高島易断 · 卦ごとの解説

高島易断 · 易経 第 39 卦 水山蹇、蹇は西南に利あり、東北に利あらず。大人に見えるに利あり。貞なれば吉。

水山蹇、蹇は西南に利あり、東北に利あらず。大人に見えるに利あり。貞なれば吉。

39 水山蹇

序卦伝にいう。「睽とは乖なり。乖れば必ず難あり、故にこれを受くるに蹇をもってす。蹇とは難なり。」蹇と睽は相対するのではなく、よく似ている。睽は上が離、下が兌で、沢は潤そうとするのに上の火がこれを乾かし、働きが逆になるので睽となる。蹇は上が坎、下が艮で、水は流れようとするのに下の山がこれを止め、働きが阻まれるので蹇となる。これが蹇が睽に続く理由である。

蹇 25:西南はよく、東北はよくない。大人に会うのがよい。正しさを守れば吉。



▲ 金文の「蹇」



▲ 篆書の「蹇」

坎は北に位し、艮は北東に位する。天の運行は北から東へ、さらに南へ、西へと進み、日月は東から昇って西に沈む。これが天の道である。卦の内側が艮、外側が坎で、東から北へ向かうのは天の道に逆らうため、蹇とする。蹇は睽から来た。艮・坎は北東に、兌・離は西南に位する。北東という蹇の本来の位置に進めば、難に難が重なるので「利あらず」という。西南、すなわち睽の位置に向かえば難を救えるので「利あり」という。また、北東から西南へ向かうのは天に順うことであり、天に順う者は必ず利を得る。「大人」とは、離の明を受け継いで照らす大人である。その明徳は蹇を救うに足りるので、「見るに利あり」という。道が正しい節度を得れば、吉でないものはなく、利でないものもない。

彖伝はいう。蹇とは難であり、前方に険難があることである。険難を見て止まることができる。なんと知恵のあることか。蹇は西南に利あり。そこへ進めば中を得るからである。北東に利あらず。その道が尽きるからである。大人を見るに利あり。進めば功があるからである。位に当たり、正しく守れば吉であり、それによって国を正す。蹇の時における働きは、なんと大きいことか。

卦の体は下が艮、上が坎である。坎は水、艮は山。水が上、山が下にあり、坎は険を表すので「前に険あり」という。下の互卦は離で、離は見ること、艮は止まることを表すので、「険を見て止まることができる」という。艮についていえば止まる象を取り、蹇についていえば進む意を取るので、爻辞には「往く」と多く記される。「蹇は西南に利あり」とは、離が真南、兌が真西で、悦びと明るさがあり、離から抜け出せるので「往けば中を得る」という。北東は蹇の本来の位置で、そこへ入るのは難しいから「その道は尽きる」という。どこへ行くべきかを知れば利があり、知らずに誤って進めば利がない。「知矣哉」の三字は、蹇に処する者への戒めである。「大人」とは、至高の位にあり、徳によって蹇を救える者をいう。ゆえに蹇に関わる者は大人に会うのがよく、進んで会えば、蹇を平らげるだけでなく功を立てることもできる。だから「往けば功あり」という。二爻から上爻までは、みな位に当たり正を得ている。「貞吉」は五爻を指す。五爻は蹇の主であり、いわゆる大人とは、自らを正して万物を正す者である。だから「邦を正す」という。孔子は国を興すことについて、難を知ることを説いた。蹇は難であり、五爻の「大いなる蹇」は難を知る君主である。他の爻が皆「蹇に往く」というのは、衆知衆力を合わせて蹇を助けようとする姿である。蹇の時にあって尊ぶべきは、蹇を知ってただ止まることではなく、蹇を用いて前進することである。そうしてこそ蹇の時を救うことができ、蹇の働きも大きくなる。ゆえに「蹇の時の用は大きいことよ」という。

