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天山遯。遯は亨る。小しく貞に利あり。
33 天山遯
序卦伝にいう。「恒とは久しいことである。物はその所に長くとどまることができないので、これを受けるに遯をもってする。遯とは退くことである。」卦の体は上が乾、下が艮で、上に陽が四つ、下に陰が二つあり、陰が次第に進んでいる。姤の一陰から二陰へと陰が伸び、陽が退く。そこで卦名を遯とし、陽が陰を避けて退くことを表す。遯の字は豚と走る意から成る。豚は人を見ると逃げるので、遯は豚を逃走の象とする。乾は天を表し、また遠きを表すので、遠く逃れる意味がある。艮は山を表し、また居ることを表すので、遯れて住む象がある。ゆえに天山遯という。
遯は亨る。小しく貞に利あり。
遯は陰が伸びる卦であり、小人が進み、君子の道が衰える。邪と正は同じ所に住むことができず、陰と陽はともに立つことができない。この時、君子は隠れて退かなければ、必ず害を受ける。遯すべき時に遯し、退いた後に通じるので、「遯は亨る」という。「小しく貞に利あり」は二つの陰を指す。陰の道はまだ伸び始めたばかりで、陽の道はまだ完全には消えていないため、「小しく貞に利あり」という。
彖伝にいう。遯は亨るとは、退いて通じることである。剛が位に当たり、応じて時とともに行うのである。小しく貞に利ありとは、陰が次第に伸びることである。遯の時と義は、なんと大きいことか。
按ずるに、『書経・微子』の「我、行遯を顧みず」における遯は隠れること、『後漢書・郅惲伝』の「南して蒼梧に遯る」における遯は逃げることをいう。賈誼の『過秦論』の「遯巡して敢えて進まず」では、遯は逡と同じで、ためらうことをいう。いずれも退き避ける意味の範囲を出ない。「遯いて亨る」とは、亨が通じることだから、君子はあえて時勢に逆らわず、退くべき時に退く。退かなければ通じないので、遯いてこそ亨るのである。「剛が位に当たる」とは九五を指し、五は二と正しく応じている。通常、二と五は応じ合えば事を成すが、遯では二五が応じながら、実際には互いに迫っている。二は内卦にあり、陰の勢いが次第に増す。五は外卦にあり、陽の勢いが次第に衰える。一方が伸び、他方が衰えるので、陽は押されて退かざるを得ない。二陰が伸びるのは二陰自身の力ではなく、時勢がそうさせるのである。君子は時勢の必然を見極め、時とともに行う。身は退いても、道は亨る。正とは正しいこと、「貞に利あり」とは正しいことに利があるという意味である。二陰はまだ小さく、横行するまでには至らないので、なお正に利がある。ゆえに「小しく貞に利あり」という。遯は臨に通じる。臨は陽二、陰四で、「剛が次第に伸びる」という。遯も「次第に伸びる」という。易の道は陽を助け、陰を抑える。陰は伸びることを嫌うので、柔とはいわない。「次第に伸びる」のは二を指し、「遯いて亨る」のは五を指す。二がまさに伸び始めると、五はすぐに遯を考える。時を知り、兆しを見極め、遯の道にかなって退く。これがいわゆる「君子は小人を遠ざけ、憎まずして厳にする」ということである。遯は時に応じ、また義にもかなう。だから「遯の時と義は、なんと大きいことか」と称えるのである。
この卦を人事に当てはめてみると、「遁」は二つの陰が「乾」の下に生じた形である。陰が勢いを増す卦では、「否」が極点であり、「観」と「剝」は中ほどを越え、「遁」は「次第に伸びていく」段階に当たる。人事でいえば、「姤」は一陰で「壮」と称され、「遁」は二陰が「坤」の半ばを得て、壮から老へ進もうとしている。たとえば季節の移り変わりでも、大寒にまだ至らなくても退いて冬衣を用意すべきである。年の実りでも、大凶作にならないうちに退いて食の備えを考えるべきである。病気でも、まだ重症でないうちに退いて艾の治療を求めるべきである。陰が次第に伸びるのを見て、先に退けばこそ道は通じるが、盛んになってから退くのではもう遅い。退く五つのものに対し、それを退かせるものは二つである。二つは五つに応じているようで、実際には五つを消耗させる。二つが伸び、五つが衰えるとき、五つは時運の衰えに当たり、それは人事の窮まりとなる。このような場合、人は時に従って行動し、退いて二つを避けるほかない。そうすれば五つは完全な窮境に至らず、後日の救済を期し、陽の回復を待つことができる。「剝」を反転させれば「復」となり、「観」を反転させれば「大壮」となり、「否」を反転させれば「泰」となる。これは人事を調整し養護することで、事態を転じさせられるということであり、「遁」を正しく処する道である。「遁」という卦には、先を見通す機微がある。
この卦を国家に当てはめれば、国運が次第に衰えて「否」に向かう時である。太王が狄を避けて岐へ移ったことや、勾践が身を屈して呉に仕えたことがその例である。太王は岐に住んで後に周を興し、勾践は呉に仕えて後に越を興した。これが「退いて後に通じる」という意味である。「遁」では二陰が内にあり、四陽が外にある。二爻は内卦の主、五爻は外卦の主である。陰が内、陽が外にあるので、これは「内に小人を置き、外に君子を置く」形である。陰陽の消長に国運の盛衰がかかっている。陰が長じる時には、小人が次第に勢力を得、君子は次第に地位を失う。君子はこのような時、機を見て行動し、身を引いて遠ざかり、明哲保身を図るべきである。これが取るべき道である。もし未練がましく退かなければ、ついには小人の権勢が日に日に盛んとなり、徒党ができ、軽ければ左遷、重ければ誅殺に至る。その時になって遁を図っても、もう間に合わない。孔子は止まることのできる時には止まり、去ることのできる時には去った。これこそ聖人が時に適したあり方である。時とともに進み、国家のために役立つ身を残すことは、国家の再興の機会を図ることである。退いて後に通じるとは、身は退いても道は通じるという意味であり、世を忘れて高潔を気取る孤高の隠者などと同日に論じられるものではない。
この卦を全体として見ると、陰陽はどちらか一方だけを完全に無くすことはできない。陰が嫌われるのは、陰が次第に伸びて陽を消耗させるからである。陰を柔弱で制しやすいものと見る人もいるが、純粋な「乾」の陽でさえ、二つの陰が次第に積み重なれば、ついには消し尽くされることを知らない。陰が伸び始めた時にこれを避け、遠ざかって、陰に陽を消耗させる力を与えないようにすれば、陽は再び通じることができる。だから「遁は亨る。退くことによって亨る」と言う。「象伝」には「君子は小人を遠ざけ、憎まずして厳正である」とある。小人と親しく交わらず、また争うこともなく、きっぱりと遠く退く。それによって「遁」は正しい道を得るのである。上下二卦を合わせて見ると、上卦の「乾」は健やかで、決然として捨て去る象を示す。下卦の「艮」は止まる意で、未練を持って執着する意味を含む。したがって下卦は上卦ほど吉ではない。「遁」は遠くても差し支えなく、高く進むほど吉である。六爻を「観」の段階として分けて見ると、初爻は退きながら尾を露わにしており、真の遁ではない。二爻は「執る」と言うだけで「遁」と言わず、退こうとしない。三爻は退きながら何かに「つながれ」、退こうとしてまだ決心がつかない。四爻の「好遁」は、好むものにへつらわず、超然として遠く退くことである。五爻の「嘉遁」は、正しさを守って自らを保ち、退いて吉を得ることである。上爻の「肥遁」は、明らかに機を見極め、俗世から飛び去ることである。しかし易は一つの解釈に固執してはならない。用いるべき時には行い、捨てるべき時には隠れる。ただ時を知ることが大切である。ゆえに「遁」とは、君子が機を見抜く知恵である。「君子」「小人」という言葉は、その大体を示すにすぎない。
