざるなし」という。果たしてそうであった。この年、伊藤侯が総理の爵を辞し、大隈・板垣の二伯が内閣に入り、五月には山県侯が総理となった。この間、騒ぎがなかったわけではないが、国家はいよいよ進歩を示し、まさにこの占いに合致した。","上九。晋することその角にあり。ただ用いて邑を伐つ。厲けれども吉。咎なし。貞なれども吝。","上九。晋することその角にあり。ただ用いて邑を伐つ。厲けれども吉。咎なし。貞なれども吝。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』は言う。「ただ用いて邑を伐つ」とは、道がまだ光り輝いていないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「角」とは陽が上にあることで、威猛の意味にたとえる。上爻は晋の極みにあり、剛に過ぎて中を失っている。だから「晋することその角にあり」といい、進むことだけを知って退くことを知らないという意味である。離は甲冑・軍事を表し、離の上爻には「王用いて征を出す」とある。上爻は離の体なので、ここでも「ただ用いて邑を伐つ」という。「用いる」のは五爻、邑は四爻を指し、命を奉じてこれを討つ者が上爻である。四爻には罪があるので、罪を明らかにして討伐するのは正しい。兵を用いるのは危険な事だが、吉で咎はない。しかし、文徳によって頑なな者を帰服させ、玉帛によって争いを収めることもできるのに、文徳を用いず武功に頼るのは、聖明にとっても負担である。だから正しくてもなお吝であり、『伝』は「道いまだ光らず」と言う。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。目下の好運は終わりに近い。事故に注意せよ。ただし大害はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。国内の近い場所への出征だけがよく、海外への遠征は不可。危ういが、最後は吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。同業者との争いに注意せよ。事には危険があり、商品には利があるが、心情としては吝である。幸い咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う。「晋」は進むこと。角は首の上にあるので、首席・第一選抜の象がある。功名を成した後、軍務に就くことを注意せよ。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。居住者は郷党の中で争い事があり、安らかでないことは免れない。ただし大きな咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。上爻は三爻と応じ、上と三は男女両家を表す。初めは騒がしいが、最後には和睦する。だから「悔い亡ぶ」といい、三爻と同じである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。『雀角』の詩は訴訟を刺すものである。訴えをやめれば吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人某が来て言った。「今、ある会社があり、創立以来ずっと私が気にかけている。昨年の総会で社員を整理したが、その後も事務は整わず、株主の間に紛争がある。これは会社の勢いが振るわないためか、それとも社員の力が足りないためか。一度、その盛衰を占ってほしい。」筮して晋から豫を得た。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。晋は明が地上に出ることで、会社の運勢が日に日に進み、新しくなる象である。今、上爻を得た。晋の極みに当たり、これ以上進むことはできない。物事は極まれば必ず反転する。あるいは、もう一度大改革を行う意図があるのだろうか。「邑を伐つ」とは、正しくないものを正すことである。以前の社員のうち、練達した者を用いて会社の規則を定めれば、どうにか吉を得られるだろう。事態は危ういが、最後には咎がない。これより会社の事業は再び盛んになり、正道を失わない。しかし見識ある者から見れば、ひそかに笑われることは免れない。だから「貞なれども吝」という。",null,"周易、易経、高島易断、第35卦、火地晋、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936394]