この卦を人事に擬する。蹇という字は足偏と「寒」の省略形から成り、謇・騫に似て、いずれも難の意味を持つ。『説文解字』では、蹇は足が不自由で、足が偏って歩行に適さないことをいう。そこに「前に険あり」が加わるので蹇となる。「蹇は難なり」とは、人が蹇難の時に遭えば、進退にためらい、足の不自由な者が前へ進めないような姿になるということだ。これがこの卦を蹇と名づけた理由である。卦象は山の上に水がある形。水は平地にあれば穏やかだが、山にあれば険しい。人がその険を見て足をすくませれば、険はそこに止まり、人もまたそこに止まる。知恵によって険を避けられても、それでどうして険を救うことができようか。爻辞が皆「蹇に往く」ということから、蹇の働きは止まれることではなく、進めることにあると分かる。だから「往けば功あり」という。しかし進むにも方向を慎重に選ばなければならない。北は坎の方角、北東は艮の方角で、坎は水、艮は山、やはり蹇難の方角である。そこへ行くのは「利あらず」、つまり「その道が尽きる」ということだ。西南は坤の方角で、坤は大地、安らぎの地である。そこへ行けば利があり、「往けば中を得る」という。位のある者を大人といい、徳のある者も大人という。険難が前にある時、進む方向を見分けられないなら、経験を積んだ老練な人に会い、正しい道を示してもらうべきである。これが「往けば功あり」である。「位に当たる」とは、その方位にかなった正しい道を進むこと。そうすれば自然に吉を得る。蹇を抜け出せば人事は通じる。通じれば、小さなことでは身を正し、大きなことでは国を正せる。蹇の時にあっては、蹇によって行き詰まり傷つくのではなく、逆に蹇を用いてその働きを大きくするべきである。ゆえに「蹇の時の用は大きいことよ」という。

この卦を国家に擬する。卦では五爻を主とする。五爻は尊位にあり、君主を表す。その爻辞が「大蹇」というのは、国家が大難に当たっているということである。坎は溝や隠れた所を表す。隠れた所に溝があれば、それは落とし穴である。艮は小道を表す。小道とは道の中でも極めて狭いもの、山中の鹿や兎の通り道であり、これも険しい地である。卦象は険、卦名は蹇。国家がこの状態にあると、上には水が塞がり、下には山が塞がり、行き交いが滞って教化も行われない。国運の困難な時に、蹇を計って功を立てられるのは、ただこの五爻だけである。彖伝の「大人を見るに利あり」は五爻を指す。五爻は進む方向を見極め、その方角の利害を審査し、蹇の働きを巧みに用いる。だから諸爻は「往く」といい、五爻は「来る」という。五爻は「朋来」の力を集め、「大蹇」の時を救うことができる。内には自らを正し、外には国を正す。これを成し遂げられるのは大人だけである。

この卦全体を見ると、上が坎、下が艮で蹇となり、位を入れ替えると蒙になる。蒙の象伝は「山下に泉が出る」という。泉が出始めた時は、正しく養うことが大切である。蹇の象伝は「山上に水あり」という。水に険がある時は、中を得るように進むことが大切である。中を得れば険を知り、険を知れば進むべき所を知り、進む所を知れば利と不利を判断でき、行き先を誤らない。そうして蹇を救うことができる。昔から、蹇に処して蹇を用いることができたのは、「位に当たり」「貞にして吉」である大人だけである。それ以下で蹇に関わる者は、皆その大人に「見るに利あり」とすべきである。ここでいう大人は、爻中の九五を指す。五爻は、蹇が一人の力だけでは救えないことも知っている。五と二は応じるので、五は「大蹇」といい、二は「蹇蹇」という。二人はせっせと力を尽くして困難を共に救い、少しでも遅れることを恐れる。五は君主の道を表す。民の危難は、君自身の危難にほかならない。二は補佐する者の道を表す。君の憂いは、己の憂いにほかならない。身をもって天下の重責を担う者は、まさにこうあるべきである。もし身を守るだけの処世哲学をまね、川を踏み海に入り、世事を聞こえない所へ置き去りにするなら、この蹇を救う力があるだろうか。初・三・四・上の爻も皆、世の道に責任を負う。ある者は戻って安らぎ、ある者は急いで救い、ある者は「大いに」見る。いずれも天下を挙げて治めようとするのである。「来誉」を受ける賢者でさえ、なお助力を待ち望む。聖人が天下を忘れられないことは、まことにこのように徹底している。しかし天下は一人の仕事ではなく、天下を救うことも一人の力ではできない。君主は人材を広く集め、衆知衆力の効果を得なければならない。臣下はその職を慎んで尽くし、翼となり助けとなる功を果たさなければならない。蹇を救うのは才能であるが、蹇を救う方法は、とりわけ徳にかかっている。象伝は「君子は身に反りて徳を修む」という。徳があれば、険を変じ、難を鎮めることができる。明夷の伝は「大難を蒙る。文王これをもってす」という。ここに文王の徳の純粋さが見える。文王は西南の吉を体現する人物であり、彖伝が「西南に利あり」というのは、まさにこのためであろう。

