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易経 · 六十四卦
周易・易経 第62卦 小過卦、雷山小過、震上艮下
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小過。通じる。正しさを守るのによい。小事はよいが、大事はよくない。飛ぶ鳥が声を残す。上るのはよくなく、下るのがよい。大いに吉。
彖伝にいう。小過とは、小さいものが過ぎて通じることである。正しさを守るのによいのは、時に従って行うからである。柔が中を得ているので、小事には吉。剛は位を失い、中を得ていないので、大事を行うことはできない。飛ぶ鳥の象があり、飛ぶ鳥が声を残す。上るのはよくなく、下るのがよい。大いに吉なのは、上るのは逆らい、下るのは順うからである。
象伝にいう。山の上に雷があるのが小過である。君子はこれにならい、行いでは常以上に恭しく、喪では常以上に悲しみ、用いるときは常以上に倹約する。

易経 第 62 卦 原文と概説
周易第六十二卦詳解
小過卦の原文
小過。通じる。正しさを守るのによい。小事はよいが、大事はよくない。飛ぶ鳥が声を残す。上るのはよくなく、下るのがよい。大いに吉。
象伝にいう。山の上に雷があるのが小過である。君子はこれにならい、行いでは常以上に恭しく、喪では常以上に悲しみ、用いるときは常以上に倹約する。
現代語による説明
小過は通じる。正しさを守るのによい吉兆である。ただし小事に適し、大事には適さない。飛ぶ鳥が空を過ぎ、声を耳もとに残して、人に警告する。高みに登れば必ず危険に遭い、下へ進めば吉である。
象辞にいう。この卦は下卦が艮で山を表し、上卦が震で雷を表す。山の上に雷があるのが小過の卦象である。君子はこの卦象を見て天雷を畏れ、過ちを犯さないようにする。だから行いでは過度にへりくだらず、喪では過度に悲しまず、用度では過度に倹約せず、ただ中庸を守る。
『断易天機』による解説
小過は上が震、下が艮で、兌宮の遊魂卦である。この卦を得た場合、事を起こすのにはよい。小事は行えるが、大事は行えない。
北宋の易学者・邵雍の解釈
陰が順応し陽が困窮するため、柔軟に対処すべきです。慎重に身を保ち、急進するのは避けましょう。
この卦を得た人は、何事も不利である。小事を行い、大事は避けること。特に自分の過失から是非や訴訟を招かないよう注意する。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。高潔に自らを守ると、かえって人にねたまれる。
財運。価格が合わず、利益を得られない。
家庭。高い場所の家。年配の夫と若い妻。
健康。寒さが過ぎるか、熱が過ぎる。
伝統的な卦の解釈
この卦は異なる卦、下が艮、上が震で重なっている。艮は山、震は雷である。山を越えて雷が鳴るので、恐れなければならない。陽は大、陰は小を表し、外側の四陰が中央の二陽を上回るため「小過」、小さな越境と呼ばれる。
大象。山の上に雷がある。雷鳴は大きいが山に隔てられて弱まり、これが「小過」である。
運勢。何事も不利である。小事を行い、大事は避けること。小さな過失から騒ぎや是非、訴訟を招かないよう、さらに注意する。
仕事。行動は慎重にし、決して冒険せず、特に抜け道を利用してはならない。ただし正当な行いを守れば、勇敢に前進し、努力して事業を切り開ける。必ず限度をわきまえ、身の丈を超えた高望みをしないこと。災いを招かないためである。臨機応変が鍵となる。
商売。市場の動向を十分に把握できていないので、まず少し試してみて、すぐに行動を抑えること。そうしなければ危険を招く。大規模に動くべきではないが、臆病になる必要もない。足元を固め、段階的に発展させる。
名声を求めるなら、中正の原則と順を追って進む道理に従い、着実に前進すること。虚名を追わず、現実を無視して高い地位に登ろうとしてはならない。
恋愛・結婚。互いを知るために十分な時間をかけ、急いで事を進めてはならない。
決断。行動は必ず分限を守り、適切なところでやめること。盛んな時ほどやり過ぎを防ぎ、すぐに自制する。過度になれば事を成せず、かえって災いを招く。すべての行動は状況に応じて変化させ、頑固になってはならない。
第六十二卦の哲学的意味
小過は異なる卦が重なり、下卦が艮、上卦が震である。艮は山、震は雷。山が下、雷が上なので、山の上に雷雨があることを意味する。雷雨は木々を打ち壊し、水土を流失させる。しかし山上の万物は、雷雨の潤いがなければ生きられない。それに比べれば雷雨による損失は、雷雨の小さな過ぎた働きにすぎないので、この卦を小過と名づける。
小過は中孚の後に位置する。序卦伝は次のように説明する。「信を有する者は必ずこれを行う。ゆえにこれを受けるに小過をもってする」。誠信のある人は必ず行動するが、行動の限度をつかめなければ小さな過ちを犯すことがある。そこで次に小過を説く。
象伝はこの卦を次のように解釈する。山の上に雷があるのが小過である。君子は小過の象にならい、日常の小事では少し度を越す。立ち居振る舞いではより恭敬に、喪事ではより深く悲しみ、日常の用度ではより倹約する。これは行き過ぎを正すためである。
小過は少し度を越すことを象徴し、行動には限度があるべきだと示す、中上位の卦である。象伝はこの卦をこう判断する。旅人が一本橋を渡る。心はおびえ、目は前を見つめる。すばやく渡れば無事に通れるが、ゆっくり歩けば必ず不安定で危うい。
小過卦の原文
小過。通じる。正しさを守るのによい。小事はよいが、大事はよくない。飛ぶ鳥が声を残す。上るのはよくなく、下るのがよい。大いに吉。
象伝にいう。山の上に雷があるのが小過である。君子はこれにならい、行いでは常以上に恭しく、喪では常以上に悲しみ、用いるときは常以上に倹約する。
