高島易断 · 卦ごとの解説

高島易断 · 易経 第 40 卦 雷水解:解は、西南に利あり。往くところがなければ、帰って来るのが吉。往くところがあれば、早く行くのが吉。

雷水解:解は、西南に利あり。往くところがなければ、帰って来るのが吉。往くところがあれば、早く行くのが吉。

解:西南に利あり。往くところがなければ、帰って来るのが吉。往くところがあれば、早く行くのが吉。

40 雷水解

卦体は下が坎、上が震である。震は雷、坎は水であり、また雨でもある。震と坎が交錯して、雷雨がともに起こる象となる。季節でいえば坎は冬、震は春。冬から春へ移ると、雨水が突然降り、春雷が鳴り始め、暖風がぬくもりを運び、固い氷が次第に解ける。天地に鬱結して閉塞していた気も、ひとたび雷雨に鼓舞されると、枯れたものは生じ、冬ごもりのものは起き、すべてが解け散って芽吹く。ゆえにこの卦を雷水解と名づける。

解[27]:西南に利あり。往くところがなければ、帰って来るのが吉。往くところがあれば、早く行くのが吉。



▲ 甲骨文字の「解」



▲ 金文の「解」



▲ 篆書の「解」

「解とは、緩むことである」。坎は北に位し、震は東に位する。北から東へ、さらに南、西へと転じるのは行動である。だから「西南に利あり」という。解は、蹇を解くものであり、東北から反転して東南へ向かい、震と坎を逆にしたものである。解の西南は、蹇の西南でもあるので、その利も同じである。「往くところなし」とは、蹇難が解けて困難が平らぎ、難がなければ行くべきところもないという意味である。ゆるやかに養いながら、再び回復する時を待つ。これが「来たり復して吉」となる理由である。「往くところあり」とは、蹇難は解けたものの、なお困難が残っているという意味である。難があれば必ず進まねばならない。急いで、怠らず早起きして進むので、「早くして吉」というのである。

彖伝にいう。解とは、険難の中で動き、動くことによって険難を免れることである。解は西南に利がある。そこへ往けば民衆を得る。「来たり復して吉」とは、陰陽の中正を得るからである。「往くところあり、早くして吉」とは、往いて功を立てるからである。天地の気が解けると雷雨が起こり、雷雨が起こると、あらゆる果実・草木が殻を破って芽を出す。解の時の偉大さは、まことに大きい。

按ずるに、解には二つの読み方がある。一つは古い反切で「買」の反切に近く、難を解き始めることをいう。もう一つは「買」と同じ音で、すでに解けた後の状態をいう。序卦伝に「解とは緩むことである」とある。険難がすでに解ければ、物事の情勢はゆったりするので解となる。解は蹇を解くものであり、止まれば蹇、動けば解である。険に遭えば動かないわけにはいかない。動いてこそ険を免れ、険を免れれば解となる。「西南」は坤の位である。坤は順って常道を得るので「利」といい、坤は衆を表すので「往けば衆を得る」という。往くとは内から外へ出ること、来るとは外から内へ入ることである。坤は純陰であり、震に一陽が来復するのは、大難がようやく平らいだものの、傷はいまだ癒えていない状態に似ている。必ず休養して生気を養い、元の気力を回復させなければならない。だから「往くところあり」とする必要はなく、自然に「来たり復す」のであり、それによって中を得て吉となる。二爻が六爻に変わると晋となる。晋は「明が地上に出る」卦で、日が昇り始める象なので、早朝の象がある。「晋は進むこと」だから「往くところあり」という。晋の五爻に「往けば慶びあり」とあるのは、「往けば功あり」という意味である。「来たり復す」は内を治め、早く往くのは外を治める。内外をともに治めれば、解の働きは尽きる。解は二月の卦であり、震が陽気をつかさどる。「雷がこれを動かし」「雨がこれを潤す」ので、天地に凝り固まった寒気が解け散り、万物を生み育てる機が殻を破る。睽と蹇の二卦もともに「時と用」を取り上げるが、解だけが「時の大いなるかな」と述べる。睽と蹇は用を得て成就するのに対し、解はもはや解く働きを用いる必要がなく、ただ時を待って動くものだからである。