象伝はいう。山の上に水があるのが蹇である。君子はこれにならい、自らに立ち返って徳を修める。

山の上に水があるのが蹇である。蹇の反対卦は解であり、その象伝は「雷雨作る」という。雷雨は上から降り、雨が降れば山上の水も必ず流れ下るので、蹇は解ける。君子はこれにならって「身に反りて徳を修める」。蹇が解けにくいことを憂えず、ただ自分の徳がまだ修まっていないことを心配する。坎は悔いを表し、悔い改める意がある。艮は慎みを表し、徳の意がある。孟子は「行って成し遂げられなければ、ただ自分の身に立ち返って原因を求める」といった。これをいうのである。

  【占い】
○ 時運を問う:運勢は困難な時に当たる。いっそう奮励し、努力してこそ険難を脱せる。


○ 戦争を問う:山に入り水に阻まれた複雑な土地で、進退ともに難しい。六軍を率い、力を合わせて西南へ攻め進むべきである。そうしてこそ利を得る。

○ 功名を問う:坎の険と艮の止により、功名には障害がある。身に立ち返って努力を重ねよ。五年後に上爻に至ると、象伝に「大人を見るに利あり、貴に従う」とあるので、名を成すことが望める。

○ 商売を問う:山上の水は蓄えられて流れない。財が流通しない象であり、商売人には難しい。

○ 家宅を問う:この家は山のそばにある。山上から水が押し寄せ、塀や家屋を損なう恐れがある。向きを改めるのがよい。

○ 婚姻を問う:山と水は本来相い配するものだが、山下の水が高くなるのは配偶を失う象であり、蹇となる。成立しなければそれまでだが、成立しても必ず後悔がある。

○ 病気を問う:蹇は足の病を表す。水を渡り山に登るので、必ず歩いて進むことができない。

○ 失物を問う:まず身の回りをもう一度探すとよい。

○ 訴訟を問う:自ら引き返して訴えをやめるのがよい。吉。

○ 旅行者を問う:途中で水の出るのに阻まれ、大いに危難がある。後日、身一つで帰ることができる。

○ 妊娠:男児が生まれる。

初六:往けば蹇、来れば誉れ。

初六:往けば蹇、来れば誉れ。

象伝はいう。往けば蹇、来れば誉れ。待つのがよい。

初爻は艮の下にあり、蹇の始まりに当たる。「往けば蹇」とは、蹇の地へ進むこと。初爻から上爻の蹇まではまだ遠いので、行かなくてもよいのに、険阻を避けず、あえて難に赴く。六爻の初めにあって、義に赴くことを率先し、「朋来」の先駆けとなるので、よい誉れを得る。象伝が「待つのがよい」というのは、身を軽々しく危険にさらして一時の誉れを得るより、機を見て変化を観察し、時を待って動くほうがよいということだ。そうしてこそ、蹇を救う実功を得られる。

  【占い】
○ 時運を問う:好運はまだ来ない。慎んで守り、待つべきである。


○ 戦争を問う:前に険難があるので、まだ進んではならない。一時退いて守るべきである。

○ 商売を問う:売り先にちょうど危険がある。商品を運んで行ってはならず、しばらく値を待つべきである。

○ 功名を問う:軍に従って力を尽くせば、危険と難に赴くことになるが、賞賜を受けるので「来れば誉れ」という。

○ 家宅を問う:土地が険阻であり、転居は利あらず。

○ 病気を問う:まだ初期なので、急いで医者を求める必要はない。退いて自養するのがよい。

○ 婚姻を問う:急いで決める必要はなく、やはり待つのがよい。吉。

○ 失物を問う:急がずにいれば見つかる。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 友人某が来て、ある事について進退を決めかねているので、占って決めたいと頼んだ。筮して蹇の既済への変卦を得た。

