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高島易断 · 卦ごとの解説
高島易断 · 易経 第 41 卦 山沢損。損は、誠があれば大いなる吉で、咎はなく、正しく守ることができる。進むところがあるのはよい。何を用いるかといえば、祭器二つでも供物に用いることができる。
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山沢損。損は、誠があれば大いなる吉で、咎はなく、正しく守ることができる。進むところがあるのはよい。何を用いるかといえば、祭器二つでも供物に用いることができる。
損は、誠があれば大いなる吉で、咎はなく、正しく守ることができる。進むところがあるのはよい。何を用いるかといえば、祭器二つでも供物に用いることができる。
41 山沢損
この卦は上が山、下が沢である。山は高いので、高いものがさらに高くなることを「上を益す」という。沢は低いので、低いものがさらに低くなることを「下を損す」という。したがって、下を損じて上を益すのが損卦である。本来、下は益すべきものであり、下に益を置いて上を損ずるのが益卦である。損と益の道理は確かに反対だが、その働きは互いに補い合う。人はただ損だけを知って、益が損じたものを益することを知らず、ただ益だけを知って、損が益したものを損ずることを知らない。だから序卦では損を先にし、益を後に置く。事は初め簡単で後に煩雑となり、礼は初め質素で後に奢侈となり、物は初め空で後に満ちる。ゆえに易の道はまず損から始まる。沢を損じ、益を益すことが損卦となる理由である。
損[29]――信があれば、大いなる吉で、咎はない。正しさを守ることができ、進んで事を行うのがよい。二つの器を用いるだけでよい。それで祭祀を行える。
「損」は「咸」に通じる。心があれば感、心がなければ咸である。咸は感じて信じることなので「孚あり」という。損ずるものが心の中心から出る誠実さによるなら、人に信を得るに足りる。そうでなければ、損は節倹を主とするのに、倹約が礼にかなわなければ、ついには非難を招き、咎を免れない。どうして「大いなる吉」といえようか。損しても「孚あれば」、人はその誠を感じ、おのずから「大いなる吉」を得る。さらに何の咎があろうか。正しく行うこともでき、これによって進めば、どこへ行っても不利はない。損はこのように質素であるのだから、なぜ豊かさを用いる必要があろうか。簡素な「二簋」でも「供え物に用いる」ことができる。それは人に誠を示すだけでなく、神明にも誠を通じさせるのである。
彖伝にいう。損とは下を損じて上を益し、その道が上へ行くことである。損して孚あれば、大いなる吉、咎なく、正しく守ることができ、進むところがあるのはよい。何を用いるかといえば、二つの祭器でも供物に用いることができる。二器を用いるべき時があり、剛を損じて柔を益すべき時もある。損と益、満ちることと空しくなることは、時とともに進む。
損とは減らすことである。下にある乾の剛を減らし、上にある坤の柔を益すので、「下を損じて上を益す」、また「剛を損じて柔を益す」という。益が上にあるので「その道は上へ行く」という。「孚あり」とは、誠をもって損を行えば、下の者は損を受けてもその損を苦にせず、上の者も益を受けてもそれを嫌わないということだ。上下が互いに信じ合えば、これ以上の吉はなく、何の咎があろうか。「貞」は正しいこと、まだ信を得ていないものを正すことができるという意味である。艮は上にあり、艮は止まることを表す。艮が益を得れば、止まるのではなく進むものとなるので、「往くところがあるのはよい」という。損にはすでに孚があるから、おのずから咎はない。なぜ豊かな供えを用いる必要があろうか。さらに損を重ねれば、「二簋」だけでも供えに用いることができる。震は祭祀を表し、艮は宗廟を表すので、供え物をする象がある。「簋」は黍や稷を盛る器である。礼では簋を八つ、または六つ用いることが多いが、今二つだけ用いるのは損に従うからである。誠をもって供えるなら、二簋でもよい。しかし損は時に応じなければならない。損すべき時なら、粗末な羹でも倹約とはされない。損すべき時でなければ、豚の肩肉でさえその狭さを傷つける。ゆえに損益・盈虚は、何よりも「時とともに行う」ことが大切なのである。
この卦を人事に当てはめると、損とは節約である。財を節するのも損であり、欲を節するのも損である。財を節するのは実用に役立てるため、欲を節するのは心を清めるためであり、これは人事の要である。ただし、損じるべきものを損じれば、減らしても人は損とは思わない。損じてはならないものを損じれば、実際には何も減っていなくても、その損を疑われる。人事でたびたび咎を招くのは、損ずべきものを損じながら、人の信を得られないことから起こる。人に信じられなければ、損ばかりで益がなく、咎も免れない。どうして吉を得られようか。損が大きく益が小さく、止めることさえできないなら、どうして進めようか。だから損卦はまず「損、孚あり」と言う。卦の体は上が艮、下が兌である。艮は止まり、兌は喜びである。孚があれば喜びと止まりが相承け、「山沢気を通ず」となり、剛柔は志を合わせ、上下は互いに信じる。自分がその損を喜んで受け入れるだけでなく、他人もそれを損とは疑わない。家に用いれば家計が節約され、身に用いれば情欲が少なくなり、その働きを極めて神明に通じさせれば、神明もその誠を受ける。倹約に従えば豊かさを用いる必要はなく、進むところがあって、どうして不利であろうか。すべては時による。損ずべき時でないのに一律に節倹に従えば、あるいは人を損じて自分を益すと非難され、あるいは公を損じて私を益すと責められる。これは人事の災いであり、咎を何にかこつけて免れられようか。ゆえに人事は天の時を察しなければならない。日月の満ち欠け、寒暑の往来を観れば、「損益・盈虚、時とともに行う」道を知ることができる。
この卦を国家に当てはめる。国家の制度では、田には租税があり、市には課税があり、商品の出入りには関税がある。これらはすべて下を損じて上を益すことである。国家が全盛の時には、上にある者は下に取り立てる必要がなく、下の者もみずから喜んで上に貢納する。上は仁を施し、下はその徳を慕い、朝廷と民間が一心になる。平時には私有の小豚や豚を献じて上を奉り、有事には食物を籠に、飲み物を壺に入れて軍を迎える。これが「信を得れば民が任ずる」ということである。信を得れば上下は互いに孚を通じ、その道には吉があり咎がなく、用いればどこへ行っても不利はない。その要点は時とともに行うことにあり、豊かさではなく簡素さを取り、物ではなく誠を重んじる。そうすれば国を豊かにし財を整えることができ、さらに宗廟にまで通じさせられる。国家の損益・盈虚は、ただ天の法に倣い、時に応じることにある。六爻は損を語り、盈虚を斟酌し、彼我を審らかにし、始終を測る。それぞれに意味がある。初爻は「損を斟酌し」、二爻は「損なわず」、三爻は「一人を損じ」、四爻は「病を損じ」、五爻は損と言わず、上爻も「損なわない」と言う。卦は損と称するのに、爻の多くは損を語らない。初・二・上は皆「志」と言い、三は「疑い」、四は「喜び」、五は「助け」と言うが、いずれも孚を取るのである。国を治める道は、まず民心を得ることにある。民心を得ていなければ、上が恵みを施すと言っても、民は感謝すべきことを知らない。民心を得れば、民は「われら小民の飲食や日々の暮らしは、みな上が施してくださるものから出ている。どうして私物として自分だけのものにできようか」と言う。損じられても恨みとはしない。損卦が冒頭に「孚あり」という二字を掲げる意味は深く、最もよく体得して味わうべきである。
