[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-42":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-42",false,"2026-08-11T01:18:26.667Z","2026-07-04T14:35:16.000Z","風雷益。益は、行くところあるに利あり。大川を渡るに利あり。","高島易断 第42卦 風雷益――卦辞原文と解釈――東方玄学庫","高島易断第42卦 風雷益の解釈：卦辞は「益は、行くところがあれば利があり、大川を渡るのに利がある」。付記された断辞と実占例を詳しく解説する。","&#19945;",42,"益は、行くところあるに利あり。大川を渡るに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 42　風雷益 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 卦体は上が巽、下が震である。巽は風、震は雷。風は天から来て、雷は地から出る。そこで、損では乾の下画の陽を巽とし、益では坤の下画の陰を震とする。益は陰を益し、損は陽を損する。陽は実であり、乾は純陽で実の極みなので、これを損することができる。陰は虚であり、坤は純陰で虚の極みなので、これを益すという。また、風の勢いが激しすぎれば万物を打ち壊してしまうため、これを損して気を和らげる。雷の威力が振るわなければ万物を鼓舞できないため、これを益して気を伸びやかにする。ゆえに上を損して下を益すものを、風雷益と名づける。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 益［31］。行くところあるに利あり。大川を渡るに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲ 「益」の甲骨文字 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲ 「益」の篆書 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「益」という字は、上部が「興」から成り、横にすると水に従う。坎は水であり、また大川でもある。下部は皿に従う。『釈文』には「益は増長を名とし、宏裕を義とする」とある。増長と宏裕は、いずれも利益が普遍的であることをいう。震は行動、巽は利を表すので、「行くところあるに利あり」という。卦が「大川を渡るに利あり」と述べる場合、乾を取るもの、坤を取るもの、巽を取るものがあり、卦に応じて象を取る。益の上卦は巽である。巽の下部が変じれば乾となり、巽の上部が変じれば坎となるので、乾と坎の気を得る。巽は風であり、風は最も速く進み、波濤にも妨げられない。ゆえに「行くところあるに利あり」といい、さらに「大川を渡るに利あり」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 彖伝に曰く。益とは、上を損して下を益し、民の悦びに限りがないことである。上から下へ施せば、その道は大いに光り輝く。行くところあるに利ありとは、中正であれば慶びがあること。大川を渡るに利ありとは、木の道がそこで行われることである。益は動いて巽順であり、日々限りなく進む。天が施し、地が生み、その益には方角の限りがない。およそ益の道は、時とともに行われる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 《益》と《損》は相対する。《損》は減らすことであり、損では益が上に帰し、損が下に帰するので、民を削って君主に奉ずる象を免れない。《益》は増すことであり、益では益が下に帰し、損が上に帰する。これは孔子のいう、民を富ませ、教えを加える意である。「民悦ぶ」とは、損の下卦である兌から来る。兌は悦びを表し、民はその益を受ければ必ず恩を感じるので悦ぶ。下の互卦は坤で、坤の道には限りがなく、坤はまた民を表す。ゆえに「民の悦びに限りがない」という。「下を損して上を益す」のを「上へ行う」といい、「上を損して下を益す」ので「上から下へ施す」という。「道」とは乾の道である。乾の陽を損して坤の陰を益すと、坤はその益によってかえって乾の大いなる働きを成し、乾の光を明らかにする。ゆえに「その道は大いに光り輝く」という。旁通は恒であり、恒の彖にも「行くところあるに利あり」とある。恒の「行くところ」は恒久であることに利があり、益の「行くところ」は中正であることに利がある。正しく、しかも中であるから「慶びがある」。 「大川を渡るに利あり」といい、木をいう卦は三つ、益・渙・中孚であり、皆、巽の木を取る。益では震と巽がともに木で、卦はもともと外に剛爻三つ、内に柔爻四つを備え、「木をくり抜いて舟を作る」象がある。風に乗って北海へ勢いよく至り、南海へ勢いよく進む。これが「渡るに利あり」「木の道がそこで行われる」という意味である。益が驕り満ちて動けば、益はすぐ損に変わる。動いて巽順であれば、益するところは日に日に進む。「下を益す」とは坤を益すことであるから、悦びに限りがなく、進むことにも限りがない。乾は施し、坤は生む。四時と万物は皆その化育を受け、それを一方の隅に限ることはできない。ゆえに「その益に方なし」という。四時の順序は震から巽へ進む。益は正月の卦で、風雷が初めて起こり、恵みの雨が下り、王者はこれにならって民を益し、加えることをやめない。道もまた同じである。ゆえに「時とともに行われる」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめる。「益」とは、自分に利益があることを益という。しかし自分に利益があっても他人に損害があるなら、それを益とは呼べない。自分に益があり、しかも他人に損がないときに、初めて益といえる。これが「上を損して下を益す」であり、要するに「多きを減らして少なきを益す」ことである。