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雷天大壮。大壮。貞に利あり。
34 雷天大壮
序卦伝にいう。「物は終始通ずることはできない。ゆえにこれを受けるに大壮をもってする」。遁は陽が退くこと、大壮は陽が進むことです。進んだものは必ず戻るので、大壮が遁に続きます。卦体は下が乾、上が震です。下に乾の剛があり、上に震の陽が加わり、健に乗じて動き、動くほどますます剛くなります。壮んに進む勢いは止まらず、盛んであるうえに大きい。これは四つの陽が過剰になる象なので、卦名を大壮といいます。
大壮。貞に利あり。
陽は大を表します。陽が四爻まで長じると、堅実で盛んになるので大壮といいます。陽が三つなら泰ですが、四つになると壮と称します。壮をさらに大と呼ぶのは、壮が過ぎるからです。乾は「元亨利貞」といい、震は「亨」といいますが、大壮は「元亨」とはいわず、ただ「貞に利あり」といいます。六爻にも戒めの辞が多く、正を失って動けば必ず咎を得ることを恐れているのです。したがって、大壮は易が尊ぶところではありません。
彖伝にいう。「大壮とは、大なるものが壮んなことである。剛にして動くので壮んである。大壮は貞に利ありとは、大なるものが正しいからである。正しく大であれば、天地の情が見える」。
この卦は下が乾、上が震です。震は雷、乾は天です。乾が下にあるのは剛、震が上にあるのは動を表します。剛にして動き、動くことでその剛を得れば、剛はますます動的になります。盛んな力の勢いは何ものにも妨げられず、これが壮を大と称する理由です。大なるものは天地にまさるものがありません。天地の動きが正しければ、四時が巡り、万物が生じます。その大きさは、すなわち正しさです。だから大壮は必ず「貞に利あり」といいます。貞とは正です。「大壮、貞に利あり。大なるものが正しい」ということです。大きく正しければ、その壮は義と道にかなって天地の間に満ち、天地の情もここにおいて見ることができます。
この卦を人事に当てはめると、生まれつき剛強な人が、さらに行動の気をほしいままにし、剛に乗じて勇ましく前進する象です。何かを成し遂げる力は十分にありますが、剛が過ぎれば折れ、勇が過ぎればつまずきます。事を敗る咎は、まさにこの大壮の中にあります。雑卦伝が「大壮は則ち止まる」といっているのは、このためです。大壮は冒頭で「貞に利あり」といい、貞とは正、つまり「大なるものが正しい」という意味です。卦体は上が震、下が乾です。乾は本来、健やかに進みますが、上九に至って陽が極まると亢ぶるので、後悔があります。震は動きを主り、各爻の象はみな恐れ慎むことを説いているので、易の道が過度の剛を嫌うことがわかります。礼を越え、謙を破って進めば、必ず不利です。だから君子には「履むな」と戒め、「用うるには慎め」と警告します。柔をもって剛を和らげ、静をもって動を定めるなら、動いても動かぬようになり、剛であっても剛に固執しなくなります。そうすれば壮を見て正も見ることができます。孟子のいう「至大至剛の気」とは、これではないでしょうか。
この卦を国家に当てはめると、国運が盛んな時です。上卦の遁では、四陽が上にあり、二陰が次第に長じますが、この卦はそれが反対で、四陽が下にあり、二陰が次第に衰えます。陽が長じて陰が消え、剛に乗じて動くので、「大壮、大なるものが壮んである」といいます。君子は日に日に進み、小人は日に日に退き、国運が全盛を迎える時です。しかし国運が盛んすぎると奢りとなり、卦象の壮が過ぎると暴力となります。奢りも暴力も正を失うので、大壮は必ず「貞に利あり」といいます。貞とは正であり、正でなければその大を成すことはできません。大きく正しければ、剛は剛に過ぎず、動は動に過ぎません。だから正しく壮を用いるのです。「大なるものが壮ん」とは、すなわち「大なるものが正しい」ということでもあります。象伝の「君子は礼にあらざれば履まず」の礼とは正であり、礼にあらざるものは不正です。君子はただ正を用いるのです。孔子は「政とは正である。正しければ行われ、正しくなければ従われない」といいました。戒めは深いものです。だから六爻には「壮を用いる」ことへの戒めが多く、初爻は「凶」で懲らしめ、三爻は「危うし」と戒め、五爻は「易らかにせよ」と教え、上爻は「困難」として警告します。ただ二爻と四爻だけが「貞吉」を得ます。易の道は過度を嫌い、中を得ることを吉とします。政治の道も同じです。これが、王者が満ちた状態を保ち、泰平を守ることを尊ぶ理由です。
この卦を全体として見ると、卦体は下が乾、上が震であり、卦象は内が剛、外が動である。陽の正しい盛んな勢いに乗じて、まさに衰えようとする陰に迫る形である。一見すれば容易なようであるが、陰はようやくその位を得たばかりで、急に迫ってはならない。剛強を頼みとしてはならず、進むにも焦ってはならない。だから君子は、必ず礼を踏むべき道とするのである。大壮の反対卦は遁である。遁とは退くこと。二陰が進み始めている以上、その退きは断固としていなければならない。大壮とは進むこと。しかし二陰がまだ退いていないうちは、その進みはあまり激しくしてはならない。雑卦伝に「大壮は止まり、遁は退く」とある。両卦の意味はこのように反対であり、爻象もまた前後して互いに反対の形を取っている。陰が進めば陽が退き、陰が退けば陽が進む。これが大壮が遁に続く理由である。六爻は二卦に分属し、内側の三爻は乾の体、外側の三爻は震の体であり、二爻と五爻が中を得ている。初爻は乾の始めで、一途に前進し、進むことだけを知って退くことを知らないので「凶」とする。二爻は乾の主爻で、中を得ることを喜び、しかも正を失わないので「吉」とする。三爻は乾の終わりにあたる。「小人」は初爻を指し、「君子」は二爻を指す。「罔」は法の網、すなわち君子が刑罰を心に留めるという意味である。初爻と二爻を合わせ、それを分けて述べることで意味を明らかにしている。四爻は乾を出て震に入り、大壮の主となる。陽が陰の位にあっても、その動きは謙を破らないため、吉を得て「悔いは消える」。五爻は震の中央にあり、平易な時に柔らかく中を得て、自分の壮を用いないので「悔いなし」。上爻は震の極みにいて、進むにも退くにも窮する。何の利益があろうか。ただ困難を厳しく自覚すれば吉となる。要するに、満ちたものを保ち安泰を守れば、壮は吉となる。礼を越え謙を破れば、壮は必ず悔いを招く。だから三爻のように「罔を用い」、壮を用いてはならない。これこそ壮に処する要道である。易を学ぶ者は、よく考えるべきである。
私は大壮の一卦を読むたびに、維新の前後に義を唱えた志士たちについて、深い感慨を覚える。幕府の政が衰え始めたころ、憚るべきことも知らず、みだりに議論を口にした者がいた。これはまさに初爻の「趾に壮なり、征けば凶」である。著述して説を立て、尊王攘夷の大義を掲げ、天下の大義を奮い起こした者は、二爻の中を得た「貞吉」のようなものである。諸藩が義に応じ、群才が奮い立ったころ、ある者は焦り、ある者は慎重で、邪正も一様でなく、禍福も分かれた。これは三爻のいう「壮を用いる」と「罔を用いる」との違いにあたる。礼を慎み謙を守り、壮を失わず、ふさわしく前進して吉を得た者もいた。四爻の「藩決けて羸れず」のようなものである。平易な境遇にあって前もって備え、険難に関わらず、退くことを進むこととして「悔いなし」となった者もいた。五爻の「易に羊を喪う」のようなものである。さて、現在政路にある大臣たちは、皆、かつて義を唱えた藩士から出て、あらゆる艱難辛苦を経た末、その盛んな時機に巡り合った者である。上六の「艱なれば吉」のようなものだ。要するに、廃藩に尽くした士たちは忠肝義胆を抱き、国のために身を忘れたのであり、皆称賛すべきである。しかし、その中の成敗や禍福は、またそれぞれ自ら招いたものでもある。「罔を用いる」とは、まことに過去の出来事から得るべき戒めである。
