高島易断 · 卦ごとの解説

高島易断 · 易経 第 64 卦 火水未済、未済:亨る。小狐汔んど済に進まんとし、その尾を濡らす、利する攸なし。

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火水未済、未済:亨る。小狐汔んど済に進まんとし、その尾を濡らす、利する攸なし。

未済:亨る。小狐汔んど済に進まんとし、その尾を濡らす、利する攸なし。

64 火水未済

『未済』は『既済』の反転であり、『既済』の上卦が反転して下卦に居り、『既済』の下卦が反転して上卦に居ります。火と水は互いに背き合って交わらず、これは炎上するものがその炎を成すことができず、潤下するものがその潤いをもたらすことができない状態です。これゆえにこの卦は火水『未済』と名付けられるのです。

未済:亨る。小狐汔んど済に進まんとし、その尾を濡らす、利する攸なし。

「不済(不完成)」と言わず「未済(いまだ済わざる)」と言うのは、不完成に甘んじているのではなく、ただ「いまだ〜ならず」だからです。そもそも『未済』であっても自ずから成就できる可能性を秘めており、今は亨通していなくても自ずから亨通し得るため、それゆえ「未済、亨る」と言うのです。『坎』は小狐であり、「汔」は「ほぼ、危うく」の意味です。川を渡り切って岸に登って初めて『既済』となるのであり、一歩でも届かなければ、なお未完成です。「ほぼ渡り終える」だけでどうして済と言えましょうか! 小狐は力が弱く、流れの中ほどで渡る力を失い、尾が重くて振れず、濡れるのを免れません。そこに何の利があるでしょうか。それゆえ「小狐汔んど済に進まんとし、その尾を濡らす、利する攸なし」と言うのです。

彖伝に曰く:未済は亨るとは、柔、中を得ればなり。小狐の汔んど済に進まんとするは、未だ中を出でざるなり。その尾を濡らす、利する攸なしとは、終りを続けざるなり。位に当らざると雖も、剛柔応ずるなり。

この卦は下が『坎』、上が『離』であり、『坎』は水、『離』は火です。火が上にあり水が下にあるため、水火は交わらず、すなわち水火は互いに用をなしません。これは天地が暗く夜が明けず、宇宙が混濁して未だ開けていない時節を表します。『既済』と『未済』は、彖伝においてともに「亨る」と言います。『既済』の亨通は既に成就した亨通であり、『未済』の亨通は未だ成っていない(未来の)亨通です。未だ成っていない亨通が最終的に亨通を得られるのは、その柔が中を得ているからです。小狐は川を渡ることができず、己の力を顧みずに妄進し、ほぼ渡り終えそうでありながら結局は成功せず、危険の中から抜け出すことができません。三爻と四爻は卦の要衝に当たり、『坎』は三爻で尽きるため、未だ中を抜け出していません。中を抜け出せなければ中流に漂流し、進むことも退くこともできず、足が岸に登らないうちに尾が既に濡れてしまいます。「終りを続けざる」とは、『既済』の終わりを継続することを言います。『既済』の終わりは『未済』の始まりであり、『既済』の頭(首)は『未済』の尾です。『既済』の終わりで頭を濡らせば、『既済』はその終わりを保つことが難しくなり、『未済』がこれを継ぐことを望むばかりです。しかし『未済』において尾を濡らしてしまえば、『既済』の首を継ぐことができず、すなわち『既済』の終わりを継続できません。『既済』と『未済』は首尾が互いに接し、終わってはまた始まる循環です。その終わりを継続できなければ、寒暑が正しく巡らず、日月が交互に照らさなくなり、天地の運行さえも止まりかねません。いわんや人事においてをや! それゆえ「利する攸なし」と言うのです。『未済』に処する者は、始めを尋ねて終わりを求め、全力でその成就を期すべきであり、「小狐の汔んど済に進みて尾を濡らす」ようなことを真似てはなりません。一時的に『未済』にあるのは、ただその位(爻位)が正しくないからです。しかし位は不当であっても、自ずから成就できる理法が存在します。『既済』が『既済』たるゆえんは剛柔の相応によるものであり、『未済』もまた同じ剛柔をそなえています。未から既へと進むのはこの一つの成就にあり、この一つの継続にあります。そうすれば『未済』の終わりはすなわち『既済』の終わりとなり、乾元の気もここから再び始まるのです。