「大象伝」に曰く。天下に山あり、遁なり。君子はこれにのっとり、小人を遠ざけ、憎まずして厳正にする。
「天下に山あり、遁」とは、天と山がはるかに隔たり、容易には近づけないことである。天が山から遠いのであって、山が天から遠いのではない。山にしても、天が遠いといって天を恨むことはできない。君子はこれにならい、小人を遠ざける。ことさらに憎しみの言葉を表す必要もなく、また初めから親しげな態度を示すこともしない。ただその人を仰げば、おのずから畏れを覚え、近づけば厳然として犯しがたい。そのため小人は、追い払われなくても自ら遠ざかる。「憎まずして厳正にする」とは、小人に対する最もよい対処法である。
【占い】
○ 戦争について問う。前進すると山があり、山間に敵兵が伏せていて、敗北を招くおそれがある。
○ 商売について問う。一時的に物価の上げ下げが異なり、その差が非常に大きくなるおそれがある。
○ 功名について問う。隠退するのがよく、進み出て面会を求めるのはよくない。君子には吉、小人には凶である。
○ 家宅について問う。この家は山に近く、前方は広々として遠くまで開けている。陰のたたりに注意せよ。
○ 病気について問う。病には鬼のたたりがある。敬意をもって遠ざけ、別の場所に避難して暮らすのが吉である。
○ 婚姻について問う。二爻と五爻の陰陽は本来応じ合うが、邪と正が異なるため、きっぱり断るのが吉である。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
序卦伝にいう。「恒とは久しいことである。物はその所に長くとどまることができないので、これを受けるに遯をもってする。遯とは退くことである。」卦の体は上が乾、下が艮で、上に陽が四つ、下に陰が二つあり、陰が次第に進んでいる。姤の一陰から二陰へと陰が伸び、陽が退く。そこで卦名を遯とし、陽が陰を避けて退くことを表す。遯の字は豚と走る意から成る。豚は人を見ると逃げるので、遯は豚を逃走の象とする。乾は天を表し、また遠きを表すので、遠く逃れる意味がある。艮は山を表し、また居ることを表すので、遯れて住む象がある。ゆえに天山遯という。
遯は亨る。小しく貞に利あり。
遯は陰が伸びる卦であり、小人が進み、君子の道が衰える。邪と正は同じ所に住むことができず、陰と陽はともに立つことができない。この時、君子は隠れて退かなければ、必ず害を受ける。遯すべき時に遯し、退いた後に通じるので、「遯は亨る」という。「小しく貞に利あり」は二つの陰を指す。陰の道はまだ伸び始めたばかりで、陽の道はまだ完全には消えていないため、「小しく貞に利あり」という。
彖伝にいう。遯は亨るとは、退いて通じることである。剛が位に当たり、応じて時とともに行うのである。小しく貞に利ありとは、陰が次第に伸びることである。遯の時と義は、なんと大きいことか。
按ずるに、『書経・微子』の「我、行遯を顧みず」における遯は隠れること、『後漢書・郅惲伝』の「南して蒼梧に遯る」における遯は逃げることをいう。賈誼の『過秦論』の「遯巡して敢えて進まず」では、遯は逡と同じで、ためらうことをいう。いずれも退き避ける意味の範囲を出ない。「遯いて亨る」とは、亨が通じることだから、君子はあえて時勢に逆らわず、退くべき時に退く。退かなければ通じないので、遯いてこそ亨るのである。「剛が位に当たる」とは九五を指し、五は二と正しく応じている。通常、二と五は応じ合えば事を成すが、遯では二五が応じながら、実際には互いに迫っている。二は内卦にあり、陰の勢いが次第に増す。五は外卦にあり、陽の勢いが次第に衰える。一方が伸び、他方が衰えるので、陽は押されて退かざるを得ない。二陰が伸びるのは二陰自身の力ではなく、時勢がそうさせるのである。君子は時勢の必然を見極め、時とともに行う。身は退いても、道は亨る。正とは正しいこと、「貞に利あり」とは正しいことに利があるという意味である。二陰はまだ小さく、横行するまでには至らないので、なお正に利がある。ゆえに「小しく貞に利あり」という。遯は臨に通じる。臨は陽二、陰四で、「剛が次第に伸びる」という。遯も「次第に伸びる」という。易の道は陽を助け、陰を抑える。陰は伸びることを嫌うので、柔とはいわない。「次第に伸びる」のは二を指し、「遯いて亨る」のは五を指す。二がまさに伸び始めると、五はすぐに遯を考える。時を知り、兆しを見極め、遯の道にかなって退く。これがいわゆる「君子は小人を遠ざけ、憎まずして厳にする」ということである。遯は時に応じ、また義にもかなう。だから「遯の時と義は、なんと大きいことか」と称えるのである。
この卦を人事に当てはめてみると、「遁」は二つの陰が「乾」の下に生じた形である。陰が勢いを増す卦では、「否」が極点であり、「観」と「剝」は中ほどを越え、「遁」は「次第に伸びていく」段階に当たる。人事でいえば、「姤」は一陰で「壮」と称され、「遁」は二陰が「坤」の半ばを得て、壮から老へ進もうとしている。たとえば季節の移り変わりでも、大寒にまだ至らなくても退いて冬衣を用意すべきである。年の実りでも、大凶作にならないうちに退いて食の備えを考えるべきである。病気でも、まだ重症でないうちに退いて艾の治療を求めるべきである。陰が次第に伸びるのを見て、先に退けばこそ道は通じるが、盛んになってから退くのではもう遅い。退く五つのものに対し、それを退かせるものは二つである。二つは五つに応じているようで、実際には五つを消耗させる。二つが伸び、五つが衰えるとき、五つは時運の衰えに当たり、それは人事の窮まりとなる。このような場合、人は時に従って行動し、退いて二つを避けるほかない。そうすれば五つは完全な窮境に至らず、後日の救済を期し、陽の回復を待つことができる。「剝」を反転させれば「復」となり、「観」を反転させれば「大壮」となり、「否」を反転させれば「泰」となる。これは人事を調整し養護することで、事態を転じさせられるということであり、「遁」を正しく処する道である。「遁」という卦には、先を見通す機微がある。
この卦を国家に当てはめれば、国運が次第に衰えて「否」に向かう時である。太王が狄を避けて岐へ移ったことや、勾践が身を屈して呉に仕えたことがその例である。太王は岐に住んで後に周を興し、勾践は呉に仕えて後に越を興した。これが「退いて後に通じる」という意味である。「遁」では二陰が内にあり、四陽が外にある。二爻は内卦の主、五爻は外卦の主である。陰が内、陽が外にあるので、これは「内に小人を置き、外に君子を置く」形である。陰陽の消長に国運の盛衰がかかっている。陰が長じる時には、小人が次第に勢力を得、君子は次第に地位を失う。君子はこのような時、機を見て行動し、身を引いて遠ざかり、明哲保身を図るべきである。これが取るべき道である。もし未練がましく退かなければ、ついには小人の権勢が日に日に盛んとなり、徒党ができ、軽ければ左遷、重ければ誅殺に至る。その時になって遁を図っても、もう間に合わない。孔子は止まることのできる時には止まり、去ることのできる時には去った。これこそ聖人が時に適したあり方である。時とともに進み、国家のために役立つ身を残すことは、国家の再興の機会を図ることである。退いて後に通じるとは、身は退いても道は通じるという意味であり、世を忘れて高潔を気取る孤高の隠者などと同日に論じられるものではない。