象伝にいう。天の上に雷があるのが大壮である。君子はこれにならい、礼にかなわないことは踏み行わない。
大象は、震の雷が乾の天に発することをいう。その勢いが強く盛んなので、大壮と名づける。随・復・豫・大壮の四卦は、いずれも震の体を得ているため、皆、雷を象とする。随は雷が沢の中に入り、陽の勢いが次第に収まるので秋の雷である。復は雷が地中に入り、陽の勢いがすでに微かなので冬の雷である。豫は「雷が地中から出て奮い立つ」といい、陽の勢いが盛んになり始めるので春の雷である。大壮は「雷、天上に在り」といい、陽の勢いが健やかに盛んなので、時にかなった夏の雷である。君子はこれにならう。雷が声を発するのは必ず時にかなっていなければならず、時を失えば災いとなる。君子の行いも必ず礼によるべきであり、礼に背けば悔いが生じる。乾は行い、震は足を表すので、履の象がある。乾の象伝は「君子は以て自ら強めて息まず」といい、震の象伝は「君子は以て恐懼して修省す」という。これを合わせていえば、君子が自らを強くしようとする時こそ、礼に反することを踏み行うのを恐れなければならないという意味である。すなわち孔子のいう「礼にあらざれば視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、動くなかれ」の趣旨である。
【占い】
○ 戦争について問う。軍勢は盛んで、疾雷が耳を覆う暇もないほどの勢いがある。ただし兵が驕れば必ず敗れるので、深く戒めるべきである。
○ 商売について問う。雷が天上にあるのは、商品の相場が高い象である。値がついたら売るべきで、欲を出しすぎてはならない。
○ 功名について問う。雷鳴が遠くまで響くので、必ず名を成す。
○ 家宅について問う。火災に注意し、祈祷をするとよい。
○ 病気について問う。震は雷を表すとともに足を表すので、足の病にかかり、歩けなくなるおそれがある。
○ 婚姻について問う。震は乾の長男、巽は坤の長女であり、天が結ぶ組み合わせなので吉である。
○ 紛失物について問う。雷は一過して形を残さないので、その品は戻らないおそれがある。
○ 妊娠:男児が生まれる。
序卦伝にいう。「物は終始通ずることはできない。ゆえにこれを受けるに大壮をもってする」。遁は陽が退くこと、大壮は陽が進むことです。進んだものは必ず戻るので、大壮が遁に続きます。卦体は下が乾、上が震です。下に乾の剛があり、上に震の陽が加わり、健に乗じて動き、動くほどますます剛くなります。壮んに進む勢いは止まらず、盛んであるうえに大きい。これは四つの陽が過剰になる象なので、卦名を大壮といいます。
大壮。貞に利あり。
陽は大を表します。陽が四爻まで長じると、堅実で盛んになるので大壮といいます。陽が三つなら泰ですが、四つになると壮と称します。壮をさらに大と呼ぶのは、壮が過ぎるからです。乾は「元亨利貞」といい、震は「亨」といいますが、大壮は「元亨」とはいわず、ただ「貞に利あり」といいます。六爻にも戒めの辞が多く、正を失って動けば必ず咎を得ることを恐れているのです。したがって、大壮は易が尊ぶところではありません。
彖伝にいう。「大壮とは、大なるものが壮んなことである。剛にして動くので壮んである。大壮は貞に利ありとは、大なるものが正しいからである。正しく大であれば、天地の情が見える」。
この卦は下が乾、上が震です。震は雷、乾は天です。乾が下にあるのは剛、震が上にあるのは動を表します。剛にして動き、動くことでその剛を得れば、剛はますます動的になります。盛んな力の勢いは何ものにも妨げられず、これが壮を大と称する理由です。大なるものは天地にまさるものがありません。天地の動きが正しければ、四時が巡り、万物が生じます。その大きさは、すなわち正しさです。だから大壮は必ず「貞に利あり」といいます。貞とは正です。「大壮、貞に利あり。大なるものが正しい」ということです。大きく正しければ、その壮は義と道にかなって天地の間に満ち、天地の情もここにおいて見ることができます。
この卦を人事に当てはめると、生まれつき剛強な人が、さらに行動の気をほしいままにし、剛に乗じて勇ましく前進する象です。何かを成し遂げる力は十分にありますが、剛が過ぎれば折れ、勇が過ぎればつまずきます。事を敗る咎は、まさにこの大壮の中にあります。雑卦伝が「大壮は則ち止まる」といっているのは、このためです。大壮は冒頭で「貞に利あり」といい、貞とは正、つまり「大なるものが正しい」という意味です。卦体は上が震、下が乾です。乾は本来、健やかに進みますが、上九に至って陽が極まると亢ぶるので、後悔があります。震は動きを主り、各爻の象はみな恐れ慎むことを説いているので、易の道が過度の剛を嫌うことがわかります。礼を越え、謙を破って進めば、必ず不利です。だから君子には「履むな」と戒め、「用うるには慎め」と警告します。柔をもって剛を和らげ、静をもって動を定めるなら、動いても動かぬようになり、剛であっても剛に固執しなくなります。そうすれば壮を見て正も見ることができます。孟子のいう「至大至剛の気」とは、これではないでしょうか。
この卦を国家に当てはめると、国運が盛んな時です。上卦の遁では、四陽が上にあり、二陰が次第に長じますが、この卦はそれが反対で、四陽が下にあり、二陰が次第に衰えます。陽が長じて陰が消え、剛に乗じて動くので、「大壮、大なるものが壮んである」といいます。君子は日に日に進み、小人は日に日に退き、国運が全盛を迎える時です。しかし国運が盛んすぎると奢りとなり、卦象の壮が過ぎると暴力となります。奢りも暴力も正を失うので、大壮は必ず「貞に利あり」といいます。貞とは正であり、正でなければその大を成すことはできません。大きく正しければ、剛は剛に過ぎず、動は動に過ぎません。だから正しく壮を用いるのです。「大なるものが壮ん」とは、すなわち「大なるものが正しい」ということでもあります。象伝の「君子は礼にあらざれば履まず」の礼とは正であり、礼にあらざるものは不正です。君子はただ正を用いるのです。孔子は「政とは正である。正しければ行われ、正しくなければ従われない」といいました。戒めは深いものです。だから六爻には「壮を用いる」ことへの戒めが多く、初爻は「凶」で懲らしめ、三爻は「危うし」と戒め、五爻は「易らかにせよ」と教え、上爻は「困難」として警告します。ただ二爻と四爻だけが「貞吉」を得ます。易の道は過度を嫌い、中を得ることを吉とします。政治の道も同じです。これが、王者が満ちた状態を保ち、泰平を守ることを尊ぶ理由です。
