[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-43":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-43",false,"2026-08-11T01:18:26.856Z","2026-07-04T14:35:16.000Z","沢天夬、夬：王庭に掲げ、誠実に号令すれば危うさがある。自分の邑から告げる。武力に訴えるのはよくないが、進むべき所があれば利がある。","高島易断 第43卦 沢天夬――卦辞原文と卦の解釈――東方玄学庫","高島易断第43卦・沢天夬の解釈：卦辞「夬は、王庭に揚げ、孚ありて号ぶ、厲しきことあり。自邑より告ぐ。戎に即くは利あらず。往くところあるに利あり」。付記の断辞と実占事例の詳解。","&#19946;",43,"夬：王庭に掲げ、誠実に号令すれば危うさがある。自分の邑から告げる。武力に訴えるのはよくないが、進むべき所があれば利がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 43　沢天夬 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 序卦伝にいう。「益してやまなければ、必ず決する。だからこれを受けるに夬をもってする。夬とは決することである」。物事は増し満ちて、なお崩れ決壊しないものはない。ゆえに夬は益の後を受ける。夬は剥と反対である。剥は五陰が一陽を削り、陽がほとんど尽きようとする。剥とは削ることで、その心は険しいため、削り方も深く苛烈である。夬は五陽が一陰を決し、陰がほとんど尽きようとする。「夬とは決すること」とは、その気が剛健であるため、決断が公明であることをいう。卦体は下が乾、上が兌で、天上に沢がある。決壊して下へ流れようとする勢いがあるので、この卦を夬と名づける。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 夬［33］：王庭に掲げ、誠実に号令すれば危うさがあるが、吉。自分の邑から告げる。武力に訴えるのはよくないが、進むべき所があれば利がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲　夬の篆書 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 夬は五陽がまさに盛んになり、孤立した一陰がほとんど尽きようとしている。兌が乾の上にあり、一陰が諸陽の上に位置して、群陽を抑えるだけの勢力を持つ。群陽は盛んでも、軽率に決しようとはしない。乾は王、兌は口を表す。「王庭に掲ぐ」とは、小人の奸状を王庭に明らかにして広く知らせること。「孚号」とは、五つの剛爻が志を合わせ、衆口一同にその仲間を呼び、一陰を決し去ること。「有厲」とは、虎を踏めば人を咬むように、時が危険と恐れに迫られていることをいう。だから厲である。兌の二爻が動けば震となり、震は告知を表す。上卦の兌はもと坤であり、坤は邑を表す。邑に告げるとは坤に告げることである。坤の勢いは兌に至って孤立している。坤に告げるのは、一変して乾に従い、邪を去って正に就き、君子に戻らせようとするためである。もしこの一陰がその立場に頼って五陽に抗えば、陽は必ず戦う。「その血は玄黄」となる。これ以上不利なことがあろうか。だから「武力に訴えるのはよくない」という。乾は健やかに進むことを表す。乾の陽は剛直で、難に阻まれず、剛健な徳が日々進めば、陰邪は日々退く。だから「進むべき所があれば利がある」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 彖伝にいう。夬とは決することであり、剛が柔を決することである。健やかで悦び、決してしかも和らぐ。「王庭に掲ぐ」とは、柔が五つの剛の上に乗っていること。「誠実に号令すれば危うさがある」とは、その危険によってこそ光明が現れること。「自分の邑から告げ、武力に訴えるのはよくない」とは、上にあるものがついに窮まること。「進むべき所があれば利がある」とは、剛が成長して最後に完成することである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 兌は沢の気、乾は天である。兌は付着して決することを表し、「決」の字形も夬に従うので、夬は決の意味を取る。柔一つと剛五つが合わさって夬となる。これを「剛が柔を決する」という。乾は健、兌は悦である。乾は健やかに決し、兌は悦んで和するので、「決して悦ぶ」という。五陽が下にあって上の一陰を決するが、その罪を明らかにしなければ、その罪を正すことはできない。だからまず罪状を声にして討伐を求め、君主の廷に明らかに掲げ、公正で私曲のないことを示すのである。「孚」は信、「号」は号令、「厲」は危険である。乾の信を守り、諸陽を呼び集め、力を合わせて一陰を決する。夬と履は位を入れ替える。履の五爻に「夬履、貞厲」とあるのは、この危険を心に抱いてこそ踏み行い、「疚なし」となれるという意味である。履の彖伝に「光明なり」とあるので、夬の彖伝にも「その危うさが光明となる」とある。「告」は戒めること。陰が上位にいる以上、采地を持つはずであり、「邑」とは陰の邑である。「自分の邑から告げる」とは、戒めて自ら退くよう勧めること。告げても退かなければ、次に威力を用い、皆が立ち上がって攻めることになる。これが「武力に訴える」である。一つで五つに抗えば、必ず不利である。「尚」は加えること。陰は五陽の上に加わっているが、ここに至って陰は窮まる。不利なのは陰で、利なのは陽である。陽剛がそろって進み、一陰を決し去るのは、悪を徹底して除くこと。どこへ進んでも不利なことがあろうか。柔が消え剛が増すので、「剛が成長してついに完成する」という。君子が小人を除くときは、深く考え周到に計画し、軽々しく決断を用いない。まず文徳によって戒め、やむを得なくなってから武力を用いる。君子を害する小人の残忍苛酷な心とは、まったく異なる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめると、陽は正しく陰は邪、剛はまっすぐで柔は曲がっている。人事と国事は大小の違いこそあれ、害は同じである。第一に家を治める場合、奸邪は十分に禍の兆しとなる。邪な者たちが競って進めば、その家は必ず滅びる。たとえ一人の奸人を一時受け入れ、害はなさそうに見えても、残った悪の芽はそこから次第に増殖し、ついには広がって除けなくなる。第二に友人関係では、偏屈な者と交われば損害を招く。仲間が皆奸邪なら、その亀裂は必ず深まる。