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震は雷。震は、亨る。震来たりて虩虩たり、笑言哑哑たり。震、百里を驚かすも、匕鬯を失わず。
震は、亨る。震来たりて虩虩たり、笑言哑哑たり。震、百里を驚かすも、匕鬯を失わず。
51 震は雷
『震』の字は雨を意符とし、『辰』を音符とする。『説卦伝』には『動くなり』、『雑卦伝』には『起こるなり』とある。卦の体は、偶爻二つが坤、奇爻一つが乾である。坤の陰が上、乾の陽が下にあり、陽が伏して外へ出られず、陰に迫られて上昇もできない。そこで震が起こる。これがいわゆる『雷、地より出でて奮う』ということであり、ゆえにこの卦を『震は雷』という。
震は、亨る。震来たりて虩虩たり、笑言哑哑たり。震、百里を驚かすも、匕鬯を失わず。
『説卦伝』にいう。『万物は震より出で、震は東方である』。『説文』によれば、『東』は動くという意味である。陽気は万物を動かし、時においては春となる。春は四時の始まりであり、これは乾元の『始めて亨る』に当たる。ゆえに震という。『虩虩』は恐れおののくこと、『哑哑』は和らぎ楽しむことをいう。震は笑いを表し、また言葉を表す。震が怒りとして発すれば恐ろしく、喜びとして発すれば楽しい。ゆえに『震来たりて虩虩たり、笑言哑哑たり』という。震は諸侯を表す。諸侯は百里の土地を受ける。また震は驚き恐れることを表すので、『震、百里を驚かす』という。震は鬯を表し、鬯は祭器である。『匕』について、『詩経』の注には『棘で作った匕で、鼎の肉を載せて俎に上げるもの』とある。祭祀に臨むとき、心に誠敬を保っていれば、たとえ激しい雷が突然起こっても、守るものを奪われない。ゆえに『匕鬯を失わず』という。
『彖伝』に曰く。震は亨る。震来たりて虩虩たるは、恐れて福を致すなり。笑言哑哑たるは、後に則あるなり。震、百里を驚かすは、遠きを驚かし、近きを恐れしむるなり。出でては宗廟社稷を守り、祭主となるべし。
震の体はもと坤であり、静が極まると動が生じる。乾が一陽をもたらすが、坤の二陰に覆われているため、奮い立って外へ出る。その象が雷、その徳が動である。陽気が奮発して通達し、妨げがないので『震は亨る』という。震には二つの意味がある。人においては恐れ、天においては震き驚かすことである。激しい雷や風が起これば、必ず顔色を改める。聖人でさえ、時に天威を畏れる。これは上帝に仕え、多くの福を求めよという戒めであり、ゆえに『恐れて福を致す』という。やがて雷が止み、気が和らぐと、万物は生じ、人の心も快くなる。精神は清らかになり、身体は安らぎ、言葉と笑いは楽しげでありながら常態を改めない。言葉が天下の則となるという意味であり、ゆえに『後に則あり』という。別の説では、震は乾元を得るので、『後に則あり』とは『乾元、九を用いて、乃ち天の則を見る』につながるともいう。これも通じる。要するに、『虩虩』と『哑哑』は、天が威と福をともに行い、聖人が憂いと楽しみでこれに応じることを示す。天地の和を損なわず、生成の楽しみを得るのである。『虩虩』は震に応じ、『哑哑』はその亨通を得た姿である。『震、百里を驚かす』とは、雷声が百里に聞こえることをいう。雷は地から出るので近くにあるが、その声は遠くまで届く。遠い者も畏れ、近い者はいっそう警戒する。震は長子であり、器を主るに足る。『出づ』とは君が出ることであり、長子が宗廟社稷を守り、祭主となることができるという意味である。祭主は敬いを旨とし、長子は宮を謹み、廟に和して仕える。突然の変事に遭っても、鬯を奉じ匕を執る誠を失わない。これらが震に処する道であり、聖人もただ天にならうのである。
この卦を人事に当てはめる。『玉藻』にいう。『激しい風、急な雷、大雨があれば、必ず身を改め、夜であっても起き上がる』。君子は『恐れて修め、省みる』ので、常に敬い、変事に遭えばいっそう慎む。ところが小人は平生から放逸で、『虩虩』『震き驚く』心がない。ひとたび雷霆の怒りが起こり、その音を聞けば恐れおののいて自制できず、なかには一撃で命を失う者さえある。それでどうして、恐れれば福を致すことを望めようか。震は天道の変であるとはいえ、実は人事が招くものである。天は聖人に対して特に寛大でもなく、凡人に対して特に苛酷でもない。ただ震が来たとき敬を尽くし、震が退いた後も常の行いを改めなければ、『哑哑』の楽しみは『虩虩』から生じる。変に遭って福を求められる者は、平常を守って則となることもできる。遠近の別はあっても、敬には先後がない。ゆえに『遠きを驚かし、近きを恐れしむ』という。震は動くことであり、動には必ず静がある。震は起こることであり、起には必ず伏すことがある。これこそ人事における動作・起居の要旨である。人事で最も大切なのは、神を敬い祖先に仕えることである。鬯を捧げ匕を挙げるとき、一つ一つを誠心で行い、決して落としてはならない。変事があっても心は定まり、恐るべき事があっても精神は安らかである。心中に誠敬がなければ、どうしてこれができようか。
この卦を国家に当てはめる。『帝は震より出ず』。震は乾の長子であり、君父に代わって威を宣べ、福を与えることができる。天の震は雷であり、帝の震は怒りである。『洪範』のいう『帝すなわち震す』とはこのことだ。昔、武王が一度怒ると天下が安らいだ。これが震の亨る意味である。震は威であると同時に仁でもある。天が雷霆を奮い起こすと、その後に雨沢が続く。一時に群陰は威におそれて服し、万物は伸びやかに生育する。その威を畏れる者は魂を飛ばし胆を落とし、その恩を受ける者は徳を食み和を飲む。これが『虩虩』『哑哑』の象であり、その姿はここから現れる。聖王は乾を体して政治を行い、民にその威を畏れさせるなら、必ずその徳を慕わせなければならない。諸侯の封地は百里であり、威徳の及ぶ範囲は百里に始まり四海に至る。いわゆる『近き者は悦び、遠き者は来る』であり、まことに一地方に限られない。四時では震は春、五行では木であり、天地の生気を一身に受ける。天地は生を好むことを徳とし、王者は万物を愛することを心とする。高大で広大な徳は、つつしみ励むことの中にあり、下民に福を造り、後世に則を垂れることができる。『宗廟社稷を守る』とは君主の仕事である。君主が出れば、長子が器を主る。まだ君主になっていなくても、君父の徳と位を受け継ぎ、祭主となることができる。『正義』は、これが『匕鬯を失わず』の意味を解くものだという。
この卦を総合して見ると、鼎の次に置かれる。『序卦伝』にいう。『器を主る者は長子に若くはなし。ゆえにこれを受くるに震をもってす』。『器』とは鼎である。革命が定まれば、必ず長子を立て、体を継ぎ乾を承ける。ゆえに『器を主る』という。これが震が鼎を承ける理由である。震は乾元の剛陽の気を得て、時に応じてすばやく発する。その威怒が一撃のように働くのは天行の健であり、群生を発育させるのは始めを資ける徳である。ゆえに聖人は、兢兢業業を無為とし、生を好むことを神武とする。『虩虩』『哑哑』は道理の根本を同じくする。『虩虩』は天威を畏れて心をほしいままにせず、『哑哑』は天徳を受けて気が和らぐ姿である。これは春に雷が発し、秋に収蔵する道理である。上互卦は坎で、坎は憂いを表すため恐れの象がある。下互卦は艮で、艮は順うことを表すため和悦の意味がある。艮は宗廟・社稷を表すので、その象がある。震は出ること、守ることを表すので『出でて守る』という。震は祭を表すので『祭主となる』という。卦としての震は鼎から出て、鼎は新しくすることを取る。これは静が動へ変わることである。震は艮へ戻り、艮は止まることを取る。これは動が静へ変わることである。動けば声は百里に聞こえ、静まれば敬が心を一つにする。だから福を致し、後世に則を垂れ、遠きを驚かし、近きを恐れしめ、守り、祭ることができ、失うに至らない。これが震によく処するということである。六爻の意味は、それぞれ時に応じている。初爻は一陽を受け、震の主となる。二爻から巽に至るのは春夏の交で、雷が初めて音を発する時である。三爻は離、四爻は坤、五爻は兌、上爻は乾に至り、陽気が伏すと震の道は終わる。爻はすべて二つずつ相対する。初と四が対し、初は剛、四は柔に陥るので、四の『泥』は初の吉に及ばない。二と五が対し、二は『貝を失い』、五は『事あり』、ゆえに二の『追うな』は五の『失うことなし』に及ばない。三と上が対し、三は『蘇蘇』、上は『索索』であるため、上の征は凶で、三の『行けば咎なし』に及ばない。おおむね震に処する道は『恐れて修め、省みる』ことを主とする。初爻を除けば、みな震に処する道を得ていないので、『彖伝』の言葉はただ初爻に専属する。
