高島易断 · 卦ごとの解説

高島易断 · 易経 第 44 卦 天風姤、姤は、女壮んなり。用て女を娶ることなかれ。

天風姤、姤は、女壮んなり。用て女を娶ることなかれ。

姤は、女壮んなり。用て女を娶ることなかれ。

44 天風姤

「姤」は「夬」の反対である。「夬」は上に一陰があり、五陽がそれを決し、ほとんど尽きようとしている。ところが「姤」になると、その一陰がふたたび下に生じる。これは造化の道理であり、陰陽・奇偶は影と形のように伴い、去ってはまた生じ、循環を繰り返す。天地は陽だけで陰をなくすことはできない。聖人は陰を嫌っても、ついに陰を絶つことはできない。「姤」の一陰は、坤の初爻から下って来たものであり、霜を踏むという漸次の兆しが、すでにここに現れている。そもそも「姤」の字は女と後から成る。女は陰の象であり、後は後と通じ、陰が乾の後ろに伏していることをいう。これが五陽一陰の卦を姤と名づける理由である。

姤[35]は、女壮んなり。用て女を娶ることなかれ。

「姤」は五月の卦である。一陰が坤の初爻から来て、乾の下に生じる。坤は女を表し、また老陰でもあるので、「女壮んなり」という。陰が生じ始めるとき、その働きはきわめてかすかであるが、勢いは非常に速い。寒い霜や堅い氷が次第に積もり、次第に成長するように、陰が陽を侵すときには、防ごうとしても間に合わないことがある。家運の衰えは、往々にしてその初めが女から起こる。女ほど強いものはない、というのである。その強さを戒めるため、「娶るな」と戒める。姤において陰が生じ始めたまさにその時に戒めるのは、女性による禍の芽を未然に防ぐためである。

「彖伝」にいう。「姤とは遇うことであり、柔が剛に遇うことである。女を娶ってはならない。ともに長じさせてはならない。天地が相遇えば、万物はことごとく明らかに栄える。剛が中正に遇えば、天下に大いに行われる。姤の時の意義は、なんと大きいことか。」

「姤」は古文では「遘」と書き、また「逅」とも書く。遘は、行きながら互いに出会うことをいい、逅は邂逅、すなわち思いがけず会うことをいう。いずれも相遇の意味である。卦の体は下が巽、上が乾である。乾は天、巽は風。天は本来、上に清らかに明るくあるが、そこへ微風がにわかに起こって出会うので、「柔が剛に遇う」という。女を娶ることは人倫の大事である。しかし『詩経』の「野に蔓草あり」は男女の私的な出会いを詠んだもので、出会いが正しくないため、「女を娶ってはならない」というのである。彖伝が「ともに長じさせてはならない」というのは、姤の陰が成長して陽を侵すのを防ぐためである。互いに侵さずに出会えば、陰陽は助け合い、互いを成就させる。陽だけでは生じず、陰だけでは育たない。天地が出会ってこそ、万物は生まれる。乾は「万物が形を現す」といい、坤は「万物がことごとく通じる」というが、相遇うことで成就するからである。姤は四月の純乾の後に当たり、坤の陰が初めて生じる。乾は剛、坤は土で中央に居り、中正を表す。そこで「剛が中正に遇う」といい、やがて天子が陽の時に出て政治を行うことを示す。乾の剛直な徳を握り、坤の陰の中正を明らかにすれば、徳は位によって顕れ、道は時とともに行われる。民は感化され、四方は風のように動く――まさにこの時である。風は最も速く行き、天下に行き渡るので、「天下に大いに行われる」という。王化が行われ、礼義が修まれば、風俗も正しくなる。長江と漢水の間では、女たちがみな貞潔を守ることができる。出会っても互いに長じさせなければ、「女壮ん」の何を恐れることがあろう。姤は盛夏に当たり、夏とは養うことである。姤の時の意義が大きいことは、ここからも分かる。