この卦を人事に当てはめますと、人生において世を渡る際、危険を免れることはできず、またその成就を求めないわけにはいきません。未済のときに当たっては、もちろん未済に甘んじていてはならず、努力してその成就を期待すべきです。未済に安んじていれば終生成就することはありませんが、努力して成就を期せば、一時的には未済であっても最終的には必ず成就できます。『未済』から進んで『既済』となれば、『既済』の亨通はそのまま『未済』の亨通となるため、それゆえ『未済』もまた亨るのです。未済に処する者は、こちらからあちらへと渡り、危険の中を歩んで危険の外へと脱出し、必ず対岸に登ることを求め、途中で諦めて線を引くようなことをしません。『既済』の首は継続可能となり、『未済』の尾も濡れることがなければ、どこへ行っても不利なことがありましょうか! 人事がこの状況に合致すれば、絶えたものは再び繋がり、終わってはまた始まり、既にあるものは保って失うことなく、未だならざるものは進んで窮まりがありません。このようになれば未済のものは必ず成就します。一時的に未済であるのは、その位が不適当だからです。爻位によれば、必ず火が下にあって水がその加熱を受け、必ず水が上にあって火がその功を奏するべきですが、倒置して位を失っているため、両者が互いに働き合わないのです。働き合わなければ互いに助け合えませんが、それでも永久に不成就というわけではありません。卦体は上が『離』、下が『坎』であり、『坎』は剛で『離』は柔、上下が相互に作用し、すなわち上下が相応じています。『既済』が既済であるのはこの剛柔の相応にあり、『未済』が進んで既済となるのもまたこの剛柔の相応にほかなりません。柔をもって剛を助け、終わりをもって始めを継げば、どんな危険も克服(成就)できないことがありましょうか! 天道の循環も人事の交替も、要はこの剛柔の相応にほかならないのです。

この卦を国家に当てはめますと、国家の興亡・治乱・顛覆・存亡は、ただ『既済』と『未済』が相継続し、保たれるか否かにかかっています。『易』を作った時代は殷と周の交替期であり、論者は『既済』の卦は殷の紂王に属し、『未済』の卦は周の文王に属すると言います。文王が難に遭い苦難の中で貞正を保ったのは、まさに未済の時に当たりますが、小心翼々(慎み深く)としてその徳を曲げず、それによって成就を求めたのです。かの密須や崇の侵略は、みな小狐の汔んど済に進むようなものであり、どうして成就できましょうか! ただ文王のみが柔順で文明な徳をもってこの大難に遭い、ついに叛逆せず、他を羨まず、道の大岸に登ることができました。その成就、その亨通は、天と人の助けを得てその成就を成し遂げたものであり、大国には恐れ敬われ、小国には懐かれて、どこへ行っても不利なことがない状態となったのです。こうして周は殷を継ぎ、周の未済をもって殷の既済を継承しました。殷が変じて周となったのは、まさにこの首尾の相継続によるものです。後世、周を継いで『未済』の状況に遭遇する者は、みな文王を模範とすべきです。『詩経』に「淠(ひ)たる彼の涇(けい)の舟、亟(すみ)やかにこれを棹(さ)して徒(わた)る」とあるのを見ても、その成就の亨通なる様を想像することができます。