この卦を人事に当てはめると、険難が突然解けたものの、まだ元気が回復していない時である。険中にいるときは、動かなければ脱することができない。しかし動くには、方向を慎重に見定め、さらに人々の力を得なければならない。西南は坤の順の方位であり、人を得るとは「朋来」の助けを得ることである。いったん解決した後には、再び動いてはならない場合がある。たとえば病が治ったばかりで、血気がまだ回復していない人なら、休養して身を調えるべきであり、それが中を得ることである。一方、すぐに動かなければならない場合もある。たとえば一家がようやく困窮を脱したのに、なお盗賊が残っているなら、急いで立ち上がり、これを討ち払わなければならない。それが功を立てることである。震は春である。春の気が動けば雷雨がともに起こり、天下に積もった気が解け、万物の生機が初めて通じる。人の威怒が一振りして、群がる邪悪なものがことごとく退くようなものである。六爻はみな蹇と観に対応している。初爻は難が初めて平らぎ、ただ「咎なし」を求める。二爻では難がすでに除かれ、「貞にして吉」となる。三爻では難が消えたとはいえ、寇を招いたのは自分であり、その咎も自ら招いたものとなる。四爻の難はまだ完全には解けず、人の助けを得ることを望む。五爻の難は、誠実さで心を通わせれば、小人は自ら退くであろう。上爻の難は、積もった悪がまだ鎮まっていないので、威武を加えざるを得ない。天において怒りは雷霆、恩恵は恵みの雨であり、人においては善を賞し悪を罰することに当たる。

この卦を国家に当てはめると、明夷から来て、家人、睽、蹇を経て解となる。いずれも周が興り殷が滅びる象である。解は文王が羑里の幽閉から脱した時に当たる。「西南に利あり」とは、文王の教化が西南の地に行き渡り、虞と芮の争いが和解したことをいう。「往くところなし」は崇と密を討伐したことを指し、「往くところあり」は軍を動かしたことを指す。兵を動かし衆を起こしたのは、時が険難に当たり、動かざるを得なかったからである。動かなければ険を免れられず、天下の蹇を救うこともできなかった。商の郊外で誓師した時、集まった諸侯は八百に及んだ。これは衆を得たことであり、すなわち中を得たことである。周が大難を脱したのは、この解にあり、周が大功を集めたのもまた、この解にある。王の怒りは雷のように、王の恩沢は雨のようにあるべきである。後世、天下を治める王は、周を手本とし、天を手本とすればよい。天地が調和した陽気を得れば雷雨が起こり、万物が調和した陽気を得れば芽生えと成長が生じる。治道もまた同じである。

この卦を総合して見ると、解は屯と位置を入れ替えている。屯は震の生じるところが下、坎の難が上にあり、「険の中で動く」ので、難が生じ始める象である。その象に「雲雷」とあるのは、天の気が鬱結してまだ発散できず、雨にならないことを示す。解は坎の難が下、震の生じるところが上にあり、動いて険を免れるので、難がすでに解けた象である。その象に「雷雨」とあるのは、天の気が発散し、恩威がともに施されることを示す。だから「雷雨作」と言う。解の卦義では、難の原因は坎、すなわち陰であり、難を解くものは震、すなわち陽である。初爻は解き始めに安定させ、二爻は解けた後にこれを治め、三爻は解けたばかりの難を再び招かないよう防ぐ。内側の三爻は坎に属し、坎は陰なので解を語らない。四爻の解は朋を得て助けとし、五爻の解は誠で吉を得、上爻の解は「射を用いる」ことで利を得る。外側の三爻は震に属し、震は陽なので解を語る。総じて、難が起こるのは常に小人によるが、それを解くのは常に君子による。五爻は解の主であり、その象に「君子が解けば、小人は退く」とある。ここでいう君子とは、大象がいう「過ちを赦し罪を宥める」君子である。これが解一卦の要領である。

