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雷沢帰妹。帰妹:征けば凶、よいことは何もない。
帰妹:進めば凶、よいことは何もない。
54 雷沢帰妹
この卦は震が上、兌が下である。震は長男、兌は少女を表す。彖が男女を象として取る場合、咸の少男・少女や、漸の長女・少男のように、通常は夫婦をいう。しかし震の男と兌の女だけは、兄妹を象として取る。女子は先に生まれた者を姉、後に生まれた者を妹という。諸侯は正妻を一人娶るとき、九人の女性を伴わせ、姉が嫁ぐ際には妹が妾として従った。孔穎達は「少女を妹といい、姉に従って行くことを帰という」と述べている。これがこの卦を帰妹と呼ぶ理由である。
帰妹[65]:進めば凶、よいことは何もない。
帰妹は、年少の女と年長の女が正しい組み合わせでないこと、すなわち夫婦の関係が正しくないことをいう。女は夫を家とする。男については妻を娶るといい、女については帰るという。だから漸には「女の帰嫁は吉」とあり、咸には「女を娶るに吉」とある。「征」とは行くことであり、これは駆け落ちを意味するので凶である。隙間からひそかにのぞき、壁を越えて従い合うような行いは、父母にも国人にも卑しめられる。このような女の徳で、夫に何の利益があろうか。ゆえに「よいことは何もない」といい、痛切に戒め、深く悪むのである。
彖伝はいう。「帰妹は天地の大義である。天地が交わらなければ万物は興らない。帰妹は人の終始である。悦んで動くのが、妹を帰嫁させることである。征けば凶なのは、位が当たっていないからである。よいことが何もないのは、柔が剛に乗っているからである。」
三陽三陰の卦は、いずれも乾と坤から来ている。乾の上爻を陽から陰に変えると兌となり、坤の下爻を陰から陽に変えると震となる。兌が女、震が男であるから、卦名を帰妹という。震と兌の父母は乾と坤であり、乾坤は天地である。天地が交わって万物が繁栄し、男女が交わって子孫が増える。これが「天地の大義」であり、人倫の終始でもある。兌は悦び、震は動く。「悦んで動く」とは、情の悦びによって互いに従うことであり、そのように妹を嫁がせるのは正道を失う。「征けば凶」とは、震が征進を表し、悦びに乗じて進もうとすることが、媚びへつらい、讒言を巧みに用いて、媵の身分で正妻の地位を奪おうとすることだからである。ゆえに彖伝は「位が当たっていない」と退ける。「よいことは何もない」とは、柔弱な悦びの性質が剛強な動きの勢いに乗り、一度寵愛を得れば乾の陽を押さえつけようとするからである。女の権力がこのようになれば、本人に不利なだけでなく、必ず家や国にも不利となる。彖伝は特に、その正しくない理由を明らかにしている。ここで嫁ぐ妹は、まさに「悦んで動く」者なのである。
この卦を人事に比定するなら、「帰妹」とは女に家があり男に室があることであり、人事の終始であります。天地の道は陰陽の交わりによって万物を化生し、夫婦もまた一つの陰陽であります。しかし女子の嫁入りは、礼をもって結納し、時をもって嫁ぐべきものであり、『漸』の止まって動くが如くであれば「女嫁ぐに吉」となります。これに反し、女が悦んで男が動くのは、私的に従い合うことです。父母の命や仲人の言葉を待たず、悦びによって動くことが、どうして『帰妹』の正道と言えましょうか。その位は陽が陰に居て不当であり、ゆえに「凶」となります。さらに一陰が二陽の上に処すのは「柔、剛に乗る」であり、ゆえに「利する所なし」となります。『伝』の垂誡は、容色に惑わされ偏愛に走り、艶妻が乱を煽ることを深く戒めるものです。婦徳がひとたび乱れれば家道も衰退し、これこそ人事の変であります。牝鶏が晨を司る災禍は、誠に言い尽くせぬものがあります。
この卦を国家になぞらえると、婦の夫に従うは臣の君に従うが如くであり、夫婦君臣は人倫の大節であり、即ち「天地の大義」であります。容悦をもって位を得る臣は、巧言令色、ひたすら媚び諂いを業とし、その奸謀の極まるところ、必ず宮闈(後宮)と結びつき宦官と連合して威勢を張ります。しかも佞媚の中に抑圧の手を潜ませ、ひとたび威権を握れば王霊を軽んじ、天位の存在すら意に介さなくなります。最後には凶禍が臨み、勢いは敗れ身は滅びます。これぞ「女子と小人は養い難し」と古より言われるゆえんであり、聖人が痛切に戒めを垂れた理由であります。『帰妹』の『彖』辞が、冒頭に「征けば凶、利する所なし」の五字を掲げるのもこの旨であります。『伝』はさらに「悦びて動くは、帰妹する所なり」と進めて述べており、およそ『帰妹』は人倫の常道であっても、「悦びて動く」のは『帰妹』の変調であり、「征けば凶」にして「利する所なし」となるのは、すべて「悦びて動く」ことが災いの階段となるからです。天下の事で悦びによって動き、正しきを保てたものはありませぬ。女子と小人の凶は同じであり、国家を治める者は最も厳に警惕すべきであります。
この卦全体を見ると、「帰妹」は少女である。少女は無知であるため妹と称する。情欲が互いに感じ合い、悦ばしいものを見て心が乱れ、礼によらずに動くのが「帰妹」である。姉がまだ嫁いでいないのに妹が先に嫁ぐのは、序を乱すこと。媵の身でありながら嫡位を奪おうと思うのは、分を越えること。婦徳がこのようであれば、これ以上の凶はなく、何の利益があろうか。六爻は柔が上、剛が下で、内外が逆さになっている。二爻と四爻は陽が陰位に居り、男が不正で女に従う。三爻と五爻は陰が陽位に居り、女が不正で男に従う。上卦では六五が九四に乗り、下卦では六三が九二に乗る。夫は婦に屈し、婦は夫を制する。陰がかえって上に居り、陽が初めに下る。すべて「漸」の順序を失っている。だから「漸」は六爻の多くが吉で、上に至るほどますます吉となるのに対し、「帰妹」は初爻だけが吉で、上爻に至れば「利するところなし」となる。ゆえに君子は艮のように漸次に慎み、軽い悦びを戒めるのである。
『大象』に曰く、沢の上に雷有るは帰妹なり。君子以て永終して敝を知る。
この卦は「漸」と反対で、上卦は雷、下卦は沢である。雷が動けば、沢の水も揺れ動く。陰が陽に感じ応じるのは、女が男を誘い、男を動かすようなものである。身を失い徳を破り、初めを慎まなければ、どうして「終わりを永く保つ」ことができようか。君子はこの象を見て、悦びが私欲に引かれ、動けば正しさを失うことを知る。始めが悪ければ、弊害は後に現れる。その未然を防ぐには、「終わりを永く保つ」ことによって「弊害を知る」べきである。そうすれば妾を妻とせず、賤しい者が貴い者を妨げることもない。嫡庶を正し、名分を厳しくすれば、大義が廃れるのを保つことができる。
【占い】
○ 時運を問う。一時は動き出すが、長続きしにくい。