現代語による説明
小過は通じる。正しさを守るのによい吉兆である。ただし小事に適し、大事には適さない。飛ぶ鳥が空を過ぎ、声を耳もとに残して、人に警告する。高みに登れば必ず危険に遭い、下へ進めば吉である。
象辞にいう。この卦は下卦が艮で山を表し、上卦が震で雷を表す。山の上に雷があるのが小過の卦象である。君子はこの卦象を見て天雷を畏れ、過ちを犯さないようにする。だから行いでは過度にへりくだらず、喪では過度に悲しまず、用度では過度に倹約せず、ただ中庸を守る。
『断易天機』による解説
小過は上が震、下が艮で、兌宮の遊魂卦である。この卦を得た場合、事を起こすのにはよい。小事は行えるが、大事は行えない。
北宋の易学者・邵雍の解釈
陰が順応し陽が困窮するため、柔軟に対処すべきです。慎重に身を保ち、急進するのは避けましょう。
この卦を得た人は、何事も不利である。小事を行い、大事は避けること。特に自分の過失から是非や訴訟を招かないよう注意する。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。高潔に自らを守ると、かえって人にねたまれる。
財運。価格が合わず、利益を得られない。
家庭。高い場所の家。年配の夫と若い妻。
健康。寒さが過ぎるか、熱が過ぎる。
伝統的な卦の解釈
この卦は異なる卦、下が艮、上が震で重なっている。艮は山、震は雷である。山を越えて雷が鳴るので、恐れなければならない。陽は大、陰は小を表し、外側の四陰が中央の二陽を上回るため「小過」、小さな越境と呼ばれる。
大象。山の上に雷がある。雷鳴は大きいが山に隔てられて弱まり、これが「小過」である。
運勢。何事も不利である。小事を行い、大事は避けること。小さな過失から騒ぎや是非、訴訟を招かないよう、さらに注意する。
仕事。行動は慎重にし、決して冒険せず、特に抜け道を利用してはならない。ただし正当な行いを守れば、勇敢に前進し、努力して事業を切り開ける。必ず限度をわきまえ、身の丈を超えた高望みをしないこと。災いを招かないためである。臨機応変が鍵となる。
商売。市場の動向を十分に把握できていないので、まず少し試してみて、すぐに行動を抑えること。そうしなければ危険を招く。大規模に動くべきではないが、臆病になる必要もない。足元を固め、段階的に発展させる。
名声を求めるなら、中正の原則と順を追って進む道理に従い、着実に前進すること。虚名を追わず、現実を無視して高い地位に登ろうとしてはならない。
恋愛・結婚。互いを知るために十分な時間をかけ、急いで事を進めてはならない。
決断。行動は必ず分限を守り、適切なところでやめること。盛んな時ほどやり過ぎを防ぎ、すぐに自制する。過度になれば事を成せず、かえって災いを招く。すべての行動は状況に応じて変化させ、頑固になってはならない。
第六十二卦の哲学的意味
小過は異なる卦が重なり、下卦が艮、上卦が震である。艮は山、震は雷。山が下、雷が上なので、山の上に雷雨があることを意味する。雷雨は木々を打ち壊し、水土を流失させる。しかし山上の万物は、雷雨の潤いがなければ生きられない。それに比べれば雷雨による損失は、雷雨の小さな過ぎた働きにすぎないので、この卦を小過と名づける。
小過は中孚の後に位置する。序卦伝は次のように説明する。「信を有する者は必ずこれを行う。ゆえにこれを受けるに小過をもってする」。誠信のある人は必ず行動するが、行動の限度をつかめなければ小さな過ちを犯すことがある。そこで次に小過を説く。
象伝はこの卦を次のように解釈する。山の上に雷があるのが小過である。君子は小過の象にならい、日常の小事では少し度を越す。立ち居振る舞いではより恭敬に、喪事ではより深く悲しみ、日常の用度ではより倹約する。これは行き過ぎを正すためである。
小過は少し度を越すことを象徴し、行動には限度があるべきだと示す、中上位の卦である。象伝はこの卦をこう判断する。旅人が一本橋を渡る。心はおびえ、目は前を見つめる。すばやく渡れば無事に通れるが、ゆっくり歩けば必ず不安定で危うい。
易経 第 62 卦 爻ごとの詳解
周易第六十二卦初九爻詳解
初六の爻辞
初六。飛ぶ鳥は凶をもたらす。
象伝にいう。飛ぶ鳥が凶をもたらすのは、どうすることもできないからである。
現代語による説明
初六。鳥が空を飛ぶのは、凶険の兆しである。
象辞にいう。鳥が空を飛ぶのは凶険の兆しであり、これはどうにもならないことである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。この爻を得た人は時機に恵まれず、災難が突然やって来る。官職にある人は急に災いを受ける憂いがある。学ぶ人には一気に頭角を現す兆しがある。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。分を守らず、結果は大いに危うい。
財運。自分の力を過信すれば、失敗は避けられない。
家庭。家は低く小さいのがよい。家柄の釣り合いが取れている。
健康。精神と魂を保ちにくい。
初六の変卦
初六が変じると、周易第55卦の雷火豊となる。この卦は下が離、上が震で重なっている。稲妻が走り雷鳴が轟き、大きな成果を上げ頂点に達することをたとえる、まさに真昼の太陽である。ただし戒めがある。物事は必ず反対の方向へ発展し、盛衰は常ではないので、警戒を怠ってはならない。
初九爻の哲学的意味
小過の第一爻。爻辞。初六。飛ぶ鳥は凶をもたらす。爻辞の解釈。
この爻辞の意味は、飛ぶ鳥が無理に上へ飛べば危険に遭うということ。
卦象から見ると、初六は陰爻が剛位にあり、才能も資質も弱いのに、力を誇って動きたがる。飛び方を覚えたばかりの小鳥のように、まだ羽が十分に育っていないのに無理に飛ぼうとするため、必ず危険を招く。