この道理を家の治め方に用いるなら、余りがあるからそれを減らせば、損がそのまま益となる。不足しているからそれを補えば、益が損となることはない。これを身の修養に用いるなら、まだ克服できないところがあれば力を尽くして損する。これは損すべきものを損することである。まだ回復していない礼があれば力を尽くして益す。これは益すべきものを益すことである。その益を得て進めば、行くところどこでも益を得、すなわちどこへ行っても利益を得る。平坦な道を行くこともでき、大川を渡ることもできる。ただ中正であってこそ「慶び」を得る。「木の道」とは震と巽をいう。人が用いるものは、どれもその利に応じる。陸では車を使い、水では舟を使う。人の力が遠近に届くのは、まさにこの木の道によって進むからである。動くものは震であり、動いて進むというのは巽の順を得ることである。天地の運行に推し及ぼせば、上では天が施し、下では地が生む。一気が万物を鼓舞して鍛え、無窮に発育させる。その益は限ることができない。人事は小さな天地であり、ただ天地にならい、時に順じて推し行えばよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめる。卦の意味が「上を損して下を益す」を益とするのは、国家を治める者に一つの戒めを示すためである。自分の財を私するな。下を削って上に奉ずるな。民を貧しくして国を豊かにするな。これに反するものが損である。たとえ孚があって咎がなくても、下を損することは結局、よい名ではない。国家を治める者は、厳しく戒めなければならない。民の情は、損なく益があることを望まない者はない。益があれば喜び、喜べば悦ぶ。益が広大であればあるほど悦ぶ者も多くなる。西から東から、南から北から、思うことなく服するというその悦びは、実に久しく限りがない。益の道は上から下へ及び、悦びの情は下から上を感じて起こる。上下が互いに信じ合うことが、五爻にいう「孚ありて恵心ある」である。道は乾の道である。乾を損して坤を益すことで、乾の道の大きさと光がいよいよ明らかになる。乾は健やかに行くことを表し、震もまた行くことを表す。ゆえに「行くところあるに利あり」といい、このように進めば、行くところどこにも不利はない。川を渡るには舟を用い、舟は木で作る。ゆえに「木の道」という。聖人は「美しい利をもって天下を利す」。木をくり、木を削り、時に応じて制度を定め、約を守りながら広く施し、天下を道で救い、万物をあまねく知る。説卦伝に「益はもって利を興す」とあるのは、このことである。君主が本来恵みの心を持ち、恵みある政治を行い、地方を巡って民を観察すれば、廃れていた事業はすべて興り、誠実へ帰する。その益には方角の限りがない。施し、生み出すことは、天の道、地の道、君主の道である。時とともに行うことは、ただ一つの道理である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を全体的に見ると、「損」と「益」は名は反対であるが、その働きは互いに補い合っている。下に乾があるのは、国が富み栄える象であるから「損」は下に置かれ、上に乾があるのは、朝廷が豊かに満ちる象であるから「損」は上に置かれる。上の「損」を「損」と言わず「益」と言うのは、その根本を厚くするためであり、上の「益」を「益」と言わず「損」と言うのは、その基盤を削るためである。これによって聖人は、下を厚くすることを示したのである。損することができれば益となる。だからこの卦は「損」の次に置かれる。「上を損して下を益す」とは、上から下へ施しを下すことである。上は益をもって進み、下は悦びをもって応じる。上の益は中正を得、下の悦びには慶びがある。つまり上は「美しい利益によって天下を利する」のであり、悦ばせようとしなくても、民はおのずから悦ぶ。この悦びがここまで至れば、民は働かされても労苦を忘れ、険難を避けず、荒波さえ渡ることができる。どこへ行って成し遂げられないことがあろう。ゆえに「大川を渡るのに利あり」という。「益は動いて巽う」。震は動、巽は順であり、動いて順に行うから、「日に進んで限りがない」のである。「その道は大いに光る」とは乾の道であり、「木の道がそこで行われる」とは巽の道、また震の道である。乾が動けば施しとなり、坤が動けば生むこととなる。動かなければ益は現れず、動けば益が現れる。動きには一定の方角がなく、益にも一定の方角はない。天の道を見れば、時に従って動く。だからその益も時に従って行われる。君子が「善を見ればそこへ移り、過ちがあれば改める」のも、時に従って移り、時に従って改めるのである。益が身にある道理をこのように知れば、天下国家にある益もまた例外なく同じである。上下の互卦は「剝」となる。「剝」の象伝に「剝は、上が下を厚くする」とあり、その趣旨は「上を損して下を益す」と同じである。ただし剝の六爻は凶が多く、益の六爻は吉が多い。民の利益となるものに因って民を利するので、益の恵みはあっても、無益な弊害はない。したがって剝の上爻とは異なる。この卦は「損」と反対であり、六爻もまた「損」の先後を互いに反転している。益の初爻の「大いに作す」「大吉」は、損の上爻の「大いに志を得る」に当たる。益の二爻の「十朋の亀」は、損の五爻の「あるいはこれを益す」の亀である。益の三爻の「凶事に用いる」は、損の四爻の「その疾を損す」に当たる。益の四爻の「国を移す」は、損の三爻の友を得ることに当たる。益の五爻の「孚あり、心を恵む」は、損の三爻の「中、もって志とする」に当たる。益の上爻の「これを益するもの莫し」は、損の初爻の「これを酌みて損す」に当たる。その辞が互いに因って生じたものもあり、その義が互いに補い合って成るものもあり、その趣旨が反対となって戒めとなるものもある。『論語』に、「用を節し民を愛し、民を使うには時をもってす」とある。「損」は用を節することであり、「益」は民を愛することである。「時」とは「時とともに行う」という意味であり、国を治める道の要はここにある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。風雷は益なり。君子は善を見ればすなわちそこへ移り、過ちがあればすなわち改める。