『大象』に曰く。雷が重なるのが震である。君子はこれによって恐れて修め、省みる。
『洊』とは再びという意味である。上卦も下卦も震なので、洊雷という。坎を『習坎』というのと同じである。雷は天地の威怒の気であり、陰陽が激しく触れ合う音である。人はそれを聞くとぞっとして顔色を変え、邪な考えもそのために消え去る。ゆえに『震来たりて虩虩たり』、恐れない者はない。しかし恐れは一時のことであり、修め省みることは平日の実践である。君子はいつも敬い、震に当たればいっそう慎み、震が退けば振り返って自らを修め、少しも怠らない。喜怒哀楽はすべて天にかなうが、ただ自分を省みることが及ばず、天変を招くのを恐れる。ゆえに心に恐れを保つ者は仰いで天威を畏れ、行いに修省を加える者は敬って天道を受ける。これを『君子は恐れて修め、省みる』という。
【占い】
○ 時運を占う:運勢は動き始めている。勢いが過ぎるのを戒め、慎重に自制すれば、失うことを免れる。
○ 戦争を占う:何日も連続して戦う象がある。その時になって恐れを知り、警戒しなければならない。
○ 商売を占う:震雷は滞っているものを動かす。「滞」とは蓄積して滞留した商品をいう。積み滞った品物も、しばらくすれば皆けさばかれ、売れるようになる。『象伝』に「重なる雷、震」とあるのは、一、二度、売買が盛んになることを示す。
○ 功名を占う:雷は生長・発現の気である。「重なる雷」は、連続して試験や功名を得る象である。
○ 家宅を占う:家の基礎に動きが生じるのを警戒せよ。上爻に「その隣において」とあるので、近隣で建築工事が行われるに違いない。祭祀と祈願をするとよい。
○ 婚姻を占う:震は長男を表し、旁通は巽で、巽は長女を表す。よい縁組である。
○ 病気を占う:肝木が過剰になった症状である。変化が起こるおそれがあり、警戒を要する。
○ 妊娠:男児が生まれる。
○ 失物を占う:動けばすぐに見つかる。
51 震は雷
『震』の字は雨を意符とし、『辰』を音符とする。『説卦伝』には『動くなり』、『雑卦伝』には『起こるなり』とある。卦の体は、偶爻二つが坤、奇爻一つが乾である。坤の陰が上、乾の陽が下にあり、陽が伏して外へ出られず、陰に迫られて上昇もできない。そこで震が起こる。これがいわゆる『雷、地より出でて奮う』ということであり、ゆえにこの卦を『震は雷』という。
震は、亨る。震来たりて虩虩たり、笑言哑哑たり。震、百里を驚かすも、匕鬯を失わず。
『説卦伝』にいう。『万物は震より出で、震は東方である』。『説文』によれば、『東』は動くという意味である。陽気は万物を動かし、時においては春となる。春は四時の始まりであり、これは乾元の『始めて亨る』に当たる。ゆえに震という。『虩虩』は恐れおののくこと、『哑哑』は和らぎ楽しむことをいう。震は笑いを表し、また言葉を表す。震が怒りとして発すれば恐ろしく、喜びとして発すれば楽しい。ゆえに『震来たりて虩虩たり、笑言哑哑たり』という。震は諸侯を表す。諸侯は百里の土地を受ける。また震は驚き恐れることを表すので、『震、百里を驚かす』という。震は鬯を表し、鬯は祭器である。『匕』について、『詩経』の注には『棘で作った匕で、鼎の肉を載せて俎に上げるもの』とある。祭祀に臨むとき、心に誠敬を保っていれば、たとえ激しい雷が突然起こっても、守るものを奪われない。ゆえに『匕鬯を失わず』という。
『彖伝』に曰く。震は亨る。震来たりて虩虩たるは、恐れて福を致すなり。笑言哑哑たるは、後に則あるなり。震、百里を驚かすは、遠きを驚かし、近きを恐れしむるなり。出でては宗廟社稷を守り、祭主となるべし。
震の体はもと坤であり、静が極まると動が生じる。乾が一陽をもたらすが、坤の二陰に覆われているため、奮い立って外へ出る。その象が雷、その徳が動である。陽気が奮発して通達し、妨げがないので『震は亨る』という。震には二つの意味がある。人においては恐れ、天においては震き驚かすことである。激しい雷や風が起これば、必ず顔色を改める。聖人でさえ、時に天威を畏れる。これは上帝に仕え、多くの福を求めよという戒めであり、ゆえに『恐れて福を致す』という。やがて雷が止み、気が和らぐと、万物は生じ、人の心も快くなる。精神は清らかになり、身体は安らぎ、言葉と笑いは楽しげでありながら常態を改めない。言葉が天下の則となるという意味であり、ゆえに『後に則あり』という。別の説では、震は乾元を得るので、『後に則あり』とは『乾元、九を用いて、乃ち天の則を見る』につながるともいう。これも通じる。要するに、『虩虩』と『哑哑』は、天が威と福をともに行い、聖人が憂いと楽しみでこれに応じることを示す。天地の和を損なわず、生成の楽しみを得るのである。『虩虩』は震に応じ、『哑哑』はその亨通を得た姿である。『震、百里を驚かす』とは、雷声が百里に聞こえることをいう。雷は地から出るので近くにあるが、その声は遠くまで届く。遠い者も畏れ、近い者はいっそう警戒する。震は長子であり、器を主るに足る。『出づ』とは君が出ることであり、長子が宗廟社稷を守り、祭主となることができるという意味である。祭主は敬いを旨とし、長子は宮を謹み、廟に和して仕える。突然の変事に遭っても、鬯を奉じ匕を執る誠を失わない。これらが震に処する道であり、聖人もただ天にならうのである。
この卦を人事に当てはめる。『玉藻』にいう。『激しい風、急な雷、大雨があれば、必ず身を改め、夜であっても起き上がる』。君子は『恐れて修め、省みる』ので、常に敬い、変事に遭えばいっそう慎む。ところが小人は平生から放逸で、『虩虩』『震き驚く』心がない。ひとたび雷霆の怒りが起こり、その音を聞けば恐れおののいて自制できず、なかには一撃で命を失う者さえある。それでどうして、恐れれば福を致すことを望めようか。震は天道の変であるとはいえ、実は人事が招くものである。天は聖人に対して特に寛大でもなく、凡人に対して特に苛酷でもない。ただ震が来たとき敬を尽くし、震が退いた後も常の行いを改めなければ、『哑哑』の楽しみは『虩虩』から生じる。変に遭って福を求められる者は、平常を守って則となることもできる。遠近の別はあっても、敬には先後がない。ゆえに『遠きを驚かし、近きを恐れしむ』という。震は動くことであり、動には必ず静がある。震は起こることであり、起には必ず伏すことがある。これこそ人事における動作・起居の要旨である。人事で最も大切なのは、神を敬い祖先に仕えることである。鬯を捧げ匕を挙げるとき、一つ一つを誠心で行い、決して落としてはならない。変事があっても心は定まり、恐るべき事があっても精神は安らかである。心中に誠敬がなければ、どうしてこれができようか。
この卦を国家に当てはめる。『帝は震より出ず』。震は乾の長子であり、君父に代わって威を宣べ、福を与えることができる。天の震は雷であり、帝の震は怒りである。『洪範』のいう『帝すなわち震す』とはこのことだ。昔、武王が一度怒ると天下が安らいだ。これが震の亨る意味である。震は威であると同時に仁でもある。天が雷霆を奮い起こすと、その後に雨沢が続く。一時に群陰は威におそれて服し、万物は伸びやかに生育する。その威を畏れる者は魂を飛ばし胆を落とし、その恩を受ける者は徳を食み和を飲む。これが『虩虩』『哑哑』の象であり、その姿はここから現れる。聖王は乾を体して政治を行い、民にその威を畏れさせるなら、必ずその徳を慕わせなければならない。諸侯の封地は百里であり、威徳の及ぶ範囲は百里に始まり四海に至る。いわゆる『近き者は悦び、遠き者は来る』であり、まことに一地方に限られない。四時では震は春、五行では木であり、天地の生気を一身に受ける。天地は生を好むことを徳とし、王者は万物を愛することを心とする。高大で広大な徳は、つつしみ励むことの中にあり、下民に福を造り、後世に則を垂れることができる。『宗廟社稷を守る』とは君主の仕事である。君主が出れば、長子が器を主る。まだ君主になっていなくても、君父の徳と位を受け継ぎ、祭主となることができる。『正義』は、これが『匕鬯を失わず』の意味を解くものだという。