この卦を総観しますと、『既済』は功業が既に完了した状態であり、『未済』は事業が再び始まる状態です。終わってはまた始まることには「生生(生々発展)」の意味があります。「生々、これを易と謂う」とあり、『易』が『未済』で終わるゆえんです。『既済』は水が上にあって下ろうとし、火が下にあって上ろうとするため、二気が調和して相ともにその用をなします。『未済』はこれと反対であり、炎上するものはさらに上昇し、流下するものはさらに下降して、分かれて背き交わらず、互いに役に立ちません。用をなすときはその作用が完成していますが、役に立たないときはその作用がまさに待たれているところであり、これこそ五徳の相乗、四季の交替という、絶えることなく継続する運気・機会です。『坎』『離』の既済・未済は、『乾』『坤』の泰・否のようなものであり、泰が極まれば否となり、既済の後に未済が来るのも、その象(象徴)を同じくしています。卦として下三爻は「未済の中の未済」であり、上三爻は「未済の中の既済」です。未から既へと向かうため、爻象は『既済』よりも吉と見なされます。卦体は『坎』が上、『離』が下であり、『離』は日(太陽)、『坎』は夜、『離』は光明、『坎』は暗黒、『離』は虚(空)、『坎』は実(充実)です。徳は光明より大きいものはなく、道は虚より神(妙)なるものはありません。それゆえ『坎』は降り『離』は昇り、『坎』は内に隠れて『離』は外に明らかに照らし、日は天に懸かり、水は地の下を行き、『乾』『坤』が正位を得るというのは、自然の法象(法則)です。聖人はこれにおいて、既済のときに当たっては未済の念を忘れず、未済のときに当たっては既済の図謀を倍加させ、事業は必ず始めにおいて慎重にし、功績は完成間近において不意に台無しにしないようにし、天運が永遠に正しく保たれ、治世の道が永久に安泰であるようにします。これを望まないことがありましょうか! しかし陰陽が倒置し、爻位が不当であるため、『坎』と『離』はそれぞれ自らの居宅に安住し、水と火は互いにその用を隠してしまうため、卦は『未済』となるのです。六爻において位はみな不当ですが、剛と柔はそれぞれ相応じています。初爻は「その尾を濡らす」で、渡るための道具を欠いています。二爻は「その輪を曳く」で、渡るための道具を得ています。三爻は「川を涉る」で、躁動(焦り)によって凶となります。内卦の三爻は、みな渡ろうと欲しながら未だ渡れない者です。四爻は「賞あり」で、『震』の威武をもって討伐し志を行う者です。五爻は「輝光あり」で、「孚(誠実)あり」によって吉を得る者です。上爻は「その首を濡らす」で、飲食によって節度を失う者です。外卦の三爻は、みな『未済』から進んで『既済』となる者です。爻は二爻と五爻が正応であるため、ともに「貞吉」と言います。初爻と四爻も応じていますが、初爻は渡る始めに当たり、四爻は渡る中ほどを得ているため、初爻は四爻の吉さに及びません。三爻と上爻はともに極位に居り、三爻は『未済』において利を失い、上爻は『既済』において節度を失うため、ともに警戒・誡めを示しており、戒めて正しくすることが、その終わりを保つゆえんなのです。『易』の道は不終(終わらないこと)をもって終とし、すなわち終りにして始まらざるものは無いため、それゆえ『乾』には「首なし」と言い、『坤』には「大いに終る」と言います。六十四卦が『既済』で終わらずに『未済』で終わるのは、『既済』のものは既に尽きており、『未済』のものは無窮(無限)だからです。既をもって未を開き、未をもって既を継ぐという、『乾』『坤』の大いなる作用は、まさに『坎』『離』の継続の中にこそ存在するのです。

大象に曰く:火、水の上に有るは、未済なり。君子以て慎んで物を辨じ方を居(さだ)む。

火は熱く水は冷たいというように、物はそれぞれその性質を異にし、『離』は南、『坎』は北というように、方はそれぞれその位置を異にします。火が水の上にあるのは、炎上と潤下がともにその位を失い、両者が相助け合わない状態であり、それゆえ『未済』と言います。君子はこの象を観察し、物を判別してその居所を定め、物を辨別してそれぞれに適した宜しきを得させて混同させず、その方位に居してそれぞれその正しい位置に従わせ、越脱させません。すべてを審慎(慎み深さ)をもって行えば、知恵は明白でないものはなく、対処は適当でないものはなく、未済であったものが済(完成)に進むことができるのです。それゆえ「君子以て慎んで物を辨じ方を居む」と言うのです。