たまたま交際するだけでも避けているつもりになりがちだが、いったんその党に入れば、それによって名声を落とし、最後には連座して解けなくなる。鳥の群れの中で一羽の鷹を飼えば、鳥たちは皆その餌食になるようなものだ。百穀の中に一粒のしいなを残せば、百穀すべてが害を受けるようなものでもある。君子はこの状況にあって、邪勢が孤立しているからといって寛容に受け入れることも、孤立しているからといって軽々しく除くこともしない。必ずその罪を明らかにし、大衆に告げ、信義を照らし示し、諸陽を呼び集める。そのことは危険であっても、その道は光明である。それでも急いで猛威を振るい、忠厚の道を失うことは望まない。だから必ずその家に赴いて告げ、邪を去って正に帰るよう命じ、いつまでも「迷復」にとどまらせない。従わなければ衆を起こして強制するほかなく、それは避けられない。しかし不利なのは彼の側で、最後に利を得るのは我々である。一陰の勢いが衰え、諸陽の力が盛んになれば、進むところ何事も不利はない。悪を除くことは草を除くように、根を断って再び芽生えさせないことを務めとする。一陰が微弱であっても、必ず徹底して決し去る。そうすれば陰は完全に滅び、陽は十分に伸びることができ、夬の事は終わる。この卦の意味に従って人事に対処すれば、陰が消えて家道は正しくなり、邪が去って交友の道は善くなる。日常の起居動静すべてにおいて、正を尊び邪を退けることを主眼とすれば、人事は全うされる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめる。卦体からいえば、五陽は五人の君子であり、乾の陽徳を守って剛方中正、賢者が位にある。これは国家の福といわざるを得ない。ただ惜しいのは、上位にただ一人いる者が、漢の献帝の朝の曹操、宋の高宗の時代の秦檜のような、陰険で奸邪な小人であることだ。初めのうちは、奸臣も己を屈して賢者にへりくだり、広く人材を集めて人望を得ようとする。しかし正人君子はその籠絡を受けず、奸悪を削り除いて朝政を清めようとする。ある者は上奏して奸を弁明し、ある者は詔を奉じて乱を除く。計略が秘されなければ、かえって罪臣とそしられ、朋党と見なされる。古来、忠臣や傑士がこれによって禍を受けた例は少なくない。これは皆、夬の義を詳しく究めなかったためである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 夬の卦体は上が兌、下が乾で、五陽が下、一陰が上にある。夬の卦義は、この五陽が結び合い、一陰を決し去ることにある。象伝に「沢、天より上にあるは夬」とあるのは、天上の水を決して下に流そうとする意味である。夬を慎重に行わなければ、洪水が天を覆い、一陰を除けないばかりか、五陽に反って害が及ぶ。「剛」は陽、「柔」は陰である。「健にして悦ぶ」とは、健だけを専らに用いないこと。「夬にして和す」とは、決断を急に施さないこと。なんと慎重で周到なことだろう。「王庭に掲ぐ」とは罪を声にして討つこと、「孚号して厲あり」とは夜も警戒し続けることである。それでもなお、直接に力で争うことは望まない。悪を憎むことは厳しくても、善を勧めることはなお切実である。まず進み出て告げる。「歓兜と共工は聖世に必ず流された。悪来と飛廉は盛んな朝廷で誅された。高い爵位を頼みにしてはならない。早く真心を示すべきだ。従えば官職を戻すが、従わなければ社前で誅する。利か不利か、自ら選べ」と。これが「自分の邑から告げ、武力に訴えるのはよくない。上にあるものはついに窮まる」という意味である。我々志を同じくする者は、邪を退け正を尊び、朝政を輝かせ、官紀を粛正する。必ず進んで事を終えることを志とする。これが「進むべき所があれば利があり、剛が成長してついに完成する」という意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 昔から小人が君子を害するときは、極悪非道で、できないことはない。ところが君子が小人に対するときは、いつも姑息に寛容で、かえってその禍を受ける。彖伝の「剛が成長してついに完成する」という言葉は、後世に悪を除くなら徹底しなければならない道を示すものである。観の六爻には吉の辞が一つもなく、多くは凶や咎を戒めとしている。これは小人を痛烈に退けるためであり、同時に君子を戒めるためでもある。履の一陰を虎にたとえるのは、君子が小人を防ぐことが虎を防ぐのと異ならないからである。そうしなければ、すぐに咬まれてしまう。彖伝のいう「健やかで悦び、決して和する」とは、まさにこの趣旨ではないか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 全体を通して見ると、五陽一陰からなる卦は四つあり、履・夬・姤・小畜である。姤と小畜では一陰が巽に属し、夬と履では一陰が兌に属する。履の一陰は三爻にあり、小畜の一陰は四爻にあるので、小人が君子の間にいる。姤の一陰は下にあり、進み始めたばかりの小人で、その勢いはもともと孤立し、力も弱い。夬では一陰が上にあり、小人が高位にいて上から見下ろし、群剛を抑える力を持つ。だから軽々しく力で決してはならない。彖伝が「健・決・揚・号・往」と述べるのは、必ず決すべきことを示すためであり、「悦・和・厲・危・不利」と述べるのは、決する際の恐れを戒めるためである。大壮の「壮を用いるな」という戒めと、夬の決を用いることとは、その趣旨が同じである。孤立した陰を軽んじ、群陽の盛んな勢いを頼んで、軽率に決しようとするなら、それは私智をほこることであって、変化を観て時に中る道ではない。古来の党争の禍は、前車の戒めとなる。六爻の辞は多く彖伝と表裏をなす。初爻は「勝てない」と戒め、二爻は「武力がある」と警戒し、三爻は「凶がある」と警告する。内卦三爻は乾に属し、乾は健である。健だからこそ進むのがよい。四爻は「羊を引けば悔いは消える」、五爻は「咎なし」、上爻は「長く続けてはならない」という。外卦三爻は兌に属し、兌は和である。和してこそ夬を用いることができる。五陽が剛を保って柔を決すれば、盛んなものが衰えたものを決し、強いものが弱いものを決するので、いかにも容易そうである。それなのに易の辞が繰り返し懇切に戒め、危険への恐れを示すのは、陽は消しやすくても小人は退けにくいという事情が昔からあるからだ。夬の一陰をまだ尽くしきらなければ、姤の一陰が下に生じる。陰陽の消長は造物主と争えない。時に応じて守り保つことができるかどうかは、ただ人にかかっている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大象伝にいう。「沢が天の上にあるのが夬である。君子はこれにならい、恩禄を下に施し、徳を自分のものとして留めることを忌む」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 兌の沢の気が天に上がれば、雨に変じて降る。