○ 商売を問う。商品の値は上がって買い手も喜ぶが、最後まで見通すことは難しい。
○ 功名を問う。道に従わずに進めば、後悔することになろう。
○ 戦争を問う。地中の雷が突然起こるように、一挙に勝利を制することはできるが、一勝の後に兵力が疲弊し、最後まで保てない恐れがある。
○ 婚姻を問う。一時の情欲や私情に恋着するだけなら、百年添い遂げることは難しい。
○ 家宅を問う。地盤が動いている。嫁いだ女性は実家の母と同居しないほうがよい。
○ 病気を問う。「終わりを永く」の二字は、病占に限って不利であり、寿命の限りがすでに尽きたことを明らかに示す。
○ 訴訟を問う。終結できる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
54 雷沢帰妹
この卦は震が上、兌が下である。震は長男、兌は少女を表す。彖が男女を象として取る場合、咸の少男・少女や、漸の長女・少男のように、通常は夫婦をいう。しかし震の男と兌の女だけは、兄妹を象として取る。女子は先に生まれた者を姉、後に生まれた者を妹という。諸侯は正妻を一人娶るとき、九人の女性を伴わせ、姉が嫁ぐ際には妹が妾として従った。孔穎達は「少女を妹といい、姉に従って行くことを帰という」と述べている。これがこの卦を帰妹と呼ぶ理由である。
帰妹[65]:進めば凶、よいことは何もない。
帰妹は、年少の女と年長の女が正しい組み合わせでないこと、すなわち夫婦の関係が正しくないことをいう。女は夫を家とする。男については妻を娶るといい、女については帰るという。だから漸には「女の帰嫁は吉」とあり、咸には「女を娶るに吉」とある。「征」とは行くことであり、これは駆け落ちを意味するので凶である。隙間からひそかにのぞき、壁を越えて従い合うような行いは、父母にも国人にも卑しめられる。このような女の徳で、夫に何の利益があろうか。ゆえに「よいことは何もない」といい、痛切に戒め、深く悪むのである。
彖伝はいう。「帰妹は天地の大義である。天地が交わらなければ万物は興らない。帰妹は人の終始である。悦んで動くのが、妹を帰嫁させることである。征けば凶なのは、位が当たっていないからである。よいことが何もないのは、柔が剛に乗っているからである。」
三陽三陰の卦は、いずれも乾と坤から来ている。乾の上爻を陽から陰に変えると兌となり、坤の下爻を陰から陽に変えると震となる。兌が女、震が男であるから、卦名を帰妹という。震と兌の父母は乾と坤であり、乾坤は天地である。天地が交わって万物が繁栄し、男女が交わって子孫が増える。これが「天地の大義」であり、人倫の終始でもある。兌は悦び、震は動く。「悦んで動く」とは、情の悦びによって互いに従うことであり、そのように妹を嫁がせるのは正道を失う。「征けば凶」とは、震が征進を表し、悦びに乗じて進もうとすることが、媚びへつらい、讒言を巧みに用いて、媵の身分で正妻の地位を奪おうとすることだからである。ゆえに彖伝は「位が当たっていない」と退ける。「よいことは何もない」とは、柔弱な悦びの性質が剛強な動きの勢いに乗り、一度寵愛を得れば乾の陽を押さえつけようとするからである。女の権力がこのようになれば、本人に不利なだけでなく、必ず家や国にも不利となる。彖伝は特に、その正しくない理由を明らかにしている。ここで嫁ぐ妹は、まさに「悦んで動く」者なのである。
この卦を人事に比定するなら、「帰妹」とは女に家があり男に室があることであり、人事の終始であります。天地の道は陰陽の交わりによって万物を化生し、夫婦もまた一つの陰陽であります。しかし女子の嫁入りは、礼をもって結納し、時をもって嫁ぐべきものであり、『漸』の止まって動くが如くであれば「女嫁ぐに吉」となります。これに反し、女が悦んで男が動くのは、私的に従い合うことです。父母の命や仲人の言葉を待たず、悦びによって動くことが、どうして『帰妹』の正道と言えましょうか。その位は陽が陰に居て不当であり、ゆえに「凶」となります。さらに一陰が二陽の上に処すのは「柔、剛に乗る」であり、ゆえに「利する所なし」となります。『伝』の垂誡は、容色に惑わされ偏愛に走り、艶妻が乱を煽ることを深く戒めるものです。婦徳がひとたび乱れれば家道も衰退し、これこそ人事の変であります。牝鶏が晨を司る災禍は、誠に言い尽くせぬものがあります。
この卦を国家になぞらえると、婦の夫に従うは臣の君に従うが如くであり、夫婦君臣は人倫の大節であり、即ち「天地の大義」であります。容悦をもって位を得る臣は、巧言令色、ひたすら媚び諂いを業とし、その奸謀の極まるところ、必ず宮闈(後宮)と結びつき宦官と連合して威勢を張ります。しかも佞媚の中に抑圧の手を潜ませ、ひとたび威権を握れば王霊を軽んじ、天位の存在すら意に介さなくなります。最後には凶禍が臨み、勢いは敗れ身は滅びます。これぞ「女子と小人は養い難し」と古より言われるゆえんであり、聖人が痛切に戒めを垂れた理由であります。『帰妹』の『彖』辞が、冒頭に「征けば凶、利する所なし」の五字を掲げるのもこの旨であります。『伝』はさらに「悦びて動くは、帰妹する所なり」と進めて述べており、およそ『帰妹』は人倫の常道であっても、「悦びて動く」のは『帰妹』の変調であり、「征けば凶」にして「利する所なし」となるのは、すべて「悦びて動く」ことが災いの階段となるからです。天下の事で悦びによって動き、正しきを保てたものはありませぬ。女子と小人の凶は同じであり、国家を治める者は最も厳に警惕すべきであります。
この卦全体を見ると、「帰妹」は少女である。少女は無知であるため妹と称する。情欲が互いに感じ合い、悦ばしいものを見て心が乱れ、礼によらずに動くのが「帰妹」である。姉がまだ嫁いでいないのに妹が先に嫁ぐのは、序を乱すこと。媵の身でありながら嫡位を奪おうと思うのは、分を越えること。婦徳がこのようであれば、これ以上の凶はなく、何の利益があろうか。六爻は柔が上、剛が下で、内外が逆さになっている。二爻と四爻は陽が陰位に居り、男が不正で女に従う。三爻と五爻は陰が陽位に居り、女が不正で男に従う。上卦では六五が九四に乗り、下卦では六三が九二に乗る。夫は婦に屈し、婦は夫を制する。陰がかえって上に居り、陽が初めに下る。すべて「漸」の順序を失っている。だから「漸」は六爻の多くが吉で、上に至るほどますます吉となるのに対し、「帰妹」は初爻だけが吉で、上爻に至れば「利するところなし」となる。ゆえに君子は艮のように漸次に慎み、軽い悦びを戒めるのである。
『大象』に曰く、沢の上に雷有るは帰妹なり。君子以て永終して敝を知る。
