高島易断 · 卦ごとの解説

高島易断 · 易経 第 50 卦 火風鼎、鼎:大いに吉、通る。

火風鼎、鼎:大いに吉、通る。

鼎:大いに吉、通る。

50 火風鼎

『序卦伝』にいう。「物を革めるものは鼎に若くはない。ゆえにこれを受けるに鼎をもってする」。鼎は新たな天命の象である。昔、禹が洪水を治めて大地を平らかにし、九州を一つにまとめたとき、九つの鼎を鋳て九州を象徴させ、代々これを宝とした。夏が滅ぶと鼎は商へ移り、商が滅ぶと周へ移った。ゆえに三代の革命では、鼎が重宝とされたのである。この卦は革から来る。互卦の沢は乾を含み、金が上にあり、火は巽を含み、木が下にあるので、鼎を鋳る象となる。本卦は火が上、木が下で、木は火を生じる。鼎で煮炊きする象なので、これを鼎と名づける。

鼎[54]:大いに吉、通る。



▲ 「鼎」の甲骨文字



▲ 「鼎」の金文

「大いに吉、通る」について。巽の彖伝は「小しく亨る」といい、離の彖伝は「貞しきに利あり、亨る。牝牛を畜うに吉」といい、いずれも「元」とはいわない。卦の下の互卦は乾である。乾は四徳を備えるので、「元亨」はおそらく乾から来たものだろう。ただし乾は四徳のほかに、吉とはいわない。王弼は「吉であって、しかる後に亨る」といい、程子は彖伝が「元亨」だけを解している以上、「吉」は後世の衍文だとし、朱子もこれに従った。考えてみれば、鼎は三代の革命における重い宝器である。神を祭り、賓客を饗応するには、必ず鼎を用いた。器の吉なること鼎に勝るものはなく、吉なる用途に用いるにも鼎に勝るものはない。彖伝が解説していないからといって、衍文だと疑うべきではない。私見では、亨れば吉でないものはなく、彖伝はただ簡略にしただけである。

彖伝にいう。鼎とは象である。木をもって火に従わせるのは、煮炊きである。聖人はこれを煮て上帝に供え、大いに煮て聖賢を養う。へりくだって従うことで耳目は聡明となり、柔が進んで上行し、中を得て剛に応じる。これによって大いに通る。

器物のうち鼎ほど重いものはない。器を作るには象を尊ぶので、「鼎は象である」という。卦体は下が巽、上が離。離は火、巽は風であり、また木でもある。中央の互卦は沢水、木火を燃やして煮炊きするので、鼎鍋で調理する象となる。聖人はこれを祭祀に用い、子牛を煮て上帝に供え、賓客には盛大な饗宴を設けて聖賢を養った。鼎は三本の脚と二つの耳を持つ。初爻の下の陰は脚、二・三・四の三陽は中が充実した腹、五爻の陰は耳、上爻の陽は鉉を表す。これが鼎の象である。煮炊きは鼎の用途である。下の巽は従順、上の離は目、五爻は耳で、内は従順、外は聡明という象になる。卦は巽から来て、陰が進んで五に居り、下の九二の陽に応じるので、占辞は大いに通るとなる。上帝を祀り賢者を養うのは鼎の用途を極言したもの、「従って耳目聡明となる」は鼎の徳を極言したものである。「柔が進んで上行する」とは巽から離へ進むこと。離は明なので、明らかなら通じる。「中を得て剛に応じる」とは五が二に応じること。二は中が実しているので、実があれば大きい。ゆえに大いに通り、耳目も聡明となる。三代の聖王が皆鼎を宝としたのは、単なる日常の煮炊きのためだけであろうか。