この卦を全体として見ると、卦体は下が乾、上が震であり、卦象は内が剛、外が動である。陽の正しい盛んな勢いに乗じて、まさに衰えようとする陰に迫る形である。一見すれば容易なようであるが、陰はようやくその位を得たばかりで、急に迫ってはならない。剛強を頼みとしてはならず、進むにも焦ってはならない。だから君子は、必ず礼を踏むべき道とするのである。大壮の反対卦は遁である。遁とは退くこと。二陰が進み始めている以上、その退きは断固としていなければならない。大壮とは進むこと。しかし二陰がまだ退いていないうちは、その進みはあまり激しくしてはならない。雑卦伝に「大壮は止まり、遁は退く」とある。両卦の意味はこのように反対であり、爻象もまた前後して互いに反対の形を取っている。陰が進めば陽が退き、陰が退けば陽が進む。これが大壮が遁に続く理由である。六爻は二卦に分属し、内側の三爻は乾の体、外側の三爻は震の体であり、二爻と五爻が中を得ている。初爻は乾の始めで、一途に前進し、進むことだけを知って退くことを知らないので「凶」とする。二爻は乾の主爻で、中を得ることを喜び、しかも正を失わないので「吉」とする。三爻は乾の終わりにあたる。「小人」は初爻を指し、「君子」は二爻を指す。「罔」は法の網、すなわち君子が刑罰を心に留めるという意味である。初爻と二爻を合わせ、それを分けて述べることで意味を明らかにしている。四爻は乾を出て震に入り、大壮の主となる。陽が陰の位にあっても、その動きは謙を破らないため、吉を得て「悔いは消える」。五爻は震の中央にあり、平易な時に柔らかく中を得て、自分の壮を用いないので「悔いなし」。上爻は震の極みにいて、進むにも退くにも窮する。何の利益があろうか。ただ困難を厳しく自覚すれば吉となる。要するに、満ちたものを保ち安泰を守れば、壮は吉となる。礼を越え謙を破れば、壮は必ず悔いを招く。だから三爻のように「罔を用い」、壮を用いてはならない。これこそ壮に処する要道である。易を学ぶ者は、よく考えるべきである。
私は大壮の一卦を読むたびに、維新の前後に義を唱えた志士たちについて、深い感慨を覚える。幕府の政が衰え始めたころ、憚るべきことも知らず、みだりに議論を口にした者がいた。これはまさに初爻の「趾に壮なり、征けば凶」である。著述して説を立て、尊王攘夷の大義を掲げ、天下の大義を奮い起こした者は、二爻の中を得た「貞吉」のようなものである。諸藩が義に応じ、群才が奮い立ったころ、ある者は焦り、ある者は慎重で、邪正も一様でなく、禍福も分かれた。これは三爻のいう「壮を用いる」と「罔を用いる」との違いにあたる。礼を慎み謙を守り、壮を失わず、ふさわしく前進して吉を得た者もいた。四爻の「藩決けて羸れず」のようなものである。平易な境遇にあって前もって備え、険難に関わらず、退くことを進むこととして「悔いなし」となった者もいた。五爻の「易に羊を喪う」のようなものである。さて、現在政路にある大臣たちは、皆、かつて義を唱えた藩士から出て、あらゆる艱難辛苦を経た末、その盛んな時機に巡り合った者である。上六の「艱なれば吉」のようなものだ。要するに、廃藩に尽くした士たちは忠肝義胆を抱き、国のために身を忘れたのであり、皆称賛すべきである。しかし、その中の成敗や禍福は、またそれぞれ自ら招いたものでもある。「罔を用いる」とは、まことに過去の出来事から得るべき戒めである。
象伝にいう。天の上に雷があるのが大壮である。君子はこれにならい、礼にかなわないことは踏み行わない。
大象は、震の雷が乾の天に発することをいう。その勢いが強く盛んなので、大壮と名づける。随・復・豫・大壮の四卦は、いずれも震の体を得ているため、皆、雷を象とする。随は雷が沢の中に入り、陽の勢いが次第に収まるので秋の雷である。復は雷が地中に入り、陽の勢いがすでに微かなので冬の雷である。豫は「雷が地中から出て奮い立つ」といい、陽の勢いが盛んになり始めるので春の雷である。大壮は「雷、天上に在り」といい、陽の勢いが健やかに盛んなので、時にかなった夏の雷である。君子はこれにならう。雷が声を発するのは必ず時にかなっていなければならず、時を失えば災いとなる。君子の行いも必ず礼によるべきであり、礼に背けば悔いが生じる。乾は行い、震は足を表すので、履の象がある。乾の象伝は「君子は以て自ら強めて息まず」といい、震の象伝は「君子は以て恐懼して修省す」という。これを合わせていえば、君子が自らを強くしようとする時こそ、礼に反することを踏み行うのを恐れなければならないという意味である。すなわち孔子のいう「礼にあらざれば視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、動くなかれ」の趣旨である。
【占い】
○ 戦争について問う。軍勢は盛んで、疾雷が耳を覆う暇もないほどの勢いがある。ただし兵が驕れば必ず敗れるので、深く戒めるべきである。
○ 商売について問う。雷が天上にあるのは、商品の相場が高い象である。値がついたら売るべきで、欲を出しすぎてはならない。
○ 功名について問う。雷鳴が遠くまで響くので、必ず名を成す。
○ 家宅について問う。火災に注意し、祈祷をするとよい。
○ 病気について問う。震は雷を表すとともに足を表すので、足の病にかかり、歩けなくなるおそれがある。
○ 婚姻について問う。震は乾の長男、巽は坤の長女であり、天が結ぶ組み合わせなので吉である。
○ 紛失物について問う。雷は一過して形を残さないので、その品は戻らないおそれがある。
○ 妊娠:男児が生まれる。
初九。足先に強さを発揮する。進めば凶。信頼はある。
初九。足先に強さを発揮する。進めば凶。信頼はある。
象伝にいう。「足先に強さを発揮する」とは、その信頼が尽きることである。
初爻は大壮の始めにあたり、下卦のさらに下にある。下にいて動くので、「足先に強さを発揮する」という。震は出征を表すので「征く」という。勢いに任せて急に立ち、まっすぐ追い進もうとし、「足もとを見て吉凶を考える」心がないため凶である。そこで「征けば凶」という。「信頼はある」について、象伝は「その信頼は尽きる」と説く。初爻は四爻と応じるが、初爻はすでに進む道を行き尽くし、四爻も遠く隔たって力を及ぼせない。だから「その信頼は尽きる」というのである。
【占い】
○ 戦争について問う。「足先に強さを発揮し、征けば凶」とは、孤軍を深く進入させる者への戒めである。勇気だけで謀略がなければ凶となる。
○ 商売について問う。商品や財貨は、足がなくても走り、翼がなくても飛ぶように、たちまち動く妙がある。しかし販路を見極めず、軽率に仕入れや取引に走れば、どうして利益を得られよう。ゆえに凶である。
○ 功名について問う。初爻はもともと下にあり、「趾」と称するので、動いても下位にとどまり、功名は必ず低い。
○ 家宅について問う。「趾」は止まる意でもある。この家は安定して住むのがよく、移転や変動は避けるべきである。動けば凶。
○ 婚姻について問う。女性に足の病があるおそれがある。「征けば凶、信頼はある」とは、婚約があっても「その信頼は尽きる」という意味である。
○ 紛失物について問う。その品はすでに足で踏みつけられ、壊れている。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人某が来て、事業が成るかどうかを占ってほしいと頼んだ。筮して大壮から恒を得た。
判断していう。初爻は乾の始めにあり、内卦の下にある。これは必ず、事を起こそうとして計画を始めたものの、機会はいまだ来ていないのに、足だけが先に動こうとしていることを示す。だから「趾に壮」の象がある。あなたは事業について占って大壮の初爻を得た。あなたは速やかな成功を志し、計画が十分に練られず、経験も定まらないうちに、軽率に前進しようとしていることが分かる。それでは利益がないだけでなく、凶も招く。ゆえに「趾に壮なり、征けば凶、信頼はある」という。「趾に壮なり、征けば凶」とは軽挙して失敗を招くこと。「信頼はある」とは、ただこの約束だけがあることをいう。この事は時を待って動くべきで、ゆっくり計画すれば吉である。今、あわてて成功を求めているので凶となる。
