[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-45":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-45",false,"2026-08-11T01:18:22.622Z","2026-07-04T14:35:16.000Z","沢地萃、萃は、王が宗廟に臨む。大人に会うのがよい。通り、貞正によい。大いなる犠牲を用いるのは吉。進むところがあるのがよい。","高島易断 第45卦 沢地萃｜卦辞原文と解説｜東方玄学庫","高島易断第45卦 沢地萃の解説：卦辞「萃は、王、廟にいたる。大人にまみえるに利あり。亨る。貞しきに利あり。大牲を用うるは吉。往くところあるに利あり」。断辞と実占例を詳しく解説。","&#19948;",45,"萃：王が宗廟に臨む。大人に会うのがよい。通り、貞正によい。大いなる犠牲を用いるのは吉。進むところがあるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 45　沢地萃 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦は上が沢、下が地である。沢は水をたくわえ、地は沢をたくわえる。互卦は大畜で、蓄積し集める象がある。反対にすると升となり、升の象伝は「小を積んで高大にする」といい、積み集める意味がある。この卦は姤から来る。序卦伝に「姤とは出会いである。物は互いに出会ってから集まるので、これを受けるのが萃である。萃とは集まることである」とある。これがこの卦を萃と名づける理由である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 萃［40］：通る。王が宗廟に臨む［41］。大人に会うのがよい。通り、貞正によい。大いなる犠牲［42］を用いるのは吉。進むところがあるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲ 「萃」の篆書 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 萃と渙は名が反対であるが、その義は互いに必要とする。渙の通るのは、水が流れ風が行くことから取る。萃の通るのは、兌の喜びと坤の従順から取る。渙にも廟に臨む象があるが、渙の廟に臨むのは神気の発揚を示し、萃の廟に臨むのは真心が貫き通ることを示す。一方は散じ、一方は集まるので意味は異なるが、誠を致す道は一つである。王者が天下万国の喜びを一つにして祖先を祭り、諸侯が助け、衛士が守り、駿馬が廟へ駆けつける。これが萃の盛んな姿である。「大人」は九五を指す。五爻は萃の位にあり、衆を御して乱を治めることができるので、「会うのがよい」という。「通り、貞正によい」は、兌の「通り、貞正によい」と、坤の「柔順で貞正なのがよい」から来ている。坤は牛を表し、また用いることを表すので、「大いなる犠牲を用いる」という。大人が盛大な会合を行うなら、必ず牛を殺して盟約する。盟約が済めば進むことができるので、「進むところがあるのがよい」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 彖伝に曰く：萃とは集まることである。順って喜び、剛が中にあって応じるので、集まるのである。「王が宗廟に臨む」とは、孝を尽くして祭祀を奉げること。「大人に会うのがよい。通る」とは、正しさによって集まること。「大いなる犠牲を用いるのは吉。進むところがあるのがよい」とは、天命に従うことである。何に集まるかを見れば、天地万物の真情を見ることができる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 坤は集まりを表し、沢は水が帰り集まる所である。これを合わせて萃という。萃とは集まることである。この卦は上が喜び、下が順い、上下が志を同じくする。二爻は中を得、五爻は剛であり、二と五が互いに応じるので、集まることができる。「王が宗廟に臨む」について、陸績はいう。「王は五爻を指し、廟は上爻を指す。王者が万物を集めて祖先を祭り、諸侯が廟中で祭祀を助ける。これを鬼神に孝を尽くすという。」五爻は剛にして中を得、二爻がこれに応じるので「大人」と称する。二爻は離の気を受け、離は目を表すので「見るのがよい」という。萃と升は反対である。升は「大人を見る」といい、「利」とはいわないので「通る」ともいわない。萃は「見るのがよい」というので、利があれば必ず通り、その通り方は正しく集まることにある。「大いなる犠牲」とは牛である。左伝の「牛で日を占い、牲と呼ぶ」という注には、吉日を得れば牛を改めて牲と名づけるとある。坤は殺すことを表すので、坤の牛を執って殺し、牲として薦める。だから「大いなる犠牲は吉」という。これを用いて神を祀れば心を集めることができ、祭祀を助けに行けば力を集めることができる。