易経 · 六十四卦

周易・易経 第35卦 晋卦(火地晋、離上坤下)

晋。康侯は王から賜った多くの馬を繁殖させ、一日に三度も謁見する。

彖伝にいう。晋とは進むことである。明るさが地上に現れ、順って大いなる明に付く。柔が進んで上へ行く。だから康侯は王から多くの馬を賜り、一日に三度も謁見するのである。

象伝にいう。明るさが地上に現れるのが晋である。君子はこれにならい、自らの明徳を明らかにする。

易経 第 35 卦の本卦・互卦・錯卦・綜卦の図

易経 第 35 卦 原文と概説

周易第三十五卦の詳しい解説
晋卦原文
晋。康侯は王から賜った多くの馬を繁殖させ、一日に三度も謁見する。
象伝にいう。明るさが地上に現れるのが晋である。君子はこれにならい、自らの明徳を明らかにする。
現代語による説明
晋卦。康侯は成王から賜った良馬を用いて馬を増やし、一日に何度も交配させる。
象伝にいう。上卦は離で太陽、下卦は坤で大地を表す。太陽が大地を照らし、万物がその光を浴びるのが晋卦の象である。君子はこの象を観て、自らの明徳を大きくする。
『断易天機』による解説
晋卦は上が離、下が坤で、乾宮の遊魂卦である。晋には前進、謁見、昇進の意味がある。上の離と下の坤は、太陽が大地をあまねく照らし、万物が和順する象で、多くは吉を示す。
北宋の易学者・邵雍の解釈
太陽が地上に昇り、万物が進展する。恩賞は厚く、あらゆる計画が成就する。
この卦を得た人は、東から昇る旭日のように運気が盛んで、収入も豊かになり、計画は成就し、万事が思いどおりになる。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。幸運が新たに訪れ、一歩一歩昇進する。
金運。明るく開かれた事業が、最も利益をもたらす。
家庭。陽光に満ちた家。
身体。自分をよく理解すること。
伝統的な卦の解釈
この卦は錯卦で、下卦が坤、上卦が離である。離は太陽と明るさ、坤は大地を表す。太陽が高く掲げられて大地を照らし、大地はへりくだって順い、万物が生長する。明朗で正しく、柔らかなものが進んで上へ行くので、事業がますます盛んになる象である。
大象。太陽が地上に昇って大地を照らし、明るく前進する象である。
運勢。仕事、名声、金運はいずれも吉で、昇進や爵位を授かる兆しがある。
仕事。順調である。正道を守り、困難に立ち向かい、敵に勝ち、情勢を見て適切に導くこと。良好な人間関係を築き、人心を深く得る。全力を尽くし、少しもためらってはならない。優柔不断は特に避け、失敗してもくじけず、勇敢に前へ進むこと。心を合わせて助け合い、共に進むことに注意する。
商売。景気がよく、市場競争も順調である。ただし困難にも出会うので、正面から立ち向かい、情勢を利用して敵に勝ち、多くの人の支持を得ること。前進の途中の挫折は避けられないが、動機が純粋なら、危機を安全へと転じられる。
名声を求める場合。苦労と努力を重ね、事業を開拓する基礎はできているが、推薦してくれる人がいないため、しばらくは志を得ない。だからといって自暴自棄になってはならない。辛抱強く機会を待つと同時に、より積極的に条件を整えること。
結婚・恋愛。吉星が明るく照らす。理想的な結果になりそうだが、条件に恵まれているからといって、どうでもよいという態度を取ったり、あまりに選り好みしたりしてはならない。
判断:状況は絶えず上向いており、大きな抵抗はないでしょう。ただし、必ず人々の信頼を得て心をつかみ、さらに努力を重ねなければなりません。動機が正しく、幸運を当てにする気持ちを克服できれば、きっと思いがけない喜びが天から降ってくるでしょう。