象伝にいう。雷雨が起こるのが解である。君子はこれにならい、過ちを赦し、罪を宥める。

按ずるに、十二消息卦を考えると、坎は十二月から正月に当たる卦である。坎の五爻・六爻は雨水・啓蟄に当たり、震は二月から四月に当たる卦で、震の初爻は「雷すなわち声を発す」時に当たり、三爻は穀雨に当たる。解は二月の主卦であり、象伝の「雷雨作」は、その時節に応じて取った象である。坎は罪と災いを表すので過ちと罪があり、震は緩みと生を表すので「赦」と「宥」を用いる。君子はこれにならい、号令は雷の震えのように天下を揺り動かし、恩沢は降る雨のように天下の人々を喜ばせる。長く閉じ込められ拘束されていた人が、突然「過ちを赦し罪を宥める」恩恵を受け、禁錮を解かれ、手かせ足かせを外されれば、陥穽から出て再び日の光を見るように、その憂鬱で鬱結した気はことごとく解け散る。これこそ君子が民とともに新しくなり、これによって万民の難を解くことなのである。

  【占い】
○ 時運を占う:災難から脱し、大いに奮発して振るい立つ象がある。


○ 戦争を占う:威武を一度振るえば、大きな賊を討ち滅ぼし、小さな賊は服従する象である。

○ 功名を占う:名声が百里に響き、恩沢が群生に及ぶ兆しがある。

○ 商売を占う:時を得て令を得、「雷雨の動きが満ちあふれる」象で、大いに利がある。

○ 婚姻を占う:震の雷と坎の雨が陰陽を交わらせ、子孫の生育が盛んになる。吉。

○ 家宅を占う:天盤には動きがあり、地盤には難がある。祈祷して解免を願うのがよい。

○ 旅人を占う:ほどなく帰れる。ただし小さな災難に注意すれば、咎はない。

○ 訴訟を占う:幸い寛大な処置を受け、無罪となる。

○ 妊娠:男児が生まれる。

初六:咎なし。

初六:咎なし。

象伝にいう。剛と柔が交わるので、道理上、咎はない。

初爻は解の初めにある。大難がようやく平らいだ時で、功を求めず、ただ咎がないことを願う。初爻は四爻と応じ、四爻の力に頼って険を解くので、「咎なし」という。象伝のいう「剛」は四爻を指し、「柔」は初爻を指す。「際」とは初爻と四爻が相応し、陰陽が交わることであり、その道理から咎はないのである。

  【占い】
○ 時運を占う:困難が初めて解ける時。時を安んじ分を守れば、自然に咎はない。


○ 戦争を占う:重囲をようやく脱したばかりなので、鋭気を蓄え精力を養うべきである。みだりに動かなければ、咎なく保てる。

○ 商売を占う:損失を招かないだけでも幸いである。

○ 功名を占う:当面は旧態を守るしかない。

○ 家宅を占う:平安で害はない。

○ 訴訟を占う:和解するのがよい。

○ 婚姻を占う。平凡である。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】明治二十四年三月、鄭永寧が清国公使館内と内通して書簡を交わしたとのことで、一時論議が沸騰し、真偽を見分けられなかった。製紙分社長の陽其二氏が来書して、一卦を占い虚実を判じてほしいと依頼した。筮して解が帰妹に変じた。

断にいう。解とは釈であり、堅い氷が暖気を得て解け散る象である。初爻に「咎なし」とある。易の爻辞で、ただ「咎なし」とだけ言うのはこの爻一つである。まるで天が口を開き、鄭氏に罪がないことを証明しているかのようだ。さらに解とは、罪過から解放されることをいう。初爻の陰は鄭氏を、四爻の陽は清国公使を表す。陰陽が相応じているので、両者の情分はかなり厚いと知れる。しかし国家の大義には、少しも関わりも害もない。象伝に「君子は過ちを赦し罪を宥める」とある。後日、審理する役人も事情をくんで必ず赦し宥め、根拠のない文書を理由に追及することは決してないだろう。