この卦を人事に当てはめると、卦体は火が上、木が下で、中央の互卦は金と水である。金で鼎を鋳、鼎に水を盛り、その下で木火を燃やして煮炊きする。これは古代の火食の遺制である。人の飲食という日常の事柄であり、一日たりとも欠かせない。王者は鼎の貴さを用いて上帝を祭り、賢者を養う。庶民もまた祭祀を受け継ぎ、客をもてなす。これも礼が廃さないところである。あるいは牛を殺して祭り、露霜に感じ入る。あるいは鶏を殺して客を喜ばせ、心を込めて二晩泊めようとする。その真心は、器を借りて形にしたものだ。『玉篇』に「鼎は物を煮る器」といい、『説文』に「鼎は三脚二耳、五味を調和する宝器」とある。ここから、鼎は味を調える道具だと分かる。味の変化はすべて水から始まる。五味と三才は九度煮え、九度変化し、火がその規律となる。時にゆっくり、時に速く、道理を失わない。鼎の中の変化は精妙で微細であり、口では言えず、知恵でも完全にはたとえられないが、その運用は過不足がない。火を調えるには、離だけが煮炊きの功を得、巽だけが緩急の用を得る。離は火である。火の力は木によって現れ、火の働きは水によって助けられる。木に出会えば明を生じ、水に出会えば音を生じる。明が生じれば目で見られ、音が生じれば耳で聞ける。鼎は離を目とし、五爻を耳とするので、内は従順、外は聡明である。ゆえに「従って耳目聡明となる」という。「柔が進んで上行し、中を得て剛に応じる」。鼎にはこの二つの徳があり、それによって日々用いるほど日々新たとなり、その道は大いに通じる。古きを捨て新しきに従おうとする人事は、すべて鼎を手本とすべきである。

この卦を国家に当てはめる。古代には鼎を鋳て万物を象徴し、上下を調和させ、天の恵みを受けた。徳ある者がこれを得、徳を失った者がこれを失ったのである。つまり鼎は徳によって去就する。したがって君子は「位を正して命を凝らす」ことで、この鼎を守らなければならない。これを広げて言えば、五味を調和させることは鼎の用であり、大武一斛を盛って上帝を祀ることは鼎の尊さであり、四簋の盛饌を備えて賢者を養うことは鼎の隆盛である。しかも鼎を守って失わない者は、ただ徳にかかっている。徳が天に応じるに足りれば、天はその享を受け、徳が賢者を養うに足りれば、賢者はその養いを受ける。しかし桀は鼎を持ちながら商へ移り、紂は鼎を持ちながら周へ移った。鼎には霊がないということもできようが、実際には霊がある。耳がなくても聞き、目がなくても見る。天下の万物の中で、鼎ほど聡明なものはない。ゆえに「従って耳目聡明となる」という。「柔が進んで上行する」とは、巽から離へ進むこと。離は炎が上るので「上行」という。「中を得て剛に応じる」とは、中が空で二爻に応じ、二爻には実があること。これが「剛に応じる」所以である。鼎が鼎となり、帝王が代々これを宝とする理由はここにある。中天の世にいう「四目を明らかにし、四聡を達する」とは、結局、この「耳目聡明」の働きにほかならない。

この卦を通覧すると、井は水によって用を取るのに対し、鼎は火によって用を取る。ゆえに井と鼎の二卦は爻象がよく似ている。井は坎水を主とし、下は井、上は水を象る。鼎は上で煮炊きするので、離が上にあり、上卦もまた吉が多い。二卦は革の間に置かれる。井と革は修めること、鼎と革は移すことを意味する。鼎とは新しいものだ。王者が興るときは必ず鼎を受命のしるしとし、特牲を宗廟に告げ、酒や甘酒で賓客を饗応する。心の誠と礼の盛大さは、すべて鼎を重んじるのである。「従って耳目聡明となる」とは、まさに「かつ聡明にして、元后となる」という意味である。その命は新たになり、その道は大いに通じ、その教化は柔らかく上行し、その徳は中にあって剛に応じる。その器は宗廟で供えられ、子孫がこれを守る。願わくは万世に道を保ち、移されることがないように。