友人はこの占断を用いず、急いで事業を始めたため、判断を誤って家産を失った。その後、ある人が資金の三分の一を出して事業を引き継ぎ、かえって大きな利益を得た。
象伝にいう。「足先に強さを発揮する」とは、その信頼が尽きることである。
初爻は大壮の始めにあたり、下卦のさらに下にある。下にいて動くので、「足先に強さを発揮する」という。震は出征を表すので「征く」という。勢いに任せて急に立ち、まっすぐ追い進もうとし、「足もとを見て吉凶を考える」心がないため凶である。そこで「征けば凶」という。「信頼はある」について、象伝は「その信頼は尽きる」と説く。初爻は四爻と応じるが、初爻はすでに進む道を行き尽くし、四爻も遠く隔たって力を及ぼせない。だから「その信頼は尽きる」というのである。
【占い】
○ 戦争について問う。「足先に強さを発揮し、征けば凶」とは、孤軍を深く進入させる者への戒めである。勇気だけで謀略がなければ凶となる。
○ 商売について問う。商品や財貨は、足がなくても走り、翼がなくても飛ぶように、たちまち動く妙がある。しかし販路を見極めず、軽率に仕入れや取引に走れば、どうして利益を得られよう。ゆえに凶である。
○ 功名について問う。初爻はもともと下にあり、「趾」と称するので、動いても下位にとどまり、功名は必ず低い。
○ 家宅について問う。「趾」は止まる意でもある。この家は安定して住むのがよく、移転や変動は避けるべきである。動けば凶。
○ 婚姻について問う。女性に足の病があるおそれがある。「征けば凶、信頼はある」とは、婚約があっても「その信頼は尽きる」という意味である。
○ 紛失物について問う。その品はすでに足で踏みつけられ、壊れている。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人某が来て、事業が成るかどうかを占ってほしいと頼んだ。筮して大壮から恒を得た。
判断していう。初爻は乾の始めにあり、内卦の下にある。これは必ず、事を起こそうとして計画を始めたものの、機会はいまだ来ていないのに、足だけが先に動こうとしていることを示す。だから「趾に壮」の象がある。あなたは事業について占って大壮の初爻を得た。あなたは速やかな成功を志し、計画が十分に練られず、経験も定まらないうちに、軽率に前進しようとしていることが分かる。それでは利益がないだけでなく、凶も招く。ゆえに「趾に壮なり、征けば凶、信頼はある」という。「趾に壮なり、征けば凶」とは軽挙して失敗を招くこと。「信頼はある」とは、ただこの約束だけがあることをいう。この事は時を待って動くべきで、ゆっくり計画すれば吉である。今、あわてて成功を求めているので凶となる。
友人はこの占断を用いず、急いで事業を始めたため、判断を誤って家産を失った。その後、ある人が資金の三分の一を出して事業を引き継ぎ、かえって大きな利益を得た。
九二。貞なれば吉。
九二。貞なれば吉。
象伝にいう。九二が貞吉なのは、中を得ているからである。
全卦の諸爻は、いずれも剛に過ぎることを失策とするが、ただ二爻だけが中を得ている。中とは偏らないことである。二爻は五爻と応じ、対立する失いがなく、過不足なく、進退も適切である。だから「壮」ともいわず、「正」ともいわず、ただ「貞吉」とだけいうのである。これは彖伝の「貞に利あり」を受けて、その吉を明らかにしたものだ。易の道は陽を助け陰を抑えることを尊ぶが、陽剛が盛んすぎても中を失う。ゆえにその過剛を抑え、中に帰さなければならない。中であれば正、正であれば吉である。象伝が「中を以てなり」というのは、九二が下卦の中央にあたり、剛でありながら柔を保ち、その処し方が中を得ているからである。
【占い】
○ 戦争について問う。中央の陣営が力を発揮するので、勝利を得られる。吉。
○ 商売について問う。商品の価格が適切で、時の中を得ているので、利益を得られる。
○ 功名について問う。ちょうど試験に合格し、吉である。
○ 婚姻について問う。選ばれて婚姻がまとまり、吉である。
○ 家宅について問う。この家は西を背に東に向き、土地の位置もほどよく中央にあり、大吉である。
○ 病気について問う。病は中焦にある。陽を潜め陰を養う薬を用いれば、自然に治る。吉。
○ 訴訟について問う。中立の仲裁人が調停すれば、ただちに収まる。
○ 妊娠:男児が生まれる。
○ 旅人について問う。すでに道半ばにあり、ほどなく帰って来る。
【例】ある会社の社長が来て、会社の運気を占ってほしいと頼んだ。筮して大壮から豊を得た。
判断していう。この卦は下に陽爻四つ、上に陰爻二つがあり、陽が大きく陰が小さく、剛が次第に浸透して伸びるので大壮という。あなたは会社について占って二爻を得た。会社には資金が豊富で、十分に事を成す力があることが分かる。あなたは社長として、柔をもって剛を助け、静をもって動を制し、ゆったりと事を処理し、速い効果を求めず、謙和で礼を守り、進退をすべて中庸にすべきである。そうすれば自然に少しずつ利益を得て、吉でないことはない。後の二年、四爻に至れば、四爻は大壮の主なので、大きな利益を得られる。結果は占断のとおりになった。
象伝にいう。九二が貞吉なのは、中を得ているからである。
全卦の諸爻は、いずれも剛に過ぎることを失策とするが、ただ二爻だけが中を得ている。中とは偏らないことである。二爻は五爻と応じ、対立する失いがなく、過不足なく、進退も適切である。だから「壮」ともいわず、「正」ともいわず、ただ「貞吉」とだけいうのである。これは彖伝の「貞に利あり」を受けて、その吉を明らかにしたものだ。易の道は陽を助け陰を抑えることを尊ぶが、陽剛が盛んすぎても中を失う。ゆえにその過剛を抑え、中に帰さなければならない。中であれば正、正であれば吉である。象伝が「中を以てなり」というのは、九二が下卦の中央にあたり、剛でありながら柔を保ち、その処し方が中を得ているからである。
【占い】
○ 戦争について問う。中央の陣営が力を発揮するので、勝利を得られる。吉。
○ 商売について問う。商品の価格が適切で、時の中を得ているので、利益を得られる。
○ 功名について問う。ちょうど試験に合格し、吉である。
○ 婚姻について問う。選ばれて婚姻がまとまり、吉である。
○ 家宅について問う。この家は西を背に東に向き、土地の位置もほどよく中央にあり、大吉である。
○ 病気について問う。病は中焦にある。陽を潜め陰を養う薬を用いれば、自然に治る。吉。
○ 訴訟について問う。中立の仲裁人が調停すれば、ただちに収まる。
○ 妊娠:男児が生まれる。
○ 旅人について問う。すでに道半ばにあり、ほどなく帰って来る。
【例】ある会社の社長が来て、会社の運気を占ってほしいと頼んだ。筮して大壮から豊を得た。
判断していう。この卦は下に陽爻四つ、上に陰爻二つがあり、陽が大きく陰が小さく、剛が次第に浸透して伸びるので大壮という。あなたは会社について占って二爻を得た。会社には資金が豊富で、十分に事を成す力があることが分かる。あなたは社長として、柔をもって剛を助け、静をもって動を制し、ゆったりと事を処理し、速い効果を求めず、謙和で礼を守り、進退をすべて中庸にすべきである。そうすれば自然に少しずつ利益を得て、吉でないことはない。後の二年、四爻に至れば、四爻は大壮の主なので、大きな利益を得られる。結果は占断のとおりになった。
九三。小人は壮を用い、君子は罔を用いる。正しくあっても危うい。雄羊が垣根に突き当たり、その角を絡ませる。
九三。小人は壮を用い、君子は罔を用いる。正しくあっても危うい。雄羊が垣根に突き当たり、その角を絡ませる。
