[{"data":1,"prerenderedAt":28},["ShallowReactive",2],{"metaeast_zhouyigaodaoyd_ja-gaodaoyiduan-57":3},{"slug":4,"archived":5,"date_created":6,"date_updated":7,"title":8,"seotitle":9,"seodescription":10,"htmlcode":11,"number":12,"content":13,"title1":14,"content1":15,"title2":16,"content2":17,"title3":18,"content3":19,"title4":20,"content4":21,"title5":22,"content5":23,"title6":24,"content6":25,"title7":26,"content7":26,"seo_keywords":27,"og_title":8,"og_description":10},"gaodaoyiduan-57",false,"2026-08-11T01:18:29.426Z","2026-07-04T14:35:17.000Z","巽は風となす、巽：小亨、往くところ有るに利あり、大人を見るに利あり。","高島易断 第57卦 巽為風_卦辞原文と解卦_東洋玄学ライブラリ","高島易断第57卦 巽為風 解卦：卦辞「巽：小しく亨る、往くところ有るに利あり、大人を見るに利あり」、断辞と実占事例の詳解付き。","&#19960;",57,"巽：小亨、往くところ有るに利あり、大人を見るに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 57　巽為風 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『序卦伝』に「旅にして容れらるる所なし、故にこれを受けるに巽をもってす。巽とは入るなり」と言います。卦としては二陽が上にあり、一陰が下に伏しています。陽は実にして陰は虚、虚なればよく入るのです。風は無形無色にして、もと虚の象であります。風の行くなるところ、隙として入らざるはなく、物の虚にしてよく入るものは風に如くはありません。《巽》の下画二偶（陰画）は虚であり、故に風に象どります。卑順をもって体とし、善入をもって用とす、これがこの卦を《巽》と名付けるゆえんであります。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 巽［75］：小しく亨る。往くところ有るに利あり。大人を見るに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ▲ 篆書体の巽 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 《巽》は本来《乾》体であります。《乾》の徳は元亨にして大亨とも称されますが、初画が動いて《巽》となり、純剛が化して柔となるため「小しく亨る」とします。卦の《彖》に「往くところ有るに利あり」と言うのは、《大過》《恒》《益》がいずれも《巽》を取っているからです。過剛の人は往くところ必ず行き詰まりますが、《巽》は《坤》の初一陰をもって《乾》に入り、柔をもって剛を助け、勉めて進むゆえに《巽》を利とし、「往くところ有るに利あり」と言います。「大人」とは二と五を指します。《巽》の二五はともに《乾》体であり、《乾》の二五はともに「大人を見るに利あり」とあります。《巽》の《彖》辞は《乾》より来ており、《乾》は利とし、上に互卦の《離》があり、《離》は見（見る）となるため、《巽》の《彖》もまた「大人を見るに利あり」と言うのです。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 《彖伝》に曰く：重なる巽は以て命を申（かさ）ねるなり。剛は順にして中正を得て志行なわれ、柔は皆剛に順う、ここをもって小しく亨り、往くところ有るに利あり、大人を見るに利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 卦象は上下とも《巽》であり、これを「重巽」と言います。《巽》は命令であり、申もまた重ねるということです。「申命」とは、一再ならず告誡することです。卦は初と四を柔とし、《坤》の気を得て卦の主とし、四つの剛が上に在って卦の用となるため、《伝》は特に「剛」と著しています。剛を用いる過ちは中正を得ないことに懸念がありますが、剛を用いるに《巽》より善いものはありません。故に《伝》はまた「剛巽して中正」と言うのです。これによって柔の行いはみな剛の行いであり、剛の行いもまた柔の行いとなり、ここに命令が出れば風のごとく行われ、影響のごとく迅速で、志のごとくにならざるはありません。初と四の陰柔は、適度に二と五の陽剛に叶うため、また「柔は皆剛に順う」と言うのです。陽は大となり、陰は小となるため、「小亨」と言います。