大象にいう。木の上に火があるのが鼎である。君子は位を正し、命を凝らす。

木の上に火があるのは、木が火を生じる象であり、すなわち煮炊きの用である。鼎は宝物であり、三代は鼎を相伝した。鼎のあるところは、天命の帰するところである。だから君子は「位を正して命を凝らす」。位とは君位、命とは天命である。君子は中を踏み、尊位に居て、位を正し、傾かせない。命を凝らし、散らせない。これが、己を慎んで正し、南面して篤く恭しくし、天下を平らかにするということである。『易』の大象が天命をいうのは二つある。大有は「天の休命に順う」といい、鼎は「位を正し命を凝らす」という。大有は悪を止め善を揚げるので、命を順うことを貴ぶ。鼎は上帝を祀り賢者を養うので、命を凝らすことを取る。要するに『中庸』のいう「大徳ある者は必ず命を受く」ということだ。

  【占い】
○ 時運を問う:木は上り、火は上に燃え上がる。日に日に進み、上昇する象で、大いに事を成し業を立てることができる。


○ 戦争を問う:主帥の位に就き、三軍の命を率いるので、火のように盛んで茶のように茂る勢いがある。馬が到れば功を成す、まさに今がその時である。

○ 功名を問う:貴さは言い表せない。

○ 商売を問う:木は火を生じ、鼎は物を煮る。自然の利を得て、労せず収穫できる。

○ 家宅を問う:祝融の火災に注意し、慎重にすべきである。

○ 病気を問う:肝火が上逆する症状であろう。肝を瀉し、気を順らせて治すべきである。

○ 婚姻を問う:爻は相生じ、鼎は重器である。正しい配偶となり、内助も得るであろう。

○ 訴訟を問う:火勢がまさに盛んで、しばらくは収まらない。心を定めて命に安んじれば、自然に正しさが認められる。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

初六:鼎の脚をひっくり返す。悪いものを出すのがよい。妾をその子によって得る。咎なし。

初六:鼎の脚をひっくり返す。悪いものを出すのがよい。妾をその子によって得る。咎なし。

象伝にいう。鼎の脚をひっくり返すのは、道に背くことではない。悪いものを出すのがよいのは、貴いものに従うためである。

爻体の巽は股を表す。初爻は股の下にあるので「趾」という。上の九四と応じるので「顛く」。初爻から五爻までは大過であり、大過は顛倒を意味するので、初爻を「趾を顛く」という。『少牢・馈食礼』によれば、雍人は鼎をこそげる。「概」とは洗い清めることで、古い垢を除くためである。趾が顛けば鼎が倒れ、垢は自然に出る。「否」は垢のことであるから、「否を出すのがよい」という。否を出すことを道に背くとはいえない。三爻から五爻は互卦の兌で、兌は妾を表す。鼎は器であり、「器を主る者は長子」であるから、「その子によって妾を得る」という象がある。器を主るので、これを貴と称する。「咎なし」とは、敗れたことによって成功し、賤しいものによって貴いものを得ることをいう。陸希声はいう。「趾を顛けて否を出す。覆ってはいるが道に背かない。妾は至って賤しく、本来貴い身分にはなれないが、その子によって貴くなるので、貴を得るのである」。『春秋』の道理にいう、母は子によって貴くなるということだ。

  【占い】
○ 時運を問う:災いによって福を得、敗を転じて成とする兆しがある。


○ 商売を問う:初めは小さな損があるが、後に大きな利益を得る。また商業地で身を立て家を成す象もある。

○ 功名を問う:栄誉ある封爵を受ける喜びがある。

○ 家宅を問う:この家は塀や基礎に傷みがある。修繕すれば吉となり、必ず貴い男子が生まれる。

○ 婚姻を問う:小妾となり、必ず貴い男子を生む。

○ 病気を問う:腹中に宿便などの積滞がある。下して排出するのがよく、咎はない。

○ 懐妊を問う:男子が生まれる。庶出がよい。

【例】 ある名士が来て、夫人の病について占ってほしいと請い、『鼎』が『大有』に変わる卦を得た。

断じていう。爻辞の「趾を逆さにする」「否を出す」とは、鼎の中にたまった汚れを、鼎をひっくり返して外へ出すことをいう。病体について論ずれば、胸にしこりがたまっており、下して排出すべきことを示す。婦人科では血瘀などの疾患が考えられ、瘀血を破って下す治療をすべきで、妊娠と判断してはならない。今回、夫人の病を占ってこの爻象を得たところ、病は子宮にあると知れた。房事の過度によって子宮が損傷し、古い汚れがまだ除かれていないので、急いで調治し、洗い清める方法を用いるべきである。ただし治療後は生育に支障が生じるおそれがあるため、別に妾を求める必要がある。爻象によれば必ず貴子がある。紳士はこれを悟り、果たして妾を置いて子を得た。