この卦を人事に当てはめて考えると、人事は男女の婚姻にほかならず、これは人倫の大本である。結婚を禁じれば人倫は滅び、天地は閉ざされ、陰陽は隔たり、生まれることも育つこともなくなる。家を成すことができないばかりか、天下を成り立たせることもできない。彖がいう「娶るな」は、娶ってはならないという意味ではなく、姤の道を用いて娶ってはならないという意味である。姤の字は女から成り、その義は遇うこと。女は本来、陰柔である。陽がこれに遇って権力を与えれば、陰は長じ、陰が長じれば「女壮ん」となる。五陽が盛んでも、一陰がそれを消耗させてしまう。「伝」が「ともに長じさせてはならない」というのは、その強さを抑えて中正に帰すことである。出会ったものが中正を得れば、巽順に従うことになる。いわゆる「なんじの室家に宜しく、妻子と楽しむ」状態となり、身を正して人を感化する政治を国々に行うことができる。そこから天下へと推し広めることもできる。どうして「女壮ん」を憂える必要があろうか。聖人が易を作ったのは、消長の微妙な機を明らかにするためである。陰陽の起伏は、どちらか一方を廃することはできず、時に応じてこれを保護することが大切なのだ。だから六爻の意味は、多く陽が陰を包むことを取る。九五の「包む」は最も中正を得ている。諸爻のうち包まれるものはもちろん包まれ、包まれないものもその包囲の外に出ることはできない。こうして陰が陽を侵さなければ、陰陽は平衡を得る。陰陽が平らげば夫婦の道は和し、夫婦が和すれば人事はすべて中正となる。

この卦を国家に当てはめて見ると、古来、国家の転覆はそのきっかけが宮中から始まることが多い。殷の紂王の滅亡は妲己に由来し、周の幽王の乱は褒姒から起こった。「女壮ん」の禍は、万古にわたって戒めとすべきものである。聖人は姤卦において、まず「女を娶るな」と戒めを示した。これは流れをせき止め、禍の芽が次第に伸びるのを防ぐためである。その意味は正しく、趣旨も厳しいが、言葉はやや激しすぎるきらいがある。女の強さを戒めて「娶るな」とするなら、人倫に欠けるところが生じるのではないか。また『関雎』がいう「よき配偶者」をどう扱えばよいのか。そこで「伝」は重ねて、「ともに長じさせてはならない」と説く。女を悪むのは、陰が次第に長じることを悪むのである。陰が長じなければ陽は消耗せず、陽は陰を育てることができ、陰が陽を削ることもない。そうすれば互いに争わずに出会い、さらに助け合うことができる。王者の教化は宮中から起こり、后妃の徳は長江・漢水の地方に及ぶ。古来、よく治まった朝廷には、内から助ける賢い女性の力が欠けたことはない。「姤とは遇うことである」。卦の体は上が乾、下が巽で、乾は剛、巽は柔だから、「柔が剛に遇う」という。これを広げれば、天地が相遇って万物が生じ、夫婦が相遇って家政が修まり、群臣が相遇って治政と教化が行われる。遇えば偶となり、遇わなければ奇となる。大小を問わず、相遇うことによって成らない事はない。ただし、出会いは中正でなければならない。姤の六爻のうち、九五だけが中正を得ている。杞は剛を、瓜は柔を表し、杞が瓜に遇うのは剛が柔に遇うことである。これを包めば、剛は柔に侵されず、柔は喜んで剛のために用いられる。他の爻も、中正を得れば吉、中正を失えば凶である。剛が包むのであり、実は乾元が包むのである。「大いなるかな乾元」。その遇うところは広く、その包むところはいよいよ大きい。これは姤だけを述べたものではない。国家の教化が善いか悪いかも、ここから占うことができる。

この卦を総じて見ると、卦の体は女に属し、卦の義は遇うことを取り、卦の象はその強さを戒め、卦の用はともに長じさせないことを戒めている。天下に女がないことはあり得ず、天下に遇うことがないのもあり得ない。強さが害になるからといって、女を絶ち、出会いを退けようとすれば、天下を寂滅の道へ導くことになる。それが聖人が易を作った意図であるはずがない。強さの害は、強いこと自体にあるのではなく、強いものに権力を与えることにある。権力を得れば、強さは次第に増長する。「ともに長じさせてはならない」と伝はいう。そうすれば強さに権力はなく、女も害をなさない。出会いは互いを成就させるのに十分であり、正しく大いなる出会いは用いることができる。

姤という卦が、どうして悪いばかりであろうか。乾の天は上を運行し、巽の風は下へ行く。「帝は震に出で、巽に斉い、離に相見ゆ」とあるのは、出会いの象である。だから天地が遇えば万物が生じ、剛柔が遇えば道は平らかになり、君臣が遇えば治政は成る。姤の時の意義が大きいのは、このためである。「天下に風あり」とは、天と風が出会うことである。天は遠近を問わずすべてを覆い、風は遠近を問わず行き届く。古代の聖哲が大中至正の道を四方に宣べ告げたのは、この象を取ったのである。

