易経 · 六十四卦

周易・易経 第10卦 履卦(天沢履、上卦乾・下卦兌)

履。虎の尾を踏んでも、虎は人をかまない。通じる。

彖伝はいう。履とは、柔が剛を踏むことである。悦んで乾に応じるので、虎の尾を踏んでもかまれず、通じる。剛にして中正であり、帝位を踏んでも恥じることがない。これが光明である。

象伝はいう。天が沢の上にあるのが履である。君子はこれにならい、上下を区別し、民の志を定める。

易経 第 10 卦の本卦・互卦・錯卦・綜卦の図

易経 第 10 卦 原文と概説

『周易』第十卦の詳しい解説
履卦の原文
履。虎の尾を踏んでも、虎は人をかまない。通じる。
象伝はいう。天が沢の上にあるのが履である。君子はこれにならい、上下を区別し、民の志を定める。
現代語による説明
履卦。虎の尾を踏むが、虎は人をかまない。吉。
象伝はいう。本卦の上卦は乾で天、下卦は兌で沢である。天が上、沢が下にあり、尊卑が明確に分かれている。これが履の卦象である。君子はこの卦象を観て、上下尊卑を区別し、人民が規範に従い秩序を守るようにする。
『断易天機』による解説
履卦は上が乾、下が兌で、艮宮の五世卦である。履は実行するという意味で、礼も含意する。占う者に、慎み恐れ、礼節を守るよう促している。そうして初めて、驚きがあっても危険を免れられる。
北宋の易学者・邵雍の解釈
足取りが不安定で、困難と危険がある。謙虚に自重し、敬い慎んで主に仕える。
この卦を得た人は困難な時期にあり、多くの曲折があって物事が順調に進まない。何事も急いで進めず、順序を踏んで慎重に行動すべきである。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。順序に従って昇進し、人脈を頼って無理に上ろうとしてはならない。
財運。商品をよく見極め、時機を待って売る。
家庭。門内が厳格に整っている。
身体。気血の流れをよくする。
伝統的な卦の解釈
この卦は異なる卦(下が兌、上が乾)が重なったもの。乾は天で君主にたとえ、兌は沢で民にたとえる。原文は「虎の尾を踏んでも、虎は人をかまない」。したがって結果は吉である。君主は上、民は下で、それぞれが正しい位置を得る。柔らかな兌が剛健な乾に出会うため、踏む行為は危険である。履は実践を意味し、卦の趣旨は地に足をつけて前へ進むことである。
大象。柔弱なものが剛強なものに出会い、進もうとしても進みにくい。困難で危険な象である。
運勢。先に苦労し、後に安楽となる。初めは驚き、後には安らぐ。何事も急いではならず、人には和をもって接すれば、驚きはあっても危険はない。
仕事。初めは非常にうまくいかず、さまざまな脅威を受ける。警戒心を高め、細心の注意を払い、地道に一つずつ困難を克服し、決意を変えなければ、必ず目的を達成できる。自分をわきまえ、力の及ぶ範囲で行い、現実を無視してはならない。特に強がったり、成功を急いだりしてはいけない。
商売。動静を見ながら待つ。小さな利益のために計画を揺るがしてはならず、特に飽くことなく欲張ってはならない。商業道徳に従い、情報を全面的に把握する。
名声を求めること。必ず忍耐を持ち、たゆまず求める。財富や利益に誘われず、世俗に乱されず、自分の志と理想を守れば、成功できる。
結婚・恋愛。双方が貧しくても道を楽しめば、仲良く暮らせる。一方が富貴に心を動かされると、婚姻に変化が起こる。
決断。何事も細心の注意と慎重さが必要である。不利な状況はしばしば生じるが、うまく対処すれば、いつも驚きはあっても危険はなく、危険を安全へ変えられる。そのため、真剣に事を行い、正しい道に従い、謙虚に他人の助言を聞き、力の及ぶ範囲で行動する。決して自負して強がってはならず、必ずよい結果を得る。

第十卦の哲学的意味:

履卦は異なる卦が重なり、下卦が兌、上卦が乾である。乾は天、兌は沢を表す。天を君主に、沢を民にたとえる。君主は上、民は下で、それぞれが本来の位置を得る。
卦象から見ると、履卦は下が兌、上が乾である。乾は剛健で、才能と徳において比類がなく、これはまさに兌の及ばないところである。
卦形からは、乾である天が上に、兌である沢が下にあることも分かる。これは天が雨を降らせ、大地が雨水を集めて沢にすることを意味する。自然に従い、物事の存在と発展の法則にかなっている。したがって学習と実践においても、自然の法則に従わなければならない。
履卦は下が兌、上が乾で、伝統的には天沢履と呼ばれる。この卦形は小畜と上下がちょうど反対である。両者は相対する卦で、一方が止まり一方が進み、交互に働く。『序卦伝』はいう。「物が蓄えられて後に礼がある。ゆえにこれを受けるに履をもってする。履とは礼である」。物資が蓄積された後には礼節を定めるべきであり、「履」を「礼」と解釈するという意味である。「礼」と「履」は同音であり、礼は人が実行しなければならないため、このように解釈される。
易経において履は主に、踏むこと、実行することを意味する。『雑卦伝』は「履は処らざるなり」といい、履とは進んで留まらないことである。『説文解字』は「履とは、足が依るもの」と説く。履は足に履く靴である。以上をまとめると、履の本来の意味は靴であり、そこから踏むこと、進むこと、礼節へと広がった。古人は、人の行動は礼によって制御されなければ、乱雑に振る舞うと考えた。そのため履には、どのように行動すべきかという意味があり、それが礼なのである。
履卦と小畜卦は互いに綜卦の関係にあり、どちらも卦爻の構造は一陰が五陽に対する形である。ただし、小畜卦の六四は陰爻が陰位にあり、正しい位置を得ている。柔順にして貞を守ることで、剛の勢力が進もうとする勢いを蓄えて止めることができる。一方、履卦の六三は陰爻が陽位にあり、それ自体にも実質的な剛性がある。そのため形成される情勢は、小畜卦のように柔をもって剛を蓄えるものではなく、剛と剛がぶつかるものとなる。
履卦の知恵の象には、笠があれば「成立」の意、破れた文書があれば「損失」の意、女性があれば「美」の意、傘があれば庇護・覆いの意、目立つ旗のそばに役人が座っていれば門旗の意、烽火台に「千里」の字があれば千里を鎮守する侯伯の意がある。

易経 第 10 卦 爻ごとの詳解

周易第十卦・初九爻の詳しい解説
初九の爻辞
初九。飾らず質素に歩む。進んでも咎はない。
象伝にいう。飾らずに進むとは、自らの願いを独りで貫くことである。
現代語による説明
初九。素朴で率直な態度で世に処すれば、災いはない。
象伝はいう。素朴で率直に世に処すとは、自分の志を独力で貫けるということである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。これを得る者は、計画を立てて事業を進めれば財利が日に日に増す。官にある者が徳を修め身を養えば、昇進の機会がある。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。時機を待てば、自然に成就する。
財運。古い事業を守れば、長くして必ず利益を得る。
家宅。門庭に吉祥がある。
健康。軽いジョギングが有益である。

初九の変卦
"周易第10卦的其中之一变卦卦的卦图
初九が変じると、周易の6卦「天水訟」となる。この卦は異卦であり、下が坎、上が乾で重なる。需卦とは反対で、互いに綜卦の関係にある。乾は剛健、坎は険阻を表す。剛と険、健と険が互いに対立するため、必ず争いと訴訟が生じる。争訟は善事ではないので、十分に慎み、警戒しなければならない。

初九爻の哲学的な意味:

「素」とは、質朴で飾りがないことをいい、本性を守り持つこともいう。「履」は履物を指すとともに、外へ出て歩むことも指す。したがって「素履」には二つの意味がある。第一は素朴な履物で、身分を表す。荀爽は「素履とは、布衣の士をいう」と述べた。第二は素行、すなわちまっすぐに歩み、自分の信条を守り、本性に従って行動することであり、清正で純潔な行いをたとえる。
卦象から見ると、初九は陽爻が剛位にあり、最下位に位置する。才能がありながら、低い地位に安んじることをよしとする人を象徴する。これは歩み始める第一歩であり、まだ富貴に誘惑されていない。平素の志に基づいて進むので、過失はない。
象伝にいう。「素履して進む」とは、自分の願いを独力で実行することである。ここでいう「独」とは、世俗に流されず、独自の道を歩み、自分の志を貫くことをいう。利益のためではない。この爻は、理想を実践し責任を果たすには、初心を守り、独立して行動し、悪しき流れに同化してはならないと教えている。
この卦を得た人は、人との付き合いや物事の処理において、自分の志に従って行動し、利益を求めないことができる。新卒の学生のようなもので、才能があっても、就職したばかりなら低いところから始めなければならない。目先の得失を気にせず、外からの誘惑にも動かされず、独自に常道を守って、将来の発展の基礎を築くのである。

