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高島易断 · 卦ごとの解説
高島易断 · 易経 第 2 卦 坤為地。坤は元亨。牝馬の貞に利あり。君子、行くところあり。先んずれば迷い、後にすれば主を得る。西南には朋を得て利あり、東北には朋を失う。貞に安んずれば吉。
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坤為地。坤は元亨。牝馬の貞に利あり。君子、行くところあり。先んずれば迷い、後にすれば主を得る。西南には朋を得て利あり、東北には朋を失う。貞に安んずれば吉。
坤は元亨。牝馬の貞に利あり。君子、行くところあり。先んずれば迷い、後にすれば主を得る。西南には朋を得て利あり、東北には朋を失う。貞に安んずれば吉。
02 坤為地
坤卦は三つの偶爻、すなわち六本の陰爻から成り、純陰で空虚に開けた象を表す。「坤[13]」の古文は巛で、「従う」を表す字の偏や「川」の字にも通じ、いずれも巛の象形である。そこで『象伝』は「天に及びて順承す」といい、また「柔順にして貞に利あり」という。『文言伝』には「坤の道は、それ順なるか」とあり、『繋辞伝』には「そもそも坤は、天下の至順なり」とある。いずれも「坤」に従順の意があることを示している。後世、山川の「川」と混同されたため、土と申を組み合わせた字形に改め、坤が大地を意味することを示した。地は土であり、方位では申に当たる。大地はその本体が静かで、きわめて柔らかく従順であり、それによって乾を受け支える。『説卦伝』は「坤は柔なり」といい、『雑卦伝』は「乾は剛、坤は柔」という。柔順の意は明らかである。
坤は、元いに亨る。牝馬[14]の貞に利あり。君子、行くところあれば、先んずれば迷い、後れれば主を得る。西南は朋を得て利あり、東北は朋を失う。安らかに貞を守れば吉。
坤は乾の対である。万物の気は天に始まり、万物の形は地に生じる。その意義は、人においては卑下、物においては雌、事においては静、学においては能、時においては秋である。その道は、人に用いられることはできても、自ら用いることはできない。小人も自分の柔弱さを知り、剛明な君子に順従できれば、道を得る。しかし易の象は変動するので、一つの意味に固執して論じてはならない。君父が坤を占えないとか、臣子が乾を占えないという意味ではない。また乾の六爻に小人がなく、坤の六爻に君子がないという意味でもない。君子がこの卦を得たなら、その運勢が坤の状態にあることを知り、坤の順の意義に従って、柔順に事に当たるべきである。
▲ 古代の「坤」の字
坤は大地であり、太陽のような乾の働きを順って受ける。天には象があり、地には形がある。天は虚、地は実である。大地は土が積み重なってでき、上から天の施しを受けて万物を化育し、載せられないものは何もない。人においては臣下と妻に当たる。臣下が君主に仕え、母が子を育て、妻が夫に従うのは、いずれも地の道の極めて順なる姿にかなうもので、その道理は一つである。坤の徳は柔らかく従順で、広大なものを包み、光明と偉大さを備え、篤実で重厚である。これは『中庸』でいう「寛大でゆとりがあり、温和で柔らかく、よく包容する」大徳にほかならない。
この卦は六画がすべて偶爻で、順う象である。内外とも偶爻が重なるので厚みの象、内が虚なので中・含む・通じる象、二爻ずつ相比するので行く・明らかの象、整然と均しく調和するので文・美の象、六つの偶爻は十二方と大の象、秩序が乱れないのは理の象、左右に分布するのは体、また業の象である。爻辞と文言伝は、いずれもこれらの象に基づいて辞を結んでいる。
▲ 八卦方位図
「元いに亨り、貞に利あり」の意味は、乾卦のところで説明した。乾は形より上にあるもので、天地の道を主宰する。坤は形より下にあるもので、陰陽の働きを主宰する。これが乾と坤の違いである。坤の「元いに亨る」は、乾の「元いに亨る」と同じであり、月が太陽の光を受けて輝くようなものだ。馬は性質が柔らかく従順で、人に馴れて役立つ。牝馬はとりわけ柔順である。北方では、馬の群れは十頭の牝馬に一頭の牡馬を配して進み、他の群れには入らない。「牝馬の貞」とは、このことを象に取ったのである。しかし乾卦では龍を語り、坤卦では馬を語る。龍は天上を飛び、自在に変化するが、馬は地上を歩き、人に馴らされる。牝は牡に対して柔を表すので、「牝馬の貞に利あり」という。乾が上、坤が下であるなら、乾が先で坤が後になる。坤が乾より先に立てば、天に逆らうため、どこへ行っても必ず迷う。坤が乾の後に従えば、「天に順い承ける」ことになり、「主を得て常を保つ」ので、行くところすべてに利がある。これは、陽が唱え、陰が和し、陽が施し、陰が受ける道である。「行くところがある」とは、何かを行うことをいう。坤は乾を主とし、君子は君主を主とする。君主が先に立ち、臣下が後に従って命令を実行するので、どこへ行ってもよい。西南は陰の方角で、巽・離・兌に属し、坤の本来の方角である。東北は陽の方角で、坎・艮・震に属し、乾の本来の方角である。「西南に行けば朋を得る」とは、坤が陰卦として陰の方角に行くことをいう。「東北に行けば朋を失う」とは、坤が陰卦でありながら陽卦の方角へ向かうことをいう。陰が陰へ向かえば同類と行動し、陰が陽へ向かえば陽に従って喜びを得る。だから彖伝は、「西南に朋を得るとは同類と行くこと、東北に朋を失うとは最後には喜びを得ること」と述べる。「貞に安んずる」とは、坤の順い従う性質に安んじ、それによって乾の健やかさに釣り合うことである。したがって「君子に行くところがある」といっても、坤の順に従うこと、それだけでよい。
一説には「主利」を一つの句として読み、家にあっては子孫を増やし勤倹して富をなし、国にあっては物資を活用し生産を厚くして国を富ませる、とする。しかし孔子の文言伝を根拠とすべきであり、「利」の字は下の二句に属して読む。「朋を得る」「朋を失う」は、まさに上の「主を得る」と対になっている。
彖伝に曰く。至れるかな、坤元。万物はこれに資して生じ、すなわち順って天を承ける。坤は厚くして物を載せ、その徳は無疆に合う。広大・光明を包み、万物は皆亨る。牝馬は地の類であり、地を行くこと無疆。柔順にして貞に利あり。君子の行いは、先んずれば道を失い、後にすれば順って常を得る。西南には朋を得て類と行き、東北には朋を失うが、ついには慶びがある。安んじて貞を守る吉は、地の無疆に応じる。
乾元も坤元も、ともに太極の一元に根ざし、二つの元があるのではない。坤は乾を承けるので、坤もまた「元」と称する。乾元は陽に属するから「大」といい、坤元は陰に属するので「大」とはいわず「至」という。「至」とは極み尽くすところに到ったことをいう。陽の極まり尽くすところは陰となり、陰はすなわち坤である。だから「至れるかな」という。
坤の大地は太陽に従って円く回り、活動する。外側は水を衣のようにまとい、太陽の光と熱を受けて水気を蒸発させ、雨露を降らせて、万物を生かし育てる働きをする。これを陰陽の作用という。陰陽とは天地の大気であり、万物は皆この二気に乗って生成する。系辞伝にいう「天地は気を交わし、万物は化して醇となり、男女は精を交わし、万物は化して生ず」とは、まさにこのことである。乾元の大気と坤元の精気が交わると、万物は盛んに生まれ育つ。その生成の働きはあらゆるところに及ぶ。これを「至れるかな坤元、万物ここより生を受け、すなわち順んで天を承く」という。乾は天の積み重なった気で、その徳は始めて施すことにある。坤は天の気を受けて形となり、その徳は受け入れ養うことにある。「生を資ける」の「生」は、乾の象伝にある「始」と相対する語であり、軽く見てはならない。この卦は上下ともに坤で、重厚な象を示す。そのため山岳を載せても重しとせず、河海を動かしても漏らさず、天の施しに限りなく応じて万物を生じさせ、何ものも包容し、何ものも育てる。ゆえに「坤は厚くして物を載せ、徳は無疆に合し、弘大を含みて光明盛大、品物ことごとく亨る」という。昔から、地の精は馬に象る。牝馬は陰類であり、陰の上にさらに陰である。その性質が柔順で、しかも遠く行くことができるため、「地を行くこと無疆」と称する。坤を手本とする君子の行いも、まさにこのようでなければならない。「牝馬」という一語には聖人の深い意図があるので、易を読む者は心を留めてよく味わうべきである。この卦は純陰であり、陰は成就をつかさどる。成就には乾を主とすることが必要だから、乾に従って動くべきである。臣下であれ妻であれ、先を争って事を成そうとしてはならない。したがって君子がこの卦を得たなら、静かに事を行い、焦って進んではならない。時機に先んじて動けば、必ず失敗する。陰は暗く、無知であり、事を主宰するのには向かない。必ず陽に従うことを主とする。卦がすべて陰であるため、人に先んじて事を担当すれば迷い、誤りが多くなる。陽を承けて後から従えば、順って常道を得る。ゆえに「先んずれば道を失い、後れて順えば常を得る」という。西南は退く方位、東北は進む方位であり、西南は陰位、東北は陽位でもある。坤の時には、西南へ退けば朋を得、東北へ進めば朋を失う。しかし、人は朋を得ることを喜んで西南へ向かいがちだが、陰をもって陰位へ行くのは、少しの益もない。柔はますます柔となり、暗さはますます暗くなるだけである。東北へ行けば朋を失うというものの、自分の暗さから明るい場所へ行って補いを求めれば、暗が去って明が来る。道は順で、得る益も多い。ゆえに「西南では朋を得て同類と行き、東北では朋を失うが、ついには慶びがある」という。こうして自分の本分に安んじ、常道を固く守ることを「安貞の吉」という。貞の徳とは、守るべきものを守って変わらず、万物をその終わりまで全うすることである。だから「安貞の吉、地に応じて疆いなし」という。
按ずるに、易は「三天二地」の数によって天地の位を設け、剛柔の位を定める。すなわち、天一、地二、天三、地四、天五、地六であり、陰陽がことごとく交わる。六十四卦のうち、定位が完全に正しく整っているのは、ただ水火既済だけである15。易で「位に当たる」「位に当たらない」というのは、すべてこの理による。天下の大小の事が道理にかなうか、かなわないかも、皆ここから生じる。また、地の中に天がある場合、二と四を二つの地、 一と五を二つの天、三を地中の天といい、合わせて三天という。上爻の一陰は、地球の外にもなお世界があることを表す。この三天二地の位は、易において最も重要な枢要である。ゆえに天の位に地があり、地の位に天があるのは、いずれも不当位という。易が時・処・位を扱う精密さは、このようなものである。
この卦を全体として見ると、初爻は陰のかすかな始まりである。小人は利益を求めてあくせくし、災いを顧みないため、邪道に陥る象がある。「霜を履む」とは、深い戒めである。二爻は純粋な坤の体を得ており、卦の中で最も純粋な一爻である。しかし、ただ「利あらざるなし」と言うだけで、天位を得て天道を行い、天下太平の占を得る乾の九五とは大きく異なる。三爻は中を得ず、しかも正しくないので、賞罰が明らかでない時を示す。四爻も中を得ず、そのため君子は沈黙して禍を避ける。五爻は正しくないため、尊卑の秩序が乱れる。上六では群陰の爻が争い、血で血を洗う象があり、陰の極みである。要するに坤は純陰の卦なので、六爻はおおむね小人について述べ、乾の君子と対照をなす。小人であるから、彖伝は「利を主とす」といい、上爻は「戦う」という。「霜を履む」は始めを戒め、「永く貞なり」は終わりを慎ませる。時に君子に取る象であっても、乾の君子とは趣が異なる。乾の君子は賢者であり、坤の君子は能者である。賢者は人を用い、能者は人に用いられる。賢者は位にあり、能者は職にある。乾の時には賢者が位にあって徳化を施し、坤の時には能者が職にあって利益を計るのである。
象伝にいう。大地の形勢は坤である。君子はこれにならい、厚い徳によって万物を担い載せる。