『象伝』はこの爻を次のように説明する。「飛ぶ鳥は凶をもたらす」とは、どうすることもできないのである。これは、「飛ぶ鳥が上へ強く飛び立てば危険に遭う」という意味であり、自ら招いた災いで、どうにもならないことを示している。
この卦を得た人は、自分の実際の能力を考えるべきである。能力や知識、経験がまだ一定の水準に達していないうちは、より高い職位に就こうとしたり、大金を得ようとしたりしてはならない。今は多くを求めず、身近な小さなことから始め、少しずつ学び、一歩ずつ進むとよい。
初六。飛ぶ鳥は凶をもたらす。
象伝にいう。飛ぶ鳥が凶をもたらすのは、どうすることもできないからである。
経文の意味は、飛ぶ鳥が危険をもたらすということである。
象伝の意味は、飛ぶ鳥が危険をもたらし、救う方法がないということである。
『周易』第六十二卦・九二爻の詳しい解説
六二の爻辞
六二。祖父を越えて祖母に会う。君主には及ばず、その臣下に会う。咎はない。
象伝にいう。君主に及ばないとは、臣下は君主を越えてはならないということである。
現代語による説明
六二。祖父には会えなかったが祖母には会えた。君主には会えなかったが臣下には会えた。多少の行き違いはあっても無駄ではなく、したがって災いはない。
象伝にいう。君主に会えないのは、臣下が君主を越えてはならないからである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。これを得た人は貴人の導きを受け、願い事が成就する。官職にある者は自分を厳しく律し、職務を忠実に守れば、昇進が望める。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。平穏な運気で、半分得られれば十分である。
財運。満載とはいかなくても、半分得られればよい。
家庭。安らかでない兆し。正しい相手ではない恐れがある。
健康。薬の効き目はまだ現れていないので、治療を続けること。
六二の変卦
六二が変じると、『周易』の第32卦、雷風恒となる。この卦は異なる卦、すなわち下に巽、上に震が重なったもの。震は男性と雷を、巽は女性と風を表す。剛が上、柔が下にあり、造化には恒常の道があって互いに助け育てる。陰陽が応じるのが常情なので、恒と称する。
九二爻の哲学的意味
小過卦の第二爻。爻辞は「六二。祖父を越えて祖母に会う。君主には及ばず、その臣下に会う。咎はない」。爻辞の解釈。
「祖父」は祖父を指す。「妣」はここでは祖母を指す。
この爻辞の意味は、家のことを伺う際には祖父を通さず祖母に伺ってもよいということである。国の大事を伺う際、君主に直接会えない場合は、君主に近い大臣に伺えば、過ちはない。
卦象から見ると、六二は陰爻が柔位にあり、中を守って正しい。行動は規則と本分をよく守る。古代社会の家庭では家長制が行われ、事があれば家長に伺う必要があった。この六二の年少者は祖父に伺わず、祖父を越えて祖母に伺っているが、家庭内の雑事は小事なので過ちではない。しかし大臣の立場では君主を越えることはできず、必ず君主に伺わなければならない。直接会えない場合に限り、君主に近い大臣に伺うことができる。
『象伝』はこの爻を次のように分析する。「君主には及ばない」とは、臣下は君主を越えてはならないということである。これは、「勝手に君位を越えてはならない」ことを示す。臣下は至上の存在を超えることができないからである。
この爻を得た人は、所属する組織の規則を必ず守ること。伺いや報告をする際は、必ず主要な指導者に対して行い、越権したり相手を間違えたりしてはならない。家庭でも年長者への敬意を忘れないこと。今は家長制ではなく、多くのことを自分で決められるが、敬意から一度相談するのがよい。
六二。祖父を越えて祖母に会う。君主には及ばず、その臣下に会う。咎はない。
象伝にいう。君主に及ばないとは、臣下は君主を越えてはならないということである。
『周易』第六十二卦・九三爻の詳しい解説
九三の爻辞
九三。行き過ぎず、これを防げ。放任すれば、あるいは人に傷つけられる。凶。
象伝にいう。放任して人に傷つけられるとは、なんと凶であろうか。
現代語による説明
九三。過度に責めるのではなく、過ちが広がるのを止めよ。放任すれば、かえって彼を害し、必ず危険に遭う。
象伝にいう。放任してかえって彼を害するとは、凶が極まって言葉にもできない。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。この爻を得た人は運気が悪く、思わぬ事故に十分注意すること。官職にある者は、小人や奸邪な者に害されないよう警戒せよ。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。焦って進んではならない。身を守れば災いを免れる。
財運。外へ出て商売するなら、โจร賊に注意せよ。
家庭。凶事に十分注意し、怨敵に気をつけよ。
健康。刃物による傷は危険である。
九三の変卦
九三が変じると、『周易』の第16卦、雷地豫となる。この卦は異卦、すなわち下に坤、上に震が重なったもの。坤は大地と順を、震は雷と動きを表す。雷が時に応じて現れ、大地に春が戻ることを告げる。順に従って動くことが和楽の源となる。この卦は謙卦と錯綜した関係にあり、互いに作用する。
九三爻の哲学的な意味
小過卦の第三爻。九三。行き過ぎず、これを防げ。放任すれば、あるいは人に傷つけられる。凶。爻辞の解釈。
「行き過ぎず」とは、度を越してはならないという意味。「傷つける」とは、害することを指す。
この爻辞の意味は、力があると自負して十分に警戒しないため、人に害されることになり、凶となるということである。