九二:田に三狐を獲、黄矢を得。貞にして吉。

九二:田に三狐を獲、黄矢を得。貞にして吉。

象伝にいう。九二は貞にして吉。中道を得ているからである。

「田」とは狩りである。上卦の互卦は坎で、坎は狐を表す。下卦の互卦は離で、離は黄矢を表す。狐は陰の獣で、人を惑わすのに長けている。そこで、妄邪な小人が君主の聡明さを惑わすことにたとえる。「三」は数が多いことをいう。「黄」は正しい色、「矢」はまっすぐという意味である。二爻は陽でありながら陰位に居るので、剛柔が中を得ている。上では六五と陰陽相応じ、よく大君を補佐し、賢者を進め、邪を退け、それによって時の難を正し救う者である。難を解くには、まず狐を追い払わなければならない。そこで離の矢を坤の田に向け、坎の狐の群れを捕らえてことごとく滅ぼす。そうすれば内政は清らかに鎮まり、険を済ませ危を脱し、一世を中道へ導くことができる。これが九二の「貞にして吉」である。

  【占い】
○ 時運を占う:邪を去って正に帰れば、自然に安泰と吉を得る。


○ 戦争を占う:「田」は獣を狩る場所であり、戦争において敵を狩ることに当たる。狐を獲るのは敵の首領を捕らえること、矢を得るのは敵の武器を得ることに当たる。だから「貞にして吉」である。

○ 商売を占う:「田」は獣を狩る場所、商人にとっては利を追う場所である。「三」は多数、「黄」は黄金を表す。必ず大きな利益を得る。吉。

○ 功名を占う:「獲る」「得る」とあるので、功名は望める。吉。

○ 家宅を占う:この家には狐のたたりがある恐れがある。これを捕らえて除けば吉となる。

○ 婚姻を占う:まず側室を置き、その後に正室を迎えることになる。黄は正色で、正配を表す。吉。

○ 病気を占う:狐に魅入られた邪病の恐れがある。弓矢を構えてこれを追い払えば吉。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】ある商人が気運を占い、解が豫に変じた。

断にいう。狐を獲り矢を得るので、財を狩り、名を狩り、どこへ行っても利があることを知る。あなたの災難はすでに解け、求めるものは必ず得られる。まさに好運が動き始め、時を得た雷雨の象である。「黄」は正色、「矢」は直を表す。あなたの品行も正直で、狐の誘惑に惑わされない。正をもって邪を治めることができるので、「貞にして吉」となる。

【例】明治二十五年、私は鼻茸を患い、呼吸が通らず、話をするのも困難で、たいへん苦しんでいた。金杉某が独逸に留学して鼻科を専門に学び、帰朝して医院を開き診療していると聞いた。そこで治療を受けたいと思い、筮して解が豫に変じた。

断にいう。内卦は水の険、外卦は雷の動であり、動いて険を免れる象である。だから座して見ているべきではなく、速やかに治療して病の難を解くのがよい。第二爻を得たのは坎の主であり、動いて豫に変じるので、予防的に治療する象がある。「田」は狩猟、「狐」は怪物、「黄矢」はその怪物を射る矢である。今、鼻中の腫れものは身体の怪物である。「三」は数の多いことを表し、「黄矢」はおそらく治療の器具を表す。爻は詳しく観察する価値があり、その象は吉である。

そこで私は金杉氏に治療を頼んだ。金杉氏は一度診察しただけで、治しやすいと言った。まず麻酔薬を用い、銅線に電気を通して腫れものに掛け、ついにその腫れものを切断した。腫れものの数は一つではなかったが、すべて切り取られ、病苦はたちまち解けた。医術の妙は実に驚嘆すべく喜ばしいものであったが、易の機があらかじめ示したものが、その病状とことごとく合致していたことには、さらに驚嘆せずにはいられない。ああ、易とは、森羅万象の事物を三百八十四爻の中に照らし尽くし、その霊妙な働きを一つひとつ発露させ、天下後世の人々に教えを垂れるものである。これこそ聖人が聖人たるゆえんである。

【例】 相州横須賀で砲台の築造が行われ、また大規模な造船工場も建設されていた。毎年、海面を埋め立てるため、久しく大倉久米が請け負っていた土・石炭・岩石を採取した。その岩石は船で海岸の築造現場へ運び、小蒸気船に曳かせて速やかに輸送していた。そこで大倉組は自ら運搬船を造り、雇い船による強要やその他の弊害を免れ、指揮も適切で利益を独占していた。官庁が一人だけで請け負っていることを知ると、弊害を避けがたいとして、高島嘉兵衛にその役を分担させようとした。すると大倉組はこれを嫌い、船夫らに密かにあらゆる妨害をさせ、さらに故意に賃金を過大に支払わせたため、毎日の損失は七、八百円を下らず、双方ともこの困難に苦しんだ。そこで私は一卦を占い、解が豫に変じた。