九二。鼎に実がある。私の敵には病があり、私に近づくことができない。吉。

九二。鼎に実がある。私の敵には病があり、私に近づくことができない。吉。

象伝にいう。「鼎に実がある」とは、進む先を慎むことである。「私の敵には病がある」とは、ついには咎めがないということである。

「実」とは鼎の実、すなわち鼎中の肉である。陽は実、陰は虚であり、二爻は陽実で鼎の腹に当たるため、「鼎に実がある」という象になる。ゆえに上帝に供え、聖賢を養うことができる。古人は爵位が高く俸禄が厚くても、多くは凶禍を免れなかった。それは敵が我に近づくからである。二爻は五爻に応じるが、三・四の二陽に隔てられているので、「我が敵には病がある」という。敵とは我を害する者、病とは我を悩ませるものだ。二爻は固く自守し、他と付和しないので、「我に近づくことができない」という。人が正を守れば、不正な者は近づけない。だから吉である。鼎に「実がある」とは、人に才能があるようなものだが、その向かうところを慎まなければ、非義に陥る。そこで象伝は「進む先を慎む」と解釈する。一つの鼎を動かせなければ万人が役に立たず、一つの心を動かせなければ万般の議論も静まる。これが進む先を慎むという意味である。「終わりに咎めがない」とは、咎めがないからこそ吉を得るのである。また「疾」には嫉妬し害する意もある。朝廷に入り、憎まれるというのがそれである。小人が害をなそうとするときは、必ず親愛を装って隙をうかがう。しかし自分の志が清く行いが芳しければ、嫉む者には乗じる隙がなく、近づいて害することもできない。

  【占い】
○ 時運を問う。運の道は正しく、邪な者は自然に遠ざかる。どこへ行っても吉。


○ 功名を問う。「実」とは、実際に得ることである。名声を成した後は、これをねたむ者が多いので、よく警戒すべきである。

○ 商売を問う。「鼎に実がある」とは、いわば袋に財があることだ。盗人や悪人に用心すべきである。

○ 婚姻を問う。二爻と五爻は応じ、五爻が変じると姤となる。姤には「女を娶るな」とある。「仇」とは怨みを抱く配偶者、「我に近づけない」とは、娶らないということである。

○ 家宅を問う。「実」とは富み足りた家である。財を分け取ろうと窺う者に注意せよ。

○ 病気を問う。陽は実を表すので、実熱の症状である。症状に応じて調治すれば吉。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】明治十二年の夏、大阪の豪商藤田伝三郎・中野梧一の両氏は嫌疑を受けて拘引され、東京へ護送された。当時、各新聞は両氏の拘留を怪しみ、しきりに論評していた。ある日、友人が訪ねて来て、両氏の禍福を占ってほしいと請うた。筮して鼎が旅に変じた。

断じていう。鼎は大器で、容易には揺り動かせないものだ。今、鼎の中に「実がある」とは、ますます重くなって動かせないことをいう。藤田・中野両氏はまさにこの象に当たる。これを動かそうとするのは司法官だが、今や司法官には「病」があり、その力を発揮できない。動かそうとしても、ついに動かせないのである。これが「我が敵には病があり、我に近づくことができない」ということだ。両氏の獄は、当日にも解かれて釈放されるだろう。

果たしてそのとおりになった。

【例】ある日、友人某が来て言った。近ごろ媒酌人が来て、私に縁談を勧めた。この女性を娶るべきか占ってほしい。筮して鼎が旅に変じた。

断じていう。鼎には「耳目聡明」の象がある。内卦の巽は長女で、その色は白、外卦の離は明るさと麗しさを表す。したがって、その女性は必ず才智があり、しかも美しい。しかし「鼎に実がある」とあるので、すでに身ごもっており、外通があるのではないかと恐れる。この女性は妊娠しているが、両家の親はまだ知らず、媒酌人さえ知らないに違いない。あなたが真相を暴く必要はない。婉曲に断ればよい。