これが夬の象である。だから「沢が天の上にあるのが夬」という。君子はこの象にならい、上位の富貴と徳沢を受けて下に施す。だから「恩禄を下に施す」という。禄が下に及ぶのは、天の恵みが万物に及ぶようなもの。下が禄を待つのは、万物が天の恵みを待つようなものである。君子と賢者は、ともに天の職を治め、ともに天の禄を受けるのであり、徳を自分だけのものとはしない。もし徳を私物として抱え、惜しんで施さなければ、夬の決する義を失う。だから「徳を自分のものとして留めることを忌む」という。「忌む」とは禁ずることである。恵みを施すときは、喜んで決して与え、抱え込むことを避ける。危険を招き恨みを生むことには、決断して進まず、固執することも避ける。これこそ聖人の言葉のさらに深い意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○　時運を問う。目下、運気は盛んである。財は散じるのがよく、集めてはならない。集めれば禍がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　戦争を問う。賞は明らかにし、罰は公正にせよ。決して誇張して自ら功を誇ったり、軍糧を減らしたりしてはならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　商売を問う。利益はかなり多い。ただし自分にも人にも利益を与え、財の分配は公平にせよ。惜しんで施さなければ、必ず人々の嫉妬を招く。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　功名を問う。沢が天の上にあるので、高位に就く象がある。満ちれば損を招くので、自ら戒めるべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　家宅を問う。「沢が天の上にある」ので、水があふれる災いに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　婚姻を問う。夬には決絶の意味があり、しかも夬を反転させると姤となる。姤は「女を娶るな」というので、この婚姻は成立しない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　訴訟を問う。夬は決することで、判決の意味がある。一たび裁断すれば、訴訟は解決できる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。","初九。前の足指に力を込めて進む。行っても勝てず、咎となる。","初九。前の足指に力を込めて進む。行っても勝てず、咎となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「勝てないのに進むのは、咎である」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 初九は卦の最下にあって、夬の始まりに位置し、率先して決断を実行する者である。そこで「前趾に壮んなり」という。趾の強さをいう辞は、大壮の初爻と同じである。ただし、ここでいう「前」は、大壮よりもさらに前方へ伸びている。最下の陽が進んで最上の陰を決するのだから、上下の隔たりは甚だしく、勝てないことは明らかである。もし意のままにまっすぐ進めば、事を成せないばかりか、かえって咎を招く。そうであれば、進むことに何の益があろうか。爻辞は、初九に変化を見きわめ、時を待ち、力を量ってから進み、焦って妄動して災いを早めてはならないと教えている。象伝はこれを「勝てないのに進む」と解し、まだ進む前から、すでに勝てないことを知っているという。爻辞よりも、さらに切実な戒めである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 運勢を問う：気負いが強すぎ、勝手に妄動すれば、必ず咎を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：将は微小で位も低く、勇を頼んでまっすぐ進めば、必ず敗北する。咎は自ら招く。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：地位をわきまえず、時機をよく考えず、思いのまま商品を運んで進めば、財を損なうだけでなく、命まで危うくするおそれがある。十分に慎み、戒めよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：焦って進めば敗れる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：家柄が釣り合わず、相性も合わない。無理に結べば咎がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：この宅地は地勢が低く、転居には不利である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を問う：すぐ帰るのがよい。それで咎を免れられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う：探しに行く必要はない。探せばかえって余計な災いがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う：すぐに訴えを取り下げるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】豊島某が来て、「近ごろ計画していることがあります。その成否を占ってください」と言った。筮して夬が大過に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 私は言った。「夬とは決断である」。この卦の意味は、剛を用いて柔を決するところにある。初爻の辞は「勝てなければ咎がある」といい、軽々しく前へ進んではならないということである。いま、あなたの計画について初爻を得た。卦位からいえば初爻は最下にあり、爻辞からいえば、進めば必ず勝てない。あなたが企てているのは、きっと地位の高い、容易には手の届かない事柄であろう。志を同じくする者は少なくないのに、あなただけが身を奮って前進しようとしている。自分の力をわきまえなければ、計画は成らないばかりか、かえって咎を招く。どうかゆっくりと計画を進めなさい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 後にその人は占断に従わず、急いで計画を実行し、果たして恥を招いた。","九二：警戒の叫び。