下より往くを往くと言い、陽剛が上に在るため往くに利あります。「大人」とは陽剛の徳を執る者であり、故に見るに利あり、これ即ちいわゆる「剛に順う」ことであります。「剛に順う」者は、必ず善く柔を用い、これが《巽》の《巽》たるゆえんであります。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦をもって人事になぞらえるに、『正義』に曰く：もしこれを人事に施さば、容れざる所なく、自ら卑巽なること能う者は、また人事の善なるにして、巽を用いるより善きは莫し。卦体は上下とも《巽》であり、明らかに巽にしてまた巽なるを見せ、およそ為すところ有るも、ただ剛に附して立つのみにして、自ら立つこと克たず、成すところ大ならず、故に「小亨」と言います。人は往くところ無き能わざるなり、また見るところ無き能わざるなり、往けば必ずその利を求め、見れば必ず大人をもってす、固より人の願うところなり。然るに卦体は一陰を主とし、二陽が俯いて従い、全く巽を用いるに在り、象は「重巽」となり、その人は秉性柔順にして、一言一語、必ずこれがため審慎周詳にして、従容として暁諭す、いわゆる巽としてこれに与うの言これなり。然るに巽言にして人が繹ねざる者は、弊は偏に巽なるに在ればなり、故に巽は必ず兼ねるに剛をもってして巽すなわち善となり、これを剛巽と言い、是れ法と巽と並び用い、婉にして中を得、順にして正となし、ここに令出づればただ行われ、これを「剛巽して中正にして志行なわる」と言うなり。これを究むるにその志は行なわるを得るも、その道は未だ宏大ならず、何となれば「柔は皆剛に順う、ここをもって小亨」なるを以てなり。《巽》は進退となり、進むは即ち往くなり、風は往くとして入らざるはなく、故に往くに利あること有り。『説卦伝』に曰く、「巽に斉い、相見るに離をもってす」、《離》の象は大人となす、故に《巽》に「大人を見るに利あり」と言う。蓋し人は身をもって世に渉るに、行けば往く有り、用いれば見を求む、道は宜しく剛柔相済うべく、義は中正をもって衡となし、『大象』に「君子をもって命を申ね事を行なう」と言い、道もまたこれに外ならざるなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n この卦をもって国家になぞらえるに、《巽》の象たるや、天の上に行なわれては風となり、国の中に行なわれては命となります。風は蒼天の号令にして、その入るやまた至らざるはありません。故に上卦は政府となり、上に天命に順いて命令を発し、民心を拂うことなく、下卦は人民となり、順い承けて朝廷の条教を守り、あえて背くことありません。上は《巽》の道をもって下を化し、下は《巽》の道をもって上に事え、上下とも《巽》となり、いわゆる「君子の徳は風なり、小人の徳は草なり、草これに風を上うれば必ず偃す」とは、国家安泰の象であります。然るに天下の事は、陽剛を済（たす）くれば道宏大となり、陰柔をもって処せば量狭くなります。この卦は陽を主とするも、才力弱くして展布するところ微なり、謀為疎にして施設するところ浅く、不中不正にして、亨ると言えどもまた小なり。『系辞伝』に「巽は徳の制なり」と言い、また「巽はもって権を行なう」と言い、いわゆる徳とは必ず柔克剛克の相兼ねるなり、いわゆる権とは必ず可立可権の並び行なわれるなり。昔者于変の朝、九徳を謨陳し、寛栗剛塞、相輔けて行なわれ、号令を発し、民に中を用いざるはなく、四方ここにおいて風動せしは、由来有るなり。これ即ちいわゆる「剛巽して中正にして志行なわる」なり。『大象』に「風に従うは巽」と言い、『説卦伝』に「万物を撓（うご）かすものは風より疾（はや）きは莫し」と言い、四方に告ぐる者は命あらざるはなく、風流れ令行なわれ、政教かくのごとくその遠くに布かる。往く者は順をもって往き、見る者は順をもって見、六爻はその柔の剛に順うをもってのゆえに、ここに吉多く、上爻はその巽たる所以を失えば、則ち凶となるなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 通じてこの卦を観るに、卦体は一陰が二陽の下に伏し、陽が上に陰が下にあり、情は本より相得て、陰はまた下り、それが陽に入るや、陽はついにその令を俯して聴き、是れ陰をもって主となし陽をもって従となすなり。故に《巽》の陰は、よく権しよく制し、優柔にして寡断なるにあらざるなり。卦画の一偶は虚に象どり、凡そ物の虚なるは則よく入り、風もまた虚なり、故にその象を風に取る。風行けば万物鼓舞し、令出づれば万民率従し、風は声ありて形なく、命もまた声ありて形なし、故にその象を取る。善く民を令する者は、卑虚をもって閭里の情を察し、然るのちに従容として暁諭し、命の既に申（かさ）なるや、然るのちに划一として遵守し、以てその成を考う。いわゆる「剛巽して中正にして志行なわる」、四の「獲る有り」所以、五の「利あらざるなし」所以なり。ただその柔の剛に順うをもってのゆえに、六爻吉多し。初ての「進退」、二の「紛若」、その謀審らかなればなり、故にその命順い、若し謀審らかならず、是非明らかに非ず、可否中を得ざれば、徒らに甘言をもって歓娯となすも、それ誰かこれに順わん！