断に曰く、『彖伝』は「解は、険にして動き、動いて険を免る」といい、動いてこそ危険を脱せることを明らかにしている。この占に当てはめれば、二爻と五爻が争いの主である。今、二爻を得た。二爻は内卦にあるので高島氏に属し、五爻は外卦にあるので大倉氏に属する。二爻の負担は四爻に妨げられ、そのため互いに言い争い、双方が損失を受ける。爻辞の「三狐」は、事を狡猾に妨げる三人をいう。「黄矢」は、こちらに正直に事に当たる一人がいることをいう。矢で狐を射れば、狐は退く。四爻の「朋至りてここに孚あり」とは、仲に入って和解を説く友が来ること、また二爻と五爻の両主が互いに心を通わせ、争いをやめられることをいう。五爻は本来君子であるが、初めは小人に惑わされたので、「君子解くことあり、小人退く」とある。

そこでこの占に従い、横山孫一郎に高島氏の意向を大倉氏へ伝えさせたところ、事はついに平和に収まった。

六三。背負いながら乗り物に乗る。賊を招く。正しくしても恥ずべきこと。

六三。背負いながら乗り物に乗る。賊を招く。正しくしても恥ずべきこと。

『象伝』に曰く、「背負いながら乗るのは、まことに恥ずべきことである。自分から戦乱を招いたのだから、いったい誰を咎められようか」。

「負」とは盗んだ物をひそかに背負うこと、「乗」とはぜいたくな乗り物に乗ること。「負且乗」とは、盗人でありながら公卿の地位にいる者をいうので、「恥ずべきこと」なのである。「寇至らしむ」とは、坎が盗賊を表すからである。六三は坎の体に位置し、もともと盗賊である。時勢に乗じて地位を盗み、立派な馬車に乗っている。それを別の盗賊が見れば、「あれも盗賊だ。今や堂々と負い、乗っている。ならば自分も取って代わることができる」と思う。これは盗賊を盗賊だと名指すということである。危難がようやく解けたばかりなのに、盗賊をみだりに高位に置くなら、人を登用する者の過失ではないか。だから「自分から戦乱を招いた」といい、ほかに誰を咎める理由があろうか。「吝」とは、すなわち恥である。

  【占い】
○ 時運を問う。運は悪くないが、平素の行いが正しくないため、人から軽蔑され笑われる。


○ 戦争を問う。戦端は自分から開き、群盗が一斉に起こるため、しばらく平定しにくい。

○ 商売を問う。盗難や強奪の災いに注意せよ。

○ 功名を問う。猿に冠をかぶせたようなものだ。どうして長く続こうか。

○ 家宅を問う。門戸の警戒を怠るか、人の使い方を誤り、盗賊を招く。

○ 婚姻を問う。双方とも正しい家柄ではなく、富んではいても仁に欠ける者である。「恥ずべきこと」。

○ 訴訟を問う。双方とも道理が立たない。

○ 旅人を問う。満載して帰って来るが、来た道は正しくない。

○ 失物を問う。すでに盗まれて持ち去られており、戻らない。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 ある人が来て、某区長の品行を占ってほしいと頼んだ。得卦は解が恒に変じた。

断に曰く、「負」は肩に担うことで、小人の役目である。「乗」は車に乗ることで、君子の分である。「負且乗」とは、小人でありながらひそかに君子の分を占めることをいう。これを見た盗賊は、「あれも盗賊だ。盗賊の身で目立っているのなら、なぜ自分だけ目立ってはいけないのか」と思う。だから盗賊が盗賊を招き、恥には理由がある。この爻辞から見れば、某氏が区長になれたのも盗賊が奪い取るようにして得たのであり、後ろには必ずそれを狙う盗賊がいる。どうして長くその任にとどまれようか。ほどなく、果たして罷免された。