『象伝』は「放任すれば、あるいは人に傷つけられる」といい、なんという凶であろうかと強調する。これは、「人に害されようとしている」危険が、どれほど深刻かを示している。
この爻を得た人は、現在の状況に安んじること。上に後ろ盾がある、あるいは誰かに評価されているからといって、不満を抱いたり反発したりしてはならない。行動は度を越さず、思いがけない災いが自分に及ばないよう常に警戒せよ。冷静さを保ち、自分の強さを頼みにせず、中道を越えて常規に背かなければ、災いを免れられる。
九三。行き過ぎず、これを防げ。放任すれば、あるいは人に傷つけられる。凶。
象伝にいう。放任して人に傷つけられるとは、なんと凶であろうか。
経文の意味は、過失がなくても防備を固めるべきであり、ひたすら人に従えば危険があるということである。
象伝の意味は、ひたすら人に従うという危険に、いったいどう対処できようかということである。
『周易』第六十二卦・九四爻の詳しい解説
九四の爻辞
九四。咎はない。行き過ぎず、これに会え。進めば危険なので、必ず戒めよ。用いるな。永久に正道を守れ。
象伝にいう。「行き過ぎず、これに会え」とは、位が正しくないからである。「進めば危険なので必ず戒めよ」とは、最後まで長続きしないからである。
現代語による説明
九四。過ちはない。彼を責めてはならないが、過ちが起こるのを防げ。危険を冒して進むなら、直ちに警告しなければならない。後の吉凶を占う必要はない。
象伝にいう。過度に責めず、しかし過ちが生じるのを防げ。九四は陽爻でありながら陰位にあるため、人が不利な境遇にいて過ちを犯しやすいようなものだからである。危険に進むなら必ず戒めよ。知りながら過ちを犯せば、自らの失敗を早めるだけである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。この爻を得た人は、常道に安んじて職務を守り、みだりに動いてはならない。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。情勢を見極め、軽率に動いてはならない。
財運。ほどほどで止め、決して貪り過ぎてはならない。
家庭。安居するのがよい。縁談を急いではならない。
健康。静かに養生し、心神を休めること。
九四の変卦
九四が変じると、『周易』の第15卦、地山謙となる。この卦は異卦、すなわち下に艮、上に坤が重なったもの。艮は山、坤は大地を表す。地上に山があり、地は低く山は高い。内面は高く外面は低いことのたとえであり、大きな功績があっても自ら誇らず、高い名声があっても自賛せず、高い地位にあっても驕らない。これが謙である。
九四爻の哲学的意味
小過卦の第四爻。九四。咎はない。行き過ぎず、これに会え。進めば危険なので必ず戒めよ。用いるな。永久に正道を守れ。爻辞の解釈。
この爻辞の意味は、過ちがないので、何事も過度に無理強いせず、相手が自ら会いに来るのを待てということである。自分から赴けば危険があるので、必ず警戒心を持ち、才能を発揮してはならない。永遠に中正の道を守ること。
卦象から見ると、九四は陽爻が陰位にあり、上には六五の君位が臨んでいる。九四は正しくない位にあるため、柔順の道を慎重に守るのが最善である。六五に重用されようとして、主动的に取り入ったり征服しようとしたりしてはならない。ただ六五が自ら「これに会いに来る」のを待つべきである。君主の前では、あまり力を誇示せず、警戒を保ち、永く中正の道を守れば、無事でいられる。
『象伝』はこの爻を次のように分析する。「行き過ぎず、これに会え」とは、位が正しくないからである。「進めば危険なので必ず戒めよ」とは、最後には長続きしないからである。これは、何事も過度に無理強いせず、相手が自ら会いに来るのを待つべきだということを示す。九四は剛が柔位にあるため、位が正しくない。「自分から赴けば危険がある」とは、積極的に迎合すれば、最終的に長続きしないという意味である。
この爻を得た人は、仕事でも恋愛でも受け身の立場に身を置き、時機を待つべきである。自分から動けば長続きしにくい。指導者のもとへ行って自分がどれほど有能かを語り、重用してくれと頼んではならない。恋人のもとへ行って自分がどれほど優秀で、どれほど相手を好きかを語り、受け入れてくれと求めてもならない。そのような行為は自ら面倒を招くもので、結果は望みどおりになりにくい。
九四。咎はない。行き過ぎず、これに会え。進めば危険なので必ず戒めよ。用いるな。永く正道を守れ。象伝にいう。「行き過ぎず、これに会え」とは、位が正しくないからである。「進めば危険なので必ず戒めよ」とは、最後には長続きしないからである。
経文の意味は、災いはないということである。越えてはならないが、会うことはできる。進めば危険なので、必ず警戒せよ。正道に過度に固執してはならない。
象伝の意味は、越えてはならないが会うことはできるのは、九四の位が正しくないからだということである。進めば危険なので必ず警戒せよ。結局は長続きしないことを示している。
『周易』第六十二卦・六五爻の詳しい解説
六五の爻辞
六五。密雲は雨を降らせず、我が西郊よりする。公は綱をつけた矢を射て、穴にいるものを捕らえる。
象伝にいう。密雲が雨を降らせないのは、すでに上に昇っているからである。
現代語による説明
六五。我が西郊の上空に雲気が密集し、雨が降ろうとしている。公は鳥を射ようと出かけたが、穴の中の獣を捕らえた。
象伝にいう。雲気が密集し、雨が降ろうとしているのは、雨雲が空に集まったからである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。この爻を得た人は、事を企てるのに不利で、旧習を守るのがよい。官職にある者は辞職・引退を迫られる危険がある。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。平淡な時期で、大事を成し遂げるのは難しい。