  【占い】
○ 時運を占う:運気が逆転して混乱しています。諸事において慎むべきです。


○ 商業を占う:商品が不適切で、場所も合っていません。慎重に対処して初めて利益を得ることができます。

○ 功名を占う:未だ達成されません。

○ 征戦を占う:陣営の設備や器具がそれぞれの宜しきを失い、役に立っていません。急ぎ慎重に点検・考察すれば、敗北を免れることができます。

○ 家宅を占う:方角・向きが逆転しています。変更・改修するべきです。

○ 婚姻を占う:家柄や条件が合っていません。

○ 疾病を占う:上焦・下焦の血脈が通じておらず、昇るべきものが昇らず、降るべきものが降りません。処方(薬方)は最も慎重にするべきです。

○ 失物を占う:方位を明確に判別すれば、見つけることができます。

○ 六甲(妊娠)を占う:前の月(上月)なら女児を生み、後の月(下月)なら男児を生みます。

初六:その尾を濡らす、吝。

初六:その尾を濡らす、吝。

象伝に曰く:その尾を濡らすとは、また極(限度・潮時)を知らざるなり。

初六は『未済』の始まりに居り、彖辞のいわゆる「小狐汔んど済に進まんとし、その尾を濡らす」は、初爻がこれに当たります。『未済』の初めと『既済』の上は、首と尾で互いに相接しています。『既済』の上爻は「首を濡らす」ことで危険に陥りました。初爻はその後に続き、上爻の濡首を見て自らを戒め正せば、未済であっても濡れるのを免れることができたはずです。しかし前の首も後の尾も同じく濡れてしまい、愚かにも反省・警戒することを知りません。それゆえ「吝(恥・後悔)」と言うのです。象伝が「また極を知らざるなり」と釈するのは、前の車が覆った轍(わだち)があるのに、後の者が悟らずにまたそれを踏んでしまうことを指し、それゆえ「極(限度・潮時)を知らない」と言うのです。

  【占い】
○ 時運を占う:前後を察せず、進退を省みず、魯莽に行動するのは、愚かで無知な者です。


○ 商業を占う:前の失敗に懲りず、後も戒めないため、同じ失敗(覆轍)を繰り返します。これではどうして事態を収拾できましょうか。

○ 功名を占う:龍頭(先頭・首位)を既に失っており、優秀な者に従うこと(驥尾に付す)も困難です。

○ 婚姻を占う:首尾ともに流転・離散しており、団らん(再会)は困難です。

○ 家宅を占う:この住居は表門と裏戸の方角・配置が正しくありません。

○ 疾病を占う:病気は下半身にあります。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 友人某が訪ねてきて、物品製造の生業(事業)がどのようであるかを占うよう求めたため、筮竹を操作したところ『未済』から『睽』に変わる卦を得た。

断に曰く:初爻は《未済》の初めに居り、まさに済(わた)り終えずして将に済らんとするの時にあたります。《既済》の終わりには「その首(こうべ)を濡(ぬ)らす」とあり、《未済》の始めには「その尾を濡らす」とあって、首尾相顧みざるの象があります。今、貴方が製造事業を占ってこの爻辞を得たのは、この事業が必ずや旧業であり、貴方がその後を継いで再興しようとしていることを知るからです。貴方は前車の覆るを知らず、軽妄にもその後に倣ったため、出来上がった製品が一時販売できなくなりました。これを担保に資金を得ようとしても却って損失を招き、得失相償わず、進退両難に陥り、ほとんど「小狐汔(ほぼ)済らんと orphan し、その尾を濡らす」がごときで、吝(りん)を免れません。二爻に至り「その輪を曳(ひ)く、貞吉」と言えば、明年に至り車運を以て外に搬出すれば、販路を得て利益を収めることができましょう。貴方は憂うに及びません。

九二:其の輪を曳(ひ)く、貞吉。

九二:其の輪を曳(ひ)く、貞吉。

《象伝》に曰く:九二の貞吉は、中を以て正を行えばなり。

二爻は《坎》の中央に居り、《坎》は輪となるゆえに「輪」と言います。輪とは済(わた)るための道具です。《既済》の初爻には「輪を曳きてその尾を濡らす」と言い、済る具がありながら濡れる者ですが、ここでは「輪を曳く」と言って「尾を濡らす」と言わないのは、済る具がありながら濡れない者であって、《既済》の初めより優れているゆえに「貞吉」と言います。《坎》はまた矯正し曲げる木となし、『周礼・考工記』によれば「湿地を行く者は反輮(はんじゅう)を用い、山道を行く者は仄輮(そくじゅう)を用いる」とし、引きやすいようにするためです。輪を操って水に臨み、中道を行けば、その済ることは正しきを以てし、これ中を行きて正なるものであり、吉なることこれに過ぎましょうか!《象伝》の釈するところ、最も明著であります。