断に曰く。卦名は蹇、蹇は難である。卦爻は初にあり、初めて難に遭うことを表す。爻辞は「往けば蹇」といい、難しい地へ赴くこと。「来れば誉れ」といい、勇んで難に赴くことを称えている。しかし象伝は「待つのがよい」という。軽々しく身を危険にさらすより、時を待って動くべきだというのである。爻の意味を味わい考えれば、難に臨んで進むか退くか、その機がありありと示されている。あなたが問うたのは、進退を決めかねている一件である。この爻を得たことで、答えは掲げて見せられたように明白になった。神機が現れ、毫厘も違わない。神妙なことこの上ない。

六二:王の臣、蹇に蹇たり。躬の故にあらず。

六二:王の臣、蹇に蹇たり。躬の故にあらず。

象伝はいう。王の臣、蹇に蹇たり。終わりにはとがめがない。

「王」は九五を指し、「臣」は六二を指す。二は下卦の中に居て、上の九五に応じる。爻の互卦は重なる坎なので「蹇に蹇たり」という。蹇を経て蹇を救い、身をかがめて力を尽くし、君に仕える真心がある。諸爻は皆「往く」といい、国難のために赴く姿であるが、二爻は国事をそのまま自分の事とし、身を顧みず難に入る。象伝が「終わりにはとがめなし」と解するのは、身を捧げて君に仕える者に、どうしてとがめがあろうか、という意味である。

  【占い】
○ 時運を問う:目下の運気は思わしくなく、険難が重なり、身一つ苦労が続く。


○ 戦争を問う:守備軍が険地に入り、重囲に陥る。龐士元が落鳳坡で倒れたような象である。

○ 商売を問う:内地へ商品を運ぶ途中で水に阻まれ、人も財も失う恐れがある。

○ 功名を問う:公のために尽くして名を求めるが、名は成っても身を保てず、死後の栄誉を受ける。

○ 家宅を問う:この家は艮山の中にあり、北東向きである。険が重なっているので利あらず。

○ 婚姻を問う:二爻は五爻に応じ、貴い家との縁組を示す。ただし後日、夫君が難に遭い、命を保ちにくい恐れがある。

○ 訴訟を問う:凶。

○ 行人を問う:凶。

○ 失物を問う:結局、見つからない。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 明治十三年某月、私は東京のある紳士を訪ねた。久しぶりに互いの近況を語り合うと、主人は言った。「近ごろ、子どもが商売のために借財を負い、昼夜奔走して処置を講じているので、私は大いに心配している」。私は言った。「このような借金は、心配しても仕方がない。よく考えて処置の方法を立てるべきだ。どうにもならないなら、占って可能かどうかを決めるのがよい」。そこで主人は自ら筮竹を執り、私は代わって祈念した。筮して蹇の井への変卦を得た。

断に曰く:蹇は困難の多い卦である。二爻は下卦の主爻であり、みずからその難を担う者を表す。ご令息は商売でこの巨額の負債を負ったため、処理に赴かないわけにはいかない。しかし借財の重荷が幾重にも重なり、すぐに片づくことはない。今、蹇の二爻を得て、爻辞には「王の臣、蹇にして蹇なり。躬の故にあらず」とある。「蹇にして蹇なり」とは、その事が難しく、さらに難しいことをいう。「躬の故にあらず」とは、その負債が商売によって生じたもので、本人一身のためではないことをいう。前後の爻象を詳しく見ると、三爻は「来たり反る」を喜びとしており、三爻が助力できないのは道理である。四爻の「来たり連なる」は、手を携えることができる意である。五爻は卦の主爻で、商売なら正当な主事者、訴訟なら裁判をつかさどる官長に当たり、「朋来る」とは、債権者たちを招き集めて共に協議することをいう。象伝の「中節」は節約の意で、負債を減らして事を収めることをいう。上六は局外の年長者で、出向いて調停する者である。したがって今は初爻の辞に従い、しばらく退いて時機を待ち、無理に奔走する必要はない。