夜に兵があるが、心配するな。","九二：警戒の叫び。夜に兵があるが、心配するな。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「兵があっても心配するな」とは、中道を得ているからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 二爻は乾の中に位置し、乾の「夕べにも身を慎む」という意味を得ているので、「警戒の叫び、夜に」とある。「警戒の叫び」とは、内には身を引き締めて警戒し、外には厳しく命令を発することである。これは彖伝のいう「信をもって号令し、危うきあり」という趣旨にほかならない。「夜に」とは、陰爻はすべて坤の象に属し、坤は夜を表すからである。兌は盗賊を表し、人の備えがないところを襲う盗みは、たいてい暮れ方や夜に起こる。したがって厳重に防ぎ、夜はとりわけ警戒を加えるべきである。二爻が動くと体は離となり、離は武器を表すので「兵がある」という。心配するなとは、九二が坎の爻で、坎は憂いを表すが、坎が坤に変わるため「憂いなし」となるのである。「兵があっても心配するな」とは、備えがあれば憂いがないという意味である。象伝はこれを「中道を得る」と解する。二爻は乾の中央にあるので、兵があっても心配しないとは、「乾の元はなんと大いなるものか」「剛健中正」という道を得ていることをいう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 運勢を問う：目下、運の道筋は正しい。何事にも慎重であれば、思いがけないことが起きても平然として憂いがない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：軍事では夜襲が最も恐ろしい。時々警備を整えれば、憂いはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：商品の運搬では、盗難・火災・水害について、いずれも保険をかけておけば安心である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：この家は陽気が過剰である。二爻が動いて離に変わるので、火災に注意し、とくに夜は慎まなければならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：婚という字は女と昏から成り、婚礼を「昏礼」ともいうので、暮夜の象がある。詩に「鴨と雁を射る」とあり、射には兵の象がある。「心配するな」とは喜びがあるということだから、婚姻は吉である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う：すぐに決着し、憂いはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：昼は軽く夜に重くなる。陰虚で火が盛んな症状であるから、注意して調養すれば患いはない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある豪商家の甲干某が来て言った。「私は商用で旅行するため、しばらく店のことを友人に任せていました。ところが彼らは結託して不正を働き、勝手に私の金を引き出し、さらに商品の値段を偽って吊り上げ、架空の帳簿まで作りました。最近その悪事を知りましたが、これを公にして罪を正すべきでしょうか、それとも跡を隠して事を収めるべきでしょうか。どちらがよいでしょう。どうか一占をお願いします。」筮して夬が革に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 私は言った。夬は剛を用いて柔を決する卦であり、小人を除く卦である。上爻の一陰は奸悪の首魁であり、下の五陽は心を合わせて讒言する者を除こうとしている。彖伝に「信をもって号令し、危うきあり」とあるのは、明らかな信義をもって号令を発しても、なお危険があり、奸悪を除くことの難しさがそのようであることをいう。いま、あなたは二爻を得た。その辞は「警戒の叫び、夜に兵があるが、心配するな」。偽りや不正はすべて陰謀であり、陰は夜を表す。また、鼠賊の徒は昼は伏し、夜に行動するので、その象も「夜」である。この事を防ぐ手立ても、やはり「夜」のうちに必要となる。「警戒の叫び」とは、盗賊を防ぐように警戒を促し、夜通し拍子木を打つことである。兌は口を表すから、口から争いが起こる。あなたがあまり厳しく詰問すれば、彼らは追い詰められた賊となり、小さければ口論、大きければ武力に及ぶことは避けられない。しかし、あなたの道理は正しく、言葉にも根拠がある。彼らが武力に訴えても心配はないので、「心配するな」という。さらに夬の全体の意味は、小人を除くことにあるとはいえ、彖伝は「健やかにして悦び、決して和す」と述べている。夬の中にも、忠厚の心を失ってはならない。よく考えて実行なさい。甲干某はこれを聞いて大いに感じ入り、私の占断にすべて従ったので、事は穏やかに収まった。","九三：頬骨に強さが現れ、凶あり。君子はひたすら決断する。独りで進んで雨に遭い、濡れたようになって憤りを覚えるが、咎はない。","九三：頬骨に強さが現れ、凶あり。君子はひたすら決断する。独りで進んで雨に遭い、濡れたようになって憤りを覚える［34］が、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「君子はひたすら決断する」とは、ついには咎がないということである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「頄」とは顔の頬骨である。三爻は乾の極にあって、剛に過ぎ、中を得ていない。しかも夬の大象はおおむね大壮に似ているため、初爻と三爻の双方に「壮」の字がある。「壮」とは剛壮のことであり、「頬骨に壮んなり」とは、剛い怒りの威がまず顔に現れることをいう。奸臣を追い払おうとする計画は、深く謀り、密かに考え、顔色にも出さないことが最も大切である。事を起こす前に怒りが顔に表れれば、機密は保てず、災いは身に及ぶ。だから「凶あり」という。夬三の君子は、乾三にも当たる。乾三には「つねに励む」とあるので、夬でも「決断に決断を重ねる」という。夬の陰は五つの陽に対し、三爻だけが上爻と応じている。乾は行動を表すので「独りで行く」という。兌は雨を表し、夬を反転させると姤となる。姤は遇うことなので「雨に遇う」という。上にある兌の沢には雨が降る象があり、三爻だけが前進するので、雨に遇う象となる。「濡」とは、濡れて滞ること。