  【占い】
○ 時運を占う:運気は軽車が水を渡るがごときで、中道を行きて渡れば、往くとして利ならざるはなし。


○ 商業を占う:満載して帰るの象あり。

○ 功名を占う:二と五が応じ、五は君、二は臣であり、二五ともに吉にして、君臣相済(たす)け合うなり。後車に載するの象あり。

○ 征伐を占う:柴を曳きて偽り逃れるの謀(はかりごと)あり。

○ 婚姻を占う:桓少君が鹿車を共曳(ひ)くの風あり、必ず賢婦を得て、吉なり。

○ 家宅を占う:輪煥(りんかん)共に美なるの象あり。

○ 疾病を占う:必ず胸腹が鳴り、轆轆(ろくろく)として車の声のごとし。三焦(さんしょう)を開通し、気機を舒展(じょてん)せしむれば、自然に癒ゆ。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 明治八年九月、朝鮮国我が雲揚艦を砲撃し、物論洶洶(きょうきょう)として、朝廷は将に問罪の師を起こさんとす。時に陸軍大佐某氏来たりて一占を請い、筮して《未済》の《晋》を得たり。

断に曰く:水火交わらず、相為に用いられざるを《未済》と謂う。然れども未済は不済にあらざるなり、時至らざれば即ち済らず、時至れば即ち済る、故に「未済は亨る」と曰う。卦と為るや皆水火を取る、《既済》は水火の上にあり、初爻に「輪を曳く」と曰うは、これ陸道の輪車なり;《未済》は火水の上にあり、二爻に「輪を曳く」と曰うは、これ海道の輪船なり。今雲揚艦朝鮮の砲撃を被り、爻に「その輪を曳く、貞吉」と曰うは、撃たるると雖も、尚輪を曳きて帰るべし、故にその吉を失わざるなり。《象伝》に「中を以て正を行えばなり」と曰うは、必ず中和の道を得て、以てその正を行えば、今年必ず怨を構えて兵を起こすに至らざるを言のなり。三爻に至り「征けば凶、大川を渡るに利あり」と曰うは、恐らくは明年朝鮮に事あらん。「征けば凶」とは、恐らくは陸軍利にあらざらん;「大川を渡るに利あり」とは、海軍必ず大勝するを知るなり。九四に「貞吉、悔い亡ぶ、震にして用て鬼方を伐つ、三年にして大国に賞あり」と曰うは、二より四に至るは後年となし、必ず朝鮮の事を解決すべきなり。且つ二爻変じて《晋》と為る、晋とは進むなり、《晋》の五に「失得恤(うれ)うことなかれ、往けば吉にして、利ならざるなし」;上に「その角に晋む、維(これ)用て邑を伐つ、危うければ吉にして、咎なし」と曰うは、これ皆征伐功あるの占なり。占象かくのごとし、以後必ず大功を得んことを知る。但し《未済》は外卦を《既済》と為し、内卦を将に済らんと為す、占二爻にあり、故に今年事を取り成すこと能わず、必ず外卦を待ちて、乃ち全済を得るなり。

後朝鮮の事局平和に帰し、征討興らず、ここに於いて某氏来たりて曰く:前日の占、事甚だ験(しるし)あらず。余曰く:《易》占の霊応せざるはなく、但し応ずるところ一時にあらざるなり。現に平和に帰すと雖も、その「中を以て正を行えばなり」の一語、恰も好く符合す、此の後の占象、君緩やかにしてこれを待つべし、応ぜざるはなからん。