この卦を全体として見ると、陰陽はどちらか一方だけを完全に無くすことはできない。陰が嫌われるのは、陰が次第に伸びて陽を消耗させるからである。陰を柔弱で制しやすいものと見る人もいるが、純粋な「乾」の陽でさえ、二つの陰が次第に積み重なれば、ついには消し尽くされることを知らない。陰が伸び始めた時にこれを避け、遠ざかって、陰に陽を消耗させる力を与えないようにすれば、陽は再び通じることができる。だから「遁は亨る。退くことによって亨る」と言う。「象伝」には「君子は小人を遠ざけ、憎まずして厳正である」とある。小人と親しく交わらず、また争うこともなく、きっぱりと遠く退く。それによって「遁」は正しい道を得るのである。上下二卦を合わせて見ると、上卦の「乾」は健やかで、決然として捨て去る象を示す。下卦の「艮」は止まる意で、未練を持って執着する意味を含む。したがって下卦は上卦ほど吉ではない。「遁」は遠くても差し支えなく、高く進むほど吉である。六爻を「観」の段階として分けて見ると、初爻は退きながら尾を露わにしており、真の遁ではない。二爻は「執る」と言うだけで「遁」と言わず、退こうとしない。三爻は退きながら何かに「つながれ」、退こうとしてまだ決心がつかない。四爻の「好遁」は、好むものにへつらわず、超然として遠く退くことである。五爻の「嘉遁」は、正しさを守って自らを保ち、退いて吉を得ることである。上爻の「肥遁」は、明らかに機を見極め、俗世から飛び去ることである。しかし易は一つの解釈に固執してはならない。用いるべき時には行い、捨てるべき時には隠れる。ただ時を知ることが大切である。ゆえに「遁」とは、君子が機を見抜く知恵である。「君子」「小人」という言葉は、その大体を示すにすぎない。
「大象伝」に曰く。天下に山あり、遁なり。君子はこれにのっとり、小人を遠ざけ、憎まずして厳正にする。
「天下に山あり、遁」とは、天と山がはるかに隔たり、容易には近づけないことである。天が山から遠いのであって、山が天から遠いのではない。山にしても、天が遠いといって天を恨むことはできない。君子はこれにならい、小人を遠ざける。ことさらに憎しみの言葉を表す必要もなく、また初めから親しげな態度を示すこともしない。ただその人を仰げば、おのずから畏れを覚え、近づけば厳然として犯しがたい。そのため小人は、追い払われなくても自ら遠ざかる。「憎まずして厳正にする」とは、小人に対する最もよい対処法である。
【占い】
○ 戦争について問う。前進すると山があり、山間に敵兵が伏せていて、敗北を招くおそれがある。
○ 商売について問う。一時的に物価の上げ下げが異なり、その差が非常に大きくなるおそれがある。
○ 功名について問う。隠退するのがよく、進み出て面会を求めるのはよくない。君子には吉、小人には凶である。
○ 家宅について問う。この家は山に近く、前方は広々として遠くまで開けている。陰のたたりに注意せよ。
○ 病気について問う。病には鬼のたたりがある。敬意をもって遠ざけ、別の場所に避難して暮らすのが吉である。
○ 婚姻について問う。二爻と五爻の陰陽は本来応じ合うが、邪と正が異なるため、きっぱり断るのが吉である。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
初六。遁の尾を露わにして危うい。行くべきことをしてはならない。
初六。遁の尾を露わにして危うい。行くべきことをしてはならない。
「象伝」に曰く。尾を露わにして退く危うさも、進まなければどんな災いがあろうか。
初爻は艮の始めに位置する。艮は穴居を表し、また尾を表すので、「遁尾」という。賢者が世を避ける時、山に入れば深くないことを恐れ、林に入れば密でないことを恐れる。後から人に追われることを望まないのである。ところが退きながら尾を隠さないなら、真の遁ではない。それはおそらく名山を近道に借り、遁を利用して別の行動を企てようとしているだけである。古今、名高い隠者が隠れ通せなかった例は、猿や鶴に笑われるだけでなく、功を成し終えないうちに失敗が付きまとった。その危うさは、すべて自ら招いたものである。だから「行くべきことをしてはならない」と戒める。退くべきであって、進むべきではないという意味である。「象伝」は「進まなければ、どんな災いがあろうか」と言う。進めば災いが来るが、進まなければ災いはない。その人が進むのを止めるため、反対の言い方をしているのである。
【占い】
○ 戦争について問う。伏兵を表す。伏兵は深く隠れて痕跡を残さず、敵に見破られないようにすべきである。頭を隠して尾を露わにすれば、必ず危険に至る。進まない方がよい。
○ 商売について問う。商品は早く売りさばき、遅れを取らないのがよい。また、初めから終わりまで一度に売り切れば、災いを免れられる。
○ 功名について問う。竜門で尾を焼く象で、吉である。
○ 家宅について問う。速やかに転居するのがよい。遅れれば災いがある。
○ 婚姻について問う。「遁」とは避けて遠ざかることをいう。この縁談は合わない。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】 友人某が来て、運勢を占ってほしいと頼み、筮して「遁」が「同人」に変じた。
断じて曰く。「遁」は四陽が外にあり、二陰が内にある。外の陽は次第に消え、内の陰は次第に伸びる。運は陽を得るのがよいが、陽が消え陰が長じるのは、好運がすでに退いた時である。今「遁」の初爻を得た。初爻は陽が陰位に居り、爻辞に「遁尾、厲。用うること勿く、往くところ有るなかれ」とある。好運はすでに退き、ただその末尾だけを残しているので「厲」という。戒めの「勿用」は、退いて守るべきで、前へ進んではならないという意味である。運は五年を一巡りとする。上六に至れば、「利あらざることなし」となる。
「象伝」に曰く。尾を露わにして退く危うさも、進まなければどんな災いがあろうか。
初爻は艮の始めに位置する。艮は穴居を表し、また尾を表すので、「遁尾」という。賢者が世を避ける時、山に入れば深くないことを恐れ、林に入れば密でないことを恐れる。後から人に追われることを望まないのである。ところが退きながら尾を隠さないなら、真の遁ではない。それはおそらく名山を近道に借り、遁を利用して別の行動を企てようとしているだけである。古今、名高い隠者が隠れ通せなかった例は、猿や鶴に笑われるだけでなく、功を成し終えないうちに失敗が付きまとった。その危うさは、すべて自ら招いたものである。だから「行くべきことをしてはならない」と戒める。退くべきであって、進むべきではないという意味である。「象伝」は「進まなければ、どんな災いがあろうか」と言う。進めば災いが来るが、進まなければ災いはない。その人が進むのを止めるため、反対の言い方をしているのである。
【占い】
○ 戦争について問う。伏兵を表す。伏兵は深く隠れて痕跡を残さず、敵に見破られないようにすべきである。頭を隠して尾を露わにすれば、必ず危険に至る。進まない方がよい。
