高島易断 · 卦ごとの解説

高島易断 · 易経 第 61 卦 風沢中孚、中孚:豚魚吉なり。大川を渡るに利あり、貞に利あり。

風沢中孚、中孚:豚魚吉なり。大川を渡るに利あり、貞に利あり。

中孚:豚魚吉なり。大川を渡るに利あり、貞に利あり。

61 風沢中孚

卦体は上が巽、下が兌で、巽は風、兌は沢を表します。風が季節に応じて春夏秋冬の時節を違えないのは風の信(まこと)であり、沢が水を受けて朝の潮や夕方の満ち引きの時期をたがえないのは沢の信です。卦象において三と四の二柔が内部に位置するのは「中虚」であり、中虚であれば通じ、通じれば孚(まこと)となります。二と五の二剛が中を得ているのは「中実」であり、中実であれば誠があり、誠もまた孚となります。これがこの卦が「中孚」と名付けられた理由です。

中孚[83]:豚魚吉なり。大川を渡るに利あり、貞に利あり。

孚(ふ)とは信(まこと)のことであり、「中孚」とは信が心中から発することです。内卦の兌は、『睽』の最上爻に「豕(ぶた)塗(どろ)を負う」とあり、「塗」とは兌の沢の低い窪地で豚を飼うのに適していることを意味し、小さな豚を豚(とん)ということから、兌には豚の象もあります。外卦の巽は魚を表し、魚は水沢を得て楽しむものです。この二物は微小ですが、ともに巽と兌の性質を得て生を全うするため、「豚魚吉なり」と言います。「大川」とは沢の大きいものを指します。巽は木を表し、「木を刳(く)りて舟となす」は川を渡る者が利用するものなので、「大川を渡るに利あり」と言います。その信(まこと)がこのようであれば、どこへ行っても利がないわけはありませんが、その中の邪正や誠偽を識別しなければならないため、「貞に利あり」と言うのです。

『彖伝』に曰く:中孚は、柔内にありて剛中を得、説(よろこ)びて巽(したが)い、孚(まこと)乃ち邦を化するなり。「豚魚吉」とは、信豚魚に及ぶなり。「大川を渡るに利あり」とは、木に乗り舟虚なればなり。中孚にして利貞なるは、乃ち天に応ずるなり。

「孚」という文字は「爪」と「子」からなり、鳥が雛を抱いて羽化や授乳の時期を誤らないような信(まこと)を表します。外に発するものを信といい、内に存する誠を孚といいます。これが「中孚」の由来であり、「中孚」とは、心が虚霊で行動が真実であることを意味します。卦としては、三と四の陰柔が上下二体の中に組み合わさり、二と五の陽剛がそれぞれ一卦の中央に位置し、柔は内に、剛は中に、それぞれ適所を得ています。上卦の巽と下卦の悦(兌)が相補って機能し、天下の順ずるものに乗り、天下の悦ぶものを行なうため、「説びて巽い、孚乃ち邦を化するなり」と言います。「豚魚」について、『正義』は二つの生物に分けますが、呉草廬は江豚(スナメリ)と解釈します。江豚は大沢に棲み、魚類でありながら豚の形をしており、風が立つたびに江中で舞い、その頭の向きによって風の吹き起こる方向が判明するため、渡河者はこれで風を観測します。俗に「拝江猪」と呼ばれます。「豚魚」には知恵はありませんが風信に応じることができるため、「信豚魚に及ぶ」と言われ、孚の至りを示します。『易』において「大川を渡るに利あり」と言う場合、多くは巽の象を取ります。巽は木であり、木は水に浮くため、「桴(いかだ)に乗りて海に浮かぶ」という語もこれに由来します。卦体が中虚であるため「舟虚」といい、「舟虚」とは中に何もなく、風に従い波とともに上下し、天に任せて進むことであり、これぞ『中孚』の象です。孟氏の卦気説では、『中孚』を十一月の卦とし、十一月は天道が貞固なる時に当たるため、『中孚』は利貞をもって天に応えることができるのです。