六三:未済、征けば凶。大川を渡るに利あり。

六三:未済、征けば凶。大川を渡るに利あり。

《象伝》に曰く:未済、征けば凶、大川を渡るに利ありとは、位当たらざればなり。

三爻は陰を以て陽に居り、内外卦の交わりにあたり、首尾共に岸に着かざるゆえに、爻に「未済」と曰う。専ら卦名を以てこれに帰し、《未済》の未済たる所以は、この爻にあるを謂うなり。三は《坎》の終わりに当たり、地は重要に当たり、一歩進めば即ち険を出で、一歩誤れば即ち危きを踏む、魯莽(ろもう)に前進し、一たび足を踏み外せば、功一潰に成るを敗る、故に「征けば凶」と曰う。然れども《未済》にも済るべきの道あり、険あれば険を出ずるの時あり、古より大難を定め、大功を建てる者は、罔(な)くとして「征けば凶」の時より興起せざるはなし。いわゆる「征けば凶」とは、第(ただ)その妄動すべからざるを戒むるのみにして、その退縮して進まざらんことを欲するにあらざるなり。三の地は、正に利涉の地に当たり、三の時は、正に利涉の時に当たる、ここにして済らざれば、即ち終に済らず、ここにして済るを得れば、即ち汔(ほぼ)済らんとする者は乃ち済るを得るなり。《象伝》に「位当たらざればなり」と曰うは、《未済》の六爻、位皆当たらざるも、三は《坎》の終わりとなすゆえに、《伝》専ら不当を以てこれを釈するなり。

  【占い】
○ 時運を占う:鎮静にして時を待つべし、躁動(そうどう)すれば即ち凶なり。


○ 征伐を占う:海軍を会集し、水陸共に進めば、即ち凶なる者も吉とならん。

○ 商業を占う:舟運を以て利と為す。

○ 功名を占う:川を涉り櫂(かじ)と作(な)るの材あり。

○ 婚姻を占う:『詩経』に「舟を造りて梁(はし)と為し、親しく渭(い)に迎う」と云う、迎え娶れば即ち吉、往きて贅(むこ)となれば即ち凶なり。

○ 疾病を占う:《艮》は狐となす、病は狐の祟るところに由る、宜しく川を涉りて以て避くべし。

○ 妊娠:男児が生まれる。

【例】 明治三十年、衆議院の気運を占い、筮して《未済》の《鼎》を得たり。

断に曰く:この卦火上に水下にあり、水火相為に用いられず、故に「未済」と曰う。三爻上下内外の交わりに居り、《坎》を出でて《離》に入り、正に《未済》の時に当たる、ここを以て爻辞直ちに「未済」と曰う。「征けば凶」とは、初めのお尾を濡らすを指すなり;「涉るに利あり」とは、二の輪を曳くを指すなり、利となし凶となすは、人の自ら為すに任するのみ。《伝》即ち「位当たらざればなり」と釈す、ここに於いて衆議院の気運を見るべきなり。蓋し政府にありては欧米の文明に効(なら)い、以て富強を図らんと欲し;衆議員にありては、欧米の自由を学び、以て権利を図らんと欲す、猶水下に火上にあるがごときで、両ながら相済らざるなり。且つ現時選ぶところの議員は、多く賄賂より来たる、これ明らかに位の当たらざるなり、これより以往、安んぞ凶ならざらんや?故に「征けば凶」と曰う。然れども議院の設くるや、苟もその位に当たり、而して「中を以て正を行えば」、未だ嘗て利あらざるにあらず、故に「大川を渡るに利あり」と曰う。但しこの爻《坎》の終わりに処し、猶未だ険を出でず、今年衆議院は、正に未済の地に当たり、盛旺を期し難し。四爻に「貞吉、悔い亡ぶ、震にして用て鬼方を伐つ、三年にして大国に賞あり」と曰うは、知る明年衆議院、必ずその人を得て、能く国家の大事を賛襄(さんじょう)し、労して厚き賜りを蒙らん、これ盛象なり。五に「君子の光」と曰う、五は君となし、定めて天顔を観るに入り、武功文徳、共に輝光を煥(あきら)かにせん。