九五は陽剛で尊位に居り、この卦の主である。初爻は一陰がまさに来たところで、君民が相遇う象を示す。九二は剛にして中に居り、下に応じるので、大臣が教化を広める象である。九五は遠方の者を招き迎え、風が下の国々を行き渡るようにする。三・四・上の三爻は、それぞれ「牽かれる」ことに悩み、「遠さ」によって失い、また「窮」によって傷つく。いずれも包むことが上手でなく、出会いが中正を得ていないのである。聖人は陽を愛し、その来ることを喜んだ。だから復の一陽については「来たり復る」と喜ぶ。一方、陰を嫌っても、その来ることを禁じることはできない。そこで姤の一陰については、その強さを用いるなと戒めた。聖人は陰にも陽とともに生きる道を与えなかったのではなく、陰が次第に長じて害となることだけを許さなかったのである。

「大象伝」にいう。「天下に風あり。始めて、后は命を施し、四方に告ぐ。」

「風」という字は、几・一・虫から成る。几は天体を表し、一は大を表し、虫は生化の機を表す。巽は風であり、虫でもある。風が来れば天下をくまなく行き渡るので、風という。乾は君を表し、巽は命令を表す。君門は九重、御殿の下は万里に及ぶ。命令や告示が施されなければ、上の意はふさがれて通じず、下の心には疑いが残り、信じられない。どうして民と遇うことができよう。したがって、政治を一つ立て、法を一つ興すなら、必ず典章として公布し、訓令や告示として広く伝え、朝廷から里々に至るまで、天下の人々に上意を明らかに知らせなければならない。風教の行われる速さは音響のように速いので、「后は命を施し、四方に告ぐ」という。乾は西北、巽は東南を表し、四方の象である。

  【占い】
○ 時運を問う。好運が盛んに行われ、四方に名が聞こえる。


○ 戦争を問う。軍令は迅速で、賞は必ず信賞し、罰は必ず行われ、天下を席巻する勢いがある。

○ 商売を問う。商いによる利益は、遠方への運送販売がよく、行く先々で利益を得られる。

○ 功名を問う。名声が四海に広がる象がある。

○ 婚姻を問う。婚礼で重んじるのは、父母の命と媒酌人の言であり、政事における命令や告示と同じである。正しいものを得れば、天下に行われる。

○ 家宅を問う。この家は風に倒され、崩れる恐れに注意せよ。

○ 病気を問う。子どもなら驚風、大人なら肝風であり、四肢不仁、または手足が引きつり拘縮する症状に注意せよ。

○ 訴訟を問う。この訴えは広く関係者を巻き込み、しばらくは終わらない。

○ 失物を問う。盗人はすでに疾風のように遠く逃げており、再び取り戻すのは難しい。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

初六。金柅に繋ぐ。貞しければ吉。往くところあれば凶を見る。痩せた豚もきっと足を踏み鳴らして落ち着かない。


初六。金柅[36]に繋ぐ。貞しければ吉。往くところあれば凶を見る。痩せた豚もきっと足を踏み鳴らして[37]落ち着かない[38]。

「象伝」にいう。「金柅に繋ぐ」とは、柔の道がつなぎ止められていることである。

初爻は巽の下にある一陰で、女の象である。乾は金、巽は木を表し、木が金に入るのは柅の象となるので、「金柅」という。「金柅」は糸を巻くための横木で、女が用いるものだから、「金柅に繋ぐ」とは糸を結び止めることである。「繋ぐ」は牽き止める意でもあり、糸はきわめて柔らかいので、伝は「柔の道が牽かれる」という。九家易は「糸を柅に繋ぐのは、女を男に繋ぐようなもの」といい、『高古録』には、晋の武帝が容色の美しい女を選び、赤い布をその腕に結びつけたとある。繋ぐとは、結びつけて動かさないこと。婦人の徳は静であれば吉、動けば凶である。繋がれて動かなければ「貞吉」、行くところがあれば「凶を見る」。婦人の言葉は閨門の外に出ず、歩みは敷居を越えないものとされる。では、どこへ行くというのか。外へ行けば家に安んじていないことになり、凶は明らかである。初六は未の位にあり、上には柳宿が当たる。南宮侯によれば、柳の物は豕なので豕の象を取る。下の巽の陰柔は牝豕となる。豕の群れでは牡が強く牝が弱いので、「羸豕」という。「蹢躅」は落ち着かないことである。牝豕は陰の性質を持ち、淫らで、騒ぎ動くことがとりわけ甚だしい。初六は柔で五つの剛を受けるが、繋がれずに進めば、「羸豕も必ず足を踏み鳴らして落ち着かない」という。要するに、糸は柔らかな物、豕は陰の獣である。繋ぎを失えば糸は必ず乱れ、豕は必ず走り出す。行くに任せれば、その勢いは必ず陽を消耗させ、剛を剥ぎ取る。その落ち着かなさは、否や剥の時が来る前から予知できる。「孚」とは、信実が先に現れることである。