この卦を総合して見ると、鼎の次に置かれる。『序卦伝』にいう。『器を主る者は長子に若くはなし。ゆえにこれを受くるに震をもってす』。『器』とは鼎である。革命が定まれば、必ず長子を立て、体を継ぎ乾を承ける。ゆえに『器を主る』という。これが震が鼎を承ける理由である。震は乾元の剛陽の気を得て、時に応じてすばやく発する。その威怒が一撃のように働くのは天行の健であり、群生を発育させるのは始めを資ける徳である。ゆえに聖人は、兢兢業業を無為とし、生を好むことを神武とする。『虩虩』『哑哑』は道理の根本を同じくする。『虩虩』は天威を畏れて心をほしいままにせず、『哑哑』は天徳を受けて気が和らぐ姿である。これは春に雷が発し、秋に収蔵する道理である。上互卦は坎で、坎は憂いを表すため恐れの象がある。下互卦は艮で、艮は順うことを表すため和悦の意味がある。艮は宗廟・社稷を表すので、その象がある。震は出ること、守ることを表すので『出でて守る』という。震は祭を表すので『祭主となる』という。卦としての震は鼎から出て、鼎は新しくすることを取る。これは静が動へ変わることである。震は艮へ戻り、艮は止まることを取る。これは動が静へ変わることである。動けば声は百里に聞こえ、静まれば敬が心を一つにする。だから福を致し、後世に則を垂れ、遠きを驚かし、近きを恐れしめ、守り、祭ることができ、失うに至らない。これが震によく処するということである。六爻の意味は、それぞれ時に応じている。初爻は一陽を受け、震の主となる。二爻から巽に至るのは春夏の交で、雷が初めて音を発する時である。三爻は離、四爻は坤、五爻は兌、上爻は乾に至り、陽気が伏すと震の道は終わる。爻はすべて二つずつ相対する。初と四が対し、初は剛、四は柔に陥るので、四の『泥』は初の吉に及ばない。二と五が対し、二は『貝を失い』、五は『事あり』、ゆえに二の『追うな』は五の『失うことなし』に及ばない。三と上が対し、三は『蘇蘇』、上は『索索』であるため、上の征は凶で、三の『行けば咎なし』に及ばない。おおむね震に処する道は『恐れて修め、省みる』ことを主とする。初爻を除けば、みな震に処する道を得ていないので、『彖伝』の言葉はただ初爻に専属する。
『大象』に曰く。雷が重なるのが震である。君子はこれによって恐れて修め、省みる。
『洊』とは再びという意味である。上卦も下卦も震なので、洊雷という。坎を『習坎』というのと同じである。雷は天地の威怒の気であり、陰陽が激しく触れ合う音である。人はそれを聞くとぞっとして顔色を変え、邪な考えもそのために消え去る。ゆえに『震来たりて虩虩たり』、恐れない者はない。しかし恐れは一時のことであり、修め省みることは平日の実践である。君子はいつも敬い、震に当たればいっそう慎み、震が退けば振り返って自らを修め、少しも怠らない。喜怒哀楽はすべて天にかなうが、ただ自分を省みることが及ばず、天変を招くのを恐れる。ゆえに心に恐れを保つ者は仰いで天威を畏れ、行いに修省を加える者は敬って天道を受ける。これを『君子は恐れて修め、省みる』という。
【占い】
○ 時運を占う:運勢は動き始めている。勢いが過ぎるのを戒め、慎重に自制すれば、失うことを免れる。
○ 戦争を占う:何日も連続して戦う象がある。その時になって恐れを知り、警戒しなければならない。
○ 商売を占う:震雷は滞っているものを動かす。「滞」とは蓄積して滞留した商品をいう。積み滞った品物も、しばらくすれば皆けさばかれ、売れるようになる。『象伝』に「重なる雷、震」とあるのは、一、二度、売買が盛んになることを示す。
○ 功名を占う:雷は生長・発現の気である。「重なる雷」は、連続して試験や功名を得る象である。
○ 家宅を占う:家の基礎に動きが生じるのを警戒せよ。上爻に「その隣において」とあるので、近隣で建築工事が行われるに違いない。祭祀と祈願をするとよい。
○ 婚姻を占う:震は長男を表し、旁通は巽で、巽は長女を表す。よい縁組である。
○ 病気を占う:肝木が過剰になった症状である。変化が起こるおそれがあり、警戒を要する。
○ 妊娠:男児が生まれる。
○ 失物を占う:動けばすぐに見つかる。
初九:驚き恐れるほどの衝撃が来るが、その後は朗らかな笑い声と語らいとなる。吉。
初九:驚き恐れるほどの衝撃が来るが、その後は朗らかな笑い声と語らいとなる。吉。
『象伝』にいう。「衝撃が来て恐れ慎む」とは、恐れが福をもたらすということ。「笑い語る」とは、その後には則が備わるということだ。
「恐れおののく」とは、驚いて周囲をうかがう様子であり、「朗らかに笑い語る」とは、笑い声や話し声をいう。初爻は陽位に陽が居て、乾の剛健を得ているため、この卦の主となる。ゆえに彖伝に結びつく辞を受けるのである。これは、事に臨んでは恐れ慎み、事が終われば喜び楽しむことをいう。恐れおののき、後に笑い語り、天に任せて動き、時とともに進むのである。「時が来て初めて笑い、時が来て初めて語る」という意味であり、笑い語る中にも、なお恐れ慎む心を忘れてはならない。爻辞に「後」という一字を加えたことで、その趣旨はいっそう明らかになった。「吉」とは、すなわち「福をもたらす」ということである。天下の道理を見れば、安逸に身を任せることはしばしば禍を招くが、危険を恐れ慎む心は自ら福をもたらす。象伝の「恐れが福をもたらす」とは、恐懼し戒慎することで禍を転じて福を招けるという意味である。また「後には則がある」とは、乾元にいう天の則、すなわち天の道理を指す。時にかなって楽しむことは、天の則にかなうことなのである。この爻が変ずると豫となる。豫は楽しみの意であり、「笑い語る」象もある。この爻辞における震には二つの意味がある。初爻と四爻は、陽が陰を震わせるので、動きの震である。二・三・五・上の四爻は震に震わせられるので、恐れの震である。
【占い】
○ 時運を占う:新たな幸運が訪れ、何事も振るい起こすことができる。先に難があり、後に易しくなり、先に憂い、後に楽しみとなって、あらゆる面で吉を得る。
○ 戦争を占う:初めは敵勢が勇猛に攻めてきて恐ろしいが、後には勝利を得て喜べる。
○ 商売を占う:商売は始まったばかりで、さまざまな困難を恐れなければならない。しかし経営が成就して利益を得れば、時に応じて喜び、吉でないものはない。
○ 功名を占う:ことわざに「苦中の苦を食べてこそ、人の上に立つ者となる」という。先に苦労し、後に得る象である。
○ 家宅を占う:この家には変動があるかもしれない。先に泣き叫び、後に笑う象なので、咎はない。
○ 婚姻を占う:この縁談は初めに憂いと恐れがあるが、後には喜びを得る。吉。
○ 病気を占う:初めは危険だが、後には喜びとなる。「薬を用いなくても喜びがある」。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人某が来て気運を占ってほしいと頼み、震の初爻が豫に変じた。
判断していう。震は雷霆の気であり、大地の中から奮い起こって、元陽を鼓舞し、万物を生長させる。「震来」とは、動いて突然やって来ること。「虩虩」とは、その音を聞いて恐れること。「哑哑」とは、その恵みを受けて喜ぶことである。この卦は春夏の交わり、すなわち雷が初めて鳴り出す時に当たる。今、初爻を得たので、あなたの時運は、まさに春の気が突き抜けて発動する象だと知れる。身を奮い立たせて励めば、大いに成し遂げることができる。万事の始まりには険難が避けられないので、慎み恐れて始めをよく計らなければならない。その後は坎の険もすべて平らかになり、自然に笑い語る楽しみを得る。この爻が動いた本体は豫であり、「何事もあらかじめ備えれば成る」というのがこれである。しかも豫は喜びの意で、「笑い語る」象もあるから、吉であることは明らかだ。後日、果たして占いのとおりになった。
【例】ある人が来て、目下の米価で損得がどうなるか占ってほしいと頼み、震が豫に変じた。
判断していう。爻辞に「震来して虩虩す」とあるので、しばらく米価が変動し、急騰急落の勢いとなり、損得も大きく、たいへん恐ろしいことがわかる。この爻を得た以上、現在の米価によって、あなたは必ず大いに驚かされる。しかし震えが収まり、相場が平らかになるのを待てば、自然に利益を得られる。「笑い語る」とは、なんという喜びであろう。後日、果たして占いのとおりになった。
『象伝』にいう。「衝撃が来て恐れ慎む」とは、恐れが福をもたらすということ。「笑い語る」とは、その後には則が備わるということだ。
