高島易断 · 卦ごとの解説

高島易断 · 易経 第 15 卦 地山謙。謙は亨る。君子は終わりあり。

地山謙。謙は亨る。君子は終わりあり。

15 地山謙

「謙」[74]という字は、もともと心の思いを常に収めて下へ向けることを表す字から出た。心の思いをいつも下に置き、みずから満ち足りて高ぶらないことから、自分を屈して人にへりくだるのを「謙」といい、自分を低くして人に従うのもまた「謙」という。子夏伝では別の字で書いているが、その字も「謙」と同じである。この卦は、下が艮、上が坤で、山が地の下にある象である。山にはそれぞれ脈があり、その姿は地上に起こり、その根は地下に発するので、山は地から上へ伸びるのだという説もある。山は本来高いものだが、地下に伏して、自分を高いとは思わない。これが謙の意味である。そこで謙を卦名とした。序卦伝は「大いなるものを持つ者は満ちてはならないので、次に謙を受ける」と説く。これが謙が大有の次に置かれる理由である。

謙は亨る。君子は終わりあり。



▲篆書の「謙」

謙とは、卑く退くことを義とし、自分を屈して他者の下に置くことである。内に止まり外に順うのが謙の意、尊高を屈して卑下に居るのが謙の象である。虚を守り、謙譲によって行うから亨る。小人は、貧しければ有を得ようとし、窮すれば泰を得ようとするが、これは自ら満ちることである。満ちた者は終わりを保ちにくい。君子は尊くても卑くすることができ、高くても下ることができる。心がいよいよ小さくなれば道はいよいよ広く、志はいよいよ明らかになる。坤には「大終」とあり、艮には「厚終」とあるので、「君子は終わりあり」という。今日の本文では「終」の下に「吉」の字があるべきだとされるが、これは劉向の『説苑』に基づく。彖辞も「君子は終わりあり」と言うが、吉とは言わない。おそらく吉を言わなくても、吉はおのずから備わるからである。

彖伝に言う。「謙は亨る。天道は下って助け、光明となる。地道は卑くして上に行く。天道は満ちたものを減らし、謙なるものを益する。地道は満ちたものを変え、謙なるものへ流す。鬼神は満ちたものに害を加え、謙なるものに福を与える。人の道は満ちたものを憎み、謙なるものを好む。謙は尊ばれて光り、卑くてもこれを越えることはできない。これが君子の終わりである」。

この卦は下が艮の山、上が坤の地である。山は本来上にあるが、退いて地の下に居る。人が高位を去って低位に降り、謙退して下に居るのと同じである。ゆえにこの卦を謙と名づける。「済」とは助けること。天道は高く明るく、その気が下って地を助ける。地道は低く伏し、その気が上昇して天と交わる。これが天地自然の道である。「天道下って済ける」「地道卑し」とは謙を成すゆえんであり、天気が明らかで地気が上行するのは亨るゆえんである。「盈」は謙の反対で、謙は益を受け、満は損を招くということである。天が盈を減らすのは日月の明暗に現れ、地が盈を変えるのは山川河岳に現れる。鬼神が盈を害するとは、奸雄が末路において鬼神に嘲弄されるようなものである。人道が盈を悪むとは、にわか成金が人々の怨みの的となるようなものである。つまり「減らす・変える・害する・憎む」は、「益する・流す・福する・好む」の中から生じ、循環は自然で、少しも私心がない。謙なる者は自らを尊ばないから、人はいっそう尊び、その道は輝く。卑くする者は自らを高くしないから、その道はいよいよ高くなり、ゆえに「越えることができない」。君子は満ちることを戒めて謙を守り、造化の働きを体し、陰陽の理を察する。万事が皆亨り、一生これを行える。これが君子の終わりなのである。

この卦を人事に当てはめれば、謙遜し卑く退く意であり、徳の基礎、礼義がそこから生じるところである。ただ君子だけがこれを行える。小人は位があればその顕要を頼み、才があればその能力を誇り、功があればその労を自負する。そして人に位・才・功があるのを見ると、嫉妬し、讒言し、ただその転覆・敗亡を望み、それで初めて快とする。互いに扶け助ける情はまったくなく、互いに押し倒し貶めようとする意ばかりである。どうして吉凶利害が果てしなく相次ぐことを怪しめようか。終わりを全うできる者は少ない。これが小人が小人であるゆえんである。君子は謙遜し、退き、譲る道を守る。心がいよいよ小さくなれば徳はいよいよ輝き、志がいよいよ虚しくなれば道はいよいよ高くなる。人が越えようとしても、ついに越えられない。ゆえに「謙は亨る。君子は終わりあり」という。天下の事は、始めに亨るものなら十に八、九はあるが、終わりまで亨るものは十に一、二に過ぎない。終わりを全うすることが難しいからこそ、その終わりを「君子の終わり」というのである。