その人は果たしてうまく辞退した。その後、この女性が嫁いだ相手は、まさに外通の相手であり、ひと月もたたないうちに出産したと聞いた。後にその人は私に会うたびこのことを話し、易の道理の霊妙さを称賛した。

【例】明治三十一年、英国とドイツの関係を占い、鼎が旅に変じた。

断じていう。鼎は五味を調和させる器であり、調和しない味も最後には和合させることができる。今、英独両国の関係を占って鼎の二爻を得た。二爻と五爻は応じるので、二をドイツ、五をイギリスに当てるべきである。二・五の陰陽は互いに応じており、英独両国が親しくなることが分かる。しかし四爻がその間を障害するため、両国の意志は通じない。四年後、四爻の障害が退けば、両国は自然に親しくなる。「進む先を慎む」とは、向かうところを慎重に保つべきことをいい、「終わりに咎めがない」とは、害を免れることができるという意味である。考えるに、イギリスは多年の蓄積によって覇業を築いた。プロイセンの先帝ヴィルヘルムは、近隣の小国を連合し、ノルウェー、オーストリアを征し、フランスを打ち破ったため、オーストリアとフランスに怨みを買った。両国がひそかに復讐を図ることを恐れ、ドイツの勢力を借りて連合し、保護を求めようとしたので、イギリスはやむを得ずドイツと好を結んだのである。これが両国の交際における隠れた意図であった。

九三。鼎の耳が変わり、その運行が塞がれる。雉の脂は食べられない。やがて雨が降れば悔いは減り、最後には吉。

九三。鼎の耳が変わり、その運行が塞がれる。雉の脂は食べられない。やがて雨が降れば悔いは減り、最後には吉。

象伝にいう。「鼎の耳が変わる」とは、その本来の意義を失ったことである。

毛西河はいう。鼎に実が入れば、鉉を耳に通して食事の前近くまで担ぎ上げる。儀礼でいう「鼎を扃する」とはこれである。まだ実が入っていなければ、鉉を外して耳から抜く。これを「耳が革まる」という。万物は足によって行くが、鼎だけは耳によって運ぶ。耳が革まれば、持ち上げて運ぶことができないので、「その行くことが塞がる」という。上卦の離は雉、下卦の巽は鶏であり、鶏も雉の類である。雉を鼎に入れて煮るので「雉膏」という。雉膏は美味だが、鼎の運行が塞がれているため、いくら美味しくても人は食べられない。三爻が動くと坎となり、坎は雨を表す。初爻から三爻への変化は睽となり、睽の上爻には「雨に遇えば吉」とある。睽の上互卦も坎であり、雨はすべて坎から取った象である。「やがて雨が降る」とは、にわか雨のこと。潤す雨を膏雨といい、「雉膏」の香りと潤沢さにたとえたのである。坎は破ること、また悔いを表すので、「悔いが減る」という。これほどの美味がありながら食べられなければ、鼎を持ち上げる者は悔やまずにいられようか。悔いれば変化を求める。革まった耳を革まらない状態に戻し、塞がった運行を塞がらないようにすれば、初めは悔いても、最後には吉となる。古代の帝王は万物をかたどって鼎を鋳造し、代々の宝とした。鼎は一度作れば改めないので、鼎を持ち上げる制度もまた一度定めたら変えなかった。いま古い鼎を新しい鼎に変えようとして、その耳をみだりに改めれば、一歩も進めなくなる。そのため「その本来の意義を失った」というのである。井と鼎の九三はともに下位にあって用いられない。井は「井さらわれて食べられず」、鼎は「雉の脂を食べられず」という。君子は食を調和できても、人に必ず食べさせることまではできない。この卦の三爻は耳を改めようとするが、五爻が金の鉉を通してこれを実用にできる。初めは悔いがあっても、最後には吉を得るのである。