第三十五卦の哲学的意味

晋卦の卦象と火地晋の象徴的意味
晋卦は異なる二つの卦が重なり、上卦が離、下卦が坤である。離は太陽と明るさ、坤は大地を表す。陽が高く掲げられて大地を照らし、大地はへりくだって順い、万物が生長する。明朗で正しく、柔らかなものが進んで上へ行くので、事業が日に日に盛んになることを表す。
晋卦は大壮卦の後に位置する。序卦伝にいう。「物はいつまでも強大であり続けることはできない。だから晋がこれに続く。晋とは進むことである。」雑卦伝には「晋は昼」とある。その象は「明るさが地上に現れる」ことで、昼間のように活動に適している。
象伝はこの卦を次のように分析する。明るさが地上に現れるのが晋である。君子はこれにならい、自らの明徳を明らかにする。ここでは、地面から昇る日光が前進と繁栄を象徴し、自分自身の光と熱を発することも象徴している。したがって君子は、自らの才能と美徳を十分に示し、その役割を果たすべきである。晋卦が人に与える啓示は、進歩を求めることである。これは中の上位の卦に属する。象伝はこの卦を次の詩で判断する。畑を耕して苗の中の草を取り除けば、財宝のほうから人を訪ねてくる。鍬を一振りすれば銀が掘り出される。この運勢はなかなかよい。
この卦の名は晋である。説文解字には「晋とは進むこと。太陽が昇れば万物が進む」とある。つまり万物が太陽と共に前進し、生長するという意味である。「万物の生長は太陽に頼る」という俗言もこの意味を語っている。太陽が現れると、植物は上へ伸び始め、ますます高くなる。太陽を君主にたとえれば、人々が君主の恩沢を受けて成し遂げるという意味になる。君主が臣民に与える最大の恩沢は、当然、官位や爵位を加えることなので、「晋」には昇進の意味もある。序卦伝はいう。「物はいつまでも強大ではいられない。だから晋がこれに続く。晋とは進むことである。」物事はいつまでも強壮な状態に留まれず、強くなった後は必ず前進・発展する。だから大壮卦の後に晋卦が続くのである。
晋卦の卦画。二つの陽爻と四つの陰爻から成る。
晋卦の卦象。卦象から見ると、上卦は離で太陽と明るさ、下卦は坤で大地と柔順を表す。したがって東の大地から太陽が昇ることが晋卦の象である。旭日が東から昇るのは、まさに昇進の大きな象で、毎日人々が目にするものだ。賢明な君主は功績ある臣民を賞するので、臣民が官位や爵位を授かることも昇進の象である。

易経 第 35 卦 爻ごとの詳解

周易第三十五卦・初九爻の詳しい解説
初六の爻辞
初六。進もうとしてくじける。正道を守れば吉。まだ信頼されていないが、心を広く持てば咎はない。
象伝にいう。進もうとしてくじけるのは、ひとり正道を歩むからである。心を広く持てば咎がないのは、まだ命を受けていないからである。
現代語による説明
初六。敵を攻撃し、敵を打ち破る。占えば吉。勝った軍は捕虜を取らず、財物を略奪しないので、災いはない。
象伝にいう。敵を攻撃して打ち破るのは、将帥が正道に従うから勝てるのである。落ち着いて配置し、敵に勝って災いがないのは、将帥が情勢に応じて処置し、心中で自ら決断できるからである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。この爻を得た人は、心配と喜びが半ばする。静かにしていれば吉、動けば凶。官職にある人は進取せず、流言に注意すること。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。辛抱強く待ち、急いで進む必要はない。
金運。もう少し時日を待てば、大きな利益を得られる。
家庭。吉相の家に住める。結婚は遅れて成立する。
身体。心を広くし、胸のつかえを解く。

初六の変卦
"周易第35卦的其中之一变卦卦的卦图

初六が変じると、周易の第21卦、火雷噬嗑となる。この卦は錯卦で、下卦が震、上卦が離である。離は陰卦、震は陽卦。陰陽が交わり、硬いものを噛み砕く象で、恩と威をともに施し、寛大さと厳格さを結び、剛と柔を調和させることを表す。噬嗑とは、上下の顎がかみ合い、咀嚼することである。