その萃は、勢力で駆り立てたり力で迫ったりして成るものではなく、ただ天命に従うのみである。昔、殷の湯王は黒い牡牛を用いて皇天に明らかに告げ、万国に誓った。十一度の征伐を経て天下に敵がなかった。これこそ「大いなる犠牲を用いるのは吉、進むところがあるのがよい」、すなわち天命に従うことの明証である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を人事に当てはめれば、内には精神を集め、外には財力を集めること、いずれも萃である。しかし、順わなければ散じ、喜ばなければ離れ、剛でなければ衆を畏れさせることができず、中でなければ人を服させることができない。集まっても、最後には必ず渙となる。順って喜び、剛が中にあって応じてこそ、集まりは正しさを得る。「廟」は祖廟であり、礼に従って祭ることで孝を尽くす。「大人」は祭主、一家の長である。大人が一家の子孫を率いて祖廟で事を行い、廟に入る子孫は必ず先に祭主である長に会う。だから「大人に会うのがよい」という。そうすれば心は通じ、道理も正しくなる。「大いなる犠牲」とは祭礼である。大きな祭りなら牛や羊、小さな祭りなら鶏や豚を用い、いずれも牲という。牲が豊かでなければ祭るには足りず、備えがなければ祭ることもできない。ゆえに「大いなる犠牲を用いるのは吉」という。「進むところがあるのがよい」とは、祭祀を奉じ民を治めることに通じる。道理はもとより一つであり、中に入って祭祀を奉じられる者は、外に出て民を治めることができるので、進むのがよいという。一身のことでは祭祀を重んじ、孝を第一とする。目に見えないところでは真心によって祖先に通じ、目に見えるところでは和楽によって家庭を整える。人事とはいうが、これが天命でないはずがあろうか。一家から一国へ、一国から天下へと広げ、何に集まるかを見れば、天地万物の真情を知ることができる。彖伝の趣旨は、上には祖廟の神霊を集め、下には四海の人々の心を集めることにある。聖人は孝道によって天下を治め、民の徳は厚く素朴なものに帰り、万国が来たりて一つになる。これが萃の全体の象である。天があまねく覆い、地があまねく載せるように、万物は天地の中で出会い、集まり、育つ。だから「何に集まるかを見れば、天地万物の真情を見ることができる」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を国家に当てはめれば、国家の要は広い領土と多い人民にある。兌は喜び、坤は土と衆を表し、喜んで帰服し集まる象がある。順えば民は従い、喜べば民は服し、剛であれば屈せず、中であれば偏らない。いずれも衆を治めるに足り、正しさを得れば民は集まる。王者が帝位と統統を受け継いでも、まだ民に臨む前に、まず宗廟に臨むのは、祖先の重責を受け継ぐためである。孝経にいう、王者が万国の歓心を合わせて先王に仕えるとは、上には孝享の誠を尽くし、下には孝による政治の道を広め、天下に孝を興すことである。「大人」は王者である。見ても進んでもよいとは、立派な人材が続々と廟へ駆けつけ、みな昭考を仰ぎ見て、孝を尽くし祭ることをいう。時に大いなる牡を薦め、相ともに祭祀を行う者は、皆天の明命を仰ぎ、慎み敬って厳粛である。萃の盛んなること、これに勝るものはない。王者は天にならい地を法とし、天地がともに万物を育てるように万国を結び合わせれば、その心は天地と並ぶことができる。六爻はことごとく繰り返し萃を語る。初爻は萃によって乱を招き、三爻は萃のために嘆き、上爻は萃のために涙を流す。いずれも萃の正しさを得ていないので、恐れるべきである。五爻は萃の位を得、四爻は萃の吉を得、二爻は萃の誠を得る。これは彖伝のいう「順って喜び、剛が中にあって応じるので、集まる」ということである。民が帰服するさまは、水が低きにつくようであり、沢地の功を見ることができる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦を全体的に見ると、「国の大事は、祭祀と軍事にある」ということである。そこで彖伝は「廟を建てる」といい、象伝は「不慮の事に備えよ」という。その要は、まず人々を集めることにある。これがこの卦を萃とする理由である。卦体は下が順、上が悦で、順って悦ぶので、万民が帰服する。これによって祭器を手にして祭事を助ければ礼儀を誤らず、戈や矛を手にして君主の事に従えば、勇み立って進むべき道を知る。上には孝を盛んにし、下には仁を盛んにする。風俗は同じく、道は一つとなり、万国は協調する。萃の極みは、ここにある。萃が位を変えると臨となる。臨の象伝に「民を包み保つこと限りなし」とあるのは、萃の象である。両卦はいずれも沢と地から成る。沢は民を恵むことができ、地は衆を容れることができる。ゆえに地の上に沢があるのが萃、地の下に沢があるのが臨である。六爻のうち、五爻が萃の主であり、剛にして中を得た大人である。二爻はこれに萃まり、初爻と四爻もまたこれに萃まる。その位は萃を招くに足るので「位に萃まる」という。上爻は位がなく、涙を流して安らかでいられない。