この卦を人事に比擬するに、孚とは信です。信は言葉に現れ、言葉は外に発せられます。孚は心に感じ、心は内に存します。人の心の働きは、霊(さとい)なれば明(あきらか)であり、明なれば誠となります。内には虚霊にして晦(くら)まざるを尊び、外には真実にして妄(いつわり)なきを宜しとします。これがいわゆる「柔内にありて剛中を得」ということです。自分の悦ぶところから出発して人に順い、人もまたその悦ぶところをもって自分に順従すれば、お互いに悦び合い、悦びて初めて孚となります。これは単に人我の間にとどまらず、国家に推し及ぼせば、国家もまた相率いて化せられます。国家の大きさに限らず、庶物にまで極めれば、庶物もまた相感じて信ずるようになります。ゆえに吉なのです。「大川」とは、沢水の危険な場所のことであり、舟楫(しゅうしゅう)がなければ渡ることができません。「中孚」なる者は、礼義をもって盾やオールとし、心の中に自ずから川を渡る道具を備えているため、危険であっても渡ることができ、どこへ行っても利がないことはありません。心中が虚(から)であるため、虚舟に象られます。語に「言は忠信、行いは篤敬なれば、蛮貊(ばんばく)と難も行なわれん」とあるのは、この心と志のことです。卦中の四剛はみな乾の体を得ており、乾は信であり、これこそ孚の最も正しきものです。人が剛徳をもって天に合することができるなら、それがいわゆる「中孚にして利貞なるは、乃ち天に応ずるなり」であり、どうして小人的な固執と小信と同日に論じることができましょうか!

この卦を国家に比擬するに、『檀弓』に「有虞氏(ゆうぐし)は未だ民に信を施さざるに民これを信ず。信を施して民信ずるは、孚猶(なお)後なるなり。未だ信を施さざるに民信ずるは、孚先だつなり」とあります。言わずして信じられ、孚を期さざるに孚となるのは、孚が心中より生じるためであり、民もまたなぜ信ずるのかを知らないからです。これこそ無為にして治まる徳風です。ここから気機が感じ合い、亀も図を負い、魚も瑞を献ずる、これ即ち「信豚魚に及ぶ」の兆しです。政治と教化が広まり、万邦が協和し、四海が同じく集う、これ即ち「孚乃ち邦を化する」の象です。聖なる天子の徳は盛んにして化は神(しん)に入り、大なるものは蛮夷も伏従し、小なるものは魚鼈(ぎょべつ)までもその恩恵を蒙ることを知るのです。治水においては橇(そり)に乗って功績を挙げ、危難を救うにおいては楫(かじ)となって材を発揮するのは、すべて中を踏み正に居り、道が内に協い、徳が外に孚(まこと)となるからです。ゆえに天人が感応し、民物が順従し、風俗を同じくし道を一にする盛世を成し遂げることができるのです。

この卦を概観すると、『節』の次に位置します。凡そ事に節度があれば守るべき常則があり、節度がなければ泛濫して根拠がなくなり、信を失います。ゆえに喜怒哀楽において「節に中(あた)る」のを「達道」といい、「達道」とは即ち信のことです。『序卦伝』に「節にしてこれに信あり、故にこれを受けるに中孚をもってす」とあり、これが『中孚』が『節』に次ぐ理由です。卦内において三と四の二偶(陰)は虚を表し、二と五の二奇(陽)は実を表し、初と上の二奇が外を包み込み、あたかも甲殻のようです。鳥が卵を抱いて孵化させることを「孚」といい、時期に応じて化し、雛が中から出てくるため『中孚』と言います。卦体は上が巽、下が兌であり、巽は東南で春を司り、兌は正西で秋を司ります。春から秋へ、東から西へ、天地が生物を生み出す功績が完了します。兌が進んで西北に帰すると、変化の仕組みが収蔵され、固くなって孚甲(種子の殻)となり、巽に遭うと再び東南に還ります。それ故に兌と巽が合して『中孚』となるのです。五行においては兌は金、巽は木であり、金は木を剋します。造物の理として、生殺は相因るものであり、卵は割れなければ鳥となれず、木は削られなければ舟となれません。巽の木が渡るに利があるのは、兌の金の功績によるものです。ゆえに兌は折れ挫けた後に説(よろこ)ぶことができ、巽は鶏が雛を抱いて殻が裂けた後に羽毛が現れます。『中孚』は卵の孵化に象を取り、『小過』は飛ぶ鳥に象を取る、これぞ自然の法象です。初爻は鳥が雛を抱いて心が専一である象であり、ゆえに「他あれば燕(やす)からず」の辞があります。二爻は卵が孵化を受けて変化が完成しようとする象であり、ゆえに「鶴鳴き、その子これに和す」の辞があります。三爻は子が殻の中にいて成敗が憂慮される象であり、ゆえに「敵を得る」の辞があります。四爻は卵が完成に近づき、満ちる時がある象であり、ゆえに「月望に近し」の辞があります。五爻は雛が集まって群れとなり、食んで呼び合う象であり、ゆえに「孚ありて攣如たり」の辞があります。上爻は雛が飛ぶ練習をし、声を上下させる象であり、ゆえに「翰音(かんおん)天に登る」の辞があります。人体に譬えれば、初と上の実が身体、三と四の虚が心、二と五の実が感情にあたります。しかし三と四はともに虚でありながら善と不善があり、正しければ善、不正ならば悪となります。爻が位を得れば正、失えば不正です。初は位を得て誠を存し、二は中を得て応じ、三は当位せず、四と五は当位し、上九は陽が亢進して外に弛緩しています。ゆえに初、二、四、五は孚の善なるものであり、三と上は孚の不善なるものです。これぞ正と不正の弁別であり、聖人が眷々(けんけん)として教え諭すところなのです。