財運。小さな利益は得られるが、多くを望んではならない。
家庭。まずまず暮らしやすい家だが、正妻ではない恐れがある。
健康。鍼灸で治療できる。
六五の変卦
六五が変じると、『周易』の第31卦、沢山咸となる。この卦は異卦、すなわち下に艮、上に兌が重なったもの。艮は山、兌は沢を表す。柔が上、剛が下にあり、水は下へ浸透する。柔が上り剛が下ることで、互いに感じ応じる。感じれば成就する。
九五爻の哲学的意味
小過卦の第五爻。爻辞は「六五。密雲は雨を降らせず、我が西郊よりする。公は綱をつけた矢を射て、穴にいるものを捕らえる」。爻辞の解釈。
「綱をつけた矢」とは、綱のついた矢を指す。ここには、誠意をもって訪ね求める意味が含まれる。「穴」は穴居を意味し、ここでは隠者を指す。
この爻辞の意味は、西郊から来た黒雲が空を覆っているのに雨を降らせないということである。公たちは細い綱を矢に結び、穴に隠れている獣を射捕らえる。
卦象から見ると、六五は陰爻が君位にあるが、位を失っており、国を治める能力が乏しいことを表す。「密雲は雨を降らせず、我が西郊よりする」とは、古人の考えでは、雲が西から東へ移ると雨にならないということである。
『象伝』はこの爻を次のように分析する。「密雲は雨を降らせず、すでに上にある」。これは、陰気が陽気を上回り、陰陽が調和しないため、黒雲が空を覆っても雨にならないことを示す。君主が一国の主でありながら天下に恩沢を施せないのと同じである。この時は狩りをするように、有能な人材や隠者を訪ねて補佐を求め、陽気と出会い結びつくことで天下を治めるべきである。
この爻を得た人は指導者の地位にあっても、能力には限界がある。今急ぐべきことは、有能な人を探して自分を補佐させることである。結婚や恋愛でも、自分を補ってくれる相手を探すとよい。この爻を得た人が成し遂げたいことはまだ醸成中なので、忍耐強く待ち、決して急いで行動してはならない。
六五。密雲は雨を降らせず、我が西郊よりする。公は綱をつけた矢を射て、穴にいるものを捕らえる。
象伝にいう。密雲が雨を降らせないのは、すでに上に昇っているからである。
『周易』第六十二卦・上六爻の詳しい解説
上六の爻辞
上六。会えずに越えてしまい、飛ぶ鳥は網にかかる。凶。これを災眚という。
象伝にいう。「会えずに越えてしまう」とは、すでに極端に高ぶっているからである。
現代語による説明
上六。これを制止しないため過ちを犯す。飛ぶ鳥が網に入るようなもので、凶険である。これを災いという。
象伝にいう。これを制止しないため過ちを犯す。上六の陰爻が上位にある象のとおり、その人はあまりにも狂奔している。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。この爻を得た人は運気が悪く、退いて守ることを知らない。剛直に過ぎれば折れる。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。退いて守ることを知らず、自ら災いを招く。
財運。時機が合わず、得るものより失うものが多い。
家庭。離散の兆し。奸計に注意せよ。
健康。危険な病なので、早く名医を求めよ。
上六の変卦
上六が変じると、『周易』の第56卦、火山旅となる。この卦は異卦、すなわち下に艮、上に離が重なったもの。豊卦とは反対で、互いに綜卦をなす。山中の火は燃え続けて止まらず、道中の旅人が急いで進むように、火勢も前へ広がる。そこで旅卦と呼ばれる。
上九爻の哲学的意味
小過卦の第六爻。爻辞は「上六。会えずに越えてしまい、飛ぶ鳥は網にかかる。凶。これを災眚という」。爻辞の解釈。
「災眚」とは、天が降す災いを災といい、人が招く災いを眚という。
この爻辞の意味は、会えないまま越えてしまい、飛ぶ鳥が網にかかって凶災に遭うということである。これが天災と人災である。
『象伝』はこの爻を次のように分析する。「会えずに越えてしまう」とは、すでに高ぶりが極限に達しているからである。これは、「会わないまま越えてしまう」とは、行き過ぎが極点に達し、これ以上ないほど危険だという意味である。
この爻を得た人は、謙退して自らを抑える道理を理解しなければならない。非常に有能で、会社や組織の古参であるかもしれない。しかし現任の指導者との関係が悪いなら、支持を得ないまま独断で行動すれば、必ず問題に遭う。忠告を聞かず、道理に反することを強行するなら、飛ぶ鳥が自ら網に飛び込むようなもので、自業自得である。
上六。会えずに越えてしまい、飛ぶ鳥は網にかかる。凶。これを災眚という。
象伝にいう。「会えずに越えてしまう」とは、すでに極端に高ぶっているからである。
経文の意味は、会えないまま越えてしまい、飛ぶ鳥が網にかかるので凶険、まさに災いだということである。
初六の爻辞
初六。飛ぶ鳥は凶をもたらす。
象伝にいう。飛ぶ鳥が凶をもたらすのは、どうすることもできないからである。
現代語による説明
初六。鳥が空を飛ぶのは、凶険の兆しである。
象辞にいう。鳥が空を飛ぶのは凶険の兆しであり、これはどうにもならないことである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。この爻を得た人は時機に恵まれず、災難が突然やって来る。官職にある人は急に災いを受ける憂いがある。学ぶ人には一気に頭角を現す兆しがある。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。分を守らず、結果は大いに危うい。
財運。自分の力を過信すれば、失敗は避けられない。