  【占い】
○ 時運を問う。目下の運勢は制約を受けている。みだりに動いてはならず、軽挙すれば必ず凶となる。


○ 戦争を問う。初爻は出兵の始めである。巽の陰柔の象から、兵力は必ず弱い。堅く守れば吉、焦って進めば凶であることが明らかである。

○ 商売を問う。店を構えて売るのは利があるが、行商は利がない。

○ 功名を問う。ただ旧態を守るのがよい。

○ 婚姻を問う。九家易は「糸を柅に繋ぐのは、女を男に繋ぐようなもの」という。妻が内にあるのが正しい位なので、吉である。

○ 家宅を問う。この家は、婦人の作法が修まらず恥を招くことに注意せよ。

○ 病気を問う。これは陰が弱る病である。家で静かに養生するのがよい。

○ 失物を問う。必ず縄や紐に繋がれている。すぐ探せば見つかるが、日を過ごせば得られない。

○ 行人を問う。外にいる者は必ず女に関わっており、すぐには帰れない。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】明治十八年十二月、鳥尾得庵居士が訪ねて来た。東欧の騒乱について語り、居士は私に言った。「現在、ブルガリアとルーマニアの両国で暴動が起こり、全欧の大局に関わっている。どうかその結果を占っていただきたい。」筮して、姤が乾に変じた。

断じていう。姤とは出会うことであり、これは必ず思いがけない遭遇から亀裂が生じることである。初爻は巽に属し、一陰が微弱であるから、必ず小国を表す。初爻の応は四爻にあり、四爻の「包に魚なし」とは、禍心を包み隠し、それによって凶を起こすことをいう。もしやロシアのことではあるまいか。パウロの二国がそれぞれ国境を安んじ、互いに親しく交わることができれば、否卦にいう「其れ亡びん、其れ亡びん、苞桑に繋ぐ」のように、「安きにあって危きを忘れず、治まって乱を忘れず」、その繋ぎを得て国の根本は固まる。それは爻辞の「金柅に繋ぐ。貞なれば吉」の趣旨である。もし理由もなく外国のそそのかしに耳を傾け、みだりに戦端を開けば、勢い必ずたちまち凶災を見る。それが爻辞のいう「往く攸有れば、凶を見る」である。「羸豕、蹢躅す」とは、『説文』では亥を豕とする。戌亥は乾の位に当たるので、動物の占は乾に属し、初爻が動けば乾となるから、豕の象がある。初はもと一陰で巽に属し、巽は柔弱なので「羸豕」という。巽は躁の卦であり、豕もまた陰淫で躁動するので「蹢躅」という。二国が愚弱で暗昧なことを、泥を負う豕のようだといい、狂奔して躁動することを、豕が柵から飛び出すようだという。ただ騒ぎ乱れて奔走し衝突するだけである。巽は風であり、象伝に「天下に風有り」とある。これによれば、この二国が隙を開いたため、天下にも風聞を聞いて騒ぎ立つ者が出る恐れがある。結末を究めれば、上爻の時に至るはずである。上爻は「其の角に姤う」といい、姤の終わりである。上に極まれば、極まったものは下に返るので、二国もやがて立ち返って和睦するのかもしれない。鳥尾君はこれを聞き、大いに悟るところがあった。

九二。包に魚あり。咎なし。賓には利あらず。

九二。包に魚あり。咎なし。賓には利あらず。

象伝にいう。「包に魚あり」とは、道理上、賓にまで及ばないのである。

乾は包を表し、巽は魚を表す。魚は陰の物で、初爻を指し、二爻がこれを包むので「包に魚あり」という。剝の「魚を貫く」は、姤の一魚から生じたものである。姤の始めにこれを包むことができれば、咎はない。二爻は内卦の中央に居て、剛柔が出会う初めに当たる。その柔らかな性質を見て、ことさらに寛容に扱い包容し、激しさによって変事を引き起こそうとはしない。しかし姑息によって奸を養うこともない。これこそ陰を制御するよい道である。「賓」とは九四をいう。四は午に当たり、上には張宿が位置する。石氏は「張は賓客への恩賞をつかさどる」といっている。二には「魚あり」、四にはない。すなわち四に及ばないので、「賓には利あらず」という。伝はこれを「道理上、賓にまで及ばない」と解釈する。「及ばない」とは、彖伝の「長じさせない」という意味と同じである。昔から小人を制御する方法は、互いに及ぼし合わないようにすることに勝るものはない。共存させても、次第に勢力を伸ばすことは許さなければ、ついに互いに及ぶ時はない。姤の初爻が「賓には利あらず」とするのは、二爻がそれを包むからである。