独りで進んで雨に遇い、濡れて足止めされるようになる。「愠」とは、詩にいう「群小に憤らされる」の意であり、だから「憤りがある」という。しかし君子の志は邪を除くことにある。上爻と応じていても、実際には上爻と敵対しているので、濡れて滞っても必ず進む。憤りはあっても咎はない。象伝が「ついには咎がない」と解するのは、この「咎なし」が乾三から来ていることをいう。三爻は陽が満ち、上下が交わる位置にあって、本来危うい。しかし君子が決然として独り進めば、濡れて憤るように見えても、心には危機感があり、境遇そのものは危うくない。だから最後には咎がないのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 運勢を問う：目下の運は正しいが、陽気が強すぎる。思いのまま独行すれば、人に疑われたり妬まれたりするが、幸い咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：孤軍で単独侵入すれば、途中で水に遭って阻まれるおそれがあるが、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：一人で旅商いをすれば咎は免れるが、雨に遭って差し支え、日程が遅れるおそれがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：孤高の才を独り賞されるが、小人に妬まれるおそれがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：この家は正面が立派だが、棟から雨漏りして濡れるおそれがある。急いで修繕すれば咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：爻辞に「独り」とあるので、しばらくは良縁を得られない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：顔のむくみは湿熱の気が上に冲き上がったためであろう。治療すれば咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　妊娠：男児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十二年某月、印旛沼の開削について占った。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 注記：関東の沃野、すなわち上総・下総の野は、みな利根川と戸田川が運んだ土砂によってでき、安房国に連なっている。そのため上総・下総の国は、上洲砂・下洲砂とも称される。関東の住民が、利根川と戸田川の恩恵を受けていることが分かる。二川のうち利根川が大きく、その水は常に下総の銚子港へ注ぐ。流れ出た土砂が大海に流れ去るのを、地利を知る者は国家のために深く惜しむ。もし印旛沼を開削し、検見川を通じて、この流出する土砂を東京湾に導き、そこに蓄えられれば、年月を重ねて一面の沃土となる。上総・下総の間に中総を加え、古来の天明・田沼・玄蕃頭・天保の事業、また水野越前守の事業と同じ利益を得ることができる。開削地には、硅藻土と呼ばれるものがある。この土を水に混ぜてかき回すと、半分は浮き、半分は沈む。土には粘りがないので堤防に用いると、たちまち崩れる。そこで両岸に積み、重い物で押さえると、地底の泥土が押し出されて固くなる。開削地は合わせておよそ四里である。印旛沼から大和田まで一里半は平坦で、所々に一、二丈の高低差があるだけである。山間の地には三丈の堤を築き、その上に二十馬力のポンプ二十台を設置する。このポンプで、一昼夜に五万歩の水を堤内に注ぎ入れれば、山中に大湖を蓄えたようになる。ポンプの力が及ぶ地点から、花山・観音山の下を水で突き抜ける。その山下にたまった硅藻土は、毎日水に洗われ、約二万歩の砂土を流し出せる。一昼夜の水力で、数万人の労力に代えることができる。蓄えては流すことを一年続ければ、左右の山土は流れ尽くし、利根川のような川底に変わるだろう。横須賀船渠で用いる小型ポンプを見れば、短時間で船渠の水を汲み干せるので、ポンプの力がいかに大きいか分かる。山を平らにし、平地ができた日には、山間の堤を取り除けば、大和田から印旛沼まで、さらに安らかで住みよい土地ができる。布施新田の間では、地形に応じて堰を造り、利根川上流をせき止め、その水を東京湾へ流すべきである。これは利根川を東京湾へ移すということだともいう。利根川下流の水勢が減り、船の通行に大きな不便が生じることを懸念する者は、あらかじめよい策を設けるべきだという。しかし、銚子港の地勢が最も平らであることを知らないのであろうか。南は犬吠埼沿いの暗礁、北は常陸原の砂漠に接し、海へ流れ込む利根川は、大水になると河口が狭くて水が出られず、たびたび逆流して霞浦・北浦へ激しく流れ込む。湖沿いの田畑は水に浸され、その害は甚大である。この開削を完成させれば、単にこの災害を免れるだけでなく、数万町歩もの肥沃な田畑を新たに得ることができる。そこで、成否を決めるため一占を請う。筮して夬が兌に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 爻辞にいう。「九三。頬骨に強さが現れ、凶あり。君子はひたすら決断する。独りで進んで雨に遭い、濡れたようになって憤りを覚えるが、咎はない」。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 私は言った。沢は水を受ける場所であり、低いことをもって働きをなす。象伝に「沢、天に上る」とあるのは、洪水が天に届くほどで、その勢いは極めて凶である。だからこの卦は、決断を重ねて取り除くことを意味とする。「夬とは決である」。決という字は水と夬から成り、まさに水を切り開く象を示しており、印旛沼の開削という問いにぴったり合う。今回あなたは三爻を得た。辞は「頬骨に強さが現れ、凶あり。君子はひたすら決断する。独りで進んで雨に遭い、濡れたようになって憤りを覚えるが、咎はない」という。「頄」は頭や顔であり、高い所である。これは、水勢が上で盛んになり、ひとたび決壊すれば勢いが極めて凶悪になるというたとえで、だから「凶」という。「君子」とは、この開削を創始する者を指す。「決断を重ねる」とは、その功業は一度の決断だけでは終えられないということ。「独りで進んで雨に遭う」とは、開削を論じる者には同志が多いが、三爻が首唱するので「独りで行く」という。水の下流は、雨が降り下るのと同じだから「雨に遭う」という。「濡れたようになって憤りを覚える」とは、水を一度決すれば、必ず勢いよくまっすぐ下へ流れ、近隣の村落の中には多少水に浸されるところも出て、怨みの気持ちを抱かせることをいう。