「恐れおののく」とは、驚いて周囲をうかがう様子であり、「朗らかに笑い語る」とは、笑い声や話し声をいう。初爻は陽位に陽が居て、乾の剛健を得ているため、この卦の主となる。ゆえに彖伝に結びつく辞を受けるのである。これは、事に臨んでは恐れ慎み、事が終われば喜び楽しむことをいう。恐れおののき、後に笑い語り、天に任せて動き、時とともに進むのである。「時が来て初めて笑い、時が来て初めて語る」という意味であり、笑い語る中にも、なお恐れ慎む心を忘れてはならない。爻辞に「後」という一字を加えたことで、その趣旨はいっそう明らかになった。「吉」とは、すなわち「福をもたらす」ということである。天下の道理を見れば、安逸に身を任せることはしばしば禍を招くが、危険を恐れ慎む心は自ら福をもたらす。象伝の「恐れが福をもたらす」とは、恐懼し戒慎することで禍を転じて福を招けるという意味である。また「後には則がある」とは、乾元にいう天の則、すなわち天の道理を指す。時にかなって楽しむことは、天の則にかなうことなのである。この爻が変ずると豫となる。豫は楽しみの意であり、「笑い語る」象もある。この爻辞における震には二つの意味がある。初爻と四爻は、陽が陰を震わせるので、動きの震である。二・三・五・上の四爻は震に震わせられるので、恐れの震である。
【占い】
○ 時運を占う:新たな幸運が訪れ、何事も振るい起こすことができる。先に難があり、後に易しくなり、先に憂い、後に楽しみとなって、あらゆる面で吉を得る。
○ 戦争を占う:初めは敵勢が勇猛に攻めてきて恐ろしいが、後には勝利を得て喜べる。
○ 商売を占う:商売は始まったばかりで、さまざまな困難を恐れなければならない。しかし経営が成就して利益を得れば、時に応じて喜び、吉でないものはない。
○ 功名を占う:ことわざに「苦中の苦を食べてこそ、人の上に立つ者となる」という。先に苦労し、後に得る象である。
○ 家宅を占う:この家には変動があるかもしれない。先に泣き叫び、後に笑う象なので、咎はない。
○ 婚姻を占う:この縁談は初めに憂いと恐れがあるが、後には喜びを得る。吉。
○ 病気を占う:初めは危険だが、後には喜びとなる。「薬を用いなくても喜びがある」。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人某が来て気運を占ってほしいと頼み、震の初爻が豫に変じた。
判断していう。震は雷霆の気であり、大地の中から奮い起こって、元陽を鼓舞し、万物を生長させる。「震来」とは、動いて突然やって来ること。「虩虩」とは、その音を聞いて恐れること。「哑哑」とは、その恵みを受けて喜ぶことである。この卦は春夏の交わり、すなわち雷が初めて鳴り出す時に当たる。今、初爻を得たので、あなたの時運は、まさに春の気が突き抜けて発動する象だと知れる。身を奮い立たせて励めば、大いに成し遂げることができる。万事の始まりには険難が避けられないので、慎み恐れて始めをよく計らなければならない。その後は坎の険もすべて平らかになり、自然に笑い語る楽しみを得る。この爻が動いた本体は豫であり、「何事もあらかじめ備えれば成る」というのがこれである。しかも豫は喜びの意で、「笑い語る」象もあるから、吉であることは明らかだ。後日、果たして占いのとおりになった。
【例】ある人が来て、目下の米価で損得がどうなるか占ってほしいと頼み、震が豫に変じた。
判断していう。爻辞に「震来して虩虩す」とあるので、しばらく米価が変動し、急騰急落の勢いとなり、損得も大きく、たいへん恐ろしいことがわかる。この爻を得た以上、現在の米価によって、あなたは必ず大いに驚かされる。しかし震えが収まり、相場が平らかになるのを待てば、自然に利益を得られる。「笑い語る」とは、なんという喜びであろう。後日、果たして占いのとおりになった。
六二:衝撃が来て危険となり、財貨を失うと思って九つの丘に登る。追ってはならない。七日たてば得る。
六二:衝撃が来て危険となり、財貨を失うと思って九つの丘に登る。追ってはならない。七日たてば得る。
『象伝』にいう。「衝撃が来て危険」とは、剛の上に乗っているからである。
二爻は坤の体に属し、内卦の中央に居る。「震来」は初爻の辞と同じで、威勢のある声が激しく迫るので「厲」という。「億」は嘆息の辞である。坤には「東北に朋を喪う」とあり、震は東に当たる。震が出れば坤の朋を失う。二つの貝は朋を表すので、「朋を喪う」とは「貝を喪う」ことである。古代には十朋五貝を貨幣として用いたので、貝は価値ある財貨であった。震は陵を表し、初爻は陽の九位に居るため「九陵」という。二爻は初爻の上に拠るので「九陵に跻る」という。震は追うことを表す。坤が貝を失い、震の二爻がそれを追う。しかし窮通・得失にはおのずから定まった数があり、追えば得られることもあれば、追わなくても必ずしも得られないとは限らない。ゆえに「追うな」という。下に震、上に坤があるのが復である。復には「その道を反復し、七日にして来復す」とあり、陰陽の数はそれぞれ六で極まり、七に至ると相対して衝突し、二爻が戻るという意味である。前に失ったものも後に再び得られるので、「七日にして得る」という。復の内卦はもともと震である。復に「朋来たりて咎なし」とあるが、「朋」は貝、「来る」は得ることをいう。象伝が「剛に乗る」と解するのは、六二の柔弱な陰が、下にある初爻の剛に乗り、そのため資金と貝を失うからであり、「震来して厲」となる危険を示すのである。
【占い】
○ 時運を占う:運の道は思うように進まず、失うものもあるが、幸い取り戻せる。
○ 商売を占う:得失は相償うが、なお危険である。
○ 功名を占う:得れば失うことを恐れ、失えば得られないことを恐れる。品格も低い。
○ 戦争を占う:一度驚かされると、兵糧も軍費もすべて失い、高い丘へ陣を移す。危険は極まる。幸い取り戻せても、勝利とはいえない。
○ 婚姻を占う:夫婦は不和となる。財産を携えてひそかに逃げる患いに注意せよ。追及する必要はなく、時がたてば帰って来る。
○ 家宅を占う:凶悪な盗賊に略奪される災いを警戒せよ。失ったものはなお取り戻せる。
○ 病気を占う:病勢はかなり危険だが、七日後には治る。
○ 失物を問う:探さなくても見つかる。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人の益田孝氏は旧幕臣で、かつてフランスに留学し、帰国後は騎兵の図指役を務めていた。当時は攘夷論が盛んで、洋学の徒がしばしば暴挙に及んだため、氏は横浜に身を避け、私は通訳として雇った。明治元年五月、氏は私に告げずに逃亡した。私は深く心配し、一卦を立てたところ、震が帰妹に変じた。
判断していう。この卦の初爻の雷は、起こって激しく打ち、二爻は雷に震え驚き、恐れて高い丘へ逃げる象である。これを「震来して厲、億し貝を喪い、九陵に跻る」という。震は東方の卦なので、必ず東京で大いに恐れ、財を捨てて遠く逃げる。しかし七日後には必ず帰って来るはずである。
当時、この占辞を聞いた人々は半信半疑であった。しかし後に益田氏は果たして七日で帰って来た。尋ねてみると、上野戦争のため官軍の警備が厳重で、やむなく迂回路を取って逃げたのだという。爻辞の言葉は一つ一つ目の前に現れたかのようであった。
【例】ある華族の隠居君が来て言った。「今、切実な用事があり、吉凶がまだ定まらない。どうか占っていただきたい」。筮すると震が帰妹に変じた。
判断していう。震は長子であり、祭器を主る。上下の卦がともに震であるから、兄弟間に変事があり、家督を争う象に違いない。君の相貌を見るに大柄で、まだ三十歳にもならないのにすでに隠居している。家政に多くの故障があり、迫られて隠退したことは言わずとも知れる。今、二爻を得た。二爻は初爻の剛に震わせられて貝を失い、初爻は二爻の下にある。ゆえに臣下に困らされ、位を退いて閑居し、丘陵の間に身を避けたに違いない。だから「震来して厲、億し貝を喪い、九陵に跻る」という。しばらくは分を守り、忍耐して静かに過ごし、決裂に至るような争いを決して急いではならない。要するに、道理には循環があり、事には変革がある。失うことがあっても、必ず再び得られる。ゆえに「追うな、七日にして得る」という。七は数の一周期であり、遅ければ七年、速ければ七か月となる。定まった数には逆らえない。
某氏は大いに感動して言った。「私の旧藩地は南海道にありました。私は庶出ながら長男で、末弟は私より二歳下で嫡出でした。維新の際、厳格な父が病没し、私は年長だったので家政を継ぎました。その後、横浜へ遊学しましたが、若くて自制できず、旧臣たちはそれを口実に私を隠居へ追い込み、弟に家督を継がせました。旧領には満淹炭鉱があり、資本が不足していたので、出資して共同経営するよう勧められました。私は東京や横浜の商人に相談し、高利の金をかなり借りました。ところが産出量が少なく、大きな損失を受け、そのため訴訟にもなりました。最近、貸し主は当時の借用証書を根拠に、私を華族とのみ称して隠居とは認めず、ますます激しく取り立てています。結局、どのような裁判となり、どう決着するのか分かりません。今、失ったものは取り戻せるというあなたの占いを聞き、思わず心が喜びました」。