  【占い】
○ 時運を問う。人の世にあって、出会う相手がすべて君子であることなど、どうしてあり得よう。ひたすら心を配って調整し、小人に害されないようにすれば、自然に咎はない。


○ 功名を問う。魚には龍に化する象がある。「包に魚あり」とは、魚がすでに包まれているので、昇り進むことは必ずできる。「賓には利あらず」とは、利益は必ず自分にあるということである。

○ 商売を問う。「包」は包摂し富を有する象であり、魚は多くのものを表す。魚にも多数の象があり、商品が充実し、財利が豊かであることを示す。「賓には利あらず」とは、その利益を外の人が盗み取ることはできないということである。

○ 戦争を問う。馬融は「魚は甲鱗の物で、兵の象である」といった。魚を包むことができるのだから、必ず兵をよく用いる者である。「賓には利あらず」の賓は敵をいう。敵は必ず破れる。

○ 婚姻を問う。魚は陰の物であり、陽が陰を包むので、縁談は成る。

○ 家宅を問う。魚は陰の物で、女子の象を取る。この家はきっと女子が政をつかさどる。

○ 疾病を問う。池の魚の災いが及ぶことを警戒せよ。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】ある人が来て運勢を占ってほしいと請い、姤が遯に変じた卦を得た。

断じていう。この卦は一陰が上にあって五陽に接するので、必ず貞操のない女を表す。今、二爻を得た。爻辞に「包に魚あり」とある。魚は陰の物で、敗事を招きやすい。「包有」とは、その物を隠して自分のものにすることである。さらに「賓には利あらず」という。賓もまた、かつては利益を得て自分のものにしようとしたが、手に入れてみれば、かえって不利益となったのである。賓に不利なら、必ず主人には有利である。この物は市場の魚のようなもので、あなたが持ってもよく、私が持ってもよく、もともと定まった主人はいないのであろう。利となるか不利となるかは、それを包んだ者がうまく処置するかどうかにかかっている。

後に聞いたところによれば、その人が占ったのは気運ではなく、実は一人の女性のことであった。商人が妻を家に残して一時故郷へ帰り、四か月後に戻って来た。その間、妻は夫が不在なのをよいことに、その人と密通した。夫が帰ると、妻は外国商人に預けられ、「外国人から数百金を前借りしており、やむを得ず身で返すのだ」と偽って告げた。夫には金を返す力がなかったので、妻を捨てて去った。そこでその人は彼女を自分の妻にすることができた。後にその人が死ぬと、財産はすべて妻のものとなった。ゆえに爻象がこのように現れたのである。

九三。臀に膚なし。その行くこと次且たり。厲し。大なる咎なし。

九三。臀に膚なし。その行くこと次且たり。厲し。大なる咎なし。

象伝にいう。「その行くこと次且たり」とは、行動がまだ拘束されていないのである。

姤と夬は反対の関係にある。姤の臀は三爻にあり、夬の臀は四爻にある。姤の三は、すなわち夬の四である。三爻は下体の上に居る。巽は股を表し、臀は股の上にあるので、三爻に臀の象がある。剝の四爻は「膚を剝ぐ」といい、陽を剝ぐことである。姤の三もまた、初爻の陰に剝がれている。ゆえに「膚なし」という。上卦は乾で、乾は行を表す。三爻は乾と巽の間に居り、柔がまだ変わっていないので「その行くこと次且たり」といい、危うい心がある。乾の三爻にも「厲し、大なる咎なし」とある。姤の三は巽に変じて柔となり、進むにも退くにも決断できず、その「次且たり」こそが咎である。幸い、ここから進めばまもなく乾に入るので、健やかに行う性質をまだ失っていない。だから「大なる咎なし」という。象伝は「行、いまだ牽かれず」と解する。「牽く」とは牽制すること。行動は遅くても、なお乾の健を失わず、陰柔に牽制されてはいないのである。

  【占い】
○ 時運を問う。気運が柔弱で、何事にもためらいがあり、そのため動けばすぐ危険が生じる。


○ 戦争を問う。進みたいのに進めず、疑いから危険が生じ、勝利は得られない。大敗を免れるだけでも幸いである。

○ 商売を問う。運搬と取引が進まず、どうして利益を得られようか。

○ 功名を問う。なおしばらく遅れて待たねばならない。

○ 婚姻を問う。遅れれば成る。

○ 家宅を問う。この家の後ろの塀か建物は、きっとすでに崩れ落ちており、甚だ危険である。修繕すれば咎を免れられる。

○ 疾病を問う。この病は必ず下半身がただれ、歩くにも座るにも安らかでない。治療すれば咎はない。

○ 訴訟を問う。笞や杖の刑を受けないよう警戒せよ。

○ 失物を問う。物はすでに壊れている。しばらく待てば見つかる。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】友人がある事の成否を決めるため占ってほしいと頼み、姤が訟に変じた卦を得た。