三爻は上爻と応じるため、上が悲しめば三も嘆く。内卦の三爻は地である。地は帰って来るものを土壌で選ばない。萃は人が多くても心が一つではないので、初爻は「号び」、三爻は「嘆き」、二爻は吉であってもなお導きを待つ。外卦の三爻は沢であり、沢に集まるものは自然に悦ぶ。五爻の萃は「永く貞正」を得、四爻の萃は自ら「咎なし」である。上爻は沢の極みにある。沢が満ちれば水があふれるので、涙を流し苦しむ象がある。そもそも天の民には欲望があり、主君がなければ乱れる。万国が集まって禹を帝とし、万民が悦んで服従して武王が興った。人心の向かうところに、天命の帰するところが現れる。したがって萃は力ずくで取ることはできず、ただ徳化によるのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 大象伝にいう。沢が地の上にあるのが萃である。君子はこれにならい、武器を整備して、不慮の事に備える。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 兌は金を表し、坤は器を表すので、武器の象がある。「除」とは修理して整えることである。武器を修め整えて不慮の事を防ぐのは、いわゆる「備えあれば憂いなし」である。卦象は、沢が地の上にある形である。水が満ちればあふれ、堤を破って突進し、その勢いは防ぎようがない。だから、あらかじめ防備しておくべきである。水は軍勢にも通じるので、ここから教訓を得られる。『穆天子伝』によれば、七つの萃の士があり、宿衛の者たちが輪のように集まったことからその名が付いたという。つまり萃とは、乱を食い止める防衛の士である。萃の象にいう「武器を修める」とは、おそらくこの意味を取ったのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：運気は平穏に進む。ただし安泰な時にも危険を忘れなければ、自然に楽しく憂いがない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：兵器は凶器、戦は危険な事である。事に臨んで恐れ、よく謀って成功すれば、不測の患いは避けられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：萃には財が集まる象がある。しかし集まれば必ず散り、満ちれば必ず欠ける。これも物事の循環であり、常にあらかじめ防いでおくべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：武功によって名を上げるのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：「賊ではなく、婚姻の相手である」。易では、賊と婚姻を対にしていうことが多い。兵乱を防ぐことは、女難を防ぐことにも通じる。あらかじめ用心すれば、自然に咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：水の上に沢があるので、大水が家に入り込む象に注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う：胸腹に水がたまって張る症状に注意し、早めに治療を調整するとよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 旅人を問う：途中で兵に阻まれ、しばらく帰れない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。","初六：信頼はあるが最後まで続かず、乱れてから集まる。もし呼びかければ、手を握って笑い合う。憂えるな。進めば咎はない。","初六：信頼はあるが最後まで続かず、乱れてから集まる。もし呼びかければ、手を握って笑い合う。憂えるな。進めば咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。乱れてから集まるとは、その志が乱れているのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 兌は信を表すので「信頼がある」という。坤は終わりを表し、初爻は位を失っているので「終わらない」という。坤は集まりを表すと同時に乱れも表すので、「乱れてから集まる」という。初爻は萃の始まりにあり、互いの信頼はまだ浅い。そのため、始まりはあっても終わりが少ない。最後まで続かなければ、ある思いでここに集まったものが、たやすく別の思いであちらに集まる。志はすでに乱れ、集まりがかえって乱れを長引かせるのである。象伝はこれを「志が乱れている」と解釈する。「乃」は「汝」と同じような語で、汝が自ら集め、汝が自ら乱すという意味である。初爻は陰柔で下におり、人を得ても、これを統率するには足りない。初爻は四爻と正応するので、集まりを統御する権限は四爻にあるべきである。「若」は従うこと、「号」は命令することであり、四爻の号令に従えという意味である。