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高島易断 · 卦ごとの解説
高島易断 · 易経 第 63 卦 水火既済。既済:亨(とお)ること小(すこ)し、貞(ただ)しきに利(よ)し。初(はじめ)は吉(きち)にして、終(おわり)は乱(みだ)る。
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水火既済。既済:亨(とお)ること小(すこ)し、貞(ただ)しきに利(よ)し。初(はじめ)は吉(きち)にして、終(おわり)は乱(みだ)る。
既済:亨(とお)ること小(すこ)し、貞(ただ)しきに利(よ)し。初(はじめ)は吉(きち)にして、終(おわり)は乱(みだ)る。
63 水火既済
卦の本(もと)は地天《泰》にして、《泰》は交わる故に水火済(な)る。水は地中にありて未だ器にのぼらず、火は木中にありて尚(なお)空(くう)に麗(つ)く。卦は潤下(じゅんか)するものを火の上に加え、炎上(えんじょう)するものを水の下に畜(たくわ)えるを取る。これを《既済》と謂う。此の卦の『水火既済』と名づく所以(ゆえん)なり。
既済[90]:亨(とお)る、小(すこ)し貞(ただ)しきに利(よ)し。初(はじめ)は吉(きち)にして、終(おわり)は乱(みだ)る。
「済」は渡るなり、「既」は尽(つく)すなり、万事皆(みな)済(ととの)う、故に《既済》と曰う。卦は《坎》《離》を取り、坎水は潤下し、《離》火は炎上し、相交わりて用と為り、陰陽和合し、百務(ひゃくむ)理に就き、亨(とお)らざる無なし。然れども《既済》の亨(とお)るは、亨(とお)るも猶(なお)其の小なる者のみ、故に「亨(とお)ること小(すこ)し」と曰う。既済に処する者は、猶(なお)其の亨(とお)るを侈(おご)るなかれ、其の貞を励み、初めに貞にして、亦(また)終わりに貞なれば、斯(ここ)に吉ありて乱無からん、故に「貞に利(よ)し」と曰う。若し長く其の貞を保つあたわざれば、則ち亨通久しからず、危乱(きらん)これに随う、故に「初めは吉、終わりは乱る」と曰う。
《彖伝》に曰く:既済の亨るは、小なるもの亨るなり。貞に利しとは、剛柔正しくして位当たるなり。初めの吉なるは、柔中を得ればなり。終わりに止まれば則ち乱る、其の道窮まればなり。
《序卦伝》に曰く:「物に過ぐる者は必ず済(すく)う、故にこれを受くるに既済を以てす。」譬えば過人の才徳ある者の如くして、然る後に以て世を済(すく)うべし、此れ《既済》の《小過》に継ぐ所以なり。《既済》《未済》は、《易・下経》の終わりに処し、其の象は皆《坎》《離》に取る。《坎》《離》は天地の大道、水火は人生の大用なり。水は火を得て寒からずして、資生の利普(あまね)く、火は水を得て燥(かん)ならずして、烹炊(ほうすい)の功成る。水火相済う、これを《既済》と謂う。《既済》は、剛柔中を得、物として済わざるはなく、小といえども亦た通ず、故に「亨(とお)ること小(すこ)し」と曰う。《伝》に「小なるもの亨るなり」と曰う、小なるもの尚お亨る、況んや大なるにおいてをや?蓋し亨るの道は、既済より来たる、則ち其の亨るを得る者は、更に当に其の既済を保つべし、是れ「貞に利し」と宜し。「剛柔正しくして位当たる」、《既済》の《既済》たる所以は、ここにあり、是によりて亨るを得、是によりて貞を得、亦た是によりて始めあり、是によりて終わりあれば、則ち治ありて乱無かるべし。《伝》に「初めは吉、終わりは乱る」と曰うは、正に終わりを維持あたわざる者の戒めと為す。故に凡そ既済の時に当たり、貴ぶ所は微を防ぎ漸を杜(ふさ)ぎ、盈(えい)を持し泰を保ち、斯(ここ)に汲汲(きゅうきゅう)として治を求め、初めありて終わり鮮(すくな)きに至らざるなり;若し徒(いたずら)に目前に拘りて、志満ち気盈(み)ち、自ら乾惕(かんてき)せざれば、則ち治はここに止まり、即ち乱はここに起る、謹まざるべけんや!《伝》は「柔中を得る」を以て「初めの吉」を釈し、柔小なるも尚お其の中を得れば、則ち剛大なるも済わざる無きを謂う、是を以て吉なり。「道の窮まる」を以て「終わりの乱」を釈し、進修(しんしゅう)既に中止するを以てすれば、則ち前功必ず恃(たの)みがたしと謂う、是を以て乱なり。
此の卦を人事になぞらえれば、人事の用は水火より大なるはなし。人身においては血気を水とし、心神を火とし、日用においては灌漑に必ず水を要し、烹炊に必ず火を要す;且つ水は火に非ざれば亦た以て其の功を奏するなく、火は水に非ざれば則ち以て其の用を成すなし。蓋し水火は相克(そうこく)すといえども、実は相成(そうせい)するを以てし、相成るれば則ち相済い、相済えば則ち相通ず。使(もし)小にのみ通ずること来たるあらば、即ち未だこれを済と謂うに足らず、既済なれば則ち通ぜざる無なし、故に「既済亨小」と曰う。是れ既済の人事における、大にしては邦家(ほうか)、小にしては身心、窮通得失、生死存亡の故、皆その中にあり。《伝》に「小なるもの亨るなり」と曰うも、大なるもの要するに亦た亨らざる無きなり。卦体は柔を以て柔に居り、剛を以て剛に居り、各々其の正を得、即ち各々其の位に当たる、譬えば人事の偏曲する所無きが如く、道は利貞にありて、邪僻(じゃへき)自から行うを得ざるなり。「柔中を得る」とは、《離》の中虚(ちゅうきょ)を謂い、虚なれば則ち明なり、《離》下に在る、故に「初めは吉」と曰う;「終わりに止まれば則ち乱る」とは、《坎》の中満(ちゅうまん)を謂い、満なれば則ち危うし、《坎》上に在る、故に「終わりは乱る」と曰う。凡そ人事の初め有らざるはなく、克(よく)終わり有るは鮮(すく)なし、夫の《既済》を観て、当に戒むる所を知るべし。
此の卦を国家になぞらえれば、卦たる内《離》外《坎》にして、《坎》は難なり、《離》は明なり、是を以て《離》の明にして《坎》の難を済(すく)う、即ち《明夷》に云う所の文明柔順にして大難を蒙るの旨なり。明を以て難を済えば、難定まる;これを《既済》と謂い、既済にして視ること未済の若(ごと)くなれば、則ち初めに済い、亦た終わりに済い、斯に亨る者は永く亨り、貞なる者は永く貞にして、治道庶(ちか)きかな其れ窮まらざらん。若し既済にして自ら既済と恃(たの)まば、其の道窮まるなり、古より帝王の精一危微の伝え、其れここに在るか?《大象》の云う所の患いを思い預(あらかじ)め防ぐ者は、正に既済の終わりを保つ所以のみ。
通じて此の卦を観るに、《易》六十四卦、首(はじめ)は《乾》《坤》、《上経》三十卦は《坎》《離》に終わる、以て其の天地の終わりと為すなり;《下経》三十四卦は《既済》《未済》に終わる、以て其の《坎》《離》の交わりと為すなり。天下の事、《未済》なれば則ち其の済わざるを憂え、《既済》なれば則ち其の永く済わんことを図るべし、然れども終わりに初め無きはなく、往きて来たる無きはなく、一治一乱する者は天なり、一陰一陽なる者は道なり、天に陰無き陽はなく、世に乱無き治はなし。今爻を以て観れば、六位所を得る、未だ《既済》の如き者有らざるなり、奇偶(きぐう)各々三、其の数均しきなり;陰を以て陰に居り、陽を以て陽に居り、其の位当たるなり;六爻上下、剛柔相配し、其の応正しきなり。《乾》《坤》以来、三百七十二爻、循環往復し、変化交錯して、然る後に《既済》を得。内《離》明、外坎険にして、明を以て険を消し、以て世を済い功を成すの会を開く、これよりして始めを慎み終わりを図り、治ありて乱無ければ、固(まこと)に万世人民の幸福なり。然れども乱極まれば治を思い、治極まれば乱を思う、天運の剥復(はくふく)、卦象既に其の機を示せり。下は《離》にして互は《坎》、上は《坎》にして互は《離》、反复の象なり。陰を以て陽に乗じ、初め治まりて終わりに止まるは、盛衰の兆しなり、故に《彖》に「終わりに止まれば則ち乱る」と曰う。知るべし造化の数、長く治まり永久に安らかなるあたわざる者は、人力の強排(きょうはい)の終わりに済うべきに非ざるなり。又図数を以てこれを推するに、初剛、二柔、三剛、四柔、五剛、六柔、天一、地二、天三、地四、天五、地六と、其の数正に合す、然れども六に至りて止まるは、是れ亦た天地に完全なる数無きなり、故に《未済》方(まさ)に来たる、皆自然の法象なり。故に衆人は《既済》を以て喜びとし、聖人は《既済》を以て憂いとす、何となれば?未だ治まらざるは治め易く、既に治まりたるは保ち難し。六爻の孜孜(しし)として済を保つ者は、各々次序あり:初は済の始にして、力めて其の済を求むる者なり;二は済の中を得て、其の済を失わざる者なり;三は済の険を渉りて、其の済の甚だ難きを言える者なり;四は済の時に処して、其の済の復た失われんことを恐れる者なり;五は済の福を受け、其の済の時に合するを喜ぶ者なり;六は済の極に当たり、其の済の長くすべからざるを慮(おもんばか)る者なり。凡そ卦は皆終わりに至りて窮まる、《既済》の終わりは則ち《未済》と為り、六十四卦は《未済》に窮まる。《既済》変じて《未済》と為る、豈にただ《既済》の窮まるのみならんや!則ち「初めの吉」は其れ恃(たの)むべけんや?