初九爻の哲学的意味

晋卦初爻。爻辞。初六。進もうとしてくじける。正道を守れば吉。互いに信じ、心を広く持てば咎はない。爻辞の解釈
摧如。「摧」は折れること、打ち破られることを指し、「進もうとしてくじける」は挫折した状態をいう。罔。「無」と同じ。孚。誠実と信頼を指す。信じられない。信頼を受けていないこと。裕。ゆとり、寛容を指す。
この爻辞の意味は、進み始めたばかりで障害や妨げに遭うが、正道を堅く守り、終始変わらなければ、必ず吉となるということである。まだ信頼を得ていないので、心を広くして泰然としていれば、自然に害はない。
卦象から見ると、初六は陰爻で陽位に居るため、位を得ていない。前進して昇進したいと思っても、挫折に遭う。初六は、卒業したばかりで社会に出た若者のように、まだ人から信頼されないからである。この状況では、挫折しても諦めてはならない。信頼されなくても気にせず、謙虚に人から学び、自分を鍛える。そのような度量があれば、自然に咎はない。
象伝はこの爻を次のように解釈する。「進もうとしてくじける」とは、ひとり正道を歩むことである。「心を広く持てば咎はない」とは、まだ命を受けていないからである。ここでは、進み始めて障害や妨げに遭ったとき、持続して努力し、自分が守る原則に従って努力し続ければ、吉の結果を得られると示している。「思いのままに行動しても過失がない」のは、まだ権力や責任、使命を与えられていないからである。
この爻を得た人。今は自分の状況を理解し、進むべき時と退くべき時を知ること。事を始めても進みは遅く、孤立無援になるかもしれない。しかし正しく歩み、端正に行動すれば、最後には人々の信頼と尊敬を得られる。
初六。進もうとしてくじける。正道を守れば吉。互いに信じ、心を広く持てば咎はない。
象伝にいう。進もうとしてくじけるのは、ひとり正道を歩むからである。心を広く持てば咎がないのは、まだ命を受けていないからである。
経文の意味は、向上を求めても排斥されるが、正道を守れば吉となる。信頼されなくても心を広く持てば、突然の災いはないということである。象伝の意味は、向上を求めても排斥されるのは、あなた一人が正道を歩んでいるからである。心を広く持てば災いがないのは、まだ任命を受けていないからである。
晋卦の下卦にある三つの陰爻は、いずれも上へ発展したいと望んでおり、官界の表立った争いと陰の競争のようである。しかし初六は最下位にいるものの、九四と応じているため、指導者の寵愛を受ける者に相当する。こういう人は官界で最も排斥されやすい。どうすればよいか。ことわざに「低い軒下にいるなら、頭を下げざるを得ない」とある。耐えるのが上策だが、いつも我慢していれば病気になるので、心を広く持ってこそ災いを避けられる。
周易第三十五卦・九二爻の詳しい解説
六二の爻辞
六二。進もうとして憂える。正道を守れば吉。王母からこの大きな福を受ける。
象伝にいう。この大きな福を受けるのは、中正だからである。
現代語による説明
六二。敵を攻撃して圧倒する。占えば吉。始祖の祖母の加護によって大きな福を得る。
象伝にいう。この大きな福を受けるのは、六二が下卦の中央に居り、人が中正の道を得ているようだからである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
吉。この爻を得た人は、願いがかなう。母親の助けを多く得るか、妻の財を得る。官職にある人は正道を守れば進展できる。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。求めることの多くは妨げられるが、正道を守れば通る。
金運。低迷期を守り抜けば、自然に福を受ける。
家庭。引っ越して年長者と住む。結婚は少し待つ。
身体。年長者の言葉をよく聞くこと。

六二の変卦
"周易第35卦的其中之一变卦卦的卦图

六二が変じると、周易の第64卦、火水未済となる。この卦は錯卦で、下卦が坎、上卦が離である。離は火、坎は水を表す。火が上、水が下にあり、火勢が水勢を圧倒するため、消火という大事業はまだ成し遂げられない。そこで未済と名づける。周易は乾・坤の二卦から始まり、既済・未済の二卦で終わる。これは変化と発展の思想を十分に示している。