不巽の咎は、自用より起こる、故に下卦は順を謀りて命を出だし、上卦は命を行ないて事となす。初ては「志疑う」して断ぜず、二は詳細に折衷し、三は中正ならず、謀る能わず、また断ずる能わず、四は断をもって功有り、五は命を制すること中正にして志行なわれ、上は巽懦無能にして九三より甚だしく、その究極は躁となり、故に凶なり。《巽》とは選なり、算に通じ、算するが故によく権し、権とは謀なり、巽は「称して隠る」といい、ただ諾々として言を甘んじ奉ずるを謂うにあらざるなり。「天下の至柔をもって、天下の至剛を馳騁す」。爻辞に「武人」と言い、「田獲」と言い、「資斧」と言い、その象を高となし、長となす、故に巽は徒らに柔なるにあらざるなり。陰陽剛柔、相済いて用となし、若し陽をもって陽に乗ずれば、則ち陽施すところなく、剛をもって剛を用いれば、則ち剛入るところなし。陰虚にして以て陽を承け、柔順にして以て剛を用う、故に剛を用いるは巽に如くはなく、これ《彖》のいわゆる「小亨」なり。然らば則ち五の《彖》に「先庚」「後庚」と言う者は何ぞや？《巽》と《兌》とは相往来し、《巽》の位は東南、天干の甲木なり、《兌》の位は正西、天干の庚金なり。木は柔にしてよく剛なる、故に直に従う、金は剛にしてよく柔なる、故に革に従う、木の性は上り遂げ、土に帰根す、故に下に順う、金の性は下沈し、致用に利あり、故に上に悦ぶ。順うが故に縄に従いて理解し、悦ぶが故に革に従いて響利なり。《巽》の時は春となり、《兌》の時は秋となり、万物《巽》に斉い、《兌》に悦び、一出し一入り、一始一終にして、天地西南の用尽きたり。二卦相資け、金反りて木となれば、則ち「甲の後」となし、故に《随》の《兌》、反りて《蠱》の《巽》となり、《兌》を「甲の前」となし、秋より春に還るは、事有るの象なり。木反りて金となれば、則ち「庚の後」となし、故に《巽》の上反りて《兌》の下となれば、則ち《巽》を「庚の前」となし、春より秋に往くは、悦利の象なり。《巽》入りて隠伏すれば、則ち悦ばず、故に《兌》に反り、《兌》出でて毀折すれば、則ち順われず、故に《巽》に反る。然れども《兌》未だ順われずしてよく悦ぶ者あらざれば、金未だ資を本とせずしてよく利ある者あらざれば、故に《巽》は陽をもって陰に順いて下り来たり、《兌》は陽をもって陰に悦びて上がり往き、往来屈伸、自然の法象なり。この《巽》の《蠱》とならざる者は、ただ九五の一爻あるのみ。聖人は人君の未だ乱れざるに命を制するを戒め、因りて《蠱》の《彖》辞をもって《巽》の爻辞となす。《蠱》においては振飭更新し、治乱相循る、故に「甲の前」「甲の後」「終われば則ち始あり」と言い、《巽》においては更始を労することなく、ただ「命を申ね事を行なう」、故に「庚の前」「庚の後」、初め無くして自から終わり有るなり。蓋し甲には初め有り、庚には初めと為すべきもの無く、庚より後三日は癸をもって終わるのみ。苟も顛覆自用してもって命となし、委靡阿順してもって《巽》となす者は、皆命を申ねるの治にあらずして、《蠱》まさに至らんとす。是れ爻の九五を戒める所以なり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 《大象》に曰く：風に従うは、巽なり。君子をもって命を申ね事を行なう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 「従う」とは相継ぐの意味であり、「命を申ね事を行なう」とは君命を重ね告げてこれを奉行することです。《巽》は従うとなり、従うとは従う（沿う）ことであります。また《巽》は風となり、風をもって風に従えば入らざるところ無きゆえに「風に従う」と言います。「風に従う」とは風に従うと言うがごときで、即ち「重巽」を謂うなり。風の行くこと相従えば向かうところみな靡き、号令の施すところ民心に順合し、民従わざるはなく、いわゆる「君子の徳は風なり」であります。また上卦の《巽》は大君の命を施す象となり、下卦の《巽》は臣民の命を奉ずる象となり、夫れ君命じ臣行なうは君臣の大義なり、故に「君子をもって命を申ね事を行なう」と言うのです。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 運勢：運途は順遂にして、百事大いに宜し。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業：商業は機に応じて変ずるに最も宜しく、命に聴いて行なえば、ここに利益を得べし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名：「風は虎に従う」、虎変の象あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 征戦：軍令の行なわれること風火のごとく迅速なり、令出づればただ行なうべく、遅疑すべからず。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻：父母の命、媒妁の言によるは礼の正しきなり。