『象伝』に曰く:沢の上に風あるは孚なり。君子以て獄を議し死を緩(ゆる)くす。

『象伝』は「風沢の上にあり」と言わず、「沢の上に風あり」と言うのは、沢水は本来静かであり、風によって波が生じることを明らかに示しています。これは、人の心は本来穏やかであり、争いによって訴訟を招くことに譬えられます。巽は「命令を重ねて申(の)べる」と言い、審議して緩める象があり、兌は刑罰を受ける人を表し、死獄の象があります。卦の内部の下互卦は震であり、震は審議、生かすこと、猶予を意味し、「獄を議し死を緩くす」の象があります。『呂刑』に「獄成りて孚(まこと)あり」とあり、訴訟は必ず信(まこと)を得て決定するものです。しかし訴訟が判明しても、なお審議して死刑を猶予しなければならず、これがいわゆる「罪疑わしきは軽きに服す」ということです。「獄を議す」とはその疑わしい点を慎重に審理することであり、「死を緩くす」とは生かす道を探し求めることであり、孚の至りです。それ故に「君子以て獄を議し死を緩くす」と言います。

  【占い】
○ 時運を占う:「沢の上に風あり」、風波の危険に注意すべし。


○ 商業を占う:慎重に協議し、寛大かつ緩やかに行動すれば、損害を免れる。

○ 軍事・征伐を占う:むやみに人を殺さない心を本とすべきであり、そうすれば人心が服し、どこへ向かっても無敵となる。

○ 功名・出世を占う:当面は罪や訴訟が解決しておらず、功名は望みにくい。

○ 婚姻を占う:婚姻が災いを招き、それによって訴訟に至る恐れがある。慎むべし。

○ 家宅を占う:訴訟や牢獄の災いがあることを主とする。

○ 疾病を占う:危うい状態ではあるが、当面の生命は保つことができる。

○ 訴訟を占う:当面は解決しない。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

初九:虞(おもんぱか)るれば吉なり。他あれば燕(やす)からず。

初九:虞(おもんぱか)るれば吉なり。他あれば燕(やす)からず。

『象伝』に曰く:初九の虞るれば吉とは、志未だ変らざるなり。

「虞」とは、山沢を管理する役人(虞人)のことです。巽の四爻に「田にして三品を得」、兌の五爻に「剥に孚あり」とあり、『月令』に「冬の日に陰木を剥(伐)つ」とあり、『詩経』に「九月ナツメを剥つ、これ木を斬るを謂う」とあるように、巽と兌にはともに虞人の象があり、『中孚』の初爻がこれを取り入れています。『王制』に「カワウソが魚を祀りて後、虞人澤梁(たくりょう)に入る」とあり、虞人が澤梁に入るのは十月中旬です。『周礼』の山虞(さんぐ)は万民に木材を伐採させ、賈の疏に「草木零落して後、山林に入る」とあり、これも十月中旬のことです。『中孚』は十一月の卦であり、まさに澤梁に入り木材を伐採する時に当たります。年に定まった時期があれば、漁師やきこりは虞人の命を受け、沢や林に入り、各自が取るべきものを取るため、「虞吉」と言います。『中孚』の時に順い、時期を違えず、志を乱さず、他に求めないことです。他を求めれば上下の信が失われ、漁撈や伐採が時期を失い、山を焼き池を干すような災いがここから起こり、平穏が得られなくなります。ゆえに「他あれば燕(やす)からず」と言い、「燕」とは安らぎのことです。『象伝』が「志未だ変らざるなり」をもって「虞吉」を釈するのは、変ずればすなわち他があり、他があれば吉ではないという意味です。ただその初めの「志未だ変らざる」がゆえに吉なのです。