『象伝』にいう。「衝撃が来て危険」とは、剛の上に乗っているからである。
二爻は坤の体に属し、内卦の中央に居る。「震来」は初爻の辞と同じで、威勢のある声が激しく迫るので「厲」という。「億」は嘆息の辞である。坤には「東北に朋を喪う」とあり、震は東に当たる。震が出れば坤の朋を失う。二つの貝は朋を表すので、「朋を喪う」とは「貝を喪う」ことである。古代には十朋五貝を貨幣として用いたので、貝は価値ある財貨であった。震は陵を表し、初爻は陽の九位に居るため「九陵」という。二爻は初爻の上に拠るので「九陵に跻る」という。震は追うことを表す。坤が貝を失い、震の二爻がそれを追う。しかし窮通・得失にはおのずから定まった数があり、追えば得られることもあれば、追わなくても必ずしも得られないとは限らない。ゆえに「追うな」という。下に震、上に坤があるのが復である。復には「その道を反復し、七日にして来復す」とあり、陰陽の数はそれぞれ六で極まり、七に至ると相対して衝突し、二爻が戻るという意味である。前に失ったものも後に再び得られるので、「七日にして得る」という。復の内卦はもともと震である。復に「朋来たりて咎なし」とあるが、「朋」は貝、「来る」は得ることをいう。象伝が「剛に乗る」と解するのは、六二の柔弱な陰が、下にある初爻の剛に乗り、そのため資金と貝を失うからであり、「震来して厲」となる危険を示すのである。
【占い】
○ 時運を占う:運の道は思うように進まず、失うものもあるが、幸い取り戻せる。
○ 商売を占う:得失は相償うが、なお危険である。
○ 功名を占う:得れば失うことを恐れ、失えば得られないことを恐れる。品格も低い。
○ 戦争を占う:一度驚かされると、兵糧も軍費もすべて失い、高い丘へ陣を移す。危険は極まる。幸い取り戻せても、勝利とはいえない。
○ 婚姻を占う:夫婦は不和となる。財産を携えてひそかに逃げる患いに注意せよ。追及する必要はなく、時がたてば帰って来る。
○ 家宅を占う:凶悪な盗賊に略奪される災いを警戒せよ。失ったものはなお取り戻せる。
○ 病気を占う:病勢はかなり危険だが、七日後には治る。
○ 失物を問う:探さなくても見つかる。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人の益田孝氏は旧幕臣で、かつてフランスに留学し、帰国後は騎兵の図指役を務めていた。当時は攘夷論が盛んで、洋学の徒がしばしば暴挙に及んだため、氏は横浜に身を避け、私は通訳として雇った。明治元年五月、氏は私に告げずに逃亡した。私は深く心配し、一卦を立てたところ、震が帰妹に変じた。
判断していう。この卦の初爻の雷は、起こって激しく打ち、二爻は雷に震え驚き、恐れて高い丘へ逃げる象である。これを「震来して厲、億し貝を喪い、九陵に跻る」という。震は東方の卦なので、必ず東京で大いに恐れ、財を捨てて遠く逃げる。しかし七日後には必ず帰って来るはずである。
当時、この占辞を聞いた人々は半信半疑であった。しかし後に益田氏は果たして七日で帰って来た。尋ねてみると、上野戦争のため官軍の警備が厳重で、やむなく迂回路を取って逃げたのだという。爻辞の言葉は一つ一つ目の前に現れたかのようであった。
【例】ある華族の隠居君が来て言った。「今、切実な用事があり、吉凶がまだ定まらない。どうか占っていただきたい」。筮すると震が帰妹に変じた。
判断していう。震は長子であり、祭器を主る。上下の卦がともに震であるから、兄弟間に変事があり、家督を争う象に違いない。君の相貌を見るに大柄で、まだ三十歳にもならないのにすでに隠居している。家政に多くの故障があり、迫られて隠退したことは言わずとも知れる。今、二爻を得た。二爻は初爻の剛に震わせられて貝を失い、初爻は二爻の下にある。ゆえに臣下に困らされ、位を退いて閑居し、丘陵の間に身を避けたに違いない。だから「震来して厲、億し貝を喪い、九陵に跻る」という。しばらくは分を守り、忍耐して静かに過ごし、決裂に至るような争いを決して急いではならない。要するに、道理には循環があり、事には変革がある。失うことがあっても、必ず再び得られる。ゆえに「追うな、七日にして得る」という。七は数の一周期であり、遅ければ七年、速ければ七か月となる。定まった数には逆らえない。
某氏は大いに感動して言った。「私の旧藩地は南海道にありました。私は庶出ながら長男で、末弟は私より二歳下で嫡出でした。維新の際、厳格な父が病没し、私は年長だったので家政を継ぎました。その後、横浜へ遊学しましたが、若くて自制できず、旧臣たちはそれを口実に私を隠居へ追い込み、弟に家督を継がせました。旧領には満淹炭鉱があり、資本が不足していたので、出資して共同経営するよう勧められました。私は東京や横浜の商人に相談し、高利の金をかなり借りました。ところが産出量が少なく、大きな損失を受け、そのため訴訟にもなりました。最近、貸し主は当時の借用証書を根拠に、私を華族とのみ称して隠居とは認めず、ますます激しく取り立てています。結局、どのような裁判となり、どう決着するのか分かりません。今、失ったものは取り戻せるというあなたの占いを聞き、思わず心が喜びました」。
六三:震えおののくが、震の中を進めば災いはない。
六三:震えおののくが、震の中を進めば災いはない。
『象伝』にいう。「震えおののく」とは、位がふさわしくないからである。
「震えおののく」とは、『正義』では恐れ不安な様子と説く。初爻の「虩虩」よりも、さらに落ち着かないのである。三爻は内卦と外卦の境にあり、内卦の震がまだ止まらないうちに、外の震がまたやって来る。天の雷は震えるほどいよいよ激しくなり、人の心もまた震えるほど恐れを増す。「恐懼して修省する」のであり、しばらくも気を緩めることはできない。一念でも放縦になれば、災いがそれに乗じて来る。震は行動を表す。震に続いて震が来るなら、進んで行動してこそ咎がない。天は震えによって人を戒め、人はその戒めを受けて天に応じなければならない。天を受けて行えば、災いは自然に消える。象伝が「位がふさわしくない」と説くのは、人が世に処して、いつでも時と位を正しく得られるはずはないからである。まさに位がふさわしくないからこそ、ひとたび震動に遭えば、いっそう慎重にしなければならず、それによって害を免れることができる。
【占い】
○ 時運を占う:運の道がふさわしくない。ますます慎重を加え、用心して進めば、必ず災いも咎もない。
○ 商売を占う:売り先や販売経路がふさわしくない。商売を改め、別の道を取れば損失を免れる。
○ 功名を占う:「位がふさわしくない」とは、才能が任に及ばないということ。得ても危うい。
○ 戦争を占う:震卦全体が危険と恐れの地にある。「蘇蘇」とは死んで再び生きる意で、この戦で勝利を望むのは難しく、ただ生きて逃れるだけである。
○ 婚姻を占う:家柄のつり合いが取れていない。
○ 病気を占う:危険ではあるが、再び生気を得て回復する。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】私は例年冬至の日に諸事を占っていた。明治二十五年の冬、攝綿土製造会社の運勢を占ったところ、震が豊に変じた。
判断していう。三爻に至ると震はますます激しくなり、人事においては大きな驚きの象である。その会社の結晶製造法は精巧で、社員もそれぞれ業務に安んじていたので、思いがけない恐怖など起こりそうになかった。しかし今、三爻を得て、その爻辞を考えると、深く恐れを抱いた。
ところがその年の十一月、濃尾地方で大地震が起こり、会社の煙突やかまどがたちまち破裂し、社員も数名負傷した。この災害は三十年来かつてなかったものである。当時この爻辞を得ても、災いがどこから来るのか分からなかったが、災害後に思い返すと、神霊が前もって知っていたことにいよいよ感嘆した。
『象伝』にいう。「震えおののく」とは、位がふさわしくないからである。