夫唱婦随して百年偕老す、吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病：風痺の症なり、人の扶持を待って行くべし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟：重ねて稟訴（訴え）を申すべし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物：風に飄（ひるがえ）りて失う、重ねて番（たず）ね尋ぬべし、あるいは復た得ることを得ん。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。","初六：進退す。武人の貞に利あり。","初六：進退す。武人の貞に利あり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 《象伝》に曰く：進退とは、志疑うなり。武人の貞に利ありとは、志治まるなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 初爻は陰柔にして下に居り、《巽》の主となす。巽は順なり、柔順にして決断に乏しき故に、象を進退となす。狐疑して決せざるは、毎（つね）に発念の初めに見われ、疑いを蓄えて謀を敗る、これ志の治まらざる所以なり。《巽》反りて《兌》を成し、《兌》は武人となし、武人は果決にして、以て疑いを断ずるに足る、故に「武人の貞に利あり」と言う。「貞」とは正なり、是れ剛強奮発の気にして、以て逡巡畏縮の偏を矯正すべし。《象伝》これを釈するに「志治まる」をもってし、是れ武をもって疑いを治め、即ち《兌》をもって《巽》を制するなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 運勢：運途正しからず、心神猶予し、ここをもって謀る事みな顛倒して成ることなし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商業：《巽》は本より利となすも、疑いによって敗れ、断によって成る、猶予する者は必ず利を得難きを知るべし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名：武に就けば成るべし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻：彬々たる文士に非ずして、宜しく桓々たる虎臣（武人）にあるべし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅：この宅は東南に向かい、地位当たらず、進退便利ならず、宜しく西に向かい変えて利となすべし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】　友人某来たりて、気運を占わんことを請い、筮して《巽》の《小畜》を得たり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 断に曰く：巽とは風なり、風の物たる、あるいは東あるいは西、来去無常にして、なお多疑の人の、進退定まりなきがごときなり。「武人」とは、その剛果にしてよく断ずるを取るなり。今足下気運を占い、この初爻を得たり、《巽》は七八月の卦にして、《巽》はまた木となし、足下現在木の運に交わるを知る、時に初秋に当たり、木は風の吹くによって、揺動して定まらず、人心の疑慮にして、進退決せざるに喻言す。「武人」とは粛殺の象なり、天は粛殺をもって秋を成し、なお人の剛決をもって事を成すがごとし、足下一味に巽柔にして、事に臨んで断ぜず、渾（まったく）風に随いて飄蕩するがごとく、毫も定見なく、本は事を畏るるも、知らず反って多事なるを。足下に勧む、当に沈潜剛克をもってこれに処すべし、その正を得るととなす。","九二：巽、床下にあり。史巫（しふ）を用いて紛若（ふんじゃく）たり、吉、咎なし。","九二：巽、床下にあり。史巫（しふ）を用いて紛若（ふんじゃく）たり、吉、咎なし。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 《象伝》に曰く：紛若の吉は、中を得ればなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『巽』は床であり、床の下は初爻を指します。『巽』は一陰が下にあるため、「床の下」と言います。およそ陰気が人に当たると、その人の神魂を不安定にさせ、幽霊や神を疑い、何かが憑依したようになります。剛強さをもって克ち進まなければ、その疑いや妄想を去ることはできません。「史」とは卜筮を司る官職であり、「巫」とは祓い清める祈祷を司る官職であり、いずれも『兌』の象から取られています。『兌』はまた決断や附着を意味し、史を用いて疑問を解き、巫を用いて災いを祓うことで、上下の神祇に思いが通じ、吉祥が集まるため、「紛若として、吉」と言います。「紛」とは多いという意味であり、「若」は語助詞です。『象伝』はこれを「中を得る」と解釈しており、その行いが中道を得て神祇を感孚させることができるため、「紛若」の吉があるのです。