象伝にいう。「小人は壮を用いる」とは、小人が力を用いることである。「君子は罔なり」とは、君子はそれを用いないことである。
「羝羊」とは雄羊である。三爻から五爻までは兌の体で、兌は羊を表すので、羊に取象したのである。卦体が純粋に剛であるため「羝羊」といい、剛陽の盛んなことにたとえている。三爻は内卦の終わりに当たり、外卦に迫っている。乾は剛、震は動であり、壮の象がまさに成ろうとしている。小人がこの位置にいれば、必ずその強さを頼んで、ますます強く振る舞う。これを「壮を用いる」という。君子は強さを持っていても、自分から強さを誇ることはなく、まるで初めから強さなど持っていなかったかのようにする。だから「罔を用いる」という。「罔」は無の意である。京房は[8]「壮は一つのものだが、小人はこれを用いる」と言った。君子は持っていても用いないという意味である。三爻は陽位に陽爻があり、剛が重なって中を得ていないので、たとえ正しくても危うい。そこで「貞なれど厲」と言う。君子はその危うさゆえにいっそう自らを励まし、朝は努め、夜は慎み、常に非礼から身を守り、決してその強さをほしいままにしない。これが、持っているものを無いかのようにするということである。九四は震の体で、竹や葦を表すので「藩」という。藩は羊を囲うものだ。四爻が前にあり、三爻がこれに突き当たるので、「羝羊、藩に触る」といい、小人が強さを用いる象である。「羸」は鄭玄・虞翻の本では「累」と作り、拘束され絡みつくことをいう。「その角を累わす」とは、角は羊の角であり、羊が藩に突き当たると、その角が藩に拘束されて抜け出せなくなることをいう。これは強さを用いる危うさにたとえたものだ。「小人は壮を用いる」のだから、帰るべき時を知らなければならない。「君子は罔を用いる」なら、危うさを免れることができる。象伝に「小人は壮を用いる」とあるのは、小人がただ強さの存在だけを知るからである。「君子は罔なり」と、「用」の一字を除いているので、君子が強さを用いないことがいっそう明らかになる。尊ぶべきは、それを収めて無にすることである。別説では、罔とは法の網であるという。君子は強さが危うさをもたらすことを知り、刑罰の網を戒めとして身を引き締める。これは、君子が刑を心に抱くという意味にも通じ、これもまた成り立つ。
【占い】
○ 戦争について問う。戦上手は機を見て敵を察し、みだりに動かない。勇を頼む者は強さを誇って戦い、孤軍を直進させ、険地に陥って脱出できなくなるので凶である。
○ 商売について問う。資財の豊かさを頼みに、思うまま独占すれば、商品が損なわれ、売る場所もなくなって大損をする。商才ある者はこの憂いを持たないようにすべきである。
○ 功名について問う。軽率な者は必ず敗れ、謙退する者は名を成す。
○ 家宅について問う。この家の地勢はすでに高いので、建物は低く建てるのがよい。高くしすぎると、揺れや陥没の災いがあるおそれがある。
○ 病気について問う。病は血気が過度に剛であることから起こる。血を調え、気を下げる薬を用いるべきである。
○ 訴訟について問う。怒りをこらえ、屈辱を受け入れて、訴えを収めるのがよい。争いを強硬に続ければ、訴訟は「ついに凶」となる。
○ 婚姻について問う。両家の家格が違うか、一方が貧しく一方が富んでいるおそれがある。富む側が富を頼んで貧しい側を侮れば、夫婦は反目し、凶となる。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人某が来て、商売の盛衰を占ってほしいと頼んだ。筮して大壮から帰妹を得た。
判断していう。この卦は内卦の乾が父、外卦の震が子である。父が内で計画し、子が外で事に当たり、父子が力を合わせて家業を創業発展させる。財力も盛んで強いので大壮という。あなたは商売について占って三爻を得た。陽が陽の位にあり、爻位もすべて剛であるため、思うまま一直線に進めば、その強勢は同業者をほとんど圧倒できる。しかし剛が過ぎれば必ず折れる。かえって同業者に押しつぶされ、羊が垣根に突き当たって出られないように、窮地と恥辱を受けるおそれがある。商売に巧みな者は、堅く正しく自らを守り、富をかさに着て驕らず、才能を頼んで自らを誇らない。壮を持っていても壮を用いない。これが壮に処する方法であり、財を生む道でもある。よく考えなさい。後に友人は強さに乗じて事を行い、果たして同業者に圧迫され、数万金を失った。
【例】明治二十七年五月中旬、わが国の駐英公使某が病にかかり、友人某がその身を案じて、私に一占を求めた。筮して大壮から帰妹を得た。
判断していう。この卦は陽が伸びる卦であり、三爻も陽で陽の位にある。震は木、木は肝に属するので、これは肝陽が過度に盛んで、脾陰が克される病であるに違いない。公使はもともと体が丈夫だった。医者はその壮健さに惑わされて実火と誤診し、ひたすら肝を瀉して陽を鎮めた。そのため元気はいよいよ虚し、肝陽はいよいよ燥き、病は薬でも救えないところまで進んだ。これが壮を用いる誤りである。良医なら陰を養い陽を潜めて治すべきで、これがいわゆる「罔を用いる」である。爻象についていえば、三爻が変わると帰妹になる。帰は帰る意であり、四爻に至って泰に変われば、病は治療できる。今は五月中旬なので、この一月を過ぎた後には平癒が望めるが、間に合わないおそれもある。
その後、その人の病は果たして翌月四日に亡くなるに至った。
象伝にいう。「小人は壮を用いる」とは、小人が力を用いることである。「君子は罔なり」とは、君子はそれを用いないことである。
「羝羊」とは雄羊である。三爻から五爻までは兌の体で、兌は羊を表すので、羊に取象したのである。卦体が純粋に剛であるため「羝羊」といい、剛陽の盛んなことにたとえている。三爻は内卦の終わりに当たり、外卦に迫っている。乾は剛、震は動であり、壮の象がまさに成ろうとしている。小人がこの位置にいれば、必ずその強さを頼んで、ますます強く振る舞う。これを「壮を用いる」という。君子は強さを持っていても、自分から強さを誇ることはなく、まるで初めから強さなど持っていなかったかのようにする。だから「罔を用いる」という。「罔」は無の意である。京房は[8]「壮は一つのものだが、小人はこれを用いる」と言った。君子は持っていても用いないという意味である。三爻は陽位に陽爻があり、剛が重なって中を得ていないので、たとえ正しくても危うい。そこで「貞なれど厲」と言う。君子はその危うさゆえにいっそう自らを励まし、朝は努め、夜は慎み、常に非礼から身を守り、決してその強さをほしいままにしない。これが、持っているものを無いかのようにするということである。九四は震の体で、竹や葦を表すので「藩」という。藩は羊を囲うものだ。四爻が前にあり、三爻がこれに突き当たるので、「羝羊、藩に触る」といい、小人が強さを用いる象である。「羸」は鄭玄・虞翻の本では「累」と作り、拘束され絡みつくことをいう。「その角を累わす」とは、角は羊の角であり、羊が藩に突き当たると、その角が藩に拘束されて抜け出せなくなることをいう。これは強さを用いる危うさにたとえたものだ。「小人は壮を用いる」のだから、帰るべき時を知らなければならない。「君子は罔を用いる」なら、危うさを免れることができる。象伝に「小人は壮を用いる」とあるのは、小人がただ強さの存在だけを知るからである。「君子は罔なり」と、「用」の一字を除いているので、君子が強さを用いないことがいっそう明らかになる。尊ぶべきは、それを収めて無にすることである。別説では、罔とは法の網であるという。君子は強さが危うさをもたらすことを知り、刑罰の網を戒めとして身を引き締める。これは、君子が刑を心に抱くという意味にも通じ、これもまた成り立つ。