《象》に曰く:水、火の上に在るは既済なり。君子以て患いを思い預(あらかじ)めこれを防ぐ。
水の性は潤下し、火の性は炎上す、水火の上に在り、火水の下に在り、二者相資(たす)けて用と為り、以て《既済》の功を成すを得るなり。君子其の象を玩(かんしょう)して、凛凛(りんりん)たり、既済を以て恃(たの)むべきとせず、更に既済を以て危うぶべきとす。外に坎険あるは、患いを防ぐの象;内に《離》明あるは、預(あらかじ)め思うの象なり。禍(わざわい)は毎(つね)に不測に生じ、害は即ち既安に伏す、時に預(あらかじ)めしてこれを防げば、則ち以て其の「初めの吉」を保つべく、即ち以て其の「終わりの乱」を戢(おさ)むべし、故に「君子以て患いを思い預(あらかじ)めこれを防ぐ」と曰う。
【占い】
○ 時運を占う:運途全盛なり、盛極まれば必ず衰う、須(すのばら)く後患を防ぐべし。
○ 商売を占う:目下の貨物、時を得値を獲て、正に満足に当たる、須(すのばら)く後歩を留むべし。
○ 功名を占う:高きに居りて危うきを思い、其の終わりを防ぐを得よ。
○ 征戦を占う:大難既に平らぎ、大険既に定まり、戦い勝ちて功成る、還(なお)宜しく始を図り終わりを保ち、後患を貽(のこ)すこと毋(な)かるべし。
○ 家宅を占う:大厦(たいか)既に成り、苟(いや)しくも完(まっと)うし苟(いや)しくも合(あ)い、貽謀(いぼう)孔(はなは)だ遠し。
○ 婚姻を占う:百年好合の兆あり。
○ 疾病を占う:大病既に癒ゆ、更に宜しく自ら保つべし。
○ 訟事を占う:再び訟に渉(わた)ること毋(な)かれ。
○ 六甲(妊娠)を占う:春夏は女児、秋冬は男児を生みます。
63 水火既済
卦の本(もと)は地天《泰》にして、《泰》は交わる故に水火済(な)る。水は地中にありて未だ器にのぼらず、火は木中にありて尚(なお)空(くう)に麗(つ)く。卦は潤下(じゅんか)するものを火の上に加え、炎上(えんじょう)するものを水の下に畜(たくわ)えるを取る。これを《既済》と謂う。此の卦の『水火既済』と名づく所以(ゆえん)なり。
既済[90]:亨(とお)る、小(すこ)し貞(ただ)しきに利(よ)し。初(はじめ)は吉(きち)にして、終(おわり)は乱(みだ)る。
「済」は渡るなり、「既」は尽(つく)すなり、万事皆(みな)済(ととの)う、故に《既済》と曰う。卦は《坎》《離》を取り、坎水は潤下し、《離》火は炎上し、相交わりて用と為り、陰陽和合し、百務(ひゃくむ)理に就き、亨(とお)らざる無なし。然れども《既済》の亨(とお)るは、亨(とお)るも猶(なお)其の小なる者のみ、故に「亨(とお)ること小(すこ)し」と曰う。既済に処する者は、猶(なお)其の亨(とお)るを侈(おご)るなかれ、其の貞を励み、初めに貞にして、亦(また)終わりに貞なれば、斯(ここ)に吉ありて乱無からん、故に「貞に利(よ)し」と曰う。若し長く其の貞を保つあたわざれば、則ち亨通久しからず、危乱(きらん)これに随う、故に「初めは吉、終わりは乱る」と曰う。
《彖伝》に曰く:既済の亨るは、小なるもの亨るなり。貞に利しとは、剛柔正しくして位当たるなり。初めの吉なるは、柔中を得ればなり。終わりに止まれば則ち乱る、其の道窮まればなり。
《序卦伝》に曰く:「物に過ぐる者は必ず済(すく)う、故にこれを受くるに既済を以てす。」譬えば過人の才徳ある者の如くして、然る後に以て世を済(すく)うべし、此れ《既済》の《小過》に継ぐ所以なり。《既済》《未済》は、《易・下経》の終わりに処し、其の象は皆《坎》《離》に取る。《坎》《離》は天地の大道、水火は人生の大用なり。水は火を得て寒からずして、資生の利普(あまね)く、火は水を得て燥(かん)ならずして、烹炊(ほうすい)の功成る。水火相済う、これを《既済》と謂う。《既済》は、剛柔中を得、物として済わざるはなく、小といえども亦た通ず、故に「亨(とお)ること小(すこ)し」と曰う。《伝》に「小なるもの亨るなり」と曰う、小なるもの尚お亨る、況んや大なるにおいてをや?蓋し亨るの道は、既済より来たる、則ち其の亨るを得る者は、更に当に其の既済を保つべし、是れ「貞に利し」と宜し。「剛柔正しくして位当たる」、《既済》の《既済》たる所以は、ここにあり、是によりて亨るを得、是によりて貞を得、亦た是によりて始めあり、是によりて終わりあれば、則ち治ありて乱無かるべし。《伝》に「初めは吉、終わりは乱る」と曰うは、正に終わりを維持あたわざる者の戒めと為す。故に凡そ既済の時に当たり、貴ぶ所は微を防ぎ漸を杜(ふさ)ぎ、盈(えい)を持し泰を保ち、斯(ここ)に汲汲(きゅうきゅう)として治を求め、初めありて終わり鮮(すくな)きに至らざるなり;若し徒(いたずら)に目前に拘りて、志満ち気盈(み)ち、自ら乾惕(かんてき)せざれば、則ち治はここに止まり、即ち乱はここに起る、謹まざるべけんや!《伝》は「柔中を得る」を以て「初めの吉」を釈し、柔小なるも尚お其の中を得れば、則ち剛大なるも済わざる無きを謂う、是を以て吉なり。「道の窮まる」を以て「終わりの乱」を釈し、進修(しんしゅう)既に中止するを以てすれば、則ち前功必ず恃(たの)みがたしと謂う、是を以て乱なり。
此の卦を人事になぞらえれば、人事の用は水火より大なるはなし。人身においては血気を水とし、心神を火とし、日用においては灌漑に必ず水を要し、烹炊に必ず火を要す;且つ水は火に非ざれば亦た以て其の功を奏するなく、火は水に非ざれば則ち以て其の用を成すなし。蓋し水火は相克(そうこく)すといえども、実は相成(そうせい)するを以てし、相成るれば則ち相済い、相済えば則ち相通ず。使(もし)小にのみ通ずること来たるあらば、即ち未だこれを済と謂うに足らず、既済なれば則ち通ぜざる無なし、故に「既済亨小」と曰う。是れ既済の人事における、大にしては邦家(ほうか)、小にしては身心、窮通得失、生死存亡の故、皆その中にあり。《伝》に「小なるもの亨るなり」と曰うも、大なるもの要するに亦た亨らざる無きなり。卦体は柔を以て柔に居り、剛を以て剛に居り、各々其の正を得、即ち各々其の位に当たる、譬えば人事の偏曲する所無きが如く、道は利貞にありて、邪僻(じゃへき)自から行うを得ざるなり。「柔中を得る」とは、《離》の中虚(ちゅうきょ)を謂い、虚なれば則ち明なり、《離》下に在る、故に「初めは吉」と曰う;「終わりに止まれば則ち乱る」とは、《坎》の中満(ちゅうまん)を謂い、満なれば則ち危うし、《坎》上に在る、故に「終わりは乱る」と曰う。凡そ人事の初め有らざるはなく、克(よく)終わり有るは鮮(すく)なし、夫の《既済》を観て、当に戒むる所を知るべし。
此の卦を国家になぞらえれば、卦たる内《離》外《坎》にして、《坎》は難なり、《離》は明なり、是を以て《離》の明にして《坎》の難を済(すく)う、即ち《明夷》に云う所の文明柔順にして大難を蒙るの旨なり。明を以て難を済えば、難定まる;これを《既済》と謂い、既済にして視ること未済の若(ごと)くなれば、則ち初めに済い、亦た終わりに済い、斯に亨る者は永く亨り、貞なる者は永く貞にして、治道庶(ちか)きかな其れ窮まらざらん。若し既済にして自ら既済と恃(たの)まば、其の道窮まるなり、古より帝王の精一危微の伝え、其れここに在るか?《大象》の云う所の患いを思い預(あらかじ)め防ぐ者は、正に既済の終わりを保つ所以のみ。