○ 商売について問う。商品は早く売りさばき、遅れを取らないのがよい。また、初めから終わりまで一度に売り切れば、災いを免れられる。
○ 功名について問う。竜門で尾を焼く象で、吉である。
○ 家宅について問う。速やかに転居するのがよい。遅れれば災いがある。
○ 婚姻について問う。「遁」とは避けて遠ざかることをいう。この縁談は合わない。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】 友人某が来て、運勢を占ってほしいと頼み、筮して「遁」が「同人」に変じた。
断じて曰く。「遁」は四陽が外にあり、二陰が内にある。外の陽は次第に消え、内の陰は次第に伸びる。運は陽を得るのがよいが、陽が消え陰が長じるのは、好運がすでに退いた時である。今「遁」の初爻を得た。初爻は陽が陰位に居り、爻辞に「遁尾、厲。用うること勿く、往くところ有るなかれ」とある。好運はすでに退き、ただその末尾だけを残しているので「厲」という。戒めの「勿用」は、退いて守るべきで、前へ進んではならないという意味である。運は五年を一巡りとする。上六に至れば、「利あらざることなし」となる。
六二。黄牛の革でしっかりつなぎ止めれば、誰もそれを解き放てない。
六二。黄牛の革でしっかりつなぎ止めれば、誰もそれを解き放てない。
「象伝」に曰く。黄牛でつなぎ止めるとは、志を固めることである。
「これを執る」「これを脱することなし」という二つの「これ」は、いずれも退こうとする者を指す。黄は中央の正色、牛は性質が柔順であり、革は堅く粘り強い。「艮」は皮を表すので「革」といい、手を表すので「執る」という。二爻は「坤」の気を受け、「坤」は黄牛を表すので「黄牛」という。二爻は内卦にあり、この卦を成す主爻である。上の九五に応じているが、陰が長じて実際には五を消耗させる。そのため五は退き、他の爻もこれに従って退く。二爻はそれをつかまえて引き留めようとする。白駒の詩に「これを執り、これをつなぐ」と詠まれているのもこのことである。「黄牛の革を用いてこれを執る」とは、つなぎ止めることの堅固さを表し、退けないようにするのである。「勝」は堪えること、「説」は解き放つこと。「これを脱することなし」とは、逃れられないようにすることである。他の爻はすべて「遁」と言うのに、二爻だけは「遁」と言わない。退くのは他の爻であり、それを追い立てて退かせるのが二爻である。二爻は退かせた後、さらに意を偽ってつかまえ、退かせまいとする。これは小人が人を籠絡する策略である。「象伝」は「志を固くする」と言い、五爻の象は「志を正しくする」と言う。二爻と五爻の志はもともと異なる。二爻は嘉き会合の礼を利用して五爻の志を取り込み、退かせまいとする。「志を固める」とは、五爻の志を固めることである。
【占い】
○ 戦争について問う。諸軍が逃げ散る時、ただ一人でも堅く守り抜ければ、称賛に値する。
○ 商売について問う。一時的に相場が上がり続けても、仕入れ値に固執すれば、売り抜けることができない。
○ 功名について問う。珍しい玉を席に置いて聘用を待ち、美玉を買い手を待つようなもので、功名の兆しはある。しかし「これを脱することなし」とあるので、功名を得るのは難しい。
○ 家宅について問う。この家は陰気が次第に盛んになり、住む者に不利である。皆が転居を考え、売却しようとしても、しばらくは容易でない。
○ 婚姻について問う。この縁談はすでに成立しているが、後になって悔いて退こうとしても、仲人はたいへん困る。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】 友人某が来て、運勢を占ってほしいと頼み、筮して「遁」が「姤」に変じた。
断じて曰く。この卦は二陰が次第に伸び、四陽が次第に衰える。陰は小人、陽は君子を表し、小人は日に日に進み、君子は日に日に退く。だから「遁」という。運勢でいえば、まさに運が退く時である。「黄牛の革」は柔らかくて丈夫なものなので、これで物をつなげば、物は逃れられない。人生が運に縛られ、志願があっても一生束縛され、力を発揮できないことにたとえられる。今、二爻を得た。その象はこの通りであり、運勢も推して知るべきである。
【例】 明治二十九年、皇国の運勢を占い、筮して「遁」が「姤」に変じた。
断じて曰く。この卦は四陽が二陰に侵されている。人事でいえば、我が彼らに侵される象であり、国についても同じである。わが国が清に勝利して以来、露・独・仏の三国は「アジアの平和」を口実として、遼東を返還させた。さらに露仏は清国の賠償金のために斡旋し、露清の関係は一変した。やがて東洋に事が起こるであろう。現在、欧州の列強はみな利を争い、自国の利益だけを図っている。清国を拘束することは、まるで「黄牛の革」を用いて手足を縛り、解くことができないようにするようなものであり、今にもこれを分割して快としようとしている。わが国に対しても、同じように縛ろうとする意図がないわけではない。われわれはただ志を固く守り、内には軍備を整え、外には辞令を巧みにして国交を厚くし、この籠絡を受けないことである。これが得策である。
「象伝」に曰く。黄牛でつなぎ止めるとは、志を固めることである。
「これを執る」「これを脱することなし」という二つの「これ」は、いずれも退こうとする者を指す。黄は中央の正色、牛は性質が柔順であり、革は堅く粘り強い。「艮」は皮を表すので「革」といい、手を表すので「執る」という。二爻は「坤」の気を受け、「坤」は黄牛を表すので「黄牛」という。二爻は内卦にあり、この卦を成す主爻である。上の九五に応じているが、陰が長じて実際には五を消耗させる。そのため五は退き、他の爻もこれに従って退く。二爻はそれをつかまえて引き留めようとする。白駒の詩に「これを執り、これをつなぐ」と詠まれているのもこのことである。「黄牛の革を用いてこれを執る」とは、つなぎ止めることの堅固さを表し、退けないようにするのである。「勝」は堪えること、「説」は解き放つこと。「これを脱することなし」とは、逃れられないようにすることである。他の爻はすべて「遁」と言うのに、二爻だけは「遁」と言わない。退くのは他の爻であり、それを追い立てて退かせるのが二爻である。二爻は退かせた後、さらに意を偽ってつかまえ、退かせまいとする。これは小人が人を籠絡する策略である。「象伝」は「志を固くする」と言い、五爻の象は「志を正しくする」と言う。二爻と五爻の志はもともと異なる。二爻は嘉き会合の礼を利用して五爻の志を取り込み、退かせまいとする。「志を固める」とは、五爻の志を固めることである。
【占い】
○ 戦争について問う。諸軍が逃げ散る時、ただ一人でも堅く守り抜ければ、称賛に値する。
○ 商売について問う。一時的に相場が上がり続けても、仕入れ値に固執すれば、売り抜けることができない。
○ 功名について問う。珍しい玉を席に置いて聘用を待ち、美玉を買い手を待つようなもので、功名の兆しはある。しかし「これを脱することなし」とあるので、功名を得るのは難しい。
○ 家宅について問う。この家は陰気が次第に盛んになり、住む者に不利である。皆が転居を考え、売却しようとしても、しばらくは容易でない。