【占い】
○ 戦争について問う。戦上手は機を見て敵を察し、みだりに動かない。勇を頼む者は強さを誇って戦い、孤軍を直進させ、険地に陥って脱出できなくなるので凶である。
○ 商売について問う。資財の豊かさを頼みに、思うまま独占すれば、商品が損なわれ、売る場所もなくなって大損をする。商才ある者はこの憂いを持たないようにすべきである。
○ 功名について問う。軽率な者は必ず敗れ、謙退する者は名を成す。
○ 家宅について問う。この家の地勢はすでに高いので、建物は低く建てるのがよい。高くしすぎると、揺れや陥没の災いがあるおそれがある。
○ 病気について問う。病は血気が過度に剛であることから起こる。血を調え、気を下げる薬を用いるべきである。
○ 訴訟について問う。怒りをこらえ、屈辱を受け入れて、訴えを収めるのがよい。争いを強硬に続ければ、訴訟は「ついに凶」となる。
○ 婚姻について問う。両家の家格が違うか、一方が貧しく一方が富んでいるおそれがある。富む側が富を頼んで貧しい側を侮れば、夫婦は反目し、凶となる。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人某が来て、商売の盛衰を占ってほしいと頼んだ。筮して大壮から帰妹を得た。
判断していう。この卦は内卦の乾が父、外卦の震が子である。父が内で計画し、子が外で事に当たり、父子が力を合わせて家業を創業発展させる。財力も盛んで強いので大壮という。あなたは商売について占って三爻を得た。陽が陽の位にあり、爻位もすべて剛であるため、思うまま一直線に進めば、その強勢は同業者をほとんど圧倒できる。しかし剛が過ぎれば必ず折れる。かえって同業者に押しつぶされ、羊が垣根に突き当たって出られないように、窮地と恥辱を受けるおそれがある。商売に巧みな者は、堅く正しく自らを守り、富をかさに着て驕らず、才能を頼んで自らを誇らない。壮を持っていても壮を用いない。これが壮に処する方法であり、財を生む道でもある。よく考えなさい。後に友人は強さに乗じて事を行い、果たして同業者に圧迫され、数万金を失った。
【例】明治二十七年五月中旬、わが国の駐英公使某が病にかかり、友人某がその身を案じて、私に一占を求めた。筮して大壮から帰妹を得た。
判断していう。この卦は陽が伸びる卦であり、三爻も陽で陽の位にある。震は木、木は肝に属するので、これは肝陽が過度に盛んで、脾陰が克される病であるに違いない。公使はもともと体が丈夫だった。医者はその壮健さに惑わされて実火と誤診し、ひたすら肝を瀉して陽を鎮めた。そのため元気はいよいよ虚し、肝陽はいよいよ燥き、病は薬でも救えないところまで進んだ。これが壮を用いる誤りである。良医なら陰を養い陽を潜めて治すべきで、これがいわゆる「罔を用いる」である。爻象についていえば、三爻が変わると帰妹になる。帰は帰る意であり、四爻に至って泰に変われば、病は治療できる。今は五月中旬なので、この一月を過ぎた後には平癒が望めるが、間に合わないおそれもある。
その後、その人の病は果たして翌月四日に亡くなるに至った。
九四。貞なれば吉、悔い亡ぶ。垣根が開いて破れない。大きな車の車軸に力がある。
九四。貞なれば吉、悔い亡ぶ。垣根が開いて破れない。大きな車の車軸に力がある。
『象伝』にいう。「垣根が破られたので、なお前進できる」。
九四は乾から出て震に入り、震の始まりに当たる。陽爻が陰位にいるため、剛が極端にならず、吉を得て悔いも消える。三爻にある垣根は四爻に位置する。四爻の前には二つの陰爻があるので、垣根は破られる。「輹」は車軸を縛るものをいう。坤は大きな車を表し、震の上二爻の陰が坤の気を受けるので、ここでも「大車」という。輹が丈夫なら車も強く、遠くまで妨げなく進めるという意味である。このように進めば、強くてもその強さを露わにしないので、どうして悔いがあろうか。『象伝』の「垣根が破られ、なお前進できる」とは、強さが正しい在り方を得てこそ、前へ進むことを許されるという意味である。
【占い】
○ 戦争について問う。前方の城壁はすでに破られ、車は走り馬は駆ける。遠征は妨げなく進めよう。
○ 功名について問う。互卦は乾で、辰は戌にあり、その上には奎・壁が当たる。壁は文昌をつかさどるので、文徳を尊ぶ象であり、功名は必ず顕れる。王良五星は壁の北にあり、車馬をつかさどるので、大車の象である。雷電六星も近くにあり、雷の起こることをつかさどる。これは震の雷の象である。
○ 商売について問う。満載して帰ることができ、吉。
○ 家宅について問う。この家は車馬の往来する場所にあり、家の前の垣根が荒れているので、急いで修繕すべきである。
○ 病気について問う。髪や皮膚は身を守る垣根、心神は車馬である。髪や皮膚が裂け、心神が揺らいでいるなら、病は長くは続かない。
○ 婚姻について問う。「車の輹が外れ、夫婦が反目する」とある。よい縁ではない。不吉。
○ 妊娠について問う。九四は震の始まりである。震は初めて求めて男を得るので、長男を表す。
【例】明治二十七年九月、大本営が広島へ進み、陸海軍大元帥陛下が親征に出発されようとしていた。謹んで一卦を筮し、大壮が泰に変じた卦を得た。
断にいう。この卦は四つの陽爻が連なって進み、上の二陰爻を破るので、その勢いは盛大であり、大壮と名づける。今、わが国が清国征討の軍を起こすに当たり、相手が兵を厳しくし城壁を固めても、なお当たることができない。ましてその防衛線がすでに破れているのだから、どうしてわが軍を防げようか。大車を平坦な道に走らせるようなもので、結果はあらかじめ決められる。爻象がこのようである以上、その吉は明らかである。そこでこの断を某高官に呈した。
『象伝』にいう。「垣根が破られたので、なお前進できる」。
九四は乾から出て震に入り、震の始まりに当たる。陽爻が陰位にいるため、剛が極端にならず、吉を得て悔いも消える。三爻にある垣根は四爻に位置する。四爻の前には二つの陰爻があるので、垣根は破られる。「輹」は車軸を縛るものをいう。坤は大きな車を表し、震の上二爻の陰が坤の気を受けるので、ここでも「大車」という。輹が丈夫なら車も強く、遠くまで妨げなく進めるという意味である。このように進めば、強くてもその強さを露わにしないので、どうして悔いがあろうか。『象伝』の「垣根が破られ、なお前進できる」とは、強さが正しい在り方を得てこそ、前へ進むことを許されるという意味である。
【占い】
○ 戦争について問う。前方の城壁はすでに破られ、車は走り馬は駆ける。遠征は妨げなく進めよう。
○ 功名について問う。互卦は乾で、辰は戌にあり、その上には奎・壁が当たる。壁は文昌をつかさどるので、文徳を尊ぶ象であり、功名は必ず顕れる。王良五星は壁の北にあり、車馬をつかさどるので、大車の象である。雷電六星も近くにあり、雷の起こることをつかさどる。これは震の雷の象である。
○ 商売について問う。満載して帰ることができ、吉。
○ 家宅について問う。この家は車馬の往来する場所にあり、家の前の垣根が荒れているので、急いで修繕すべきである。
○ 病気について問う。髪や皮膚は身を守る垣根、心神は車馬である。髪や皮膚が裂け、心神が揺らいでいるなら、病は長くは続かない。
○ 婚姻について問う。「車の輹が外れ、夫婦が反目する」とある。よい縁ではない。不吉。