断じていう。姤とは思いがけず出会うことであり、その事が予想外に起こることを示す。今、あなたは三爻を得た。爻象を詳しく見ると、臀は人体の下部で、そこに安坐する。「膚なし」なら、安らかに座ることができない。「次且」とは、事の機微に暗く、進もうとして進めず、行動を決められないこと。座るにも行くにも困難なので、厲しという。事は結局成就しないが、ゆえにまた「大なる咎なし」でもある。

【例】明治二十八年六月、三浦中将は朝鮮公使を命じられ、出発に際して朝鮮との交際政策を占い、姤が訟に変じた卦を得て、内閣総理大臣に提出した。

断じていう。卦名は姤。姤とは出会うことである。今は海禁が大いに開かれ、玉帛が行き交い、まさに万国が会遇する時である。卦体は上に五陽、下に一陰。孤立した陰が群陽に制せられ、大国が小邦を携えて服従させる象がある。今、三浦中将が朝鮮へ使いするに当たり、両国交際の方略を占うのである。公使が外国へ出る以上、我が国を外卦、朝鮮を内卦とする。内卦は巽で、柔順で力がない。朝鮮の弱小さが明らかである。臀は身の後ろにあって隠れているので、後宮の象を取る。妃妾が権力を専らにし、朝政を侵害していることを主とする。「膚なし」は膚を剝ぐことであり、切迫した災いのため、深宮に安坐できないことをいう。天下の大勢は、古いものを改め新しいものに従い、力を尽くして富強を図る時にある。朝鮮は旧習に因循し、改めようとして改めない。これが「その行くこと次且たり」である。国勢の危うさはますます甚だしくなるので、「厲し」という。三爻は巽の終わりで乾の始まりに居り、柔から剛へ変じ、内卦が外卦に従おうとしている。三爻はまた二爻と四爻を上下の隣とする。朝鮮は従来清国に属していた。四爻は清を指し、包むものがないため凶を起こす。二爻はもと乾の体で、我が国を指し、よく包むので咎がない。朝鮮の盛衰の機は、ありありと見えている。我が国の交際の道も、またこれに外ならない。

【例】明治三十年、伊藤侯爵の気運を占い、姤が訟に変じた卦を得た。

断じていう。卦体は上が乾、下が巽で、五陽の下に一陰が生じている。陰は小人であり、次第に隠れ、次第に長じ、五陽はそれに少しずつ剝がれているのに、自らは気づかない。今、三爻を得た。「臀」は人体の下部。「膚なし」は剝傷がすでに甚だしいこと。「その行くこと次且たり」は剛が柔に変じ、進もうとして進めないことをいう。これらはみな小人の情状である。侯は剛直端正で、小人に惑わされることは決してない。ただ、この五陽の中で一つでも見抜けないものがあれば、権力を小人に与えることになり、小人はついに表に出て難をなす。侯が立てる善後策はことごとく小人のために失敗し、策定して力を尽くす政治も必ず妨げられる。これが「臀に膚なし、その行くこと次且たり」の意味である。ここに至れば侯は必ずその位に安んじられない。だから「厲し」という。しかし侯はもとより徳望が高いので、「大なる咎なし」である。これは侯のこの年が意にかなわないことを示す占である。

その年十月、侯は果たして総理大臣の職を辞した。

九四。包に魚なし。凶起こる。

九四。包に魚なし。凶起こる。

象伝にいう。「魚なきことの凶」とは、民から遠ざかることである。

四爻は乾に入り、また変じて巽となる。巽は魚を表すが、魚はすでに二爻に包まれているので、「魚なし」という。天は地を包み、陽は陰を包む。包まれるべきところを得れば、「含弘光大」となり、すべてをともに育てて害がない。これが二爻の包が「咎なし」となる理由である。包まれるべきものを失えば、魚は波を吸い、波濤を起こし、たちまち凶患が生じる。小人が毒を施して君子を害する凶も、ここから起こる。象伝はこれを「民を遠ざく」と解する。「魚」は民にも通じる。魚を包まないわけにはいかないように、民も時に遠ざけてはならない。民を小人とみなして追い払い、遠ざけるのではなく、民を同胞とみなして親しみ近づき、民をともに包み育てるなら、どうして陰が陽を消す患いが生じようか。