「震えおののく」とは、『正義』では恐れ不安な様子と説く。初爻の「虩虩」よりも、さらに落ち着かないのである。三爻は内卦と外卦の境にあり、内卦の震がまだ止まらないうちに、外の震がまたやって来る。天の雷は震えるほどいよいよ激しくなり、人の心もまた震えるほど恐れを増す。「恐懼して修省する」のであり、しばらくも気を緩めることはできない。一念でも放縦になれば、災いがそれに乗じて来る。震は行動を表す。震に続いて震が来るなら、進んで行動してこそ咎がない。天は震えによって人を戒め、人はその戒めを受けて天に応じなければならない。天を受けて行えば、災いは自然に消える。象伝が「位がふさわしくない」と説くのは、人が世に処して、いつでも時と位を正しく得られるはずはないからである。まさに位がふさわしくないからこそ、ひとたび震動に遭えば、いっそう慎重にしなければならず、それによって害を免れることができる。
【占い】
○ 時運を占う:運の道がふさわしくない。ますます慎重を加え、用心して進めば、必ず災いも咎もない。
○ 商売を占う:売り先や販売経路がふさわしくない。商売を改め、別の道を取れば損失を免れる。
○ 功名を占う:「位がふさわしくない」とは、才能が任に及ばないということ。得ても危うい。
○ 戦争を占う:震卦全体が危険と恐れの地にある。「蘇蘇」とは死んで再び生きる意で、この戦で勝利を望むのは難しく、ただ生きて逃れるだけである。
○ 婚姻を占う:家柄のつり合いが取れていない。
○ 病気を占う:危険ではあるが、再び生気を得て回復する。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】私は例年冬至の日に諸事を占っていた。明治二十五年の冬、攝綿土製造会社の運勢を占ったところ、震が豊に変じた。
判断していう。三爻に至ると震はますます激しくなり、人事においては大きな驚きの象である。その会社の結晶製造法は精巧で、社員もそれぞれ業務に安んじていたので、思いがけない恐怖など起こりそうになかった。しかし今、三爻を得て、その爻辞を考えると、深く恐れを抱いた。
ところがその年の十一月、濃尾地方で大地震が起こり、会社の煙突やかまどがたちまち破裂し、社員も数名負傷した。この災害は三十年来かつてなかったものである。当時この爻辞を得ても、災いがどこから来るのか分からなかったが、災害後に思い返すと、神霊が前もって知っていたことにいよいよ感嘆した。
九四:震え動いて、ついに泥に陥る。
九四:震え動いて、ついに泥に陥る。
『象伝』にいう。「震え動いてついに泥に陥る」とは、まだ光明がないからである。
「遂」とは、進んで帰らないこと。「泥」とは、陥って抜け出せない象である。四爻は外卦の主であり、上体には互卦の坎を含み、坤の中にはさまれている。坤は泥、坎は雨であり、坤土が雨を受ければ泥道となる。ゆえに「震遂に泥」という。震えることを一度、二度、三度と重ねるうちに、陽の威勢は尽き、泥沼に陥って自ら抜け出せないようになる。君子が「恐懼して修省する」ので、四爻ではことさらに厳しく身を戒めるのである。象伝が「まだ光明がない」と解するのは、四爻が本来初爻と応じ、四爻の卦体は初爻の体でもあるのに、初爻のように乾元を体現できないからである。乾は光を表す。初爻はそれを得るが、四爻では乾の陽がすでに衰えている。ゆえに「まだ光明がない」という。また、爻位もその原因となっている。
【占い】
○ 時運を占う:盛運はすでに過ぎ、精力も衰えている。奮い立とうとしても、遠くへ進むのは結局、泥に陥るような不安がある。
○ 戦争を占う:戦いでは「一鼓して気を作る」という。三鼓、四鼓に至れば勇気は衰える。軽率に進めば、車馬が泥沼に陥り、敵に包囲されるおそれがある。
○ 商売を占う:商売自体はよいが、財を泥砂のように使い果たし、結局は蓄えられないおそれがある。
○ 功名を占う:尾を泥の中に引きずる象である。進むより退くのがよい。
○ 婚姻を占う:縁組そのものは必ず成る。ただし両者は雲泥の隔たりがあり、身分に上下の差があるか、道が南北に分かれているのかもしれない。
○ 病気を占う:中焦に食積や泥滞があり、腹鳴と痛みを起こしているに違いない。薬は下焦を開通させるものがよい。
○ 家宅を占う:門前に土が積もって山となり、屋内の溝も多く通じていない。そのため陽気が塞がれ、不利である。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人某が来て気運を占ってほしいと頼み、震が復に変じた。
判断していう。震卦は長子が家を継ぎ、家業を保つ象である。一爻を一世代とすれば、四爻に至るころには継承も長く続き、代々の余沢はすでに衰えている。後の人々が一人でも自制しなければ、次第に放蕩淫逸に流れ、先祖の事業を失墜させる。まるで身を泥沼に落として、進退の自由を失うようなもので、どうして先人の功業を輝かせられようか。爻象がこのようであるから、あなたは「恐懼して修省し」、努めて自ら奮い立つべきである。後に聞くと、その人は自分の才力が足りないことを知り、事業を譲って隠退し、みずから楽しむことにした。
『象伝』にいう。「震え動いてついに泥に陥る」とは、まだ光明がないからである。
「遂」とは、進んで帰らないこと。「泥」とは、陥って抜け出せない象である。四爻は外卦の主であり、上体には互卦の坎を含み、坤の中にはさまれている。坤は泥、坎は雨であり、坤土が雨を受ければ泥道となる。ゆえに「震遂に泥」という。震えることを一度、二度、三度と重ねるうちに、陽の威勢は尽き、泥沼に陥って自ら抜け出せないようになる。君子が「恐懼して修省する」ので、四爻ではことさらに厳しく身を戒めるのである。象伝が「まだ光明がない」と解するのは、四爻が本来初爻と応じ、四爻の卦体は初爻の体でもあるのに、初爻のように乾元を体現できないからである。乾は光を表す。初爻はそれを得るが、四爻では乾の陽がすでに衰えている。ゆえに「まだ光明がない」という。また、爻位もその原因となっている。
【占い】
○ 時運を占う:盛運はすでに過ぎ、精力も衰えている。奮い立とうとしても、遠くへ進むのは結局、泥に陥るような不安がある。
○ 戦争を占う:戦いでは「一鼓して気を作る」という。三鼓、四鼓に至れば勇気は衰える。軽率に進めば、車馬が泥沼に陥り、敵に包囲されるおそれがある。
○ 商売を占う:商売自体はよいが、財を泥砂のように使い果たし、結局は蓄えられないおそれがある。
○ 功名を占う:尾を泥の中に引きずる象である。進むより退くのがよい。
○ 婚姻を占う:縁組そのものは必ず成る。ただし両者は雲泥の隔たりがあり、身分に上下の差があるか、道が南北に分かれているのかもしれない。
○ 病気を占う:中焦に食積や泥滞があり、腹鳴と痛みを起こしているに違いない。薬は下焦を開通させるものがよい。
○ 家宅を占う:門前に土が積もって山となり、屋内の溝も多く通じていない。そのため陽気が塞がれ、不利である。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】友人某が来て気運を占ってほしいと頼み、震が復に変じた。
判断していう。震卦は長子が家を継ぎ、家業を保つ象である。一爻を一世代とすれば、四爻に至るころには継承も長く続き、代々の余沢はすでに衰えている。後の人々が一人でも自制しなければ、次第に放蕩淫逸に流れ、先祖の事業を失墜させる。まるで身を泥沼に落として、進退の自由を失うようなもので、どうして先人の功業を輝かせられようか。爻象がこのようであるから、あなたは「恐懼して修省し」、努めて自ら奮い立つべきである。後に聞くと、その人は自分の才力が足りないことを知り、事業を譲って隠退し、みずから楽しむことにした。
六五:震えが行き来し、そのたびに危険である。失うものはないと思うが、なお事に当たらなければならない。
六五:震えが行き来し、そのたびに危険である。失うものはないと思うが、なお事に当たらなければならない。
象伝にいう。雷が行き来して危ういとは、危険を冒して進むことである。その事が中にあるとは、大きな損失がないことである。
卦例では、内から外へ向かうのを「往」といい、外から内へ入るのを「来」という。五爻は外卦の中央にあり、内卦の震がにわかに往き、外卦の震がまた来るので、「往来して危うい」という。二爻と五爻は応じ合うため、爻辞もよく似ている。「事あり」とは祭祀の事をいう。『春秋』の「太廟に事あり」「武宮に事あり」がこれである。五爻は尊位にいて中正の徳を備える。その心はつねに祭りを執り行うように慎み恐れるので、「事ありても喪失なし」といえる。虞氏は「喪失なし」を彖伝の「匕鬯を失わず」と解する。祭祀の作法では、主祭者も補佐役も皆、務めを果たそうとする。「喪失なし」とは、手にしている務めを失わないということで、必ずしも匕と鬯酒だけを指すわけではないが、もちろんその中にも含まれる。象伝が「危うく進む」というのは、震が行動を表し、その行動が五爻に至るまで往来を重ね、すべて震の中にあるからである。心が危うければ、行いも危うい。また「大きな喪失はない」というのは、「国家の大事は祭祀と軍事にある」からである。五爻が動くと卦体は随となり、随の上爻は「用いて享す」といい、初爻が五爻に変わると萃となり、萃の彖伝は「廟を仮る」という。いずれも大事なので、「まったく喪失はない」というのである。