この卦を国家になぞらえるなら、上卦は地、下卦は山である。山の高さが地中に入っている形であり、これが「謙」の意義である。五爻の君主は、己を空しくして賢者を礼遇し、自ら威福をほしいままにすることなく、すべてを臣下や隣国に委ねる。その「吉」を用いて険難を救い、その「鳴」を善くして音楽を興し、その「撝」を取り入れて礼を定め、その「労」を尊んで軍を起こす。文徳もあり、武功もあるが、ますます身を低くするほど、ますます高大となる。堯が明徳を発揮して興隆したこと、舜が己を捨てて人に従ったこと、禹が正しい言葉に拝礼したこと――これらは、己を慎み無為にして天下を治めるということであり、皆「謙」の道を歩んだものではないか。後世の人はこれを悟らず、君主は暴戻と怠慢にふけり、臣下は驕慢と満盈に溺れ、権力を専らにして下を虐げ、位を盗んで賢者を覆い隠した。品位が高くなるほど徳はますます暗くなり、名声が高くなるほど行いはますます汚れた。君主はその位を全うできず、臣下はその俸禄を全うできない。これほど大きな凶はない。その理由はただ一つ、「謙」の道を持することを知らないからである。ゆえに『易』では「謙」だけが六爻すべて吉であり、これに反すれば凶となる。『易』の垂示する戒めは、深く遠いものである。

この卦を総合して見ると、「謙」とは兼ねることである。卑くしてしかも尊くなり得るので、兼と名づける。六爻の象は、下が艮、上が坤である。艮は止まり、坤は順う。止まって上へ進まないことが、すなわち「謙」である。造化の道理では、不足するものは常に益され、余るものは常に減らされる。君子は不足をもって余りを保ち、余りをもって不足を待つ。ゆえに余りあるものはついに過度に満ちることなく、不足するものもついに大きく損なわれない。これが二つを兼ねて均しくする道であり、平らかにする権衡という。諸卦では第三爻を凶の地とするが、「謙」だけは終わりを全うできる。諸卦では第五爻を尊位とするが、「謙」だけは武を用いる。謙を主とすれば卑き者が尊くなり、無為を満ちた状態とすれば高い者が危うくなり、平らかさを福とすれば満ちた者が保たれる。これが「多きを減らして少なきを益す」という道理である。下卦の三爻はすべて吉で凶がなく、上卦の三爻はすべて利で害がない。君主であっても利があり、臣下であってもまた利がある。平常にあって吉、険難に臨んでもまた吉であり、治めることに利があり、乱を鎮めてもまた利がある。初六は「謙」の始まりで、「卑くして自らを養う」。六二は「謙」の中央で、内に積んで外に発する。九三は「謙」の極みに達し、功を立てても人の下に身を置く。六四は「謙」の行き過ぎだが、その法則を失わない。六五は尊位における「謙」で、武を用いて柔弱なものを服従させる。上六は「謙」の極で、翻って自らを治める。初から三までは、自らを謙して進む。四から上までは、自らを謙して反る。三まで進んで止まれば、険を救い、善を揚げ、功を立てることができ、すべて謙の道によって行うので、退くべきものに触れる象がある。反って六に至って止まれば、順うことによって人を服させ、自らに克つことができ、上から下へ帰る象である。この謙は不足しているから謙るのではなく、まさに余りがあるからこそ謙を用いるのである。ゆえに君子の謙は、萎縮することではない。器量は大きく、見識は遠く、基礎は厚く、修養は安定している。世を震わせる事業の功績も、虚心をもって処理する。大任を担い、大きな疑いを決し、大乱を鎮め、大悪を除くとき、世の退避し責任を避ける者が敢えて引き受けないことでも、君子は一つとして兼ねて担わないことがない。為す力があっても敢えて為さないのは山の止まり、為さざるを得なくなってから為すのは地の順いである。これを「君子終りあり」という。