通じて此の卦を観るに、《易》六十四卦、首(はじめ)は《乾》《坤》、《上経》三十卦は《坎》《離》に終わる、以て其の天地の終わりと為すなり;《下経》三十四卦は《既済》《未済》に終わる、以て其の《坎》《離》の交わりと為すなり。天下の事、《未済》なれば則ち其の済わざるを憂え、《既済》なれば則ち其の永く済わんことを図るべし、然れども終わりに初め無きはなく、往きて来たる無きはなく、一治一乱する者は天なり、一陰一陽なる者は道なり、天に陰無き陽はなく、世に乱無き治はなし。今爻を以て観れば、六位所を得る、未だ《既済》の如き者有らざるなり、奇偶(きぐう)各々三、其の数均しきなり;陰を以て陰に居り、陽を以て陽に居り、其の位当たるなり;六爻上下、剛柔相配し、其の応正しきなり。《乾》《坤》以来、三百七十二爻、循環往復し、変化交錯して、然る後に《既済》を得。内《離》明、外坎険にして、明を以て険を消し、以て世を済い功を成すの会を開く、これよりして始めを慎み終わりを図り、治ありて乱無ければ、固(まこと)に万世人民の幸福なり。然れども乱極まれば治を思い、治極まれば乱を思う、天運の剥復(はくふく)、卦象既に其の機を示せり。下は《離》にして互は《坎》、上は《坎》にして互は《離》、反复の象なり。陰を以て陽に乗じ、初め治まりて終わりに止まるは、盛衰の兆しなり、故に《彖》に「終わりに止まれば則ち乱る」と曰う。知るべし造化の数、長く治まり永久に安らかなるあたわざる者は、人力の強排(きょうはい)の終わりに済うべきに非ざるなり。又図数を以てこれを推するに、初剛、二柔、三剛、四柔、五剛、六柔、天一、地二、天三、地四、天五、地六と、其の数正に合す、然れども六に至りて止まるは、是れ亦た天地に完全なる数無きなり、故に《未済》方(まさ)に来たる、皆自然の法象なり。故に衆人は《既済》を以て喜びとし、聖人は《既済》を以て憂いとす、何となれば?未だ治まらざるは治め易く、既に治まりたるは保ち難し。六爻の孜孜(しし)として済を保つ者は、各々次序あり:初は済の始にして、力めて其の済を求むる者なり;二は済の中を得て、其の済を失わざる者なり;三は済の険を渉りて、其の済の甚だ難きを言える者なり;四は済の時に処して、其の済の復た失われんことを恐れる者なり;五は済の福を受け、其の済の時に合するを喜ぶ者なり;六は済の極に当たり、其の済の長くすべからざるを慮(おもんばか)る者なり。凡そ卦は皆終わりに至りて窮まる、《既済》の終わりは則ち《未済》と為り、六十四卦は《未済》に窮まる。《既済》変じて《未済》と為る、豈にただ《既済》の窮まるのみならんや!則ち「初めの吉」は其れ恃(たの)むべけんや?
《象》に曰く:水、火の上に在るは既済なり。君子以て患いを思い預(あらかじ)めこれを防ぐ。
水の性は潤下し、火の性は炎上す、水火の上に在り、火水の下に在り、二者相資(たす)けて用と為り、以て《既済》の功を成すを得るなり。君子其の象を玩(かんしょう)して、凛凛(りんりん)たり、既済を以て恃(たの)むべきとせず、更に既済を以て危うぶべきとす。外に坎険あるは、患いを防ぐの象;内に《離》明あるは、預(あらかじ)め思うの象なり。禍(わざわい)は毎(つね)に不測に生じ、害は即ち既安に伏す、時に預(あらかじ)めしてこれを防げば、則ち以て其の「初めの吉」を保つべく、即ち以て其の「終わりの乱」を戢(おさ)むべし、故に「君子以て患いを思い預(あらかじ)めこれを防ぐ」と曰う。
【占い】
○ 時運を占う:運途全盛なり、盛極まれば必ず衰う、須(すのばら)く後患を防ぐべし。
○ 商売を占う:目下の貨物、時を得値を獲て、正に満足に当たる、須(すのばら)く後歩を留むべし。
○ 功名を占う:高きに居りて危うきを思い、其の終わりを防ぐを得よ。
○ 征戦を占う:大難既に平らぎ、大険既に定まり、戦い勝ちて功成る、還(なお)宜しく始を図り終わりを保ち、後患を貽(のこ)すこと毋(な)かるべし。
○ 家宅を占う:大厦(たいか)既に成り、苟(いや)しくも完(まっと)うし苟(いや)しくも合(あ)い、貽謀(いぼう)孔(はなは)だ遠し。
○ 婚姻を占う:百年好合の兆あり。
○ 疾病を占う:大病既に癒ゆ、更に宜しく自ら保つべし。
○ 訟事を占う:再び訟に渉(わた)ること毋(な)かれ。
○ 六甲(妊娠)を占う:春夏は女児、秋冬は男児を生みます。
初九:其の輪を曳(ひ)き、其の尾を濡(ぬら)す、咎(とが)なし。
初九:其の輪を曳(ひ)き、其の尾を濡(ぬら)す、咎(とが)なし。
《象伝》に曰く:其の輪を曳く、義咎(とが)なきなり。
《既済》の爻義は、大略《泰》と同じ。《泰》の下卦三爻は、《泰》の中の《泰》とし、上卦三爻は、《泰》の中の《否》とす、《既済》も亦た然り。其の内外を分つ所以のものは、《離》を明とし、《坎》を険とす、猶(なお)《泰》の《乾》を以て有余とし、《坤》を以て不足とするが如きなり。《既済》の初爻は、済渡(さいと)を以て義を取る、故に輪を曳き尾を濡らすの象あり、《坎》を輪とし、曳とし、初を尾とす。「其の輪を曳く」とは、これを曳きて前進し、力を用いて済(すく)いを求めるなり。按ずるに《詩》に「盈(み)てるを済(わた)るに軌(き)を濡らさず、始めて済りて濡れること馬の尾に及ぶ」とあり、済の難きを言えるなり、然れども尾濡るるも曳きて倦(う)まず、曳く者は済る。《初》は済の始に居り、力めて其の済を求むること此の如し、故に「咎なし」なり、《象伝》即ち咎なしを以てこれを釈す。
【占い】
○ 時運を占う:運未だ険を脱せず、当に自ら奮勉すべし、以て咎なかるべし。
○ 商売を占う:初次の経営、跋渉(ばっしょう)多艱(たかん)なり、進みて止まざれば、危うきといえども済(すく)いを得、咎なし。
○ 功名を占う:先には難く後には獲(え)ん。
○ 征戦を占う:車の脱し馬の蹶(つまず)くの危うきありといえども、一鼓して進めば、当に必ず勝を獲るべきなり。
○ 家宅を占う:初次の遷居(せんきょ)、此の宅或いは輪奐(りんかん)美ならず、或いは首尾完からざるも、これに居りて咎なし。
○ 婚姻を占う:火は水の妃(きさき)なり、初めの聘(へい)なれば則ち吉。
○ 疾病を占う:初病、危うしといえども咎なし。
○ 六甲(妊娠)を占う:初胎は女を生む。
○ 失物を占う:物既に水に沾(ぬれ)る、当に車中につきこれを覓(もと)むべし、得べし。
○ 行人を占う:途にあり、稍々(やや)水災あるも、咎なし。
【例】 明治二十一年、ある紳士来たりて、気運を占わんことを請う、筮して《既済》の《蹇》を得たり。
断に曰く:「輪」は、車輪、水を渉るの具なり;「尾」は、馬尾、水の為に濡らさるるなり。是れ輪を曳きて水を済(わた)り、馬尾濡らさるとなし、蓋し初めの済の難きを言えるなり。初め能く力を張りて済を求めれば、終わりに咎なきを得、人に当に険を渉るの時に当たり、力を奮いて険を脱せば、険として済うべからざるは無きを全(まっと)う見るに足るなり。今貴下時運を占い、《既済》の初爻を得たり、貴下まさに今盛運已に来たり、時安く身泰(やす)らかなるを知る、但し険難初めて脱し、尚お小いに災害あるも、患い無かるべし。明後二三年は、猶お須(すのばら)く謹み戒むべし、四年後には、則ち吉福来たり臨み、全盛慶(よろこ)びあり、往くとして利あらざる無からん。
《象伝》に曰く:其の輪を曳く、義咎(とが)なきなり。
《既済》の爻義は、大略《泰》と同じ。《泰》の下卦三爻は、《泰》の中の《泰》とし、上卦三爻は、《泰》の中の《否》とす、《既済》も亦た然り。其の内外を分つ所以のものは、《離》を明とし、《坎》を険とす、猶(なお)《泰》の《乾》を以て有余とし、《坤》を以て不足とするが如きなり。《既済》の初爻は、済渡(さいと)を以て義を取る、故に輪を曳き尾を濡らすの象あり、《坎》を輪とし、曳とし、初を尾とす。「其の輪を曳く」とは、これを曳きて前進し、力を用いて済(すく)いを求めるなり。按ずるに《詩》に「盈(み)てるを済(わた)るに軌(き)を濡らさず、始めて済りて濡れること馬の尾に及ぶ」とあり、済の難きを言えるなり、然れども尾濡るるも曳きて倦(う)まず、曳く者は済る。《初》は済の始に居り、力めて其の済を求むること此の如し、故に「咎なし」なり、《象伝》即ち咎なしを以てこれを釈す。
【占い】
○ 時運を占う:運未だ険を脱せず、当に自ら奮勉すべし、以て咎なかるべし。
○ 商売を占う:初次の経営、跋渉(ばっしょう)多艱(たかん)なり、進みて止まざれば、危うきといえども済(すく)いを得、咎なし。
○ 功名を占う:先には難く後には獲(え)ん。
○ 征戦を占う:車の脱し馬の蹶(つまず)くの危うきありといえども、一鼓して進めば、当に必ず勝を獲るべきなり。
○ 家宅を占う:初次の遷居(せんきょ)、此の宅或いは輪奐(りんかん)美ならず、或いは首尾完からざるも、これに居りて咎なし。