坤の象は、上下二つの坤が重なり、下と上に配されている。これは大地の起伏が連なっているようすである。天は気の運行に似ているので、乾では「天行」という。地は形によって物を載せるので、坤では「地勢」という。地には高低があり、丘陵や山岳の起伏は、地中の火気の働きによる。地球はもともと水を衣としていたため、低いところに水がたまって海となり、『易』では沢という。その周囲を取り巻く水は、太陽に引かれている。地形が水面上に現れると、地勢には高低があり、それぞれの形に従って外へ延びていく。延びるとは伸びることであるから、「地勢は坤」という。人に知恵と愚かさ、賢と不肖の違いがあるのは、地形に高低があり、土質に肥沃とやせ地があるのと同じである。農夫はやせた土地だからといって耕作をやめず、君子も愚かな者や不肖の者だからといって教育をやめない。物事がそうなる理由を教え、道義が尊い理由を導き示し、社会の基準を明らかにするのである。ただし人の性には、最上の知恵を持つ者、中ほどの才能の者、最も愚かな者がいる。上智は自らを修めて人に及ぼし、中材は自ら修めるだけであり、下愚は自修できず、人に治めてもらうのを待つ。天地の間にある形ある物の中で、地ほど厚いものはなく、地に載せられないものもない。だから君子は坤の象にならい、厚い徳をもって人に接する。知者も愚者も、賢者も不肖の者も、ことごとく包み受け入れる。坤が何ものをも載せないことがないのと同じである。これを「厚い徳によって万物を載せる」という。
【占い】
○ 戦争について問う。坤は大地を表し、また大衆を表す。「勢」とは力があるという意味である。軍を進めるにあたり、地の利を得、勢いを得、さらに兵衆を得れば、攻めて勝てないことはないのが当然である。
○ 功名について問う。上に立つ者が坤の厚い徳を手本とし、厚徳を積んでその光を広く及ぼせば、自然に名声が高く遠くまで伝わる。
○ 商売について問う。坤は富、財、蓄積、集合を表し、いずれも商売には吉兆である。「厚い徳で万物を載せる」というが、「徳」は「得」に通じるので、必ず満載して帰ることができる。
○ 家宅について問う。この家は地勢に恵まれ、占いとしては大吉である。
○ 婚姻について問う。坤は順であり、柔順に従うことにほかならない。これは地の道、すなわち妻の道である。大吉。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
02 坤為地
坤卦は三つの偶爻、すなわち六本の陰爻から成り、純陰で空虚に開けた象を表す。「坤[13]」の古文は巛で、「従う」を表す字の偏や「川」の字にも通じ、いずれも巛の象形である。そこで『象伝』は「天に及びて順承す」といい、また「柔順にして貞に利あり」という。『文言伝』には「坤の道は、それ順なるか」とあり、『繋辞伝』には「そもそも坤は、天下の至順なり」とある。いずれも「坤」に従順の意があることを示している。後世、山川の「川」と混同されたため、土と申を組み合わせた字形に改め、坤が大地を意味することを示した。地は土であり、方位では申に当たる。大地はその本体が静かで、きわめて柔らかく従順であり、それによって乾を受け支える。『説卦伝』は「坤は柔なり」といい、『雑卦伝』は「乾は剛、坤は柔」という。柔順の意は明らかである。
坤は、元いに亨る。牝馬[14]の貞に利あり。君子、行くところあれば、先んずれば迷い、後れれば主を得る。西南は朋を得て利あり、東北は朋を失う。安らかに貞を守れば吉。
坤は乾の対である。万物の気は天に始まり、万物の形は地に生じる。その意義は、人においては卑下、物においては雌、事においては静、学においては能、時においては秋である。その道は、人に用いられることはできても、自ら用いることはできない。小人も自分の柔弱さを知り、剛明な君子に順従できれば、道を得る。しかし易の象は変動するので、一つの意味に固執して論じてはならない。君父が坤を占えないとか、臣子が乾を占えないという意味ではない。また乾の六爻に小人がなく、坤の六爻に君子がないという意味でもない。君子がこの卦を得たなら、その運勢が坤の状態にあることを知り、坤の順の意義に従って、柔順に事に当たるべきである。
▲ 古代の「坤」の字
坤は大地であり、太陽のような乾の働きを順って受ける。天には象があり、地には形がある。天は虚、地は実である。大地は土が積み重なってでき、上から天の施しを受けて万物を化育し、載せられないものは何もない。人においては臣下と妻に当たる。臣下が君主に仕え、母が子を育て、妻が夫に従うのは、いずれも地の道の極めて順なる姿にかなうもので、その道理は一つである。坤の徳は柔らかく従順で、広大なものを包み、光明と偉大さを備え、篤実で重厚である。これは『中庸』でいう「寛大でゆとりがあり、温和で柔らかく、よく包容する」大徳にほかならない。
この卦は六画がすべて偶爻で、順う象である。内外とも偶爻が重なるので厚みの象、内が虚なので中・含む・通じる象、二爻ずつ相比するので行く・明らかの象、整然と均しく調和するので文・美の象、六つの偶爻は十二方と大の象、秩序が乱れないのは理の象、左右に分布するのは体、また業の象である。爻辞と文言伝は、いずれもこれらの象に基づいて辞を結んでいる。
▲ 八卦方位図
「元いに亨り、貞に利あり」の意味は、乾卦のところで説明した。乾は形より上にあるもので、天地の道を主宰する。坤は形より下にあるもので、陰陽の働きを主宰する。これが乾と坤の違いである。坤の「元いに亨る」は、乾の「元いに亨る」と同じであり、月が太陽の光を受けて輝くようなものだ。馬は性質が柔らかく従順で、人に馴れて役立つ。牝馬はとりわけ柔順である。北方では、馬の群れは十頭の牝馬に一頭の牡馬を配して進み、他の群れには入らない。「牝馬の貞」とは、このことを象に取ったのである。しかし乾卦では龍を語り、坤卦では馬を語る。龍は天上を飛び、自在に変化するが、馬は地上を歩き、人に馴らされる。牝は牡に対して柔を表すので、「牝馬の貞に利あり」という。乾が上、坤が下であるなら、乾が先で坤が後になる。坤が乾より先に立てば、天に逆らうため、どこへ行っても必ず迷う。坤が乾の後に従えば、「天に順い承ける」ことになり、「主を得て常を保つ」ので、行くところすべてに利がある。これは、陽が唱え、陰が和し、陽が施し、陰が受ける道である。「行くところがある」とは、何かを行うことをいう。坤は乾を主とし、君子は君主を主とする。君主が先に立ち、臣下が後に従って命令を実行するので、どこへ行ってもよい。西南は陰の方角で、巽・離・兌に属し、坤の本来の方角である。東北は陽の方角で、坎・艮・震に属し、乾の本来の方角である。「西南に行けば朋を得る」とは、坤が陰卦として陰の方角に行くことをいう。「東北に行けば朋を失う」とは、坤が陰卦でありながら陽卦の方角へ向かうことをいう。陰が陰へ向かえば同類と行動し、陰が陽へ向かえば陽に従って喜びを得る。だから彖伝は、「西南に朋を得るとは同類と行くこと、東北に朋を失うとは最後には喜びを得ること」と述べる。「貞に安んずる」とは、坤の順い従う性質に安んじ、それによって乾の健やかさに釣り合うことである。したがって「君子に行くところがある」といっても、坤の順に従うこと、それだけでよい。
一説には「主利」を一つの句として読み、家にあっては子孫を増やし勤倹して富をなし、国にあっては物資を活用し生産を厚くして国を富ませる、とする。しかし孔子の文言伝を根拠とすべきであり、「利」の字は下の二句に属して読む。「朋を得る」「朋を失う」は、まさに上の「主を得る」と対になっている。
彖伝に曰く。至れるかな、坤元。万物はこれに資して生じ、すなわち順って天を承ける。坤は厚くして物を載せ、その徳は無疆に合う。広大・光明を包み、万物は皆亨る。牝馬は地の類であり、地を行くこと無疆。柔順にして貞に利あり。君子の行いは、先んずれば道を失い、後にすれば順って常を得る。西南には朋を得て類と行き、東北には朋を失うが、ついには慶びがある。安んじて貞を守る吉は、地の無疆に応じる。
乾元も坤元も、ともに太極の一元に根ざし、二つの元があるのではない。坤は乾を承けるので、坤もまた「元」と称する。乾元は陽に属するから「大」といい、坤元は陰に属するので「大」とはいわず「至」という。「至」とは極み尽くすところに到ったことをいう。陽の極まり尽くすところは陰となり、陰はすなわち坤である。だから「至れるかな」という。
坤の大地は太陽に従って円く回り、活動する。外側は水を衣のようにまとい、太陽の光と熱を受けて水気を蒸発させ、雨露を降らせて、万物を生かし育てる働きをする。これを陰陽の作用という。陰陽とは天地の大気であり、万物は皆この二気に乗って生成する。系辞伝にいう「天地は気を交わし、万物は化して醇となり、男女は精を交わし、万物は化して生ず」とは、まさにこのことである。乾元の大気と坤元の精気が交わると、万物は盛んに生まれ育つ。その生成の働きはあらゆるところに及ぶ。これを「至れるかな坤元、万物ここより生を受け、すなわち順んで天を承く」という。乾は天の積み重なった気で、その徳は始めて施すことにある。坤は天の気を受けて形となり、その徳は受け入れ養うことにある。「生を資ける」の「生」は、乾の象伝にある「始」と相対する語であり、軽く見てはならない。この卦は上下ともに坤で、重厚な象を示す。そのため山岳を載せても重しとせず、河海を動かしても漏らさず、天の施しに限りなく応じて万物を生じさせ、何ものも包容し、何ものも育てる。ゆえに「坤は厚くして物を載せ、徳は無疆に合し、弘大を含みて光明盛大、品物ことごとく亨る」という。昔から、地の精は馬に象る。牝馬は陰類であり、陰の上にさらに陰である。その性質が柔順で、しかも遠く行くことができるため、「地を行くこと無疆」と称する。坤を手本とする君子の行いも、まさにこのようでなければならない。「牝馬」という一語には聖人の深い意図があるので、易を読む者は心を留めてよく味わうべきである。この卦は純陰であり、陰は成就をつかさどる。成就には乾を主とすることが必要だから、乾に従って動くべきである。臣下であれ妻であれ、先を争って事を成そうとしてはならない。したがって君子がこの卦を得たなら、静かに事を行い、焦って進んではならない。時機に先んじて動けば、必ず失敗する。陰は暗く、無知であり、事を主宰するのには向かない。必ず陽に従うことを主とする。卦がすべて陰であるため、人に先んじて事を担当すれば迷い、誤りが多くなる。陽を承けて後から従えば、順って常道を得る。ゆえに「先んずれば道を失い、後れて順えば常を得る」という。西南は退く方位、東北は進む方位であり、西南は陰位、東北は陽位でもある。坤の時には、西南へ退けば朋を得、東北へ進めば朋を失う。しかし、人は朋を得ることを喜んで西南へ向かいがちだが、陰をもって陰位へ行くのは、少しの益もない。柔はますます柔となり、暗さはますます暗くなるだけである。東北へ行けば朋を失うというものの、自分の暗さから明るい場所へ行って補いを求めれば、暗が去って明が来る。道は順で、得る益も多い。ゆえに「西南では朋を得て同類と行き、東北では朋を失うが、ついには慶びがある」という。こうして自分の本分に安んじ、常道を固く守ることを「安貞の吉」という。貞の徳とは、守るべきものを守って変わらず、万物をその終わりまで全うすることである。だから「安貞の吉、地に応じて疆いなし」という。
按ずるに、易は「三天二地」の数によって天地の位を設け、剛柔の位を定める。すなわち、天一、地二、天三、地四、天五、地六であり、陰陽がことごとく交わる。六十四卦のうち、定位が完全に正しく整っているのは、ただ水火既済だけである15。易で「位に当たる」「位に当たらない」というのは、すべてこの理による。天下の大小の事が道理にかなうか、かなわないかも、皆ここから生じる。また、地の中に天がある場合、二と四を二つの地、 一と五を二つの天、三を地中の天といい、合わせて三天という。上爻の一陰は、地球の外にもなお世界があることを表す。この三天二地の位は、易において最も重要な枢要である。ゆえに天の位に地があり、地の位に天があるのは、いずれも不当位という。易が時・処・位を扱う精密さは、このようなものである。