九四。足の親指を解き放つ。友が来て、ここに信頼が生じる。

九四。足の親指を解き放つ。友が来て、ここに信頼が生じる。

『象伝』に曰く、「足の親指を解くとは、位が正しくないからである」。

四爻は震の初めに位置する。震は足を表し、「拇」は足の親指である。四爻は解の主爻で、解とは蹇を解くことである。蹇は足の病であり、病が一つの親指だけにあるなら蹇とはいえず、一つの親指だけを解いても解とはいえない。四爻は正位にないため、蹇を完全に解くことはできず、ただ「なんじの親指を解く」とする。「なんじの親指」とは四爻を指して、汝と呼んでいるのである。解の四爻は蹇の五爻から来ており、蹇の五爻に「朋来る」とあるので、解の四爻では「朋至る」という。四爻も自分には蹇を解ききれないことを知り、ただ「朋至る」ことによって助け合い、事を処理できるよう願っている。親指から心へと及び、心と心が通じ合えば、蹇は完全に解ける。坎は信を表すので、「孚あり」という。

  【占い】
○ 時運を問う。年齢はすでに壮年の働き盛りに当たるが、運行が適切でなく、すべて人に頼って事を成す。


○ 戦争を問う。砲弾で足を負傷する恐れがあるが、幸い救援軍が力を発揮し、包囲を解ける。

○ 商売を問う。得るところは甚だ少ない。ただ皆の心が通じ合えば、一、二年後には大きな利益を期待できよう。

○ 功名を問う。拇は足の指で、最も卑しい位置にある。五爻の「君子解くことあり」に至るまで、次の科挙を待って初めて榜に登る望みがある。

○ 家宅を問う。この家は地勢が低く、位置も適当でない。旅籠か店舗にする程度である。

○ 婚姻を問う。力のある仲人が取り持って、初めてまとまる。

○ 訴訟を問う。友人が現れて双方を説得し、訴えをやめさせることができる。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 群馬県高崎市の某甲から手紙が来た。「私の近隣に乙某という者がおります。その一人息子が重病にかかり、榛名神社に祈願したところ、数日もしないうちに快癒しました。乙某は大いに喜び、子を伴って神社へお礼参りに行きました。ところがある日、乙某は遺産の金をすべて子に託して、『自分の居所では殺される恐れがあるので、突然出立する』と言い、子とともに出て行きました。後を追って探しましたが行方が分からず、一家は悲嘆に耐えません。どうか一占を煩わせ、吉凶をお占いください」とあった。その時私はたまたま病気だったので、門弟に筮させ、解が師に変じた。

この占を見て、私は門弟にどのように断ずるつもりか尋ねた。門弟は答えた。「乙某は山に入ったのでも、水に身を投げたのでもなく、東方の友人宅にいるだけです。『彖伝』に『解は、険にして動き、動いて険を免る』とあります。乙某自身が殺されるのを恐れて逃げたと言っているのだから、これは危険によって動いたのです。逃げて危険を避けたのは、まさに『動いて険を免る』です。爻辞に『なんじの親指を解き、朋至りてここに孚あり』とあります。『拇』は足の親指で、父子は一体、子は下にあるので足の指に当たります。金を託して別れたのが親指を解くことです。『朋至りてここに孚あり』は、明らかに友人の家にいることを示します。『孚』とは、友人の一言を聞いて心を動かされたということです」

私はその断定が適切だったので喜び、判語を書き記して手紙で知らせた。その後、某甲に会ってこの占について尋ねると、乙某の行方はまさに貴占のとおりだったという。

六五。君子は解くことがあり、吉。小人にも信頼される。

六五。君子は解くことがあり、吉。小人にも信頼される。

『象伝』に曰く、「君子に解き放つところがあれば、小人は退く」。

この「君子」は、大象がいう「過ちを赦し罪を宥める」君子である。五爻は尊位にあって二爻と応じ、二爻が中道を得て群邪を除くことができるので、五爻はそれに従って事情をくみ、罪を赦して、もはや追及しない。これが、無理に解こうとせずに解を成すことである。小人も心を動かされて信頼するので吉となる。『象伝』の「君子解くことあり、小人退く」は、君子が力ずくで小人を追い払う必要はなく、小人が自ら心服して、君子と同席することを恐れるという意味である。昔から姦邪が政治を害するのは、君子が小人を感化できず、小人も君子を信じ服さないため、互いに排斥し合うからである。同じ失敗が繰り返されるのは、六五の「解くことあり」の意味を明らかにしていないからである。