家庭。家は低く小さいのがよい。家柄の釣り合いが取れている。
健康。精神と魂を保ちにくい。
初六の変卦
初六が変じると、周易第55卦の雷火豊となる。この卦は下が離、上が震で重なっている。稲妻が走り雷鳴が轟き、大きな成果を上げ頂点に達することをたとえる、まさに真昼の太陽である。ただし戒めがある。物事は必ず反対の方向へ発展し、盛衰は常ではないので、警戒を怠ってはならない。
初九爻の哲学的意味
小過の第一爻。爻辞。初六。飛ぶ鳥は凶をもたらす。爻辞の解釈。
この爻辞の意味は、飛ぶ鳥が無理に上へ飛べば危険に遭うということ。
卦象から見ると、初六は陰爻が剛位にあり、才能も資質も弱いのに、力を誇って動きたがる。飛び方を覚えたばかりの小鳥のように、まだ羽が十分に育っていないのに無理に飛ぼうとするため、必ず危険を招く。
『象伝』はこの爻を次のように説明する。「飛ぶ鳥は凶をもたらす」とは、どうすることもできないのである。これは、「飛ぶ鳥が上へ強く飛び立てば危険に遭う」という意味であり、自ら招いた災いで、どうにもならないことを示している。
この卦を得た人は、自分の実際の能力を考えるべきである。能力や知識、経験がまだ一定の水準に達していないうちは、より高い職位に就こうとしたり、大金を得ようとしたりしてはならない。今は多くを求めず、身近な小さなことから始め、少しずつ学び、一歩ずつ進むとよい。
初六。飛ぶ鳥は凶をもたらす。
象伝にいう。飛ぶ鳥が凶をもたらすのは、どうすることもできないからである。
経文の意味は、飛ぶ鳥が危険をもたらすということである。
象伝の意味は、飛ぶ鳥が危険をもたらし、救う方法がないということである。
『周易』第六十二卦・九二爻の詳しい解説
六二の爻辞
六二。祖父を越えて祖母に会う。君主には及ばず、その臣下に会う。咎はない。
象伝にいう。君主に及ばないとは、臣下は君主を越えてはならないということである。
現代語による説明
六二。祖父には会えなかったが祖母には会えた。君主には会えなかったが臣下には会えた。多少の行き違いはあっても無駄ではなく、したがって災いはない。
象伝にいう。君主に会えないのは、臣下が君主を越えてはならないからである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。これを得た人は貴人の導きを受け、願い事が成就する。官職にある者は自分を厳しく律し、職務を忠実に守れば、昇進が望める。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。平穏な運気で、半分得られれば十分である。
財運。満載とはいかなくても、半分得られればよい。
家庭。安らかでない兆し。正しい相手ではない恐れがある。
健康。薬の効き目はまだ現れていないので、治療を続けること。
六二の変卦
六二が変じると、『周易』の第32卦、雷風恒となる。この卦は異なる卦、すなわち下に巽、上に震が重なったもの。震は男性と雷を、巽は女性と風を表す。剛が上、柔が下にあり、造化には恒常の道があって互いに助け育てる。陰陽が応じるのが常情なので、恒と称する。
九二爻の哲学的意味
小過卦の第二爻。爻辞は「六二。祖父を越えて祖母に会う。君主には及ばず、その臣下に会う。咎はない」。爻辞の解釈。
「祖父」は祖父を指す。「妣」はここでは祖母を指す。
この爻辞の意味は、家のことを伺う際には祖父を通さず祖母に伺ってもよいということである。国の大事を伺う際、君主に直接会えない場合は、君主に近い大臣に伺えば、過ちはない。
卦象から見ると、六二は陰爻が柔位にあり、中を守って正しい。行動は規則と本分をよく守る。古代社会の家庭では家長制が行われ、事があれば家長に伺う必要があった。この六二の年少者は祖父に伺わず、祖父を越えて祖母に伺っているが、家庭内の雑事は小事なので過ちではない。しかし大臣の立場では君主を越えることはできず、必ず君主に伺わなければならない。直接会えない場合に限り、君主に近い大臣に伺うことができる。
『象伝』はこの爻を次のように分析する。「君主には及ばない」とは、臣下は君主を越えてはならないということである。これは、「勝手に君位を越えてはならない」ことを示す。臣下は至上の存在を超えることができないからである。
この爻を得た人は、所属する組織の規則を必ず守ること。伺いや報告をする際は、必ず主要な指導者に対して行い、越権したり相手を間違えたりしてはならない。家庭でも年長者への敬意を忘れないこと。今は家長制ではなく、多くのことを自分で決められるが、敬意から一度相談するのがよい。
六二。祖父を越えて祖母に会う。君主には及ばず、その臣下に会う。咎はない。
象伝にいう。君主に及ばないとは、臣下は君主を越えてはならないということである。
『周易』第六十二卦・九三爻の詳しい解説
九三の爻辞
九三。行き過ぎず、これを防げ。放任すれば、あるいは人に傷つけられる。凶。
象伝にいう。放任して人に傷つけられるとは、なんと凶であろうか。
現代語による説明
九三。過度に責めるのではなく、過ちが広がるのを止めよ。放任すれば、かえって彼を害し、必ず危険に遭う。
象伝にいう。放任してかえって彼を害するとは、凶が極まって言葉にもできない。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。この爻を得た人は運気が悪く、思わぬ事故に十分注意すること。官職にある者は、小人や奸邪な者に害されないよう警戒せよ。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。焦って進んではならない。身を守れば災いを免れる。
財運。外へ出て商売するなら、โจร賊に注意せよ。
家庭。凶事に十分注意し、怨敵に気をつけよ。