○ 婚姻を占う:火は水の妃(きさき)なり、初めの聘(へい)なれば則ち吉。
○ 疾病を占う:初病、危うしといえども咎なし。
○ 六甲(妊娠)を占う:初胎は女を生む。
○ 失物を占う:物既に水に沾(ぬれ)る、当に車中につきこれを覓(もと)むべし、得べし。
○ 行人を占う:途にあり、稍々(やや)水災あるも、咎なし。
【例】 明治二十一年、ある紳士来たりて、気運を占わんことを請う、筮して《既済》の《蹇》を得たり。
断に曰く:「輪」は、車輪、水を渉るの具なり;「尾」は、馬尾、水の為に濡らさるるなり。是れ輪を曳きて水を済(わた)り、馬尾濡らさるとなし、蓋し初めの済の難きを言えるなり。初め能く力を張りて済を求めれば、終わりに咎なきを得、人に当に険を渉るの時に当たり、力を奮いて険を脱せば、険として済うべからざるは無きを全(まっと)う見るに足るなり。今貴下時運を占い、《既済》の初爻を得たり、貴下まさに今盛運已に来たり、時安く身泰(やす)らかなるを知る、但し険難初めて脱し、尚お小いに災害あるも、患い無かるべし。明後二三年は、猶お須(すのばら)く謹み戒むべし、四年後には、則ち吉福来たり臨み、全盛慶(よろこ)びあり、往くとして利あらざる無からん。
六二:婦(ふ)其の茀(ふつ)を喪(うしな)う、逐(お)うこと勿(な)かれ、七日にして得ん。
六二:婦(ふ)其の茀(ふつ)を喪(うしな)う、逐(お)うこと勿(な)かれ、七日にして得ん。
《象伝》に曰く:七日にして得るは、中道を以てなり。
火は水の妃(きさき)なり、故に二の《離》は婦を象とす。「茀(ふつ)」は、車の蔽(へい)なり。《爾雅》に「輿(よ)の革なるは、前をこれを艱(かん)と謂い、後をこれを茀(ふつ)と謂い;竹なるは、前をこれを御(ぎょ)と謂い、後をこれを蔽(へい)と謂う」、弗(ふつ)と曰い、蔽と曰うは、竹と革とを以て異なるなり。《詩》には則ち統べてこれを茀と謂う、「碩人(せきじん)翟茀(てきふつ)して以て朝す」。《孔疏》に云う:婦人の車に乗るは露(あらわ)にせず、車の前後、皆障(しょう)を設けて自ら隠蔽す、これを茀と謂う、弗を喪うとは、其の蔽う所を失うなり。二は済に臨むの時に当たり、車を駆りて前進す、車前にあり、弗後にあり、中途にして弗を喪い、車を停めてこれを逐わば、将に済(わた)らんと欲して及ばざる者あらん、故にこれに示すに「逐うこと勿かれ」を以てす。「七日にして得ん」とは、得るは猶お復(かえ)るがごときなり。陰陽の数、七に至りて復り、一卦六爻、循環往復し、二より後七に至れば、又た二爻に値(あた)る、故に七日を過げずして自から得るなり。《象伝》「中道」を以てこれを釈す、日辰十二、七日は正に中(ちゅう)に当たるなり。茀を喪うとは、或いは云う二の車に乗るは五に適(ゆ)き、四其の前に当たる、四の《坎》は盗と為る、是れ茀を窃(ぬす)む者なりと。其の説も亦た通ず。茀、《釈文》:茀は首飾。按ずるに《詩》に重ねて茀を言うも、皆車の蔽と作す、且つ初には輪を曳くと曰い、二には車の茀と曰う、象正に相合す、当に車の蔽と作すべし。
【占い】
○ 時運を占う:小小の得失、切に介意するなかれ、方に大難を脱し、大功を成すを得るなり。
○ 商売を占う:失いて復た得るの象あり。
功名を占う:七年以内に、必ず復職できます。
軍事・征伐を占う:途中で襲撃されて蜑重を失いますが、七日以内に必ず勝利を収めます。
婚姻を占う:早ければ七か月、遅くとも七年で、再び団らんできます。
家宅表占う:その家は他人に占有されていますが、七年後には元の所有者に返還されます。
疾病を占う:七日以内に必ず癒えます。
失物を占う:まもなく見つかります。
妊娠・出産を占う:七日以内に出産し、女子が生まれます。
【例】 ある友人が私の山荘を訪れ、某貴顕について語り、「その貴顕は勲章を授与されていないことを心残りに思っており、ひとつ占ってほしい」と言いました。筮して《既済》から《需》を得ました。
卦断に曰く:「茀(ふつ)」とは車の遮蔽物であり、婦人が車に乗る際、自らを隠すために設けるものです。「茀を喪う」とはその遮蔽を失うことです。「追うこと勿れ」とは、些細な小失につき、追い求める必要はなく、まもなく自然と手に入ることを意味します。人は大功を建て大業を打ち立てるべきであり、些細な微物はその得失が栄辱に関わらないという比喩です。今、某貴顕の勲章について占ってこの爻象を得ましたが、爻象の語るところは明解であり、貴顕に憂慮する必要はないと示しています。「七日にして得る」とは、まもなく必ず栄えある恩賜を授かることを意味します。
のちに友人が再び訪れて言いました。「占筮は非常に霊験がありました。某貴顕はすでに恩賜の勲章を授かりました。爻辞の言葉は、まるでその貴顕のためにあつらえられたかのようです。」
《象伝》に曰く:七日にして得るは、中道を以てなり。
火は水の妃(きさき)なり、故に二の《離》は婦を象とす。「茀(ふつ)」は、車の蔽(へい)なり。《爾雅》に「輿(よ)の革なるは、前をこれを艱(かん)と謂い、後をこれを茀(ふつ)と謂い;竹なるは、前をこれを御(ぎょ)と謂い、後をこれを蔽(へい)と謂う」、弗(ふつ)と曰い、蔽と曰うは、竹と革とを以て異なるなり。《詩》には則ち統べてこれを茀と謂う、「碩人(せきじん)翟茀(てきふつ)して以て朝す」。《孔疏》に云う:婦人の車に乗るは露(あらわ)にせず、車の前後、皆障(しょう)を設けて自ら隠蔽す、これを茀と謂う、弗を喪うとは、其の蔽う所を失うなり。二は済に臨むの時に当たり、車を駆りて前進す、車前にあり、弗後にあり、中途にして弗を喪い、車を停めてこれを逐わば、将に済(わた)らんと欲して及ばざる者あらん、故にこれに示すに「逐うこと勿かれ」を以てす。「七日にして得ん」とは、得るは猶お復(かえ)るがごときなり。陰陽の数、七に至りて復り、一卦六爻、循環往復し、二より後七に至れば、又た二爻に値(あた)る、故に七日を過げずして自から得るなり。《象伝》「中道」を以てこれを釈す、日辰十二、七日は正に中(ちゅう)に当たるなり。茀を喪うとは、或いは云う二の車に乗るは五に適(ゆ)き、四其の前に当たる、四の《坎》は盗と為る、是れ茀を窃(ぬす)む者なりと。其の説も亦た通ず。茀、《釈文》:茀は首飾。按ずるに《詩》に重ねて茀を言うも、皆車の蔽と作す、且つ初には輪を曳くと曰い、二には車の茀と曰う、象正に相合す、当に車の蔽と作すべし。
【占い】
○ 時運を占う:小小の得失、切に介意するなかれ、方に大難を脱し、大功を成すを得るなり。
○ 商売を占う:失いて復た得るの象あり。
功名を占う:七年以内に、必ず復職できます。
軍事・征伐を占う:途中で襲撃されて蜑重を失いますが、七日以内に必ず勝利を収めます。
婚姻を占う:早ければ七か月、遅くとも七年で、再び団らんできます。
家宅表占う:その家は他人に占有されていますが、七年後には元の所有者に返還されます。
疾病を占う:七日以内に必ず癒えます。
失物を占う:まもなく見つかります。
妊娠・出産を占う:七日以内に出産し、女子が生まれます。
【例】 ある友人が私の山荘を訪れ、某貴顕について語り、「その貴顕は勲章を授与されていないことを心残りに思っており、ひとつ占ってほしい」と言いました。筮して《既済》から《需》を得ました。
卦断に曰く:「茀(ふつ)」とは車の遮蔽物であり、婦人が車に乗る際、自らを隠すために設けるものです。「茀を喪う」とはその遮蔽を失うことです。「追うこと勿れ」とは、些細な小失につき、追い求める必要はなく、まもなく自然と手に入ることを意味します。人は大功を建て大業を打ち立てるべきであり、些細な微物はその得失が栄辱に関わらないという比喩です。今、某貴顕の勲章について占ってこの爻象を得ましたが、爻象の語るところは明解であり、貴顕に憂慮する必要はないと示しています。「七日にして得る」とは、まもなく必ず栄えある恩賜を授かることを意味します。
のちに友人が再び訪れて言いました。「占筮は非常に霊験がありました。某貴顕はすでに恩賜の勲章を授かりました。爻辞の言葉は、まるでその貴顕のためにあつらえられたかのようです。」
九三:高宗、鬼方を伐ち、三年克す。小人は用うる勿れ。