『象伝』にいう。地中に山があるのが「謙」である。君子はこの象に則り、多いものを減らして少ないものを益し、物を量って公平に施す。

山は本来、地上に高くそびえているものだが、今は地中に入っている。そこに謙退して下にある意義があるので、「地中に山あり、謙」という。地はこの上なく低い。百歩ほど高くなった丘陵を人は高いと思うが、それはわずかな見聞にすぎない。四隅八方の果ては万里も隔たり、高山や険しい坂がいくつあるか知れない。千仞の山も、百里の外から見れば、すでに消えて平地となる。山が高くないのではない。地がよく謙るからである。上卦は多い側にあるので多きを減らし、下卦は少ない側にあるので少なきを増す。聖人がこの象を設けたことには、まことに深い意味がある。君子はこの象を見て、物の品を秤量し、貧富を適切に調整して、人々がそれぞれ公平を得られるようにする。「多きを減らし少なきを益し、物を量って公平に施す」という謙の道は、ここにある。

  【占い】
○ 時運を占う:目下は平穏順調で、一歩一歩次第に高まる象がある。


○ 商売を占う:物価は均衡し、利益も順調で、この業は長く保てる。

○ 家宅を占う:この家は山麓に近いと思われ、家運は平穏順調で、大いに吉。

○ 戦争を占う:陣営は山に近い所がよい。隊伍を整え、賞罰を厳明にせよ。五爻で軍を進め、上爻で城邑を攻め取れば、大勝する。

○ 訴訟を占う:穏やかにするのがよく、争うのはよくない。

○ 病気を占う:内に鬱積した病である。心を広くして養生するとよい。

○ 旅人を占う:舟で帰って来る。吉。

○ 失物を占う:積もった土の中から探し出すことになる。

○ 作柄を占う:風雨は順調で、豊作でも凶作でもなく、平年並み。

初六:謙に謙なる君子、大川を渡るに用う。吉。

初六:謙に謙なる君子、大川を渡るに用う。吉。

『象伝』にいう。謙に謙なる君子とは、身を低くして自らを修めることである。

この爻は柔順で、「謙」卦の初めに位置する。謙の中の謙であり、篤く実践する君子で、しかも下位にいる者である。始めを善くすることができれば、必ず終わりも全うできる。そこで「謙に謙なる君子」という。およそ河海の険を渡るとき、軽率に急進すれば失うことが多く、寛容にゆっくり渡れば患いはない。ゆえに「用いて大川を渡る、吉」という。「用いて渡る」は「渡るに利あり」とは異なる。「用いて渡る」とは、謙の道を用いて渡るということで、利益を期するとは言わないが、結果として不利なことがないので吉なのである。『象伝』の「卑くして自らを養う」とは、まさに「用いて大川を渡る」の意味を解いたものだ。「牧」とは六畜を馴らし養うことをいう。牛馬を牧う者は、それらが逃げないよう守る。君子が心を養うのも同じであり、自らの低い位置に安んじ、人と先を争わない。この爻が変じると「明夷」となる。「明夷」初九には翼を垂れるという言葉があり、君子が難を渡る象である。しかし「卑くして自らを養う」なら、名聞や栄達を求めないので、大難も渡ることができる。だから吉である。また、二・三・四爻の互卦には坎があり、大川の象である。一説に、「牧」とは郊外の地をいう。大川は郊外にあるので、「用いて大川を渡る」という。

  【占い】
○ 時運を占う:目下は万事通じ、事を大きく進めるのによい。


○ 商売を占う:事業の始めは謙譲かつ慎重にすれば、大きな利益を得られる。

○ 家宅を占う:苦労して家を興し、資産を蓄えて富裕となった家であり、満盈を守り泰平を保てば、家業は長く続く。

○ 病気を占う:明夷の傷である。

○ 失物を占う:失ったものは、取り戻せない。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

○ 訴訟を占う:双方が費用を消耗し、必ず一方が傷つく。

○ 功名を占う:事を成し遂げられる。

【例】ある県の勧業課長某が、上京の途中に私の山荘へ立ち寄り、こう語った。「私は某県に奉職しており、実際的な勧業を行いたいと思っています。アメリカから種牛を購入して品種を改良し、牧畜を奨励する。また桑園を大いに開き、養蚕業を拡張し、米・麦などの優良種を集めて農業を奨励したいのです。某県知事も賛成してくれています。初めは進められそうですが、将来の効果はまだ予測しにくいので、どうか一筮お願いします。」占って、謙が明夷に変じた。

断じていう。この卦は山の高さが下にあり、地の低さが上にあるので、尊い者が卑き者の下に身を置く義を示し、「謙」という。人に当てはめれば、功績は高いのに地位は低い象であり、功労がありながら賞を受けていない井田氏にまさに合っている。今、諸君は友人としての情から、氏に代わって申請を取り計らおうとしている。これが「謙を鳴らし、正しければ吉」ということである。また、変爻によって「升」となるのは、名声が上に聞こえ達することをいう。第三爻が変われば地となり、山が崩れる象である。おそらく身が尽きる時に、恩命が下されるであろう。