卦全体を見ると、下体はもと乾の三画で、すべて剛であり、余りがあるので損ずべきものである。上体はもと坤の三画で、すべて柔であり、不足しているので益すべきものである。これが「下を損じて上を益し、その道は上へ行く」という意味である。損と益は盛衰の機であり、否と泰の兆しでもある。損は泰から来、益は否から来る。損では二爻と五爻が位を失い、益では二爻と五爻が位を得るので、否と泰が相反することがわかる。損は兌の余りをもって艮の不足を補い、上下が和合し、止まりと喜びが相承ける。だから益卦では孚を待たずに民が喜ぶが、損卦ではまず孚があって初めて吉となる。損は人情の欲しないものだが、人情はもともと不足を憂えて満ちることを求める。君子は反対に満ちきることを嫌い、節制を考える。「二簋」は質素ではあるが、宗廟に供えることができる。要は誠を貴ぶことにある。「二簋」は兌の二陽を指し、簡略であることを示す。上卦の爻辞は多く孚の意味を取り、下卦の爻辞は多く供物を用いる象を取る。合わせて、喜びと止まりの意義を表している。ただし、剛をすべて損じ、柔をすべて益せばよいということではない。損ずべき時には損、益すべき時には益であり、人の力で無理に成し遂げられるものではない。ゆえに「剛を損じ柔を益すには時があり、損益・盈虚は時とともに行う」という。
大象にいう。山の下に沢があるのが損である。君子はこれを見て、怒りを懲らし、欲望をふさぐ。
大地は益によって山となり、損によって沢となる。山と沢はもともと損益によるもので、益さなければ山は必ず崩れ、損じなければ沢は必ず涸れる。これがこの卦を損と名づけた理由である。人にとって発しやすく制しにくいものは怒りに及ぶものがなく、燃え上がりやすく断ちにくいものは欲望に及ぶものがない。君子はこの象を見て、怒気の盛んな勢いは山を抜くほどだと知るので、必ずこれを懲らし、剛強な性質を抑える。貪欲の深さは満たしがたい谷のようなので、必ずこれをふさぎ、利を求める穴の源を閉じる。怒りは剛から起こるので、「怒りを懲らす」ことで既に起こったものを鎮める。貪りは情に引かれるので、「欲をふさぐ」ことでこれから来るものを防ぐ。艮の山は止まり、兌の沢はふさがる。いずれにも損の象がある。
【占い】
○ 時運を問う。目下の運勢は正しくない。自分で怒りを戒めるのがよい。
○ 商売を問う。商売はもともと財を求めるものだが、和気を保ち、気勢に頼ってはならない。利益をよく審査し、利益を放棄してはならない。
○ 功名を問う。怒りと欲を除かなければ、たとえ功名を得ても、最後まで保てない恐れがある。
○ 戦争を問う。「山の下に沢がある」。山の下の深い所に敵兵が伏せているので警戒せよ。
○ 婚姻を問う。卦は咸と恒から来ており、女は喜び、男は止まる。夫婦の道が正しく得られている。
○ 家宅を問う。この家の後ろに高山があり、前に深い沢がある。地勢はかなり険しいので、掘り開いて平らにするのがよい。
○ 訴訟を問う。気を荒らさず、財を貪らなければ、訴訟は自然に平らかになる。
○ 失物を問う。見つからない。
○ 懐妊を問う。奇数月なら男児、偶数月なら女児が生まれる。
41 山沢損
この卦は上が山、下が沢である。山は高いので、高いものがさらに高くなることを「上を益す」という。沢は低いので、低いものがさらに低くなることを「下を損す」という。したがって、下を損じて上を益すのが損卦である。本来、下は益すべきものであり、下に益を置いて上を損ずるのが益卦である。損と益の道理は確かに反対だが、その働きは互いに補い合う。人はただ損だけを知って、益が損じたものを益することを知らず、ただ益だけを知って、損が益したものを損ずることを知らない。だから序卦では損を先にし、益を後に置く。事は初め簡単で後に煩雑となり、礼は初め質素で後に奢侈となり、物は初め空で後に満ちる。ゆえに易の道はまず損から始まる。沢を損じ、益を益すことが損卦となる理由である。
損[29]――信があれば、大いなる吉で、咎はない。正しさを守ることができ、進んで事を行うのがよい。二つの器を用いるだけでよい。それで祭祀を行える。
「損」は「咸」に通じる。心があれば感、心がなければ咸である。咸は感じて信じることなので「孚あり」という。損ずるものが心の中心から出る誠実さによるなら、人に信を得るに足りる。そうでなければ、損は節倹を主とするのに、倹約が礼にかなわなければ、ついには非難を招き、咎を免れない。どうして「大いなる吉」といえようか。損しても「孚あれば」、人はその誠を感じ、おのずから「大いなる吉」を得る。さらに何の咎があろうか。正しく行うこともでき、これによって進めば、どこへ行っても不利はない。損はこのように質素であるのだから、なぜ豊かさを用いる必要があろうか。簡素な「二簋」でも「供え物に用いる」ことができる。それは人に誠を示すだけでなく、神明にも誠を通じさせるのである。
彖伝にいう。損とは下を損じて上を益し、その道が上へ行くことである。損して孚あれば、大いなる吉、咎なく、正しく守ることができ、進むところがあるのはよい。何を用いるかといえば、二つの祭器でも供物に用いることができる。二器を用いるべき時があり、剛を損じて柔を益すべき時もある。損と益、満ちることと空しくなることは、時とともに進む。
損とは減らすことである。下にある乾の剛を減らし、上にある坤の柔を益すので、「下を損じて上を益す」、また「剛を損じて柔を益す」という。益が上にあるので「その道は上へ行く」という。「孚あり」とは、誠をもって損を行えば、下の者は損を受けてもその損を苦にせず、上の者も益を受けてもそれを嫌わないということだ。上下が互いに信じ合えば、これ以上の吉はなく、何の咎があろうか。「貞」は正しいこと、まだ信を得ていないものを正すことができるという意味である。艮は上にあり、艮は止まることを表す。艮が益を得れば、止まるのではなく進むものとなるので、「往くところがあるのはよい」という。損にはすでに孚があるから、おのずから咎はない。なぜ豊かな供えを用いる必要があろうか。さらに損を重ねれば、「二簋」だけでも供えに用いることができる。震は祭祀を表し、艮は宗廟を表すので、供え物をする象がある。「簋」は黍や稷を盛る器である。礼では簋を八つ、または六つ用いることが多いが、今二つだけ用いるのは損に従うからである。誠をもって供えるなら、二簋でもよい。しかし損は時に応じなければならない。損すべき時なら、粗末な羹でも倹約とはされない。損すべき時でなければ、豚の肩肉でさえその狭さを傷つける。ゆえに損益・盈虚は、何よりも「時とともに行う」ことが大切なのである。
この卦を人事に当てはめると、損とは節約である。財を節するのも損であり、欲を節するのも損である。財を節するのは実用に役立てるため、欲を節するのは心を清めるためであり、これは人事の要である。ただし、損じるべきものを損じれば、減らしても人は損とは思わない。損じてはならないものを損じれば、実際には何も減っていなくても、その損を疑われる。人事でたびたび咎を招くのは、損ずべきものを損じながら、人の信を得られないことから起こる。人に信じられなければ、損ばかりで益がなく、咎も免れない。どうして吉を得られようか。損が大きく益が小さく、止めることさえできないなら、どうして進めようか。だから損卦はまず「損、孚あり」と言う。卦の体は上が艮、下が兌である。艮は止まり、兌は喜びである。孚があれば喜びと止まりが相承け、「山沢気を通ず」となり、剛柔は志を合わせ、上下は互いに信じる。自分がその損を喜んで受け入れるだけでなく、他人もそれを損とは疑わない。家に用いれば家計が節約され、身に用いれば情欲が少なくなり、その働きを極めて神明に通じさせれば、神明もその誠を受ける。倹約に従えば豊かさを用いる必要はなく、進むところがあって、どうして不利であろうか。すべては時による。損ずべき時でないのに一律に節倹に従えば、あるいは人を損じて自分を益すと非難され、あるいは公を損じて私を益すと責められる。これは人事の災いであり、咎を何にかこつけて免れられようか。ゆえに人事は天の時を察しなければならない。日月の満ち欠け、寒暑の往来を観れば、「損益・盈虚、時とともに行う」道を知ることができる。