九三:高宗、鬼方を伐ち、三年克す。小人は用うる勿れ。
《象伝》に曰く:三年克すとは、疲れるなり。
「高宗」とは殷の中興の英主であり、「鬼方」とは西羌の国名です。『竹書紀年』によれば、武丁三十二年に鬼方を伐ち、荊に駐屯し、三十四年二鬼方を克し、氏羌が服属して朝貢したとあり、即ち「高宗、鬼方を伐ち、三年克す」は史実であります。《既済》の爻象は、初・二が共に済む途中にあり、三に至って始めて済むため、三年で鬼方を克したことを譬えとしたのです。高宗は賢主であり、鬼方は小国ですが、六師を投入しても三年かかってようやく克したため、軍もまた疲弊しました。これは《坎》難を脱することの難しさを譬えています。天下の事は、常に艱難によって得られ、安楽によって失われるものであり、始めにおいては数年の経営でも足らず、その後、一朝にして瓦解して余りあるものとなります。その弊害はすべて君子を遠ざけ小人に近付くことに起因するため、「小人は用うる勿れ」と戒めているのです。《既済》に処する者は、まさに謹み恐れるべきです。《師》の頂爻に「国を開き家を承く、小人は用うる勿れ」とあるのも、本爻の爻辞と意を同じくします。
【占い】
時運を占う:辛苦に耐えて努力すれば、計画は必ず達成されます。
商業を占う:数年の経営を経て、初めて利益を得ることができます。
功名を占う:苦労の末に達成されます。
軍事・征伐を占う:軍を労して長年征伐し、攻撃目標は得られるものの、軍もまた疲弊します。
婚姻を占う:三年以内に成就し、結ばれます。
家宅を占う:この家は陰気が強すぎるため、三年後になって初めて居住できます。
疾病を占う:当面は無事に見えますが、三年以内に保全することは極めて困難です。
訴訟を占う:三年で解決しますが、小人が再びトラブルを引き起こすのを防ぐべきであり、慎むべきです。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】 ある商人が訪れ、事業の計画が成就するかどうかを占うよう請いました。筮して《既済》から《屯》を得ました。
卦断に曰く:「高宗、鬼方を伐ち」、三年の長きにわたってようやく克すとは、三爻が内卦の終わりに位置し、初・二の艱難を経て始めて済むことを譬えており、その象は全く同じです。これを見れば、事業を謀ることが容易でないとわかります。今、あなたが謀事の成否を占い、この爻辞を得たことで、計画はすぐにはまとまらないとわかります。早くて三か月、遅くとも三年で、ようやく協議が調い成就するでしょう。成就して二年後には、必ずや大きな吉祥(大来の吉)があります。ただし、君子と協力すれば自ずと利益がありますが、小人と協力すれば必ず破滅を招きます。あなたは特にこの点に注意すべきです。
【例】 明治三十年、杉浦重剛氏が訪れて言いました。「足尾鉱毒事件について議論が沸騰し、朝野ともに騒然としております。その結果がどうなるか占ってほしい。」 筮して《既済》から《屯》を得ました。
卦断に曰く:九三の《艮》爻を見るに、《艮》は鬼門であるため「鬼方」と言います。三爻は《坎》と《離》の間に位置し、《坎》は毒・疾患を、《離》は大腹を表し、三爻は上爻と応じ、三爻から上爻まで三爻あるため「三年」と言います。「これを克す」とは、これを治めることです。象は腹がその毒を受けて死亡することを示し、その毒は実は《離》火に起因し、《坎》水から湧出しており、一朝一夕のものではありません。爻辞にいう「高宗、鬼方を伐つ」の「鬼方」とは、その地の険阻さを譬えています。高宗という賢主は、必ずや能人(有能な人物)が現れてこれを治めることを譬えています。今、足尾鉱毒を占ってこの爻象を得ましたが、足尾銅山は毎年銅一千二百万斤を産出し、その価値は三千万円を下らず、政府の税収は十五万円を得ており、鉱局の労働者は約一万八千人に及び、皆これに頼って生活しており、我が国最大の鉱山であります。毒は銅鉱から生じる丹礬(たんばん)によるもので、丹礬には毒があり、それが河川に流入しますが、平時はその害を聞きません。しかし洪水によって田畑が浸水し、毒が拡散したのです。もとより洪水による決壊は堤防が堅固でないためであり、堤防の不備は土木局の責任であり、土木局が堤防を修築するには経費が必要で、その責任はまた大蔵省に帰します。今、鉱毒事件は議論が紛々として定論がなく、多くは小人が裏で扇動しているためであり、恐らくこの件も三年もの長きに及ぶでしょう。この事に深い関係のない者には干渉を許さないこと、これを「小人は用うる勿れ」と言います。堤防を修築して《坎》水の害を塞げば、この件は自ずと終局を迎えるでしょう。
《象伝》に曰く:三年克すとは、疲れるなり。
「高宗」とは殷の中興の英主であり、「鬼方」とは西羌の国名です。『竹書紀年』によれば、武丁三十二年に鬼方を伐ち、荊に駐屯し、三十四年二鬼方を克し、氏羌が服属して朝貢したとあり、即ち「高宗、鬼方を伐ち、三年克す」は史実であります。《既済》の爻象は、初・二が共に済む途中にあり、三に至って始めて済むため、三年で鬼方を克したことを譬えとしたのです。高宗は賢主であり、鬼方は小国ですが、六師を投入しても三年かかってようやく克したため、軍もまた疲弊しました。これは《坎》難を脱することの難しさを譬えています。天下の事は、常に艱難によって得られ、安楽によって失われるものであり、始めにおいては数年の経営でも足らず、その後、一朝にして瓦解して余りあるものとなります。その弊害はすべて君子を遠ざけ小人に近付くことに起因するため、「小人は用うる勿れ」と戒めているのです。《既済》に処する者は、まさに謹み恐れるべきです。《師》の頂爻に「国を開き家を承く、小人は用うる勿れ」とあるのも、本爻の爻辞と意を同じくします。
【占い】
時運を占う:辛苦に耐えて努力すれば、計画は必ず達成されます。
商業を占う:数年の経営を経て、初めて利益を得ることができます。
功名を占う:苦労の末に達成されます。
軍事・征伐を占う:軍を労して長年征伐し、攻撃目標は得られるものの、軍もまた疲弊します。
婚姻を占う:三年以内に成就し、結ばれます。
家宅を占う:この家は陰気が強すぎるため、三年後になって初めて居住できます。
疾病を占う:当面は無事に見えますが、三年以内に保全することは極めて困難です。
訴訟を占う:三年で解決しますが、小人が再びトラブルを引き起こすのを防ぐべきであり、慎むべきです。
○ 妊娠について問う。女児が生まれる。
【例】 ある商人が訪れ、事業の計画が成就するかどうかを占うよう請いました。筮して《既済》から《屯》を得ました。
卦断に曰く:「高宗、鬼方を伐ち」、三年の長きにわたってようやく克すとは、三爻が内卦の終わりに位置し、初・二の艱難を経て始めて済むことを譬えており、その象は全く同じです。これを見れば、事業を謀ることが容易でないとわかります。今、あなたが謀事の成否を占い、この爻辞を得たことで、計画はすぐにはまとまらないとわかります。早くて三か月、遅くとも三年で、ようやく協議が調い成就するでしょう。成就して二年後には、必ずや大きな吉祥(大来の吉)があります。ただし、君子と協力すれば自ずと利益がありますが、小人と協力すれば必ず破滅を招きます。あなたは特にこの点に注意すべきです。
【例】 明治三十年、杉浦重剛氏が訪れて言いました。「足尾鉱毒事件について議論が沸騰し、朝野ともに騒然としております。その結果がどうなるか占ってほしい。」 筮して《既済》から《屯》を得ました。