  【占い】
○ 時運を占う:陽剛が当令し、心を専一にして他の道に惑わされないため、吉。


○ 商業を占う:本業に安んじ、目新しいものに惑わされず移り気しないこと。冬に入ってから利益を得る。

○ 功名・出世を占う:志あればついに成る。

○ 軍事・征伐を占う:巽の初爻に「武人の貞に利あり」とある。狩猟と軍事は義を同じくするものであり、心を一つにして勇躍前進すれば、自ずと勝利を得る。吉。

○ 婚姻を占う:一人の夫・妻に生涯添い遂げる象がある。

○ 疾病を占う:病気自体は懸念ないが、他の急変が恐れられ、変ずれば危険となる。

○ 訴訟を占う:別の問題や障害が生じる恐れがある。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 ある友人が訪ねて来て、商業について占いを請い、筮して『中孚』から『渙』を得た。

断に曰く:爻辞に「虞るれば吉」とあり、「虞」とは虞人のことです。巽は魚、兌は沢であり、ゆえに虞人が澤梁に入る象があります。虞人が沢に入り、しかるべきものを得るので吉となりますが、もし他に求めるものがあれば、時期外れの採取となり安定しません。今、あなたが商業を占ってこの爻辞を得たことから、計画している事業は必ず木や水沢に近く、協力する人々も互いに心が通じ合っていることがわかります。事業は始まったばかりであり、他に求める必要はなく、成し遂げられない事業はありません。利益を得るには冬期が適しており、安心して事業に専念されるとよいでしょう。

九二:鳴く鶴陰にあり、その子これに和す。我に好爵あり、吾爾とこれを靡(とも)にせん。

九二:鳴く鶴陰にあり[84]、その子これに和す。我に好爵あり[85]、吾爾とこれを靡(とも)[86]にせん。

『象伝』に曰く:その子これに和すとは、中心の願うなり。

「鶴鳴く」「子和す」は、『中孚』の相応じることを譬えています。鶴は陽の鳥であり、二爻は陽をもって陰の位に居るため「陰にあり」と言います。『春秋説題』には、鶴は夜半に鳴く信(まこと)ある鳥であり、孚の象があると記述されています。鳴く者は鶴であり、和する者は子であって、一鳴一和、同声相応じ、同気相孚(あいふ)し、『中孚』の感応の妙を得ています。「我」は二爻を指し、「爾」は五爻を指します。「我に好爵あり、吾爾とこれを靡にせん」の「靡」は共にするという意味であり、二爻がこの「好爵」を得て、五爻と共にすることを願うのです。二と五は相応じ、志を同じくして道を同じくし、あたかも母と子が身を寄せ合うように、ともに鳴きともに棲む象があり、その至誠の感孚はこの通りです。五は君位であるため「子」と言うべきではないと疑う者もいますが、『易』は変通を尊ぶものであり、一つの見解に拘泥すべきではありません。『象伝』に「中心の願うなり」とあるのは、鳴き和すのが自然の応答であり、中心より相孚(あいふ)することこそ、孚の至りであることを言っています。

  【占い】
○ 時運を占う:一和一唱、まさに心にかなう時であり、運気が盛んで非常に通じる時機である。


○ 商業を占う:主客が心を同じくし、気合がぴったり合い、互いに利益を得る象がある。

○ 功名・出世を占う:父子ともに昇進するようなめでたい象がある。

○ 戦征を占う:上下が一体となり、腕が手を動かし、手が一指を動かすように、一気につながって進むときは共に進み、退くときは共に退く象であり、容易に攻撃できる相手ではありません。