この卦を全体として見ると、初爻は陰のかすかな始まりである。小人は利益を求めてあくせくし、災いを顧みないため、邪道に陥る象がある。「霜を履む」とは、深い戒めである。二爻は純粋な坤の体を得ており、卦の中で最も純粋な一爻である。しかし、ただ「利あらざるなし」と言うだけで、天位を得て天道を行い、天下太平の占を得る乾の九五とは大きく異なる。三爻は中を得ず、しかも正しくないので、賞罰が明らかでない時を示す。四爻も中を得ず、そのため君子は沈黙して禍を避ける。五爻は正しくないため、尊卑の秩序が乱れる。上六では群陰の爻が争い、血で血を洗う象があり、陰の極みである。要するに坤は純陰の卦なので、六爻はおおむね小人について述べ、乾の君子と対照をなす。小人であるから、彖伝は「利を主とす」といい、上爻は「戦う」という。「霜を履む」は始めを戒め、「永く貞なり」は終わりを慎ませる。時に君子に取る象であっても、乾の君子とは趣が異なる。乾の君子は賢者であり、坤の君子は能者である。賢者は人を用い、能者は人に用いられる。賢者は位にあり、能者は職にある。乾の時には賢者が位にあって徳化を施し、坤の時には能者が職にあって利益を計るのである。
象伝にいう。大地の形勢は坤である。君子はこれにならい、厚い徳によって万物を担い載せる。
坤の象は、上下二つの坤が重なり、下と上に配されている。これは大地の起伏が連なっているようすである。天は気の運行に似ているので、乾では「天行」という。地は形によって物を載せるので、坤では「地勢」という。地には高低があり、丘陵や山岳の起伏は、地中の火気の働きによる。地球はもともと水を衣としていたため、低いところに水がたまって海となり、『易』では沢という。その周囲を取り巻く水は、太陽に引かれている。地形が水面上に現れると、地勢には高低があり、それぞれの形に従って外へ延びていく。延びるとは伸びることであるから、「地勢は坤」という。人に知恵と愚かさ、賢と不肖の違いがあるのは、地形に高低があり、土質に肥沃とやせ地があるのと同じである。農夫はやせた土地だからといって耕作をやめず、君子も愚かな者や不肖の者だからといって教育をやめない。物事がそうなる理由を教え、道義が尊い理由を導き示し、社会の基準を明らかにするのである。ただし人の性には、最上の知恵を持つ者、中ほどの才能の者、最も愚かな者がいる。上智は自らを修めて人に及ぼし、中材は自ら修めるだけであり、下愚は自修できず、人に治めてもらうのを待つ。天地の間にある形ある物の中で、地ほど厚いものはなく、地に載せられないものもない。だから君子は坤の象にならい、厚い徳をもって人に接する。知者も愚者も、賢者も不肖の者も、ことごとく包み受け入れる。坤が何ものをも載せないことがないのと同じである。これを「厚い徳によって万物を載せる」という。
【占い】
○ 戦争について問う。坤は大地を表し、また大衆を表す。「勢」とは力があるという意味である。軍を進めるにあたり、地の利を得、勢いを得、さらに兵衆を得れば、攻めて勝てないことはないのが当然である。
○ 功名について問う。上に立つ者が坤の厚い徳を手本とし、厚徳を積んでその光を広く及ぼせば、自然に名声が高く遠くまで伝わる。
○ 商売について問う。坤は富、財、蓄積、集合を表し、いずれも商売には吉兆である。「厚い徳で万物を載せる」というが、「徳」は「得」に通じるので、必ず満載して帰ることができる。
○ 家宅について問う。この家は地勢に恵まれ、占いとしては大吉である。
○ 婚姻について問う。坤は順であり、柔順に従うことにほかならない。これは地の道、すなわち妻の道である。大吉。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
初六。霜を踏めば、堅い氷が至る。
初六。霜を踏めば、堅い氷が至る。
象伝にいう。「霜を踏む」とは、陰が初めて凝り始めたことである。その道を順に進ませれば、ついには堅い氷に至る。
初爻は純陰の初めに位置し、陰が凝り始めるところである。その兆しはきわめて微かであっても、その勢いは次第に盛んになるに違いない。そこで、霜がやがて堅い氷となる意を取っている。霜を踏んだ初めに、陰の気が次第に増長することを察し、ついに堅氷となる前に防がなければならない。人においては、陰邪の芽生えはまだ微かで、霜のように消えやすい。しかし積み重なる勢いは、ついには堅氷となり、その悪逆はもはや改められなくなる。そのとき、どうすることができようか。それゆえ、大きくは国を治めることから、小さくは身を修めることまで、すべて微かな兆しのうちに慎まなければならない。『文言伝』に「善を積む家には必ず余慶があり、不善を積む家には必ず余殃がある。臣が君を弑し、子が父を弑するのは、一朝一夕のことではない。その由来するところは次第に進んだのである」とある。まさにこの意味をよく解した言葉である。この卦は全体が陰であり、小人は利欲を知って道義を知らない。初めは父の教えが慎重でなかったため、日を重ね月を重ねるうちに、ますます下へ流れ、ついには利欲が心を曇らせ、不孝・不悌となる。極まれば上に逆らい乱を起こし、それでも何のはばかりもなくなる。その禍は、実に教えの慎みを欠いたことから始まる。陰を抑え陽を助け、微かな兆しのうちに防ぎ、禍の進行を断つことを、聖人は懇ろに戒めたのである。坤の道は極めて柔順であるが、極度の柔順が変ずれば、流れが極まって大逆に至ることもある。聖人は坤の柔順が流れた末の害を見て、堅氷へと徐々に至ることを戒めた。霜を踏んで氷を防ぎ、虎の尾を踏んで虎に噛まれるのを防ぐという教訓は、いずれも深く切実である。伝には「その由来するところは次第に進んだ」とある。「来る」とは、過去・未来・現在の三つを含む。『彖伝』が訟について「剛が来て中を得る」といい、賁について「柔が来て剛を飾る」というのも、いずれも「来る」の意味を述べたものである。因果応報を仏教の説であり聖人は語らなかったと、しばしば頑迷な人は固く主張するが、それは誤りである。『象伝』の「陰始めて凝る」とは、小人の欲念が芽生えた時、それが自然の勢いに従って放置され、習慣となって盛んになることをいう。陰邪の芽は初め微かでも、霜を踏むことから堅氷に至るまで、次第に進んで抑えがたくなり、ついには身を滅ぼし家を失い、もはや救うことができなくなる。「針を盗む者は鐘を盗む」という諺は、まさにこの意味である。だから聖人は、過ちや怠りが大きくならないうちに、速やかに改めよと戒めた。この爻が変ずれば復となる。復の初九には「遠からずして復れば、悔いに至らず、大いに吉」とある。これは過ちを速やかに改め、悔いを残さないという意味である。
【占い】
○ 商売について問う。初六では陰気はまだ微かである。「霜を履めば堅い氷が至る」とは、微小なものから盛大なものへ推移すること。商売が小から大へ、次第に蓄積して富に至るのと同じである。
○ 功名について問う。初爻は、若くして新たに進もうとする時である。卑しい地位から尊い地位へ上るのは、霜を履んで堅い氷に至るようなもの。時に従って進むべきで、焦ってはならない。
○ 戦争について問う。初爻は陰の始まりで、「霜を履む」象である。上爻の「龍、野に戦う」は陰の極みで、「堅い氷」の象である。「その血玄黄」とは、両軍とも敗れることをいう。まず始めを慎まなければならない。
○ 家宅について問う。坤は純陰の卦である。初爻では陰気がまだ微かなので「霜を履む」といい、「堅い氷に至る」とは陰気が盛んになること。陰が盛んになれば衰えるので、不吉の兆しである。
○ 婚姻について問う。坤卦は純陰であり、霜も氷も陰の象である。純陰で陽がないので、よくない。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
○ 病気について問う。陰邪による病気のおそれがある。初めなら治療できるが、長引けば治しにくい[16]。
【例】明治二十一年の冬、ある男爵が来て告げた。「私はこの頃、鉱山事業に従事したいと思っています。その鉱山はある鉱学士が保証しており、有利なことは疑いありません。しかし、どうかその得失を占ってください」。筮して坤が復に変じた。
断にいう。この卦は純陰で、一つの陽爻もない。統一された事業がなく、衆人がそれぞれ私利を図る時である。しかも初爻は陰が凝り始めたところで、小人が貪欲で満足を知らない象がある。乾陽は金属を表すが、この卦には陽爻が一つもないので、金を得ることはできない。鉱学士が保証していても、にわかに信じてはならない。陰卦は小人に属し、小人は利に走って君父を顧みない。まして友人のことなど顧みるだろうか。あなたはその企てを断るべきである。男爵はこれに従い、後になって、鉱学士が外国人と通じ、鉱山の金産量が豊富だと偽って語り、詐欺を仕組んで多額の金をだまし取ったことを知った。その仕掛けに入った者は、皆大きな損失を被った。このため鉱業について語る者は、実際に利益があっても、しばしば人々から信用されなくなった。人が事業を起こそうとする心も、進取の気性も、すべてこのような小人の害によって阻まれるのである。
男爵はこの占いによってその企てに加わらず、損失を免れた。まことに幸運であったというべきである。
【例】明治三十一年冬至、明年の我が帝国の運勢を占い、坤が復に変じた。
易の定例では、陽を君子とし、陰を小人とする。君子とは、忠誠な心で国を思い、私心や曲がった意図を抱かない者である。聖上が聡明で英知を備え、天下に臨んで統治されるなら、君子を手本とし、小人を戒めとされるべきである。小人はただ利益のみを事とし、国家の盛衰を顧みない。孟子のいう「上下こもごも利を争う」状態であり、奪っても満足せず、強い者が勝ち弱い者が敗れ、弱肉強食となるのも、勢いの赴くところ避けられない。幸い聖明の世にあって、文化は日々盛んになり、欧米諸国と比べても大きく劣るものではない。しかし世の道徳と人心は日に日に衰え、利益だけを重んじる。古風を厚く尊び、道徳を論じ、利益ではなく義を理解する者を求めても、百人に一人もいない。なんと嘆かわしいことではないか。坤は純陰で陽がなく、小人が世をほしいままにし、君子が退いて身を隠す時である。今、初爻を得ると、地が雷に変わる。これは小人が権力を専らにし、私利を独占する兆しである。その辞に「霜を踏めば、堅い氷が至る」とある。霜を踏んだばかりの時は、小人の腹黒い企てが芽生えたばかりで、霜のようにまだ容易に消せる。しかし堅い氷が凝り固まれば、もはや動かすことのできない勢いとなる。孔子はいう。「善を積む家には余りある慶福があり、不善を積む家には余りある災いがある。臣が君を殺し、子が父を殺すのは、一朝一夕のことではない。その由来は次第に積み重なったのである。それは、早く見分けて正さなかったからである。易に『霜を踏めば、堅い氷が至る』とあるのは、自然の順序に従って進むことをいう」。このような不吉な言葉は、他国では征伐や処罰の時代に時として現れる。しかし我が帝国では、天子の位が万世一系に続き、その下にも君に忠誠を尽くし国を愛する輔弼の臣が絶えることはない。ゆえにこのことを心配する必要はない。とはいえ、国家の運勢を占ってこの爻を得たなら、どうして戒め慎まないでいられようか。
二爻の変によって《師》となる。「師」とは、自らの身を手本として万民を教え導く象であり、来年および再来年の運勢を示す。その辞に「直方大、習わずして利あらざるなし」とある。この爻は陰位に陰が居り、坤の厚徳を十分に備え、大臣の位にある。「直」とは廉直で温和なこと、「方」とは剛直で厳正なこと、「大」とは大いに光り輝くことで、その功績をいう。君子が直・方・大の徳を備えていれば、たとえその位になくても、天爵の貴さを持つ者である。小人が直・方・大の徳を欠き、ひたすら私を追えば、たとえ公卿の高位にあっても、人爵の卑しい者である。君子と小人の分かれ目はこのようなものである。だから小人が高位に就くと、往々にして公を借りて私を図り、国家の安危を顧みず、ただ子孫のための計略を立て、自分では得策と思い込む。これはまことに思慮の浅いことである。大臣が利益を追えば、必ず賄賂が公然と行われ、是非が逆転し、ここから禍乱が起こる。禍乱の到来を知らない者でも、富者がまずその害毒を受けることは知るべきである。そうであれば、小人が家を富ませようとする行為は、実は家を滅ぼす災いを醸成するものだ。霜を踏みながら堅い氷への戒めを知らないのは、小人の計として、何と愚かなことではないか。