○ 婚姻について問う。この縁談はすでに成立しているが、後になって悔いて退こうとしても、仲人はたいへん困る。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】 友人某が来て、運勢を占ってほしいと頼み、筮して「遁」が「姤」に変じた。
断じて曰く。この卦は二陰が次第に伸び、四陽が次第に衰える。陰は小人、陽は君子を表し、小人は日に日に進み、君子は日に日に退く。だから「遁」という。運勢でいえば、まさに運が退く時である。「黄牛の革」は柔らかくて丈夫なものなので、これで物をつなげば、物は逃れられない。人生が運に縛られ、志願があっても一生束縛され、力を発揮できないことにたとえられる。今、二爻を得た。その象はこの通りであり、運勢も推して知るべきである。
【例】 明治二十九年、皇国の運勢を占い、筮して「遁」が「姤」に変じた。
断じて曰く。この卦は四陽が二陰に侵されている。人事でいえば、我が彼らに侵される象であり、国についても同じである。わが国が清に勝利して以来、露・独・仏の三国は「アジアの平和」を口実として、遼東を返還させた。さらに露仏は清国の賠償金のために斡旋し、露清の関係は一変した。やがて東洋に事が起こるであろう。現在、欧州の列強はみな利を争い、自国の利益だけを図っている。清国を拘束することは、まるで「黄牛の革」を用いて手足を縛り、解くことができないようにするようなものであり、今にもこれを分割して快としようとしている。わが国に対しても、同じように縛ろうとする意図がないわけではない。われわれはただ志を固く守り、内には軍備を整え、外には辞令を巧みにして国交を厚くし、この籠絡を受けないことである。これが得策である。
九三。退こうとしてもつながれている。病があり、危うい。臣や妾を養うのは吉。
九三。退こうとしてもつながれている。病があり、危うい。臣や妾を養うのは吉。
「象伝」に曰く。つながれて退く危うさとは、病み疲れることである。臣妾を養うのは吉だが、大事を行ってはならない。
「系」とは、つなぎ止められ、束縛される意味である。三爻は陽剛で内卦の上にあり、二つの陰と親しく接しているため、二爻に束縛され、超然として遠くへ引き退くことができない。退こうとしても志が定まらないので「系遁」という。退くべき時は退くべきで、速く遠く退くことが大切である。何かに執着すると、憂いに心が定まらず、身に病の痛みがあるようになり、危うい道となる。だから「疾あり、厲」という。「系」とは三爻が二爻につながれ、陰が主となること。「畜」とは二陰を三爻が養い、陽が主となること。陰が陽をつなげば危うく、陽が陰を養えば吉である。「臣妾」は陰の象であり、三陽は二陰の上にあるので、それを養うことができる。君子が臣妾を養うのは、使役に供するためであり、その進退は大事に関わるほど重くない。それゆえ「系遁」でも吉を失わない。しかし大事に当たれば、必ず因循して機会を失う。「象伝」の「疾」は「疲れ」をいう。疲れとは力が尽き、身が疲弊することである。「大事を行ってはならない」とは、三爻が一生守るべき大節を指し、決して忽せにしてはならない。
【占い】 戦争について問う。軍陣の進退にはすべて規律があり、太鼓で進み、鉦で退く。何よりも迅速でなければならず、少しでも遅れれば必ず大敗する。慎むべきである。
○ 商売について問う。商品を売るべき時に、ためらって決断できなかったり、私情に執着したりしてはならない。大事を誤るおそれがある。
○ 功名について問う。奸人が政権を握る時なので、急流から勇気をもって退くのがよい。そうすれば災いを免れる。
○ 家宅について問う。この家は不吉で、病難が多い。速やかに転居すべきで、遅れて去らなければ大きな災いのおそれがある。
○ 婚姻について問う。正妻を娶るのは不利だが、妾を娶るのは吉である。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】 友人某が来て、商業の盛衰を占ってほしいと頼み、筮して「遁」が「否」に変じた。
断じて曰く。三爻は陽位に陽で居り、二陰に未練を残して、退こうとして決断できず、「疾あり、厲」に至る。今、あなたが商業について占い、この三爻を得たのは、商売が失敗する象である。速やかに商品を処分すれば、損失はまだ小さい。金を惜しんでためらえば、品物の値は日に日に下がり、損失はさらに大きくなる。これが「系遁、有疾、厲」の意味である。「臣妾を畜えば吉」とは、残った資金を保って家人を養うのはよいが、商売を再興しようとするのはよくないという意味である。
「象伝」に曰く。つながれて退く危うさとは、病み疲れることである。臣妾を養うのは吉だが、大事を行ってはならない。
「系」とは、つなぎ止められ、束縛される意味である。三爻は陽剛で内卦の上にあり、二つの陰と親しく接しているため、二爻に束縛され、超然として遠くへ引き退くことができない。退こうとしても志が定まらないので「系遁」という。退くべき時は退くべきで、速く遠く退くことが大切である。何かに執着すると、憂いに心が定まらず、身に病の痛みがあるようになり、危うい道となる。だから「疾あり、厲」という。「系」とは三爻が二爻につながれ、陰が主となること。「畜」とは二陰を三爻が養い、陽が主となること。陰が陽をつなげば危うく、陽が陰を養えば吉である。「臣妾」は陰の象であり、三陽は二陰の上にあるので、それを養うことができる。君子が臣妾を養うのは、使役に供するためであり、その進退は大事に関わるほど重くない。それゆえ「系遁」でも吉を失わない。しかし大事に当たれば、必ず因循して機会を失う。「象伝」の「疾」は「疲れ」をいう。疲れとは力が尽き、身が疲弊することである。「大事を行ってはならない」とは、三爻が一生守るべき大節を指し、決して忽せにしてはならない。
【占い】 戦争について問う。軍陣の進退にはすべて規律があり、太鼓で進み、鉦で退く。何よりも迅速でなければならず、少しでも遅れれば必ず大敗する。慎むべきである。
○ 商売について問う。商品を売るべき時に、ためらって決断できなかったり、私情に執着したりしてはならない。大事を誤るおそれがある。
○ 功名について問う。奸人が政権を握る時なので、急流から勇気をもって退くのがよい。そうすれば災いを免れる。
○ 家宅について問う。この家は不吉で、病難が多い。速やかに転居すべきで、遅れて去らなければ大きな災いのおそれがある。
○ 婚姻について問う。正妻を娶るのは不利だが、妾を娶るのは吉である。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】 友人某が来て、商業の盛衰を占ってほしいと頼み、筮して「遁」が「否」に変じた。
断じて曰く。三爻は陽位に陽で居り、二陰に未練を残して、退こうとして決断できず、「疾あり、厲」に至る。今、あなたが商業について占い、この三爻を得たのは、商売が失敗する象である。速やかに商品を処分すれば、損失はまだ小さい。金を惜しんでためらえば、品物の値は日に日に下がり、損失はさらに大きくなる。これが「系遁、有疾、厲」の意味である。「臣妾を畜えば吉」とは、残った資金を保って家人を養うのはよいが、商売を再興しようとするのはよくないという意味である。
九四。好ましい遁。君子には吉、小人には凶。
九四。好ましい遁。君子には吉、小人には凶。