  【占い】
○ 時運を問う。剛が柔に変じ、運の道が正しくなく、度量も狭いので、凶事が多い。


○ 戦争を問う。主将の才力が微弱で、軍勢を包容できない。兵変の災いを警戒せよ。

○ 商売を問う。「包に魚なし」は、袋の中が空しい象である。どうして利益を得られようか。

○ 功名を問う。魚は水を得て喜び、人は名を得て喜ぶ。魚がなければ水は涸れ、名がなければ人は窮する。ゆえに凶である。

○ 婚姻を問う。婚姻の道は子を生むことを重んじる。「包に魚なし」とは、妊娠がないことをいう。凶。

○ 家宅を問う。象に「民を遠ざく」とある。この家は必ず人家から遠い場所、すなわち孤村にある。思いがけない災いを恐れよ。

○ 疾病を問う。魚は陰の象である。魚がないとは陰がすでに極度に損なわれ、陽が包むことができないので、必ず凶である。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】友人が来て気運を占い、姤・巽を得た。

断じていう。卦象は天下に風がある。風が起こると、突然来て突然去るので、思いがけない出会いの象である。人についていえば、意外な遭遇を表す。今、あなたは四爻を得た。四爻は乾に入り、乾は包を表す。変じて巽となり、巽は魚を表す。四爻は魚を包もうとするが、魚はすでに二爻の所有となっている。だから包もうとしても魚がない。あなたの占問の趣旨から考えると、何か一つの事を企てようとしているが、その事はすでに他人の手に落ちたのであろう。これはあなたの運が不順なためである。なお寛容にして人を厚く遇するがよい。そうすれば凶を免れられる。さもなければ、ここから凶禍が起こる。

九五。杞をもって瓜を包む。章を含む。天より陨つる有り。

九五。杞をもって【39】瓜を包む。章を含む。天より陨つる有り。

象伝にいう。「九五は章を含む」とは、中正だからである。「天より陨つる有り」とは、その志が天命を捨てないのである。

巽は杞を表す。杞は柳であり、曲げて物を包むことができる。「杞」は五爻を、「瓜」は初爻をいう。杞は剛、瓜は柔であり、剛が柔を包むのが「杞をもって瓜を包む」である。姤は五月の卦で、瓜は五月に生じ、杞も五月に盛んになる。その時に包むのは、まさに時にかなっている。時に応じて包めば、柔なるものは花を咲かせ、剛なるものはその美を内に蓄えるので、章彩が内に含まれると自覚される。五爻は中正の徳を備え、初爻もその包みを得て中正に帰する。これは彖伝のいう「天地相遇い、品物ことごとく彰らかなり」ということが、この爻に現れているのではあるまいか。「天より陨つる有り」とは、瓜というものは長く保たず、黄熟すれば落ちる。それもまた天のなすところである。包む者はそれを天命に任せきることができないので、その落ちる時には、哀れみ惜しむ心に堪えないようである。ゆえに伝は「志、命を捨てず」と解する。

  【占い】
○ 時運を問う。運行は中正で、才力の及ぶところ、おのずから有るものすべてを包み取ることができる。吉とは明言していないが、吉であることは明らかである。


○ 商売を問う。商売は木材や植木、瓜果などの品であっても、包容するところは甚だ広く、自然に大きな財を得られる。

○ 功名を占う:五爻は尊位にあるため、功名はおのずから現れる。ただし、進退や栄辱については、いずれも安らかに天命を受け入れるべきである。

○ 戦争を占う:堂々たる陣、正しく掲げられた旗は、王者の軍である。逆らう者は討たれ、従う者は従軍する。すべてを一掃する勢いがある。

○ 婚姻を占う:瓜や瓢が延々とつるを伸ばすような象意がある。

○ 病気を占う:熱が寒を包み込む象である。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】明治二十二年のある月、横浜のある弁護士が来て、こう言った。「近ごろ、商人と地主が公共財産の権利を争って、大きな訴訟を起こしました。この事件は以前から紛争が続き、いまだに和解の見込みがありません。どうか一筮して、勝敗を占ってください。」筮して、姤が鼎に変じた。