今、わが国家は幸いにも、賢明で立派な君子が上にあり、正直剛方の徳を守り、公明博大な政治を行い、自らを正して人々を率い、諸人の手本となっている。願わくは、陽剛が回復し、陰邪が退き、風俗が改まり、太平の政治に至るのは、まさにこの時ではなかろうか。《坤》卦は十年を数とする。純陰で一陽もないのは、統御が完全でない象である。今ここで戒めを知らなければ、惰性のまま十年に及び、あるいは上六の「龍、野に戦う」の災いに至る恐れもある。あらかじめ防がないわけにはいかない。「龍、野に戦う」とは、龍を上位の者、野を野心ある徒党にたとえ、反撃して流血に至ることをいう。「霜を履む」から「龍、野に戦う」に至るまで、国家にとってこれほど大きな不祥事はない。現在、大臣たちおよび各党の首領はみな廉直公正であり、もとよりこのような患いはない。しかし占いがこのように出た以上、その終局を考えると、杞憂とはいえかなり心配される。「龍、野に戦う」とは何を指すのか、見識ある者なら自ずから弁別できよう。
象伝にいう。「霜を踏む」とは、陰が初めて凝り始めたことである。その道を順に進ませれば、ついには堅い氷に至る。
初爻は純陰の初めに位置し、陰が凝り始めるところである。その兆しはきわめて微かであっても、その勢いは次第に盛んになるに違いない。そこで、霜がやがて堅い氷となる意を取っている。霜を踏んだ初めに、陰の気が次第に増長することを察し、ついに堅氷となる前に防がなければならない。人においては、陰邪の芽生えはまだ微かで、霜のように消えやすい。しかし積み重なる勢いは、ついには堅氷となり、その悪逆はもはや改められなくなる。そのとき、どうすることができようか。それゆえ、大きくは国を治めることから、小さくは身を修めることまで、すべて微かな兆しのうちに慎まなければならない。『文言伝』に「善を積む家には必ず余慶があり、不善を積む家には必ず余殃がある。臣が君を弑し、子が父を弑するのは、一朝一夕のことではない。その由来するところは次第に進んだのである」とある。まさにこの意味をよく解した言葉である。この卦は全体が陰であり、小人は利欲を知って道義を知らない。初めは父の教えが慎重でなかったため、日を重ね月を重ねるうちに、ますます下へ流れ、ついには利欲が心を曇らせ、不孝・不悌となる。極まれば上に逆らい乱を起こし、それでも何のはばかりもなくなる。その禍は、実に教えの慎みを欠いたことから始まる。陰を抑え陽を助け、微かな兆しのうちに防ぎ、禍の進行を断つことを、聖人は懇ろに戒めたのである。坤の道は極めて柔順であるが、極度の柔順が変ずれば、流れが極まって大逆に至ることもある。聖人は坤の柔順が流れた末の害を見て、堅氷へと徐々に至ることを戒めた。霜を踏んで氷を防ぎ、虎の尾を踏んで虎に噛まれるのを防ぐという教訓は、いずれも深く切実である。伝には「その由来するところは次第に進んだ」とある。「来る」とは、過去・未来・現在の三つを含む。『彖伝』が訟について「剛が来て中を得る」といい、賁について「柔が来て剛を飾る」というのも、いずれも「来る」の意味を述べたものである。因果応報を仏教の説であり聖人は語らなかったと、しばしば頑迷な人は固く主張するが、それは誤りである。『象伝』の「陰始めて凝る」とは、小人の欲念が芽生えた時、それが自然の勢いに従って放置され、習慣となって盛んになることをいう。陰邪の芽は初め微かでも、霜を踏むことから堅氷に至るまで、次第に進んで抑えがたくなり、ついには身を滅ぼし家を失い、もはや救うことができなくなる。「針を盗む者は鐘を盗む」という諺は、まさにこの意味である。だから聖人は、過ちや怠りが大きくならないうちに、速やかに改めよと戒めた。この爻が変ずれば復となる。復の初九には「遠からずして復れば、悔いに至らず、大いに吉」とある。これは過ちを速やかに改め、悔いを残さないという意味である。
【占い】
○ 商売について問う。初六では陰気はまだ微かである。「霜を履めば堅い氷が至る」とは、微小なものから盛大なものへ推移すること。商売が小から大へ、次第に蓄積して富に至るのと同じである。
○ 功名について問う。初爻は、若くして新たに進もうとする時である。卑しい地位から尊い地位へ上るのは、霜を履んで堅い氷に至るようなもの。時に従って進むべきで、焦ってはならない。
○ 戦争について問う。初爻は陰の始まりで、「霜を履む」象である。上爻の「龍、野に戦う」は陰の極みで、「堅い氷」の象である。「その血玄黄」とは、両軍とも敗れることをいう。まず始めを慎まなければならない。
○ 家宅について問う。坤は純陰の卦である。初爻では陰気がまだ微かなので「霜を履む」といい、「堅い氷に至る」とは陰気が盛んになること。陰が盛んになれば衰えるので、不吉の兆しである。
○ 婚姻について問う。坤卦は純陰であり、霜も氷も陰の象である。純陰で陽がないので、よくない。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
○ 病気について問う。陰邪による病気のおそれがある。初めなら治療できるが、長引けば治しにくい[16]。
【例】明治二十一年の冬、ある男爵が来て告げた。「私はこの頃、鉱山事業に従事したいと思っています。その鉱山はある鉱学士が保証しており、有利なことは疑いありません。しかし、どうかその得失を占ってください」。筮して坤が復に変じた。
断にいう。この卦は純陰で、一つの陽爻もない。統一された事業がなく、衆人がそれぞれ私利を図る時である。しかも初爻は陰が凝り始めたところで、小人が貪欲で満足を知らない象がある。乾陽は金属を表すが、この卦には陽爻が一つもないので、金を得ることはできない。鉱学士が保証していても、にわかに信じてはならない。陰卦は小人に属し、小人は利に走って君父を顧みない。まして友人のことなど顧みるだろうか。あなたはその企てを断るべきである。男爵はこれに従い、後になって、鉱学士が外国人と通じ、鉱山の金産量が豊富だと偽って語り、詐欺を仕組んで多額の金をだまし取ったことを知った。その仕掛けに入った者は、皆大きな損失を被った。このため鉱業について語る者は、実際に利益があっても、しばしば人々から信用されなくなった。人が事業を起こそうとする心も、進取の気性も、すべてこのような小人の害によって阻まれるのである。
男爵はこの占いによってその企てに加わらず、損失を免れた。まことに幸運であったというべきである。
【例】明治三十一年冬至、明年の我が帝国の運勢を占い、坤が復に変じた。
易の定例では、陽を君子とし、陰を小人とする。君子とは、忠誠な心で国を思い、私心や曲がった意図を抱かない者である。聖上が聡明で英知を備え、天下に臨んで統治されるなら、君子を手本とし、小人を戒めとされるべきである。小人はただ利益のみを事とし、国家の盛衰を顧みない。孟子のいう「上下こもごも利を争う」状態であり、奪っても満足せず、強い者が勝ち弱い者が敗れ、弱肉強食となるのも、勢いの赴くところ避けられない。幸い聖明の世にあって、文化は日々盛んになり、欧米諸国と比べても大きく劣るものではない。しかし世の道徳と人心は日に日に衰え、利益だけを重んじる。古風を厚く尊び、道徳を論じ、利益ではなく義を理解する者を求めても、百人に一人もいない。なんと嘆かわしいことではないか。坤は純陰で陽がなく、小人が世をほしいままにし、君子が退いて身を隠す時である。今、初爻を得ると、地が雷に変わる。これは小人が権力を専らにし、私利を独占する兆しである。その辞に「霜を踏めば、堅い氷が至る」とある。霜を踏んだばかりの時は、小人の腹黒い企てが芽生えたばかりで、霜のようにまだ容易に消せる。しかし堅い氷が凝り固まれば、もはや動かすことのできない勢いとなる。孔子はいう。「善を積む家には余りある慶福があり、不善を積む家には余りある災いがある。臣が君を殺し、子が父を殺すのは、一朝一夕のことではない。その由来は次第に積み重なったのである。それは、早く見分けて正さなかったからである。易に『霜を踏めば、堅い氷が至る』とあるのは、自然の順序に従って進むことをいう」。このような不吉な言葉は、他国では征伐や処罰の時代に時として現れる。しかし我が帝国では、天子の位が万世一系に続き、その下にも君に忠誠を尽くし国を愛する輔弼の臣が絶えることはない。ゆえにこのことを心配する必要はない。とはいえ、国家の運勢を占ってこの爻を得たなら、どうして戒め慎まないでいられようか。
二爻の変によって《師》となる。「師」とは、自らの身を手本として万民を教え導く象であり、来年および再来年の運勢を示す。その辞に「直方大、習わずして利あらざるなし」とある。この爻は陰位に陰が居り、坤の厚徳を十分に備え、大臣の位にある。「直」とは廉直で温和なこと、「方」とは剛直で厳正なこと、「大」とは大いに光り輝くことで、その功績をいう。君子が直・方・大の徳を備えていれば、たとえその位になくても、天爵の貴さを持つ者である。小人が直・方・大の徳を欠き、ひたすら私を追えば、たとえ公卿の高位にあっても、人爵の卑しい者である。君子と小人の分かれ目はこのようなものである。だから小人が高位に就くと、往々にして公を借りて私を図り、国家の安危を顧みず、ただ子孫のための計略を立て、自分では得策と思い込む。これはまことに思慮の浅いことである。大臣が利益を追えば、必ず賄賂が公然と行われ、是非が逆転し、ここから禍乱が起こる。禍乱の到来を知らない者でも、富者がまずその害毒を受けることは知るべきである。そうであれば、小人が家を富ませようとする行為は、実は家を滅ぼす災いを醸成するものだ。霜を踏みながら堅い氷への戒めを知らないのは、小人の計として、何と愚かなことではないか。
今、わが国家は幸いにも、賢明で立派な君子が上にあり、正直剛方の徳を守り、公明博大な政治を行い、自らを正して人々を率い、諸人の手本となっている。願わくは、陽剛が回復し、陰邪が退き、風俗が改まり、太平の政治に至るのは、まさにこの時ではなかろうか。《坤》卦は十年を数とする。純陰で一陽もないのは、統御が完全でない象である。今ここで戒めを知らなければ、惰性のまま十年に及び、あるいは上六の「龍、野に戦う」の災いに至る恐れもある。あらかじめ防がないわけにはいかない。「龍、野に戦う」とは、龍を上位の者、野を野心ある徒党にたとえ、反撃して流血に至ることをいう。「霜を履む」から「龍、野に戦う」に至るまで、国家にとってこれほど大きな不祥事はない。現在、大臣たちおよび各党の首領はみな廉直公正であり、もとよりこのような患いはない。しかし占いがこのように出た以上、その終局を考えると、杞憂とはいえかなり心配される。「龍、野に戦う」とは何を指すのか、見識ある者なら自ずから弁別できよう。
六二。直方大、習わずして利あらざるなし。
六二。直方大、習わずして利あらざるなし。
象伝にいう。六二の動きは、まっすぐで方正である。「習わずして利あらざるなし」とは、地の道が光り輝くからである。