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 風と雷とは、二つの気が昇降し、進退し、めぐり動いて、互いに損益することである。そこで震が上、巽が下なら「恒」となり、象伝は「雷風は恒なり」という。巽が上、震が下なら「益」となり、象伝は「風雷は益なり」という。象が風と雷の位置を入れ替えるのは、風雷が出会えば天地の間に上下の定まりがないからである。方位で言えば、震は卯、巽は辰巳に当たる。震から巽へ進むのは順調な行き方であるから、その益は広大となる。君子はこれにならい、人の善を見れば己を屈して従い、自分に過ちがあれば身に返って自らを責める。したがって善へ移るのは風のように速く、過ちを改めるのは雷のように勇ましくあるべきである。これを「善を見れば移り、過ちがあれば改める」という。「見」と「有」の二字によって、人と己の境界が示されている。王弼は、「善へ移り過ちを改めることほど大きな益はない」と言った。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。激しい雷と烈風であり、まさに運勢が奮い立つ時期である。古いものを改め、新しいものに替えるのは今である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。稲妻が風を追うように、今こそ一気に攻めれば平定できる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。利益があれば取引し、なければ売る物を改める。迅速にすべきで、遅れてはならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 名誉を問う。風雷が合して益となり、大いに志を遂げる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。肝木が盛んすぎる症状である。治療は陽を損じ、陰を助けるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。震が男、巽が女で、自然な配合である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。この家は落雷や強風による損害に注意すべきである。まだ丈夫な所は修繕・改築し、朽ちた所は建て直すのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。身に返って反省すれば、怒りも収まり気も平らかとなり、訴訟は自然に終わる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 紛失物を問う。すでに移され、変えられており、取り戻せない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 六甲を問う。奇数月なら男、偶数月なら女。","初九。大いに事を起こすのがよい。大いに吉で、咎はない。","初九。大いに事を起こすのがよい。大いに吉で、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「大吉で咎なし」とは、下の者がその事を重い仕事だと思わないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「大いに作す」とは、天子が巡狩することである。いわゆる「春には耕作を視察して不足を補い、秋には収穫を視察して足りない者を助ける」ということであり、その他の祭祀や告知、救済の貸し付け、国を移すこともみな「大いに作す」である。震は作、巽は利、乾は大・元、坤は用・厚を表す。「厚い事」とは、すなわち「大いに作す」である。初爻は内卦の最下位にあり、事の始めである。王者が大事を起こし大功を立てるときは、利益を長久にすることを考え、規則を最初の計画で定める。だから「大いに作すのがよい」という。初めにおいて、その事を天下とともに行い、その益も天下とともに分かち合う。そうすれば下民は公の事を喜んで進め、労力を尽くすことを願う。その事を上の者の事とは思わず、まさに自分自身の事と思うので、「大吉、咎なし」となる。象伝が「下は事を厚くせず」と解するのは、その事を重く困難なものとせず、軽く容易なものとして喜んで従い、先を争って励むからである。ゆえに「吉、咎なし」である。ある説では、震は春に属し、巽は春から夏への境に属する。「大いに作す」とは東作、すなわち春の耕作の事であり、『繋辞伝』の「鋤や犂の利は、天下を教えるため益から取った」という言葉に当たるという。この説も通じる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。幸運が初めて巡ってきた。大事を行っても、意のままにならないことはない。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。軍が初めて交戦すれば、一戦で大功を立てることができ、吉で咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。初めての営業で、資本も厚く経営規模も大きい。大きな利益を得られ、しかも長く続いて咎がない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 名誉を問う。天下第一の栄誉を得ることが望める。大吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。この家は新築で、建物も広大である。大吉、咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。大吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。この訴えは公の大事に関するもので、私怨によるものではない。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を問う。