○ 婚姻を占う:夫婦が互いに調和し従い合う楽しみを得ます。

○ 疾病を占う:感染症(伝染病)です。

○ 家宅を占う:必ず貴顕の家であり、孝行で賢明な子に恵まれます。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 ある貴顕が妻を亡くし、数年未亡人(男の独身)として暮らしていました。友人がたびたび再婚を勧めましたが聞き入れませんでした。ある日、岐阜県の士族に良妻となり得る女性がいると聞き、友人たちはみな媒酌人となろうと望みましたが、その貴顕が固執して同意しないのを恐れ、まず占ってこれを決することにしました。筮して《中孚》から《益》に変わる卦を得ました。

占断に曰く:この爻に「鳴く」「和す」とあり、二心が互いに通じ合い、同声相応じる象があります。卦名は《中孚》であり、孚は鳥が卵を抱くことで、子を育てる象です。妻を娶ることを占ってこの爻辞を得たならば、この婦人を娶れば必ずや夫婦和合し、家室は平和で、「鶴鳴き」「子和し」、「好爵」「爾に靡(分かち合)う」こととなります。さらに後日その子は父の業を継承し、共に栄貴を享受できるでしょう。まさに佳婦を得て佳児を得るということであり、大吉の兆しです。この爻を得たものの、友人はその貴顕が厳格であることを恐れて口を開くことができなかったため、私はさらにその媒酌が成功するかどうかを占ったところ、《兌》から《随》に変わる卦を得ました。

爻辞に曰く:「九二:孚(まこと)の兌(よろこ)び、吉、悔い亡(な)し。」

占断に曰く:この爻を得れば、成就は間違いありません。孚とは信(まこと)であり、兌とは悦(よろこび)です。すでに信があり悦びもあるのに、何の疑いがありましょうか。私はまず行って説得したところ、果たして承諾を得ました。続いて別の名門の婦人を媒酌する者が現れ、前の約束が変更されるのではないかと疑う者があったため、私は再び筮したところ、《履》から《睽》に変わる卦を得ました。

爻辞に曰く:「九五:夬(つと)めて履(ふ)む、貞(てい)なれども厲(あや)うし。」

占断に曰く:《履》の三爻は「虎の尾」であり、五爻は虎の背です。今、その貴顕は虎の背に乗る勢いであり、途中でやめることができない象があります。しかも五爻の《象伝》に「夬履は、位の正しく当たるなり」とあり、前の約束の婦人こそが正婚とすべき者であり、前の約束の婦人との婚約を取りやめることはできないと分かります。友人は聞き入れずに貴顕に報告しましたが、貴顕は断固として(新提案を)拒否し、前の約束に従ったため、ここに類例として記録します。

【例】 明治三十年、我が国と米国との外交関係を占い、筮して《中孚》から《益》に変わる卦を得ました。

占断に曰く:「鶴鳴き」「子和す」とは、母子が互いに頼り合い、鳴き声が相応じることであり、「好爵」「爾に靡う」とは、天爵の尊さをあなたと私で共有することです。この相親しみ相愛する感情は心の中に固く結ばれ、暗黙のうちに互いを感召するものがあります。今我が国と米国との外交を占ってこの爻象を得たことから、我が二国は外交関係がもともと極めて篤く、大海原を隔てているとはいえ、まるで父子兄弟が同室に暮らし、愛し合い慈しみ合って、偽りも心配もなく、それぞれが天位を保ち、共に天爵を修めるようなものであると分かります。今後の交际は、益々親睦を深めることでしょう。