二爻は陰位に陰が居るので、《坤》の主爻であり、上位者となる勢いを備えている。そもそも《乾》の九五と《坤》の六二は、それぞれ陰陽の本位に居り、中正の徳を兼ね備えている。《乾》は君道なので九五を主爻とし、《坤》は臣道なので六二を主爻とする。六二は地道の全徳を備え、内には私曲がなく、外には事ごとに理にかなう。ゆえに「直方大」と称する。「直」は邪曲がないこと、「方」は円の反対で、純陰の象である。円は動いて静止しない陽の道、「方」は止まって常を守る陰の道である。だから天は円く、地は方形だという。「大」は広大という意味で、坤たる大地が万物を生み育てる功徳の広大さをいう。「直」は心に私がないこと、「方」は事が理にかなうこと、「大」はその功をいう。「直方大」であれば、天の剛に配し、自然の徳に合う。天理は至って直く至って方正であるのに対し、人欲は邪曲である。人の性は本来善であっても、人欲に覆われると多くの分岐が横に生じ、かえって天理の直を損なう。この卦は本来凶ではないが、私欲に覆われれば凶に陥る。しかしこの爻は坤道の純粋さを得て、その直・方正・広大の全徳を備えている。およそ学習を必要とするのは、まだ理を悟らず、事に通じていないからである。ここでは何を習う必要があろうか。ゆえに「習わずして利あらざるなし」という。「習わず」とは、生まれながら自然に行えることをいう。『大学』に「子を養うことを学んでから嫁ぐ女はいない」とある趣旨である。《乾》の六爻では九五に勝るものはなく、《坤》の六爻では六二に勝るものはない。象伝の意味は、六二が柔順・中正で本卦の主爻に居り、立ち居振る舞いのすべてが規矩にかなううえ、「習わずして利あらざるなし」の功徳を備えるので、陰道・地道・臣道・妻道のすべてがその本分を得て、徳行が光大であるということだ。この卦は純陰であり、初・三・五の三爻は柔順だが正位でなく、四・上の二爻は柔順だが中を得ない。ただこの爻だけが柔順・中正で、ひとり坤道の精髄を得ている。
【占い】
○商売を問う。六二は《坤》の本位である。「直方」は地の性質、「大」は地の働きである。したがってその営業は、穀物・米・木材・絹・綿など、必ず土地の産物に関するものと知るべきである。「習わずして利あらざるなし」の「習」は「襲」と通じ、重ねて筮するまでもなく、利益を得ると知る意である。
○功名を問う。二爻は中に居り位を得ている。動いて利益を得るので、修め営むのを待たずに功が自然に成るという意であり、名を成すことは必定である。
○戦争を問う。戦の道は地勢を得ることが肝要である。その方位に従って動き、勢い大きく力強ければ、一戦で決着をつけられる。
○家宅を問う。六二は中正で、住居も適宜を得ている。ゆえに「地の道が光る」という。
○婚姻を問う。「直方大」は地道であり、妻道は地道に通じる。したがって婚姻もまた吉である。
○病気を問う。爻に「直方大」とあるので、もともと体質は丈夫であり、薬を用いなくても喜びがあると知る[17]。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】明治二十三年一月、伊藤伯の運勢を占い、《坤》が《師》に変じた。
断じていう。《坤》は地であり、地の徳は順である。順は臣の道である。この爻は中正で一卦の主爻となる。そもそも地というものは、華岳を載せても重いとはせず、河海を振るわせても水を漏らさず、天の気を受けて万物を生育する。今、大臣について占ってこの爻を得たのは、世の務めの重きを担いながらその位に堪え、至尊の命を奉じてその職を尽くせることを示す。しかもこの爻は柔順・中正で、臣道の全徳を備えるので、「直方大」と称賛される。「直方」とは、いわゆる「敬以て内を直くし、義以て外を方にす」であり、最後に公明正大に至るのが功の全体である。伯はこの器識を備え、さらにこの徳性もある。自然の道に従うので、「習わずして利あらざるなし」となる。この爻が変じると《師》となる。《師》は九二の一陽が全卦の主となり、衆陰を統御する象である。本年、両議院が開設されるにあたり、必ず議長に推され、すべての議員を統督して整理の功を奏するであろう。ゆえに「六二の動きは、方正であるゆえに直い」という。習うのを待つまでもなく、利あらざるなしということである。
後に果たしてこの占いのとおりになった。
【例】明治三十年六月、私は愛知紡綿製造所へ赴いた。この製造所は子の嘉兵衛が担当していたので、愛知県庁へ出向き、榎本知事および吉田書記官に面会した。書記官が言うには、「今、管内の熱田に埠頭を築き、名古屋市の便宜を図ろうとしている。その費用はおよそ二百四十万円である。この議案を県会に提出したいが、大事業なので、知事も私も県会が賛成するかどうか深く疑い、長く躊躇している。どうかその成否を占っていただきたい」とのことであった。筮して《坤》が《師》に変じた。
断じていう。《坤》は上下とも柔順で、少しの隔てもない。しかも《坤》卦は利を主とし、この事は特に平直方正で、大いに利益がある。事が成った後は、当県だけが利益を得るのではなく、他県もまた便益を受ける。後には必ず県会議員全員の賛成を得るので、疑う余地はない。
知事と書記官はこれを聞いて大いに喜び、すぐに県会の議案に加えた。議員四十四名のうち反対した者はわずか三名で、直ちに議決されたという。
象伝にいう。六二の動きは、まっすぐで方正である。「習わずして利あらざるなし」とは、地の道が光り輝くからである。
二爻は陰位に陰が居るので、《坤》の主爻であり、上位者となる勢いを備えている。そもそも《乾》の九五と《坤》の六二は、それぞれ陰陽の本位に居り、中正の徳を兼ね備えている。《乾》は君道なので九五を主爻とし、《坤》は臣道なので六二を主爻とする。六二は地道の全徳を備え、内には私曲がなく、外には事ごとに理にかなう。ゆえに「直方大」と称する。「直」は邪曲がないこと、「方」は円の反対で、純陰の象である。円は動いて静止しない陽の道、「方」は止まって常を守る陰の道である。だから天は円く、地は方形だという。「大」は広大という意味で、坤たる大地が万物を生み育てる功徳の広大さをいう。「直」は心に私がないこと、「方」は事が理にかなうこと、「大」はその功をいう。「直方大」であれば、天の剛に配し、自然の徳に合う。天理は至って直く至って方正であるのに対し、人欲は邪曲である。人の性は本来善であっても、人欲に覆われると多くの分岐が横に生じ、かえって天理の直を損なう。この卦は本来凶ではないが、私欲に覆われれば凶に陥る。しかしこの爻は坤道の純粋さを得て、その直・方正・広大の全徳を備えている。およそ学習を必要とするのは、まだ理を悟らず、事に通じていないからである。ここでは何を習う必要があろうか。ゆえに「習わずして利あらざるなし」という。「習わず」とは、生まれながら自然に行えることをいう。『大学』に「子を養うことを学んでから嫁ぐ女はいない」とある趣旨である。《乾》の六爻では九五に勝るものはなく、《坤》の六爻では六二に勝るものはない。象伝の意味は、六二が柔順・中正で本卦の主爻に居り、立ち居振る舞いのすべてが規矩にかなううえ、「習わずして利あらざるなし」の功徳を備えるので、陰道・地道・臣道・妻道のすべてがその本分を得て、徳行が光大であるということだ。この卦は純陰であり、初・三・五の三爻は柔順だが正位でなく、四・上の二爻は柔順だが中を得ない。ただこの爻だけが柔順・中正で、ひとり坤道の精髄を得ている。
【占い】
○商売を問う。六二は《坤》の本位である。「直方」は地の性質、「大」は地の働きである。したがってその営業は、穀物・米・木材・絹・綿など、必ず土地の産物に関するものと知るべきである。「習わずして利あらざるなし」の「習」は「襲」と通じ、重ねて筮するまでもなく、利益を得ると知る意である。
○功名を問う。二爻は中に居り位を得ている。動いて利益を得るので、修め営むのを待たずに功が自然に成るという意であり、名を成すことは必定である。
○戦争を問う。戦の道は地勢を得ることが肝要である。その方位に従って動き、勢い大きく力強ければ、一戦で決着をつけられる。
○家宅を問う。六二は中正で、住居も適宜を得ている。ゆえに「地の道が光る」という。
○婚姻を問う。「直方大」は地道であり、妻道は地道に通じる。したがって婚姻もまた吉である。
○病気を問う。爻に「直方大」とあるので、もともと体質は丈夫であり、薬を用いなくても喜びがあると知る[17]。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】明治二十三年一月、伊藤伯の運勢を占い、《坤》が《師》に変じた。
断じていう。《坤》は地であり、地の徳は順である。順は臣の道である。この爻は中正で一卦の主爻となる。そもそも地というものは、華岳を載せても重いとはせず、河海を振るわせても水を漏らさず、天の気を受けて万物を生育する。今、大臣について占ってこの爻を得たのは、世の務めの重きを担いながらその位に堪え、至尊の命を奉じてその職を尽くせることを示す。しかもこの爻は柔順・中正で、臣道の全徳を備えるので、「直方大」と称賛される。「直方」とは、いわゆる「敬以て内を直くし、義以て外を方にす」であり、最後に公明正大に至るのが功の全体である。伯はこの器識を備え、さらにこの徳性もある。自然の道に従うので、「習わずして利あらざるなし」となる。この爻が変じると《師》となる。《師》は九二の一陽が全卦の主となり、衆陰を統御する象である。本年、両議院が開設されるにあたり、必ず議長に推され、すべての議員を統督して整理の功を奏するであろう。ゆえに「六二の動きは、方正であるゆえに直い」という。習うのを待つまでもなく、利あらざるなしということである。
後に果たしてこの占いのとおりになった。
【例】明治三十年六月、私は愛知紡綿製造所へ赴いた。この製造所は子の嘉兵衛が担当していたので、愛知県庁へ出向き、榎本知事および吉田書記官に面会した。書記官が言うには、「今、管内の熱田に埠頭を築き、名古屋市の便宜を図ろうとしている。その費用はおよそ二百四十万円である。この議案を県会に提出したいが、大事業なので、知事も私も県会が賛成するかどうか深く疑い、長く躊躇している。どうかその成否を占っていただきたい」とのことであった。筮して《坤》が《師》に変じた。
断じていう。《坤》は上下とも柔順で、少しの隔てもない。しかも《坤》卦は利を主とし、この事は特に平直方正で、大いに利益がある。事が成った後は、当県だけが利益を得るのではなく、他県もまた便益を受ける。後には必ず県会議員全員の賛成を得るので、疑う余地はない。
知事と書記官はこれを聞いて大いに喜び、すぐに県会の議案に加えた。議員四十四名のうち反対した者はわずか三名で、直ちに議決されたという。
六三。章を含みて貞にすべし。あるいは王事に従い、成すことなくして終わりあり。
六三。章を含みて貞にすべし。あるいは王事に従い、成すことなくして終わりあり。
象伝にいう。「章を含みて貞にすべし」とは、時に応じて発することである。「あるいは王事に従う」とは、知が光大であることをいう。
三爻は中を得ず正位でもなく、内卦の極に居て、変革の地にある。したがってその心術や行動には、中を失い正を失う過ちが避けられない。また柔順な臣である六三と、五爻の柔弱な君とは、ともに陰で応じ合わない。これは臣下が君主に用いられない象である。およそ坤の六三は、時にも位にも恵まれないことが多い。才能と見識のある士であっても、徳を韜み才を隠し、時の至るのを待つのがよい。もし軽々しく才能を現せば、必ず疑念と嫉妬を招く。だから「章を含む」と戒めるのである。剛柔が入り交じるのを文といい、文が成ったものを章という。「含む」とは、内に包んで外に現さないことだ。静かに守ることができるので「貞にすべし」という。およそ臣たる者は、遇されるか遇されないかにかかわらず、常を守って変えない志操を持つべきである。たとえ進んで仕えようという心がなくても、用いられる日がないわけではない。もし世に出て事に従うなら、なおその章を内に含み、自分の功とせず、君の命に従って君の事業を成し遂げればよい。事が成らなくても、後の人が続けて完成できるようにする。これを「成すことなくして終わりあり」という。六三は下卦の上に居るので、「王事に従う」象がある。乾の九四と坤の六三は、いずれも進退がまだ定まらない位置にあり、一方は「淵に在り」、他方は「章を含む」という。だからともに「あるいは」と加え、進もうとしてまだ進まない意を示す。この進退の時には、時宜を失わず王事に従うのがよい。象伝では「知」の字と「時」の字が相対している。才能を包み隠してまだ吐露しないのは、時を見て発することができるという意味だ。「時に発する」とは、内に含んだ章の光を発揮すること。退けば含み、進めば発するから、その光が大きくなる。この爻が変じると《謙》となる。《謙》の九三に「労謙、君子終わりあり、吉」とある。繋辞伝には「労して伐らず、功ありて徳とせず、厚きことの至りなり」とある。下卦は艮で、艮は止まること。ここにも含み隠す象があり、「章を含む」の意にもかなう。