外にあって、今は事を企て身を立てようとしているため、しばらく帰らない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十四年、秋の収穫が豊作か凶作かを占い、「益」が「観」に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。この爻について虞氏は「大いに作す」を東作、すなわち『繋辞伝』のいう「耒耜の利は益から取った」と解しており、秋の収穫を占ったことと爻の象がまさに合っている。爻辞に「利あり」「大吉」「咎なし」とあるので、収穫は必ず豊かで凶作ではないと分かる。卦名は「益」、卦体は「下を益す」という。穀物は豊かに実り、千の倉、万の箱を満たす。それはまさに彖伝のいう「天は施し、地は生ず。その益には方なし」であり、これ以上の吉はない。","六二。ある者が十朋の亀をもってこれを益す。これに背くことはできない。永く正しくあれば吉。王はこれを用いて上帝に享す。吉。","六二。ある者が十朋の亀をもってこれを益す。これに背くことはできない。永く正しくあれば吉。王はこれを用いて上帝に享す。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「ある者がこれを益す」とは、外から来るのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「十朋の亀」は損の五爻と同じように解する。益の二爻の亀は、損の五爻の亀と同じである。損の五爻では亀を上に奉じ、益の二爻では下から奉じられたものを転じて下を益する。亀が人を益することは、その霊妙な力が代々守るに足り、一時だけの吉ではない。だから「永く正しくあれば吉」という。二爻は震の中央にあり、位に当たり、巽に応じる。震は帝、また祭祀を表すので、「王はこれを用いて上帝に享す」という。「王」とは五爻の九五を指す。五爻が二爻の朋亀を用いて上帝に享し、上からの加護を願うので、これ以上の吉はない。『郊特牲』に、「郊祀を占い、祖廟で命を受け、父の廟で雷を作る」とある。これは亀を用いて上帝を祀ることについて述べたものである。象伝が「外から来る」と解するのは、益を内、損を外とすれば、亀は損から来るからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。思いがけない財を得、しかも代々守ることができる。永く吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。昔は出兵の前に必ず占い、出陣すれば祈った。この爻はすべて吉で、戦えば必ず勝つ。「外から来る」とは、外から攻めることも表す。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。貝貨は貨幣であり、「十」は数の満ちることを表す。「ある者がこれを益す」とは、神の助けがあるのかもしれない。商売でこの爻を得れば、必ず大きな利益を得て、永く吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 名誉を問う。昔は宰相の任命や賢者の推薦も、すべて占いによって決めた。吉兆を得れば顕達することが分かるので、「永く吉」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う。祈ればすぐに治る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。二爻から四爻までは坤である。坤は安と土を表し、家が安泰である象である。坤には「永く正しくあれば利あり」とあるので、「永く正しくあれば吉」という。この家には長く住むことができる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。震と巽は長男と長女であり、鳳凰を得る占いの兆しで、昔から吉祥とされる。百年の好合となるので、永く吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人某が来て、ある富裕な紳士の家政を占ってほしいと頼んだ。得た卦は「益」が「中孚」に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断にいう。二爻は内卦の中央にあり、柔がその位に当たっている。卦名は「益」なので、すでにその家の内政が適切に行われ、益はあっても損はないと分かる。『漢書・食貨志』に「人の用いるものは亀に如くはなし」とある。亀とは貝貨のことである。「十朋の亀」の「十」は満ちた数で、富足の象である。「あるいはこれを益す」とは、誰がそれを益しているのか分からないという意味である。象伝は「外より来たる」といい、つまりその益には外から来るものがあるということである。正義では、二爻は益において謙を用い、物が外から来て、朋亀が策を献じるので、それに背くことができない。だから「永く正しくあれば吉」という。上帝に享すとは、明らかな霊が福を降し、天に報告することをいう。これは損の五爻にいう「上祐」、すなわち「上は天」である。「天みずからこれを祐け、吉にして利あらざるなし」とは、ここをいうのではないか。今、ある富裕な紳士の家政を占ってこの爻辞を得たので、その家風は清く正しく、内政も整っていると知れる。占えば蓍と亀が祥瑞を示し、祈れば神明が福を授ける。家運の盛んなことは日に進み日に益し、時に応じ、天を得て、大きく長く栄え、まだ終わることがない。","六三。これを益すのに凶事を用いる。咎はない。孚あり、中行し、公に告げるには圭を用いる。","六三。これを益すのに凶事を用いる。咎はない。孚あり、中行し、公に告げるには圭を用いる。［32］ \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「益を凶事に用いる」とは、それを固有のものとしているからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 六三は陰爻で陽位に居り、震の極みにある。