六三:敵を得たり、或いは鼓(つづみ)し、或いは罷(や)み、或いは泣き、或いは歌う。

六三:敵を得たり、或いは鼓(つづみ)し、或いは罷(や)み、或いは泣き、或いは歌う。

《象伝》に曰く:或いは鼓し、或いは罷むとは、位の当たらざるなり。

『易』の通例として、共に剛または共に柔であるものを「敵応」と呼びます。この爻は三と四が共に柔であり、対等の相手(敵体)であるため「敵を得たり」と言います。二から四には互卦の《震》があり、《震》は鼓であり、また互卦の《艮》もあり、《艮》は止まることであり、止まることは罷(や)むことであるため「或いは鼓し、或いは罷む」と言います。《兌》は口で歌うことができ、《巽》は号泣で泣く象であるため「或いは泣き、或いは歌う」と言います。「或いは」とは不定の言葉であり、三と四が対立し、最初は怒って鼓を打ち、次に恐れてやめ、続いて喜んで歌い、再び悲しんで泣くというように、すべて心の主(定まり)がないため言動が常を失っており、その象がこのようになっています。人に誠実(孚)があれば、千里離れていても応じ合い、誰が味方でないことがありましょうか。誠実がなければ、同じ部屋にいても背き合い、みな敵となります。元より外見の親しさにあるのではなく、内心の相互の誠実さにあるのです。三は《兌》の極みに居て、歓喜が心からのものではないため、進退に節度がなく、疲弊することが窺えます。《象伝》が「位の当たらざるなり」と釈するのは、三が陰を以て陽位に居るため、位が適当でないことを言っています。

  【占い】
○ 時運を占う:現在、運気が二転三転して混乱しています。


○ 商業を占う:急に利益が出たり損をしたり、成功したと思えば失敗したりするのは、すべて主計画が定まらないためです。

○ 功名を占う:昇進と降格が定まらず、栄誉と恥辱がそれに伴います。

○ 戦征を占う:強敵が前に立ち塞がっており、勝利を収めるのは困難です。

○ 婚姻を占う:変転を繰り返し、まとまりません。

○ 家宅を占う:家の神が落ち着かず、物事が混乱・転倒しやすいです。

○ 疾病を占う:重くなったり軽くなったりします。祟りや怪異に注意してください。

○ 行人を占う:帰ろうとしては思いとどまり、当面は定まりません。

○ 失物を占う:見つかっても再び失うことに注意が必要です。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 親友の某が某県に出仕していましたが、このほど手紙が届き、内命により一階級昇進することになったとのことでした。しかし自らの才能や能力では任に耐えないと悔やみ、今の職にとどまる方が、仕事にも熟練しており同僚とも心を一つにして過ちなく勤められるからよいと考えて、私に占いを依頼してきました。筮して《中孚》から《小畜》に変わる卦を得ました。

占断に曰く:爻は前に敵応があるため、進退が定まらず、哀楽が一定せず、得ても喜ぶに足らず、失っても憂うに足りない象を示しています。今、あなたが官途の昇進を占ってこの爻象を得たことから、近々昇格の喜びがあるものの、その中になお曲折と懸念があることが分かります。爻辞に言う「鼓する」とは進むことであり、「罷む」とは退くことであり、「泣く」とは悲しむことであり、「歌う」とは楽しむことです。これは時勢が乱れ、心神が乱れることを明言しており、必ずや嫉妬する者が裏で糸を引いているのです。これを「敵を得たり」と言います。したがって、昇進するとはいえ転任しない方がよく、元の職にとどまるのが正しいと言えます。

六四:月(つき)、望(ぼう)に几(ちか)し、馬匹(ばひつ)亡(うしな)う、咎(とが)なし。

六四:月(つき)、望(ぼう)に几(ちか)し、馬匹(ばひつ)亡(うしな)う、咎(とが)なし。

《象伝》に曰く:馬匹亡うとは、類を絶ちて上るなり。

六四は重陰の爻であり、月は陰であるため、象を月に取ります。月が「望に几し」に至って初めて満ち、満ちれば中実となり、孚(まこと)の象となります。四は五と隣接し、五は君位で太陽であり、四は月です。月には自ら光がなく、太陽の光を得て光となるのは、日月が互いに応じ合い真実(孚)を交わすことであり、正しき孚の姿であるため「月、望に几し」と言います。「馬」とは、卦体がもと《乾》であり、《乾》は馬であり、四が動くと《巽》となり、《乾》の象が失われるため「馬匹亡う」と言います。「匹」とは初爻を指し、四と初は類を以て応じ合うため「匹」と言います。《巽》は風であり、良馬は風を追うことができます。《中孚》の十一月は、まさに胡馬が北風を感じる時であり、《中孚》の気候がこれを感じさせるのです。《象伝》が「類を絶ちて上るなり」と「馬匹亡う」を釈するのは、「類」とは初爻のことです。初爻も《乾》の体であり馬を象どり、馬がその群れや仲間を離れ、初爻の同類を断って五に上るようなものです。「月、望に几し」は満ち過ぎる嫌いがなく、「馬匹亡う」は党同(派閥)の煩わしさがありません。何の咎がありましょうか。私見としてもう一つの説を挙げれば、馬は月の精気を得て生まれるものであり、月と馬は自然に感じ合い通じるため、月と馬が並び言われます。「望に几し」とは月が満ちる時であり、「匹亡う」とは《伝》に言う「類を絶つ」ことであり、極めて優秀で大人しい馬のことです。四爻は重陰で《坤》の気を得ており、《坤》は月であり牝馬でもあるため、爻象が両方を取ったのは、同じ気で互いに応じ合う(孚)からです。これも十分な説明となります。