「象伝」に曰く。君子は好ましく退くが、小人にはそれができない。
四爻は初爻と応じています。応じれば必ず親しみが生じますが、初爻が四爻を好むのに対し、四爻は初爻を好みません。しかも、初爻の好意を見て、四爻は意を決して遠く退くので、「好遁」といいます。しかし、初爻が四爻を好むのも真の好意ではなく、四爻の力を借りて自分を重く見せようとするものです。これは君子を利用する心であり、新莽が賢者を礼遇し、身分の低い者にもへりくだったのと同じです。四爻はそれを見抜き、初爻に絡め取られることなく、超然として遠く退きます。つまり、「あなたが私を好んでも、私はあなたを好まない。あなたが私から退かないなら、私のほうから退く。私はただ自分の志に従う」ということです。四爻は乾に入ります。乾は君子を表すので、「君子は吉」といいます。初爻は、四爻の厚い外見と深い情を頼りに、四爻がきっと情に感じて親しみを抱くだろうと思っています。しかし、住まいは近くても人は遠く、一度去れば千里の彼方、もはやつなぎ留められないとは思いもしません。初爻は艮にあり、艮は小人を表すので、「小人は否」といいます。別説では、「好遁」とは、愛するものがあるために退くことだとします。論語の「吾が好む所に従う」の「好」と同じ意味です。世人が好むのは富貴や功名ですが、君子が好むのは天を楽しみ、命を知ることです。これを「好遁」といいます。この解釈も通ります。
【占い】
○ 戦争について問う。四爻は乾の始めにあり、乾は健を表します。進むことを知って退くことを知らない象です。軍中に陥れる策を巡らす者がいるため、これを避けるために退く計略を立てるのでしょう。退くこともまた吉です。
○ 商売について問う。商家にとって買い入れは進み、売り出しは退くことです。四爻の「好遁」は、商品を外へ出して利益を得ることを知る象です。
○ 立身出世について問う。爻辞の「好遁」は、その人が功名を求める意志を持たないことを示します。しかし名声にも違いがあります。一時の虚名を盗む者もいれば、後世に大業を残す者もいます。そこに君子と小人の分かれ目があります。占う者は自分自身をよく省みるべきです。
○ 病気について問う。四爻は乾の体で、爻辞に「好遁」とあります。陽が退いて陰に入るので、病は危険です。ただし、危険を転じて安らかにするのも遁の象ですから、身分の高い人なら治せても、凡人には難しいでしょう。
○ 結婚について問う。後に離婚の憂いが生じないよう注意が必要です。
○ 訴訟について問う。俗に「三十六計、逃げるにしかず」といいますが、これが「好遁」の意味です。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】親しい友人の某氏が来て、運勢を占ってほしいと頼み、遁が漸に変わりました。
断じていう。四爻は乾の陽の首にあたり、乾は「現れる」といい、「隠れる」とはいいません。それなのに四爻は二つの陰爻に迫られ、超然として遠く退きます。これは退いて害を避ける象です。今、あなたが得たのは第四爻です。あなた自身が職に就いている一方、同僚の中には正しい者も邪な者も混じっています。表面では親しく情厚く見せながら、内心では奸計を次々に巡らす者もいるので、十分に警戒しなければなりません。あなたはそれを知り、顔色にも言葉にも表さず、退く決意をする。それこそが、明哲が身を全うするための要道です。爻辞に「九四。好遁。君子吉、小人否」とあります。君子が高く飛び退いて俗世を離れれば吉、小人が爵禄への情に溺れれば否となる、という意味です。この爻象をよく考えるべきです。
後にその人は、官制改革のため、職分に合わない任命を受けることになりました。
【例】ある日、杉浦重剛氏が来て言いました。「今、千島艦事件について、上海の英国上等裁判所の判決は不当だとして、もう一度英国に抗議しようとしています。その結末は果たしてどうなるでしょうか。占ってください」。筮すると遁が漸に変わりました。
断じていう。この卦は陰が長じ、陽が衰えるので、邪が強く正が弱い象です。正しい側は必ず退いて屈辱を受ける。卦象はそのように示しています。今、千島艦の裁判について占い、遁の第四爻を得ました。遁では内側の二陰爻が伸びて上を圧迫し、四爻に至ると陰の勢いは盛んになり、陽気はほとんど尽きています。表面では親しげに取り繕っていても、内心は実に陰険で、測り知れません。千島艦事件に照らせば、事情はぴたりと符合します。我が国は千島艦の遭難を受け、万国公法に基づいて相手に抗議し、幾度も審理を重ねましたが、ついに正義を得られませんでした。そもそも現在の天下の大勢は、曲直ではなく強弱によって動いており、どうにもならない事柄なのです。爻辞の「好遁」は、退いて避けよと教えています。退避できれば、それで事は終わるのです。
「象伝」に曰く。君子は好ましく退くが、小人にはそれができない。
四爻は初爻と応じています。応じれば必ず親しみが生じますが、初爻が四爻を好むのに対し、四爻は初爻を好みません。しかも、初爻の好意を見て、四爻は意を決して遠く退くので、「好遁」といいます。しかし、初爻が四爻を好むのも真の好意ではなく、四爻の力を借りて自分を重く見せようとするものです。これは君子を利用する心であり、新莽が賢者を礼遇し、身分の低い者にもへりくだったのと同じです。四爻はそれを見抜き、初爻に絡め取られることなく、超然として遠く退きます。つまり、「あなたが私を好んでも、私はあなたを好まない。あなたが私から退かないなら、私のほうから退く。私はただ自分の志に従う」ということです。四爻は乾に入ります。乾は君子を表すので、「君子は吉」といいます。初爻は、四爻の厚い外見と深い情を頼りに、四爻がきっと情に感じて親しみを抱くだろうと思っています。しかし、住まいは近くても人は遠く、一度去れば千里の彼方、もはやつなぎ留められないとは思いもしません。初爻は艮にあり、艮は小人を表すので、「小人は否」といいます。別説では、「好遁」とは、愛するものがあるために退くことだとします。論語の「吾が好む所に従う」の「好」と同じ意味です。世人が好むのは富貴や功名ですが、君子が好むのは天を楽しみ、命を知ることです。これを「好遁」といいます。この解釈も通ります。
【占い】
○ 戦争について問う。四爻は乾の始めにあり、乾は健を表します。進むことを知って退くことを知らない象です。軍中に陥れる策を巡らす者がいるため、これを避けるために退く計略を立てるのでしょう。退くこともまた吉です。
○ 商売について問う。商家にとって買い入れは進み、売り出しは退くことです。四爻の「好遁」は、商品を外へ出して利益を得ることを知る象です。
○ 立身出世について問う。爻辞の「好遁」は、その人が功名を求める意志を持たないことを示します。しかし名声にも違いがあります。一時の虚名を盗む者もいれば、後世に大業を残す者もいます。そこに君子と小人の分かれ目があります。占う者は自分自身をよく省みるべきです。
○ 病気について問う。四爻は乾の体で、爻辞に「好遁」とあります。陽が退いて陰に入るので、病は危険です。ただし、危険を転じて安らかにするのも遁の象ですから、身分の高い人なら治せても、凡人には難しいでしょう。
○ 結婚について問う。後に離婚の憂いが生じないよう注意が必要です。