  【占い】
○ 時運を問う。運が悪いわけではないが、みだりに変えようとするため、行うことがことごとく妨げられ、悔いが生じる。


○ 功名を問う。目下は美しく見えても売れず、他の道へ改めて進めば、かえって災いと悔いが多い。

○ 商売を問う。業を改め移したため商品が滞る。三年後を待てば、再び興ることができる。

○ 戦争を問う。軍に変動があり、食糧を奪われるおそれがある。

○ 家宅を問う。この家には両側に部屋がある。変動、または火災に注意せよ。雨に遇えば救われる。

○ 婚姻を問う。婚約を悔いて相手を変えるような変事があるかもしれない。いわゆる「その意義を失う」である。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】明治二十年の春、ある貴顕に会い、朝廷にいる諸公について広く論じた。私が「某公は今年、顕位に昇るでしょう」と言うと、貴顕は「何によって知るのか」と尋ねた。私は「毎年、冬至の日に朝廷の諸公の気運を占うので、それで分かるのです。某公の今年の運は鼎が未済に変じる象です」と答えた。

断じていう。三爻は陽位に陽で居り、才力ともに強い。四爻と比しているが、四爻も陽なので、二つの陽は親しみ合わない。三爻は位が中でなく、五爻とも応じないため、「耳が革まり」、鉉を受けることができず、ついには塞がって進めないのである。鼎中に「雉膏」の美味があっても、結局は食べることができない。これは、人に世を救う才能があっても、それを掲げて用いる手段がなく、ついに抱負を伸ばせないことにたとえられる。「やがて雨が降る」とは、大旱魃の後に雨を得るようなもので、民の望みを大いに慰める。民が恩沢を待つことは、旱魃の中で雨を待つのと同じである。「この人が世に出なければ、民をどうするのか」という意味だ。だから初めの「悔いが減る」が、最後には吉となるのである。某公の今年の運はこの象なので、必ず登用され昇進すると知った。ただし三爻は陽剛が過ぎる。剛が過ぎれば折れるので、不測の災いに注意すべきである。貴顕は易の道理の妙に深く感じ入った。後に某公は果たして昇進して伯爵となり、栄誉ある要職に抜擢された。しかし翌年、某公は突然、激しい変事に遭い、足を切断する災いを受けた。これは四爻の「鼎の足が折れる」という兆しに応じたのである。

九四。鼎の足が折れ、公の食物を覆す。その姿は濡れそぼつ。凶。

九四。鼎の足が折れ、公の食物を覆す。その姿は濡れそぼつ。凶。

象伝にいう。「公の食物を覆す」とは、その信頼がどうして保てようか、ということである。

鼎には三本の足があり、三公を象徴する。九四は干支では午に当たり、紫微垣の真上に位置する。三師について隋の『百官志』は、政務をつかさどらず、府僚を置かず、天子とともに座して道を論じる者であり、貴戚の近臣であるとする。四爻は下の初爻と応じる。初爻は趾を表し、その体は大過で「逆さ」を表す。四爻は震の爻で、震は足を表す。上互卦は兌で、兌は破壊・折損を表す。ゆえに初爻の「趾を逆さにする」が、四爻では「足が折れる」となる。鼎が安定して動かないのは足による。足が折れれば鼎は倒れ、二爻の「実」も三爻の「雉膏」もすべて覆れ落ちる。だから「公の食物を覆す」という。「餗」は『釈文』では「かぎ」とし、『周礼』では「飯」とするが、いずれも鼎中の実にほかならない。「姿が濡れそぼつ」は鄭玄が「刑剭」と作る。注には、死刑に処す者を市で処刑せず、甸師氏のもとへ連れて行って屋内で刑に処した、とある。服虔は、『周礼』に屋内での処刑があり、大臣を人目にさらさず屋内で誅したという。四爻は五爻に近く、重臣を指す。鼎の足が折れるとは、臣下が官職を怠ることのたとえである。君主は臣下を手足のように見る。足が折れれば臣道を失う。屋内で誅するのは凶の極みである。象伝の「信にいかん」とは、四爻が任に堪えず、咎を自ら招いたので、どうすることもできないという意味である。