卦象から見ると、九二は下卦の中央にあり、正道の中央を進み、実際の才幹によって事を行う。しかし陽爻が陰位にあるため、位を得ていない。九二の置かれた状況は、進もうとしても障害があり、無理に進めば憂いが生じるといえる。人目を避けて志を守るのが吉である。隠れているとは何もしないことではなく、深く自分を鍛え、絶えず力を増すことである。
象伝にいう。「隠者は貞正で吉」とは、心の内が自ら乱れないことをいう。隠れて暮らす人が吉を得るのは、内心が平静で自然に保たれ、少しも乱れず、礼に従って行う信念が堅固だからである。
この卦を得た人は、自分に不利な情勢に置かれ、才能を十分に発揮できず、腕を振るうこともできないかもしれない。しかし、その機会を利用して自分を鍛えることはできる。たとえば清代の富商・胡雪巌は若い頃、友人を助けたため解雇されて家に戻り、することがなかった時、そろばんの練習を始め、帳簿の付け方を学んだ。これは後の発展の基礎を築くことになった。この卦を得た者も、この機会に知識を学び、身を修め、自分の力を高めるとよい。
九二と九五は正応していないため、九五の支援を得られない。それでも中を保ち正を守り、事を行う前に十分に計画しておけば、位を得ていなくても吉となる。大らかに平らな大道を歩いているが、心中ではすでにあらゆる危険への対処法を周到に考えている。どうして不吉であろうか。これはナポレオンのいう、資格ある将軍は不測の事態が起きた時の解決策を常に考えておくべきだ、ということに似ている。この世界的な軍事的天才は、平時から戦略配置を考える習慣を身につけていたからこそ、常勝の将軍となれたのである。
「九二」は剛健な陽爻で中位にあり、心が坦蕩とした隠者のようである。純正を守り、名声や出世を求めず、世俗に乱されないので、当然吉である。

周易第十卦・九二爻の詳しい解説
九二の爻辞
九二。歩む道は平らかで広い。隠者は貞を守れば吉。
象伝にいう。「隠者は貞正で吉」とは、心の内が自ら乱れないことである。
現代語による説明
九二。道を歩む者は胸中が坦蕩であり、隠れ住む者は長く吉兆に恵まれる。
象伝はいう。隠者が身を清め正を守るのは、その本性が中正で、世俗に惑わされないからである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。これを得る者は安らかに自足し、身と心を修める。官にある者には、無事に退く兆しがある。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。志を高く持ち、道によって身を修める。
財運。物価は安定し、少し利益がある。
家宅。財産をよく調べ、損耗に注意する。
健康。目を養生する。
九二の変卦
"周易第10卦的其中之一变卦卦的卦图
九二が変じると、周易の25卦「天雷无妄」となる。この卦は異卦で、下が震、上が乾で重なる。乾は天・剛・健を表し、震は雷・剛・動を表す。動いて健やかで、剛陽が盛んなため、人心は奮い立ち、必ず得るところがある。ただし純正に従うことが条件で、みだりに行動してはならない。妄りでなければ必ず得るものがあり、必ず福に至る。

九二爻の哲学的な意味:

卦象から見ると、九二は下卦の中央にあり、正道の中央を進み、実際の才幹によって事を行う。しかし陽爻が陰位にあるため、位を得ていない。九二の置かれた状況は、進もうとしても障害があり、無理に進めば憂いが生じるといえる。人目を避けて志を守るのが吉である。隠れているとは何もしないことではなく、深く自分を鍛え、絶えず力を増すことである。
象伝にいう。「隠者は貞正で吉」とは、心の内が自ら乱れないことをいう。隠れて暮らす人が吉を得るのは、内心が平静で自然に保たれ、少しも乱れず、礼に従って行う信念が堅固だからである。
この卦を得た人は、自分に不利な情勢に置かれ、才能を十分に発揮できず、腕を振るうこともできないかもしれない。しかし、その機会を利用して自分を鍛えることはできる。たとえば清代の富商・胡雪巌は若い頃、友人を助けたため解雇されて家に戻り、することがなかった時、そろばんの練習を始め、帳簿の付け方を学んだ。これは後の発展の基礎を築くことになった。この卦を得た者も、この機会に知識を学び、身を修め、自分の力を高めるとよい。
九二と九五は正応していないため、九五の支援を得られない。それでも中を保ち正を守り、事を行う前に十分に計画しておけば、位を得ていなくても吉となる。大らかに平らな大道を歩いているが、心中ではすでにあらゆる危険への対処法を周到に考えている。どうして不吉であろうか。これはナポレオンのいう、資格ある将軍は不測の事態が起きた時の解決策を常に考えておくべきだ、ということに似ている。この世界的な軍事的天才は、平時から戦略配置を考える習慣を身につけていたからこそ、常勝の将軍となれたのである。
「九二」は剛健な陽爻で中位にあり、心が坦蕩とした隠者のようである。純正を守り、名声や出世を求めず、世俗に乱されないので、当然吉である。


周易第十卦・九三爻の詳しい解説
六三の爻辞
六三。片目が見えにくくても見ようとし、足が不自由でも歩こうとする。虎の尾を踏めば、虎に噛まれて凶である。武人が大君の役割を果たそうとする。
象伝にいう。目が不自由でも見えるというのは、明察するには足りない。足が不自由でも歩けるというのは、人とともに進むには足りない。噛まれる凶は、位がふさわしくないからである。武人が大君の役割を果たそうとするのは、志が剛強だからである。
現代語による説明
六三。目を損ねているのに物を見ようとし、足が不自由なのに歩こうとするのは、力に余ることを無理に行うことである。虎の尾を踏むようなもので、最後には虎に傷つけられる。これは凶険な事柄である。武人が国政を簒奪するのも同じく危険である。
象伝はいう。目が不自由なのに見ようとするのは、視力が物を見分けるには足りないからである。足が不自由なのに歩こうとするのは、脚力が道を進むには足りないからである。虎が人を傷つけるのは、六三が陰爻でありながら陽位にあって、置かれた位置が不当だからである。武人が国政を簒奪するのは、分を越えて上位者に逆らうことだ。六三の地位で九五の志を行おうとすれば、必ず災いに遭う。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。これを得る者は争訟や投獄の苦難に遭い、甚だしければ一家離散や死に至る。官にある者は降格の災いがある。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。退いて守るのがよい。みだりに動けば凶。
財運。人に欺かれ、品物が売れ残る。
家宅。暗く不明瞭で、小が大をしのぐ。
健康。目と足を養生する。
六三の変卦
"周易第10卦的其中之一变卦卦的卦图
六三の爻が変じると、周易の1卦、乾為天となる。この卦は同じ卦(下も乾、上も乾)が重なったものである。天を象徴し、龍、すなわち徳と才能を備えた君子にたとえられる。また、純粋な陽の和と健やかさを表し、盛んで力強いことを示す。乾卦は、万物が変化し通じていく道理に基づき、「元・亨・利・貞」を卦辞とする。これは、めでたく願いがかなうことを示し、人々に天道の徳を守るよう教える。