【占い】
○戦争を問う。爻に「章を含みて貞にすべし」とあるのは、平時には才知を内に含み、抑えて隠し、外に現さないということだ。ひとたび事に臨めば、自然に勝利を制する。たとえ成功しなくても大敗はない。ゆえに「成すことなくして終わりあり」という。
○商売を問う。《坤》は地であり、百貨はすべて地から生じる。商人は百貨を蓄えるので「章を含む」という。商売に従事する者は百貨を交易し、時に応じて売り出すので「時に発する」という。《坤》の内卦は三爻に至って極まり、まさに盛満の地であるから「光大」という。一時は成らないことがあっても、必ず終わりがあると知るべきである。吉。
○功名を問う。名を求める者は、何よりも時を待つのがよい。時がまだ発する時でなければ「章を含みて貞にすべし」、時が発するべき時になれば、世に出て王事に従う。この道を知る者は、必ず功名を保って終わりを全うする。吉。
○病気を問う。「成すことなくして終わりあり」の句意から考えると、薬では救えないと知るべきである。凶。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】明治十九年、知友柳田某の運勢を占い、《坤》が《謙》に変じた。
断じていう。坤の時は柔順にして通ずる。《彖伝》に「牝馬の貞に利あり」とある。牝馬は重荷を負い、人に使われるもので、労しても自分の居場所を持たない意である。また「君子往くところあり。先には迷い、後には主を得て利あり」とあり、名誉を得ることはできず、ただ俸給を得るだけという意味である。三爻は事をなす位置にあり、爻辞に「章を含みて貞にすべし。あるいは王事に従い、成すことなくして終わりあり」とある。「章を含みて貞にすべし」とは、あなたが文章の才を内に備え、器を身に蔵して時を待つことをいう。今や時運が巡って来たので、文章に関する仕事に従事することになる。主管者はあなたの文才を認め、仕事を任せ官職を授けようとするが、他の属官たちは、その勢い上やむを得ずあなたの下に立つことになる。ただし、得られるのは報酬だけである。この卦は全体が陰で、自主の権限がない。心力を尽くして苦労しても、それを知る者がいない。仕事が成った後、その功は必ず他人に奪われ、あなたはわずかな名誉も得られない。働かなかった者がかえって褒賞を受けたり、昇進したりする。《坤》は純陰で、陰の人が勢いを得ると、ただ主君の利益を図る。そのため、誠実で実直な人はかえって彼らに取り込まれ、世に行われない。あなたの運勢はこのようである。ただ徳を修めて時を待つのがよい。「あるいは王事に従い、成すことなくして終わりあり」の「あるいは」とは、今日は事がなくても、他日には必ず事に従うことになるという意味である。
その後、同氏は果たして某局の委嘱を受け、五年間編集に従事した。朝早く出て夜遅く帰り、仕事はきわめて繁忙を極めた。編集を終えると、同氏の同僚であった局の官吏たちは皆昇進し、あるいは褒賞を受けた。しかし同氏は仕官者の名簿に載っていなかったため、その恩典にあずかることができず、ただ委嘱を解かれただけであった。
象伝にいう。「章を含みて貞にすべし」とは、時に応じて発することである。「あるいは王事に従う」とは、知が光大であることをいう。
三爻は中を得ず正位でもなく、内卦の極に居て、変革の地にある。したがってその心術や行動には、中を失い正を失う過ちが避けられない。また柔順な臣である六三と、五爻の柔弱な君とは、ともに陰で応じ合わない。これは臣下が君主に用いられない象である。およそ坤の六三は、時にも位にも恵まれないことが多い。才能と見識のある士であっても、徳を韜み才を隠し、時の至るのを待つのがよい。もし軽々しく才能を現せば、必ず疑念と嫉妬を招く。だから「章を含む」と戒めるのである。剛柔が入り交じるのを文といい、文が成ったものを章という。「含む」とは、内に包んで外に現さないことだ。静かに守ることができるので「貞にすべし」という。およそ臣たる者は、遇されるか遇されないかにかかわらず、常を守って変えない志操を持つべきである。たとえ進んで仕えようという心がなくても、用いられる日がないわけではない。もし世に出て事に従うなら、なおその章を内に含み、自分の功とせず、君の命に従って君の事業を成し遂げればよい。事が成らなくても、後の人が続けて完成できるようにする。これを「成すことなくして終わりあり」という。六三は下卦の上に居るので、「王事に従う」象がある。乾の九四と坤の六三は、いずれも進退がまだ定まらない位置にあり、一方は「淵に在り」、他方は「章を含む」という。だからともに「あるいは」と加え、進もうとしてまだ進まない意を示す。この進退の時には、時宜を失わず王事に従うのがよい。象伝では「知」の字と「時」の字が相対している。才能を包み隠してまだ吐露しないのは、時を見て発することができるという意味だ。「時に発する」とは、内に含んだ章の光を発揮すること。退けば含み、進めば発するから、その光が大きくなる。この爻が変じると《謙》となる。《謙》の九三に「労謙、君子終わりあり、吉」とある。繋辞伝には「労して伐らず、功ありて徳とせず、厚きことの至りなり」とある。下卦は艮で、艮は止まること。ここにも含み隠す象があり、「章を含む」の意にもかなう。
【占い】
○戦争を問う。爻に「章を含みて貞にすべし」とあるのは、平時には才知を内に含み、抑えて隠し、外に現さないということだ。ひとたび事に臨めば、自然に勝利を制する。たとえ成功しなくても大敗はない。ゆえに「成すことなくして終わりあり」という。
○商売を問う。《坤》は地であり、百貨はすべて地から生じる。商人は百貨を蓄えるので「章を含む」という。商売に従事する者は百貨を交易し、時に応じて売り出すので「時に発する」という。《坤》の内卦は三爻に至って極まり、まさに盛満の地であるから「光大」という。一時は成らないことがあっても、必ず終わりがあると知るべきである。吉。
○功名を問う。名を求める者は、何よりも時を待つのがよい。時がまだ発する時でなければ「章を含みて貞にすべし」、時が発するべき時になれば、世に出て王事に従う。この道を知る者は、必ず功名を保って終わりを全うする。吉。
○病気を問う。「成すことなくして終わりあり」の句意から考えると、薬では救えないと知るべきである。凶。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】明治十九年、知友柳田某の運勢を占い、《坤》が《謙》に変じた。
断じていう。坤の時は柔順にして通ずる。《彖伝》に「牝馬の貞に利あり」とある。牝馬は重荷を負い、人に使われるもので、労しても自分の居場所を持たない意である。また「君子往くところあり。先には迷い、後には主を得て利あり」とあり、名誉を得ることはできず、ただ俸給を得るだけという意味である。三爻は事をなす位置にあり、爻辞に「章を含みて貞にすべし。あるいは王事に従い、成すことなくして終わりあり」とある。「章を含みて貞にすべし」とは、あなたが文章の才を内に備え、器を身に蔵して時を待つことをいう。今や時運が巡って来たので、文章に関する仕事に従事することになる。主管者はあなたの文才を認め、仕事を任せ官職を授けようとするが、他の属官たちは、その勢い上やむを得ずあなたの下に立つことになる。ただし、得られるのは報酬だけである。この卦は全体が陰で、自主の権限がない。心力を尽くして苦労しても、それを知る者がいない。仕事が成った後、その功は必ず他人に奪われ、あなたはわずかな名誉も得られない。働かなかった者がかえって褒賞を受けたり、昇進したりする。《坤》は純陰で、陰の人が勢いを得ると、ただ主君の利益を図る。そのため、誠実で実直な人はかえって彼らに取り込まれ、世に行われない。あなたの運勢はこのようである。ただ徳を修めて時を待つのがよい。「あるいは王事に従い、成すことなくして終わりあり」の「あるいは」とは、今日は事がなくても、他日には必ず事に従うことになるという意味である。
その後、同氏は果たして某局の委嘱を受け、五年間編集に従事した。朝早く出て夜遅く帰り、仕事はきわめて繁忙を極めた。編集を終えると、同氏の同僚であった局の官吏たちは皆昇進し、あるいは褒賞を受けた。しかし同氏は仕官者の名簿に載っていなかったため、その恩典にあずかることができず、ただ委嘱を解かれただけであった。
六四。嚢を括る。咎なし、誉れなし。
六四。嚢を括る。咎なし、誉れなし。
象伝にいう。「嚢を括る。咎なし」とは、慎めば害を受けないということである。
四爻は柔順で正位を得ているが、中を失う位置にあるので、大きな事をなすには力不足である。四爻は五爻に近い位にあるが、二つの柔爻は相和せず、上下は閉ざされ隔たっている。これは大臣が君主に信任されない象である。この時には慎重に沈黙を守り、智を晦まして隠し、袋の口を括るように口を閉ざして何も露わさず、黙々と耐え忍び、自分の愚かさを守るのがよい。そうすれば「咎なし、誉れなし」となり、災害から遠ざかることができる。だから「嚢を括る。咎なし、誉れなし」という。「咎なし」は害を避けること、「誉れなし」は名を逃れることだ。もし袋を括ることによって誉れを得るなら、誉れがあること自体が咎となる。深く隠して露わさず、袋を括った痕跡さえ消し去らなければならない。ゆえに象伝は「嚢を括る。咎なし。慎めば害なし」という。この爻が変じると《豫》となり、卦の形にも袋を括る象がある。
【占い】
○商売を問う。四爻は巽の爻である。巽は商をなし、利を得ることを意味し、「利市三倍に近し」という。ここで「嚢を括る」というのは、明らかに袋を閉じる象である。以前に利益を得て、財物はすでに袋に入っており、再び外へ出さないと知るべきである。ゆえに「嚢を括る。咎なし、誉れなし」という。
○ 戦争について占う。六四は重陰で、閉塞の時に当たる。知恵があっても才能を袋にしまい、策略を施すことができない。関所を閉じて戦わず、袋の口をくくるようにすれば、咎はない。
○ 功名について占う。四は重卦で、動けば否の位に当たる。『文言伝』に「天地閉ず」とあり、「袋の口をくくる」とは口を閉ざすことである。天地さえ閉ざされているのに、功名が得られようか。むやみに進み出て名を求めれば、かえって災いを招き、誉れが咎となる。慎むべきである。
○ 家宅について占う。六四は陰位に陰として居り、中位でも正位でもない。この家は必ず山谷の奥まった閑静な場所にあり、隠遁を望む者が住むのに適している。
○ 妊娠について占う。女児が生まれる。あるいは女児の双生児を得る。
【例】明治12年1月、大阪の五代友厚氏に偶然会った。同氏から本年の商況を占ってほしいと頼まれ、筮すると、坤が豫に変じた。
判断して言う。坤は利益を主る卦で、群れ集まって利を争う象がある。四爻は陰位に陰として居り、進んで事を行うことはできない。したがって本年は退いて守るべきで、商業を拡張してはならない。爻辞の「袋の口をくくる」とは、財の袋の口を締め、財貨を外へ出してはならないという意味である。袋を閉じれば損益はないが、開けば損失が多くなる。商事に手を着けないよう、くれぐれも慎むべきだと告げた。
五代氏はこの占いに感じ入った。しかし商況は、不利と知っていても小規模に行うしかなく、まったく行わないわけにもいかなかった。時折営業したところ、果たして損失を被る結果となった。
象伝にいう。「嚢を括る。咎なし」とは、慎めば害を受けないということである。