  【占い】
○ 時運を占う:運気は全盛期にあります。安泰を保ち満ち足りた状態を維持し、私心を捨て公に従えば、咎なしを得られます。


○ 商業を占う:「月、望に几し」は財利の豊かさを喩え、「馬匹亡う」は事業の計画が迅速かつ順調に進むことを喩えます。吉。

○ 功名を占う:春風に吹かれるように意のままに成功する象があります。

○ 戦征を占う:月夜の攻撃に適しています。馬の蹄を覆い、兵に枚(ひつわく)を啣ませて勇んで進めば、必ず勝利を得られます。

○ 婚姻を占う:望みは非常に大きいですが、「匹亡う」とあるため、遠からず配偶者を失う災いがあることが恐れられます。

○ 疾病を占う:十五日(または三日、五日)の時期は不利です。

○ 家宅を占う:この家は陰気が非常に強く、同居人の中に死亡の災いを免れない恐れがあります。

○ 行人を占う:十四日か十五日頃に帰宅するでしょう。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 ある紳士(貴族・高官)が訪れ、事業の計画について占いを請うたため、筮して《中孚》から《履》に変わる卦を得ました。

占断に曰く:爻象は月と馬を取っており、月は時に乗じて満ち、馬は塵を払って奔走するもので、全盛の象です。今あなたが事業を占って《中孚》の四爻を得たことから、あなたの計画する事は、ほぼ望月(満月)の前に成就することが分かります。ただ当時一緒に計画している友人たちの中には、気性の合う者もいれば意気投合しない者もおり、いわゆる「風馬牛も相及ばず(互いに無関係)」です。意気投合しない者とは交際を断ち、事業を失敗させないようにすべきです。そうすれば咎はありません。

九五:孚(まこと)ありて攣如(れんじょ)たり、咎(とが)なし。

九五:孚(まこと)ありて攣如(れんじょ)たり、咎(とが)なし。

《象伝》に曰く:孚ありて攣如たりとは、位の正しく当たるなり。

九五は孚の主であり、「孚あり」の一言は、唯五爻だけが当たるに足ります。《巽》は縄であり、五の互卦《艮》は手であり、攣(つなぐ・引き結ぶ)を象どります。五は君位、二は臣位に居り、五と二は相応じるため、二と互いに孚(まこと)を通じ合います。孚を「攣如」と言うのは、孚の至り(極み)です。臣下に信を得、民に信を得、さらには国家にも信を得ることができ、《彖伝》に言う「孚ありて国を化す」とは、ここから及ぶのです。《小畜》の五爻にも「孚ありて攣如たり」とあり、《中孚》と《小畜》は共に巽順の体を共有するため、同じ象を持ちます。《象伝》が「位の正しく当たるなり」と釈するのは、二と五の位が適当であり、それ故に牽繋が絶えず、このように深い信(孚)を持つことができると言っています。

  【占い】
○ 時運を占う:計画すること求めることが、すべて思い通りに叶います。


○ 商業を占う:心を一つにして協力し、共同経営すれば、利益を得られないものはありません。

○ 功名を占う:求めれば必ず成就します。

○ 戦征を占う:軍心が団結し、力を合わせて心を一つにすれば、自然と勝利を収められます。

○ 婚姻を占う:二人が心を一つにし、百年睦まじく添い遂げる慶びがあります。

○ 家宅を占う:一家が和気藹々とし、すべての部屋が満ち足ります。

○ 疾病を占う:病気は肝風により手足の引きつり(ひきつけ)を引き起こしていますが、病を抱えつつも延命でき、なお咎はありません。

○ 訴訟を占う:手枷足枷(拘禁・刑罰)の災いに注意してください。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 ある紳士が訪れ、婚姻について占いを請うたため、筮して《中孚》から《損》に変わる卦を得ました。