某氏は感謝して帰った。後に聞いたところでは、氏は農場の近くに住み、朝夕苦労して「卑くして自らを養い」、属僚や下役とともに仕事に励み、果たしてその功業を創始・発展させることができた。すべてこの占いのとおりであった。

六二:謙を鳴らす。貞にして吉。

六二:謙を鳴らす。貞にして吉。

『象伝』にいう。「謙を鳴らし、正しければ吉」とは、心の内にそれを得ているからである。

この爻は柔順で中正に当たり、三爻と近く、五爻と応じている。三爻の剛に服し、五爻の柔に従い、いずれにも謙退の道を用いるので、よい評判が遠近に伝わり、世の人がその徳を盛んに称える。これを「謙を鳴らし、貞にして吉」という。「謙を鳴らす」とは、自分で自分の謙を吹聴することではない。謙徳を内に積めば必ず外に聞こえ、名誉が明らかになり、人々が皆その謙を知って、謙徳ある君子と称するということである。その誉れは実情にかなったもので、自ら求めて得たものではない。名と実が一致し、人に向かって名を買うものでもない。謙は徳の根本である。六二は臣下の位である。臣が過度に謙れば、へつらいの疑いを招く恐れがある。ただし、この爻が正しく正位にあるので吉となる。『象伝』の「心の内に得ている」とは、内に積んだものが外に発することをいう。

  【占い】
○ 時運を占う:目下は名声が広く知られ、きっと大いに意を得る。


○ 商売を占う:利益を得る。

○ 家宅を占う:家には財産が蓄積して富み、外での評判もよい。

○ 戦争を占う:太鼓を鳴らして直ちに進み、中軍を攻め取れば、大勝できる。

○ 病気を占う:心を使い過ぎたことによる病である。

○ 功名を占う:必ず得られる喜びがある。

○ 訴訟を占う:冤罪を訴えて、主張が通る。

○ 失物を問う。すぐに見つかる。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】明治二十二年、旧友で元老院議員の井田氏が重病だと聞き、急いで見舞いに行った。その時、楠田・三浦の両議官も来合わせていた。二氏は私にこう言った。「井田氏が維新の前後に功労を立てたことは、世間の誰もが知っています。明治四年には陸軍少将となり、その後は外国公使も務め、今は私たちと同じく元老院におります。維新の功臣には皆それぞれ爵位や恩賞がありましたが、氏だけがそれに与らず、私たちはたいへん残念に思っています。そこで、氏に代わって請願を行い、生前に恩命を拝受できるよう取り計らいたいのです。どうか成否を占ってください。」占って、謙が升に変じた。

断じていう。この卦は山の高さが下、地の低さが上にあるので、謙と名づける。人に当てはめれば、功は高いのに位は低い象であり、功労がありながら賞を受けていない井田氏にぴったり合う。今、諸君は友人としての情から、氏に代わって請願を取り計らおうとしている。これが「謙を鳴らし、貞にして吉」である。また変爻は「升」となる。これは名声が上に聞こえ達することをいう。第三爻が変われば地となり、山が崩れる象である。おそらく氏の身が尽きる時、恩命が下されるであろう。

【例】ある書生が、友人の葉人某の紹介状を携えて来て言った。「これから学業に就こうとしていますので、その運勢を占ってください。」占って、謙が升に変じた。

断じていう。この卦は山の高さを地の低い所に置く象であり、人にたとえれば、高尚な君子が世にまだ現れていない象である。あなたはこれから学問に就こうとしてこの卦を得た。高尚な君子について学ぶことになるであろう。郷里から出て来たばかりで、まだ世間の広大さを知らないが、東京に着いて良師の教えを受け、昼夜勉学に励み、心はいよいよ虚しく、学業はいよいよ進む。内に積んだものが外に発し、必ず広い学識とよい評判を得るであろう。これを「謙を鳴らし、貞にして吉、心の内に得ている」という。