卦断に曰く:九三の《艮》爻を見るに、《艮》は鬼門であるため「鬼方」と言います。三爻は《坎》と《離》の間に位置し、《坎》は毒・疾患を、《離》は大腹を表し、三爻は上爻と応じ、三爻から上爻まで三爻あるため「三年」と言います。「これを克す」とは、これを治めることです。象は腹がその毒を受けて死亡することを示し、その毒は実は《離》火に起因し、《坎》水から湧出しており、一朝一夕のものではありません。爻辞にいう「高宗、鬼方を伐つ」の「鬼方」とは、その地の険阻さを譬えています。高宗という賢主は、必ずや能人(有能な人物)が現れてこれを治めることを譬えています。今、足尾鉱毒を占ってこの爻象を得ましたが、足尾銅山は毎年銅一千二百万斤を産出し、その価値は三千万円を下らず、政府の税収は十五万円を得ており、鉱局の労働者は約一万八千人に及び、皆これに頼って生活しており、我が国最大の鉱山であります。毒は銅鉱から生じる丹礬(たんばん)によるもので、丹礬には毒があり、それが河川に流入しますが、平時はその害を聞きません。しかし洪水によって田畑が浸水し、毒が拡散したのです。もとより洪水による決壊は堤防が堅固でないためであり、堤防の不備は土木局の責任であり、土木局が堤防を修築するには経費が必要で、その責任はまた大蔵省に帰します。今、鉱毒事件は議論が紛々として定論がなく、多くは小人が裏で扇動しているためであり、恐らくこの件も三年もの長きに及ぶでしょう。この事に深い関係のない者には干渉を許さないこと、これを「小人は用うる勿れ」と言います。堤防を修築して《坎》水の害を塞げば、この件は自ずと終局を迎えるでしょう。
六四:繻(じゅ)に衣袽(いじょ)あり、終日戒む。
六四:繻(じゅ)に衣袽(いじょ)あり、終日戒む。
《象伝》に曰く:終日戒むとは、疑うところあればなり。
注:「繻(じゅ)」は彩色の絹織物、「袽(じょ)」は破れ衣を意味します。四爻は内卦と外卦の交点に位置し、《離》を出て《坎》に入ります。繻は文明の象であり、《離》から取られ、袽は破れた衣であり、《坎》は破損を表すため《坎》から取られています。四爻は《既済》の全盛期にあたり、衣冠整い、文化や名声が清々しく一新されている様を表します。しかし天命は無常であり、盛者はたちまち衰え、新しきものはたちまち古くなります。時に応じてつくろい修復しなければ、瞬く間に敗壊へと向かい、絢爛たる彩絹の衣もまもなく破れ果てたぼろ屑となってしまいます。ゆえに「繻に衣袽あり」と言います。《既済》は《乾》《坤》の二・五が互いに易わることで成立したものであり、「終日戒む」とは《乾》の「終日乾乾し、夕に惕若たり」の意であり、《既済》の時にあって一層危惧の心を強め、その戒め慎むことに終わりがないことを表すため「終日戒む」と言います。《伝》で「疑うところあればなり」と釈するのは、《坎》が疑いを表し、疑いとは未だ起こらぬことを起こるのではないかと憂えることであり、これも戒めであります。「繻」について王弼は「濡(ぬれる)」と作すべきとし、「衣袽」とは破れ衣で舟の漏れを塞ぐことだと解しました。王弼の解釈は「済」の字から無理に義を取り、渡るには必ず舟があり、舟に漏れがあれば濡れるので破れ衣でそれを塞ぐのだと説明しています。爻辞の「繻に衣袽あり」という言葉に枝葉を付け加え、自説を取り繕うものであり、やや強引さを免れません。
【占い】
時運を占う:運気は全盛期にありますが、予防しなければ衰退がすぐに訪れます。慎み戒めるべきです。
商業を占う:舟航の如く、中流で舟が漏水するようなものであり、急いで補修すべきです。
功名を占う:突如授与され、突如剥奪される恐れがあります。
軍事・征伐を占う:旗を奪い旗を換えるようなものであり、勝った時こそ敗北を慮るべきです。事に臨んで慎み恐れることが貴ばれます。
婚姻を占う:古人はしばしば衣服を夫婦に譬えましたが、新しきを好んで古きを捨ててはならないという意味です。
疾病を占う:老齢・虚弱による病症です。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 ある日、西村捨三氏が訪れて言いました。「私は土木局長として奉職し、数年来治水のために全国を巡回することすでに三回に及びます。維新以前を遡れば、各藩が自らの領土を保全し、堤防や山林にはそれぞれ禁令があったため、林木は繁茂し土脈は堅固で、堤防が決壊する憂いはありませんでした。しかし維新以降、政令が一変し、山丘や陵谷がことごとく開墾され、土砂が流出して河道を塞ぎ、その結果河川が通じず堤防を越えて溢れ出しました。洪水が汎濫して被害は浅くなく、平定の良策を欠いております。どうか占って処理の方策を示してください。」 筮して《既済》から《革》を得ました。
卦断に曰く:爻辞の「繻に衣袽あり」の「繻」は「濡(漏れる)」と作され、漏水の象であり、「衣袽」とは破れ衣で漏れを塞ぐ道具です。「終日戒む」とは、危険が極めて大きく、一時で解決できるものではないため、終日防備しなければならないことを意味します。舟の漏水は小さな事柄ですが、治水の方法について爻はすでにその象を示しています。閣下が治水の方策を占ってこの爻辞を得たことは、いわゆる「危険なるものを防ぎ、漏れるものを塞ぐ」ということです。爻に「衣袽」とあるのは、ただ一つの物を例として譬えたに過ぎず、あるいは砂土を用い、あるいは木石を用いることも、みな「衣袽」の例と見なすことができます。地に因りて宜しきを制し、小より大に及ぼすことは、すべて閣下が斟酌して実行されることに過ぎません。「終日戒む」の三字が最も切要であり、刻々と予防に努め、少しも緩めてはならず、危懼の心を持てば危険な境地に陥ることはありません。治水の道はこれに勝るものはありません。
【例】 知人の阪田春雄氏が、かつてオーストラリア(豪国)博覧会へ派遣を命じられました。ある日私がその家を訪ねると、母堂が私に言いました。「以前帰国予定を知らせる電報がありましたが、予定を過ぎても帰らず、その後の電報もありませんので、非常に心配しております。どうか占ってください。」 筮して《既済》から《革》を得ました。
卦断に曰く:この卦は上が《坎》、下が《離》であり、《離》は南、《坎》は北を表します。今四爻は《離》を出て《坎》に入るため、船はすでに赤道を越えて北の海に入った象です。爻辞によれば、航行中の船に破損・漏水の災いがあることが知られ、誠に心配ではありますが、《離》の陰が《坎》の陽に変わるため、生命に別状はありません。さらに一爻進めば、五爻の陽が変じて陰となり、水が地となるため、身を全うして上陸する象であり、災難を免れることは確実です。
当時、その家には洋学生が三人おり、この卦断を聞いて陰で互いに嘲笑しました。私は言いました。「《易》の理は甚だ微妙であり、諸君の知るところではない。諸君が信じないのなら、春雄君が帰着した時、その霊験がわかるだろう。」 数日後、春雄氏が帰宅し、船が赤道以北に達した際、暗礁にぶつかって破損したため港に寄港し、遅延が生じたのだと語りました。
《象伝》に曰く:終日戒むとは、疑うところあればなり。
注:「繻(じゅ)」は彩色の絹織物、「袽(じょ)」は破れ衣を意味します。四爻は内卦と外卦の交点に位置し、《離》を出て《坎》に入ります。繻は文明の象であり、《離》から取られ、袽は破れた衣であり、《坎》は破損を表すため《坎》から取られています。四爻は《既済》の全盛期にあたり、衣冠整い、文化や名声が清々しく一新されている様を表します。しかし天命は無常であり、盛者はたちまち衰え、新しきものはたちまち古くなります。時に応じてつくろい修復しなければ、瞬く間に敗壊へと向かい、絢爛たる彩絹の衣もまもなく破れ果てたぼろ屑となってしまいます。ゆえに「繻に衣袽あり」と言います。《既済》は《乾》《坤》の二・五が互いに易わることで成立したものであり、「終日戒む」とは《乾》の「終日乾乾し、夕に惕若たり」の意であり、《既済》の時にあって一層危惧の心を強め、その戒め慎むことに終わりがないことを表すため「終日戒む」と言います。《伝》で「疑うところあればなり」と釈するのは、《坎》が疑いを表し、疑いとは未だ起こらぬことを起こるのではないかと憂えることであり、これも戒めであります。「繻」について王弼は「濡(ぬれる)」と作すべきとし、「衣袽」とは破れ衣で舟の漏れを塞ぐことだと解しました。王弼の解釈は「済」の字から無理に義を取り、渡るには必ず舟があり、舟に漏れがあれば濡れるので破れ衣でそれを塞ぐのだと説明しています。爻辞の「繻に衣袽あり」という言葉に枝葉を付け加え、自説を取り繕うものであり、やや強引さを免れません。
【占い】