「一握為笑」とは、誠意をもって互いに交われば、皆が喜ぶことをいう。彖伝の「順って悦ぶ」に当たる。上の互卦は巽で、呼びかけを表し、下の互卦は艮で、つかむことを表す。手を取り合うのは握手のようなもので、退之のいう「手を握り、肺腑を示し合う」という意味である。兌は口を表すので「笑う」という。笑いを得たなら「憂えるな」。進むとは四爻へ進むことである。四爻は恩恵と威厳をともに示せるので、初爻は烏合の衆となって乱れることがない。ゆえに「咎はない」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：運の初めで、順逆が交互に来て変化が定まらない。救援を得れば咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：栄えたり辱められたりするのは、心の中に主となるものがないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：始めはあっても終わりがなく、集散が定まらない。利益は得られず、ただ咎を免れるだけである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：軍を率いて出征するなら、兵変の憂いに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：初めは乱れが生じるが、最後には結婚する象である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う：この病は、突然叫んだり笑ったりする。心神が混乱しているためである。出向いて医者を求めれば、必ず咎はない。心配しなくてよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治十五年十月、大水が突然起こり、上野・高崎間の鉄道管内にある戸田川口の仮橋が流失した。私は以前この工事を担当していたので、鉄道局長の井上君を訪ねて面会した。井上君は言った。「川口の仮橋が裂けて流され、鉄道が通れなくなったので、急いで修築を議論しなければならない。川口の堤防は平地より三メートル余り高い。頑丈な鉄橋を架ければ工事は大きく、費用も莫大になる。かといってまた仮橋を築けば、ひとたび洪水になった時に流されてしまい、これもよい策ではない。どうすればよいか、計画を立ててほしい」。私は答えた。「神意を易に問うてみてはどうでしょう」。そこで筮すると、萃が随に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦は沢が地の上にあり、洪水が氾濫する象を明らかに示している。初爻を得たので、この仮橋は長くもたず、築いてはたちまち倒れ、また築いてはまた倒れることが分かる。ゆえに「信頼はあるが終わらず、乱れてから集まる」という。初爻の正応は四爻であるから、四爻の命令を聞くべきである。「もし呼びかければ」とは四爻の号令であり、「握る」とは手に取ることである。四爻の号令を得れば、皆が喜び、進んでその仕事を引き受ける。兌は悦びを表す。これは「悦びをもって民を働かせれば、民はその労を忘れる」という意味であり、だから「手を握れば笑いとなる」という。ところが四爻は正位にないので、橋の位置も適切でないに違いない。五爻に「位に萃まる」とあるから、位置は五爻に従うべきである。五爻が変じると豫となる。豫にはあらかじめ備える意味がある。豫は上が震、下が坤であり、萃は上が兌である。兌は西、震は東なので、兌を震に変えるとは、橋を西から東へ移し、正しい位置にすることである。下の坤は地であり、厚さと基礎を表す。平地から土を盛って基礎とし、その上に橋を架け、さらに鉄索を設けて両岸の堤に結びつける。水が来れば水位に従って上がり、水が引けば平地に戻るので、流されて決壊する患いがない。ゆえに「咎なし」を得る。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 井上君はこれを聞いて、もっともだと思った。そこで衆議が決まり、これに従って橋を造った。翌年、再び大水が出たが、橋は無事であった。ますます易の象の神妙さに驚嘆した。","六二：導かれれば吉で、咎はない。誠があれば、簡素な夏祭りでもよい。","六二：導かれれば吉で、咎はない。誠があれば、簡素な夏祭りでもよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。導かれれば吉で咎がないとは、中正が変わっていないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 二爻は下卦の中にあり、上は五爻に応じるので、萃は最終的に五爻へ帰すべきだと知っている。二爻は初爻・三爻と同体であり、初爻の「乱れ」と三爻の「嘆き」は、誤った場所に集まっていることを示す。二爻は彼らを導き、五爻とともに集まらせることができるので、「導かれれば吉で咎はない」という。