この卦は「漸」と反対で、上卦は雷、下卦は沢である。雷が動けば、沢の水も揺れ動く。陰が陽に感じ応じるのは、女が男を誘い、男を動かすようなものである。身を失い徳を破り、初めを慎まなければ、どうして「終わりを永く保つ」ことができようか。君子はこの象を見て、悦びが私欲に引かれ、動けば正しさを失うことを知る。始めが悪ければ、弊害は後に現れる。その未然を防ぐには、「終わりを永く保つ」ことによって「弊害を知る」べきである。そうすれば妾を妻とせず、賤しい者が貴い者を妨げることもない。嫡庶を正し、名分を厳しくすれば、大義が廃れるのを保つことができる。
【占い】
○ 時運を問う。一時は動き出すが、長続きしにくい。
○ 商売を問う。商品の値は上がって買い手も喜ぶが、最後まで見通すことは難しい。
○ 功名を問う。道に従わずに進めば、後悔することになろう。
○ 戦争を問う。地中の雷が突然起こるように、一挙に勝利を制することはできるが、一勝の後に兵力が疲弊し、最後まで保てない恐れがある。
○ 婚姻を問う。一時の情欲や私情に恋着するだけなら、百年添い遂げることは難しい。
○ 家宅を問う。地盤が動いている。嫁いだ女性は実家の母と同居しないほうがよい。
○ 病気を問う。「終わりを永く」の二字は、病占に限って不利であり、寿命の限りがすでに尽きたことを明らかに示す。
○ 訴訟を問う。終結できる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
初九。帰妹、娣を以てす。跛なれども履むこと能う。征けば吉。
初九。帰妹、娣を以てす。跛なれども履むこと能う。征けば吉。
象伝にいう。「妹が娣となるのは、常道である。跛でも歩けるのは、吉が相次ぐことである。」
六爻では五爻を尊位とし、正嫡を表す。それ以外はすべて娣である。初爻は最も下の位にあるので、「帰妹、娣を以てす」という。娣は嫡妻の命を受け、勝手に取り仕切ることはできない。これは、足の不自由な者が自由に歩けないのと同じで、娣としての分を守り、従順に承ける道を行うだけである。ゆえに「跛でも歩ける」という。「震」は足を表し、「兌」は損傷・折損を表すので、跛の象がある。九が初位に居るのは正位であり、娣として下に安んじ、人に先んじず、自分が分を越えないことを知っている。ゆえに「征けば吉」という。全卦についていえば、悦びによって動くのは、女子が私情の悦びに感じて行動することであり、その征は凶となる。しかし一爻についていえば、剛が剛位に居るため、女子に賢く正しい徳があり、その征は吉である。象伝が「恒」と解するのは、妹が娣となることは礼の常道だからである。「相承」と解するのは、あらゆることに従い承けるからであり、それゆえ吉なのである。
【占い】
○ 時運を問う。運勢は低く、人に頼って事を成すほかない。
○ 商売を問う。自主独立はできず、命に従って行う。幸い利益を得て吉。
○ 功名を占う:偏裨(副官・補佐)の位。
○ 戦争を問う。総大将ではないが、副将として勝利を制する。吉。
○ 家宅を問う。この家は廊下に付属する離れのような建物で、吉。
○ 病気を問う。足の病で歩行が不自由になるが、身命には差し支えない。
○ 六甲を問う。女児が生まれる。足の病に注意すること。
【例】明治十六年、私は上毛の伊香保に遊び、藤野正啓先生に出会った。先生は当代の大学者で、かねて易理に精通し、私とは最も長い交友があった。このたび旅宿で相会し、朝夕語り合って、たいそう意を得た。ある日、先生は襟を正して言われた。「どうか私の運勢を一占していただきたい」。筮して帰妹の解を得た。
先生は易に精通していたので、変爻を得れば詳しく自分で判断できる。私が何を言う必要があろうか。しかし以前、私は横浜のある商人についてこの爻を占ったことがある。その人は長く欧米諸国を遊歴し、各国の事情に通じていた。帰国後、横浜のある商店に雇われ、支配人となった。正道を守る人で、勤勉でもあった。金銭や商品の出入り、商品の良し悪し、市場価格の高低に至るまで、何事も一つ一つ計画し、その誠実な仕事ぶりには人を感動させるものがあった。ところが間もなく店を解雇された。ある日、その人が占いを求めて来て、筮して帰妹の解を得た。私は幾度も考え、ついに解雇の理由を得た。娣は姉に従って嫁ぐので、家政のすべてを命に従って行い、自主的には振る舞えない。たとえば足はあっても自分で歩けない跛者のようなものである。その人は仕事に尽くしたものの、専断しているように見られる嫌いがあり、それで咎を受けたのである。今日先生が占われた爻辞もまったく同じであった。そこで私は、先生が道を守り中庸を履み、剛直であることを常に知られている一方、今の世は衰え道が微かで、どこへ行っても折り合わず、まるで人に従う娣のように自主性を持てないのだと悟った。先生は自らを低くして身を修めることができるので、「征けば吉」という。これは爻辞によって判断したのである。しかし、さらに私が懸念したことがある。「帰妹」は帰魂の卦で、六爻に至れば命の尽きる年を示す。先生はまことに達人であるが、初爻から上爻までは六年に当たるので、注意しなければならない。先生は微笑んで、「易の理はまことに精妙で、あなたの言う通りだ」と言った。その後六年して、先生は果たして亡くなった。
【例】ある官吏が運勢を占ってほしいと訪ねて来て、筮して帰妹の解を得た。
断じていう。初爻は爻の最下にあり、娣も人の下にある。爻象は卑微で、人の上に抜きん出ることのできない者である。あなたが運勢を占ってこの爻を得たなら、人に頼って事を成し、独断独行はできないと知るべきである。娣が姉に従って嫁ぎ、ひたすら順応・奉仕を務めとするようなものだ。もし勝手に事を行おうとすれば、跛者が急いで歩いて転ぶように、かえって失敗する恐れがある。人の歩みに従うほうがよく、そうすれば分を越えない。ゆえに「征けば吉」という。
象伝にいう。「妹が娣となるのは、常道である。跛でも歩けるのは、吉が相次ぐことである。」
六爻では五爻を尊位とし、正嫡を表す。それ以外はすべて娣である。初爻は最も下の位にあるので、「帰妹、娣を以てす」という。娣は嫡妻の命を受け、勝手に取り仕切ることはできない。これは、足の不自由な者が自由に歩けないのと同じで、娣としての分を守り、従順に承ける道を行うだけである。ゆえに「跛でも歩ける」という。「震」は足を表し、「兌」は損傷・折損を表すので、跛の象がある。九が初位に居るのは正位であり、娣として下に安んじ、人に先んじず、自分が分を越えないことを知っている。ゆえに「征けば吉」という。全卦についていえば、悦びによって動くのは、女子が私情の悦びに感じて行動することであり、その征は凶となる。しかし一爻についていえば、剛が剛位に居るため、女子に賢く正しい徳があり、その征は吉である。象伝が「恒」と解するのは、妹が娣となることは礼の常道だからである。「相承」と解するのは、あらゆることに従い承けるからであり、それゆえ吉なのである。