だからこの辞がある。諺に「大事を謀る者は小さな怨みを記憶せず、大功を成す者は小さな害を顧みない」という。この沼の開削が成れば、その利益は数十万の民に及び、その功績は千百年後まで伝わる。だから象伝は「ついには咎がない」という。利益を興せば必ず弊害も一つはある。象伝が「ついには咎がない」といっていることから、この事業には利も弊もあるが、長く存続させられることが分かる。その利益はこの上なく大きいのである。","九四：臀に皮膚がなく、行くことがためらわれる。羊を牽けば悔いは消える。言葉を聞いても信じない。","九四：臀に皮膚がなく、行くことがためらわれる。羊を牽けば悔いは消える。言葉を聞いても信じない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。「行くことがためらわれる」とは、位が当を得ていないからである。「言葉を聞いても信じない」とは、聡明でないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 夬と姤は反対の卦である。姤の四爻に「臀に膚なく、その行くこと趑趄たり」とあるが、姤の四爻は夬の三爻に当たるので、辞は同じである。四爻の体は坎で、坎は臀を表すため、臀の象がある。易の例では、陽は背、陰は膚を表す。四爻は本来陰位なので、「膚なし」という。さらに夬は剝と旁通し、剝の四爻には「床を剝ぐこと膚を以てす」とある。「膚なし」とは、剝がすでに尽きたことをいう。夬の四爻は乾から兌に入り、上爻と同じ体となるため、わき見をしてえこひいきする意がないとはいえない。そこで「その行くこと趑趄たり」、進もうとしてまた退くのである。兌は羊を表し、羊は決断よく進む。四爻も羊の一頭であり、群羊を率いて進むことができれば、悔いは消える。朱子は「羊を牽く者は、前にいると進まないので、後から続いて前へ進ませれば、行くことができる」と言った。四爻は九五の後に従い、それを牽いて進ませることができるのである。「言を聞けども信ぜず」とは、象伝の「孚号」という辞を指す。罪を一斉に明らかにして討伐を告げ、大声で呼びかけ、天下の誰もが聞き知るほどであるのに、四爻は右往左往して決められず、「その行くこと趑趄たり」となる。四爻は言葉を聞かないのではなく、信じるかどうかを決められないため、進もうとしてまた止まるのである。それでも耳が聞こえると言えるのだろうか。象伝は「位当たらず」によって趑趄を解し、四爻は陽でありながら陰位に居て、剛が陰に覆われているため、「位当たらず」という。また「聡明ならず」によって「信ぜず」を解し、四爻は兌の初めに居て上爻と近接しているため、「聡明ならず」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：今は運勢が思わしくなく、物事は逆さまになり、精神も安らかでない。企てたことは成し遂げにくい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：確かな考えがないため、商品の売買でたびたび機を失い、利益を得るのは非常に難しい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：「趑趄」とは進めない状態である。どうして名を成せようか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：「臀に膚なし」は負傷を示し、「行くこと趑趄たり」は退こうとすることを示す。「言を聞けども信ぜず」は命令が行われないことを示す。このように軍を動かして、どうして勝利を決められようか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う：皮膚を剝がされる災いで、疥癬やただれの病であろうか。潰瘍が耳にまで及び、両耳が聞こえなくなることを防がねばならない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：この家は裏に余地がなく、前の道は曲がりくねり、羊腸のような細道である。しかし住む者には災いも悔いもない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：初めはためらって決められないが、長い時の後には羊を牽いて婚礼を整えることができる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う：杖打ちやむち打ちの災いに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 行人を問う：しばらく帰ってこない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】元老院議官西村貞陽氏と前神奈川県令井関盛艮氏の二人が、ある商人を伴って来訪した。両氏はその商人を指して言った。「これは横浜の洋銀仲買、雨宮啓次郎です。この友人は近ごろ洋銀の時価を利用して一勝負し、十五万円を得ました。この大金をもとに、今後の生業をどう定めるか考えたいので、私どもとともに来て、一筮を請い、その決定を求めるのです。」占って夬より需に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて曰く、「一度の勝負でたちまち十五万円を得たのは、まことに大幸というべきである。後の生業を定めようとして易に問いを立てたので、私は一策を申し上げよう。山梨県はあなたの父母の郷里である。県下には富士川があるが、川筋は浅く狭く、重い荷を運ぶことができない。もし陸路が横浜・東京へ通じれば、その道は険しく、旅人は苦しむことになる。あなたがこの大金を用いて、山梨から八王子を経て東京に至る馬車鉄道を開くという大事業を率先して始めれば、県下の富豪たちも風を聞いて必ず立ち上がり、一挙に事業を成すことができよう。山梨・長野両県の人民を合わせて、公の便利な道を開けば、東京へ一日で到達できる。その利益はどれほどであろうか。あなたがこの十五万円をもってすれば、毎年五朱の利を得ても、概算一年に七千五百円となる。華族の世禄と比べても、決して劣らない。今、夬の四爻を得た。その辞に『臀に膚なく、その行くこと趑趄たり。羊を牽けば悔い亡ぶ。言を聞けども信ぜず』とある。『臀に膚なし』とは、臀は人体の下部であり、『膚なし』とは皮膚を傷つけたことをいう。あなたは若い頃、気運が悪く、皮膚を剝がされるような苦患を免れなかったことが分かる。今は皮を去って肉を得、肉は豊かに満ちている。これは目下、大金を得た象である。