四爻は柔順で正位を得ているが、中を失う位置にあるので、大きな事をなすには力不足である。四爻は五爻に近い位にあるが、二つの柔爻は相和せず、上下は閉ざされ隔たっている。これは大臣が君主に信任されない象である。この時には慎重に沈黙を守り、智を晦まして隠し、袋の口を括るように口を閉ざして何も露わさず、黙々と耐え忍び、自分の愚かさを守るのがよい。そうすれば「咎なし、誉れなし」となり、災害から遠ざかることができる。だから「嚢を括る。咎なし、誉れなし」という。「咎なし」は害を避けること、「誉れなし」は名を逃れることだ。もし袋を括ることによって誉れを得るなら、誉れがあること自体が咎となる。深く隠して露わさず、袋を括った痕跡さえ消し去らなければならない。ゆえに象伝は「嚢を括る。咎なし。慎めば害なし」という。この爻が変じると《豫》となり、卦の形にも袋を括る象がある。
【占い】
○商売を問う。四爻は巽の爻である。巽は商をなし、利を得ることを意味し、「利市三倍に近し」という。ここで「嚢を括る」というのは、明らかに袋を閉じる象である。以前に利益を得て、財物はすでに袋に入っており、再び外へ出さないと知るべきである。ゆえに「嚢を括る。咎なし、誉れなし」という。
○ 戦争について占う。六四は重陰で、閉塞の時に当たる。知恵があっても才能を袋にしまい、策略を施すことができない。関所を閉じて戦わず、袋の口をくくるようにすれば、咎はない。
○ 功名について占う。四は重卦で、動けば否の位に当たる。『文言伝』に「天地閉ず」とあり、「袋の口をくくる」とは口を閉ざすことである。天地さえ閉ざされているのに、功名が得られようか。むやみに進み出て名を求めれば、かえって災いを招き、誉れが咎となる。慎むべきである。
○ 家宅について占う。六四は陰位に陰として居り、中位でも正位でもない。この家は必ず山谷の奥まった閑静な場所にあり、隠遁を望む者が住むのに適している。
○ 妊娠について占う。女児が生まれる。あるいは女児の双生児を得る。
【例】明治12年1月、大阪の五代友厚氏に偶然会った。同氏から本年の商況を占ってほしいと頼まれ、筮すると、坤が豫に変じた。
判断して言う。坤は利益を主る卦で、群れ集まって利を争う象がある。四爻は陰位に陰として居り、進んで事を行うことはできない。したがって本年は退いて守るべきで、商業を拡張してはならない。爻辞の「袋の口をくくる」とは、財の袋の口を締め、財貨を外へ出してはならないという意味である。袋を閉じれば損益はないが、開けば損失が多くなる。商事に手を着けないよう、くれぐれも慎むべきだと告げた。
五代氏はこの占いに感じ入った。しかし商況は、不利と知っていても小規模に行うしかなく、まったく行わないわけにもいかなかった。時折営業したところ、果たして損失を被る結果となった。
六五:黄色の裳、元いに吉。
六五:黄色の裳、元いに吉。
象伝にいう。「黄色の裳、元いに吉」とは、文徳が内にあるからである。
黄色は中央に属し、土の色である。「裳」は下半身に着ける衣である。黄色は中の色であり、中を守って下位に身を置くことは、大臣として下に仕える姿を表す。この爻は柔順な徳をもって尊い五の位に居るので、南面して政務を聴く后妃、あるいは伊尹や周公のように君主を補佐し、摂政として政を執る者に当たることがある。しかし坤は純陰であり、六爻はいずれも臣下が君主に仕えることを示す。したがって六五をそのまま君主と見なすことはできない。この爻を占って得た者は、中正と調和の盛んな徳を垂れ、朝廷の法を維持し、国君を補佐し、最後には退いて臣下の職分を守るべきである。この尊位が尊いのはそのためであり、陰爻がその常道を失わないから、「黄色い裳、至上の吉」と言うのである。そうでなく、尊位に居て天下の主となろうとすれば、必ず大凶となる。『左伝』昭公十二年、南蒯はこれを筮して得たが、「黄色い裳」の意義を守らなかったため、家を滅ぼし身を失った[18]。まさにその実例といえよう。聖人がこの爻に「裳」という語を結び付けたのは、権臣が勢位に乗じて威福をほしいままにし、臣下の道を失い、君主を軽んじることを恐れたからであり、その戒めは深い。『象伝』に、「文は中に在り」とある。坤は文を表し、五は中央に居る。これは美が内に積もって外に現れ、柔順でありながら中正を保ち、節操を守ることができるという意味である。ゆえに至上の吉となる。
【占い】
○ 戦争について問う。坤は臣下の道を表す。五爻は尊位にあり、臣下として極めて高い地位を示す。舜が摂政として四凶を誅し、周公が摂政として二叔を誅したような場合である。爻辞は「黄色の裳、至上の吉」という。これは文徳が武功となって現れることをいう。ゆえに伝は「文は中に在り」と説く。
○ 功名について占う。六五は辰が卯にあり、震の気を得る。震には功名が奮い起こる象がある。五はまた離の爻で、離は黄色の位、午に近く、上は七星に当たり、七星は衣裳や刺繍をつかさどる。ゆえに「黄色の裳」という。離は明でもあり、文明が発達して栄える象があるので、「文は中に在り」という。
○ 商売について占う。坤の五が変じて比となる。比は吉であり、助けでもある。商売は必ず人の助力を得て成り立つ。比は下が坤、上が坎である。坤は裳を表すので「黄色の裳」といい、比は美を表すので「文は中に在り」という。商売は錦織や美しい衣服の類であることが分かる。「元いに吉」とは、必ず利益を得ることである。
○ 病気について占う。坤は大腹を表し[19]、黄色は中央の色、裳は下を飾るものなので、病は中焦と下焦にあると分かる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】明治22年、ある高位顕官の運勢を占い、坤が比に変じた。これを三条公および伊藤伯に示した。
判断して言う。坤という卦は純陰で、一つの陽もない。五爻は君位に属するが、坤卦全体は臣下の事を表す。「黄色の裳、元いに吉」とは、周公が冢宰の位にあり、成王を補佐して摂政した際、天命を畏れて黄色い上衣を着ることを敢えず、ただ黄色の裳だけを着て君臣の分を厳守したことのようなものである。その忠信篤敬ゆえに、朝廷の法を守り、国君を補佐したので、「黄色の裳、元いに吉」という。そうでなければ、その凶は明らかである。さて、この高位顕官は幼少の頃から神童の誉れがあり、成長すると藩中の俊英から抜擢された。長く欧州に滞在し、博学であるだけでなく、海外諸国の政体や風俗にも通じていた。帰朝すると要路に立って重い職務を担い、ひそかに人々の期待を背負っていた。しかし今この爻を得たので、私は驚きを抑えられなかった。この人物は欧州に長く住み、君民同治の政体には通じていても、あるいは本邦の建国と統治の原理を理解していないのではないか。国家の安危が、この筮の数にかかっているのだろうか。判断は極めて難しかった。
その後、憲法発布の日に、この人物は凶暴な者に殺害された。そのとき初めて、この占いが的中したことに驚嘆した。
象伝にいう。「黄色の裳、元いに吉」とは、文徳が内にあるからである。
黄色は中央に属し、土の色である。「裳」は下半身に着ける衣である。黄色は中の色であり、中を守って下位に身を置くことは、大臣として下に仕える姿を表す。この爻は柔順な徳をもって尊い五の位に居るので、南面して政務を聴く后妃、あるいは伊尹や周公のように君主を補佐し、摂政として政を執る者に当たることがある。しかし坤は純陰であり、六爻はいずれも臣下が君主に仕えることを示す。したがって六五をそのまま君主と見なすことはできない。この爻を占って得た者は、中正と調和の盛んな徳を垂れ、朝廷の法を維持し、国君を補佐し、最後には退いて臣下の職分を守るべきである。この尊位が尊いのはそのためであり、陰爻がその常道を失わないから、「黄色い裳、至上の吉」と言うのである。そうでなく、尊位に居て天下の主となろうとすれば、必ず大凶となる。『左伝』昭公十二年、南蒯はこれを筮して得たが、「黄色い裳」の意義を守らなかったため、家を滅ぼし身を失った[18]。まさにその実例といえよう。聖人がこの爻に「裳」という語を結び付けたのは、権臣が勢位に乗じて威福をほしいままにし、臣下の道を失い、君主を軽んじることを恐れたからであり、その戒めは深い。『象伝』に、「文は中に在り」とある。坤は文を表し、五は中央に居る。これは美が内に積もって外に現れ、柔順でありながら中正を保ち、節操を守ることができるという意味である。ゆえに至上の吉となる。
【占い】
○ 戦争について問う。坤は臣下の道を表す。五爻は尊位にあり、臣下として極めて高い地位を示す。舜が摂政として四凶を誅し、周公が摂政として二叔を誅したような場合である。爻辞は「黄色の裳、至上の吉」という。これは文徳が武功となって現れることをいう。ゆえに伝は「文は中に在り」と説く。
○ 功名について占う。六五は辰が卯にあり、震の気を得る。震には功名が奮い起こる象がある。五はまた離の爻で、離は黄色の位、午に近く、上は七星に当たり、七星は衣裳や刺繍をつかさどる。ゆえに「黄色の裳」という。離は明でもあり、文明が発達して栄える象があるので、「文は中に在り」という。
○ 商売について占う。坤の五が変じて比となる。比は吉であり、助けでもある。商売は必ず人の助力を得て成り立つ。比は下が坤、上が坎である。坤は裳を表すので「黄色の裳」といい、比は美を表すので「文は中に在り」という。商売は錦織や美しい衣服の類であることが分かる。「元いに吉」とは、必ず利益を得ることである。
○ 病気について占う。坤は大腹を表し[19]、黄色は中央の色、裳は下を飾るものなので、病は中焦と下焦にあると分かる。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】明治22年、ある高位顕官の運勢を占い、坤が比に変じた。これを三条公および伊藤伯に示した。
判断して言う。坤という卦は純陰で、一つの陽もない。五爻は君位に属するが、坤卦全体は臣下の事を表す。「黄色の裳、元いに吉」とは、周公が冢宰の位にあり、成王を補佐して摂政した際、天命を畏れて黄色い上衣を着ることを敢えず、ただ黄色の裳だけを着て君臣の分を厳守したことのようなものである。その忠信篤敬ゆえに、朝廷の法を守り、国君を補佐したので、「黄色の裳、元いに吉」という。そうでなければ、その凶は明らかである。さて、この高位顕官は幼少の頃から神童の誉れがあり、成長すると藩中の俊英から抜擢された。長く欧州に滞在し、博学であるだけでなく、海外諸国の政体や風俗にも通じていた。帰朝すると要路に立って重い職務を担い、ひそかに人々の期待を背負っていた。しかし今この爻を得たので、私は驚きを抑えられなかった。この人物は欧州に長く住み、君民同治の政体には通じていても、あるいは本邦の建国と統治の原理を理解していないのではないか。国家の安危が、この筮の数にかかっているのだろうか。判断は極めて難しかった。
その後、憲法発布の日に、この人物は凶暴な者に殺害された。そのとき初めて、この占いが的中したことに驚嘆した。
上六:龍、野に戦う。その血、玄黄。
上六:龍、野に戦う。その血、玄黄。
象伝にいう。「龍、野に戦う」とは、その道が窮まったからである。
上爻は卦全体の終わりに位置する。これは陰邪が極度に盛んになった時であり、変じて剥となれば、一陽が五陰と戦う象となる。初めに初六が霜を踏むと述べ、やがて堅い氷に至ることを聖人が繰り返し戒めたのは、陰邪の勢いが過度に盛んになれば、必ず陽を剝ぎ取るからである。剝が甚だしくなれば、ついには相戦うに至る。戦いになれば、陰が盛んで陽が衰えていても、結局は双方が傷つく。「血」は傷害の甚だしさを示す。玄は天の色、黄は地の色であり、天地はすなわち陰陽である。したがって玄黄の血とは、陰陽がともに傷つくことである。ゆえに「龍、野に戦う。その血、玄黄」と説く。これを一家の事に近づけて考えれば、父や兄が初めに弟の教育を誤り、その結果、不肖の者を育ててしまうことがある。やがて骨肉が互いに傷つけ合い、同類が同類を害し、争い、殺傷し、行き詰まって初めて止むことになる。『象伝』は「その道、窮まる」という。「その」は陰陽、君臣を指し、「道」も君臣の道を指す。「窮まる」とは、困窮し、追い詰められることである。君臣が相戦うに至れば、君主の横暴で無道な行いは論を待たないが、君主にもまったく過失がないわけではない。『繫辞伝』に「上、慢にして下、暴なれば、盗、これを伐たんと思う」とあり、また「蔵を慢れば盗を教え、容を冶せば淫を教う」とある。臣下をこのような状態に追い込むなら、君道の窮まりは、そのまま臣道の窮まりでもある。ゆえに「その道、窮まる」という。龍はもともと乾の象である。この爻が龍を語るのは、陰が極まって陽に抗することを示すためである。また「野」というのは、外卦のさらに外にあるからである。爻辞が凶を記さないのは、その凶が言うまでもなく明らかだからである。