この卦を国家に当てはめる。国家の制度では、田には租税があり、市には課税があり、商品の出入りには関税がある。これらはすべて下を損じて上を益すことである。国家が全盛の時には、上にある者は下に取り立てる必要がなく、下の者もみずから喜んで上に貢納する。上は仁を施し、下はその徳を慕い、朝廷と民間が一心になる。平時には私有の小豚や豚を献じて上を奉り、有事には食物を籠に、飲み物を壺に入れて軍を迎える。これが「信を得れば民が任ずる」ということである。信を得れば上下は互いに孚を通じ、その道には吉があり咎がなく、用いればどこへ行っても不利はない。その要点は時とともに行うことにあり、豊かさではなく簡素さを取り、物ではなく誠を重んじる。そうすれば国を豊かにし財を整えることができ、さらに宗廟にまで通じさせられる。国家の損益・盈虚は、ただ天の法に倣い、時に応じることにある。六爻は損を語り、盈虚を斟酌し、彼我を審らかにし、始終を測る。それぞれに意味がある。初爻は「損を斟酌し」、二爻は「損なわず」、三爻は「一人を損じ」、四爻は「病を損じ」、五爻は損と言わず、上爻も「損なわない」と言う。卦は損と称するのに、爻の多くは損を語らない。初・二・上は皆「志」と言い、三は「疑い」、四は「喜び」、五は「助け」と言うが、いずれも孚を取るのである。国を治める道は、まず民心を得ることにある。民心を得ていなければ、上が恵みを施すと言っても、民は感謝すべきことを知らない。民心を得れば、民は「われら小民の飲食や日々の暮らしは、みな上が施してくださるものから出ている。どうして私物として自分だけのものにできようか」と言う。損じられても恨みとはしない。損卦が冒頭に「孚あり」という二字を掲げる意味は深く、最もよく体得して味わうべきである。
卦全体を見ると、下体はもと乾の三画で、すべて剛であり、余りがあるので損ずべきものである。上体はもと坤の三画で、すべて柔であり、不足しているので益すべきものである。これが「下を損じて上を益し、その道は上へ行く」という意味である。損と益は盛衰の機であり、否と泰の兆しでもある。損は泰から来、益は否から来る。損では二爻と五爻が位を失い、益では二爻と五爻が位を得るので、否と泰が相反することがわかる。損は兌の余りをもって艮の不足を補い、上下が和合し、止まりと喜びが相承ける。だから益卦では孚を待たずに民が喜ぶが、損卦ではまず孚があって初めて吉となる。損は人情の欲しないものだが、人情はもともと不足を憂えて満ちることを求める。君子は反対に満ちきることを嫌い、節制を考える。「二簋」は質素ではあるが、宗廟に供えることができる。要は誠を貴ぶことにある。「二簋」は兌の二陽を指し、簡略であることを示す。上卦の爻辞は多く孚の意味を取り、下卦の爻辞は多く供物を用いる象を取る。合わせて、喜びと止まりの意義を表している。ただし、剛をすべて損じ、柔をすべて益せばよいということではない。損ずべき時には損、益すべき時には益であり、人の力で無理に成し遂げられるものではない。ゆえに「剛を損じ柔を益すには時があり、損益・盈虚は時とともに行う」という。
大象にいう。山の下に沢があるのが損である。君子はこれを見て、怒りを懲らし、欲望をふさぐ。
大地は益によって山となり、損によって沢となる。山と沢はもともと損益によるもので、益さなければ山は必ず崩れ、損じなければ沢は必ず涸れる。これがこの卦を損と名づけた理由である。人にとって発しやすく制しにくいものは怒りに及ぶものがなく、燃え上がりやすく断ちにくいものは欲望に及ぶものがない。君子はこの象を見て、怒気の盛んな勢いは山を抜くほどだと知るので、必ずこれを懲らし、剛強な性質を抑える。貪欲の深さは満たしがたい谷のようなので、必ずこれをふさぎ、利を求める穴の源を閉じる。怒りは剛から起こるので、「怒りを懲らす」ことで既に起こったものを鎮める。貪りは情に引かれるので、「欲をふさぐ」ことでこれから来るものを防ぐ。艮の山は止まり、兌の沢はふさがる。いずれにも損の象がある。
【占い】
○ 時運を問う。目下の運勢は正しくない。自分で怒りを戒めるのがよい。
○ 商売を問う。商売はもともと財を求めるものだが、和気を保ち、気勢に頼ってはならない。利益をよく審査し、利益を放棄してはならない。
○ 功名を問う。怒りと欲を除かなければ、たとえ功名を得ても、最後まで保てない恐れがある。
○ 戦争を問う。「山の下に沢がある」。山の下の深い所に敵兵が伏せているので警戒せよ。
○ 婚姻を問う。卦は咸と恒から来ており、女は喜び、男は止まる。夫婦の道が正しく得られている。
○ 家宅を問う。この家の後ろに高山があり、前に深い沢がある。地勢はかなり険しいので、掘り開いて平らにするのがよい。
○ 訴訟を問う。気を荒らさず、財を貪らなければ、訴訟は自然に平らかになる。
○ 失物を問う。見つからない。
○ 懐妊を問う。奇数月なら男児、偶数月なら女児が生まれる。
初九。事が済んだなら、速やかに進めば咎はない。損をよく斟酌せよ。
初九。事が済んだなら、速やかに進めば咎はない。損をよく斟酌せよ。
象伝にいう。事が済んだなら速やかに進むのは、上の意志にかなうことを願うからである。
初爻は卦の始めにあり、事を計画する始めでもある。「已事」とは事を終えることで、艮の止まる意味である。「遄往」の「遄」は速やかということ。事を終えられるなら、すぐに進むべきである。ぐずぐずすれば、必ず事を誤り、咎を招く。だから「事が済んだなら速やかに進めば咎はない」という。事が終えてよいのか終えてはいけないのかの間にある場合、終えれば生業を失い、終えなければ公を害するなら、軽重・緩急をよく量るほかない。それゆえ「損を斟酌せよ」という。象伝はこれを「上の志にかなうことを願う」と解する。「尚」は上、または願わくばの意味であり、「事が済んだなら速やかに進む」とは、上の意志にかなうことを願うのである。虞氏は「已」を祭祀の「祀」と読み、祭りのこととする。祭祀について「損を斟酌する」と言うのは、彖伝の「二簋でも供えに用いることができる」という意味である。この説も通る。
【占い】
○ 時運を問う。過ぎたことは追わず、今は急いで努力すれば、自然に咎を免れる。
○ 戦争を問う。速やかに兵を進め、遅れてはならない。兵糧や食糧もまた「損を斟酌」しなければならない。
○ 商売を問う。商品の運搬販売は速やかに行うべきである。時機と情勢を見極め、よく量ってから進めば、必ず利益を得られ、咎もない。
○ 功名を問う。速やかに進めば得られるが、遅れれば成就しない。
○ 婚姻を問う。本日迎えて婚礼を行えば、両家はよく和合する。
○ 家宅を問う。速やかに他所へ移るべきで、吉である。
○ 訴訟を問う。すぐに決着させ、訴えをやめるべきである。
○ 失物を問う。急いで探せば見つかる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】友人が来て言った。友人が急に金を借りる必要があるので、明後日の利害を占ってほしい。筮して損が蒙に変じた。
断に曰く。この爻は内卦にあり、しかも初位にある。内卦は兌で、兌は口なので、口を開いて人に助けを求める象がある。爻辞に「事が済んだなら速やかに進めば咎はない」とあるのは、この時困難にあって、自分の事を投げ出し、急いで赴いて救援を求めよという意味である。季布の千金一諾のような確かな約束を得れば、咎はない。「損を斟酌せよ」とは、借りる金額が不足することもあるので、多い少ないをよく見積もって、その窮乏を救うべきだという意味である。この爻辞を味わえば、必要は切迫しており、一刻たりとも緩められない。遅れれば咎がある。ただし借りられる金額は必ず減るものの、手ぶらで帰ることにはならないとわかる。