九三:労して謙る。君子終りあり。吉。

九三:労[75]して謙る。君子終りあり。吉。

『象伝』にいう。労して謙る君子には、万民が服する。

この爻は多くの陰の中に一つの陽があり、陰爻は皆これに順う。これは、一人に信任が集まり、万民が帰服する象である。三爻は卦を成す主爻であり、至公無私で、人々はその徳を慕う。本人は人が服することを期待したことがないのに、人々が自然に服するのである。また民は身体を表す。二・三・四爻の互卦は坎で、険難を表し、三・四・五爻の互卦は震で、動き、恐れを知ることを表す。身が険難の中にあり、動いてしかも恐れを知る。これが、労してもその労を自分のものとしないということであり、ゆえに「労して謙る」という。陽爻が下卦の上にあるので、位は高く責任は重い。自らを処するに賢者を求め、食を吐き髪を握って賢者を迎えた周公の風を備える。『繋辞伝』のいう「労して伐らず、功ありて徳とせず」である。その器量の大きさ、識見の高さは、天下の民を畏れ服させるに足りる。このようであれば、天下に功を争う者はなく、その位を終わりまで保てる。ゆえに「君子終りあり、吉」という。乾の九三の君子が坤に入り「謙」となるので、謙の三爻もまた「君子」という。艮は万物が終わりを成す象なので、「終りあり」という。変じて坤となる。坤の六三には「あるいは王事に従い、成すことなくして終りあり」とある。これによって、その謙の徳が見える。

  【占い】
○ 時運を占う:一生は苦労が多いが、目下は万事順調で、老後の運はさらによい。


○ 商売を占う:創業の初めはあらゆる苦労があったが、今は基業が成り、末長く利益を得られる。

○ 家宅を占う:苦労して家を興し、資産を蓄えて富裕となった家である。再び満盈を守り泰平を保てば、家業は長く続く。

○ 病気を占う:病が労弱に進む恐れがあり、天命には終わりがある。

○ 失物を占う:後には取り戻せる。

○ 妊娠:男児が生まれる。

○ 訴訟を占う:無実の者は相手が自ら服して、解決できる。

○ 功名を占う:この功績を得れば、必ず升進して用いられる。

六四:不利なことはなく、謙を示す。

六四:不利なことはなく、謙を示す。

『象伝』にいう。「不利なことはなく、謙を示す」とは、その法則に背かないからである。

この爻は大臣の位にあり、上には柔順謙徳の君主を戴き、下には労謙大功の君子がいる。その中にあって、位は正を得ているので、上から疑われることもなく、下から忌み嫌われることもない。これは『謙』の最も善いあり方である。そこで「利あらざるなし」という。しかし陰をもって陰位に居り、徳は五に及ばず、功は三に及ばないため、自ら安んじることをせず、動作・施為のどこにも「謙をあらわす」姿がある。「撝」の字は注では「揮」とし、『本義』では「発揮する」とするが、撝と揮はもともと通用し、『文言伝』の「六爻発揮」の「揮」と同じで、発し、広くあらわすという意味である。『象伝』はこれを「則に違わない」と解している。「則」とは法則・規範であり、謙の徳を発揮しても、よくその規範にかなうことをいう。『尚書』の「泰誓」には、「もし一人の臣がいて、ひたすら一筋で他に才芸はなく、その心は広く寛容であるなら、他人に才があれば自分にあるかのようにし、他人が俊秀で聖賢なら、その心は自分の口から出た言葉のように喜び、実によくこれを受け入れ、わが子孫と民を保つことができる。このようであれば、なお利があるではないか」とある。これにも、広く寛容な度量を発揮するさまが見える。功績がないのに禄を受け、実がないのに名を盗むなら、それはその則を失ったのである。

一説には、この爻は大臣の位にある。初六の「謙謙」は、ただひたすら謙虚であることに似ているが、あまりに過ぎればかえって権勢を失い、軽蔑される端緒を開く恐れがある。そこで「謙をあらわす」と戒めるのである。つまり、謙虚であってもその則に背けば、必ず軽侮を招く。ただその則に背かないことが、「謙をあらわす」ことなのである。

  【占い】
○ 時運を問う――今はまさに好運に当たり、万事吉利である。


○ 商業を問う――指揮に従えば、必ず利益を得る。売買では、いずれも少し余地を残しておくのがよい。

○ 家宅を問う――一家そろって謙和をもって事に当たれば、万事吉利である。

○ 戦争を問う――指揮は意のままに進み、必ず大勝を得る。

○ 病気を問う――発散させるのがよく、吉である。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】明治二十二年、ある貴顕が来訪し、某院の気運を占うよう求めた。筮して『謙』が『小過』に変じた。

断じていう。この卦では、全卦の中でただ九三の一陽だけが上に任用され、衆人に尊ばれる。功がありながら下位にいる者である。某院は賢者の集まる所だが、今は陰を陰位に居て、気運が衰え振るわない。九三を登用する望みがあるので、「利あらざるなし、謙をあらわす」という。「謙をあらわす」とは、心を空しくして賢者を求め、進めて信任することである。