これは動いて益を求めるものなので、「これを益す」という。下の互卦は坤で、用、事、死喪を表すので、「凶事に用いる」という。益が三爻にあるとき、民の信頼はすでに厚い。平常時だけでなく、変事にあっても益となる。そもそも益は私利のためではなく、時に応じて用い、凶を救うことを志すのである。だから事に咎がなく、「咎はない」となる。三爻が動くと体は「家人」となる。家人の上爻には「孚あり、威如たり」とある。震が応じるので、真心が通じ合い、威と信がある象となる。三爻は内卦と外卦の中央に当たり、震はまた行を表すので、「孚あり、中行す」という。震は諸侯を表し、また告げることを表すので、「公に告げる」という。『周礼』に、「珍しい圭は守を召し、凶荒を救うために用いる」とある。西河の毛氏は、「王者が凶事に関する礼を行うときは、珍しい圭を出して王命を伝え、凶荒を救わせる。あるいは徴税を免じ、あるいは政令を緩める」と言う。これがまさに益の下にいう「凶事に用いる」ことである。圭は信頼のしるしであり、誠を示して上下の心を通じさせるものだから、「公に告げるには圭を用いる」という。象伝が「固有のもの」と解するのは、益を凶事に用いても、民はただ益であることだけを知り、凶事であることを知らず、その事をもともと自分たちのものだと思うからである。益が「凶事に用いる」までに至れば、まさにその益に方がない。凶事を「固有のもの」と思うなら、民の悦びが限りないことはいっそう明らかである。初爻の象伝に「下は事を厚くせず」とあるのも、同じ意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う。運の道には失望が多いが、平素の行いが誠実なので、皆が信頼し、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う。戦はもともと凶事であり、さらに危地に陥る。幸い全軍が心を合わせて力を尽くし、本営に急報して救援を得、危険から脱する。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 名誉を問う。先に苦労し、後に甘美を得る。先に難があり、後に成就する。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う。ことわざに「富を求めるなら険しい道を行け」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う。この家には凶事が多い。ただ中道を行う徳があれば、凶を吉に変えられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う。喪服の中で縁組みする恐れがあるが、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う。上官に訴え出て、はじめて認められ、訴訟を終えることができる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 紛失物を問う。訴訟に関わる恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人某が来て、現在の運勢を占ってほしいと頼んだ。得た卦は「益」が「家人」に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。爻辞に「益を凶事に用う」とあるのは、極度の凶難を救い危機を乗り越えることができるという意味で、『益』の中でも最も困難かつ緊急な場合である。また「孚ありて中行し、公に告げて圭を用う」とあるのは、利益をもたらすべき事柄について中正の道を行い、人々の信頼を得れば、上官に報告しても必ず許可され実行できるということである。今回、あなたが運勢を占ってこの爻を得たことから、利益を求める心がやや過ぎていることが分かる。ひとたび私利に関われば、咎を免れるのは難しい。しかし幸い、志は凶難を救うことにあり、平素の行いも中正で、真心をもって事業を運営できるので、咎はないであろう。これはすべて爻の象から論じたものである。近ごろ、あなたが移民会社を設立し、西アメリカの地で土地を買い入れ、開墾・牧畜の事業を起こし、無産の人々がそれぞれ仕事に就けるようにしていると聞いた。爻辞のいう「益を凶事に用う」とは、まさにこれを指すのであろう。最近、貧民たちはあなたを信頼し、次々に海外へ移住している。これが爻辞のいう「孚ありて中行す」である。政府は、あなたがこの凶難を救い危機を助ける大事業を始めたことを賞賛し、褒賞を与えた。これが爻辞のいう「公に告げて圭を用う」の意味である。さらに四爻には「従う。国を移すために用いるのがよい」とあり、その意味はいっそう明らかである。五爻には「孚ありて恵心」とあり、その徳はいっそう新たである。『象伝』は「大いに志を得る」と説く。まさにあなたが志を遂げる時なのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十五年四月、私は北海道炭鉱鉄道会社長に就任した。ある時、鉄道と鉱山を巡視したところ、土地は厳寒で、雪もまだ消えていなかったため、胃を冷やして病気になった。札幌の旅館に泊まり、札幌病院長の診察を受けたところ、発熱は四十度を超えていた。翌朝、入院しようとした頃、筮を立てて『益』が『家人』に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦は『益』といい、『益』とは増すことであるから、病気についても同じである。爻に「益を凶事に用う」とあるのは、病気の場合、凶状がいっそう増す恐れがあるということだ。翌日は四爻に当たり、四爻には「用うるに利あり」「国を移す」という語がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 私は以前から易占を深く信じていたので、病気を押して出発することにした。