九三爻の哲学的意味。

六三爻が人に教える道理は、匹夫の勇を誇ってはならないということである。
卦象から見ると、六三は陰爻が陽位にあり、位を失い、しかも中位ではない。陰爻は力が弱いことを表すので、順って守るのがよく、盲目的に高ぶって進み、諸陽に従って危険を冒してはならない。
この卦を得た者は、強がることを絶対に避け、自分の分を守り、力の及ぶことだけを行うべきである。ただし、あまり悲観する必要もない。置かれた状況はまだ最悪ではない。目に問題があっても物が見え、脚に問題があっても歩けるのと同じである。このような時は、力の及ぶ仕事を選んで行い、凶険を避けるとよい。
六三は履卦でただ一つの陰爻である。しかし、小畜卦でただ一つの陰爻が得たほどの運には恵まれていない。なぜか。第一に、陰爻が奇数位にいるため、正位を得ず、しかも中位でもない。第二に、二つの剛爻の上に乗っており、柔が剛を押さえる形では、下にある陽爻の支持を得られない。だからこの六三は、片目の見えない人が物を見ようとしたり、片足を引きずる人が歩こうとしたりするようなもので、遠くまで進むことはできない。したがって、凶険を招く。六三は五つの陽爻を支配したいと思っているが、それは武士が天子になろうとするのと同じくらい滑稽である。この爻辞は、人は自分の目標を能力と置かれた地位に見合うものにすべきであり、そうでなければ凶険を招くだけだと戒めている。


周易第十卦・九四爻の詳しい解説
九四の爻辞
九四。虎の尾を踏むが、恐れ慎めば、最後には吉。
象伝にいう。恐れ慎めば最後には吉となるのは、志が実現するからである。
現代語による説明
九四。虎の尾を踏んでも、危険を恐れて慎めば、最後には吉である。
象伝はいう。恐れ警戒すれば最後には吉となる。苦難を経ても、志を実現できることを示す。
北宋の易学者・邵雍の解釈
平。これを得る者は危険に遭うので、穏やかに自制すれば災いを免れる。官にある者には虎符を持つ将帥となる兆しがある。学ぶ者はよい成績を得る。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。穏やかで誠実にあれば、最後には災いを免れる。
財運。売り急がなければ、最後には利益を得る。
家宅。安定して家を治める。
健康。歩行に注意する。
九四の変卦
"周易第10卦的其中之一变卦卦的卦图
九四が変じると、周易の61卦「風沢中孚」となる。この卦は異卦で、下が兌、上が巽で重なる。「孚」の本来の意味は孵化であり、卵が殻を破る時期は非常に正確なので、信の意味を持つ。卦の形は外が実り内が空で、心中の誠信をたとえるため中孚卦という。これは世に立ち処する根本である。

九四爻の哲学的意味。

卦象から見ると、九四は上卦乾の下位にあり、九五の君主の位にすぐ隣接している。九四は君主に近侍する大臣で、虎のような君主の後に付き従う象がある。しかし同時に、極めて従順で恐れを抱く姿も示している。
象伝にいう。「恐れ慎めば最後には吉、志が実現する」。恐れを感じても慎重に行動すれば、やがて吉を得られるという意味であり、礼に従って注意深く進めば志を実現できることを示す。
この卦を占って得た人は、物事を行うときも人と接するときも、薄氷の上を歩くような気持ちで、細心の注意を払うべきである。慎重に行動すれば、危険を乗り越え、満ち足りた結果を得られる。
九四は君位である九五の下にいるため、多少の過ちを犯すこともある。つまり虎の尾を踏むのである。しかし九四は恐れの心でこれに向き合い、自分の過失を理解し、内省して、さらに慎重に行動する。そのため最後には吉となる。
「九四」は中位でも正位でもなく、君主に近いため虎の尾を踏む危険がある。しかし陰位にあるので、恐れ慎みながら虎の後を歩むことができ、最後には吉となる。
周易第十卦・九五爻の詳しい解説
九五の爻辞
九五。決然と歩めば、貞であっても危うい。
象伝にいう。決然と歩めば貞でも危うい。それは位が正しく当たっているからである。
現代語による説明
九五。行動が性急で無謀であり、その事を進めれば危険の象がある。
象伝はいう。行動が性急で無謀なら、進めると危険の象がある。しかし九五の陽爻は上卦の中央にあり、正しい位を得ている。したがって危険ではあっても凶ではない。
北宋の易学者・邵雍の解釈
凶。せわしくみだりに行動する者は、やがて災いに遭い、甚だしければ命の危険がある。官にある者は功績が君主を覆うほどになり、かえって賞されない。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。雲が晴れて日が現れるが、苦労を忘れてはならない。
財運。心を合わせて助け合えば、売り惜しみが利益になる。
家宅。安らかな時にも危険を思えば、平安を守れる。
健康。危険から安泰へ向かう。
九五の変卦
"周易第10卦的其中之一变卦卦的卦图
九五が変じると、周易の38卦「火沢睽」となる。この卦は異卦で、下が兌、上が離で重なる。離は火、兌は沢である。上に火、下に沢があり、互いに背いて助け合わない。克し合えば生じ、往復して空虚なものはない。万物にはそれぞれ違いがあり、違いがあれば相反し、互いに矛盾する。睽とは矛盾のことである。