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う：神仏の加護を得て、運気は吉が多いでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う：貨物を運搬する際、迷いが生じた場合は卜筮に尋ねるべきで、自然と吉に導かれます。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を占う：神助を得て、吉です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 出征を占う：立場が低く、進退両難です。このような時は神明に祈願してこそ、吉を得られます。咎はありません。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う：これを占えば吉です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う：祈祷するのがよいでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を占う：床公・床婆（ベッドの神様）を祀り祈るべきで、そうすれば自然と咎はありません。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】 ある紳士が訪れ、現在の時勢を占うよう請われ、『巽』から『漸』に変わる卦を得ました。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 判断：巽とは柔順であり、その人物は必ず弱く無能で、優柔寡断です。九二に「巽、床の下にあり」とあるのは、床の下に匍匐し、頭を垂れて憐れみを乞う姿を表しています。あなたが時勢を占い、この爻辞を得たことで、現在の時勢において朝野上下が揃ってへつらいやおもねりを風潮とし、忠厚を迂遠とし、奸詐を得策としていることが分かります。いわゆる高官の門に伺候し、権勢の途を奔走することが、今日の士大夫が出世のための要策として頼るところとなっています。しかし、益々悪化して世道が日々衰退し、災害や災禍が来るのはすべて自業自得であることを知りません。爻辞に「史・巫を用いて紛若とすれば、吉」とあるのは、謙遜し卑下する道を権貴に用いれば諂い（へつらい）となり、神明に用いれば誠実な祈願となることを明示しています。誠心を尽くして神に祈れば、神は必ず加護を下さるため、吉にして咎がないのです。あなたに時勢を挽回する志があるならば、なすべきことがお分かりでしょう。","九三：頻りに巽す、吝。","九三：頻りに巽す、吝。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』に言わく：頻りに巽するの吝は、志窮まるなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 第三爻は陽が陽の位に居り、下『巽』の極みに位置します。「頻」とは度重なるという意味であり、下『巽』が終わり上『巽』が接するため、「頻巽」と言います。「剛にして中正に巽す」とは、単に巽（順従）のみを取るものではありません。九三はあまりに疾く巽に巽を重ね、一回の巽では足りずにもう一度巽を加えるかのようです。これはただ巽の巽たることを知るのみで、巽を制御する道を知らず、巽に偏った者です。偏れば吝となり、吝となれば窮まります。『象伝』が「志窮まる」と解釈するのは、三が『巽』の終わりに居り、志が卑しく道が屈曲して、ついに窮まるからです。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う：現在は運気が低迷しており、人から軽んじられるのを免れません。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 出征を占う：終始委靡（いび）し、力も志も衰えているため、屈辱を免れることは困難です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を占う：卑屈に身を低くしても、得られるものはごく僅かです。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う：巽順（素直さ）が行き過ぎて人と競い合えず、どうして利益を得られましょうか。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う：家柄が卑低であり、成就しても恥ずかしいものとなります。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う：建物が低く小さく、間違いなく貧しい家庭です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 訴訟を占う：柔弱ゆえに欺かれ、咎も自業自得です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】 友人の某氏が訪れ、運勢を占うよう請われ、『巽』から『渙』に変わる卦を得ました。