【占い】
○ 時運を問う。運勢は低く、人に頼って事を成すほかない。
○ 商売を問う。自主独立はできず、命に従って行う。幸い利益を得て吉。
○ 功名を占う:偏裨(副官・補佐)の位。
○ 戦争を問う。総大将ではないが、副将として勝利を制する。吉。
○ 家宅を問う。この家は廊下に付属する離れのような建物で、吉。
○ 病気を問う。足の病で歩行が不自由になるが、身命には差し支えない。
○ 六甲を問う。女児が生まれる。足の病に注意すること。
【例】明治十六年、私は上毛の伊香保に遊び、藤野正啓先生に出会った。先生は当代の大学者で、かねて易理に精通し、私とは最も長い交友があった。このたび旅宿で相会し、朝夕語り合って、たいそう意を得た。ある日、先生は襟を正して言われた。「どうか私の運勢を一占していただきたい」。筮して帰妹の解を得た。
先生は易に精通していたので、変爻を得れば詳しく自分で判断できる。私が何を言う必要があろうか。しかし以前、私は横浜のある商人についてこの爻を占ったことがある。その人は長く欧米諸国を遊歴し、各国の事情に通じていた。帰国後、横浜のある商店に雇われ、支配人となった。正道を守る人で、勤勉でもあった。金銭や商品の出入り、商品の良し悪し、市場価格の高低に至るまで、何事も一つ一つ計画し、その誠実な仕事ぶりには人を感動させるものがあった。ところが間もなく店を解雇された。ある日、その人が占いを求めて来て、筮して帰妹の解を得た。私は幾度も考え、ついに解雇の理由を得た。娣は姉に従って嫁ぐので、家政のすべてを命に従って行い、自主的には振る舞えない。たとえば足はあっても自分で歩けない跛者のようなものである。その人は仕事に尽くしたものの、専断しているように見られる嫌いがあり、それで咎を受けたのである。今日先生が占われた爻辞もまったく同じであった。そこで私は、先生が道を守り中庸を履み、剛直であることを常に知られている一方、今の世は衰え道が微かで、どこへ行っても折り合わず、まるで人に従う娣のように自主性を持てないのだと悟った。先生は自らを低くして身を修めることができるので、「征けば吉」という。これは爻辞によって判断したのである。しかし、さらに私が懸念したことがある。「帰妹」は帰魂の卦で、六爻に至れば命の尽きる年を示す。先生はまことに達人であるが、初爻から上爻までは六年に当たるので、注意しなければならない。先生は微笑んで、「易の理はまことに精妙で、あなたの言う通りだ」と言った。その後六年して、先生は果たして亡くなった。
【例】ある官吏が運勢を占ってほしいと訪ねて来て、筮して帰妹の解を得た。
断じていう。初爻は爻の最下にあり、娣も人の下にある。爻象は卑微で、人の上に抜きん出ることのできない者である。あなたが運勢を占ってこの爻を得たなら、人に頼って事を成し、独断独行はできないと知るべきである。娣が姉に従って嫁ぎ、ひたすら順応・奉仕を務めとするようなものだ。もし勝手に事を行おうとすれば、跛者が急いで歩いて転ぶように、かえって失敗する恐れがある。人の歩みに従うほうがよく、そうすれば分を越えない。ゆえに「征けば吉」という。
九二。眇なれども視ること能う。幽人の貞に利あり。
九二。眇なれども視ること能う。幽人の貞に利あり。
象伝にいう。「幽人の貞に利あり」とは、常道を変えないことである。
この爻は陽剛にして中を得ており、妹(娣・小妻)の中でも賢明な者であります。下互卦は『離』で『離』は目となり、上互卦は『坎』で『坎』は疾となり、眇(片目)の象があります。眇とは一目の視界が小さきことであり、両目の視線は正しく、一目の視線は偏ります。妾媵(側室)は偏した位置にあり、正視することを憚るため、「眇にして能く視る」の譬えを取ります。二は五と正応し、二は側視して寵愛を得ますが、寵愛に恃むべきではないため、さらに「幽人の貞に利あり」と戒めています。「幽人」とは静かなる乙女を言うが如く、女子は閾を越えず、戸から覗き見ぬという幽人の義があります。『象伝』に「未だ常を変ぜざるなり」と言うは、その道を守りその分に安んじることを謂います。幽なれば至静にして動かず、貞なれば至賢にして変わらず、幽人は不遇であってもその道を変えず、女子は配偶を失ってもその節操を改めないのであり、その理は一つであります。
【占い】
○ 時運を問う。運勢は正しくないので、ひっそりと節を守るのがよい。
○ 商売を問う。商況を観察し、独自の見識があるので、ひそかな利益をかなり得る。
○ 功名を問う。高潔にして仕官しないことを貴ぶ。
○ 戦争を問う。隠れたものを察し微細を見抜き、神のように敵を予測する妙がある。
○ 家宅を問う。この家はひっそり暮らすのに最も適している。
○ 婚姻を問う。この女性は妾にするのがよい。正妻にすれば、かえって反目し不和となる恐れがある。
○ 訴訟を問う。幽閉される災いに注意せよ。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】ある華族が私の別荘を訪ねて来た。そのころは長雨の時節で、ひどく気が晴れなかった。折よく伊藤潮花を招き、酒の相手にしようと宴席を設けた。潮花は私の寝台の上にある筮竹を見て、「殿は易がお好きですか」と尋ねた。私は「そうだ」と答えた。潮花は「生年を占いたいので、一筮お願いします」と言った。筮して帰妹の震を得た。
断じていう。「帰妹」は帰魂の卦である。二爻から上爻までは五年に当たる。今後五年のうちに、あなたの命は尽きるのではないか。上爻の辞に「女は筐を承ぐも実なし、士は羊を刲くも血なし」とある。「女は筐を承ぐも実なし」とは、家計が赤貧で、籠の中に何もないこと。「士は羊を刲くも血なし」とは、死体の象である。
潮花は言った。「殿のお言葉はまことに当たっております。諺に『人生四十、夭ならず』といいます。私はもう六十ですから、命数も短くはありません。死期が迫っているとしても、家計をあらかじめ整えないわけにはいきません」。そこで奮然として家政を改革し、財産を計算し、家室を豊かにして余財を蓄えられるよう努めた。それはまったく殿のお恵みによるものです。」その人は談笑しながら帰って行った。その後五年、六月になって、潮花はついに病死した。
【例】明治三十一年、台湾総督府の運勢を占い、帰妹の震を得た。
断じていう。下の互卦は離で、離は目を表し、目は見るためのものである。「眇」とは、ただ偏って見ることしかできないという意味である。「幽人」とは、静かで悠々とし、貞正で落ち着いた人であり、人が静かで貞静であれば、必ず乱を起こすことはない。ゆえに「幽人の貞に利あり」という。ここで台湾総督府の政略を占ってこの爻辞を得た。台湾は新たに我が版図に入ったばかりで、風俗を一時に急激に改めることはできない。別の目でこれを見て、政府はすべて静黙をもって鎮めるのがよい。ゆえに「幽人の貞に利あり」という。