ある紳士は易の妙に深く感じ入り、その後、果たして占いの告げたとおりになった。

九三:行けば困難に遭い、来て戻る。

九三:行けば困難に遭い、来て戻る。

象伝に曰く:行けば困難に遭い、来て戻るとは、内にある者がこれを喜ぶのである。

三爻は内卦の上にあり、艮の主爻である。上下の交わる所にあって、坎に隣接する。「往けば蹇」とは、五爻の「大いなる蹇」に赴くことをいう。五爻は三つの陽爻を正位に得て、三爻を「来たり反らせ」、内を治めさせる。三爻はもともと険を見て止まる爻であり、進むより退くことを喜ぶ。その往くのは他の爻に迫られて同行するためであり、返るのは自らを全うできるため、喜びがある。三爻が動けば比となり、比の二爻に「これに比するに内よりす」とある。ゆえに象伝はこれを「内に喜ぶ」と解したのである。

  【占い】
○ 時運を問う:運勢は困難が多く、前進は不利。退いて守るほうがよい。


○ 戦争を問う:軍を出した後、旋回して撤兵する象がある。

○ 商売を問う:去って戻らず、商品を持ち帰って内地で転売する象がある。

○ 功名を問う:国外へ使節として出るが、後に改めて国内勤務となる。

○ 家宅を問う:この家は後ろに山を背負い、前に水を臨む。初めは他所へ移ろうとするが、後には戻り、一家団らんの喜びを得る。

○ 婚姻を問う:初めは他へ嫁ごうとするが、後には戻って来る。喜ばしい。

○ 行人を問う:本日帰来する。吉。

○ 失物を問う:失うが、後に見つかる。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】明治二十三年、国運を占い、蹇が比に変じた。

断に曰く:卦名の蹇は困難の意であり、爻辞の「往けば蹇」は困難な地へ赴くこと、「来たり反る」は行ってから戻ることをいう。象伝の「内に喜ぶ」とは、戻って自らを全うできることを喜ぶのである。爻辞を詳しく解釈すれば、国運はこの時、多難に遭うことが分かる。出て行って困難を救うより、戻って内政を治めるほうがよい。五爻に至れば、大君が権を握り、朋が来て相助けるので、蹇は解決できる。すなわち三爻によって内の蹇を救い、五爻によって外の蹇を救い、互いに功を成すのである。喜ばしいことは明らかである。爻象から推し量ると、応じる時期は二年後となる。

【例】明治元年四月、友人某が来て言った。「私は近ごろ、ある藩の君主の命を受けて仕えることになり、出立の日も決まったので、別れを告げに参りました。」その威武ある容貌、腰に佩びた二本の刀は、なお藩士の昔ながらの姿である。しかし風雲の時に巡り会い、維新に志を抱く人物でもあった。前途の気運を占ってほしいと請われ、蹇が比に変じた。

断に曰く:三爻は艮の「止まる」の主爻で、上下の交わりにあるため、もともと進退を決めかねることが多い。その往くのは本意ではなく、ただ人に従って共に行くにすぎない。「来たり反る」に至れば、心中喜ばないはずがあろうか。爻辞の意はこのようなものである。今、あなたは命を奉じて出立しようとしてこの爻を得た。あなたの気持ちを推し量るに、前途に難があるため、出発を喜んでいないのかもしれない。私はあなたに、ひとまず出立の準備をしておくよう勧める。ほどなく後の命令が来て呼び戻され、内勤を命じられるはずである。

その後、友人はまだ出立しないうちに、行軍停止を命じられ、内勤として留め置かれた。

六四:行けば困難に遭い、来て連なる。

六四:行けば困難に遭い、来て連なる。[26]

象伝に曰く:行けば困難に遭い、来て連なるとは、正しい位にあって実があるからである。

四爻は上卦の初めにあり、五爻に近接し、五爻が頼み重んじる親近の臣である。「連なる」とは、君臣が一体となり、腹心や股肱の臣のように結びつくことをいう。「往けば蹇、来て連なる」とは、三爻と上爻が正応なので、上爻と共に往くことをいう。初爻の往いて待つのに比べ、また三爻の往いて反るのに比べ、実力を得ている。象伝の「当位、実なり」とは、四爻が正位を踏み、艮が実を表すので「実」と言うのである。上は尊い爻に近く連なり、下は諸爻と連絡しているから、誠実な心と真の交わりによって蹇難を救うことができる。