九二爻の哲学的意味

晋卦第二爻。爻辞。六二。進もうとして憂える。正道を守れば吉。王母からこの大きな福を受ける。爻辞の解釈
愁。憂慮を指す。兹。「これ」と同じ。介。詩経・小雅に「神これを聞き、なんじに大いなる福を与えん」という句があり、ここでの介は大きいという意味。王母。六五を指す。六五は君位で、陰爻が君位に居るため「王母」と呼ぶ。
この爻辞の意味は、昇進の途中で挫折に遭って憂えるが、正道を固く守れば吉となり、最後には六五の王母から大きな福を授かるということである。
卦象から見ると、六二は陰爻で柔位に居り、下卦の中央に位置する。中を得て正しく、柔順という中正の美徳を備えているため、君位の六五から深く評価され、恩恵と福沢を受けられる。
象伝はこの爻を次のように解釈する。「この大きな福を受ける」とは、中正だからである。「大きな恩恵と福沢を得られる」のは、位が中央にあり、行いが身分と正道にかなっているからだと示している。
この爻を得た人。前進の途中は順調でなく、心配が重なるかもしれないが、失望して諦めてはならない。謙虚で柔順な姿勢を保ち、進取を続け、辛抱強く努力すれば、執念をもって重ねた努力は最後に好意的な支援と報いを得る。
六二。進もうとして憂える。正道を守れば吉。
王母からこの大きな福を受ける。
象伝にいう。この大きな福を受けるのは、中正だからである。
経文の意味は、昇進すれば憂いも訪れるが、正道を守れば吉となるということだ。この大きな福は王母から来る。象伝の意味は、この福沢を受けるのは、六二が中央に居て正しい位を得ているからだということである。
六二は官界である程度の地位を持つが、非常に憂えている。なぜか。六五とは敵対して応じず、さらに上互卦の坎に近接している。坎は険難と多くの憂いを表すので、六二は危険の縁に身を置くように、いつも心配が絶えない。そのため六二は慎重に行動し、災いを避ける。六二は正しい位を得て中央に居り、中正の徳も備えているので、六五と同じ陰性が反発し合うにもかかわらず、六五から賞賛を受けることができる。これが「王母からこの大きな福を受ける」ということである。
周易第三十五卦・九三爻の詳しい解説
六三の爻辞
六三。人々が信頼し、悔いは消える。
象伝にいう。人々が信頼するのは、その志が上へ進むからである。
現代語による説明
六三。大勢が心を一つにし、全力で攻める。何の悔いもない。
象伝にいう。人々が信頼すれば、その志は実現する。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。この爻を得た人は友人の助けを得て計画が思いどおりになるが、思いがけない危険には注意すること。官職にある人には昇進の機会がある。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。人々が喜んで従えば、自然に悔いはない。
金運。双方が和睦すれば、売買はいずれも利益がある。
家庭。雰囲気が調和し、男女の関係も円満である。
身体。集団で運動する。争いごとは調停される。

六三の変卦
"周易第35卦的其中之一变卦卦的卦图

六三爻が変じると、周易の第56卦「火山旅」になります。この卦は異なる卦(下が艮、上が離)を重ねたものです。豊卦とは反対で、互いに「綜卦」の関係にあります。山中で火が燃え続け、勢いが止まらず前へ広がるさまが、道中を急ぐ旅人に似ているため、旅卦と呼ばれます。