  【占い】
○ 時運を問う。正しい運勢が通じ、群邪はことごとく退く。


○ 戦争を問う。一人も殺さず、一矢も加えず、外夷が来て服する。

○ 功名を問う。君子には利があるが、小人には利がない。

○ 商売を問う。苦心して計画をめぐらさなくても、自然に利益を得る。

○ 家宅を問う。この家には福星が照り臨み、邪気や魔物は遠ざかる。

○ 婚姻について問う。吉。

○ 行人を問う:すぐ帰る。

○ 病気を問う。外邪が解散し、正気が回復する。吉。

○ 訴訟を問う。道理の立つ者が勝ち、理の曲がった者が服して、訴訟は終わる。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 友人の横山孫一郎氏が来て言った。「先ごろ新聞で福地氏が入獄したと報じているのを見ました。この老衰した身で、しかもこの炎暑に遭っては、その苦難は言い尽くせないでしょう。原因を推察するに、草文によって金を得たことは、収賄して私利を図った者とは本来別です。公冶長が牢獄につながれた時、孔子は特に罪がないことを明らかにしました。私は福地氏の救済策を考えたいので、どうか一占をお願いします」と。得卦は解が困に変じた。

断に曰く、解とは解散である。第五爻を得たのは解の主爻であり、爻辞に「君子は解くことあり」、さらに「吉」とある。「君子」と称することから、罪は本人の罪ではなく、罪名のためにその人物を卑しめてはならないと分かる。「解くことあり」とは、誰かに救われなくても自然に罪から脱することである。「小人にも孚あり」とは、事件を起こした小人も、君子を陥れたことを知って心に忍びず、自ら罪を認めて退くことをいう。福地氏はしばらくその厄を受けるが、やがて安泰と吉を得る。そこで私は東京裁判所の検事に直接会い、この易の判断を詳しく話したところ、数日もしないうちに福地氏は出獄した。

これを読んだ知人の永井泰次郎氏が、訴訟事件の嫌疑で連行されることになり、その妻が来て一占を求めたところ、またこの爻を得たので、直ちにこの判詞を告げた。永井氏も果たして無罪として放免された。事件も同じ、爻も同じ、応験もまた同じであったので、ここに付記する。

上六。公、弓を用いて高い城壁の上の隼を射る。これを捕らえ、よくないことは何もない。

上六。公、弓を用いて高い城壁の上の隼[28]を射る。これを捕らえ、よくないことは何もない。

『象伝』に曰く、「公が隼を射るのは、反逆を解き除くためである」。

震は諸侯を表すので「公」という。坎は弧や弓を表すので「射る」という。卦の上の互卦は離であり、離は飛ぶ鳥を表すので隼の象がある。四爻が動くと坤となり、坤は城壁を表すので、城壁の上の象となる。上爻は解の極にある。初爻から五爻まで、剛を用い、柔を用い、厳しくし、寛大にするなど、内難を除く手段はすべて尽くされている。それでも上爻には、猛禽のように強く荒々しいものが外に飛翔している。そこで五爻が上爻に命じる。「公よ、坤の城壁に登り、離の弓を張り、一矢をつがえて射よ。その首魁を捕らえれば、よくないことは何もない」。これが反逆を解くことである。坎は反逆を表すので、この反逆者を滅ぼせば、内患も外敵もすべて掃い平らげられる。前の諸爻は彖伝のいう「その来たること復すれば吉」であり、上爻は彖伝のいう「往くところあり、早くすれば吉」である。