その後まもなく、果たしてこの占断のとおりになった。

六五――その隣人をもって富まず。征伐を用いるのがよく、利あらざるなし。

六五――その隣人をもって富まず。征伐を用いるのがよく、利あらざるなし。

『象伝』にいう――「征伐を用いるのがよい」とは、服さない者を討つことである。

「富まず」とは、自分の爵位を富と見なさないことであり、謙譲の意である。『虞書』の「臣なるかな、隣なるかな」では、「隣」は臣をいう。「その隣人をもって」とは、臣下と心を一つにして政治を図ろうと願うことであり、徳には必ず仲間があるという意味でもある。この爻は尊位に居り、柔中の徳を備えているので、温和で恭敬し、よく譲る君主となる。君主でありながら謙順で、高位をもって自ら満足しなければ、天下の人々は皆その心を寄せる。これは謙徳の極みである。しかし謙は美徳であっても、柔和だけを重んじれば、軽んじて服さない者を生じさせることがある。ゆえに柔は剛をもって補うべきであり、「征伐を用いるのがよい」となる。威と徳がともに明らかになってこそ天下を懐け服せるのであり、どこへ行っても利あらざることはない。だから「その隣人をもって富まず。征伐を用いるのがよく、利あらざるなし」という。謙の柔らかさが過ぎれば、威武を失うこともある。聖人はその過ちを防ぐため、この意味を示したのである。一説には、九三は全卦から見れば労謙の君子だが、六五から見れば、剛に過ぎて服さない臣であるという。易が象を取る仕方は、このように変化して一つに拘泥しない。

『大有』の六五は、自分のものとしないからこそ人を得る。『謙』の六五は、自分の力を用いないからこそ人を用いる。『謙』の働きは、まことに大きいというべきである。

(付言)山が地中に入るのは、地が変じたのであり、地脈が陥没する兆しである。私が十七歳のころ、静岡藩士の早川和右衛門氏と知り合った。当時、氏はすでに八十余歳で、若いころの出来事を私に語った。天明年間、氏は文武の業を修め、諸国を巡歴し、ときには旅費を補うため易占を業とした。ある年の夏、たまたま羽州の象泄湊に至った。船舶が密集する大きな港で、風景はまことに奇絶、北海随一の港であった。氏はそこに数旬滞在した。ある日の午後、旅宿の二階で髪を結っていると、室内で船虫が群れをなして交尾しているのを見た。初めはこの地方では常のことかと思い、宿の主人に尋ねたが、「これまで一度もありません」と答えた。さらに左右の壁や天井を見ると、すべて船虫で覆われており、ますます驚いた。筮して『謙』が『蹇』に変じた。この卦は山が地中に入る象で、地の陥没を示す。易爻の経験はこれまで一度も外れたことがなかったが、これほど大きな兆を軽々しく人に告げることもできず、ただ心中深く恐れ、急いで荷物をまとめて出立した。すでに暮れかかっていた。主人は明朝まで留まるよう勧めたが聞かず、提灯を手にすぐ出発した。山道は険しかった。夜半ごろ、四里ほど進んだとき、突然山谷が震動する音を聞き、魂も消える思いで地に伏した。やがて震動は止んだが、灯火は消え、真っ暗で進むことができない。途方に暮れていると、遠くから人馬の声が聞こえた。前へ進んで尋ねると、地震に驚いて馬が荷を倒し、積み荷が覆ったのだという。そこで馬丁に、「暗夜では先へ進みにくい。火を焚いて夜明けを待つのがよい」と言い、皆ももっともだとした。夜が明けると、飛脚が急報を携えて通るのを見かけ、尋ねた。すると、「昨夜、大地震があり、象泄湊は崩れ落ちて海となった。他の山谷も崩壊し、たちまち以前の形を変えた」と答えた。聞いて身の毛がよだった。易の爻が未来を示す霊妙な応験はこのようなものであり、今思い返しても心はなお凛とする。古い伝承を推してみても、洪水の年には獺が高所に穴を掘り、大風の年には鳥が高木の梢に巣を作らない。昔の江戸に大火があったとき、その数夜前から鼠が列をなし、橋の欄干の外へ渡って他所へ逃れた。これに類して、老狐は未来を知り、鵲は将来の吉を知り、烏は将来の凶を知るという。いずれも人には解しがたいことである。愚かな動物でさえ天地を感じ、禍福を前知する。万物の霊である人が前もって知ることができないなら、人でありながら禽獣にも及ばないというべきである。