【占い】
○ 時運を問う。運勢は中正で、幾多の危険を経ても、最後には大事を成し遂げられる。
○ 商売を問う。商品の往来は危うさを免れる。「億」は万の万で、利益は非常に大きい。多少の損失はあっても、大きな損はない。
○ 栄達を問う。この名誉は必ず苦難を経て得る。大任を受け、大功を成す兆しである。
○ 婚姻を問う。婚姻が整った後、家に大きな祭祀または葬儀が起こることに注意せよ。
○ 家宅を問う。この家には悪霊のたたりがある。幸い人命は失われないので、祭祀し祈願するとよい。
○ 訴訟を問う。双方とも危ういが、中立の人に調停してもらえば、敗訴には至らない。
○ 失物を問う。小物は見つけにくいが、大きな物は損なわれていない。
○ 懐妊について問う。男児が生まれ、貴い身分となる。
【例】友人が来て、家督を継ぐ者の運勢を占ってほしいと頼んだ。得卦は震が随に変じた。
断じていう。震は長男が父の業を継ぐ卦である。卦体は上に陰爻四つ、下に陽爻二つがあり、陽が陰に抑えられている。二陽が奮い立って外へ出ようとするので震となり、その家はこれまで女が権力を独占していたに違いない。今、震が五爻に至れば陽気はすでに盛んで、外へ出て事に当たることができる。初爻から五爻に至るまで、往来の道で危険を十分に経験するが、「恐懼して身を修め省みる」ことにより、慎み深く励み、祖先に恥じないなら、「宗廟がこれを享け、子孫がこれを保つ」という状態になる。まさにここをいう。ゆえに「喪失なく、事を行う」とある。後に果たしてこの占断どおりになった。
象伝にいう。雷が行き来して危ういとは、危険を冒して進むことである。その事が中にあるとは、大きな損失がないことである。
卦例では、内から外へ向かうのを「往」といい、外から内へ入るのを「来」という。五爻は外卦の中央にあり、内卦の震がにわかに往き、外卦の震がまた来るので、「往来して危うい」という。二爻と五爻は応じ合うため、爻辞もよく似ている。「事あり」とは祭祀の事をいう。『春秋』の「太廟に事あり」「武宮に事あり」がこれである。五爻は尊位にいて中正の徳を備える。その心はつねに祭りを執り行うように慎み恐れるので、「事ありても喪失なし」といえる。虞氏は「喪失なし」を彖伝の「匕鬯を失わず」と解する。祭祀の作法では、主祭者も補佐役も皆、務めを果たそうとする。「喪失なし」とは、手にしている務めを失わないということで、必ずしも匕と鬯酒だけを指すわけではないが、もちろんその中にも含まれる。象伝が「危うく進む」というのは、震が行動を表し、その行動が五爻に至るまで往来を重ね、すべて震の中にあるからである。心が危うければ、行いも危うい。また「大きな喪失はない」というのは、「国家の大事は祭祀と軍事にある」からである。五爻が動くと卦体は随となり、随の上爻は「用いて享す」といい、初爻が五爻に変わると萃となり、萃の彖伝は「廟を仮る」という。いずれも大事なので、「まったく喪失はない」というのである。
【占い】
○ 時運を問う。運勢は中正で、幾多の危険を経ても、最後には大事を成し遂げられる。
○ 商売を問う。商品の往来は危うさを免れる。「億」は万の万で、利益は非常に大きい。多少の損失はあっても、大きな損はない。
○ 栄達を問う。この名誉は必ず苦難を経て得る。大任を受け、大功を成す兆しである。
○ 婚姻を問う。婚姻が整った後、家に大きな祭祀または葬儀が起こることに注意せよ。
○ 家宅を問う。この家には悪霊のたたりがある。幸い人命は失われないので、祭祀し祈願するとよい。
○ 訴訟を問う。双方とも危ういが、中立の人に調停してもらえば、敗訴には至らない。
○ 失物を問う。小物は見つけにくいが、大きな物は損なわれていない。
○ 懐妊について問う。男児が生まれ、貴い身分となる。
【例】友人が来て、家督を継ぐ者の運勢を占ってほしいと頼んだ。得卦は震が随に変じた。
断じていう。震は長男が父の業を継ぐ卦である。卦体は上に陰爻四つ、下に陽爻二つがあり、陽が陰に抑えられている。二陽が奮い立って外へ出ようとするので震となり、その家はこれまで女が権力を独占していたに違いない。今、震が五爻に至れば陽気はすでに盛んで、外へ出て事に当たることができる。初爻から五爻に至るまで、往来の道で危険を十分に経験するが、「恐懼して身を修め省みる」ことにより、慎み深く励み、祖先に恥じないなら、「宗廟がこれを享け、子孫がこれを保つ」という状態になる。まさにここをいう。ゆえに「喪失なく、事を行う」とある。後に果たしてこの占断どおりになった。
上六。雷におびえて身がすくみ、目をきょろきょろさせる。進めば凶。雷は本人ではなく隣に落ちるので咎はない。婚姻には言葉がある。
上六。雷におびえて身がすくみ、目をきょろきょろさせる。進めば凶。雷は本人ではなく隣に落ちるので咎はない。婚姻には言葉がある。
象伝にいう。「雷におびえて身がすくむ」とは、中心の目的がまだ達成されていないのである。凶であっても咎がないのは、隣への恐れが戒めとなるからである。
「索」は求めること、「索索」は内外をくまなく探し求めることである。「矍」は振り返ること、「矍矍」は左右を驚いて見回すことである。震が上爻に至って極まる。五爻は尊位であり、その上は宗廟社稷、神明の至るところである。震が上にあるのは、史書に大廟や正殿に雷が落ちたと記されるようなもので、これ以上大きな災いがあるだろうかと思われるほど、恐ろしく畏れるべきことである。そこで天の怒りがどこから来たのかを探り、心中深くおののき、ついにはためらいながら周囲を見回し、驚き疑って定まらなくなる。ただ恭しく沈黙して過ちを省み、いっそう慎重であるべきである。もし再び軽率に動いて進めば、凶であることは明白なので、「進めば凶」という。ここでいう「その身」とは上爻自身の身である。上爻は五爻と隣り合うので、「その隣」とは五爻を指す。五爻は祭主で、尊く重い任にあり、索索・矍矍の恐れが集まるところである。だから「その身ではなく、その隣」という。君子は「恐れて身を修め省みる」。隣に震があるからといって怠らず、むしろ隣に震があるからこそ、ますます敬虔になる。恐れと戒めが互いに続くので、凶であっても咎はない。「婚媾に言葉あり」とは、彖伝の「笑言哑哑」の言葉である。上爻は震の終わりであり、君子は夜も慎み、朝には励み、己を振り返って内省する。震の終わりに至って、咎なしとの告げを得るのである。震の威が晴れると、恐れが尽きて喜びが来、朗らかな声が聞こえる。婚姻においても、君子の言葉を言葉とすることができる。一家の中で憂いも楽しみも共にするのは、君子が模範を示した感化による。この章は彖伝の「おののく」「朗らかに語る」という意味をすべて示し、特に上爻で重ねて述べたものなのである。
【占い】
○ 時運を問う。震動がまさに収まろうとしている。みだりに進めば凶、静かに守れば吉。
○ 栄達を問う。位が高いほど危険である。退いて守るのがよく、咎を免れられる。
○ 商売を問う。変動はすでに収まった。欲をかきすぎてはならない。他人の損失を見たなら、なお慎重に守ってこそ咎がない。
○ 戦争を問う。本来は一戦で決着できる時である。近くの陣営に異変があると聞けば、急いで救援に向かい、傍観してはならない。
○ 婚姻を問う。震と巽には夫婦の象があるので、近いうちに媒酌人が話を持って来るだろう。
○ 家宅を問う。震が「隣に」あるので、隣家に動揺の兆しがあるかもしれない。咎はない。
○ 病気を問う。心魂の不安から病み、視力もはっきりしない。静養がよい。この人には差し支えないが、隣人の病は救いにくいだろう。
○ 妊娠を問う。男児が生まれる。ただし目の病に注意せよ。
【例】明治十八年の某月、友人の茂木充実氏が友人の山田五郎氏を伴って来て、こう言った。「この人はかつて幕府に仕え、明治元年の上野戦役で東軍が敗走したとき、一家で脱走して奥州磐平城へ赴き、両親と妹を友人に託し、弟を率いて仙台へ行き、磐城・相馬・駒峰など各地で戦った。その後、仙台藩が降伏し、捕虜となって東京で投獄されたが、やがて赦免され、磐平城へ行って両親と妹を探した。託した友人の家も、彼らがどこへ行ったか知らなかった。失望して帰ったが、無念を晴らせない。どう行ったかを占うため、一度筮してほしい。」得卦は震が噬嗑に変じた。