○ 妊娠について問う。九四は震の始まりである。震は初めて求めて男を得るので、長男を表す。
【例】明治二十七年九月、大本営が広島へ進み、陸海軍大元帥陛下が親征に出発されようとしていた。謹んで一卦を筮し、大壮が泰に変じた卦を得た。
断にいう。この卦は四つの陽爻が連なって進み、上の二陰爻を破るので、その勢いは盛大であり、大壮と名づける。今、わが国が清国征討の軍を起こすに当たり、相手が兵を厳しくし城壁を固めても、なお当たることができない。ましてその防衛線がすでに破れているのだから、どうしてわが軍を防げようか。大車を平坦な道に走らせるようなもので、結果はあらかじめ決められる。爻象がこのようである以上、その吉は明らかである。そこでこの断を某高官に呈した。
六五。野で羊を失う。悔いはない。
六五。野で羊を失う。悔いはない。
『象伝』にいう。「野で羊を失う」とは、位がふさわしくないからである。
上卦の互卦は兌で、兌は羊を表す。五爻はまさに羊に当たる。「喪」は失うこと。「易」は「亦」と同音で、陸氏は「場」と書き、戦場をいう。易と場は古くは通用した。乾は郊外を表し、郊外の外を牧という。五爻は乾の郊外の外、すなわち牧畜の場所に当たる。牧場には家畜が逃げないよう垣根がある。卦では震の下爻を垣根とし、三爻がこれに触れ、四爻で垣根が破れ、五爻で羊が逃げる。羊が野に逃げるのは、「大道には分かれ道が多く、羊を失う」という故事に似るので、「野で羊を失う」という。五爻は震の中にあり、陰爻である。易は広く荒れた陰の地であり、陰爻が陰地に入れば強さを示さない。だから「羊を失う」象となる。また羊は性質が剛強で、角を突き合わせるのを好む。羊がいなければ突くこともなく、突かなければ剛を用いた悔いも生じない。ゆえに「悔いはない」という。旅の上九にも「野で牛を失う」とあり、ここでも「易」は「場」と書く。旅は柔であるべきなのに、その柔を失うので「凶あり」という。大壮は剛を嫌うが、その剛を失うので「悔いはない」というのである。『象伝』の「位がふさわしくない」とは、「悔いはない」が中を得ることにあって、正しい位にあることにはないという意味である。九二の「貞吉」も『象伝』は「中による」といい、やはり位にあることを条件としていない。要するに、大壮の『彖伝』がいう「貞に利あり」は、爻位ではなく事理について述べたものだと明らかである。「易」について、鄭氏は交易と解し、『本義』は「異」と同音に読み、容易の意とする。どの説にもそれぞれ取るべきところがある。
【占い】
○ 戦争について問う。三爻は「牡羊が垣根に角を突く」といい、攻撃の象である。「羊を失う」なら突くことがなく、戦事は平定されよう。
○ 商売について問う。「易」は鄭氏によれば交易で、商売の意味がある。「喪」は失うことなので、小さな損失はありそうだが、大きな悔いはない。
○ 功名について問う。得るのは吉、失うのは凶である。羊を失ってから囲いを修理しても、まだ遅くはない。晩年に望みがある。
○ 家宅について問う。この家は郊外の広々とした場所にあり、牧畜には不利である。
○ 病気について問う。「喪」は凶の象であり、不吉である。
○ 婚姻について問う。羊を引き酒を担ぐのが婚礼である。羊がなければ婚礼は成らない。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】友人某が来て言った。近ごろ、ある商品を買い占めて利を得られそうなので、占って損益を定めたい。筮して大壮が夬に変じた。
断にいう。この卦は下に四陽爻があり、その勢いが非常に強いので大壮と名づける。今、五爻を得た。五爻は外卦の中央にあり、二爻が陰なので、壮の勢いはすでに失われている。爻辞に「羊を失う」とあるから、必ず失うことがあり、得るものはない。
友人は言った。台湾の件で、軍中に必要な食料や物資を買い入れた。後日清国と開戦すれば、実に大商いになるはずだった。ところが後に和平の知らせを聞き、たちまち驚愕し、大損害を被った。三年後になっても、なお全額の弁済は得られなかったという。
【例】明治二十七年十一月二十日、某高官が訪ねて来て言った。目下、旅順口の形勢はどうか。試みに占ってみよ。筮して大壮が夬に変じた。
断にいう。わが国から旅順を占えば、旅順は清国に属するので外国である。今、五爻を得た。五爻は外卦の中央にあるから、わが国を内卦、旅順を外卦とすべきである。「失うもの」は清国、「得るもの」はわが国である。爻辞の「野で羊を失う」の「易」は容易の意。つまり激戦をしなくても得られるのである。数日のうちに、必ず勝報が届くはずだ。
数日後、旅順は陥落し、果たしてこの占いのとおりになった。
『象伝』にいう。「野で羊を失う」とは、位がふさわしくないからである。
上卦の互卦は兌で、兌は羊を表す。五爻はまさに羊に当たる。「喪」は失うこと。「易」は「亦」と同音で、陸氏は「場」と書き、戦場をいう。易と場は古くは通用した。乾は郊外を表し、郊外の外を牧という。五爻は乾の郊外の外、すなわち牧畜の場所に当たる。牧場には家畜が逃げないよう垣根がある。卦では震の下爻を垣根とし、三爻がこれに触れ、四爻で垣根が破れ、五爻で羊が逃げる。羊が野に逃げるのは、「大道には分かれ道が多く、羊を失う」という故事に似るので、「野で羊を失う」という。五爻は震の中にあり、陰爻である。易は広く荒れた陰の地であり、陰爻が陰地に入れば強さを示さない。だから「羊を失う」象となる。また羊は性質が剛強で、角を突き合わせるのを好む。羊がいなければ突くこともなく、突かなければ剛を用いた悔いも生じない。ゆえに「悔いはない」という。旅の上九にも「野で牛を失う」とあり、ここでも「易」は「場」と書く。旅は柔であるべきなのに、その柔を失うので「凶あり」という。大壮は剛を嫌うが、その剛を失うので「悔いはない」というのである。『象伝』の「位がふさわしくない」とは、「悔いはない」が中を得ることにあって、正しい位にあることにはないという意味である。九二の「貞吉」も『象伝』は「中による」といい、やはり位にあることを条件としていない。要するに、大壮の『彖伝』がいう「貞に利あり」は、爻位ではなく事理について述べたものだと明らかである。「易」について、鄭氏は交易と解し、『本義』は「異」と同音に読み、容易の意とする。どの説にもそれぞれ取るべきところがある。
【占い】
○ 戦争について問う。三爻は「牡羊が垣根に角を突く」といい、攻撃の象である。「羊を失う」なら突くことがなく、戦事は平定されよう。
○ 商売について問う。「易」は鄭氏によれば交易で、商売の意味がある。「喪」は失うことなので、小さな損失はありそうだが、大きな悔いはない。
○ 功名について問う。得るのは吉、失うのは凶である。羊を失ってから囲いを修理しても、まだ遅くはない。晩年に望みがある。
○ 家宅について問う。この家は郊外の広々とした場所にあり、牧畜には不利である。
○ 病気について問う。「喪」は凶の象であり、不吉である。
○ 婚姻について問う。羊を引き酒を担ぐのが婚礼である。羊がなければ婚礼は成らない。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】友人某が来て言った。近ごろ、ある商品を買い占めて利を得られそうなので、占って損益を定めたい。筮して大壮が夬に変じた。
断にいう。この卦は下に四陽爻があり、その勢いが非常に強いので大壮と名づける。今、五爻を得た。五爻は外卦の中央にあり、二爻が陰なので、壮の勢いはすでに失われている。爻辞に「羊を失う」とあるから、必ず失うことがあり、得るものはない。