象伝にいう。事が済んだなら速やかに進むのは、上の意志にかなうことを願うからである。
初爻は卦の始めにあり、事を計画する始めでもある。「已事」とは事を終えることで、艮の止まる意味である。「遄往」の「遄」は速やかということ。事を終えられるなら、すぐに進むべきである。ぐずぐずすれば、必ず事を誤り、咎を招く。だから「事が済んだなら速やかに進めば咎はない」という。事が終えてよいのか終えてはいけないのかの間にある場合、終えれば生業を失い、終えなければ公を害するなら、軽重・緩急をよく量るほかない。それゆえ「損を斟酌せよ」という。象伝はこれを「上の志にかなうことを願う」と解する。「尚」は上、または願わくばの意味であり、「事が済んだなら速やかに進む」とは、上の意志にかなうことを願うのである。虞氏は「已」を祭祀の「祀」と読み、祭りのこととする。祭祀について「損を斟酌する」と言うのは、彖伝の「二簋でも供えに用いることができる」という意味である。この説も通る。
【占い】
○ 時運を問う。過ぎたことは追わず、今は急いで努力すれば、自然に咎を免れる。
○ 戦争を問う。速やかに兵を進め、遅れてはならない。兵糧や食糧もまた「損を斟酌」しなければならない。
○ 商売を問う。商品の運搬販売は速やかに行うべきである。時機と情勢を見極め、よく量ってから進めば、必ず利益を得られ、咎もない。
○ 功名を問う。速やかに進めば得られるが、遅れれば成就しない。
○ 婚姻を問う。本日迎えて婚礼を行えば、両家はよく和合する。
○ 家宅を問う。速やかに他所へ移るべきで、吉である。
○ 訴訟を問う。すぐに決着させ、訴えをやめるべきである。
○ 失物を問う。急いで探せば見つかる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】友人が来て言った。友人が急に金を借りる必要があるので、明後日の利害を占ってほしい。筮して損が蒙に変じた。
断に曰く。この爻は内卦にあり、しかも初位にある。内卦は兌で、兌は口なので、口を開いて人に助けを求める象がある。爻辞に「事が済んだなら速やかに進めば咎はない」とあるのは、この時困難にあって、自分の事を投げ出し、急いで赴いて救援を求めよという意味である。季布の千金一諾のような確かな約束を得れば、咎はない。「損を斟酌せよ」とは、借りる金額が不足することもあるので、多い少ないをよく見積もって、その窮乏を救うべきだという意味である。この爻辞を味わえば、必要は切迫しており、一刻たりとも緩められない。遅れれば咎がある。ただし借りられる金額は必ず減るものの、手ぶらで帰ることにはならないとわかる。
九二。正しく守るのがよい。出征すれば凶。損なわず、これを益せよ。
九二。正しく守るのがよい。出征すれば凶。損なわず、これを益せよ。
『象伝』にいう。九二は、正しく貞を守るのがよい。中正を志としているからである。
二爻は内卦の中央に位置する。物事に減らしたり増やしたりする必要があるのは、もともと中正を得ていないからである。二爻は中を得ているので、「損なわない」ことが「貞を守るのがよい」となる。損なうべきでないものを損なえば、かえって中を失うため、「進めば凶」となる。『損』と『益』は相対する。人は損なうべきものを損ない、それを益とすることだけを知り、損なうべきでないものを損なわないことこそが益であるとは知らない。結局、損なわず益さず、ただ中道を守ることにある。中を得れば、すなわち「貞を守るのがよい」のである。『象伝』はこれを「中を志とする」と解する。「志」とは弓の的のようなものであり、中を的として、そこに心を定めるのである。
【占い】
○ 時運を占う。幸運がまさに到来する。減らしも増やしもせず、万事が中を得て、自然に利益を得る。
○ 戦争を占う。兵糧を減らす必要も、兵を増やす必要もない。中央の陣を固く守れば、勝って敗れることはない。軽率に進めば、凶がある恐れがある。
○ 商売を占う。商品は適正で、値下げする必要はなく、必ず利益を得る。
○ 功名を占う。栄誉も恥辱もなく、旧来の地位を守る。
○ 婚姻について問う。両家の家格が釣り合い、吉。
○ 家宅を占う。位置は中を得ており、増築や改修は不要で、大いに吉である。
○ 訴訟を占う。穏便に収まる。
○ 失物を占う。元の品は失われていない。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】友人某が来て言った。「私は兄のために大阪の米相場を独占したところ、大きな損失を受けた。ある者が仲裁の策を申し出て、電報で知らせ、大金を運ぶよう私に催促してきた。そうすれば敗勢を勝勢に転じられるという。再び失敗して損失がさらに大きくなるのが恐ろしい。そこで、この事が成るかどうかを占った。」筮して損が頤に変じた。
断にいう。卦象は沢が低く山が高く、一時の米価に大きな高下があることを示している。初めは安値を見て大量に買い約したが、今や期日を迎えて値が騰貴し、約定どおり納めざるを得ず、損失を受けるに至った。東京支店の金は動かしてはならない。これが「貞を守るのがよい」である。もし金を送れば、「進めば凶」となる。大阪本店は損をしたが、東京支店で維持すれば、自然に挽回できる。これが「損なわず、これを益す」である。結果は占いのとおりになった。
【例】明治六年、ある高官が某県令に任じられ、来訪して気運を占った。筮して損が頤に変じた。
断にいう。損の卦は下を損なって上を益するものである。二爻は「損なわず、これを益す」といい、下を損なう必要もなく、上を益す必要もないことを明らかに述べている。今、あなたは某県令に任じられ、この爻を得た。爻辞は「九二。貞を守るのがよい。進めば凶。損なわず、これを益す」とある。九二は位が正しいので、従来の規則を固く守り、改めて作り変える必要はない。それで自然に利益を得る。もし勝手に制度を変更し、ひたすら進歩を求めれば、かえって凶となる。したがって『損』を施す必要はなく、「損なわない」ことがそのまま「貞を守るのがよい」のである。あなたは慎んで爻辞に従い、実行すればよい。
『象伝』にいう。九二は、正しく貞を守るのがよい。中正を志としているからである。
二爻は内卦の中央に位置する。物事に減らしたり増やしたりする必要があるのは、もともと中正を得ていないからである。二爻は中を得ているので、「損なわない」ことが「貞を守るのがよい」となる。損なうべきでないものを損なえば、かえって中を失うため、「進めば凶」となる。『損』と『益』は相対する。人は損なうべきものを損ない、それを益とすることだけを知り、損なうべきでないものを損なわないことこそが益であるとは知らない。結局、損なわず益さず、ただ中道を守ることにある。中を得れば、すなわち「貞を守るのがよい」のである。『象伝』はこれを「中を志とする」と解する。「志」とは弓の的のようなものであり、中を的として、そこに心を定めるのである。
【占い】
○ 時運を占う。幸運がまさに到来する。減らしも増やしもせず、万事が中を得て、自然に利益を得る。
○ 戦争を占う。兵糧を減らす必要も、兵を増やす必要もない。中央の陣を固く守れば、勝って敗れることはない。軽率に進めば、凶がある恐れがある。
○ 商売を占う。商品は適正で、値下げする必要はなく、必ず利益を得る。
○ 功名を占う。栄誉も恥辱もなく、旧来の地位を守る。
○ 婚姻について問う。両家の家格が釣り合い、吉。
○ 家宅を占う。位置は中を得ており、増築や改修は不要で、大いに吉である。