断に曰く:姤は、一陰が五陽に出会う卦である。陰は伸びようとするが、陽がこれを抑える。そもそも陰が盛んになれば陽が衰え、陽が盛んになれば陰が衰える。この卦は夬と反対であり、「その道を反復する」とは、一方が消長すれば他方も消長するということで、それも天運のなせるところである。今、あなたが財産争いの訴訟を占ってこの爻を得たことからすれば、この財産は公共のものであり、甲も取ることができ、乙もまた取ることができると知れる。陰陽が消長するように、双方には互いに権利がある。爻辞に「杞をもって瓜を包む」とある。杞と瓜についていえば、杞は植えられた木で、上に独立して立ち、瓜は地を這うつる草で、地上に長く延びる。杞を商人、瓜を地主に当てるべきである。「包む」とは、商人が地主を包容し、地主の権利が商人の調停と保護を借りて現れることをいう。ちょうど瓜が杞の木に取りついて育つようなものである。「章を含む」とは、包まれた中におのずから華やかな文理が内に含まれ、利益の大きさが現れることをいう。「天より陨つるものあり」とは、陨は落ちることであり、最後に財産が帰着するところには、おのずから天命があるということである。人の力で無理に争い取れるものではない。孔子は、得るも得ないも命があることだと言った。双方とも、それぞれ天命に任せるほかない。

上九:角で出会う。悔いはあるが、咎はない。

上九:角で出会う。悔いはあるが、咎はない。

象伝に曰く:「角で出会う」とは、上にあって窮まり尽くすので悔いがあるということである。

上九は戌にあり、乾の気を受ける。乾は首を表し、この爻は最上位にあるので「角」という。上位で出会うのは、出会いも極まったということだから「角で出会う」という。角は突くのに適しており、出会って突くのは、出会って包容するのに及ばない。突くので「悔い」があるが、突いても正しさを損なわないので「咎はない」。象伝はこれを「上に窮まる」と解する。上に窮まれば必ず下へ返る。剝は上で窮まって下へ返り、「大果は食べられず」、一陽が「来たり復る」のである。「角で出会う」は、まさに上に窮まって下へ返る象であるから、悔いはあっても咎はない。聖人は陰について、陽とともに生きることを望み、陰が次第に盛んになることは望まない。上九の「角で出会う」は、陰を窮まらせて自ら返らせるのである。

  【占い】
○ 時運を占う:運が上まで来たので、運もまた窮まっている。


○ 商売を占う:角逐する者は利益を争う。「角で出会う」とは、先に利益を得られることをいう。悔いは商人の側にあるが、「悔いはあるが咎はない」となる。

○ 功名を占う:頭角を現し、際立つ兆しがある。伝承では魁星には角があるという。「角で出会う」とは魁星に出会うことであり、功名には大いに吉である。

○ 戦争を占う:力を争い、勝敗を競うので、いずれも戦いの象である。「角」の字は刀の下に用いられるため、この戦いは大いに殺戮を伴い、兵を使い尽くす禍となる。

○ 病気を占う:おそらく頭や角のあたりに腫れ物があるが、治療すれば咎はない。

○ 婚姻を占う:上爻は乾の極にあり、上で窮まって下へ返る。必ず老人が若い女性を妻に求める形である。

○ 失物を占う:物はもともと高い所にあり、極まって下へ返った。低い所を探せば見つかる。

○ 六甲を占う:上で窮まって返るので、男児が生まれる。

【例】ある日、友人が来て言った。「私はある高官と以前から親しく、たいへん厚い恩遇を受けていました。ところがその高官が欧米から帰朝して以来、交情が急に疎遠になり、たまたま面会を願い出ても、ついに拒まれてしまいました。自分がなぜお咎めを受けたのか、まったく分かりません。どうか占ってください。」筮して、姤が大過に変じた。

断に曰く:姤は「女壮」の卦である。女の言葉は、人の耳を惑わせやすい。友人の交情が婦人の言葉にそそのかされて隔てられることは、世間にしばしばある。今、姤の上爻を占って得た。姤はもともと女の象で、その意は出会いである。爻辞に「角で出会う」とある。角は人を突きやすいから、出会った折に、必ず相手の怒りに触れる者があったのだろう。その婦人は恨みを抱き、あなたに対抗する策をめぐらし、高官に讒言した。それが高官があなたと疎遠になった由来である。「咎はない」とは、角が上爻にあるため、上で窮まったものは下へ返るということだ。高官もやがて必ず自ら戻り、それが讒言だと知り、昔の交情を思い出して、あなたと以前の親しさを取り戻すだろう。

その人はこれを聞いて、たちまち悟るところがあった。そして言った。「私が以前、高官が他所へ出ている間、その邸を何度も訪ねたことがあります。ある日、夫人に会い、ある件について忠告したところ、夫人の意に背いてしまいました。その後、高官が帰ってくると、夫人は私がそのことを告げるのを恐れ、策をめぐらして讒言し、仲を裂いたのでしょう。なるほど、きっとそうに違いありません。後に高官が『わが家のことは外人の干渉するものではない』と言ったので、その言葉も理由なく出たものではないと分かりました。今、この占いを得て疑いが解けました。夫人のほうには悔いがあろうとも、私にはもとより恥じるところはありません。」