  【占い】
○ 時運を問う。運の道は吉順である。外出すると小盗賊に遭うことがあるので、急いで警戒せよ。


○ 戦争を問う。敵兵が城外を略奪する恐れがある。高みに伏兵を置いて矢を射れば、必ず捕らえられる。

○ 商売を問う。商品を外へ運ぶ時は盗難や強奪に注意せよ。厳重に備えれば、失うものがないだけでなく、盗賊の食糧まで奪い取れるので、「よくないことは何もない」という。

○ 功名を問う。爻が公と称するので、すでに高貴で顕要な身分であり、外に出て功を立てるべきである。

○ 家宅を問う。塀を高くして、外からの盗難に備えるべきである。

○ 婚姻を問う。『詩経』に「鴨と雁を射る」とあり、射る象がある。吉。

○ 訴訟を問う。反逆の勢いは自ら解ける。吉。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 鎌倉円覚寺の住僧、今北洪川和尚は仏典に広く通じ、当代の高僧であった。ある日私は鎌倉を遊歴し、和尚を訪ねようと思った。私が語るのは易の道理、和尚が語るのは禅の味であろうが、禅の三昧と易の六爻の趣旨が果たして一致するかどうか分からなかった。そこで試みに一占を立て、解が未済に変じた。

断に曰く、仏法は解脱を宗旨とし、煩悩から解脱する意味を取る。今、解の上爻を得たが、「解」とはいわず「射る」といっている。これは仏法を用いて外魔を摂伏し、内なる本性が定まれば外魔は自然に消えることをいう。解にいう「三狐」は内魔、上爻の「隼」は外魔であり、その趣旨は同じである。今日、和尚が私に語ることも、おおむねこのようなものだと分かった。そこで私は卦の意味に沿って道歌を一首書き、それを懐にして和尚を訪ねた。和尚は私を禅堂に招き入れ、茶を飲みながら長時間語り合った。仏法と易の道理は、それぞれ極みまで妙を尽くしていた。私は道歌を取り出して示し、互いに笑って別れた。

【例】 ある日、横浜の商人左右田金作氏が来訪し、利根運河株式会社の株価の高下を占ってほしいと頼んだ。得卦は解が未済に変じた。

断に曰く、解は動いて険を免れる卦である。今まさに株を売り払えば、得難い利益を得て後日の災いを免れるので、「よくないことは何もない」という。高い城壁の上に隼が集まっているのを見て、一矢で射落とし、後患を除くようなものである。もしぐずぐずして時機を失い、損の卦に至れば、必ず損失ばかりで利益はない。氏はこの言葉に従い、一度に売って利益を得た。その後、利益が出るのを見て再び買い、損失を招いたという。

【例】 明治三十一年、伊藤内閣の運勢を占い、解が未済に変じた。

断に曰く。爻辞に「公」とあるのは、内閣にふさわしい称号である。内閣は高い地位にあるので「高墉」という。「隼」は政党の首領を指す。政党の首領は官位の外に身を置き、飛揚跋扈して、たびたび政府を困らせること、隼が猛々しく獲物を奪い、善良な人々を傷つけるようである。五爻の君主は、公に高所へ登らせ、射てこれを捕らえさせる。「歼」と言わず「獲」と言うのは、隼が本来は有用な人材で、もとより功労もあるため、捕らえて用い、その働きを収めようとするからである。それゆえ「これを獲れば、何事にも不利はない」という。象伝に「悖を解く」とあるのは、解卦によって反逆の心を取り除き、帰順させようとする意味である。内閣がみずから総理の任を担い、文徳を修めるだけでなく武功も備え、内難を鎮め外侮を抑えることは、まさに公の得意とするところである。解卦の上にあって難を解くことこそ、今の公の時機なのである。

しかし、解くこと自体が難しいのが解卦であり、解の位もまた解くことを意味するので、とりわけ公は慎重に吟味しなければならない。そこでこの占を内閣に呈した。その後、内閣は大隈伯と板垣伯を推薦し、私にこの占断が正しいかどうかを尋ねた。私は答えた。一羽の隼を捕らえ、さらにもう一羽を獲ようとしている。しかし、捕らえた隼は羽を振るわせて飛び立とうとし、手を放せば、二度と捕らえられない恐れがある。二羽の隼は互いに争い、共存できないだろう。公はついに内閣を辞したが、これもまた解卦の意味にかなっている。