○ 訴訟を占う。穏便に収まる。
○ 失物を占う。元の品は失われていない。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】友人某が来て言った。「私は兄のために大阪の米相場を独占したところ、大きな損失を受けた。ある者が仲裁の策を申し出て、電報で知らせ、大金を運ぶよう私に催促してきた。そうすれば敗勢を勝勢に転じられるという。再び失敗して損失がさらに大きくなるのが恐ろしい。そこで、この事が成るかどうかを占った。」筮して損が頤に変じた。
断にいう。卦象は沢が低く山が高く、一時の米価に大きな高下があることを示している。初めは安値を見て大量に買い約したが、今や期日を迎えて値が騰貴し、約定どおり納めざるを得ず、損失を受けるに至った。東京支店の金は動かしてはならない。これが「貞を守るのがよい」である。もし金を送れば、「進めば凶」となる。大阪本店は損をしたが、東京支店で維持すれば、自然に挽回できる。これが「損なわず、これを益す」である。結果は占いのとおりになった。
【例】明治六年、ある高官が某県令に任じられ、来訪して気運を占った。筮して損が頤に変じた。
断にいう。損の卦は下を損なって上を益するものである。二爻は「損なわず、これを益す」といい、下を損なう必要もなく、上を益す必要もないことを明らかに述べている。今、あなたは某県令に任じられ、この爻を得た。爻辞は「九二。貞を守るのがよい。進めば凶。損なわず、これを益す」とある。九二は位が正しいので、従来の規則を固く守り、改めて作り変える必要はない。それで自然に利益を得る。もし勝手に制度を変更し、ひたすら進歩を求めれば、かえって凶となる。したがって『損』を施す必要はなく、「損なわない」ことがそのまま「貞を守るのがよい」のである。あなたは慎んで爻辞に従い、実行すればよい。
六三。三人で行けば一人を減じ、一人で行けば友を得る。
六三。三人で行けば一人を減じ、一人で行けば友を得る。
『象伝』にいう。「一人で行く。三人なら疑いが生じる。」
損の三爻は亥の時に配され、乾の気を得る。乾は人を表し、また行動を表す。三爻は三人なので、「三人で行く」という。乾が上から三爻まで下って兌に変じるのは、三から一を損ずる象である。上互卦は坤で、その上画が変じて艮となる。陰二陽一なので、「一人で行く」という。三爻は損卦の主爻で、兌卦の終わりに位置する。兌は友を表すので、「友を得る」といい、これは艮がその友を得るということである。天下の事は、一なら不足し、三なら過ぎる。二を中とするのが奇偶の定数である。ゆえに「三人で行けば」その一人を減らして二となり、一人で行けば「友を得る」こともまた二となる。一が二となり、二が一となる。これが志を合わせることである。そうでなければ、三人は群れとなり、群れれば人心は一つにならず、疑いが生じる。だから『象伝』は「三人なら疑いが生じる」と解したのである。
【占い】
○ 時運を占う。財運は平凡。少なければ利益を得、多ければ損をする。偶数月はよく、奇数月はよくない。
○ 戦争を占う。兌の方角から、一筋に進軍するのがよい。援軍が自然に来て助け、勝って敗れることはない。
○ 商売を占う。商売は一人で行うのがよく、二人で共同経営するまでならよい。それ以上多ければ必ず損をする。
○ 功名を占う。一人で赴けば、必ず名を成す。
○ 婚姻を占う。友を得るとは伴侶を得ること。吉。
○ 家宅を占う。家は兌の方角にあり、家中の男子は各戸二人だけと見る。
○ 訴訟を占う。二者が争って訴訟となったが、その中の一人がそそのかしたためである。この一人を除けば、訴えは収まる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】明治二十五年四月、私は北海道炭鉱鉄道会社の社長を務め、赴任地へ向かうにあたって、改正処分の成否を占った。筮して損が大畜に変じた。
断にいう。卦体は山が上、沢が下で、卦の徳は下を損じて上を益する。上卦の山がますます高くなり、下卦の沢がますます低くなって、上下が通じない勢いが明らかである。上下が通じなければ、必ず事務が滞り、弊害が次々に現れ、会社はそのため損失を招く。今、私は謹んで社長を引き受けた以上、人員を淘汰し、弊害を除かなければならない。しかしこの会社の弊害には二つある。一つは社務が利益本位ではないこと、もう一つは社員の多くが官吏出身であることである。利益本位でないため、社用の収支に基準がなく、官吏出身者が多いため、社規の拘束を全員に行き渡らせにくい。その結果、費用はかさみ、冗員は多く、会社の諸事は名ばかりで実がない。私は会社を振興したいので、断固として改革せざるを得ない。今、三爻を得た。爻辞をよく読み解けば、三分の一を減らす方法を明らかに私に告げている。
この卦を得たので、私は単身北海道へ赴き、断固として改革を実行した。まず役員を三分の一減らしてその端緒を開き、それ以来、社務は大いに整った。
【例】明治二十五年、私は北海道炭鉱会社の社長を務めていた。当時、石炭の販路に支障があり、採掘した石炭は山積みになって売れず、社員は皆ひどく心配していた。筮して損が大畜に変じた。
断にいう。爻辞に「三人で行けば一人を減じ、一人で行けば友を得る」とある。少なければ利益を得、多ければ損をすることを明らかに示しており、目下の事情に合う。四爻では「その疾を損じ、速やかにすれば喜びがある」といい、品質の劣る商品を除き、急いで売りに出せば喜びがあると明言している。五爻では「あるいはこれに十朋の亀を益す。違うことができず、大いに吉」とある。古代には貨幣や貝を五朋で一組とした。これは明らかに、必ず値が上がり、誰もそれに逆らえないことをいう。ゆえに大吉である。上爻では「損なわず、これを益す。行くところがあればよい」とあり、価格は上下しても、どこへでも売り出せば自然に利益を得ることを明らかに示している。その後は『損』を出て『益』に入る。『益』の『彖伝』に「行くところがあればよい。大川を渡るのがよい」とあるのは、海外へ運び、外国で販売できることを明らかに示す。『益』の六爻はすべて、売れ行きが盛んで利益を得る象である。これから推し量れば、一爻を一年として、九年間のことを一日のように見通せる。私は社員を集め、この判断を示した。
果たしてそのとおりになった。二十五年には石炭を大量に蓄え、二十六年には販路がたちまち開けた。この占辞に照らせば、今後の社務は必ず隆盛になると見通せた。
【例】友人某が来て、事業が成るかどうかを占ってほしいと頼んだ。筮して損が大畜に変じた。
断にいう。この卦は山が高く上にそびえ、沢が低く下に沈み、山沢の気が通じない。草木が生えず、魚や亀も育たない象である。今、三爻を得た。爻辞の大意は、三人なら損をし、一人なら得るということだ。多くの人を集めて事業を起こせば、必ず意見が合わない者が多く、かえって損失を招く。あなたが自力で事を成すことができれば、必ず心を同じくする友が助けに来て、事業を興し、成果を上げられる。
【例】明治三十二年一月、自由党は政府と議会で提携し、協議は次第に政府の意向に合うようになった。そこで自由党は三人を大臣の地位に置くよう推挙したが、政府は認めず、各新聞はその可否を盛んに論じた。ある議員が来て、自由党の意向が実現するかどうかを占った。筮して損が大畜に変じた。
断にいう。この卦では外卦が政府、内卦が党員を表す。党員が政府に大臣を推挙するが、政府は山の止まる性質を備えているため、その請願を認めない。下は悦び、上は止めるので、卦名を『損』という。六三の陰爻は上九の陽爻と応じるため、党員の意向は政府に届く。政府から見れば、今度は党員三人を進められ、三人を大臣に指名せざるを得ないことになり、これが政府の苦境である。三人のうち二人を選ぶのだろうか。それが「三人で行けば一人を減ずる」である。あるいは一人だけを用いるのだろうか。それが「一人で行けば友を得る」である。