上の互卦は巽で縄を表し、下の互卦は艮で手を表すので、人を引く象がある。「禴」は夏の祭りの名である。六二は離の爻で、離は南方、また夏を表すので、「禴を用いるのがよい」という。二爻が動くと困の体となる。困の二爻にも「祭祀を行うのがよい」とあり、萃が反転すると升となり、升の二爻もまた「禴を用いるのがよい」という。二爻が中を得ているため、象意が同じなのである。彖伝は廟に入り犠牲を用いることをいう。二爻は祭祀を助ける立場なので、土地の産物を献じるべきである。坤は吝嗇を表すので、供物は質素でよい。しかし誠を尽くして集まりに来るなら、質素であっても信はある。誠は儀式の多さにあるのではない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：運は正しく中を得ている。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：人に引き立てられて昇進することが望める。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：「引」とは引き寄せること。人々と共同で行う商いなら、必ず吉を得る。ただし願を立て、神に報謝すべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：古代には出兵の際、必ず祭りを行った。国内では類祭、野外では馮祭といったのは、神を祭って軍に誓わせたのである。吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：二爻は五爻に応じるので、二と五が婚約する象である。ゆえに「引かれて吉」という。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う：仙人の断穀法を導引という。元気を導いて運行させ、充実して損なわれないようにすれば、病を退けられる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人が来て気運を占ってほしいと頼んだ。筮すると、萃が困に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦は地の上に沢があり、水を蓄えることができるので、財を集めることもできる。だから卦を萃という。今、二爻を得た。爻辞に「引かれて吉」とあるので、あなたが計画している事は、誰かに引き立てられて伸びるのを待って初めて吉となると分かる。二爻は五爻に応じるので、あなたを導く人は五爻に属する者である。ただし、その間に三爻と四爻が隔てている。礼物を用意して祈り、神の加護を願い、三爻と四爻が妨げられないようにすれば、計画は成就し、自然に吉で咎もない。","六三：集まっても嘆き、何の利益もない。進めば咎はないが、少し恥をかく。","六三：集まっても嘆き、何の利益もない。進めば咎はないが、少し恥をかく。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。進めば咎がないとは、上が巽だからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 三爻は坤の上にあり、坤は衆を表すので、萃の象を得る。しかし萃は多くの心が悦んでこそ役に立つ。三爻は陰でありながら陽位に居て、坤の衆を統率することができない。人は利益によって集まるので、集まっても利益がなければ、集まった者は嘆く。そこで「集まっても嘆く」という。五爻は萃の宗主であり、彖伝が「見るのがよい」と称する大人である。そこへ進んで帰属すれば利益がある。「少し恥をかく」とは、三爻には萃を統御する才がなく、衆の口にのぼって軽蔑されることをいう。象伝の「上が巽」とは、萃の上互卦が巽であり、巽の五爻に「利あらざるなし」とあることを指す。進めば巽の利益を得られるという意味である。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：運の道は平凡で、得られる利益はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：功名には不利で、かえって人に軽蔑される。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：品物が多くても売れなければ嘆かわしく、何の利益があろうか。ほかへ運んで売れば、咎は免れよう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：兵はあるが用いることができず、かえって怨嗟を招く。主将に衆を統御する才がないのである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：恨みを抱く夫婦の嘆きを免れない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：同居する者の仲が悪く、口論が多い。