友人は言った。台湾の件で、軍中に必要な食料や物資を買い入れた。後日清国と開戦すれば、実に大商いになるはずだった。ところが後に和平の知らせを聞き、たちまち驚愕し、大損害を被った。三年後になっても、なお全額の弁済は得られなかったという。
【例】明治二十七年十一月二十日、某高官が訪ねて来て言った。目下、旅順口の形勢はどうか。試みに占ってみよ。筮して大壮が夬に変じた。
断にいう。わが国から旅順を占えば、旅順は清国に属するので外国である。今、五爻を得た。五爻は外卦の中央にあるから、わが国を内卦、旅順を外卦とすべきである。「失うもの」は清国、「得るもの」はわが国である。爻辞の「野で羊を失う」の「易」は容易の意。つまり激戦をしなくても得られるのである。数日のうちに、必ず勝報が届くはずだ。
数日後、旅順は陥落し、果たしてこの占いのとおりになった。
上六。牡羊が垣根に角を突き、退くことも進むこともできない。何事にも利はない。困難を守れば吉。
上六。牡羊が垣根に角を突き、退くことも進むこともできない[10]。何事にも利はない。困難を守れば吉。
『象伝』にいう。「退くことも進むこともできない」とは、不吉である。「困難を守れば吉」とは、咎が長く続かないということである。
上爻は外卦の終わりにあり、三爻と応じる。上爻の羊も三爻の羊であり、上爻の衝突も三爻の衝突である。三爻は角をすり減らしているとはいえ、剛に乗じて動き、垣根を破る力があり、前進できる。たとえ進めなくても、まだ退くことはできる。しかし上爻になると勢いは衰え、位は極まり、重なる陰の中にある。後ろの道は断たれ、前の道も尽きて、どこへ帰ればよいのか。「進めない」といわず「遂げられない」というのは、ついに壮んな勢いで進む願いを成し遂げられないことをいう。三爻のすり減った角に比べても、困窮はさらに甚だしく、何の利があろうか。退くことも遂げることもできないので、「困難」と戒める。後の過ちを慎み、前の過ちを戒め、「礼に反することは行わない」なら、咎を吉に転じるのは難しくない。『象伝』の「不詳である」とは、「歩みをよく観察して吉凶を考える」ことができないため、退くことも遂げることもできない二重の窮地に至るという意味である。「咎は長く続かない」とは、困難を知り、慎重に自らを守れば、壮の勢いもここで終わり、咎もここで終わるということである。
【占い】
○ 戦争について問う。六爻は爻の窮極にあり、窮した敵を追うようなものだ。勝ちに乗じて深入りし、敗軍に苦しめられれば、進退の道がなく、凶の道である。
○ 商売について問う。一意に買い占め、商品を積んで売らず、時機が過ぎて値が下がる。本金だけを守ろうとしても、それすらできず、困窮は甚だしい。
○ 功名について問う。上爻には位が高く危うい象がある。執着して退かなければ、ひとたび災いが及んだ時、退こうとしても退けず、悔いてももう遅い。
○ 家宅について問う。上爻は震の極にあり、震は音を表すので、家中に必ず響きがある。震はまた木であり、木が動いて土に勝つので、土の精が現れる恐れがある。土の精は羊である。この家は不利なので、困難の中で自らを守るべきである。之卦は晋となり、晋には「馬を多く賜う」とあるから、咎を吉に転じられる。
○ 婚姻について問う。詳しく調べる前に、すでに一時の勢いで決まってしまった。今になって悔い改めて変えようとしても、必ずできない。今は苦しさを知って耐え守るべきで、長い後にはきっとよくなる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】ある日、杉君を訪ね、しばらく雑談していると、杉君が私に言った。昨夜、泥棒が私の倉庫に入り、品物をいくつか盗んだ。その中に勲章と礼服があり、貴重な品である。取り戻せるだろうか。占ってみてくれ。筮して大壮が晋に変じた。
断にいう。上爻は爻の極である。賊は勲章と礼服という貴重品を盗んだが、売ることもできず、自分で使うこともできない。賊には何の利もなく、計略も尽きている。爻辞の「牡羊が垣根に角を突く」は、羊の剛強で粗暴な性質を賊の無謀さにたとえたものだ。「垣根に角を突く」とは、賊がこの貴重品を近隣の垣根の間に置いたのではないか。探してみなさい。
後日、果たして隣家の塀の上からそれを見つけた。杉君は大いに感嘆して称賛した。
『象伝』にいう。「退くことも進むこともできない」とは、不吉である。「困難を守れば吉」とは、咎が長く続かないということである。
上爻は外卦の終わりにあり、三爻と応じる。上爻の羊も三爻の羊であり、上爻の衝突も三爻の衝突である。三爻は角をすり減らしているとはいえ、剛に乗じて動き、垣根を破る力があり、前進できる。たとえ進めなくても、まだ退くことはできる。しかし上爻になると勢いは衰え、位は極まり、重なる陰の中にある。後ろの道は断たれ、前の道も尽きて、どこへ帰ればよいのか。「進めない」といわず「遂げられない」というのは、ついに壮んな勢いで進む願いを成し遂げられないことをいう。三爻のすり減った角に比べても、困窮はさらに甚だしく、何の利があろうか。退くことも遂げることもできないので、「困難」と戒める。後の過ちを慎み、前の過ちを戒め、「礼に反することは行わない」なら、咎を吉に転じるのは難しくない。『象伝』の「不詳である」とは、「歩みをよく観察して吉凶を考える」ことができないため、退くことも遂げることもできない二重の窮地に至るという意味である。「咎は長く続かない」とは、困難を知り、慎重に自らを守れば、壮の勢いもここで終わり、咎もここで終わるということである。
【占い】
○ 戦争について問う。六爻は爻の窮極にあり、窮した敵を追うようなものだ。勝ちに乗じて深入りし、敗軍に苦しめられれば、進退の道がなく、凶の道である。
○ 商売について問う。一意に買い占め、商品を積んで売らず、時機が過ぎて値が下がる。本金だけを守ろうとしても、それすらできず、困窮は甚だしい。
○ 功名について問う。上爻には位が高く危うい象がある。執着して退かなければ、ひとたび災いが及んだ時、退こうとしても退けず、悔いてももう遅い。
○ 家宅について問う。上爻は震の極にあり、震は音を表すので、家中に必ず響きがある。震はまた木であり、木が動いて土に勝つので、土の精が現れる恐れがある。土の精は羊である。この家は不利なので、困難の中で自らを守るべきである。之卦は晋となり、晋には「馬を多く賜う」とあるから、咎を吉に転じられる。
○ 婚姻について問う。詳しく調べる前に、すでに一時の勢いで決まってしまった。今になって悔い改めて変えようとしても、必ずできない。今は苦しさを知って耐え守るべきで、長い後にはきっとよくなる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】ある日、杉君を訪ね、しばらく雑談していると、杉君が私に言った。昨夜、泥棒が私の倉庫に入り、品物をいくつか盗んだ。その中に勲章と礼服があり、貴重な品である。取り戻せるだろうか。占ってみてくれ。筮して大壮が晋に変じた。
断にいう。上爻は爻の極である。賊は勲章と礼服という貴重品を盗んだが、売ることもできず、自分で使うこともできない。賊には何の利もなく、計略も尽きている。爻辞の「牡羊が垣根に角を突く」は、羊の剛強で粗暴な性質を賊の無謀さにたとえたものだ。「垣根に角を突く」とは、賊がこの貴重品を近隣の垣根の間に置いたのではないか。探してみなさい。
後日、果たして隣家の塀の上からそれを見つけた。杉君は大いに感嘆して称賛した。