  【占い】
○ 時運を問う――今は正運にあるものの、多少の行き違いがあるかもしれない。自ら奮い立ち、ただ一途に姑息な我慢をしてはならない。


○ 商業を問う――得た利益を他人に分け取られ、騒ぎが生じないよう注意せよ。

○ 家宅を問う――よい隣人を選んで住めば、自然に守り助け合う道理を得る。

○ 婚姻を問う――近隣の女性と縁談を進めれば、大いに吉である。

○ 病気を問う――消散させる薬を用いるのがよく、吉である。

○ 訴訟を問う――隣人に証人となってもらえば、正しい判断を得る。

○ 失物を問う――隣家を探せば、見つかる。

【例】明治二十七年、国家の気運を占い、筮して『謙』が『蹇』に変じた。

断じていう。この卦は、山の高さが地の低さの中に入る象を取っている。国運に当てはめれば、維新の際、天下の牧伯は命を軍門に懸け、万死を脱して一生を得、次第に平定へ向かった。数百年にわたって管領してきた封土を奉還し、古い郡県の制度を復したのは、国家に心力を尽くした者でなければできなかった。苦労しても誇らず、功があっても徳を自称しない。謙譲の厚いこと極まれりである。その後、政府は欧米の文化を取り入れ、人民を養い、政令を寛大にしたので、世人はこれを「自由」と呼んだ。ところが一時、自由の意味を誤解し、放縦勝手に振る舞い、朝廷の統制を受けないことだと思う者が多かった。これはまことに盛世の頑民である。今、国運を占って五爻を得た。その辞に「その隣人をもって富まず。征伐を用いるのがよく、利あらざるなし」とある。国中には、生産に従事せず、他人の財産をうらやみ、ひそかに欧州の社会党の行為をまねる者がしばしばいるということである。政府が民を厚く扱っても、その中には罰せざるを得ない者がいる。剛をもって競争を助けるのも、勢い上やむを得ないのである。

【例】明治十年、ある貴顕の依頼により、その年の国運を占い、筮して『謙』が『蹇』に変じた。

断じていう。この卦は、山の高さが屈して地中に入る象を取るので、『謙』と名づけられる。今、聖明な天子が世を治め、賢明な臣下が輔弼し、四海は静謐で太平の兆しがある。維新の初め、諸侯は命を奉じて王事に勤め、復古の大業を成し遂げた。各藩は封土を奉還し、郡県に改められた。その時に助けた臣たちは、皆、労謙の君子といえる。しかしその中には、功績がひときわ顕著でありながら、たまたま意見が合わず、朝廷を辞して隠退した者もいた。朝野はその人に注目し、この公が謙譲して位を退いたのは、高山が地中に入る象だとして惜しんだ。朝廷は人望がその人に集まっているため、やむを得ず再び召した。この公は自らを「労謙」とする者として、召しに応じなかった。すると、平素から不平を抱く者たちが機に乗じて争いを起こし、うわさを広めて人心を煽動した。朝廷はこれを不廷の臣と見なし、征伐を用いざるを得なくなった。これは九三が謙を過ごし、謙によって敗れる象である。その時、征伐の権を任されたのは上六の臣であった。上六と九三は陰陽が応じない。易ではこれを敵応という。そこで「軍を動かし、邑国を征するのがよい」とある。その後まもなく、その年には果たして西南の乱が起こり、征討の任は某貴顕が一手に担った。戦いは数か月に及んだが、賊軍は討ち滅ぼされ、王師は凱旋した。まさに爻辞のいう「征伐を用いるのがよく、利あらざるなし」である。翌年五月、某貴顕は東京の紀尾井坂を通った際、突然暴徒の毒刃に倒れた。今日なお、西海には九三の塚があり、東京には上六の塚がある。爻は早くからその兆をひそかに示していたのであり、天命は偽ることができないということが、いよいよよく分かる。