『その行くこと趑趄たり』とは、大金を得たものの、後の計画を決めかね、進退が定まらないことをいい、今回占いを求めた本意に当たる。『羊を牽けば悔い亡ぶ』とは、兌が羊を表し、また金を表す。『牽く』とは引き率いることである。あなたがこの大金を得たなら、山梨県下に馬車鉄道を創設し、諸豪商を率いて共にこの事業を成し遂げよ、ということである。羊の意味は祥にも通じる。夬が位を変ずれば履となり、履の二爻に『履む道坦坦たり』、上爻に『履みを視て祥を考う』とあるのは、このことではなかろうか。祥といわれる以上、悔いは自ずから消える。『言を聞けども信ぜず』とは、言は私の申し上げたことを指し、『信ぜず』とは、あなたが疑って従えないことをいう。夬卦の意味からいえば、夬とは険悪を断ち去って平らかな道を成すことでもある。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 雨宮氏はこれを聞くと、ただ恐縮して帰って行った。十四日後、再び来て言った。「先日はご教示をいただき、まことに肝に銘じました。ところが帰途、同業者に出会い、この盛運に乗じてもう一勝負なさいと勧められ、ついに大損をして、その半ば以上を失いました。今後もし再び大きな利益を得ることがあれば、必ず先生のお言葉に従います。」私は言った。「ああ、もう遅い。爻象の示すところが、これによっていっそう明らかになった。『臀に膚なし』とは、あなたに身近な災いがあり、ついに安坐して福を享受できないことをいう。『その行くこと趑趄たり』『言を聞けども信ぜず』は、あなたの行動にあまりにもはっきり符合しており、説明を待たず明白である。『羊を牽けば悔い亡ぶ』とは、これからはこの羊をしっかり牽き、貪欲を起こしてはならないということだ。さもなければ、この羊もまた失われる。人の人生の得失には、おのずから定まった数がある。易の道は先にそれを知っているのであり、無理に変えることはできない。」","九五：莧陸、夬夬たり。中行すれば咎なし。","九五：莧陸、夬夬たり。中行すれば咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に曰く：「中行して咎なし」とは、中いまだ光らざるなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「莧陸」の解釈について、馬融・鄭玄・王弼はいずれも、莧陸とは商陸で、別名を商陸という植物だと説く。宋衷は、莧を莧菜、陸を商陸として二種の物に分け、その本義はこれに従う。虞氏易では「莞睦」と作り、莧を莞、陸を睦とする。諸説は入り乱れて多く、それぞれ一面だけを解している。按ずるに説文には「莧は細い角を持つ山羊である。胡官切、音は桓」とある。莧の字は廿に従い、羊の角を象るのであって、艹には従わない。夬の卦全体は兌であり、ことごとく羊の象を持つ。羊は決断よく突き進む。五爻が動くと体は大壮となり、夬の爻象は多く大壮と同じである。大壮の五爻に「羊を亡う」とあるので、夬の五爻は山羊を象に取る。古く皋陶が裁判を決するとき、罪が疑わしい者には羊に触れさせたという。羊は邪を見分けて突くことができたのであり、これが明らかな証拠である。四爻の「羊を牽く」とは、羊が五爻を指し、四爻がその後ろにいてこれを牽くのである。「夬夬」とは、四爻と五爻が同じ卦にあり、互いに引き合って並んで進むため、「夬夬」という。五爻は兌の中央に居て、下から乾を受ける。乾は行動を表すので「中行」という。陽は五爻に至って尽き、その上に一陰爻があり、五爻と近接していて、最も聡明を惑わせやすい。必ず夬してさらに夬し、讒言する者を除き、へつらう者を遠ざけ、宮廷を清めなければならない。「中行」とは中道を行くことで、偏りや曲がりがなく、極端に走らないことを示す。象伝は「中いまだ光らず」と解し、五爻は初め小人に近く、たとえ諸陽と結んでこれを決去しても中を失わないものの、光明の体はなお十分に顕れていない、という。だから「中いまだ光らず」と言うのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：運勢は中正を得て、万事咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：五爻は卦主であり、主将に当たる。諸軍を率いて整然と進む。「中行」とは大道に就いて行くことなので、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：夬とは決去することである。爻は五位に当たり、時節も過ぎようとしているので、商品は決断して早く売り切るべきである。そうすれば咎はない。さもなければ悔いがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：五爻は尊位であり、名は必ず顕れる。ただし小人を遠ざけ、君子に近づくべきであり、そうすれば咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：この家は蔓草が生い茂り、ほとんど荒廃している。速やかにすべて刈り払い尽くせば、住んでも咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：五爻は二爻と応じ、五爻は兌の中、二爻は乾の中にあって、陰陽が相合う。「羊」は祥の意を取り、吉兆なので咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う：五爻は陽をもって陽位に居るので、気が過度に盛んである。調整して中を得れば、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う：正をもって邪を決し、徹底して除き、再び萌え出ないようにすれば、訴訟は吉となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある華族の家僕が来て、その老主人の運勢を占ってほしいと請い、夬より大壮に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断じて曰く：五爻と上爻は一陰を挟んで相近く、下には群陽があり、力を合わせて進み、小人を決去して君側を清める。ゆえに卦名を夬という。貴主人は以前から癲癇の持病があり、維新以来、別邸に隠居して旧交を捨て、小人と親しく交わってきた。そのため家業が日に日に衰えていることは、世間周知のところである。今、夬の五爻を得た。夬の意味は、剛をもって柔を決することにある。莧草は柔弱で生えやすく、夬しても尽くさなければ、次第にまた芽を出す。だから夬してさらに夬し、根も種も断ち尽くさなければならない。しかし中行の道を得なければ、邪を服させることも害を去ることもできない。