転居すれば咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う：胸やみぞおちに滞りがたまって痛み、何度も苦しみを訴える。大小便が通じないためで、通じれば咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○　訴訟を問う。不利。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】友人が来て気運を占ってほしいと頼んだ。筮すると、萃が咸に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く。この卦体は上が悦び、下が順であり、人々が帰服する象なので、これを得たのはよい。今、三爻を得た。三爻は陰でありながら陽位に居るため、もともと衆を統御する才がなく、人々に利益を与えられず、そのため衆の怨みを買う。だから「集まっても嘆き、何の利益もない」という。あなたは副局長の職にあるが、人心を得ていない。爻辞の言葉は、まさにあなたのために書かれたようである。あなたは人々を局長のもとへ帰属させるべきだ。そうすれば人々は局長から利益を得て、咎を免れることができる。象伝の「上が巽」とは、巽が順従を意味することであり、あなたの運の道もまた順調である。","九四：大いに吉、咎はない。","九四：大いに吉、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝にいう。大いに吉で咎がないとは、その位が正しくないからである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 四爻は坤を出て兌に入り、内卦と外卦の交わりに当たる。ここは恐れの多い位置である。初爻がこれに応じ、三爻がこれに比している。館を開いて賓客を招き、賢者を礼遇し、士にへりくだるなら、漢の王莽や曹操のように、臣下でありながら人々を得る者は、これ以上ない凶となる。爻辞が「大いに吉、咎はない」というのは、必ず「大吉」の道を尽くしてこそ「咎なし」を得られ、必ず「咎なし」の地を立ててこそ「大吉」を得られるということである。文王が天下の三分の二を持ちながら殷に仕えたように、自分が集めたとは思わず、集まった人々を率いて君主のもとへ帰せば、初めて大吉で咎なしといえる。象伝は「大いに吉、咎なし」に対して、なお「位が正しくない」と解釈する。その趣旨は厳しい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：運気は大いに好く、何をしても吉。ただし地位が不相応なので、慎むべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：大吉。ただし徳が位に釣り合わない恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：財を得て利益を得るので大吉。ただし一歩退く考えを持ってこそ、始めも終わりも全うできる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：戦いに勝ち、攻め取って大吉大利。ただし功績が高くなりすぎて主君を脅かし、誹謗を招くことに注意せよ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：四爻と初爻は正応なので、正しい配偶の象で吉。ただし家柄はあまり釣り合わない恐れがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：この家は人口が栄え、家庭も安らかで大吉。ただし地勢や格がやや低いのが気になる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を問う：外は強そうでも内は弱い病である。今のところは咎なく保てる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある家の采配役が来て気運を占ってほしいと頼んだ。筮すると、萃が比に変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く：卦を占うときは、爻辞を取り上げるだけでなく、爻象も併せて見るべきである。爻辞は吉であっても爻象は凶である場合がしばしばあり、また爻象は凶であっても爻辞は吉である場合もある。今回の爻辞は「大吉、咎なし」といい、象伝は「位、当たらず」というので、吉中に凶を免れない。あなたが気運を占ってこの爻を得たのは、あなた自身が支配の任に当たり、家を主宰する一切の権利をあなたが担うことを示す。しばらくの間、権力に追随する者は家の主人に向かわず、必ずあなたに向かうであろう。これも勢いの必然である。そこであなたの名声は大いに高まり、運勢も大いに盛んになる。