九四:貞吉、悔い亡ぶ。震にして用て鬼方を伐つ、三年にして大国に賞あり。

九四:貞吉、悔い亡ぶ。震にして用て鬼方を伐つ、三年にして大国に賞あり。

《象伝》に曰く:貞吉、悔い亡ぶとは、志行わるるなり。

《未済》の済(わた)るは四にあり、《既済》の済るは三にあり、《未済》の四は、即ち《既済》の三なり、故に爻辞皆「鬼方を伐つ」と曰う。三は《離》の初めに居り、《離》は戈兵となす、故に「用て伐つ」と言い。《坎》は鬼となす、故に象を「鬼方」に取る。「震」とは威怒の象にして、いわゆる一怒して天下の民を安んずるものなり。《未済》には即ち悔いあり、済れば即ち悔い亡ぶ。故に「貞吉、悔い亡ぶ」と曰う。「三年」とは、その久しきを言えばなり、即ち《既済》の三爻に云う「三年にしてこれを克つ」なり。「賞あり」とは、俘(とりこ)を献じ馘(くびきり)を授け飲至して、大賞を受けるこれなり。「大国」とは殷を謂う、爻明かに高宗と言わざると雖も、要するに《既済》三爻の義を出でざるなり。《象伝》に「志行わるるなり」と曰うは、班師(はんし)奏凱して、威遠方に震い、三軍を主とする者、その志を行うを得るを謂うなり。《既済》三爻の《伝》に「憊(つか)るるなり」と曰うは、労師遠征の為に言えばなり;此の《伝》に「志行わるるなり」と曰うは、振旅して捷(しょう)を告ぐるの為に言えばなり。

  【占い】
○ 時運を占う:この大運あり、「貞吉、悔い亡ぶ」、名利共に全からん。


○ 征伐を占う:軍を率いて遠征し、凱歌を奏して帰り、栄えて賜命を蒙るを得ん。

○ 商業を占う:行商遠く出で、財利豊盈(ほうえい)ならん。

○ 功名を占う:声名遠く震い、天寵を承けるを得ん。

○ 婚姻を占う:三年で成るべし。

○ 家宅を占う:貞吉なり。

○ 疾病を占う:「鬼方」の二字吉ならず、三年後保ち難からんことを恐る。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 友人某来たりて気運を占わんことを請い、筮して《未済》の《蒙》を得たり。

断に曰く:この卦の下三爻は《未済》の時となし、上三爻は《既済》の時となす、今四爻を得て、近年困苦の事、漸次成功を奏すべく、いわゆる「貞吉、悔い亡ぶ」なるを知る。「震にして用て鬼方を伐つ、三年にして大国に賞あり」とは、君この三年のうちに、威名遠く揚がり、賞賜栄賞を膺(う)くるを得て、生平の業成り志満つるの時たるを知るなり。

【例】 明治二十七年冬至、謹みて二十八年の聖運を占い、筮して《未済》の《蒙》を得たり。

断に曰く:四爻内外の交わりに当たり、《坎》を出でて《離》に入り、険難を脱して文明に入るとなし、これ《未済》よりして《既済》に抵(いた)るなり。今四爻を得て、爻に「震にして用て鬼方を伐つ」と曰うは、これ清を征して勝つを得るなり;「三年」とは、戦役の久しきを謂い;「大国に賞あり」とは、奏凱して賞を行うを謂うなり。

六五:貞吉、悔いなし。君子の光あり。孚(まこと)あり、吉。

六五:貞吉、悔いなし。君子の光あり。孚(まこと)あり、吉。

《象伝》に曰く:君子の光は、その暉(ひかり)吉なるなり。

五は《未済》一卦の主となし、《離》の中央に居り、四と相比し、二と相応ず。二は中を居て正を行うを以てし、四は征伐功あるを以てし、この文徳昭明、武功顕著なるに当たり;臣下の勲業は、要するに天子の威光と為るなり、故に「君子の光」と曰う。柔中を得る、故に「貞吉、悔いなし」。《離》は明となし、光となす、徳は明より盛りなるはなく、業は光より大なるはなし、六五の君、和順中に積み、英華外に発し、その光皆君子の身より出で、天下文明の化を仰がざるはなし、故に「孚あり、吉」と曰う。《象伝》「暉吉」を以てこれを釈す、その篤実にして輝光なる、自然に昭著(しょうちょ)するを謂う、吉なることこれに過ぎんや!