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 判断：九三は内外卦の間に位置し、巽に巽を重ねるため、これを「重巽」と謂います。これはただ委靡不振（いびふしん）で災いを免れず、かえって恥を招くことです。あなたが運勢を占い、この爻辞を得たことで、現在の運気が弱く、奮い立つ力がないことが分かります。『彖伝』にいわゆる「剛にして中正に巽す」という姿勢で対処すべきです。そうすれば巽の道が活かされ、自らを強くするのに十分であり、志を行なうことができ、その道が窮まることもありません。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】 明治三十年、貴族院の気運を占い、『巽』から『渙』に変わる卦を得ました。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 判断：爻辞に「頻りに巽す」とあるのは、上下とも『巽』だからです。『正義』は「頻」を頻戚（ひんせき、度重なる悲しみや憂い）の容（かたち）とし、志や意図が抑圧されて伸ばすことができず、『巽』の時に処して屈辱を受けるしかないため、「頻りに巽す、吝」と言います。今、貴族院を占ってこの爻辞を得たことで、現在の院内議員たちが皆、巽順を懐き、『巽』の道を行い、『巽』の時に処して志が窮まり力が弱く、ただ屈辱を受けて度重なる憂いに沈み楽しめないことが分かります。本年、貴族院には目立った功績は決して見られないでしょう。","六四：悔い亡ぐ、田して三品を得たり。","六四：悔い亡ぐ、田して三品を得たり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』に言わく：田して三品を得るとは、功有るなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 四は重『巽』の主であり、正を得て剛に順ずるため、「悔い亡ぐ」と言います。四は初爻と同体であり、初爻には「武人に利あり」とあり、『離』の甲冑や弓矢を取り、四の「田（狩り）」もまた『離』の網罟（あみ）を取るため、その象も同じです。『周礼』にある四季の狩りは、いずれも事前に戒めを示し、命に従わせるものであり、これは『大象』に言う「命を申（かさ）ねて事をなす」の義と同じです。「獲」とは狩りで得る獲物のことです。「三品」とは、一つは乾豆（祭祀の供物）、二つは賓客をもてなすため、三つは君主の厨房を満たすためのものです。『象伝』はこれを「功有り」と解釈し、『詩経・豳風』に詠まれる「大猪を献じ小猪を取って武功を継ぐ」のように、鳥獣を捕獲して功績を立てることを意味します。一説には、『解』九二の「田して三狐を得る」は小人を去ることを言い、『巽』九四の「田して三品を得る」は君子を用いることを言うとされます。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う：運気が正道を得て、災難も後悔も消え去り、進んで功績を立てられます。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 出征を占う：南東から進軍すれば、自然と戦果を挙げて功績を立てられます。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を占う：功績を捧げて恩賞を受け、世に出て名を成すでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う：皮革や羽毛などの品々を仕入れることで富を築けるでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う：婚礼において、古代に鴨を射たり雀を射たりしたのは、これも狩りの象です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を占う：「悔い亡ぐ」とあるため、病気は必ず全快します。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 失物を問う：見つかる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】 横浜のある商人が訪れて言うには「私は今ある事業を企てようとしております。その得失を占ってください」と。『巽』から『姤』に変わる卦を得ました。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 判断：『巽』は市に近く利三倍を得る卦であり、六四は重『巽』の主としてこれに十分当たるものです。今、四爻を得て、四に「悔い亡ぐ、田して三品を得たり」とあるのは、悔いがなく獲物があることを明言しています。あなたの企てる事業には大利があることが分かります。