  【占い】
○ 時運を問う:運勢は困難険阻が多いが、人々の心を結び合わせることで危険を乗り越えられる。


○ 戦争を問う:四爻は陰柔なので、軍勢が手薄であることが分かる。しかし諸軍と心も徳も同じくし、一気に連絡を保てば、危険を脱することができる。

○ 功名を問う:「来て連なる」は、次々と昇進する象である。

○ 商売を問う:「来て連なる」とは、商人が前後相次いで来ることをいう。「当位、実なり」の「実」は充実の意で、利益が十分に上がることをいう。

○ 家宅を問う:この家は必ず隣家と接しており、地位も相応しく、家運は豊かである。

○ 婚姻を問う:必ず旧知の親族同士の縁組で、重ねて縁を結び直す。吉。

○ 病気を問う:この病は必ず長く続いており、すぐには治らない。

○ 訴訟を問う:長引いた後に決着する。

○ 行人を問う:外で道草をしており、しばらく帰らない。

○ 六甲を問う:男児。双生児かもしれない。

【例】明治二十四年、ある友人が来て、某国の枢密院の気運を占い、蹇が咸に変じた。

断に曰く:四爻は君位に比連し、親近の臣、いわゆる心腹股肱として君と一体に結ばれる者であり、まさに枢密院の位置に合う。あなたが占う某国は外国なので、応は外卦にある。爻辞の「往けば蹇、来て連なる」から、その国には近く内難と外侮が交互に起こり、枢密院の諸臣にも連座して災いが及ぶ恐れがあると知れる。諸爻は皆「往けば蹇」と言うが、五爻と二爻だけは往くと言わない。五爻は大君、二爻は内臣であり、みずからその難の中にいるからである。枢密院は本来、内臣の位にあるので、諸爻は蹇を救おうとして「往けば蹇」と言う。これは外へ派遣されることを指すのかもしれない。当面は難がまだ平らがず、気運もよくない。上爻に至って初めて蹇を脱するだろう。

【例】明治三十一年、衆議院の気運を占い、蹇が咸に変じた。

断に曰く:爻辞の「来て連なる」は、衆議を結集する象である。象伝の「当位」は、議員としてふさわしい位を得ることをいう。今、政府は戦勝後に諸邦の猜疑を受け、兵備を拡張して、あらかじめ蹇を救う策を立てようとしている。すでにその議案を議会に提出したが、議員たちは私党を結んで政府の意に応じず、政府はそのため多難となっている。上卦は坎、険であり、下卦は艮、止である。合わせて蹇となり、政府の命令が阻まれて実行できないことを示す。今、四爻を得た。四爻は五爻に近いので、衆議員の中には時局の困難を深く理解し、至尊の意を体して、議論を折衷し、国の困難を解く者が必ずいる。そのようにすれば議案は成立し、蹇も救われる。象伝の「当位、実なり」の「実」とは、空言に従うのではなく、実際にその難を救うことをいう。

当時、自由改進派は分裂し、両党が互いに争って議案は多く一致しなかった。その後、自由党が政府の意に迎合して国民協会と連合し、増税案がようやく決定された。

九五:大いなる困難。朋が来る。

九五:大いなる困難。朋が来る。

象伝に曰く:大いなる困難に朋が来るとは、中正を守り節を保つからである。

諸爻について言えば「往く」であり、五爻について言えば「来る」である。諸爻にとっては蹇はなお小難だが、五爻にとっては蹇がひとり大きい。五爻は諸爻の蹇を合わせて蹇とし、ひとりその大いなる難に当たるので「大蹇」という。君臣は義によって結び、朋友は情によって結ぶ。五爻はやや情の面から述べるので、朋の来るのを喜び「朋」と称する。五爻は充実して正位にあり、人を任用する徳が足りている。ゆえに遠近、前後の者を皆来たらせ、補佐させることができる。群才を借りて大蹇を救うのである。その救済は君主の威福によるとはいえ、諸臣も大いに力を尽くす。五爻が動くと坤の体となる。坤には「西南に朋を得る」とあり、蹇にも「西南に利あり」とあるので、ここでも「朋」という。象伝が「中節」と解するのは、五爻が正位にあって中を踏み、その節を変えないため、ついに蹇を脱することができるからである。