後日、偶然板垣伯に会い、この占いについて語り合って、ともに笑った。その後、党内に猜疑する者がいたため、この事はついに立ち消えとなった。
『象伝』にいう。「一人で行く。三人なら疑いが生じる。」
損の三爻は亥の時に配され、乾の気を得る。乾は人を表し、また行動を表す。三爻は三人なので、「三人で行く」という。乾が上から三爻まで下って兌に変じるのは、三から一を損ずる象である。上互卦は坤で、その上画が変じて艮となる。陰二陽一なので、「一人で行く」という。三爻は損卦の主爻で、兌卦の終わりに位置する。兌は友を表すので、「友を得る」といい、これは艮がその友を得るということである。天下の事は、一なら不足し、三なら過ぎる。二を中とするのが奇偶の定数である。ゆえに「三人で行けば」その一人を減らして二となり、一人で行けば「友を得る」こともまた二となる。一が二となり、二が一となる。これが志を合わせることである。そうでなければ、三人は群れとなり、群れれば人心は一つにならず、疑いが生じる。だから『象伝』は「三人なら疑いが生じる」と解したのである。
【占い】
○ 時運を占う。財運は平凡。少なければ利益を得、多ければ損をする。偶数月はよく、奇数月はよくない。
○ 戦争を占う。兌の方角から、一筋に進軍するのがよい。援軍が自然に来て助け、勝って敗れることはない。
○ 商売を占う。商売は一人で行うのがよく、二人で共同経営するまでならよい。それ以上多ければ必ず損をする。
○ 功名を占う。一人で赴けば、必ず名を成す。
○ 婚姻を占う。友を得るとは伴侶を得ること。吉。
○ 家宅を占う。家は兌の方角にあり、家中の男子は各戸二人だけと見る。
○ 訴訟を占う。二者が争って訴訟となったが、その中の一人がそそのかしたためである。この一人を除けば、訴えは収まる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】明治二十五年四月、私は北海道炭鉱鉄道会社の社長を務め、赴任地へ向かうにあたって、改正処分の成否を占った。筮して損が大畜に変じた。
断にいう。卦体は山が上、沢が下で、卦の徳は下を損じて上を益する。上卦の山がますます高くなり、下卦の沢がますます低くなって、上下が通じない勢いが明らかである。上下が通じなければ、必ず事務が滞り、弊害が次々に現れ、会社はそのため損失を招く。今、私は謹んで社長を引き受けた以上、人員を淘汰し、弊害を除かなければならない。しかしこの会社の弊害には二つある。一つは社務が利益本位ではないこと、もう一つは社員の多くが官吏出身であることである。利益本位でないため、社用の収支に基準がなく、官吏出身者が多いため、社規の拘束を全員に行き渡らせにくい。その結果、費用はかさみ、冗員は多く、会社の諸事は名ばかりで実がない。私は会社を振興したいので、断固として改革せざるを得ない。今、三爻を得た。爻辞をよく読み解けば、三分の一を減らす方法を明らかに私に告げている。
この卦を得たので、私は単身北海道へ赴き、断固として改革を実行した。まず役員を三分の一減らしてその端緒を開き、それ以来、社務は大いに整った。
【例】明治二十五年、私は北海道炭鉱会社の社長を務めていた。当時、石炭の販路に支障があり、採掘した石炭は山積みになって売れず、社員は皆ひどく心配していた。筮して損が大畜に変じた。
断にいう。爻辞に「三人で行けば一人を減じ、一人で行けば友を得る」とある。少なければ利益を得、多ければ損をすることを明らかに示しており、目下の事情に合う。四爻では「その疾を損じ、速やかにすれば喜びがある」といい、品質の劣る商品を除き、急いで売りに出せば喜びがあると明言している。五爻では「あるいはこれに十朋の亀を益す。違うことができず、大いに吉」とある。古代には貨幣や貝を五朋で一組とした。これは明らかに、必ず値が上がり、誰もそれに逆らえないことをいう。ゆえに大吉である。上爻では「損なわず、これを益す。行くところがあればよい」とあり、価格は上下しても、どこへでも売り出せば自然に利益を得ることを明らかに示している。その後は『損』を出て『益』に入る。『益』の『彖伝』に「行くところがあればよい。大川を渡るのがよい」とあるのは、海外へ運び、外国で販売できることを明らかに示す。『益』の六爻はすべて、売れ行きが盛んで利益を得る象である。これから推し量れば、一爻を一年として、九年間のことを一日のように見通せる。私は社員を集め、この判断を示した。
果たしてそのとおりになった。二十五年には石炭を大量に蓄え、二十六年には販路がたちまち開けた。この占辞に照らせば、今後の社務は必ず隆盛になると見通せた。
【例】友人某が来て、事業が成るかどうかを占ってほしいと頼んだ。筮して損が大畜に変じた。
断にいう。この卦は山が高く上にそびえ、沢が低く下に沈み、山沢の気が通じない。草木が生えず、魚や亀も育たない象である。今、三爻を得た。爻辞の大意は、三人なら損をし、一人なら得るということだ。多くの人を集めて事業を起こせば、必ず意見が合わない者が多く、かえって損失を招く。あなたが自力で事を成すことができれば、必ず心を同じくする友が助けに来て、事業を興し、成果を上げられる。
【例】明治三十二年一月、自由党は政府と議会で提携し、協議は次第に政府の意向に合うようになった。そこで自由党は三人を大臣の地位に置くよう推挙したが、政府は認めず、各新聞はその可否を盛んに論じた。ある議員が来て、自由党の意向が実現するかどうかを占った。筮して損が大畜に変じた。
断にいう。この卦では外卦が政府、内卦が党員を表す。党員が政府に大臣を推挙するが、政府は山の止まる性質を備えているため、その請願を認めない。下は悦び、上は止めるので、卦名を『損』という。六三の陰爻は上九の陽爻と応じるため、党員の意向は政府に届く。政府から見れば、今度は党員三人を進められ、三人を大臣に指名せざるを得ないことになり、これが政府の苦境である。三人のうち二人を選ぶのだろうか。それが「三人で行けば一人を減ずる」である。あるいは一人だけを用いるのだろうか。それが「一人で行けば友を得る」である。
後日、偶然板垣伯に会い、この占いについて語り合って、ともに笑った。その後、党内に猜疑する者がいたため、この事はついに立ち消えとなった。
六四。その病を減じ、速やかにすれば喜びがある。咎はない。
六四。その病を減じ、速やかにすれば喜びがある。咎はない。
『象伝』にいう。「その病を減ずることも、また喜ばしい。」
この爻は陰位に陰爻が居り、外卦の初めにあって、初九と応じている。初爻が動くと坎の体となり、坎は心の病を表し、そこから疾が生じる。疾を「その疾」といっているが、「その」とは初爻を指す。四爻がこれに応じ、内外ともに損なうべきものを知って、決意して損なうなら、事の損は後にあり、疾の損は先にある。疾を損ずれば「速やか」となる。「速やか」とは初爻であり、それを速やかにするのが四爻である。病があれば憂い、病を損ずれば喜びとなるので、「咎なし」という。『象伝』は「また喜ぶべきなり」と解している。事を損ずることを言わず、ただ病を損ずると言うだけでも喜ばしいのだから、事の損がもたらす喜びはなおさら明らかだという意味である。
【占い】
○ 時運を占う。目下は小さな災いがあるが、救いを得れば治まり、憂いを喜びに転じられる。
○ 商売を占う。商品は扱う量を減らし、すぐに売りに出せば、喜ばしい利益を得る。
○ 戦争を占う。負傷は免れないが、治療すれば治る。咎はない。
○ 家宅を占う。この家は陰気が強すぎ、家族に病人が多くなる。祈祷すれば治り、咎はない。
○ 功名を占う。当分は望みにくい。