九三爻の哲学的な意味

晋卦の第三爻、爻辞:「六三。衆人に認められれば、悔いは消える」。爻辞の解釈
「衆人」とは民衆を指します。「允」とは、公正であること、承認すること、認めること、信頼することを指します。
この爻辞の意味は、行ったことが人々の認めるところとなり、悔いが消えるということです。
卦象から見ると、六三は陰爻が陽位にあるため位を失い、本来なら悔いが生じるはずです。しかし六三は下卦の坤の頂に位置し、自ら謙虚で柔順な徳を備えています。さらに下の二爻も陰爻であり、民衆の基盤を持ち、人々の信頼を得ていることを示します。そのため悔いは消えるのです。この卦は、昇進や発展を望むなら、民衆の支持を基盤とし、人心を深く得なければならないと強調しています。そうして初めて、上位者の信頼と重用を得られます。
『象伝』はこの爻を次のように説明します。「衆人に認められる」とは、志を上へ進めることである。つまり、「人々に認められる」という志は、努力して前進することを意味します。
この爻を得た人は、上司の機嫌をひたすら取るのではなく、部下や周囲の人々から認められ、信頼されることに重点を置くべきです。人々の信頼を得れば、定めた目標に向かって努力を続けられます。支持を得て行動すれば、勇気と自信も引き出されやすくなり、上司や指導者から評価され、願いを成就できるでしょう。
六三。衆人に認められれば、悔いは消える。
象伝にいう。「衆人に認められる」とは、志が上へ進むことである。経文の意味は、人々の勢いを借りて上へ昇れば、悔いはないということです。象伝の意味は、人々の信頼を受けるのは、その志が向上心に満ちているからだということです。
六三の下にある二つの陰爻はともに上九に応じており、悔いは消えます。いずれも上昇する勢いを持つため、六三も下の力を借りて上へ昇ることができます。さらに六三は九四と陰陽が調和し、上九とも応じているので、昇進は非常に順調です。たとえば六三は、現在のある組織の主任のようなものです。下の人々は皆昇進を望んでいますが、六三には上に後ろ盾があり、上司からも重く見られています。そのため、下の者が彼の職を引き継げば、彼は自然にさらに高い指導的地位へ抜擢されます。このように自然な流れで成し遂げられる昇進に、どうして悔いがあるでしょうか。
周易第三十五卦・九四爻の詳しい解説
九四の爻辞
九四。鼠のように進む。正しくあろうとしても危うい。
象伝にいう。鼠が正しくあろうとしても危ういのは、その位置がふさわしくないからである。
現代語による説明
九四。敵を攻めるにも鼠のように臆病で、占えば凶兆が出る。
象伝にいう。敵を攻めるにも鼠のように臆病で、占えば凶兆が出る。九四は陽爻なのに陰位にあり、人が不利な立場に置かれているようなものだからである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。この爻を得た人は、時運が悪く、争いや訴訟に巻き込まれることがあります。官職にある人は進取を控えるべきで、抵抗があるため、正道を守る必要があります。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運:正道を守るのがよく、策略を弄すれば凶となる。
金運:財を貪れば必ず失敗する。利益が出たら、ほどよいところで手を引くこと。
家庭:損失が多すぎる。結婚には不正な面がある。
身体:疥癬や吐血の恐れがあり、いずれも危険。

九四の変卦
"周易第35卦的其中之一变卦卦的卦图

九四爻が変じると、周易の第23卦「山地剥」になります。この卦は異なる卦(下が坤、上が艮)を重ねたものです。下に五つの陰爻、上に一つの陽爻があり、陰が盛んで陽が孤立しています。高い山が大地に付いている形でもあります。どちらも剥落の象なので、剥卦と呼ばれます。陰が盛んで陽が衰えるため、小人が勢力を得て君子が困窮し、事業が衰退することをたとえています。

九四爻の哲学的意味

晋卦の第四爻、爻辞:「九四。鼠のように進む。正しくあろうとしても危うい」。爻辞の解釈
この鼠はムササビとも呼ばれます。『説文解字』では「飛べるが屋根を越えられず、よじ登れるが木の頂まで達せず、泳げるが谷を渡れず、穴を掘れるが身を隠せるほどには掘れず、走れるが人より先に進めない」と説明されています。このように「五つの技があっても行き詰まる」状態は、貪欲でありながら何も成し遂げられないことのたとえです。
この爻辞の意味は、昇進を望みながら鼠のように、欲が深く、しかも得意とする技がないということです。そのような人は、たとえ自分の分を厳格に守っても、災いを免れられません。
九四は陽爻が陰位にあるため、位を得ていません。下には三つの陰爻が迫っており、進む道がなく、困難に陥っています。『象伝』はこう分析します。「鼠が正しくあろうとしても危ういのは、その位置がふさわしくないからである」。つまり、「鼠のように、たとえ自分の分を厳守しても災いを免れない」のは、置かれた位置が適切でないためだと示しています。
この爻を得た人は、現在の立場がやや不利で、進む道がないかもしれません。いつも何かを警戒し、鼠のようにおどおどしています。今、成果を上げたいなら、鼠のように多くを欲して何一つ成し遂げない状態になってはいけません。一つの技能を深く学び、自分の専門にするとよいでしょう。それが発展に役立ちます。
します。
この爻を得た人は、昇進や発展を得たかもしれませんが、方法が正しくなかったため、結果は深刻です。危険を免れるには、厳しい鍛錬を経なければなりません。
九四。鼠のように進む。正しくあろうとしても危うい。
象伝にいう。鼠が正しくあろうとしても危ういのは、その位置がふさわしくないからである。
経文の意味は、鼠のように進めば、正道を守っても危険があるということです。
象伝の意味は、鼠が正しくあろうとしても危ういのは、その位置がふさわしくないからだということです。六五はすべての陰爻に囲まれ、上互卦の坎に陥り、しかも下互卦の最上爻でもあります。さらに陽爻が偶数位にあるため位を得ていません。したがって九四は危険な境遇にありながら、自力で抜け出せないのです。爻辞は「鼠」によって九四をたとえています。飛べても遠くへ飛べず、よじ登れても木の上まで行けず、泳げても川の向こう岸へ渡れず、小さな水たまりを行き来するだけ。穴を掘れても身を隠せる穴は掘れず、何本もの脚を懸命に動かしても、長く走って人の一歩分の距離さえ進めません。このように何でも少しずつ知っていても専門がない人は社会に多く、その一生の運命も「鼠」のようになってしまいます。このような人は、正道を守っても危険から逃れられません。
周易第三十五卦・九五爻の詳しい解説
六五の爻辞
六五。悔いは消える。失うことや得ることを気に病まず、進めば吉で、何事にも不利はない。
象伝にいう。失うことや得ることを気に病まなければ、進んで喜びがある。
現代語による説明
六五。悔いることはない。敗北しても気落ちしてはならない。努力を重ねれば、最後には必ず敗北を勝利に変えられる。何事にも不利はない。
象伝にいう。損失を受けても気落ちせず、勇ましく前進すれば、必ず喜びが訪れる。
北宋の易学者・邵雍の解釈
吉。この爻を得た人は幸運が訪れ、計画していたことから利益を得ます。官職にある人には昇進の喜びがあります。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運:災いが去って福が来る。思いがけず得るものがある。
金運:これまでは少し失うが、今は大きく得られる。
家庭:家運が好転する。結婚は吉祥。
身体:もう大きな問題はない。