健康。刃物による傷は危険である。
九三の変卦
九三が変じると、『周易』の第16卦、雷地豫となる。この卦は異卦、すなわち下に坤、上に震が重なったもの。坤は大地と順を、震は雷と動きを表す。雷が時に応じて現れ、大地に春が戻ることを告げる。順に従って動くことが和楽の源となる。この卦は謙卦と錯綜した関係にあり、互いに作用する。
九三爻の哲学的な意味
小過卦の第三爻。九三。行き過ぎず、これを防げ。放任すれば、あるいは人に傷つけられる。凶。爻辞の解釈。
「行き過ぎず」とは、度を越してはならないという意味。「傷つける」とは、害することを指す。
この爻辞の意味は、力があると自負して十分に警戒しないため、人に害されることになり、凶となるということである。
『象伝』は「放任すれば、あるいは人に傷つけられる」といい、なんという凶であろうかと強調する。これは、「人に害されようとしている」危険が、どれほど深刻かを示している。
この爻を得た人は、現在の状況に安んじること。上に後ろ盾がある、あるいは誰かに評価されているからといって、不満を抱いたり反発したりしてはならない。行動は度を越さず、思いがけない災いが自分に及ばないよう常に警戒せよ。冷静さを保ち、自分の強さを頼みにせず、中道を越えて常規に背かなければ、災いを免れられる。
九三。行き過ぎず、これを防げ。放任すれば、あるいは人に傷つけられる。凶。
象伝にいう。放任して人に傷つけられるとは、なんと凶であろうか。
経文の意味は、過失がなくても防備を固めるべきであり、ひたすら人に従えば危険があるということである。
象伝の意味は、ひたすら人に従うという危険に、いったいどう対処できようかということである。
『周易』第六十二卦・九四爻の詳しい解説
九四の爻辞
九四。咎はない。行き過ぎず、これに会え。進めば危険なので、必ず戒めよ。用いるな。永久に正道を守れ。
象伝にいう。「行き過ぎず、これに会え」とは、位が正しくないからである。「進めば危険なので必ず戒めよ」とは、最後まで長続きしないからである。
現代語による説明
九四。過ちはない。彼を責めてはならないが、過ちが起こるのを防げ。危険を冒して進むなら、直ちに警告しなければならない。後の吉凶を占う必要はない。
象伝にいう。過度に責めず、しかし過ちが生じるのを防げ。九四は陽爻でありながら陰位にあるため、人が不利な境遇にいて過ちを犯しやすいようなものだからである。危険に進むなら必ず戒めよ。知りながら過ちを犯せば、自らの失敗を早めるだけである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。この爻を得た人は、常道に安んじて職務を守り、みだりに動いてはならない。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。情勢を見極め、軽率に動いてはならない。
財運。ほどほどで止め、決して貪り過ぎてはならない。
家庭。安居するのがよい。縁談を急いではならない。
健康。静かに養生し、心神を休めること。
九四の変卦
九四が変じると、『周易』の第15卦、地山謙となる。この卦は異卦、すなわち下に艮、上に坤が重なったもの。艮は山、坤は大地を表す。地上に山があり、地は低く山は高い。内面は高く外面は低いことのたとえであり、大きな功績があっても自ら誇らず、高い名声があっても自賛せず、高い地位にあっても驕らない。これが謙である。
九四爻の哲学的意味
小過卦の第四爻。九四。咎はない。行き過ぎず、これに会え。進めば危険なので必ず戒めよ。用いるな。永久に正道を守れ。爻辞の解釈。
この爻辞の意味は、過ちがないので、何事も過度に無理強いせず、相手が自ら会いに来るのを待てということである。自分から赴けば危険があるので、必ず警戒心を持ち、才能を発揮してはならない。永遠に中正の道を守ること。
卦象から見ると、九四は陽爻が陰位にあり、上には六五の君位が臨んでいる。九四は正しくない位にあるため、柔順の道を慎重に守るのが最善である。六五に重用されようとして、主动的に取り入ったり征服しようとしたりしてはならない。ただ六五が自ら「これに会いに来る」のを待つべきである。君主の前では、あまり力を誇示せず、警戒を保ち、永く中正の道を守れば、無事でいられる。
『象伝』はこの爻を次のように分析する。「行き過ぎず、これに会え」とは、位が正しくないからである。「進めば危険なので必ず戒めよ」とは、最後には長続きしないからである。これは、何事も過度に無理強いせず、相手が自ら会いに来るのを待つべきだということを示す。九四は剛が柔位にあるため、位が正しくない。「自分から赴けば危険がある」とは、積極的に迎合すれば、最終的に長続きしないという意味である。
この爻を得た人は、仕事でも恋愛でも受け身の立場に身を置き、時機を待つべきである。自分から動けば長続きしにくい。指導者のもとへ行って自分がどれほど有能かを語り、重用してくれと頼んではならない。恋人のもとへ行って自分がどれほど優秀で、どれほど相手を好きかを語り、受け入れてくれと求めてもならない。そのような行為は自ら面倒を招くもので、結果は望みどおりになりにくい。
九四。咎はない。行き過ぎず、これに会え。進めば危険なので必ず戒めよ。用いるな。永く正道を守れ。象伝にいう。「行き過ぎず、これに会え」とは、位が正しくないからである。「進めば危険なので必ず戒めよ」とは、最後には長続きしないからである。
経文の意味は、災いはないということである。越えてはならないが、会うことはできる。進めば危険なので、必ず警戒せよ。正道に過度に固執してはならない。
象伝の意味は、越えてはならないが会うことはできるのは、九四の位が正しくないからだということである。進めば危険なので必ず警戒せよ。結局は長続きしないことを示している。