○ 婚姻を占う。四爻と初爻が応じ、初爻が陽、四爻が陰で陰陽が合う。必ず成り、喜ばしい。
○ 訴訟を占う。「疾」とは害である。その害を除けば、訴訟は自然に収まる。
○ 行人を占う。用事があって他所へ行き、しばらく帰らない。喜びがあり、咎はない。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】工部省書記の杉実信氏は、私の旧知の間柄であった。明治十五年二月某日の朝、杉氏が急病にかかったという電報を受け、私は驚いて筮した。損が睽に変じた。
断にいう。爻辞はすでに明らかに示している。この病はかなり重いが、名医に速やかに治療させれば、すぐに治る。もしぐずぐずして時機を失えば、名医であっても手の施しようがない。ゆえに「その病を減じ、速やかにすれば喜びがある。咎はない」という。
不幸にも夜から大雪が降り、道は閉ざされた。朝になると風雪はいっそう激しくなった。私は雪を冒して品川へ赴き、氏の病室を見舞ったが、医師たちは皆大雪に阻まれ、到着が遅れた。果たしてその日のうちに亡くなった。これも天数である。嘆かわしく、悼ましいことだ。
『象伝』にいう。「その病を減ずることも、また喜ばしい。」
この爻は陰位に陰爻が居り、外卦の初めにあって、初九と応じている。初爻が動くと坎の体となり、坎は心の病を表し、そこから疾が生じる。疾を「その疾」といっているが、「その」とは初爻を指す。四爻がこれに応じ、内外ともに損なうべきものを知って、決意して損なうなら、事の損は後にあり、疾の損は先にある。疾を損ずれば「速やか」となる。「速やか」とは初爻であり、それを速やかにするのが四爻である。病があれば憂い、病を損ずれば喜びとなるので、「咎なし」という。『象伝』は「また喜ぶべきなり」と解している。事を損ずることを言わず、ただ病を損ずると言うだけでも喜ばしいのだから、事の損がもたらす喜びはなおさら明らかだという意味である。
【占い】
○ 時運を占う。目下は小さな災いがあるが、救いを得れば治まり、憂いを喜びに転じられる。
○ 商売を占う。商品は扱う量を減らし、すぐに売りに出せば、喜ばしい利益を得る。
○ 戦争を占う。負傷は免れないが、治療すれば治る。咎はない。
○ 家宅を占う。この家は陰気が強すぎ、家族に病人が多くなる。祈祷すれば治り、咎はない。
○ 功名を占う。当分は望みにくい。
○ 婚姻を占う。四爻と初爻が応じ、初爻が陽、四爻が陰で陰陽が合う。必ず成り、喜ばしい。
○ 訴訟を占う。「疾」とは害である。その害を除けば、訴訟は自然に収まる。
○ 行人を占う。用事があって他所へ行き、しばらく帰らない。喜びがあり、咎はない。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】工部省書記の杉実信氏は、私の旧知の間柄であった。明治十五年二月某日の朝、杉氏が急病にかかったという電報を受け、私は驚いて筮した。損が睽に変じた。
断にいう。爻辞はすでに明らかに示している。この病はかなり重いが、名医に速やかに治療させれば、すぐに治る。もしぐずぐずして時機を失えば、名医であっても手の施しようがない。ゆえに「その病を減じ、速やかにすれば喜びがある。咎はない」という。
不幸にも夜から大雪が降り、道は閉ざされた。朝になると風雪はいっそう激しくなった。私は雪を冒して品川へ赴き、氏の病室を見舞ったが、医師たちは皆大雪に阻まれ、到着が遅れた。果たしてその日のうちに亡くなった。これも天数である。嘆かわしく、悼ましいことだ。
六五。あるいはこれに十朋の亀を益す。違うことができず、大いに吉。
六五。あるいはこれに十朋の亀を益す。違うことができず[30]、大いに吉。
『象伝』にいう。「六五が大いに吉なのは、上から助けられるからである。」
「十朋の亀」とは、大亀は長さ一尺二寸、価二千百六十で、大貝十朋に当たる。公亀は九寸以上、価五百で、牡貝十朋に当たる。侯亀は七寸以上、価三百で、公貝十朋に当たる。子亀は五寸以上、価百で、小貝十朋に当たる――『漢書』に見える。坤の数は十で、偶数は朋となるので、「十朋」の象がある。亀は霊妙な生き物で、前もって吉凶を知ることができ、卜筮によって吉凶を占う道具となった。この爻は柔順で中を得、下の者から真心を寄せられるので、人々が誠意を捧げる。「あるいはこれに十朋の亀を益す」の「あるいは」は、どこから来たのか分からないものをいう語で、思いがけない利益を表す。君子はそれを疑うので、卜筮に問う。理と数がすでに定まれば、十朋の大亀も逆らうことができず、その吉は明らかである。ゆえに「十朋の亀、違うことができず、大いに吉」という。『象伝』は「上より保祐す」と解し、これは「天がこれを祐ける」という意味である。爻象から言えば、「上」は上爻を指し、上爻が六五の君を補佐し、守護できることをいう。
【占い】
○ 時運を占う。運勢は最盛で、思いがけない寵遇を受ける。
○ 戦争を占う。軍事について先に占えば、その兆しは大吉である。
○ 商売を占う。財運が来れば、辞退しても去らない。
○ 功名を占う。「天がこれを助ける。吉でないことはない」。
○ 家宅を占う。家業は隆盛し、占わなくても分かる。
○ 婚姻を占う。天が結ぶ縁である。吉。
○ 疾病を占う。病が治った後、さらに財も得る。吉。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】東京の豪商某家の番頭某が来て言った。「私は本店の命を受けて大蔵省の用務を担当し、数百人を率いて従事している。近ごろ、来年は大蔵省に改革があり、この仕事は廃止されるかもしれないと聞いた。そうなれば、私が管轄する数百人が一時に皆職を失うことになり、実に忍びない。そこで今、ある会社と交渉し、この人々に相応の仕事を与えたいと思っている。これが可能かどうか占ってほしい。」筮して損が中孚に変じた。
断じて曰く。この爻は陽が五位に居り、中正を得ている。ゆえに、あなたは心が正直であり、この仕事を長く任されるべきで、別の所へ転じて行く必要はないと知れる。「十朋の亀」とは、将来、思いがけない幸福があることをいう。現在、大蔵省では改革の議があり、その中には損も益もあるだろうが、あなたには別に担うべき仕事があり、この数百人もそれによって福を得るかもしれない。爻位から推すと、来年は上爻に当たり、爻辞には「損することなく、これを益す。咎なし。貞にして吉。行くところあるに利あり」とある。来年は損益がなく、しかも貞正で吉、利益もある。この事業が廃止案に戻らないかどうかは、まだ定かではない。総じて、あなたとこの数百人は皆、咎なく吉を得るので、心配する必要はない。某は大いに喜び、後に果たしてこの占のとおりになった。
『象伝』にいう。「六五が大いに吉なのは、上から助けられるからである。」
「十朋の亀」とは、大亀は長さ一尺二寸、価二千百六十で、大貝十朋に当たる。公亀は九寸以上、価五百で、牡貝十朋に当たる。侯亀は七寸以上、価三百で、公貝十朋に当たる。子亀は五寸以上、価百で、小貝十朋に当たる――『漢書』に見える。坤の数は十で、偶数は朋となるので、「十朋」の象がある。亀は霊妙な生き物で、前もって吉凶を知ることができ、卜筮によって吉凶を占う道具となった。この爻は柔順で中を得、下の者から真心を寄せられるので、人々が誠意を捧げる。「あるいはこれに十朋の亀を益す」の「あるいは」は、どこから来たのか分からないものをいう語で、思いがけない利益を表す。君子はそれを疑うので、卜筮に問う。理と数がすでに定まれば、十朋の大亀も逆らうことができず、その吉は明らかである。ゆえに「十朋の亀、違うことができず、大いに吉」という。『象伝』は「上より保祐す」と解し、これは「天がこれを祐ける」という意味である。爻象から言えば、「上」は上爻を指し、上爻が六五の君を補佐し、守護できることをいう。