象伝にいう。「幽人の貞に利あり」とは、常道を変えないことである。
この爻は陽剛にして中を得ており、妹(娣・小妻)の中でも賢明な者であります。下互卦は『離』で『離』は目となり、上互卦は『坎』で『坎』は疾となり、眇(片目)の象があります。眇とは一目の視界が小さきことであり、両目の視線は正しく、一目の視線は偏ります。妾媵(側室)は偏した位置にあり、正視することを憚るため、「眇にして能く視る」の譬えを取ります。二は五と正応し、二は側視して寵愛を得ますが、寵愛に恃むべきではないため、さらに「幽人の貞に利あり」と戒めています。「幽人」とは静かなる乙女を言うが如く、女子は閾を越えず、戸から覗き見ぬという幽人の義があります。『象伝』に「未だ常を変ぜざるなり」と言うは、その道を守りその分に安んじることを謂います。幽なれば至静にして動かず、貞なれば至賢にして変わらず、幽人は不遇であってもその道を変えず、女子は配偶を失ってもその節操を改めないのであり、その理は一つであります。
【占い】
○ 時運を問う。運勢は正しくないので、ひっそりと節を守るのがよい。
○ 商売を問う。商況を観察し、独自の見識があるので、ひそかな利益をかなり得る。
○ 功名を問う。高潔にして仕官しないことを貴ぶ。
○ 戦争を問う。隠れたものを察し微細を見抜き、神のように敵を予測する妙がある。
○ 家宅を問う。この家はひっそり暮らすのに最も適している。
○ 婚姻を問う。この女性は妾にするのがよい。正妻にすれば、かえって反目し不和となる恐れがある。
○ 訴訟を問う。幽閉される災いに注意せよ。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】ある華族が私の別荘を訪ねて来た。そのころは長雨の時節で、ひどく気が晴れなかった。折よく伊藤潮花を招き、酒の相手にしようと宴席を設けた。潮花は私の寝台の上にある筮竹を見て、「殿は易がお好きですか」と尋ねた。私は「そうだ」と答えた。潮花は「生年を占いたいので、一筮お願いします」と言った。筮して帰妹の震を得た。
断じていう。「帰妹」は帰魂の卦である。二爻から上爻までは五年に当たる。今後五年のうちに、あなたの命は尽きるのではないか。上爻の辞に「女は筐を承ぐも実なし、士は羊を刲くも血なし」とある。「女は筐を承ぐも実なし」とは、家計が赤貧で、籠の中に何もないこと。「士は羊を刲くも血なし」とは、死体の象である。
潮花は言った。「殿のお言葉はまことに当たっております。諺に『人生四十、夭ならず』といいます。私はもう六十ですから、命数も短くはありません。死期が迫っているとしても、家計をあらかじめ整えないわけにはいきません」。そこで奮然として家政を改革し、財産を計算し、家室を豊かにして余財を蓄えられるよう努めた。それはまったく殿のお恵みによるものです。」その人は談笑しながら帰って行った。その後五年、六月になって、潮花はついに病死した。
【例】明治三十一年、台湾総督府の運勢を占い、帰妹の震を得た。
断じていう。下の互卦は離で、離は目を表し、目は見るためのものである。「眇」とは、ただ偏って見ることしかできないという意味である。「幽人」とは、静かで悠々とし、貞正で落ち着いた人であり、人が静かで貞静であれば、必ず乱を起こすことはない。ゆえに「幽人の貞に利あり」という。ここで台湾総督府の政略を占ってこの爻辞を得た。台湾は新たに我が版図に入ったばかりで、風俗を一時に急激に改めることはできない。別の目でこれを見て、政府はすべて静黙をもって鎮めるのがよい。ゆえに「幽人の貞に利あり」という。
六三。帰妹、須を以てす。反って帰りて娣を以てす。
六三。帰妹、須を以てす。反って帰りて娣を以てす。
象伝にいう。「帰妹が須となるのは、いまだ当を得ていないからである。」
「須」とは、身分の低い女性をいう。三爻は兌の極に居り、悦びの主である。「帰妹、須を以てす」とは、これを須とすることである。三爻は柔で剛に乗り、人を悦ばせようと努める。そのため嫁ぐ初めには、あえて須の身に降ろすのである。これは不当だと明らかに知りながら、あえて抑え、巧みさや美しさを示して媚びることを許さない。妾が嫡妻を奪う疑いを生じさせないためであり、淫逸を戒め名分を正す意図は厳しい。三爻が悦ばせようとする性質を改めてはじめて、娣の位に戻ることができる。ゆえに「反って帰りて娣を以てす」という。象伝の「未だ当たらず」とは、陰柔で不正、正しい位にないことをいう。正義は「須」を時を待つことと解する。三爻はまだ時に当たらないので待つべきであり、ゆえに「帰妹、須を以てす」という。時が至れば、娣として進むので、「反って帰りて娣を以てす」という。この解釈も通じる。
【占い】
○ 時運を問う。運勢は気まずく、人に抑えられている。耐え忍めば、後には伸びることができる。
○ 商売を問う。商品価格が下落し、利益は得られないが、後には上昇が望める。
○ 功名を問う。得るものは低い地位である。
○ 婚姻を問う。正妻としての婚姻ではない。
○ 家宅を問う。正宅ではなく、廊下に付属する低く小さな建物である。
○ 病気を問う。時を待てば治る。
○ 行人を問う。しばらく待つのがよく、時が遅れれば帰って来る。
○ 訴訟を問う。時を待てば判決が下り、終結できる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】ある県の人が親友に手紙を託して、仕官の成否を占わせ、筮して帰妹の大壮を得た。
断じていう。鄭は「須とは才智ある者の称である」といい、正義は「須とは女のいう賤妾である」という。つまり才智がありながら下位に屈している者である。あなたが仕官を願ってこの爻辞を得たなら、あなたはある顕官と旧知の間柄で、その人に官位の斡旋を頼んだのであろう。しかし意外にもその人はあなたを抑え、相応の地位を与えず、取るに足りない官職を授けた。これが「帰妹、須を以てす」の象である。あなたは素直に受け入れ、決して無理に出世を求めてはならない。後には必ず昇進する。「反って帰りて娣を以てす」とは、行動には待つ時があるということである。
象伝にいう。「帰妹が須となるのは、いまだ当を得ていないからである。」