疑うことなく、全力を挙げて従事されるのがよろしいでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 商人は大いに喜び、資金を集めて日光や会津地方へ直行し、人参を買い集めて清国商人に転売したところ、果たして大利を得たということです。","九五：貞にして吉、悔い亡ぐ、利にあらざるなし。初めなくして終りあり。庚に先立つこと三日、庚に後れること三日、吉。","九五：貞にして吉、悔い亡ぐ、利にあらざるなし。初めなくして終りあり。庚に先立つこと76三日、庚に後れること三日、吉。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』に言わく：九五の吉は、位中正なればなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 九五は卦の尊位に居り、中にして且つ正であり、これこそ「剛にして中正に巽す」大人（たいじん）であって、あらゆる吉が備わっています。「庚に先立つこと三日」とは「丁（てい）」のことであり、丁は懇ろに戒める（叮嚀）の意を取ります。「庚に後れること三日」とは「癸（き）」のことであり、癸は周到に推かる（揆度）の義を取ります。卦体の五爻が動くと『蠱』となり、『蠱』の六五には「甲に先立つこと三日」の辛（しん）、「甲に後れること三日」の丁（てい）とあり、『巽』の九五には「庚に先立つこと三日」の丁（てい）とあります。『蠱』は丁で終わり、『巽』は丁で始まります。「甲に先立つ」の辛から始まらないことが「初めなし」です。癸は十干の最後であり、『巽』は「庚に後れる」の癸で終わることが「終りあり」であり、それ故「初めなくして終りあり」と言います。『蠱』は三月の卦であり、春は木が盛んなため甲を用います。『巽』は八月の卦であり、秋は金が盛んなため庚を用います。木が腐ると虫が湧いて『蠱』となりますが、『巽』は金を用いてこれを克するため、変じて『蠱』となるに至りません。ゆえに『蠱』は甲を用いて「小しく悔い有れども、大いなる咎なし」とし、『巽』は庚を用いて「貞吉にして悔い亡ぐ」を得るのです。『象伝』は位をもってこれを解釈し、「中正」ゆえに吉を得ると述べています。全六十四卦の中で、九五において「貞吉、悔い亡ぐ」と言うものは、唯この一卦のみです。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う：丁や癸の日に事を為せば、行くとして利にあらざるはなく、大吉です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う：生業は木の爻を取り、日時は金の日を用いるのがよく、初めは小さな後悔があっても後には必ず大利を得て、吉です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を占う：位は中正を得て、爻辞に「貞吉」とあります。丁や癸の年に遭遇すれば、必ず名を成すでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 出征を占う：軍勢に対しては必ず細やかに告戒し、地形に対しては必ず周到に推かるべきです。事にあたって慎重に謀り、始終怠らないため、戦えば勝ち、大吉です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う：丁は火、癸は水であり、水火が調和して相配するため、吉です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う：その邸宅は北に座して南に向かい、位置が中正を得ており、大吉です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 疾病を占う：三日で全快するでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】 明治二十四年、ある貴顕の運勢を占い、『巽』から『蠱』に変わる卦を得ました。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 判断：爻象によって論じますと、気運は金水をもって旺相（おうそう）とします。丁から癸に至る七年間はまさに盛運に入り、いわゆる「貞吉にして悔い亡ぐ、利にあらざるなし」です。『大象』に「位中正を得る」とあり、貴下が本年必ず顕職に昇進し、禄位が益々高くなり、まさに有為の時を迎えることが分かります。卦体の九五が動くと六五が変じて『蛊（こ）』となります。『蛊』とは腹の中の虫であり、国政の内乱を譬えています。貴下が『巽』の庚（こう）を用いる法に倣うことができるなら（庚とは「更（あらた）める」の義）、巽を用いて権を振るい、時に因って宜しきを制し、旧を改めて新に従い、命令は必ず丁寧（叮嚀）に申し伝え、事は必ず揆度（推かる）して行うならば、『彖伝』にいう「剛にして中正に巽し、志行なわる」とは、まさに貴下にかかっているのです。","上九：巽して床の下にあり、その資斧を喪う、貞なれども凶。","上九：巽して床の下にあり、その資斧を喪う、貞なれども凶。