占断に曰く:卦象は至誠をもって感応し通じ合い、心が互いに合致するもので、ゆえに《中孚》と言います。五爻は卦の主であり、爻辞に「攣如たり」とあります。まさに互いに深く信じ合い、解けることのない結束があることを示しています。今婚姻を占ってこの爻象を得たことから、両家は以前から深く意気投合し、手足のような親しい交わりがあることが分かります。今回の縁組みは、自然と夫婦和合し、静かで素晴らしいものとなるでしょう。しかも五は貴爻であり、必ずや名門旧家の柄であって、大いに喜ばしいことです。

上九:翰音(かんいん)、天に登る、貞(てい)なれども凶。

上九:翰音(かんいん)、天に登る、貞(てい)なれども凶。

《象伝》に曰く:翰音天に登るとは、何ぞ長かるべからんや。

鶏を「翰音」と呼び、鶏は必ず羽を振るって鳴きます。翰とは羽のことであり、鶏の鳴き声は時を失わないため、孚(まこと)の象です。鶏はもとより小さな生き物ですが、その鳴き声は遠くまで聞こえます。これは実徳がないのに虚名(空名)ばかり高い人物に似ています。上九は孚の極みに居り、わずかな小忠・小信が九天(天の極み)まで届くようですが、正しくても凶です。《象伝》が「何ぞ長かるべからんや」と釈するのは、虚名を盗むだけで実体が伴わぬものが、どうして長続きしようかということです。

  【占い】
○ 時運を占う:運気は盛んに見えますが、虚ろで実体がなく、かえって危険です。


○ 商業を占う:規模は広く声勢も盛んですが、外観ばかりで中身がないため、長続きしない恐れがあります。

○ 功名を占う:虚名を盗んで評判を得ることは、君子の恥とするところです。

○ 婚姻を占う:共に老いることは難しい恐れがあります。

○ 家宅を占う:この家には牝鶏司晨(雌鶏が時を告げる=女天下)の象があり、家業を保つのが難しいです。凶。

○ 疾病を占う:肝風により痛み、大きな叫び声を上げ、病状は非常に苦しいです。凶。

○ 訴訟を占う:控訴・上訴に至る情勢です。凶。

○ 六甲(妊娠)を占う:女児を出産します。赤ん坊はよく泣き、育てるのが難しそうです。

【例】 ある日、「天爵大神」と自称する者が訪れました。私がその名の由来と訪問の意図を尋ねたところ、彼は言いました。「私は愛知県の士族ですが、道路が険しく旅人が苦しんでいるのを憂い、スコップ一本を手に東海道に出て、独力で修繕を行いました。村に着くごとに村人に呼びかけて協力を求め、これを常としました。ある日、山田大臣がそこを通りかかり、私が道を修繕しているのを見て召し出されました。私が志を述べると、大臣は『身を忘れて公益を図る者を天爵大神と言う』と称賛されたため、私はそれ以来自ら天爵大神と号しています。」訪問の目的を尋ねると、「今、橋を架けようとしており、寄付を募っています」とのことだったので、私はいくらかの金銭を与えました。大神はさらに自分の気運を占ってほしいと請うたため、筮して《中孚》から《節》に変わる卦を得ました。

占断に曰く:一鳴して声が天に届くのは鶴であり、鶏は家禽に過ぎないのに、妄りに鶴の鳴き声を盗み、虚名を盗むのは災禍を招く恐れがあります。ゆえに爻辞に「貞なれども凶」と言います。今あなたが気運を占ってこの爻象を得たのは、まさにあなたの行為と符節を合わせるように合致しています。あなたが苦心と労力を尽くして道路を修繕したことは、不正な事ではありません。しかし有名になりたい心が強過ぎ、実際にはこのわずかな労力を利用して美名を得ようとしています。考えてもみなさい、源のない水はすぐに干上がり、根のない木はすぐに枯れます。名ばかりで実体がなければ、どうして失敗せずにいられましょうか。しかもあなたがそのような奇怪な名前を称することは、まさに災いを招く原因です。行いを控えめにして身を隠してこそ、危害を免れることができます。