○ 訴訟について問う。俗に「三十六計、逃げるにしかず」といいますが、これが「好遁」の意味です。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】親しい友人の某氏が来て、運勢を占ってほしいと頼み、遁が漸に変わりました。
断じていう。四爻は乾の陽の首にあたり、乾は「現れる」といい、「隠れる」とはいいません。それなのに四爻は二つの陰爻に迫られ、超然として遠く退きます。これは退いて害を避ける象です。今、あなたが得たのは第四爻です。あなた自身が職に就いている一方、同僚の中には正しい者も邪な者も混じっています。表面では親しく情厚く見せながら、内心では奸計を次々に巡らす者もいるので、十分に警戒しなければなりません。あなたはそれを知り、顔色にも言葉にも表さず、退く決意をする。それこそが、明哲が身を全うするための要道です。爻辞に「九四。好遁。君子吉、小人否」とあります。君子が高く飛び退いて俗世を離れれば吉、小人が爵禄への情に溺れれば否となる、という意味です。この爻象をよく考えるべきです。
後にその人は、官制改革のため、職分に合わない任命を受けることになりました。
【例】ある日、杉浦重剛氏が来て言いました。「今、千島艦事件について、上海の英国上等裁判所の判決は不当だとして、もう一度英国に抗議しようとしています。その結末は果たしてどうなるでしょうか。占ってください」。筮すると遁が漸に変わりました。
断じていう。この卦は陰が長じ、陽が衰えるので、邪が強く正が弱い象です。正しい側は必ず退いて屈辱を受ける。卦象はそのように示しています。今、千島艦の裁判について占い、遁の第四爻を得ました。遁では内側の二陰爻が伸びて上を圧迫し、四爻に至ると陰の勢いは盛んになり、陽気はほとんど尽きています。表面では親しげに取り繕っていても、内心は実に陰険で、測り知れません。千島艦事件に照らせば、事情はぴたりと符合します。我が国は千島艦の遭難を受け、万国公法に基づいて相手に抗議し、幾度も審理を重ねましたが、ついに正義を得られませんでした。そもそも現在の天下の大勢は、曲直ではなく強弱によって動いており、どうにもならない事柄なのです。爻辞の「好遁」は、退いて避けよと教えています。退避できれば、それで事は終わるのです。
九五。嘉遁。貞吉。
九五。嘉遁。貞吉。
象伝にいう。「嘉遁貞吉」とは、志を正しくすることである。
五爻は陽で陽位に居り、剛健中正です。六二と応じてはいますが、時を知り、勢いを見極め、変化に応じて機を察し、超然として遠く退くことができます。その退き方は情に動かされず、勢いに屈せず、決意は固く志は正しいので、まことに称賛すべきものです。だから「嘉遁、貞吉」といいます。象伝の「以て志を正すなり」とは、九五が遁において正を得、それによって二爻の志も正すことができるという意味です。これは「悪まれないが厳しい」ということです。
【占】戦争について問う。敵の勢力がまさに盛んな時、ひそかに退いて帰還し、軍を保全できるなら、それもまた称賛すべきことです。
○ 商売について問う。商品がその土地に届いても時価が合わず、別の土地へ回して利益を得るなら、変化に応じながら正道を失わないことです。したがって吉です。
○ 立身出世について問う。爻では九五を尊位とします。九五を得れば、功名は必ず顕れ、位は台輔に近いでしょう。伊尹は「臣は寵利を以て成功に居らず」といいました。功を成したなら身を退くことができるという意味で、吉です。
○ 家宅について問う。この家は南陽の諸葛亮の庵、栗里の陶淵明の宅のようなものでしょう。高潔な風格は尊ぶべきです。
○ 結婚について問う。二爻と五爻は本来、陰陽が応じており、縁談を進める意があります。しかし五爻は志が異なるとして承知しません。別の相手に嫁がせれば吉です。
○ 病気について問う。陰邪が絡みつく病です。ひそかに退いてこれを避ければ、吉を得られるでしょう。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】私の親友、永井泰次郎氏の妻が懐妊し、宴を設けて私を招き、男女を占わせました。筮すると遁が旅に変わりました。
断じていう。九五は乾卦に属し、陽が陽位に居るので、男子誕生の兆しです。乾は父、艮は末子を表します。やがて末子が父の跡を継いで家を守り、老父は財産を譲って隠居するので、この卦を遁と名づけます。さらに卦辞に「嘉遁、貞吉」とあり、子が家を継ぐ象です。その後、果たして男児が生まれました。
象伝にいう。「嘉遁貞吉」とは、志を正しくすることである。
五爻は陽で陽位に居り、剛健中正です。六二と応じてはいますが、時を知り、勢いを見極め、変化に応じて機を察し、超然として遠く退くことができます。その退き方は情に動かされず、勢いに屈せず、決意は固く志は正しいので、まことに称賛すべきものです。だから「嘉遁、貞吉」といいます。象伝の「以て志を正すなり」とは、九五が遁において正を得、それによって二爻の志も正すことができるという意味です。これは「悪まれないが厳しい」ということです。
【占】戦争について問う。敵の勢力がまさに盛んな時、ひそかに退いて帰還し、軍を保全できるなら、それもまた称賛すべきことです。
○ 商売について問う。商品がその土地に届いても時価が合わず、別の土地へ回して利益を得るなら、変化に応じながら正道を失わないことです。したがって吉です。
○ 立身出世について問う。爻では九五を尊位とします。九五を得れば、功名は必ず顕れ、位は台輔に近いでしょう。伊尹は「臣は寵利を以て成功に居らず」といいました。功を成したなら身を退くことができるという意味で、吉です。
○ 家宅について問う。この家は南陽の諸葛亮の庵、栗里の陶淵明の宅のようなものでしょう。高潔な風格は尊ぶべきです。
○ 結婚について問う。二爻と五爻は本来、陰陽が応じており、縁談を進める意があります。しかし五爻は志が異なるとして承知しません。別の相手に嫁がせれば吉です。
○ 病気について問う。陰邪が絡みつく病です。ひそかに退いてこれを避ければ、吉を得られるでしょう。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】私の親友、永井泰次郎氏の妻が懐妊し、宴を設けて私を招き、男女を占わせました。筮すると遁が旅に変わりました。
断じていう。九五は乾卦に属し、陽が陽位に居るので、男子誕生の兆しです。乾は父、艮は末子を表します。やがて末子が父の跡を継いで家を守り、老父は財産を譲って隠居するので、この卦を遁と名づけます。さらに卦辞に「嘉遁、貞吉」とあり、子が家を継ぐ象です。その後、果たして男児が生まれました。
上九。肥遁。利あらざるなし。
上九。肥遁。利あらざるなし。
象伝にいう。「肥遁して利あらざるなし」とは、疑うところがないからである。
「肥」とは、豊かでゆとりがあることです。この卦の諸爻は、退こうとしても多くのしがらみに縛られていますが、この爻だけは応も比もありません。そのため何の束縛もなく、もはや心配や遠慮に煩わされず、悠然と遠くへ退くことができます。進むにも退くにも十分な余裕があるという意味で、「肥遁、利あらざるなし」といいます。象伝の「疑うところがない」とは、上爻が乾の陽の首にあり、勢いを明らかに見抜き、機を決然と察し、真っ先に高く退くので、少しの迷いもないということです。ある説では、「嘉遁」は殷の微子や漢の張良のようなもの、「肥遁」は泰伯・伯夷のようなもの、また漢代の商山四皓のようなものだといいます。