時運を占う:運気は全盛期にありますが、予防しなければ衰退がすぐに訪れます。慎み戒めるべきです。
商業を占う:舟航の如く、中流で舟が漏水するようなものであり、急いで補修すべきです。
功名を占う:突如授与され、突如剥奪される恐れがあります。
軍事・征伐を占う:旗を奪い旗を換えるようなものであり、勝った時こそ敗北を慮るべきです。事に臨んで慎み恐れることが貴ばれます。
婚姻を占う:古人はしばしば衣服を夫婦に譬えましたが、新しきを好んで古きを捨ててはならないという意味です。
疾病を占う:老齢・虚弱による病症です。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 ある日、西村捨三氏が訪れて言いました。「私は土木局長として奉職し、数年来治水のために全国を巡回することすでに三回に及びます。維新以前を遡れば、各藩が自らの領土を保全し、堤防や山林にはそれぞれ禁令があったため、林木は繁茂し土脈は堅固で、堤防が決壊する憂いはありませんでした。しかし維新以降、政令が一変し、山丘や陵谷がことごとく開墾され、土砂が流出して河道を塞ぎ、その結果河川が通じず堤防を越えて溢れ出しました。洪水が汎濫して被害は浅くなく、平定の良策を欠いております。どうか占って処理の方策を示してください。」 筮して《既済》から《革》を得ました。
卦断に曰く:爻辞の「繻に衣袽あり」の「繻」は「濡(漏れる)」と作され、漏水の象であり、「衣袽」とは破れ衣で漏れを塞ぐ道具です。「終日戒む」とは、危険が極めて大きく、一時で解決できるものではないため、終日防備しなければならないことを意味します。舟の漏水は小さな事柄ですが、治水の方法について爻はすでにその象を示しています。閣下が治水の方策を占ってこの爻辞を得たことは、いわゆる「危険なるものを防ぎ、漏れるものを塞ぐ」ということです。爻に「衣袽」とあるのは、ただ一つの物を例として譬えたに過ぎず、あるいは砂土を用い、あるいは木石を用いることも、みな「衣袽」の例と見なすことができます。地に因りて宜しきを制し、小より大に及ぼすことは、すべて閣下が斟酌して実行されることに過ぎません。「終日戒む」の三字が最も切要であり、刻々と予防に努め、少しも緩めてはならず、危懼の心を持てば危険な境地に陥ることはありません。治水の道はこれに勝るものはありません。
【例】 知人の阪田春雄氏が、かつてオーストラリア(豪国)博覧会へ派遣を命じられました。ある日私がその家を訪ねると、母堂が私に言いました。「以前帰国予定を知らせる電報がありましたが、予定を過ぎても帰らず、その後の電報もありませんので、非常に心配しております。どうか占ってください。」 筮して《既済》から《革》を得ました。
卦断に曰く:この卦は上が《坎》、下が《離》であり、《離》は南、《坎》は北を表します。今四爻は《離》を出て《坎》に入るため、船はすでに赤道を越えて北の海に入った象です。爻辞によれば、航行中の船に破損・漏水の災いがあることが知られ、誠に心配ではありますが、《離》の陰が《坎》の陽に変わるため、生命に別状はありません。さらに一爻進めば、五爻の陽が変じて陰となり、水が地となるため、身を全うして上陸する象であり、災難を免れることは確実です。
当時、その家には洋学生が三人おり、この卦断を聞いて陰で互いに嘲笑しました。私は言いました。「《易》の理は甚だ微妙であり、諸君の知るところではない。諸君が信じないのなら、春雄君が帰着した時、その霊験がわかるだろう。」 数日後、春雄氏が帰宅し、船が赤道以北に達した際、暗礁にぶつかって破損したため港に寄港し、遅延が生じたのだと語りました。
九五:東隣(とうりん)の牛を殺すは、西隣の禴祭(やくさい)の実(まこと)にその福を受くるに如かず。
九五:東隣(とうりん)の牛を殺すは、西隣の禴祭(やくさい)の実(まこと)にその福を受くるに如かず。
《象伝》に曰く:東隣の牛を殺すは、西隣の時に如かざるなり。実(まこと)にその福を受くとは、吉大いに来たるなり。
五爻は二爻と応じ、ちょうど東と西が相対するがごときであり、五は君、二は臣であります。東隣を君とすれば紂王の国であり、西隣を臣とすれば文王の国であります。紂の都は東にあり、岐周は西にあったため、東隣・西隣について鄭玄は殷と周を指すとしました。《離》は牛、《坎》は豚(豕)であり、牛を殺して吉を得ないのは、豚を殺して福を受けるに及びません。これは贅沢で傲慢なるものは、質素で敬虔なるものに如かないことを譬えています。上卦は《既済》の後に処し、下卦はまさに済み始めの時にあたります。殷の天子は太牢(牛)をもって祀るため牛を殺し、周の西伯は牛を用いることができず豚を用いるため禴祭を行いました。当時殷の道はすでに衰え、時は《既済》であり、周の徳はまさに新しく、時はまさに済み始め(甫済)でありました。《既済》とは時がすでに去ったものであり、甫済とは時がまさに来たるものです。去ったものは再び戻らず、来たるものは留まるところがありません。ゆえに牛を殺すは誇るに足らず、禴祭こそは大いに頼るべきであり、それゆえ「東隣の牛を殺すは、西隣の禴祭の実(まこと)にその福を受くるに如かず」と言うのです。九五は陽爻であり、陽は実(まこと)を表し、五は《乾》を体とし、《乾》は福を表すため、《象伝》は「吉大いに来たる」と釈します。《泰》に「小往き大来たる、吉にして亨る」とあり、外より内に向かうを「来たる」と言います。本卦は二と五が相易わり、《乾》より《泰》を成すため、福が《乾》より来たることを意味します。
【占い】
時運を占う:すでに全盛であれば退き、まさに盛んであれば進むべきです。質素を守り贅沢を慎むべきであり、吉凶はすべて自らが招くものです。
軍事・征伐を占う:盛んな気勢は西にあります。天に従い徳を修めるべきであり、兵を濫用して武力を誇示してはなりません。
商業を占う:共同経営・同業者において、裕福な者は贅沢に流れがちですが、質素な者こそが実質的な利益を得ることができます。
功名を占う:すでに成就した者は慎むべきであり、未だ成就していない者には大いに望みがあります。
婚姻を占う:西の隣家と縁談を纏めるのが吉です。
家宅を占う:西向きの住宅が吉です。
○ 病気を問う。祈祷がよい。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 横浜弁天通の橘屋は私の知人であります。その隣家に、西洋家具を専門に扱う岩井屋某という店がありました。明治元年、私は橘屋の紹介により木材を売り渡し、その価値は数千円に及びました。しかし、彼は表面上は富裕を装いつつも内実は極めて貧困であり、数日経っても代金を支払わないため、私は憂慮しました。一占をもってこれを決することとし、筮して《既済》から《明夷》を得ました。
卦断に曰く:爻に「東隣の牛を殺すは、西隣の禴祭の実(まこと)にその福を受くるに如かず」と言い、卦は九五を東隣とし、六四を西隣とし、五を主爻とし、五は二と応じるため、主は応に如かないことを示します。今、占うところについて論じれば、買主である岩井屋を東隣とし、紹介者である橘屋を西隣とします。このように橘屋を疑えば、間に立って利益を得ているはずです。私が橘屋に代金を請求すれば、橘屋は責任を逃れられません。橘屋を西隣と見なせば、爻位は《離》に属し、《離》は火であります。売却したものは木材であり、木は火を生じ、火が旺盛になれば《坎》水が煮詰められるため、東隣(岩井屋)も代金を支払わずにいられなくなります。また《離》は女性を表すため、女性を遣わして請求させるとよいでしょう。
果たしてのちに私は橘屋の妻や娘と相談し、無事に代金を受け取ることができました。
《象伝》に曰く:東隣の牛を殺すは、西隣の時に如かざるなり。実(まこと)にその福を受くとは、吉大いに来たるなり。