【例】明治二十九年冬至、三十年の台湾施政を占い、筮して『謙』が『蹇』に変じた。

断じていう。この卦は、山の高さが地の低さの上にある象を取るので、『謙』と名づけられる。台湾の地は、明末には鄭成功が占拠し、その後、清朝が戦って奪い取った。そのため島民は常に清国になつかず、清朝は統治の難しさに苦しみ、満洲人に監督させた。しかし満洲人は南方の風俗人情に通じず、統治の成果を上げられなかった。ただ蛮人の首を多く得ることだけを功績とし、清朝から賞賛を受けた。台湾知県はしばしば広東・福州などの荒々しい者たちを集め、蛮人が服さないと彼らに討伐させ、それをひそかに統治の方法とした。そのため荒々しい者たちは常に詐謀奇計を用い、ときには罠を設け、蛮人を鳥獣のように狩った。長年積み重なり、蛮人の復讐心は消えることなく、争いはほとんど日を空けなかった。今や我が版図に帰した以上、その民を鎮撫し、ひたすら恩恵を施して、土地の内情を知るよう努めなければならない。しかし相手がすぐに恩を知るわけでもなく、こればかりはどうしようもない。わが官吏もまた、風俗の違いと言葉の通じないことに苦しみ、施政のたびに双方の間には隔たりが残る。そこで島民を慰撫するにあたっては格別に寛大柔和にし、まさに山の高さが地の低さに下る象に合っている。蛮民の凶悍さがたびたび騒乱を起こし、官吏に抗することは、台湾総督府が深く憂慮するところである。そのうえ首魁には清国がひそかに銃器や弾薬を送り込んでいる。もし武力で鎮圧すれば、外国人宣教師らは我々の処置を残酷だと非難するであろうから、総督府もためらわざるを得ない。今、五爻を得たので、本年なお匪徒が平定されない象があると知る。やむを得ず兵威を大いに振るうべきである。我が兵の出征には莫大な軍費がかかり、台湾だけの収入では年間費用を到底まかなえないので、国庫で補わなければならない。これが「その隣人をもって富まず」である。化外の民を武力で押さえるのが、「征伐を用いるのがよく、利あらざるなし」である。この五爻から推し量れば、来年、上爻に当たれば、また「謙を鳴らす。軍を動かし、邑国を征するのがよい」という象がある。今年のうちに伐ち、再び勢いを増すのを防ぐに越したことはない。

上六――謙を鳴らす。軍を動かし、邑国を征するのがよい。

上六――謙を鳴らす。軍を動かし、邑国を征するのがよい。

『象伝』にいう――「謙を鳴らす」とは、志がまだ遂げられていないのである。「軍を動かし、邑国を征することができる」とは、そのようにするのである。

この爻は中を得ず、上卦の極にある。つまり『謙』の極にいる。極度に謙の地にあって、なお志を遂げられないのは、いわゆる「平を得なければ声を発する」ということである。そこで「謙を鳴らす」という。六二の「謙を鳴らす」と辞は同じだが、六二は誠中より発するもので、言葉は同じでも意味は異なる。六は柔をもって柔位に居る。柔らかでありながら志を得られないため、剛をもって補わざるを得ない。そこで「軍を動かし、邑国を征するのがよい」という。『象伝』は「利」を「可」に換えている。「可」とは、その時にかなうことをいう。よければ用い、よくなければやめるのである。上六の用兵は、果たしてやむを得なかったのか。だから「可」と断じる。しかし邑国は自分に属する小国であり、上六は才が柔らかく、大敵に勝つには足りない。力が柔弱で、王師を起こすには不足するので、天下に神武を明らかにし、中華と異域に王威を振るうことができないという意味がある。『象伝』の「志未だ得ず」とは、心の中でまだ満たされていないことも示している。『豫』の「軍を動かすのがよい」は、順勢に従って動くことを用いる。『謙』の「軍を動かすのがよい」は、従順さを用いて事を止めるのである。

  【占い】
○ 時運を問う――盛運はすでに過ぎ、今はまだ意のままにならない。


○ 商業を問う――名ばかりで実がない。旧事業を整理するのがよい。

○ 家宅を問う――怪異があり、ときどき物音を立てる恐れがある。法を用いて鎮め、処置するとよい。

○ 病気を問う――自ら心志を調整し、養うのがよい。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】明治九年、ある貴顕の依頼に応じ、一事を占い、筮して『謙』が『艮』に変じた。

断に曰く。この卦には、山の高いところが地の低いところに入る象がある。まるで功績ある大臣が高位を去って低位に就き、俸禄を辞して山林に隠れ、天下の人々が皆その謙譲の徳を称えるようなものである。そのため人々の期待はいよいよ彼に集まり、君主もまた幾度となく召し出そうとする。しかし、その人は最後まで謙遜して応じない。やがて疑わしい兆しが現れると、朝廷はやむを得ずその罪を公にし、討伐の軍を用いることになる。上六は九三の応爻である。九三の人物を惜しみながらも、朝廷の評議で討伐を命じた以上、やむを得ないのである。「謙を鳴らすも、志いまだ得ず」「師を行い、邑国を征するによろし」という辞は、よく味わうべきである。上爻が変じて艮となると、内外二卦を合わせて二つの塚の象が現れる。当時はその意味を解くことができなかったが、翌々十年に西海に一つの塚が現れ、十一年には東京にもまた一つの塚が現れ、遠くから東西に向かい合うように見えた。ある日、某高官と過去の出来事を語り、このことに及んだ。天命の畏るべきことに感じ入り、二人とも長い間、身の震える思いをした。