『周易』第六十二卦・六五爻の詳しい解説
六五の爻辞
六五。密雲は雨を降らせず、我が西郊よりする。公は綱をつけた矢を射て、穴にいるものを捕らえる。
象伝にいう。密雲が雨を降らせないのは、すでに上に昇っているからである。
現代語による説明
六五。我が西郊の上空に雲気が密集し、雨が降ろうとしている。公は鳥を射ようと出かけたが、穴の中の獣を捕らえた。
象伝にいう。雲気が密集し、雨が降ろうとしているのは、雨雲が空に集まったからである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。この爻を得た人は、事を企てるのに不利で、旧習を守るのがよい。官職にある者は辞職・引退を迫られる危険がある。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。平淡な時期で、大事を成し遂げるのは難しい。
財運。小さな利益は得られるが、多くを望んではならない。
家庭。まずまず暮らしやすい家だが、正妻ではない恐れがある。
健康。鍼灸で治療できる。
六五の変卦
六五が変じると、『周易』の第31卦、沢山咸となる。この卦は異卦、すなわち下に艮、上に兌が重なったもの。艮は山、兌は沢を表す。柔が上、剛が下にあり、水は下へ浸透する。柔が上り剛が下ることで、互いに感じ応じる。感じれば成就する。
九五爻の哲学的意味
小過卦の第五爻。爻辞は「六五。密雲は雨を降らせず、我が西郊よりする。公は綱をつけた矢を射て、穴にいるものを捕らえる」。爻辞の解釈。
「綱をつけた矢」とは、綱のついた矢を指す。ここには、誠意をもって訪ね求める意味が含まれる。「穴」は穴居を意味し、ここでは隠者を指す。
この爻辞の意味は、西郊から来た黒雲が空を覆っているのに雨を降らせないということである。公たちは細い綱を矢に結び、穴に隠れている獣を射捕らえる。
卦象から見ると、六五は陰爻が君位にあるが、位を失っており、国を治める能力が乏しいことを表す。「密雲は雨を降らせず、我が西郊よりする」とは、古人の考えでは、雲が西から東へ移ると雨にならないということである。
『象伝』はこの爻を次のように分析する。「密雲は雨を降らせず、すでに上にある」。これは、陰気が陽気を上回り、陰陽が調和しないため、黒雲が空を覆っても雨にならないことを示す。君主が一国の主でありながら天下に恩沢を施せないのと同じである。この時は狩りをするように、有能な人材や隠者を訪ねて補佐を求め、陽気と出会い結びつくことで天下を治めるべきである。
この爻を得た人は指導者の地位にあっても、能力には限界がある。今急ぐべきことは、有能な人を探して自分を補佐させることである。結婚や恋愛でも、自分を補ってくれる相手を探すとよい。この爻を得た人が成し遂げたいことはまだ醸成中なので、忍耐強く待ち、決して急いで行動してはならない。
六五。密雲は雨を降らせず、我が西郊よりする。公は綱をつけた矢を射て、穴にいるものを捕らえる。
象伝にいう。密雲が雨を降らせないのは、すでに上に昇っているからである。
『周易』第六十二卦・上六爻の詳しい解説
上六の爻辞
上六。会えずに越えてしまい、飛ぶ鳥は網にかかる。凶。これを災眚という。
象伝にいう。「会えずに越えてしまう」とは、すでに極端に高ぶっているからである。
現代語による説明
上六。これを制止しないため過ちを犯す。飛ぶ鳥が網に入るようなもので、凶険である。これを災いという。
象伝にいう。これを制止しないため過ちを犯す。上六の陰爻が上位にある象のとおり、その人はあまりにも狂奔している。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。この爻を得た人は運気が悪く、退いて守ることを知らない。剛直に過ぎれば折れる。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
運勢。退いて守ることを知らず、自ら災いを招く。
財運。時機が合わず、得るものより失うものが多い。
家庭。離散の兆し。奸計に注意せよ。
健康。危険な病なので、早く名医を求めよ。
上六の変卦
上六が変じると、『周易』の第56卦、火山旅となる。この卦は異卦、すなわち下に艮、上に離が重なったもの。豊卦とは反対で、互いに綜卦をなす。山中の火は燃え続けて止まらず、道中の旅人が急いで進むように、火勢も前へ広がる。そこで旅卦と呼ばれる。
上九爻の哲学的意味
小過卦の第六爻。爻辞は「上六。会えずに越えてしまい、飛ぶ鳥は網にかかる。凶。これを災眚という」。爻辞の解釈。
「災眚」とは、天が降す災いを災といい、人が招く災いを眚という。
この爻辞の意味は、会えないまま越えてしまい、飛ぶ鳥が網にかかって凶災に遭うということである。これが天災と人災である。
『象伝』はこの爻を次のように分析する。「会えずに越えてしまう」とは、すでに高ぶりが極限に達しているからである。これは、「会わないまま越えてしまう」とは、行き過ぎが極点に達し、これ以上ないほど危険だという意味である。
この爻を得た人は、謙退して自らを抑える道理を理解しなければならない。非常に有能で、会社や組織の古参であるかもしれない。しかし現任の指導者との関係が悪いなら、支持を得ないまま独断で行動すれば、必ず問題に遭う。忠告を聞かず、道理に反することを強行するなら、飛ぶ鳥が自ら網に飛び込むようなもので、自業自得である。
上六。会えずに越えてしまい、飛ぶ鳥は網にかかる。凶。これを災眚という。
象伝にいう。「会えずに越えてしまう」とは、すでに極端に高ぶっているからである。
経文の意味は、会えないまま越えてしまい、飛ぶ鳥が網にかかるので凶険、まさに災いだということである。