「須」とは、身分の低い女性をいう。三爻は兌の極に居り、悦びの主である。「帰妹、須を以てす」とは、これを須とすることである。三爻は柔で剛に乗り、人を悦ばせようと努める。そのため嫁ぐ初めには、あえて須の身に降ろすのである。これは不当だと明らかに知りながら、あえて抑え、巧みさや美しさを示して媚びることを許さない。妾が嫡妻を奪う疑いを生じさせないためであり、淫逸を戒め名分を正す意図は厳しい。三爻が悦ばせようとする性質を改めてはじめて、娣の位に戻ることができる。ゆえに「反って帰りて娣を以てす」という。象伝の「未だ当たらず」とは、陰柔で不正、正しい位にないことをいう。正義は「須」を時を待つことと解する。三爻はまだ時に当たらないので待つべきであり、ゆえに「帰妹、須を以てす」という。時が至れば、娣として進むので、「反って帰りて娣を以てす」という。この解釈も通じる。
【占い】
○ 時運を問う。運勢は気まずく、人に抑えられている。耐え忍めば、後には伸びることができる。
○ 商売を問う。商品価格が下落し、利益は得られないが、後には上昇が望める。
○ 功名を問う。得るものは低い地位である。
○ 婚姻を問う。正妻としての婚姻ではない。
○ 家宅を問う。正宅ではなく、廊下に付属する低く小さな建物である。
○ 病気を問う。時を待てば治る。
○ 行人を問う。しばらく待つのがよく、時が遅れれば帰って来る。
○ 訴訟を問う。時を待てば判決が下り、終結できる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】ある県の人が親友に手紙を託して、仕官の成否を占わせ、筮して帰妹の大壮を得た。
断じていう。鄭は「須とは才智ある者の称である」といい、正義は「須とは女のいう賤妾である」という。つまり才智がありながら下位に屈している者である。あなたが仕官を願ってこの爻辞を得たなら、あなたはある顕官と旧知の間柄で、その人に官位の斡旋を頼んだのであろう。しかし意外にもその人はあなたを抑え、相応の地位を与えず、取るに足りない官職を授けた。これが「帰妹、須を以てす」の象である。あなたは素直に受け入れ、決して無理に出世を求めてはならない。後には必ず昇進する。「反って帰りて娣を以てす」とは、行動には待つ時があるということである。
九四。帰妹、期を愆つ。遅れて帰るに時あり。
九四。帰妹、期を愆つ。遅れて帰るに時あり。
象伝にいう。「期を過ごした心とは、待ってから行うことである。」
九四は陽をもって陰に居り、動の主となり、動けば急速に嫁がんと欲します。しかし『兌』は少女でありゆえに「妹」といい、姉に先んじて嫁ぐべきではありませぬ。よって閨(へや)に留まり時を待つべきであり、ゆえに「妹を帰がしむるに期を愆ふ」と言います。年齡に達して嫁ぐのは遅くはないため、「遅く帰ぐに時有り」と言います。『詩経・江汜』の篇の序には、媵が国で時を待ち、嫡妻が同行させなかったが、のちに嫡妻が後悔してこれを迎えたため、ついに嫁ぐことができたとあり、まさにこの爻の注釈となり得ます。三爻は悦びを主とし、高貴を求めて卑賤を得、四爻は動くを主とし、速やかさを求めて反って遅くなります。これらはともに「悦びて動く」が必ず凶となることを深く戒めるものです。遅く嫁ぐに待つ有りと言い諭すのは、その躁動の志を抑え、時を待ちて行うことが得策であると知らしめるためであります。
【占い】
○ 时运を占う:時に順じて動くべきを知るべし。運の行き巡るには時があり、焦り進むは益なし。
○ 征战を占う:時勢を慎重に見極めるべきであり、焦急に軽進して兵力を損なうことのないようにせよ。
○ 商売を占う:時を待ちて適正な価格を得れば、自然と利益を得られる。
○ 功名を占う:焦り進めば必敗す。
○ 婚姻を占う:年齡の達するのを待ちて嫁ぐべし。
○ 家宅を占う:宅運が未だ至らざれば、引っ越ししてはならぬ。
○ 行人を問う:しばらく帰ってこない。
○ 诉讼を占う:緩やかにするが宜しく、解結し得る。
○ 失物を占う:時間がかかって後に行けば得られる。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 ある商人が来たり、売買の機会を占い請い、筮して『帰妹』の『臨』を得た。
断に曰く:女子が時を待ちて嫁ぐは、商品の価格を待ちて売るが如し。「期を愆ふ」とは期限が過ぎたことを謂い、「遅く帰ぐ」とは時日を要して後に売却できることを謂います。足下が売買の機会を占い、この爻辞を得たのは、爻象と占象が意に適合しております。「妹を帰がしむるに期を愆ふ」は、姉が未だ嫁がざるゆえに妹が先行できぬのであり、ゆえに遅く帰ぐとして時を待つべきであります。これによって知るに、足下には必ずや以前に仕入れた商品が未だ売れ残っており、ゆえに後から仕入れた商品も自ずと遅れて待たざるを得ないのです。これは進むに待たざるを得ず、売るに遅れざるを得ないのです。遅れることこそ利益を得るゆえんであり、憂慮するに及びませぬ。
象伝にいう。「期を過ごした心とは、待ってから行うことである。」
九四は陽をもって陰に居り、動の主となり、動けば急速に嫁がんと欲します。しかし『兌』は少女でありゆえに「妹」といい、姉に先んじて嫁ぐべきではありませぬ。よって閨(へや)に留まり時を待つべきであり、ゆえに「妹を帰がしむるに期を愆ふ」と言います。年齡に達して嫁ぐのは遅くはないため、「遅く帰ぐに時有り」と言います。『詩経・江汜』の篇の序には、媵が国で時を待ち、嫡妻が同行させなかったが、のちに嫡妻が後悔してこれを迎えたため、ついに嫁ぐことができたとあり、まさにこの爻の注釈となり得ます。三爻は悦びを主とし、高貴を求めて卑賤を得、四爻は動くを主とし、速やかさを求めて反って遅くなります。これらはともに「悦びて動く」が必ず凶となることを深く戒めるものです。遅く嫁ぐに待つ有りと言い諭すのは、その躁動の志を抑え、時を待ちて行うことが得策であると知らしめるためであります。
【占い】
○ 时运を占う:時に順じて動くべきを知るべし。運の行き巡るには時があり、焦り進むは益なし。
○ 征战を占う:時勢を慎重に見極めるべきであり、焦急に軽進して兵力を損なうことのないようにせよ。
○ 商売を占う:時を待ちて適正な価格を得れば、自然と利益を得られる。
○ 功名を占う:焦り進めば必敗す。
○ 婚姻を占う:年齡の達するのを待ちて嫁ぐべし。
○ 家宅を占う:宅運が未だ至らざれば、引っ越ししてはならぬ。
○ 行人を問う:しばらく帰ってこない。
○ 诉讼を占う:緩やかにするが宜しく、解結し得る。
○ 失物を占う:時間がかかって後に行けば得られる。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 ある商人が来たり、売買の機会を占い請い、筮して『帰妹』の『臨』を得た。