病院長に病状を告げ、薬を分けてくれるよう頼んだが、院長は引き止めて聞き入れなかった。そこでその夜、小樽から汽船に乗り、翌朝函館に着いた。すると突然、札幌から電報が届き、昨夜札幌市中で火事があり、私の泊まっていた旅館も焼失したと知らせてきた。そこで初めて、易の働きが示していたのは病気ではなく火事だったのだと分かった。その神妙さは、まことに測り知れない。当時、札幌新聞社は、私の行動は火事を予知して立ち去ったように見えると論じた。しかし私は病気のために占い、病気について病気を論じたにすぎず、ただ凶であることを知り、幸い咎がないので、病を押して旅立ったのである。火事を推測したことなど一度もなかった。後になって災害の後に推し量り、初めて変卦が『離』であり、『離』は火を表すことを知った。","六四。中行す。公に告げて従わる。用いて国を移すに利あり。","六四。中行す。公に告げて従わる。用いて国を移すに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』にいう。公に告げて従わるとは、益の志を実現するためである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 四爻は巽の初めに位置し、初爻と応じ、三爻と比している。初爻に「用うるに利あり」とあるので、四爻にも「用うるに利あり」とある。初爻の「大いに作す」とは、四爻の「国を移す」に当たり、いずれも大事業である。三爻に「中行す」「公に告ぐ」とあるため、四爻にも「中行し、公に告ぐ」とある。三・四爻はいずれも内卦と外卦の中央に当たるので、共に中行となる。「告ぐ」は三爻を指し、「公」は四爻を指す。四爻は『益』の主爻であり、三爻は下を益したいが、四爻に妨げられることを恐れるため、四爻に告げるのである。「公従う」とは、四爻がこれに従うことをいう。上互卦の艮は社稷を表し、下互卦の坤は国邑を表す。震は走り回ること、巽は進退を表すので、いずれも移転の象があり、「国を移す」という。卦の体はもともと乾・坤・否である。否の五爻には「滅びるのか、滅びるのか。苞桑につながれている」とあり、国難への憂いを示す。否の『象伝』には「徳を倹約して難を避ける」とあり、逃れて避ける意がある。否が変じて益となるので、国を移すのがよいのである。『左伝』隠公五年には「わが国が東へ移った時、晋と鄭に依ったのはなぜか」とある。盤庚も「民を見て、移ることが民の利益になるかを考える」と述べた。いずれも移転を利益とした例である。『象伝』が「益の志を実現する」と解釈するのは、四爻が従って移転を実行し、四爻の志がただ下を益することにあるからである。考えてみれば、震は東、巽は東南を表す。『易』が殷周交替の頃に成立したことを踏まえると、「国を移す」とは太公が岐へ移ったことを指す。岐は殷の西南、すなわち坤の方角に属し、これが明らかな証拠である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○時運を問う。目下は難事がある。よい土地を選んで、しばらく避けるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○戦争を問う。兵を退き、陣営を移し、急いで援軍を請うのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商売を問う。店主に申し出て別の土地へ移り、新たに商売を始めるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○家宅を問う。転居するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○立身出世を問う。成就しない。方向を改めて別の仕事に就くべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○婚姻を問う。別の仲人を探さなければならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う。見つからない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人が来て、ある高官の運勢を占ってほしいと頼んだ。筮を立てて『益』が『無妄』に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦象は上を損して下を益し、爻象は民衆を動かして国を移すことを示す。ある高官は現に政務を担い、国家と人民のために尽くしているので、まさにこの象に合う。わが国は天下泰平であり、盤庚が殷を移したり、太公が岐へ移ったりするようなことはない。ただ近ごろは北海道の開拓のため、本土の人民を移住させようとしている。天皇陛下も避暑のため北海道に行宮を建てることをお考えである。爻辞のいう「国を移すに利あり」とは、これを指すのではなかろうか。さらに、移民計画について聞けば、あの高官が実際にその事を主導しているという。爻のいう「中行して公に告ぐ」とは、あの高官が中行の徳を備え、利益ある計画を立てて天皇に進言し、許可を得て実行することをいう。これは国家の文明開化の盛大な事業であり、まさにその高官の運命が盛んになることを占うものである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 友人は大いに喜び、「爻辞は実に的確で、まことに吉事の占である。急いで帰って、あの高官に知らせよう」と言い、慌ただしく辞去した。","九五。孚ありて恵心。問うことなくして大いに吉。孚ありて我が徳を恵む。","九五。孚ありて恵心。問うことなくして大いに吉。孚ありて我が徳を恵む。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』にいう。「孚ありて恵心、問うことなし」とは、もはや問う必要がないということだ。「我が徳を恵む」とは、大いに志を得ることである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 五爻は剛健で中正、その位も正しく尊位にあるので、『益』の主爻である。