六五の変卦
"周易第35卦的其中之一变卦卦的卦图

六五爻が変じると、周易の第12卦「天地否」になります。この卦は異なる卦(下が坤、上が乾)を重ねたもので、泰卦とは構造が反対です。陽気は上昇し、陰気は下降し、天地が交わらず、万物の交流も途絶えます。両者は「綜卦」の関係にあり、泰が極まれば否となり、否が極まれば泰が来るという、互いに因果をなす関係を示します。

九五爻の哲学的意味

晋卦の第五爻、爻辞:「六五。悔いは消える。失うことや得ることを気に病まず、進めば吉で、何事にも不利はない」。爻辞の解釈
「失」は失うこと、なくすことを指します。「恤」は心配や懸念を指します。
この爻辞の意味は、悔いが消え、得失を気にせず進めば吉となり、すべてが順調になるということです。
卦象から見ると、六五は陰爻が陽位にあり、君主の位を占めています。しかし上下はともに陽爻です。六五自身の資質は柔弱ですが、剛健な臣下に対して謙和に接し、中を守って極端に偏らず、左右の各勢力を効果的に調整できます。そのため、情勢は非常に有利です。
『象伝』はこの爻を次のように説明します。「失うことや得ることを気に病まない。進めば喜びがある」。ここで示されるのは、努力して奮闘し続けさえすれば、必ず吉祥と福が訪れるということです。
この爻を得た人は、正しく歩み、端正に行動している限り、一時的な得失を心配する必要はありません。悔いを残すこと、不吉なこと、災難はすべて消えます。勇敢に前進すれば不利はなく、望む結果を得られるでしょう。
六五。悔いは消える。失うことや得ることを気に病まず、進めば吉で、何事にも不利はない。
象伝にいう。失うことや得ることを気に病まなければ、喜びがある。
経文の意味は、憂いも悔いもなく、得失を気にせず進めば吉で、何の不利もないということです。象伝の意味は、得失にこだわらず前進してこそ、喜びが得られるということです。
ことわざに「捨てるからこそ得られる」といいます。失うことがなければ、どうして得ることがあるでしょうか。これは、塞翁が馬の故事のようなものです。馬を一頭失ったことで、群れの馬を得ることになりました。もし塞翁が自分の馬をしっかりつないでいたなら、その馬が群れを連れて戻ってくることはなかったでしょう。人生では、得ることと失うことがしばしば共存します。
五爻は尊い位にあり、上下の陽爻に包まれ、支えられています。そのため、進むにしても退くにしても、得るにしても失うにしても、必ず喜ぶに値することがあります。
周易第三十五卦・上九爻の詳しい解説
上九の爻辞
上九。角の先まで進む。やむを得なければ属邑を討ってよい。危ういが吉となり咎はない。ただ正しさに固執すれば困難がある。
象伝にいう。やむを得ず属邑を討つのは、王道がまだ広く明らかになっていないからである。
現代語による説明
上九。敵を攻めるには、敵味方双方の力を比較し、敵の城邑を攻めることを考えてもよい。しかし結末は予測できない。危険になるかもしれず、吉となるかもしれず、災いがないかもしれず、凶兆を実現するかもしれない。
象伝にいう。敵の城邑を攻めようとするのは、王道が広く行われておらず、そのため属邑が反乱したことを示す。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。この爻を得た人は、家を修理・建築する喜びがあるでしょう。不吉な面では、争いや訴訟の心配があります。官職にある人には領地を食邑として受ける栄誉があります。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運:幸運は終わりに近い。事故に注意すること。
金運:同業者との争いがあるが、幸い咎はない。
家庭:近隣が不安定。初めは争うが、最後には和解する。
身体:頭部を養生すること。訴訟をやめれば吉。