  【占い】
○ 時運を問う。運の道が覆る。小さければ損傷、大きければ刑罰・死刑に至り、まことに恐るべきである。


○ 戦争を問う。兵を損じ、将を失う災いがある。

○ 功名を問う。まだ成っていないものは望みが薄く、すでに成ったものも必ず敗れる。

○ 商売を問う。資財が滅び、身命にも危険が及ぶ。

○ 婚姻を問う。男女ともに足の病を患い、家運にも不利となる。

○ 家宅を問う。梁が折れ、垂木が崩れる災いがある。

○ 病気を問う。必ず足に腫れ物ができ、身体を完全に保つのは難しい。

○ 訴訟を問う:凶。

○ 妊娠を問う。女児が生まれる。身体に障害があるおそれがある。

【例】明治十五年七月、朝鮮国の京城で内変が起こり、大臣が殺害され、わが公使も追放された。これはその大院君の扇動によるものであった。急報がわが国に届き、朝野は騒然となった。ある貴顕が私の家を訪れ、占いを請うた。筮して鼎が蠱に変じた。

断じていう。鼎は三本の足を持ち、三公を象徴する。足が折れれば三公に変事が起こる。まさに今日の朝鮮のことである。四爻は五爻に近いので、君主の近臣を表し、大権を一手に握る象がある。『繋辞伝』のいう「徳薄くして位尊く、智小にして謀大きく、力小にして任重ければ、及ばざること鮮し」に当たるのは大院君である。「公の食物を覆す」とは、餗が鼎中の実であり、足が折れれば鼎中の実が余すところなく覆ることをいう。朝鮮に変事が起これば、その府庫の財は必ずすべて散じ尽くす。「その姿は濡れそぼつ」は刑剭と読み、重刑をいう。大院君は君父として尊ばれるため、刑を免れることはあっても、幽閉され辱めを受けるおそれがある。四爻が変じれば蠱となる。蠱は惑いであり、器の中の三匹の虫は互いに食い合う象である。これは開化派・守旧派・事大派の三党が互いに押し合い、衝突を起こすことにほかならない。幸い、朝鮮は賢明な王が位にあり、九二に象徴される賢臣の補佐を得ているので、国を覆すまでには至らない。まことに幸いである。

貴顕はこれを聞き、うなずきながら立ち去った。その後、大院君は果たして清国によって幽閉され、国王は親政を行った。

六五。鼎の耳は黄色く、鉉は金である。正しく固く守るのがよい。

六五。鼎の耳は黄色く、鉉は金である。正しく固く守るのがよい。

象伝にいう。「鼎の耳が黄色い」とは、中正によって実用をなすことである。

五爻は陰画で鼎の上端にあり、鼎の耳を象徴する。鼎の上卦は離で、離は黄色を表すので「黄耳」という。鉉は扃ともいい、鼎に通して持ち上げる道具である。鼎の制度を考えると、天子は黄金、諸侯は白金で飾る。五爻は君位なので金鼎を用いるべきであり、したがって鉉も金鉉である。「正しく固く守るのがよい」とは、鼎は国家の重器なので、正しく堅固にして動かさないことに利益があるということだ。鼎を持ち上げる者も正固の心でこれに臨み、転覆させてはならない。一鼎を挙げる者はその耳を通して聞き、天下を担う者は君主を通して聞く。耳は一鼎の主であり、君は天下の主である。象伝の「中によって実をなす」とは、鼎の耳の中が空洞で、鉉を通せば持ち上げることができ、鼎の実を上帝に供え、聖賢を養えることをいう。つまり二・三・四爻の実は鼎の腹にあり、五爻の実は鼎の上の耳にある。

  【占い】
○ 時運を問う。運は尊く重い。正しく固く守れば福を得る。


○ 功名を問う。大いなる貴顕の象である。

○ 商売を問う。情報が明らかで、運送も便利であり、大きな利益を得られる。

○ 戦争を問う。胸を貫き耳を穿つ災いに注意せよ。

○ 婚姻を占う。『黄色の耳』と『金の鉉』は貴い兆しであり、貴族との縁組を主る。

○ 家宅を占う。富貴の家である。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 ある商人が来て、運勢を占ってほしいと請うた。筮して鼎から姤へ変じた。