どうして「大吉」といわないでいられようか。しかし実際には、このような権力はすべて家の主人のもので、あなたが自分のものとして持てるものではない。象伝が「位、当たらず」と戒めていることを、あなたは最も厳粛に受け止めるべきである。","九五：位を得て集まる。咎なし。信服されなければ、元より久しく正しさを守れば、悔いは消える。","九五：位を得て集まる。咎なし。信服されなければ、元より久しく正しさを守れば、悔いは消える。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に曰く：位を得て集まるとは、志がまだ光り輝いていないことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 五爻は尊位にあり、萃の主である。ゆえに「位を得て集まる」という。位にあって衆を治めるので「咎なし」である。しかし億兆の人々が帰服するのは、位があるからだけではない。必ず衆人を服させるに足るものがあってこそ、衆人は心の底から誠実に服するのである。萃は位によるとはいっても、実は徳によって集めるのであり、徳によって人を服させることを「信」とする。もし単に「位を得て集まる」だけで、権力や地位によって脅し取るなら、心服ではない。どうして信があろうか。「信なくして集まる」なら、後には必ず悔いが生じる。「大いに久しく正しきを守る」とは乾・坤の徳である。「元」は乾の人を長ずる徳、「永貞」は坤の万物を載せる徳である。この徳を備えれば徳と位がともに整い、庶民はみな相応じ、悔いは自然に消える。象伝が「志、いまだ光らず」というのは、位があるだけで実徳がないことをいうのである。按ずるに、比の彖伝にも「元永貞」とある。比は一陽が衆陰を統べるので、これを卦について述べる。萃は二陽があるが、衆陰を統べる主は五爻であるから、「元永貞」を五爻について述べるのである。それぞれ道理にかなっている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：位を得て権力を得、運は全盛に当たる。自ずから咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：財は集まるが、信用はまだ十分でない。正しきを守れば、業は自然に長続きする。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：位は高く、望みも大きい。さらに徳を修め、正道を実践すべきである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：三軍はすでに集まり、大業は成就できる。さらに誠実に助け合えば、末永く保てる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：身分は高く金も多いので、立派な婿といえる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：この家は地勢がよく、山が取り囲み水が集まる。親族が集まって住むので吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：心神が定まらない。静かに養生するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を問う：訴える者は爵位が高く、勢力も盛んである。たとえ道理に反していても、正しいとされる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 紛失物を問う：後日、長くたってから得られる。咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】ある日、友人が来て気運を占ってほしいと頼んだ。筮して、萃から豫へ変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く：五爻は萃の主であり、位もあれば衆もあるので、運に咎はない。あなたが気運を占ってこの爻象を得たのは、あなたが卑しい身分の者ではなく、地位も財もあり、一郷の望みとなる人物か、あるいは一家の主であることを示す。ただ一時、信義がまだ人々の心に届かず、疑いを抱かれることがある。道を踏み正しきを守り、長くそれを失わなければ、言葉には非難が少なく、行いには悔いが少なくなり、万事が滞りなく通じるであろう。","上六：嘆き悲しみ、涙と鼻水を流す。咎なし。","上六：嘆き悲しみ、涙と鼻水を流す。咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 象伝に曰く：嘆き悲しみ、涙と鼻水を流すとは、上位にあってまだ安らかでないことである。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「資咨」とは嘆きの声である。目から出るものを涙といい、鼻から出るものを洟という。