【占い】
○ 時運を占う。運勢は最盛で、思いがけない寵遇を受ける。
○ 戦争を占う。軍事について先に占えば、その兆しは大吉である。
○ 商売を占う。財運が来れば、辞退しても去らない。
○ 功名を占う。「天がこれを助ける。吉でないことはない」。
○ 家宅を占う。家業は隆盛し、占わなくても分かる。
○ 婚姻を占う。天が結ぶ縁である。吉。
○ 疾病を占う。病が治った後、さらに財も得る。吉。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】東京の豪商某家の番頭某が来て言った。「私は本店の命を受けて大蔵省の用務を担当し、数百人を率いて従事している。近ごろ、来年は大蔵省に改革があり、この仕事は廃止されるかもしれないと聞いた。そうなれば、私が管轄する数百人が一時に皆職を失うことになり、実に忍びない。そこで今、ある会社と交渉し、この人々に相応の仕事を与えたいと思っている。これが可能かどうか占ってほしい。」筮して損が中孚に変じた。
断じて曰く。この爻は陽が五位に居り、中正を得ている。ゆえに、あなたは心が正直であり、この仕事を長く任されるべきで、別の所へ転じて行く必要はないと知れる。「十朋の亀」とは、将来、思いがけない幸福があることをいう。現在、大蔵省では改革の議があり、その中には損も益もあるだろうが、あなたには別に担うべき仕事があり、この数百人もそれによって福を得るかもしれない。爻位から推すと、来年は上爻に当たり、爻辞には「損することなく、これを益す。咎なし。貞にして吉。行くところあるに利あり」とある。来年は損益がなく、しかも貞正で吉、利益もある。この事業が廃止案に戻らないかどうかは、まだ定かではない。総じて、あなたとこの数百人は皆、咎なく吉を得るので、心配する必要はない。某は大いに喜び、後に果たしてこの占のとおりになった。
上九。損することなく、これを益す。咎なし。貞にして吉。行くところあるに利あり。臣を得て、家なし。
上九。損することなく、これを益す。咎なし。貞にして吉。行くところあるに利あり。臣を得て、家なし。
象伝に曰く。「損することなく、これを益す」とは、大いに志を遂げることである。
この爻は《損》の極に居り、これ以上損することはできない。そこで「損することなく、これを益す」という。その辞は二爻と同じだが、その意味は異なる。上爻は三爻と応じ、三爻は《損》に当たる位置にある。人は、三を損して上を益すのだろうと疑うかもしれないが、三の損は実は上の益である。ゆえに特に「損することなく、これを益す」と示し、三に損があっても上には損益がないことを明らかにする。損がなければ物事は均衡して「咎なし」、道理は安らかで「貞にして吉」となる。「行くところあるに利あり」とは、彖伝のいう「時とともに行う」という意味である。上は艮の極であり、極まれば変ずるので、止まるのではなく進むのである。互卦の下は坤で、坤は臣を表し、艮は家を表す。艮が動いて坤に変わるので、「臣を得て家なし」の象となる。下を損して上を益すのではなく、王者が天下を家とするなら、臣下もこれに感化され、皆、国を第一として私家を忘れる。ゆえに「臣を得て家なし」という。象伝がこれを「大いに志を遂げる」と解するのは、王者が損益を加減しないことを益とし、ひそかに人を移し化して、その跡を見せないからである。その志の及ぶところは非常に大きいので、「大いに志を遂げる」という。
【占い】
○ 時運を問う。目下、何の障害もなく、行くところすべてに利がある。大吉。
○ 戦争を問う。軍隊は増減する必要がない。このまま進めば攻め勝ち、戦いに勝ち、どこへ行っても不利はない。「大いに志を遂げる」ことができる。
○ 商売を問う。商品の値はさほど上下せず、どこへ売りに行っても利益を得られる。大吉。
○ 功名を問う。目下すぐに志を遂げられる。
○ 家宅を問う。この家は改築する必要がなく、おのずから吉利を得る。
○ 病気を問う。外へ出て医者を求めるべきで、咎はない。
○ 旅人を問う。外にあって大吉だが、しばらくは家に帰らないかもしれない。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】明治九年、長崎の商人・大浦阿啓が神代某とともに来て言った。以前、駅逓局から横浜製鉄所へ、船舶修繕費として貸し付けていたが、後に得るものが費用に及ばず、大きな損失を被った。そこで駅逓局へ返納するか、他人に譲渡するかを考えている。二つの案がまだ決まらないので、どちらがよいか占ってほしい。筮して、損が臨に変じた。
断じて曰く。この爻は《損》の極にあり、今後さらに損することはない。損がなければ必ず益がある。ゆえに「損することなく、これを益す。咎なし。貞にして吉。行くところあるに利あり」と辞にいう。二人の友はこれを信じ、業を引き継いで続けることに決めた。翌年、西南の役が起こり、船舶が多く、大きな利益を得たという。
象伝に曰く。「損することなく、これを益す」とは、大いに志を遂げることである。
この爻は《損》の極に居り、これ以上損することはできない。そこで「損することなく、これを益す」という。その辞は二爻と同じだが、その意味は異なる。上爻は三爻と応じ、三爻は《損》に当たる位置にある。人は、三を損して上を益すのだろうと疑うかもしれないが、三の損は実は上の益である。ゆえに特に「損することなく、これを益す」と示し、三に損があっても上には損益がないことを明らかにする。損がなければ物事は均衡して「咎なし」、道理は安らかで「貞にして吉」となる。「行くところあるに利あり」とは、彖伝のいう「時とともに行う」という意味である。上は艮の極であり、極まれば変ずるので、止まるのではなく進むのである。互卦の下は坤で、坤は臣を表し、艮は家を表す。艮が動いて坤に変わるので、「臣を得て家なし」の象となる。下を損して上を益すのではなく、王者が天下を家とするなら、臣下もこれに感化され、皆、国を第一として私家を忘れる。ゆえに「臣を得て家なし」という。象伝がこれを「大いに志を遂げる」と解するのは、王者が損益を加減しないことを益とし、ひそかに人を移し化して、その跡を見せないからである。その志の及ぶところは非常に大きいので、「大いに志を遂げる」という。
【占い】
○ 時運を問う。目下、何の障害もなく、行くところすべてに利がある。大吉。
○ 戦争を問う。軍隊は増減する必要がない。このまま進めば攻め勝ち、戦いに勝ち、どこへ行っても不利はない。「大いに志を遂げる」ことができる。
○ 商売を問う。商品の値はさほど上下せず、どこへ売りに行っても利益を得られる。大吉。
○ 功名を問う。目下すぐに志を遂げられる。
○ 家宅を問う。この家は改築する必要がなく、おのずから吉利を得る。
○ 病気を問う。外へ出て医者を求めるべきで、咎はない。
○ 旅人を問う。外にあって大吉だが、しばらくは家に帰らないかもしれない。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】明治九年、長崎の商人・大浦阿啓が神代某とともに来て言った。以前、駅逓局から横浜製鉄所へ、船舶修繕費として貸し付けていたが、後に得るものが費用に及ばず、大きな損失を被った。そこで駅逓局へ返納するか、他人に譲渡するかを考えている。二つの案がまだ決まらないので、どちらがよいか占ってほしい。筮して、損が臨に変じた。
断じて曰く。この爻は《損》の極にあり、今後さらに損することはない。損がなければ必ず益がある。ゆえに「損することなく、これを益す。咎なし。貞にして吉。行くところあるに利あり」と辞にいう。二人の友はこれを信じ、業を引き継いで続けることに決めた。翌年、西南の役が起こり、船舶が多く、大きな利益を得たという。