  【占い】
○ 時運を占う:運当に全盛なるべし、百事皆吉なり。


○ 征伐を占う:《師》卦に「師は貞なり、丈人は吉なり」と曰う、並び占うべし。

○ 商業を占う:その営業必ず政府の公務に関係し、或いは軍餉(ぐんしょう)と為し、或いは軍器と為し、朝廷の余澤を沾(うるお)うを得る、故に吉なり。

○ 功名を占う:天顔を観るに入るの象あり。

○ 家宅を占う:この宅大吉、当に旌賜(せいし)の労を招くべし。

○ 婚姻を占う:「君子の好逑(こうきゅう)」、必ず得るべし。

○ 懐妊について問う。女児が生まれ、貴い身分となる。

【例】 某 we 紳来たりて、官階の昇進を占わんことを請い、筮して《未済》の《訟》を得たり。

断に曰く:五爻《離》の中央に居り、《離》は日となし、光となす、五は君位に当たり、日に君の象あり、故に「君子の光」と曰う。日光臨照し、下土あまねく被る、故に「孚あり」と曰う。五は二と応じ、二は臣となし、これ好く「君子の光」を得る者なり。今足下禄位の昇進を占い、《未済》の五爻を得たり、五は尊位となし、二爻は貴下に属す、二爻に「その輪を曳く、貞吉」と曰う、輪は日輪となし、輪を曳く者は、羲和の主の車を御するがごときあり、これ天子の近臣と為り、聖化に沐浴し、龍光を瞻仰するなり、君明に臣良し、貴下の為に祝うべきなり。

上九:孚(まこと)あり、酒に飲むに、咎なし。その首(こうべ)を濡(ぬ)らす、孚あれども是(これ)を失うか。

上九:孚(まこと)あり、酒に飲むに、咎なし。その首(こうべ)を濡(ぬ)らす、孚あれども是(これ)を失うか。

《象伝》に曰く:酒に飲み首を濡らすとは、また節を知らざるなり。

上爻《未済》の終わりに当たり、反りて《既済》と為り、坎の険すでに脱し、上下交わり孚あり、即ち飲食して以て燕楽(えんらく)す。『詩経』に「南に嘉魚あり、君子酒あり、嘉宾式(もち)いて燕(たの)しみ以て楽しまん」とあり、『序』に曰く太平の君子至誠なり。楽を賢者と共にす、酒食に孚あるの義あり、故に「咎なし」。然れども酒は以て礼を成す、乱に及ばず、監を立て史を立て、その節を示す所以なり、「その首を濡らす」ときは、即ち酔いて出でず、これ徳を伐(そこな)うと謂う、また何ぞ孚を取らんや、故に「孚あれども是を失うか」と曰う。これ始めは孚ありて酒に飲む者なるに、継ぎて反りて酒に飲みて孚を失うなり、《象伝》「節を知らざるなり」を以てこれを釈す。《易》の書たる、過ぐるを患(うれ)うるは、防ぐの及ばざるより更に甚だし、欲は縦(ほしいまま)にすべからず、楽は極むべからず、持盈(ちえい)保泰、節にあらざるはなし。これ特に《未済》の終わりに当たり、酒に飲むを借りて以て喩えと為すのみ。

  【占い】
○ 時運を占う:《坎》の難すでに平らぎ、衆心歓楽す、能く撙節(そんせつ)することを知れば、以て永く無咎を保つべし。


○ 征伐を占う:これ勝利を得て班師(はんし)し、酒を飲みて勲を策(はか)るの時なり。

○ 商業を占う:すでに厚利を得て帰る、これより出でを量りて入るを為せば、富永く保つべし。

○ 功名を占う:得ては再びこれを失う懸念があります。

○ 疾病を占う:必ず暴飲暴食などの不摂生が原因です。

○ 訴訟を占う:『序卦伝』に「飲食には必ず訟あり」とあり、この訴訟は必ず深酒・過度な飲酒が原因で起こると分かります。

○ 妊娠について問う。女児が生まれる。

【例】 明治二十八年七月二十七日の夕暮れ、私が友人と書楼で雑談していたところ、新聞の号外を売り歩く声が聞こえました。客が「号外は何を報じているのか分からないが、君、試しに占ってみてはどうか」と言うので、筮竹を操作したところ、『未済』が『解』に変わる卦を得ました。

断に曰く:号外の報じる内容は、必ずや飲酒過度により酔って水中に溺れる災難であろう。その時、たまたま女中が号外を持ってきたので広げて読むと、山陽鉄道で列車が途中で覆転し、乗客が負傷したという報でした。

数日後、その鉄道会社の社員に会って当時の状況を尋ねたところ、「折しも風雨が激しくなったため列車を止めるよう勧告したのですが、機関士の某氏が聞き入れず、出発直前に強い酒をあおって発車・進行し、不意にこの事故に遭って命を落としたのです」とのことでした。これにより、爻辞の教えが実に虚妄でないことを知りました。