断に曰く:女子が時を待ちて嫁ぐは、商品の価格を待ちて売るが如し。「期を愆ふ」とは期限が過ぎたことを謂い、「遅く帰ぐ」とは時日を要して後に売却できることを謂います。足下が売買の機会を占い、この爻辞を得たのは、爻象と占象が意に適合しております。「妹を帰がしむるに期を愆ふ」は、姉が未だ嫁がざるゆえに妹が先行できぬのであり、ゆえに遅く帰ぐとして時を待つべきであります。これによって知るに、足下には必ずや以前に仕入れた商品が未だ売れ残っており、ゆえに後から仕入れた商品も自ずと遅れて待たざるを得ないのです。これは進むに待たざるを得ず、売るに遅れざるを得ないのです。遅れることこそ利益を得るゆえんであり、憂慮するに及びませぬ。
六五:帝乙、妹を帰がしむ。其の君の袂は、其の娣の袂の良きに如かず。月幾望なり、吉。
六五:帝乙、妹を帰がしむ。其の君の袂[67]は、其の娣の袂の良きに如かず。月幾望なり、吉。
『象伝』に曰く、帝乙、妹を帰がしむ、其の娣の袂の良きに如かざるなり。其の位、中に在りて、貴きを以て行くなり。
「帝乙」とは殷の紂王の父であり、「君」とは小君(正妻)の称であります。「袂」は袖であり、「月」は太陰の精にして婦徳を象どり、「望」は月が満ちることで、「幾」は近づくことです。五爻は『震』の中央に居り、『震』は長男で、下で二爻と応じます。二爻は『兌』に居り、『兌』は少女であって兄妹であります。いわゆる「帝乙」とは『震』の兄であり、「妹を帰がしむ」とは天子の妹が諸侯に降嫁することゆえ、爻に「其の君」と言います。『伝』に「貴きを以て行くなり」と言うは、君夫人を小君と称するが如きであります。卦体が『乾』から『兌』に変じ、『乾』は衣ゆえに「袂」と言います。『史記』に「長袖は良く舞う」とあるは女子の態であり、袖が悦びを取るに足ることを示します。月は望(満月)に満ち、八日に『兌』が現れ、十五日に『乾』が満ちます。『兌』は十五日に至り始めて満ち、『乾』が『兌』に化すゆえ「幾望」と言います。『京房易伝』には湯王が妹を嫁がせる言葉を載せて「陰の陽に従い、女の夫に従うは天地の義なり。往きて汝の夫に事えるに、必ず礼義を以てせよ」とあります。礼義をもって訓戒するのは、袂の美しさで媚び悦びを取ったり、貴盛を頼んで妄動してはならぬと戒めるものです。六五の爻辰は卯(二月・仲春)にあり、男女婚姻の礼に合致するゆえに吉となります。『伝』に「其の位、中に在り」と言うは、五は『震』の中、二は『兌』の中にあり、二を五に嫁がせれば中と中が応じ、その位はことごとく当を得ています。さらに五爻は最も貴いため「貴きを以て行くなり」と言うのです。
【占い】
○ 时运を占う:事ごとに謙遜し、自慢せず、自足せず、運途に中を得るゆえに吉なり。
○ 征战を占う:尊きを下げて卑しきに居り、軍心を得る。月夜に乗じて進兵し、敵の不意を突けば全勝を得られる。
○ 商売を占う:先に仕入れた商品は後から仕入れたものに如かず。望(満月)の前に売却すれば、必ずや高値を得られる。
○ 功名を占う:もし兄弟あってともに功名を求むれば、弟が必ず合格・成功する。
○ 婚姻を占う:二女ともに嫁ぐことあり、吉。
○ 家宅を占う:宅位は中に居り、必ずや喜事が門に臨む。
○ 行人を占う:望(満月)の前に帰るべし。
○ 疾病を占う:半月にて癒えるべし。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 ある友人が来訪し、某氏の赴任の吉凶を占い請い、筮して『帰妹』の『兌』を得た。
断に曰く:「帰妹」とは女をもって夫に従うことであり、士が出でて政に従うが如きであります。今、足下が友人の赴任の吉凶を占い、『帰妹』の五爻を得ました。爻辞を細かく玩味するに、この友人の身分は必ずや貴く、今回の赴任は帝の娘の降嫁の如く、へりくだって任に就くものと知られます。その才能の良きことは、必ずや前任者に勝るゆえに「其の君の袂は、其の娣の袂の良きに如かず」と言うのです。「月幾望」とは、その施政が行き届き、政体が光明なること、三五(十五日)の月の如しとの譬えであります。しかも媚び諂いをもって悦びを取ることを敢えてせず、貴盛を頼んで誇ることも敢えてしません。これをもって民に臨めば、吉なることは言うまでもありません。
『象伝』に曰く、帝乙、妹を帰がしむ、其の娣の袂の良きに如かざるなり。其の位、中に在りて、貴きを以て行くなり。
「帝乙」とは殷の紂王の父であり、「君」とは小君(正妻)の称であります。「袂」は袖であり、「月」は太陰の精にして婦徳を象どり、「望」は月が満ちることで、「幾」は近づくことです。五爻は『震』の中央に居り、『震』は長男で、下で二爻と応じます。二爻は『兌』に居り、『兌』は少女であって兄妹であります。いわゆる「帝乙」とは『震』の兄であり、「妹を帰がしむ」とは天子の妹が諸侯に降嫁することゆえ、爻に「其の君」と言います。『伝』に「貴きを以て行くなり」と言うは、君夫人を小君と称するが如きであります。卦体が『乾』から『兌』に変じ、『乾』は衣ゆえに「袂」と言います。『史記』に「長袖は良く舞う」とあるは女子の態であり、袖が悦びを取るに足ることを示します。月は望(満月)に満ち、八日に『兌』が現れ、十五日に『乾』が満ちます。『兌』は十五日に至り始めて満ち、『乾』が『兌』に化すゆえ「幾望」と言います。『京房易伝』には湯王が妹を嫁がせる言葉を載せて「陰の陽に従い、女の夫に従うは天地の義なり。往きて汝の夫に事えるに、必ず礼義を以てせよ」とあります。礼義をもって訓戒するのは、袂の美しさで媚び悦びを取ったり、貴盛を頼んで妄動してはならぬと戒めるものです。六五の爻辰は卯(二月・仲春)にあり、男女婚姻の礼に合致するゆえに吉となります。『伝』に「其の位、中に在り」と言うは、五は『震』の中、二は『兌』の中にあり、二を五に嫁がせれば中と中が応じ、その位はことごとく当を得ています。さらに五爻は最も貴いため「貴きを以て行くなり」と言うのです。
【占い】
○ 时运を占う:事ごとに謙遜し、自慢せず、自足せず、運途に中を得るゆえに吉なり。
○ 征战を占う:尊きを下げて卑しきに居り、軍心を得る。月夜に乗じて進兵し、敵の不意を突けば全勝を得られる。
○ 商売を占う:先に仕入れた商品は後から仕入れたものに如かず。望(満月)の前に売却すれば、必ずや高値を得られる。
○ 功名を占う:もし兄弟あってともに功名を求むれば、弟が必ず合格・成功する。
○ 婚姻を占う:二女ともに嫁ぐことあり、吉。
○ 家宅を占う:宅位は中に居り、必ずや喜事が門に臨む。
○ 行人を占う:望(満月)の前に帰るべし。
○ 疾病を占う:半月にて癒えるべし。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 ある友人が来訪し、某氏の赴任の吉凶を占い請い、筮して『帰妹』の『兌』を得た。