断じて曰く。鼎は国家の宝器であり、その働きは五味を調和させ、宴享や祭祀に供することである。今、あなたが商業を占って鼎の第五爻を得た。爻辞の意味を見ると、鼎には耳があり、必ず鉉を通して持ち上げ動かせるという。これは、商業で利益を得るには、必ずその方法を得て、利益を図らねばならないことにたとえたものである。『黄色の耳』『金の鉉』は珍貴な品であり、その利益が厚いことを示す。あなたがこの爻を得たなら、財運は大いに盛んであり、まことに喜ばしい。

【例】 明治三十一年、改進党の運勢を占い、筮して鼎から姤へ変じた。

断じて曰く。鼎の要は耳にあり、耳の要は鉉にある。その要をつかめば、たとえ九鼎の重さでも、持ち上げて運ぶことができる。今、改進党の前途を占って鼎の第五爻を得た。『黄色の耳』『金の鉉』という。鼎の耳に鉉があれば鼎を担げる。これは、党内に必ず首領がいれば、党議を実行できることにたとえたものである。改進党は平素、自由党と折り合わなかったが、今回両党が連合し、議会内で並び立つことができたので、その主張を実現できた。まさに要を得たというべきである。ただし、その事は正しさに立ってこそ利益となる。正しくなければ、結局は不利となる。爻辞はこのように明快で、親切である。

その後、両党は果たして連合し、政府内に並び立つことになった。しかし、二雄は並び立てず、ほどなく互いに疑い合ったため争いが生じ、四か月を経て再び罷免・排斥された。これは『貞を利とす』の趣旨をよく見極めなかったためである。

上九。鼎、玉の鉉。大いに吉。利あらざるなし。

上九。鼎、玉の鉉。大いに吉。利あらざるなし。

『象伝』に曰く。玉の鉉が上にあるのは、剛と柔がほどよく調和しているのである。

上爻は外卦の極に居り、一陽が鼎の耳を横に貫いて、鉉の象をなす。玉という物は性質が堅剛で、色は温潤である。上爻は剛を柔位に居くので、その徳が玉に似ている。ゆえに玉を鉉とする。ある説では、卦の外にあるのは、養いを受ける聖賢でありながら位を持たない者を表すという。『集解』によれば、鼎の装飾には身分ごとの等級があり、天子は黄金、諸侯は白金、大夫は銅、士は鉄を用いた。五爻の『黄色の耳』『金の鉉』は天子の鼎である。上爻は位を持たないため、特に玉の鉉によって区別される。『集解』は干宝の言葉として『玉は金よりもさらに貴い』と引いており、これがその趣旨である。『彖伝』の『玉の鉉が上にあるのは、剛柔が節にかなうからである』という文で、上とは六五の上をいい、『節』とはほどよく均衡する意である。上爻と五爻が金と玉を配し、剛柔が助け合って鼎の養いの功を成すので、『大いに吉、利あらざるなし』というのである。

  【占い】
○ 時運を占う。温潤和平で、どこへ行っても不利がない。


○ 戦争を占う。六軍はすでに展開し、進めば必ず勝つ。大吉。

○ 功名を占う。位は鼎の玉鉉に近づき、大いに吉。

○ 商売を占う。美玉が買い手を待っており、必ず高値となる。どこへ行っても不利がない。

○ 婚姻を占う。金のように、玉のように、大いに吉。

○ 家宅を占う。この家は地位が非常に高く、大いに吉。

○ 疾病を占う。耳の痛む病かもしれない。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 ある名士が来て、運勢を占ってほしいと請うた。筮して鼎から恒へ変じた。

断じて曰く。鼎は火を用として、下は鼎、上は煮炊きの象である。その功用は上にあるので、上卦には吉が多い。今、あなたが運勢を占って鼎の上爻を得た。その象は鼎の鉉である。鼎は重い器であり、玉は宝物である。玉で鉉を飾り、鉉で鼎を担げば、鼎を持ち上げることができ、その養いを天下に及ぼせる。これは、人が運を得れば運が通じ、時が到来し、剛柔が助け合って、することも謀ることも、すべて大いに吉で利益があるというたとえである。