九五爻の哲学的意味。
卦象から見ると、九五は陽爻が剛位にあり、中を得て正を守る。上卦乾の中央にあって陽気が非常に盛んである。全卦を見ると、これと正応する爻はない。まるでそれぞれが上に立つ皇帝のように、人を千里の彼方から拒む。そのような驕りは極めて危険である。
象伝にいう。「決然と歩めば貞でも危うい。それは位が正しく当たっているからである」。これは人に、剛毅果断であっても慎重に行動し、危険を警戒せよと戒める。正当な位置にいても、気を緩めてはならない。
九五は王の位にある。したがってこの卦を得た者は指導者である可能性がある。しかし指導者は独断専行や頑迷さを避けなければならない。事を行う際、何も顧みず性急に進んではならない。あまりに速く断固として前進すると、時に他人の自尊心や利益を損ない、前方の危険や罠も見えなくなって、問題に遭遇する。
この卦を得た人は、何事をするにも事前に繰り返し考えるべきである。突然決断してはならない。断然として行動したり、無謀で性急に振る舞ったりすれば危険がある。
九五の尊位にある者が、自分の権力を使って困難を解決する術を知らなければ、結果は到底考えられないものになる。追い出されるよりは、「紐付きの履物」を用いて状況を改善する方がよい。
「九五」は中正で、剛断果決である。しかし剛位に剛爻があり、独断専行すれば前途は危険である。したがって礼に従いながら果断でなければならないが、それでも困難を免れないことがある。
周易第十卦・上九爻の詳しい解説
上九の爻辞
上九。歩んだ道を振り返って吉凶を詳しく考察し、身を返せば大吉である。
象伝にいう。上位に大吉があるのは、大いに慶びがあるからである。
現代語による説明
上九。行いを慎み、事に当たって周到に繰り返し考えれば、大吉である。
象伝はいう。大吉なのは、上九が全卦の首位にあるからである。これはその人に大きな慶事がある兆しである。
北宋の易学者・邵雍の解釈
吉。これを得る者は財利を得られる。官にある者は退いて静穏な福を享受するのがよい。学ぶ者は努力すればよい成績を得る。
台湾の国学大家・傅佩栄の解釈
時運。晩年の運が通じ、福と寿をともに得る。
財運。往来して商売すれば、何事も利益がある。
家宅。善を積む家には、後に余慶がある。
健康。天から授かった寿命には限りがある。
上九の変卦
"周易第10卦的其中之一变卦卦的卦图
上九が変じると、周易の58卦「兌為沢」となる。この卦は同卦で、下も沢、上も沢で重なる。沢は水を表す。二つの沢がつながり、二つの水が交流し、上下が調和し、団結して友が助け合い、喜びが生じる。兌は喜びを意味する。剛健の徳を同じく備え、外には柔和な姿を示し、正道を堅く歩み、民を向上へ導く。

上九爻の哲学的意味。

履卦第六爻の爻辞の解釈
「視」は見る、詳しく調べること。「視履」は歩んできた道を調べ直すこと。「考祥」は全面的かつ綿密に考えること。「旋」は繰り返すこと、戻ること。
この爻辞の意味は、歩んできた道を振り返り、吉凶や禍福を詳しく調べ、己を省みるなら吉である、ということである。
卦象から見ると、上九は陽爻が柔位にあり、謙虚で柔順、徳と才を兼ね備える。履卦の最上位にあり、かつて君主とともに事を行ったが、今は退いた建国の元老を象徴する。安心して家に帰り、自分の経験を反省し、教訓をまとめるので、大吉である。
常に自分の行いを点検し、欠点を改め、長所を伸ばせば、人生の過ちが自然に減るので吉となる。孔子のいう「吾、日に三たび吾が身を省みる」と同じである。これを実行できれば、生涯に大きな収穫と大きな成就がある。だから象伝は「大いに慶びあり」という。