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 『象伝』に言わく：巽して床の下にあるとは、上窮まるなり。その資斧を喪うとは、正に凶なるなり。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 上爻と初爻は終始をなします。初爻は下にあり疑いが多いため、「武人の貞」を示されました。上爻に至っては卦の極みに位置し、位が高く責任も重いため、事に任ずるにあたっては益々勇猛果断であるべきです。どうして終始おどおどして自ら退伏し、二爻の「床の下」と同じようになってよいでしょうか。高くなるほど益々危うくなり、自立することができません。「資斧（しふ）」について、虞喜の『志林』に「資」は「斎」と作すべきで、斎戒して廟に入り斧を受けること、即ち上が高位に居り、廟に入り斧を受けて自らその威権を振るうに足ることを言い、概ね初爻の「武人に利あり」の義と同じです。しかし巽順にして優柔寡断なためその威権を失い、これがいわゆる「斎斧を喪う」の義です。事を恐れれば事態は益々増大し、災いを避ければ災いが反って集まるため、「貞なれども凶」と言います。『象伝』が「床の下にある」を「上窮まる」と解釈するのは、上が高楼や朝廷に居ながら恐々とし、床の下に匍匐するのと異ならないため、その窮状が哀れだからです。「正に凶なるなり」をもって「貞凶」を解釈するのは、行き過ぎた巽（順従）が正しさを失っていることを明らかにしており、正しさを失うがゆえに凶なのです。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 　　【占い】 \u003Cbr> \n ○ 時運を占う：運気が不正で、為すことが委靡（いび）しており、高くなるほど危うく、失うばかりで得るところがなく、凶です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 出征を占う：主帥でありながら恐々として優柔寡断であれば、必ずや軍を失い国を辱め、身もまた危うくなります。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 商売を占う：決断すべき時に決断せず、因循（いんじゅん）して時機を逃すため、損失は必ず大きいでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 功名を占う：必ずや最後まで全うすることはできないでしょう。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 婚姻を占う：恐妻（妻を恐れる）の象があり、偕老同穴（共に老いること）を期待し難く、凶です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 家宅を占う：喪事があることを示し、凶です。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n ○ 妊娠について問う。女児が生まれる。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 【例】 明治二十四年、国家の治乱の国運を占い、『巽』から『井』に変わる卦を得ました。 \u003Cbr> \n  \u003Cbr> \n 判断：上九は卦の極みに位置し、極まれば反（かえ）るを思い、まさに有為の時です。上爻の地位は甚だ高く、事も多く、任ずる事も益々重いため、威権を手に握り、まさに独断専行すべきです。国家がこの盛会にあたり、このような人材を得て、奮然として振興し、力めて富強を求め、巽懦（そんだ）に安んじなければ、弱を反して強となし、貧を転じて富となすことは、旦夕（たんせき、わずかな時間）のうちに期待するのも難しくありません。憂慮されるのは、眼前（現状）に安んじてそれ以上を望まず、委靡不振にして甘んじて人の下に居り、あらゆる外交などの事において、おどおどして従い、自ら強くあろうとせず、商業の往来において財を失い、国事の交渉において威厳を失うことです。これがいわゆる「その資斧を喪う」ということです。維新以来、政府が急速に治世を図ろうとして、欧米に倣うことを善策としましたが、倣うところの多くは皮相（皮肉）にとどまり、その精蘊（真髄）を究めるに至っていません。そのため事ごとに欧米の下に出ることになり、これこそいわゆる「巽して床の下にある」ということです。今日の計としては、命令を重ねて示し、天下と共に新しくなることを期し、因循も苟且（かりそめ）もなく、斧鉞（ふえつ）の威を奮ってその剛巽の志を行うべきです。そうすれば軍務・武備が修明され、欧米の上に立つことも難しくありません。これこそ治道が日々隆盛に向かう吉祥であり、国政を執る者が努力してこれを図ることを願うばかりです！",null,"周易, 易経, 高島易断, 第57卦, 巽為風, 六十四卦, 卦辞, 爻辞, 占断",1787044936521]