恵みをもって益とするなら、その益は大きく、心から恵みを施せば、その恵みはいよいよ広大になる。ゆえに真心をもって実際の恵みを行えば、心に尽きることがなく、恵みもまた尽きることがない。そこで「孚ありて恵心」という。初爻以来、巡狩、祭祀の告知、救済、国の移転など、民を恵む事柄でないものは一つもなく、民を恵む心でないものも一つもない。いわゆる「乾元が美しい利をもって天下を利する」というのは、まさにこの心である。事柄としての益は問うて吉凶を確かめるものだが、心の恵みは問わなくても吉である。だから「問うことなくして大いに吉」という。下に施される信実の恵みは、施す側にあっては心であり、それを受ける側は徳と見る。九五は坤の気を受け、坤は我を表すので、「孚ありて我が徳を恵む」という。「問う」とは占いを問うこと。昔は大事を挙げる際、必ず占って吉凶を決めた。恵みをもって政を行うなら、何を疑い、何を占う必要があろうか。「大いに吉」は初爻の「大いに吉、咎なし」から来ている。上が真心をもって下を恵めば、下もまた真心をもって上の徳を認め、上下が互いに信じ合う。上は下を益し、上もまたその益を受けるのである。『象伝』が「大いに志を得る」と解釈するのは、この恵みの心をもとに恵みの政治を行えば、天下の人々が皆その徳恵を受け、心から服することができ、まさに志を遂げ大事を成せるからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○時運を問う。「心が善ければ悪い運はない」。仁を心に保てば、何事も吉であり、問う必要もない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商売を問う。義を利とし、誠実に交わり、利益を共にすれば、この商いは広く利益を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○立身出世を問う。実力があれば名声は自然に帰する。大吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○戦争を問う。罰は必ず信賞し、賞は必ず公平で、戦えば必ず勝つ。大吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○家宅を問う。仁徳ある里、徳ある家であり、問うまでもなく善人の住まいと知れる。大吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○婚姻を問う。親族か友人で、必ず旧知の人である。「問うことなくして大いに吉」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人が来て、「某氏の子を養子にして跡継ぎとしたい。その前途の吉凶を占ってほしい」と言った。筮を立てて『益』が『頤』に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。九五は坎の爻であり、坎は孚、心、美、また後嗣を表す。だから爻辞に「孚ありて恵心」とある。美は吉の意であり、後嗣はまさにあなたの養子占にかなう。卦は上を損して下を益するのが『益』である。嗣子についていえば、父を損して子を益するということになる。「孚ありて恵心」とは、父が誠実な心で子に恩恵を与えるので、子は必ずその子となることを喜ぶという意味である。問わなくても吉と知れる。子は父の恩を受けた以上、必ず父の徳に報い、父の事業を受け継ぎ、父の家系を継ぎ、きっと家を興す。だから「孚ありて我が徳を恵む」という。詩にいう「他人の子となる、他人の子となる」とは、もう詠う必要もない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十八年、わが国と清国との外交関係の帰結を占い、筮を立てて『益』が『頤』に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦は内卦が雷で、その性質は動、外卦が風で、その性質は順である。内卦をわが国、外卦を清国とすれば、両国の動静が見えてくる。卦名は『益』なので、両国は必ず互いに利益を受ける。爻は九五にあり、応ずるのは六二。二は内、五は外だから、二をわが国、五を清国と見るべきである。二爻は「ある者が十朋の亀をもって益する。これに逆らうことができない。永く貞なれば吉」とある。わが国にとってこの十朋の益とは、清国からの賠償金である。「永く貞なれば吉」とは、その吉が一時だけではないという意味だ。五爻は「孚ありて恵心、問うことなくして大いに吉。孚ありて我が徳を恵む」とある。清国とわが国がこれ以後講和を協議すれば、問わなくても大吉と知れるということである。ヨーロッパ諸国は虎視眈々として、清国を損して自国を益することだけを考え、領土を侵すものもあれば、利益を奪うものもある。清国は旧政を固守して変革の方策を知らず、外国に削り取られたものは数え切れない。わが国と清国は領土が接しているのだから、利益を共にし、益を共に受け、協力してこの東海の国々を守ることを考えるべきである。『象伝』は「大いに志を得る」という。これは欧米諸国から軽視されないことをいう。","上九。これを益する者なし。あるいはこれを撃つ。心を立つること恒なし。凶。","上九。これを益する者なし。あるいはこれを撃つ。心を立つること恒なし。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』にいう。「これを益する者なし」とは、偏った言葉である。「あるいはこれを撃つ」とは、外からやって来ることをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 上九は剛陽で外卦の極にあり、利益を求めることが過ぎた者である。過ぎれば変じ、変じれば益するのではなく撃つことになる。聖人は象を観て卦を設け、『上を損して下を益す』ことを『益』とした。