中行であるからこそ「咎なし」となる。五爻は卦主であり、まさに貴主人の象に合う。貴主人には、小人を遠ざけ、君子に親しむよう強く勧めるべきである。そうすれば家道は正され、運勢も盛んになる。","上六：号することなし。終に凶あり。","上六：号することなし。終に凶あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に曰く：「号することなきの凶は、終に長かるべからざるなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「号」とは、彖伝の「孚号」および二爻の「惕号」と同じである。上爻に至れば卦はすでに終わり、夬も尽きているので、小人の道は消えたとして「号することなし」といえる。しかし「号することなし」なら、小人の罪名が明らかにならず、小人の奸計もまた起こり得る。夬がここで終わると、姤がここで始まるので、「終に凶あり」という。象伝はこれを重ねて「号することなきの凶は、終に長かるべからざるなり」と言う。姤と夬は反対であり、姤は上に五陽があって、君子がなお存することを喜ぶ。夬は上に一陰があって、小人が再び盛んになることを憂える。陰陽の消長は互いに依存し、循環してまた起こる。「号することなし」の凶、すなわち姤の始まりが、夬の終わりにすでに潜んでいることを明らかにしている。だから「終に長かるべからざるなり」と言うのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：正運はすでに退いた。いっそう警戒すれば、凶を免れられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：軍事は終わろうとしているが、残党はなお残っている。重ねて命令を出し、厳重に警戒・守備してこそ、初めて一掃できる。安逸をむさぼって備えを忘れれば、最後には必ず凶となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：上爻は卦の終わりであり、商品の売却もほとんど終わる。後の契約を改めて取り交わしてこそ、商売を続けられる。「号することなし」とは商売の名目がないことで、その業は必ず凶となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：「号することなし」は名声が絶える象であり、凶である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：一つの家には読書の声、歌声、笑い声や話し声、さらには鶏鳴や犬の吠え声まで、すべて声がある。「号することなし」とは静まり返って何の音もないことで、その家は必ず凶となる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う：陽が尽き、陰が息づく病である。痛みやかゆみを感じず、叫んでも声が出ない。病状は危うい。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：仲人が何も言わず、成り立たない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う：冤罪を訴えても正されず、訴訟は正義を得ない。凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 行人を問う：まだ便りがなく、凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある日、外務書記官北沢正誠君が来訪して言った。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「私の同藩士であった佐久間象山先生は、当世の志ある士であった。早くから洋学を修め、旁ら易の道理を説いた。私はかつて先生の門に学び、たびたびその講説を聞いた。長州藩の吉田松陰氏がひそかに海外渡航を企てたとき、先生はその志を大いに称え、詩を作って贈った。松陰の事件が発覚すると、先生は譴責を受けて江戸に幽閉されたが、ほどなく許された。そのころ、土佐侯・薩摩侯はいずれも先生の名声を慕い、使者を遣わして招いたが、先生はどちらにも応じなかった。その後、一橋公が礼を尽くして招いたので、先生は初めて命に応じた。私は言った。『先生は易を好まれる。このたびの旅に際して、どうか一筮なさい。』先生は言った。『今、四夷が国内に侵入し、国運は困難である。士が将軍の召しに応じることは、これ以上ない栄誉だ。世に出て事をなすべき時は、まさに今である。何のために占う必要があろうか。』私はさらに強く勧め、先生はついに筮竹を揲して占い、夬から乾に変じた。先生は言った。『この卦は凶象である。しかしすでに召命に応じた以上、もはやためらわない。ただ慎むだけだ。』旅装を整えて出発しようとしたが、馬が手に入らず困っていた。折よく木曽氏が一頭の馬を売りに出した。先生は駿馬と見抜き、高値で買い、その名を都路とした。都へ乗って行くという意味である。先生が大垣を過ぎたとき、旧友小原仁兵衛氏の邸に泊まった。小原氏も易を知っていたので尋ねた。『この旅について、易の占いはいかがでしたか。』先生は『夬から乾です』と答えた。小原氏は長く黙り、何か妨げを感じたようであった。先生は何も言わず、別れを告げて旅を続けた。京都に着くと、公卿たちが大勢訪れて祝いを述べた。ある日、中川宮の召しに応じて出向き、酒席で欧州の情勢、整然とした軍備、騎兵や護衛の術を説いた。興が最高潮に達すると、先生は都路に乗って騎術の妙を試演し、得意ぶりを誇示した。中川宮は大いに賞賛し、自ら杯を賜った。先生は感激して言った。『微臣は卑しい身から出た者ですが、殿下のご寵遇を受け、栄誉は極まりました。』そして都路を王庭と改名し、拝謝して退出した。木屋町に戻ったところ、浪士が左右から襲いかかり、先生を馬上で討ち取った。私は当時、藩邸にいた。変事を聞いて嘆き、易の道理の神妙さに驚嘆した。凶禍が来れば、幸運によって免れられないこともあるのである。」 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 私は北沢氏の話を聞き、象山先生は易を知っていたにもかかわらず、惜しいことに易の教えを守ることができず、ついには世に用いられたいという焦りに誤らされたのだと思った。これに感じるところがあり、その言葉を簡略にして付録とする。",null,"周易、易経、高島易断、第43卦、沢天夬、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936454]