  【占い】
○ 時運を問う:厄運はまもなく退き、次第に危機が安穏へと変わる。


○ 戦争を問う:前には包囲されたが、今は幸い援軍が一斉に来て、一戦して包囲を脱する象である。

○ 功名を問う:至尊に近く、十分に補佐救済できる。大いに栄え、吉。

○ 商売を問う:各地の商品が集まり、一時は売りさばくのが難しい。

○ 家宅を問う:この土地は禁衛に近く、衝撃と疲弊の地、車馬が行き交う場所に当たる。民家には不向きで、会館や議院に改めるのがよい。

○ 病気を問う:これは危険な重病である。多くの医師を集めて共同で治療して、初めて快復が望める。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】明治二十年、ある顕貴の気運を占い、蹇が謙に変じた。

断に曰く:卦名は蹇、爻辞は「大蹇」であるから、困難が重なり、一人の力だけでは脱することができないと分かる。今、ある顕貴が気運を占って五爻を得た。五爻は蹇の主爻であり、蹇が大きいほど救うのも難しい。幸い、その顕貴は平素から徳望が高く、人々の心服を得ているので、朋友の助力を借りて大難を平定できる。目下は力を合わせて救済に当たる時で、まだ蹇を脱してはいない。一年後には蹇が去り、解が来て、平安無事となるだろう。

上六:行けば困難に遭うが、来れば大いなる成果を得る。吉。大人にまみえるのがよい。

上六:行けば困難に遭うが、来れば大いなる成果を得る。吉。大人にまみえるのがよい。

象伝に曰く:行けば困難に遭い、来れば大いなるものを得るとは、志が内にあるからである。大人にまみえるのがよいとは、貴い者に従うからである。

上爻は蹇の極みにあり、みずから局外に身を置くので、本来は蹇難の及ぶ所ではない。それでも爻辞が「往けば蹇」というのは、賢人君子が時世の難を深く憂え、自分が正しい位にいないことを理由に、世の治乱を見て見ぬふりをすることができないからである。「碩」は大きい意である。「来れば碩」とは、五爻がその助力を得れば、大任を任せることをいう。莘野や渭浜から出て時を救った人々のようなものである。ゆえに「来れば碩」という。蹇の諸爻は皆、蹇の中にあって吉を語らない。上爻に至って蹇が終わるので、初めて「吉」と称する。「大人」は五爻を指す。君臣は同じ徳を有し、五爻は臣の立場からこれを「朋」と呼び、上爻は君の立場から五爻を「大人」と呼ぶ。これは彖伝のいう「大人にまみえるのがよく、往けば功あり」の意である。象伝が「来れば碩」を「志は内にあり」と解するのは、上爻の応が三爻、すなわち内にあるからである。「大人にまみえるのがよい」を「貴き者に従う」と解するのは、上の陰爻が陽爻に従うからである。

  【占い】
○ 時運を問う:今は大難がすでに退き、大運が来ようとしている。表に出て仕官を求めることができる。


○ 戦争を問う:大軍がすでに集まり、一戦して重囲を脱することができる。

○ 商売を問う:商人が皆集まり、商品価格が大幅に上がる。今売れば元金を回収でき、利益も得られる。

○ 功名を問う:文名が大いに上がり、「大人にまみえるのがよい」となる。

○ 家宅を問う:この家は地位が高く大きく、災厄はすでに退き、吉星が照らしている。さらに貴人の助けを得る。

○ 婚姻を問う:貴い家との縁組を主とする。

○ 訴訟を問う:大審院の判決を受けて決着する。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】友人某が来て気運を占ってほしいと請い、蹇が漸に変じた。

断に曰く:上爻は蹇の極みにあり、極まれば必ず変じる。蹇が変じて解となろうとしており、大難がまさに解ける時である。今、あなたが気運を占って上爻を得た。爻辞に「往けば蹇、来れば碩、吉、大人にまみえるのがよい」とある。爻辞の意を考えれば、「大蹇」はすでに去り、好運が来る。吉でないものはなく、しかも大人に会いに行き、世に出て仕官を求めることができる。必ず貴人に抜擢され、仕途は順調に進む。