その心はもともと下を厚くする方に偏っている。上九に至ると、上が下を益することはすでに多くなり、今度は下が上を益せと責めるようになる。だから「これを益する者なし」と言うだけでなく、さらに「あるいはこれを撃つ」と言うのである。「あるいは」とは、多くの者を指すが、まだ定まっていない語である。上爻が動く体は『屯』となり、「その膏を屯す」とは、すなわち「これを益する者なし」という意味である。反卦は『損』で、損の上卦は艮。艮は手を表すので「撃つ」と称する。巽は進退と決断できないことを表すので、これは「恒」がないことである。上爻が動けば坎となる。坎は心を表し、もともと下を益する心が、上を益する心へと変わる。これも恒がないということである。旁通卦は『恒』で、恒の上爻は「恒を振る。凶」とある。恒を揺るがせば、成功目前で失敗する。恒がなければ持続できないので、いずれも凶である。『象伝』のいう「偏った言葉」とは、心が偏って公平でないことをいう。「外から来る」とは、撃つことが思いがけず外から起こることをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○時運を問う。好運はすでに退き、欲心が過ぎている。思いがけない災いに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○戦争を問う。兵を増し兵糧を加えるのを待たず、進撃してよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○商売を問う。自分の利益だけを求め、人から奪わなければ満足しないようでは、必ず争いを招く。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○立身出世を問う。他人の功績を奪って自分の名誉にすれば、その名は長続きしない。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○家宅を問う。この家は地勢が高すぎ、利益より害が多い。長く住むべきではない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○婚姻を問う。添い遂げられない恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○訴訟を問う。訴訟には一定せず、凶から吉へ転じる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○行人を問う。途中で盗難や強奪に遭う恐れがある。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○失物を問う。すでに壊されているかもしれず、見つからない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人が来て運勢を占ってほしいと頼み、筮を立てて『益』が『屯』に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。卦名は『益』で、本来は大いに利益を得る象がある。ところが今回は上爻を得た。上爻は『益』の極にあり、物事は極まれば変じる。利益がないだけでなく、損傷の患いさえある恐れがある。爻辞の「これを益する者なし」は利益がないこと、「あるいはこれを撃つ」は傷つけられること、「心を立つること恒なし」は人心が測り難く、手のひらを返すように態度が変わるので、思いがけない変事に注意せよということ、最後の「凶」は占いが不吉であることを明らかに述べている。爻象がこのようである以上、あなたは戒めとしなければならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 友人はこれを聞いて大いに心配した。後で聞いたところによると、この友人はある日、某家を訪ねて千金を借りようとした。しかしその家にはたまたま多くの金がなく、五百円だけ借りて、それを懐にして帰った。途中、ある友人の家に立ち寄って事情を話し、「今、商売のために千円ほど必要で、先ほど某氏に頼んで半分を借りた。あなたからも借りて不足分を満たしたい」と言った。その友人は財布に残金が少ないことを理由に、婉曲に断った。ところがこの友人は、近ごろ破産していた。相手が大金を持っていると知ると、突然悪心を起こし、帰り道で待ち伏せ、隙を見て襲いかかり、金を奪って逃げた。某氏は金を失ったうえ、重傷も負った。後日、この友人が捕縛されて初めて、金を奪った者がまさにその友人だったことが分かった。易の道理があらかじめその兆しを示していたことを、いっそう強く感じたのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十六年某月、親友の雨宮敬次郎氏の依頼を受け、銀相場の騰落の結末を占い、筮を立てて『益』が『屯』に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じていう。この卦の下卦は震で、震は玄黄を表し、上卦は巽で、巽は白色を表す。白は銀、黄色は金である。卦象は巽が上、震が下で、銀が高くなり金が下落する形だから、銀の産出量は金より多いと知れる。爻辞に「これ以上益する者なく、あるいはこれを撃つ。心を立てて恒せざれば凶」とある。「益する者なし」とは、価格が再び上がらないこと、「あるいはこれを撃つ」とは、価格が必ず下がることをいう。「あるいは」はこれから起こることを示す語であり、「恒せず」とは、その時々の相場が定まらないことをいう。上爻が変じると屯となる。屯とは困難である。銀貨が下落すれば、市場全体が困難に陥る。益が夬に入り、夬となるのを待って初めて、その弊害を決然と取り除き、銀貨の相場は再び旧に復することができる。もし紙幣だけを流通させるなら、永久に続けることは難しいだろう。",null,"周易、易経、高島易断、第42卦、風雷益、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936453]