断じていう。震は東に属し、互卦は坎で北に属する。わが国の地図でいえば、東北の方角は宮城・岩手・青森などの県である。おそらくそのあたりではないか。震は乾の初爻を得て男となる。震の男が成長すれば、乾坤はその位を退くので、老いた両親はおそらくともに亡くなっているだろう。震の中が空いて離となり、離が再び一爻を得て女となる。離は離散を意味するので、妹は離れ離れになっていても、なお生きていると思われる。上爻は位のない土地なので、その場所は辺鄙な所である。爻辞の「震、索索」はあちこち探しても、必ずしも見つかるとは限らないということ。「視ること矍矍」は、たとえ出会っても互いに驚いて見つめ合い、本人だと認められないことをいう。「その身ではなく、その隣」とは、おそらく近隣で婚姻に関する伝聞を得るということである。爻象から探ると、方向も事情もこのようになる。ああ、あなたのご両親は会えないが、妹には必ず会えるだろう。」するとその人は大いに感激して言った。「豊後の婦人で、天徳という人がいる。未来の吉凶を予言できるので、以前訪ねて占ってもらった。彼女は『急いで探しても見つからない。ゆっくり探せば会える』と言った。場所を尋ねると、『東北で、落合という地名の所』と答えたが、結局詳しい場所は語らなかった。今日あなたの占断も同じである。もう一度東北へ行って探してみよう。」
【例】明治二十八年、わが国と朝鮮との交際について占い、得卦は震が噬嗑に変じた。
断じていう。震は動きであり、興起であり、もともと大衆を動員して兵を起こす象を含む。上爻は卦の終わりであり、事の極みでもある。今、わが国と朝鮮との交際を占って上爻を得た。爻辞に「震は索索、視ること矍矍、進めば凶」とある。朝鮮の国土は長く外国勢力から要求され、国勢も早くから外国勢力に敵視されていた。このまま改めることなく進めば、国は必ず凶に遭う。だから「進めば凶」という。朝鮮は清と隣接しているため、朝鮮に事があれば、まず清に事が及ぶ。これが「震はその身ではなく、その隣にある」という意味である。清は朝鮮を属国と見ており、これは婚姻関係のようなものだ。もし突然朝鮮を困らせれば、清は必ず出て来て抗議の言葉を発する。これが「婚媾に言葉あり」である。象伝の「震は索索、中いまだ得ず」とは、清がまだ得るところがないことをいう。また「凶であっても咎なし、隣を畏れて戒めるから」とは、わが国が清に時勢を覚知させれば、朝鮮への警告となるということだ。ゆえに凶であっても咎はない。
象伝にいう。「雷におびえて身がすくむ」とは、中心の目的がまだ達成されていないのである。凶であっても咎がないのは、隣への恐れが戒めとなるからである。
「索」は求めること、「索索」は内外をくまなく探し求めることである。「矍」は振り返ること、「矍矍」は左右を驚いて見回すことである。震が上爻に至って極まる。五爻は尊位であり、その上は宗廟社稷、神明の至るところである。震が上にあるのは、史書に大廟や正殿に雷が落ちたと記されるようなもので、これ以上大きな災いがあるだろうかと思われるほど、恐ろしく畏れるべきことである。そこで天の怒りがどこから来たのかを探り、心中深くおののき、ついにはためらいながら周囲を見回し、驚き疑って定まらなくなる。ただ恭しく沈黙して過ちを省み、いっそう慎重であるべきである。もし再び軽率に動いて進めば、凶であることは明白なので、「進めば凶」という。ここでいう「その身」とは上爻自身の身である。上爻は五爻と隣り合うので、「その隣」とは五爻を指す。五爻は祭主で、尊く重い任にあり、索索・矍矍の恐れが集まるところである。だから「その身ではなく、その隣」という。君子は「恐れて身を修め省みる」。隣に震があるからといって怠らず、むしろ隣に震があるからこそ、ますます敬虔になる。恐れと戒めが互いに続くので、凶であっても咎はない。「婚媾に言葉あり」とは、彖伝の「笑言哑哑」の言葉である。上爻は震の終わりであり、君子は夜も慎み、朝には励み、己を振り返って内省する。震の終わりに至って、咎なしとの告げを得るのである。震の威が晴れると、恐れが尽きて喜びが来、朗らかな声が聞こえる。婚姻においても、君子の言葉を言葉とすることができる。一家の中で憂いも楽しみも共にするのは、君子が模範を示した感化による。この章は彖伝の「おののく」「朗らかに語る」という意味をすべて示し、特に上爻で重ねて述べたものなのである。
【占い】
○ 時運を問う。震動がまさに収まろうとしている。みだりに進めば凶、静かに守れば吉。
○ 栄達を問う。位が高いほど危険である。退いて守るのがよく、咎を免れられる。
○ 商売を問う。変動はすでに収まった。欲をかきすぎてはならない。他人の損失を見たなら、なお慎重に守ってこそ咎がない。
○ 戦争を問う。本来は一戦で決着できる時である。近くの陣営に異変があると聞けば、急いで救援に向かい、傍観してはならない。
○ 婚姻を問う。震と巽には夫婦の象があるので、近いうちに媒酌人が話を持って来るだろう。
○ 家宅を問う。震が「隣に」あるので、隣家に動揺の兆しがあるかもしれない。咎はない。
○ 病気を問う。心魂の不安から病み、視力もはっきりしない。静養がよい。この人には差し支えないが、隣人の病は救いにくいだろう。
○ 妊娠を問う。男児が生まれる。ただし目の病に注意せよ。
【例】明治十八年の某月、友人の茂木充実氏が友人の山田五郎氏を伴って来て、こう言った。「この人はかつて幕府に仕え、明治元年の上野戦役で東軍が敗走したとき、一家で脱走して奥州磐平城へ赴き、両親と妹を友人に託し、弟を率いて仙台へ行き、磐城・相馬・駒峰など各地で戦った。その後、仙台藩が降伏し、捕虜となって東京で投獄されたが、やがて赦免され、磐平城へ行って両親と妹を探した。託した友人の家も、彼らがどこへ行ったか知らなかった。失望して帰ったが、無念を晴らせない。どう行ったかを占うため、一度筮してほしい。」得卦は震が噬嗑に変じた。
断じていう。震は東に属し、互卦は坎で北に属する。わが国の地図でいえば、東北の方角は宮城・岩手・青森などの県である。おそらくそのあたりではないか。震は乾の初爻を得て男となる。震の男が成長すれば、乾坤はその位を退くので、老いた両親はおそらくともに亡くなっているだろう。震の中が空いて離となり、離が再び一爻を得て女となる。離は離散を意味するので、妹は離れ離れになっていても、なお生きていると思われる。上爻は位のない土地なので、その場所は辺鄙な所である。爻辞の「震、索索」はあちこち探しても、必ずしも見つかるとは限らないということ。「視ること矍矍」は、たとえ出会っても互いに驚いて見つめ合い、本人だと認められないことをいう。「その身ではなく、その隣」とは、おそらく近隣で婚姻に関する伝聞を得るということである。爻象から探ると、方向も事情もこのようになる。ああ、あなたのご両親は会えないが、妹には必ず会えるだろう。」するとその人は大いに感激して言った。「豊後の婦人で、天徳という人がいる。未来の吉凶を予言できるので、以前訪ねて占ってもらった。彼女は『急いで探しても見つからない。ゆっくり探せば会える』と言った。場所を尋ねると、『東北で、落合という地名の所』と答えたが、結局詳しい場所は語らなかった。今日あなたの占断も同じである。もう一度東北へ行って探してみよう。」
【例】明治二十八年、わが国と朝鮮との交際について占い、得卦は震が噬嗑に変じた。
断じていう。震は動きであり、興起であり、もともと大衆を動員して兵を起こす象を含む。上爻は卦の終わりであり、事の極みでもある。今、わが国と朝鮮との交際を占って上爻を得た。爻辞に「震は索索、視ること矍矍、進めば凶」とある。朝鮮の国土は長く外国勢力から要求され、国勢も早くから外国勢力に敵視されていた。このまま改めることなく進めば、国は必ず凶に遭う。だから「進めば凶」という。朝鮮は清と隣接しているため、朝鮮に事があれば、まず清に事が及ぶ。これが「震はその身ではなく、その隣にある」という意味である。清は朝鮮を属国と見ており、これは婚姻関係のようなものだ。もし突然朝鮮を困らせれば、清は必ず出て来て抗議の言葉を発する。これが「婚媾に言葉あり」である。象伝の「震は索索、中いまだ得ず」とは、清がまだ得るところがないことをいう。また「凶であっても咎なし、隣を畏れて戒めるから」とは、わが国が清に時勢を覚知させれば、朝鮮への警告となるということだ。ゆえに凶であっても咎はない。