断に曰く:「帰妹」とは女をもって夫に従うことであり、士が出でて政に従うが如きであります。今、足下が友人の赴任の吉凶を占い、『帰妹』の五爻を得ました。爻辞を細かく玩味するに、この友人の身分は必ずや貴く、今回の赴任は帝の娘の降嫁の如く、へりくだって任に就くものと知られます。その才能の良きことは、必ずや前任者に勝るゆえに「其の君の袂は、其の娣の袂の良きに如かず」と言うのです。「月幾望」とは、その施政が行き届き、政体が光明なること、三五(十五日)の月の如しとの譬えであります。しかも媚び諂いをもって悦びを取ることを敢えてせず、貴盛を頼んで誇ることも敢えてしません。これをもって民に臨めば、吉なることは言うまでもありません。
上六:女、筐を承くるに実無く、士、羊を刲くに血無し。利する所なし。
上六:女、筐を承くるに[68]実無く、士、羊を刲くに[69]血無し。利する所なし。
『象伝』に曰く、上六の実無きは、虚筐を承くればなり。
「士」とは未婚の男子の称であり、「女」とは未婚の女子の称であります。『士婚礼』に、婦は入りて三月にして後に祭を行い、上は宗廟の爻ゆえに祭と言います。三月に祭を行いて後に婦となり、未だ祭を承けざれば、なお女と称します。宗廟の礼において、主婦は筐を奉じ、即ち『詩経』に「何を以てか之を盛らん、維れ筐と莒となり」と詠ずるがそれです。『兌』は羊であり、少牢の牲を供するに、司馬は羊を刲く、「刲」とは殺すことであり、筐を承け羊を刲くは皆な祭事を助けることです。『易』の例では陽を実とし陰を虚とし、三四が複位して『坤』となり虚となるゆえ「筐を承くるに実無し」と言います。四の互卦は『坎』で『坎』は血の卦であり、三四が複位して『泰』となると『坎』の象は消えるゆえ「羊を刲くに血無し」と言います。祭礼を思うに、盎を執る者は宗婦、豆を薦める者は夫人、黍を設ける者は主婦であり、娣妾がこれに従事することを聞きませぬ。もし娣妾をして祭に参加させれば、人倫を涜すものであり、寵愛を示さんと欲して反って禍を開くものであって、何の利がありましょうか。「永終して敝を知る」とは、まさに警戒すべきではありませんか!
【占い】
○ 时运を占う:万事利することなし。
○ 征战权占う:兵粮は備わらず、兵器も修められず、これをもって出征せば必敗の道なり。
○ 商売を占う:元本は空虚にして商品も乏し、いかでか利益を得られんや。
○ 功名を占う:空手にして名誉を求む、いかでか得るを得んや。
○ 婚姻を占う:婚姻が正しからざれば、家を滅ぼす因となる。
○ 家宅を占う:この宅の家風は端正ならず、正妻と側室の紛争の患いを警戒すべし。
○ 疾病を占う:虚労・失血の症であり、不治の象なり。
○ 失物を問う。見つからない。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 友人某が来たりて曰く「最近、友人と事業を起こそうと企てております。私見によれば、事はい喜ぶべきもので利も頗る豊かですが、吉凶はいかがでしょうか。一筮を請います」と。筮して『帰妹』の『兌』を得た。
断に曰く:卦体は『兌』悦・『震』動であり、卦象は『兌』女・『震』男であり、道によらずして悦ぶゆえに夫婦の配合は多く不向きであり、およそ資財をもって事業を合わせる者もまた、推して知るべしであります。今、足下が事業を謀りてこの爻を占得し、爻辞に「筐を承くるに実無し」「羊を刲くに血無し」と言います。筐に実なきは袋が空なることです。血の一身に流行するは財の一国に流通するが如くであり、血無ければ羊は死し、財無ければ業は敗れます。「士」と「女」は合業の人であります。女に実無く士に血無ければ、財力ともに空なり、いかでか業を成し得んや。ゆえに「利する所なし」と言うのです。
『象伝』に曰く、上六の実無きは、虚筐を承くればなり。
「士」とは未婚の男子の称であり、「女」とは未婚の女子の称であります。『士婚礼』に、婦は入りて三月にして後に祭を行い、上は宗廟の爻ゆえに祭と言います。三月に祭を行いて後に婦となり、未だ祭を承けざれば、なお女と称します。宗廟の礼において、主婦は筐を奉じ、即ち『詩経』に「何を以てか之を盛らん、維れ筐と莒となり」と詠ずるがそれです。『兌』は羊であり、少牢の牲を供するに、司馬は羊を刲く、「刲」とは殺すことであり、筐を承け羊を刲くは皆な祭事を助けることです。『易』の例では陽を実とし陰を虚とし、三四が複位して『坤』となり虚となるゆえ「筐を承くるに実無し」と言います。四の互卦は『坎』で『坎』は血の卦であり、三四が複位して『泰』となると『坎』の象は消えるゆえ「羊を刲くに血無し」と言います。祭礼を思うに、盎を執る者は宗婦、豆を薦める者は夫人、黍を設ける者は主婦であり、娣妾がこれに従事することを聞きませぬ。もし娣妾をして祭に参加させれば、人倫を涜すものであり、寵愛を示さんと欲して反って禍を開くものであって、何の利がありましょうか。「永終して敝を知る」とは、まさに警戒すべきではありませんか!
【占い】
○ 时运を占う:万事利することなし。
○ 征战权占う:兵粮は備わらず、兵器も修められず、これをもって出征せば必敗の道なり。
○ 商売を占う:元本は空虚にして商品も乏し、いかでか利益を得られんや。
○ 功名を占う:空手にして名誉を求む、いかでか得るを得んや。
○ 婚姻を占う:婚姻が正しからざれば、家を滅ぼす因となる。
○ 家宅を占う:この宅の家風は端正ならず、正妻と側室の紛争の患いを警戒すべし。
○ 疾病を占う:虚労・失血の症であり、不治の象なり。
○ 失物を問う。見つからない。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 友人某が来たりて曰く「最近、友人と事業を起こそうと企てております。私見によれば、事はい喜ぶべきもので利も頗る豊かですが、吉凶はいかがでしょうか。一筮を請います」と。筮して『帰妹』の『兌』を得た。
断に曰く:卦体は『兌』悦・『震』動であり、卦象は『兌』女・『震』男であり、道によらずして悦ぶゆえに夫婦の配合は多く不向きであり、およそ資財をもって事業を合わせる者もまた、推して知るべしであります。今、足下が事業を謀りてこの爻を占得し、爻辞に「筐を承くるに実無し」「羊を刲くに血無し」と言います。筐に実なきは袋が空なることです。血の一身に流行するは財の一国に流通するが如くであり、血無ければ羊は死し、財無ければ業は敗れます。「士」と「女」は合業の人であります。女に実無く士に血無ければ、財力ともに空なり、いかでか業を成し得んや。ゆえに「利する所なし」と言うのです。