五爻は二爻と応じ、ちょうど東と西が相対するがごときであり、五は君、二は臣であります。東隣を君とすれば紂王の国であり、西隣を臣とすれば文王の国であります。紂の都は東にあり、岐周は西にあったため、東隣・西隣について鄭玄は殷と周を指すとしました。《離》は牛、《坎》は豚(豕)であり、牛を殺して吉を得ないのは、豚を殺して福を受けるに及びません。これは贅沢で傲慢なるものは、質素で敬虔なるものに如かないことを譬えています。上卦は《既済》の後に処し、下卦はまさに済み始めの時にあたります。殷の天子は太牢(牛)をもって祀るため牛を殺し、周の西伯は牛を用いることができず豚を用いるため禴祭を行いました。当時殷の道はすでに衰え、時は《既済》であり、周の徳はまさに新しく、時はまさに済み始め(甫済)でありました。《既済》とは時がすでに去ったものであり、甫済とは時がまさに来たるものです。去ったものは再び戻らず、来たるものは留まるところがありません。ゆえに牛を殺すは誇るに足らず、禴祭こそは大いに頼るべきであり、それゆえ「東隣の牛を殺すは、西隣の禴祭の実(まこと)にその福を受くるに如かず」と言うのです。九五は陽爻であり、陽は実(まこと)を表し、五は《乾》を体とし、《乾》は福を表すため、《象伝》は「吉大いに来たる」と釈します。《泰》に「小往き大来たる、吉にして亨る」とあり、外より内に向かうを「来たる」と言います。本卦は二と五が相易わり、《乾》より《泰》を成すため、福が《乾》より来たることを意味します。
【占い】
時運を占う:すでに全盛であれば退き、まさに盛んであれば進むべきです。質素を守り贅沢を慎むべきであり、吉凶はすべて自らが招くものです。
軍事・征伐を占う:盛んな気勢は西にあります。天に従い徳を修めるべきであり、兵を濫用して武力を誇示してはなりません。
商業を占う:共同経営・同業者において、裕福な者は贅沢に流れがちですが、質素な者こそが実質的な利益を得ることができます。
功名を占う:すでに成就した者は慎むべきであり、未だ成就していない者には大いに望みがあります。
婚姻を占う:西の隣家と縁談を纏めるのが吉です。
家宅を占う:西向きの住宅が吉です。
○ 病気を問う。祈祷がよい。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 横浜弁天通の橘屋は私の知人であります。その隣家に、西洋家具を専門に扱う岩井屋某という店がありました。明治元年、私は橘屋の紹介により木材を売り渡し、その価値は数千円に及びました。しかし、彼は表面上は富裕を装いつつも内実は極めて貧困であり、数日経っても代金を支払わないため、私は憂慮しました。一占をもってこれを決することとし、筮して《既済》から《明夷》を得ました。
卦断に曰く:爻に「東隣の牛を殺すは、西隣の禴祭の実(まこと)にその福を受くるに如かず」と言い、卦は九五を東隣とし、六四を西隣とし、五を主爻とし、五は二と応じるため、主は応に如かないことを示します。今、占うところについて論じれば、買主である岩井屋を東隣とし、紹介者である橘屋を西隣とします。このように橘屋を疑えば、間に立って利益を得ているはずです。私が橘屋に代金を請求すれば、橘屋は責任を逃れられません。橘屋を西隣と見なせば、爻位は《離》に属し、《離》は火であります。売却したものは木材であり、木は火を生じ、火が旺盛になれば《坎》水が煮詰められるため、東隣(岩井屋)も代金を支払わずにいられなくなります。また《離》は女性を表すため、女性を遣わして請求させるとよいでしょう。
果たしてのちに私は橘屋の妻や娘と相談し、無事に代金を受け取ることができました。
上六:その首(こうべ)を濡らす、危うし。
上六:その首(こうべ)を濡らす、危うし。
《象伝》に曰く:その首を濡らす、危うしとは、いづくんぞ久しかるべけんや。
上爻は《既済》の極みに処し、これを反転すれば《未済》となります。すでに済んだことはようやく過ぎ去り、未だ済まざる時が待っています。進んで止まなければ、体は未だ溺れずとも、まず頭部が浸かってしまうため、「その首を濡らす」と言います。夏・殷の全盛も、間もなく桀・紂によって滅び、文・武の興隆も、間もなく幽・厲によって衰退しました。いわゆる「治まる日は少なく、乱れる日が多い」とは、古今を通じて同じ嘆きであり、ゆえに「危うし」と言います。《象伝》に「いづくんぞ久しかるべけんや」とあるのは、戒めるところが深いためです。
【占い】
○ 時運を占う:幸運は既に過ぎ去り、非常に危険な状態です。慎むべきです。
○ 征戦を占う:上爻は坎の危険の極みに居り、上は首(かしら)を意味するため、首将(最高指揮官)に不利がある恐れがあります。
○ 商業を占う:最初の商取引では、利益を得ることが必ずや困難です。
○ 功名を占う:首席(トップ)の座を勝ち取ることが叶うでしょう。
○ 婚姻を占う:先妻には災難がありますが、後妻を娶る(再婚する)分には咎めはありません。
○ 家宅を占う:この住居は長男(長房)にとって不利です。
○ 訴訟を占う:首領(リーダー)の身を保つことが難しいので警戒すべきです。
○ 疾病を占う:病は頭部や顔面にあり、危険な状態です。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 友人某が訪ねてきて、運勢を占うよう求めたため、筮竹を操作したところ『既済』から『家人』に変わる卦を得た。
断に曰く:上爻は『既済』の終わりに居り、その終わりを保つことができず、『既済』は直ちに『未済』へと転じます。上は首(かしら)であり、首(頭)がまず濡れることになります。これは人生において、前の運勢は既に過ぎ去り、後の運勢がこれから来ようとしていることを喩えています。過ぎ去った方の危険は既に平らぎましたが、これから来る方の危険はまさに多いのです。足下(あなた)はちょうど今、運の交差点(転換期)におられます。前の運気は大いに良好でしたが、後の運気はなおいっそう慎重であるべきであり、そうすれば危険を脱して難を逃れることができると知るべきです。
《象伝》に曰く:その首を濡らす、危うしとは、いづくんぞ久しかるべけんや。
上爻は《既済》の極みに処し、これを反転すれば《未済》となります。すでに済んだことはようやく過ぎ去り、未だ済まざる時が待っています。進んで止まなければ、体は未だ溺れずとも、まず頭部が浸かってしまうため、「その首を濡らす」と言います。夏・殷の全盛も、間もなく桀・紂によって滅び、文・武の興隆も、間もなく幽・厲によって衰退しました。いわゆる「治まる日は少なく、乱れる日が多い」とは、古今を通じて同じ嘆きであり、ゆえに「危うし」と言います。《象伝》に「いづくんぞ久しかるべけんや」とあるのは、戒めるところが深いためです。
【占い】
○ 時運を占う:幸運は既に過ぎ去り、非常に危険な状態です。慎むべきです。
○ 征戦を占う:上爻は坎の危険の極みに居り、上は首(かしら)を意味するため、首将(最高指揮官)に不利がある恐れがあります。
○ 商業を占う:最初の商取引では、利益を得ることが必ずや困難です。
○ 功名を占う:首席(トップ)の座を勝ち取ることが叶うでしょう。
○ 婚姻を占う:先妻には災難がありますが、後妻を娶る(再婚する)分には咎めはありません。
○ 家宅を占う:この住居は長男(長房)にとって不利です。
○ 訴訟を占う:首領(リーダー)の身を保つことが難しいので警戒すべきです。
○ 疾病を占う:病は頭部や顔面にあり、危険な状態です。
○ 妊娠:男児が生まれる。
【例】 友人某が訪ねてきて、運勢を占うよう求めたため、筮竹を操作したところ『既済』から『家人』に変わる卦を得た。
断に曰く:上爻は『既済』の終わりに居り、その終わりを保つことができず、『既済』は直ちに『未済』へと転じます。上は首(かしら)であり、首(頭)がまず濡れることになります。これは人生において、前の運勢は既に過ぎ去り、後の運勢がこれから来ようとしていることを喩えています。過ぎ去った方の危険は既に平らぎましたが、これから来る方の危険はまさに多いのです。足下(あなた)はちょうど今、運の交差点(転換期)におられます。前の運気は大いに良好でしたが、後の運気はなおいっそう慎重であるべきであり、そうすれば危険を脱して難を逃れることができると知るべきです。