【占い】
○ 戦争について占う。象は明らかに、双方が敗れることを示している。
○ 功名について占う。上は外卦の極みにあり、長く困窮して抑えつけられた老いた受験者が、ひと戦してまた敗れる象である。哀れむべきである。
○ 商売について占う。上六は坤卦の終わりで、その道はすでに窮まっている。資財は尽き、元手もすり減り、商売の道は行き詰まる。
○ 病気について占う。必ず陰虚の病である。陰が極まって陽に抗し、肝血が激しく動き、命はすでに窮まっている。
○ 妊娠について占う。陰が尽きて陽に変じるので、男児が望める。
【例】明治6年、政府の運勢を占い、坤が剥に変じた。
判断して言う。坤は純陰で一陽もなく、君徳が輝かない時である。今は明君が上にあり、俊傑が位にあるのに、この卦を得たので、時事と合わないことをひそかに怪しんだ。朝廷の諸公は遠くを憂え深く思い、心を一つにして国政を助け、その身を尽くしている。どうして龍戦の象があろうか。さらに考えると、龍というものは神変して測り知れない存在である。古来、才能が卓越した豪傑をしばしば龍にたとえた。あるいは大臣たちがそれぞれ忠義の憤りを抱き、意見の違いから議論が過激になり、初めは互いに疑い、次には憎み合い、ついには争うに至るのではないか。それぞれ党派に分かれ、互いに攻撃し、朝廷の命令に従わない。これを野での争いという。昔の源平の権力争いのようなものである。この爻の象はそうであるが、今日の朝廷の諸公がこのような事態に至るはずはないと思った。それでも決めかね、三条相公に示した。
これより前、維新の大業はおおむね整えられ、大臣や参議の多くは欧米諸国を歴訪して実地を視察し、その長所を取り入れて国政を改めようとしていた。岩倉右大臣以下、木戸・大久保・伊藤・山県らの諸公は遠く欧米へ赴いた。行く者も残る者もそれぞれ職務を尽くし、中興を助けた。一行が帰るまでは別の議論を始めないと約束していた。ところが思いもよらぬ事が起こった。我が雲揚艦が朝鮮国の仁川港を測量していたところ、同国が砲撃したのである。朝議は騒然となり、出兵して罪を問い、国辱を雪ぐべきだという意見が相次ぎ、その電信は欧州に届いた。大久保公が先に帰国してこの議を止めようとしたが、西郷以下の諸公は従わず、議論はいよいよ激しくなった。ほどなく岩倉右大臣らも帰国し、征韓論は全国的大問題となった。世論は騒がしく、人心は憤った。結局は和議となったが、征韓を唱えた者たちは不平を抱いたまま次々に辞官した。こうして7年には佐賀の変、9年には長州の乱、10年には鹿児島の役が起こり、国家の不祥事が相次いだ。「龍、野に戦う」という爻辞は、まさに空言ではなかった。
易が事変をあらかじめ知ることは、おおむねこのようなものである。
【例】明治27年の冬至、翌年の豊凶を占い、坤が剥に変じた。
判断して言う。坤の大地には万物を生育させる性質があり、太陽の光と熱を受けてその働きを成す。しかしこの卦は純陰で一陽もなく、雨が多く晴れが少ない象である。爻辞の「龍、野に戦う」とは、陰陽が調和せず気候が順調でないことをいう。豊作は望みにくいので、象伝に「その道が窮まった」とある。為政者は年の穀物が実らないことをあらかじめ知り、救荒の策を講じて備えるべきである。
果たしてその年は諸国で洪水の被害があり、暑さも他年よりやや弱く、秋の収穫はわずか七割にとどまった。
象伝にいう。「龍、野に戦う」とは、その道が窮まったからである。
上爻は卦全体の終わりに位置する。これは陰邪が極度に盛んになった時であり、変じて剥となれば、一陽が五陰と戦う象となる。初めに初六が霜を踏むと述べ、やがて堅い氷に至ることを聖人が繰り返し戒めたのは、陰邪の勢いが過度に盛んになれば、必ず陽を剝ぎ取るからである。剝が甚だしくなれば、ついには相戦うに至る。戦いになれば、陰が盛んで陽が衰えていても、結局は双方が傷つく。「血」は傷害の甚だしさを示す。玄は天の色、黄は地の色であり、天地はすなわち陰陽である。したがって玄黄の血とは、陰陽がともに傷つくことである。ゆえに「龍、野に戦う。その血、玄黄」と説く。これを一家の事に近づけて考えれば、父や兄が初めに弟の教育を誤り、その結果、不肖の者を育ててしまうことがある。やがて骨肉が互いに傷つけ合い、同類が同類を害し、争い、殺傷し、行き詰まって初めて止むことになる。『象伝』は「その道、窮まる」という。「その」は陰陽、君臣を指し、「道」も君臣の道を指す。「窮まる」とは、困窮し、追い詰められることである。君臣が相戦うに至れば、君主の横暴で無道な行いは論を待たないが、君主にもまったく過失がないわけではない。『繫辞伝』に「上、慢にして下、暴なれば、盗、これを伐たんと思う」とあり、また「蔵を慢れば盗を教え、容を冶せば淫を教う」とある。臣下をこのような状態に追い込むなら、君道の窮まりは、そのまま臣道の窮まりでもある。ゆえに「その道、窮まる」という。龍はもともと乾の象である。この爻が龍を語るのは、陰が極まって陽に抗することを示すためである。また「野」というのは、外卦のさらに外にあるからである。爻辞が凶を記さないのは、その凶が言うまでもなく明らかだからである。
【占い】
○ 戦争について占う。象は明らかに、双方が敗れることを示している。
○ 功名について占う。上は外卦の極みにあり、長く困窮して抑えつけられた老いた受験者が、ひと戦してまた敗れる象である。哀れむべきである。
○ 商売について占う。上六は坤卦の終わりで、その道はすでに窮まっている。資財は尽き、元手もすり減り、商売の道は行き詰まる。
○ 病気について占う。必ず陰虚の病である。陰が極まって陽に抗し、肝血が激しく動き、命はすでに窮まっている。
○ 妊娠について占う。陰が尽きて陽に変じるので、男児が望める。
【例】明治6年、政府の運勢を占い、坤が剥に変じた。
判断して言う。坤は純陰で一陽もなく、君徳が輝かない時である。今は明君が上にあり、俊傑が位にあるのに、この卦を得たので、時事と合わないことをひそかに怪しんだ。朝廷の諸公は遠くを憂え深く思い、心を一つにして国政を助け、その身を尽くしている。どうして龍戦の象があろうか。さらに考えると、龍というものは神変して測り知れない存在である。古来、才能が卓越した豪傑をしばしば龍にたとえた。あるいは大臣たちがそれぞれ忠義の憤りを抱き、意見の違いから議論が過激になり、初めは互いに疑い、次には憎み合い、ついには争うに至るのではないか。それぞれ党派に分かれ、互いに攻撃し、朝廷の命令に従わない。これを野での争いという。昔の源平の権力争いのようなものである。この爻の象はそうであるが、今日の朝廷の諸公がこのような事態に至るはずはないと思った。それでも決めかね、三条相公に示した。
これより前、維新の大業はおおむね整えられ、大臣や参議の多くは欧米諸国を歴訪して実地を視察し、その長所を取り入れて国政を改めようとしていた。岩倉右大臣以下、木戸・大久保・伊藤・山県らの諸公は遠く欧米へ赴いた。行く者も残る者もそれぞれ職務を尽くし、中興を助けた。一行が帰るまでは別の議論を始めないと約束していた。ところが思いもよらぬ事が起こった。我が雲揚艦が朝鮮国の仁川港を測量していたところ、同国が砲撃したのである。朝議は騒然となり、出兵して罪を問い、国辱を雪ぐべきだという意見が相次ぎ、その電信は欧州に届いた。大久保公が先に帰国してこの議を止めようとしたが、西郷以下の諸公は従わず、議論はいよいよ激しくなった。ほどなく岩倉右大臣らも帰国し、征韓論は全国的大問題となった。世論は騒がしく、人心は憤った。結局は和議となったが、征韓を唱えた者たちは不平を抱いたまま次々に辞官した。こうして7年には佐賀の変、9年には長州の乱、10年には鹿児島の役が起こり、国家の不祥事が相次いだ。「龍、野に戦う」という爻辞は、まさに空言ではなかった。
易が事変をあらかじめ知ることは、おおむねこのようなものである。
【例】明治27年の冬至、翌年の豊凶を占い、坤が剥に変じた。
判断して言う。坤の大地には万物を生育させる性質があり、太陽の光と熱を受けてその働きを成す。しかしこの卦は純陰で一陽もなく、雨が多く晴れが少ない象である。爻辞の「龍、野に戦う」とは、陰陽が調和せず気候が順調でないことをいう。豊作は望みにくいので、象伝に「その道が窮まった」とある。為政者は年の穀物が実らないことをあらかじめ知り、救荒の策を講じて備えるべきである。
果たしてその年は諸国で洪水の被害があり、暑さも他年よりやや弱く、秋の収穫はわずか七割にとどまった。
用六:永く貞正であるのがよい。
用六:永く貞正であるのがよい。
象伝にいう。「六を用いる。水のごとく貞である」とは、大いに終えるからである。
「用六」の意味はすでに巻頭に示した。永とは長く、遠いことである。坤卦の象は純陰で、臣の道・妻の道を表す。人事においては柔順で正しく、長久にして恒常、志を変えず、君や夫に従うことができるという意味である。忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫に嫁がない。これが「永貞」の意味である。臣として、妻として「永貞」の義に従えば大吉でよい終わりを得るが、少しでも変われば大凶大悪の道となる。だから深く戒めて「永く貞であるのがよい」という。陰の性質は柔らかく落ち着きにくいため、常を守りにくく、進退が軽々しくなりやすい。象伝の「大いに終える」とは、坤の順の道を変えず、その終わりを全うすることをいう。もし変動すれば、陰が陽を侵し、臣が君を侵し、妻が夫を凌ぐ。道理に逆らい常を背けば、どうして終わりを全うできようか。陽は大、陰は小であり、陰は柔らかく、暗く、小さい。しかし怠らず勤め、強く学んで努力を続ければ、ついには明らかになる。これも「大いに終える」の意味である。
按ずるに、乾の「用九」は剛強に過ぎるので、首となることのない道を守るべきである。坤の「用六」は陰の道・臣の道・妻の道として、ひたすら恒常の徳を守り、変動してはならない。これは警戒の辞である。
象伝にいう。「六を用いる。水のごとく貞である」とは、大いに終えるからである。
「用六」の意味はすでに巻頭に示した。永とは長く、遠いことである。坤卦の象は純陰で、臣の道・妻の道を表す。人事においては柔順で正しく、長久にして恒常、志を変えず、君や夫に従うことができるという意味である。忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫に嫁がない。これが「永貞」の意味である。臣として、妻として「永貞」の義に従えば大吉でよい終わりを得るが、少しでも変われば大凶大悪の道となる。だから深く戒めて「永く貞であるのがよい」という。陰の性質は柔らかく落ち着きにくいため、常を守りにくく、進退が軽々しくなりやすい。象伝の「大いに終える」とは、坤の順の道を変えず、その終わりを全うすることをいう。もし変動すれば、陰が陽を侵し、臣が君を侵し、妻が夫を凌ぐ。道理に逆らい常を背けば、どうして終わりを全うできようか。陽は大、陰は小であり、陰は柔らかく、暗く、小さい。しかし怠らず勤め、強く学んで努力を続ければ、ついには明らかになる。これも「大いに終える」の意味である。
按ずるに、乾の「用九」は剛強に過ぎるので、首となることのない道を守るべきである。坤の「用六」は陰の道・臣の道・妻の道として、ひたすら恒常の徳を守り、変動してはならない。これは警戒の辞である。