「資咨涕洟」とは、悲しみ泣く有様である。上爻は陰柔で中を得ず、萃の極にいる。三爻と上爻は敵対する応位であり、敵応すれば集まることはできない。上に孤立して、どうして安らかでいられようか。自ら安んじられないことを知るからこそ、憂いは深く、思い悩みは甚だしく、ついには嘆き悲しみ、涙と洟を流すまでになる。悲愁が幾重にも結ぼれるのである。人々もその哀怨を察して、そこへ集まって来るはずだから、「咎なし」となる。皖江の陳氏は「咨」を財貨、「賫」を持つことと解し、財は集まるが民は散る、とする。財を持ちながら衆を持てなければ、豊かな資財を抱えて自ら危うくすることになる。鹿台や巨橋のように、ついには興王の恩賞の資となったのであり、これはまさに痛哭流涕すべきことである。この説も実情にかなっている。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を問う：人はおそらく年老い、運も衰え、ついには極貧と悲苦に至るので、憐れむべきである。しかし必ず同情して救援する者が現れ、咎を免れる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を問う：連れのない孤客が道の尽きる夕暮れに至り、大いに悲しみ憂える。幸い救いを得て、咎はない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を問う：時勢は衰え、運も極まっているので、名を成すことは望みにくい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 戦争を問う：軍勢が離反し、主将が孤立する象がある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を問う：生き別れ、死に別れの悲しみがある。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を問う：離別してすすり泣き、家中が安らかでない。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 病気を問う：悲しみ泣きすぎたことから起こった病である。心を広く持ち、養生するのがよい。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】明治二十一年六月、私は紡績綿製造工場の設立を計画して愛知県熱田に滞在していた。たまたま熱田神宮の前を通り、ある神職と出会って、ともに易を論じた。そのころはひどい旱魃で、郷里の農民数百人が社に願をかけ、雨乞いをしていた。私はその神職に言った。「村人たちは真心から願っております。神もきっと、雨を降らせよと懇ろに命じておられるのでしょうか」。神職は言った。「神が何を語りましょうか」。私は言った。「神は確かに言葉を発しません。しかし神に通じる言葉を持つものがあり、それは易ではないでしょうか。これで占ってみてはどうですか」。筮して、萃から否へ変じた。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く：この卦の上卦の沢は、水を受ける場所である。地の上に沢があるのは、沢が満ちて水があふれる象である。爻辞の「嘆き」は、人にあっては悲しみ怨む情、天にあっては震怒の声、すなわち激しい雷鳴である。「涙と洟」は、人にあっては悲しみ泣く様子、天にあっては水が滝のように降ること、すなわち大雨である。この激しい雷雨に当たれば、洪水が突然起こり、人々は災害に遭い、神もまた安んじられない。ゆえに象は「上にあってまだ安からず」という。日数を数えると、初爻から上爻まで六日である。必ず験があるはずだ。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n その時は七月十六日であった。これを聞いた者の多くは、まだ信じなかった。期日になってみると、空は晴れわたっていた。大神司の角田氏が私に言った。「大雨の期日は今日と出ているが、これでは験がないのではないか」。私は答えた。「私はただ占いを占いとして論じているだけで、験があるかどうかは私の知るところではありません。しかし、これまで私が占ったものは、一つとして験のなかったものはありません」。午後になると雲が湧き、風が起こった。三時に至るころには、雷神、電神、風神、雨神が幾度もそろって現れ、たちまち溝や水路は満ち、平地はすべて水となった。そこで役人たちは驚き、感服し、私のもとへ来て礼を述べた。翌年、伊藤議長と佐野顧問が熱田神宮の祭礼に参列し、役人たちに私の雨占が神験を示したことを尋ねた。役人たちはその断辞を上申した。両公は神徳の霊応に大いに感動し、熱田神社の創祀の由来を詳しく尋ねた。その後、宮内省から祠幣十万円が下賜され、社格は伊勢大神宮の次に列せられた。",null,"周易、易経、高島易断、第45卦、沢地萃、六十四卦、卦辞、爻辞、占断",1787044936462]