上九の変卦
"周易第35卦的其中之一变卦卦的卦图

上九爻が変じると、周易の第16卦「雷地豫」になります。この卦は異なる卦(下が坤、上が震)を重ねたものです。坤は大地と順従、震は雷と動きを表します。雷が時に応じて現れ、大地に春が戻ることを予告します。順に従って動くことが、和やかさと喜びの源です。この卦は謙卦と綜卦の関係にあり、互いに作用します。

上九爻の哲学的意味

晋卦の第六爻、爻辞:「上九。角の先まで進む。やむを得なければ属邑を討ってよい。危ういが吉となり咎はない。ただ正しさに固執すれば困難がある」。爻辞の解釈
「維」は語気を表す助詞です。「邑」は属邑、すなわち付属する小国を指します。
この爻辞の意味は、昇進や発展が頂点に達し、獣の角の先に到達したような状態だということです。このときは属国を討って内を安定させてもよい。それには危険がありますが、災いはありません。変化せず現状に固執すれば、困難に遭います。
卦象から見ると、上九は陽爻が陰位にあるため位を失っています。全卦の終わりの位置にあり、昇進や発展が最高点に達し、もはや前へ進む道がないことを示します。このときは内部を安定させるべきで、行動を取らなければ困難が生じます。
『象伝』はこの爻を次のように説明します。「やむを得ず属邑を討つ」のは、道がまだ十分に輝いていないからである。つまり、前進と繁栄が頂点に達し、これ以上発展させ広げることが難しいということです。
この爻を得た人は、進歩や発展がすでに頂点に達しています。このまま前へ突き進んでも意味がないので、戦略を修正・変更し、内部の問題を探す必要があります。問題を見つけたら、全力で取り除くことです。それによって誤解や危険を招くかもしれませんが、行動しなければさらに大きな問題になります。
上九。角の先まで進む。やむを得なければ属邑を討ってよい。危ういが吉となり咎はない。ただ正しさに固執すれば困難がある。象伝にいう。やむを得ず属邑を討つのは、道がまだ十分に輝いていないからである。
経文の意味は、昇進が頂点に達し、小国を征討して功績を立てるしかないということです。危険の中に吉があり、災いはありませんが、正道を守ると困難に遭います。
象伝の意味は、小国を征討して功績を立てるしかないということが、上九の昇進の道がまだ広く輝かしいものになっていないことを示すということです。
昇進が極限に達すると、かえって権力を失います。古代の昇進は現代とは異なりました。現在は一般に、昇進すればするほど地位も権力も大きくなります。しかし古代では、最上位に昇ると太上皇となりました。名誉の上では最も重要な人物で、皇帝でさえ三分の恐れを抱きますが、実際には実権を失っていたのです。この上九は功名を追い求める人物なので、名誉をさらに高めようとすれば、小国を征討するしかありません。上九は行き詰まりの果てにあり、やがて多くの陰爻に押し出されるため、ひたすら正道を守ろうとすれば、憂いや困難が生じます。