【占】戦争について問う。戦では進むべきで、退いてはならず、退けば必ず不利です。爻に「肥遁、利あらざるなし」とあるのは、ただ太王が狄を避けて岐へ移ったことをいうのでしょうか。
○ 商売について問う。商人が利益を求めると、往々にして皆が競って追いかけます。今、ただ一人、人が取るものを自分は捨て、人が捨てるものを自分は取ることができれば、退くことを進むことにして、かえって大きな利益を得ます。だから爻に「肥遁」とあります。
○ 立身出世について問う。この人は決して美食で口を肥やすのではなく、道義によって身を豊かにする人です。だから「肥遁、利あらざるなし」といいます。
○ 家宅について問う。この家は非常に高い場所にあり、家運も富裕です。ただし財を求めるにはよく、名を求めるにはよくありません。
○ 病気について問う。肥えた人は気が虚しています。「遁」は脱する意なので、虚脱に至るおそれがあります。
○ 結婚について問う。女性が裕福な家の子息に心を奪われ、そのため駆け落ちするおそれがあります。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】明治十八年三月、中央アジアのアフガニスタン国境問題をめぐって、英国の獅子とロシアの鷲との対立が生じました。新聞電報は和平論・開戦論、親露論・親英論をさまざまに報じ、諸説紛々、各国も警戒していました。我が国にとっても利害の関わるところは決して小さくありません。そこで和平か開戦か、その成り行きを占ったところ、遁が咸に変わりました(明治十八年五月八日)。
断じていう。内卦は山で英国に属し、外卦は天でロシアに属します。山である艮は止まることを表します。今日の英国の行動を見ると、しきりに戦備を整えてはいるものの、これは虚勢にすぎず、実際には戦う意志がありません。なぜか。英国の海軍は強いとはいえ、中央アジアのアフガニスタンのような場所では、海軍だけに頼ることはできません。陸軍についても、英国兵の数は多くなく、本国を守るだけで精いっぱいです。しかもスーダン戦役で、すでに少なからぬ陸軍を派遣しています。インド兵も、アフガニスタンの高寒地へ派遣したところで、その力を十分に発揮できません。加えてインドは宗教が分かれ、兵士たちはそれぞれの宗規を守っており、粗食さえ十分ではありません。それを駆り立てて戦わせたとしても、強大なロシアに対抗できるでしょうか。したがって、英国が戦おうとすれば海軍を用いざるを得ませんが、海軍を用いる場所では通商航海の障害が生じ、各国を巻き込むことになります。ロシアを圧迫することはできても、英国には開戦の意図がない。これは艮の「止まる」象に当たります。天である乾は健やかに進むことを表します。今日のロシアを見ると、ピョートル大帝の遺訓を奉じ、進むことだけを知って退くことを知らず、諸国を呑み込んで快としようとしています。ロシアに開戦の意図があることは明らかです。内外の卦を合わせると遁となり、遁は英国の気運です。遁の反対卦は大壮で、これはロシアの気運です。英国がロシアに対するには、防備を厳重にしてロシアに乗じる隙を与えなければよく、それで英露交渉の結果を判断できます。
象伝にいう。「肥遁して利あらざるなし」とは、疑うところがないからである。
「肥」とは、豊かでゆとりがあることです。この卦の諸爻は、退こうとしても多くのしがらみに縛られていますが、この爻だけは応も比もありません。そのため何の束縛もなく、もはや心配や遠慮に煩わされず、悠然と遠くへ退くことができます。進むにも退くにも十分な余裕があるという意味で、「肥遁、利あらざるなし」といいます。象伝の「疑うところがない」とは、上爻が乾の陽の首にあり、勢いを明らかに見抜き、機を決然と察し、真っ先に高く退くので、少しの迷いもないということです。ある説では、「嘉遁」は殷の微子や漢の張良のようなもの、「肥遁」は泰伯・伯夷のようなもの、また漢代の商山四皓のようなものだといいます。
【占】戦争について問う。戦では進むべきで、退いてはならず、退けば必ず不利です。爻に「肥遁、利あらざるなし」とあるのは、ただ太王が狄を避けて岐へ移ったことをいうのでしょうか。
○ 商売について問う。商人が利益を求めると、往々にして皆が競って追いかけます。今、ただ一人、人が取るものを自分は捨て、人が捨てるものを自分は取ることができれば、退くことを進むことにして、かえって大きな利益を得ます。だから爻に「肥遁」とあります。
○ 立身出世について問う。この人は決して美食で口を肥やすのではなく、道義によって身を豊かにする人です。だから「肥遁、利あらざるなし」といいます。
○ 家宅について問う。この家は非常に高い場所にあり、家運も富裕です。ただし財を求めるにはよく、名を求めるにはよくありません。
○ 病気について問う。肥えた人は気が虚しています。「遁」は脱する意なので、虚脱に至るおそれがあります。
○ 結婚について問う。女性が裕福な家の子息に心を奪われ、そのため駆け落ちするおそれがあります。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】明治十八年三月、中央アジアのアフガニスタン国境問題をめぐって、英国の獅子とロシアの鷲との対立が生じました。新聞電報は和平論・開戦論、親露論・親英論をさまざまに報じ、諸説紛々、各国も警戒していました。我が国にとっても利害の関わるところは決して小さくありません。そこで和平か開戦か、その成り行きを占ったところ、遁が咸に変わりました(明治十八年五月八日)。
断じていう。内卦は山で英国に属し、外卦は天でロシアに属します。山である艮は止まることを表します。今日の英国の行動を見ると、しきりに戦備を整えてはいるものの、これは虚勢にすぎず、実際には戦う意志がありません。なぜか。英国の海軍は強いとはいえ、中央アジアのアフガニスタンのような場所では、海軍だけに頼ることはできません。陸軍についても、英国兵の数は多くなく、本国を守るだけで精いっぱいです。しかもスーダン戦役で、すでに少なからぬ陸軍を派遣しています。インド兵も、アフガニスタンの高寒地へ派遣したところで、その力を十分に発揮できません。加えてインドは宗教が分かれ、兵士たちはそれぞれの宗規を守っており、粗食さえ十分ではありません。それを駆り立てて戦わせたとしても、強大なロシアに対抗できるでしょうか。したがって、英国が戦おうとすれば海軍を用いざるを得ませんが、海軍を用いる場所では通商航海の障害が生じ、各国を巻き込むことになります。ロシアを圧迫することはできても、英国には開戦の意図がない。これは艮の「止まる」象に当たります。天である乾は健やかに進むことを表します。今日のロシアを見ると、ピョートル大帝の遺訓を奉じ、進むことだけを知って退くことを知らず、諸国を呑み込んで快としようとしています。ロシアに開戦の意図があることは明らかです。内外の卦を合わせると遁となり、遁は英国の気運です。遁の反対卦は大壮で、これはロシアの気運です。英国がロシアに対するには、防備を厳重にしてロシアに乗じる隙を与えなければよく、それで英露交渉の結果を判断できます。